夏の旅・尾道紀行 ~一目千軒~
千光寺本堂からの尾道です。映画「ふたり」のシーンにも出てきた景色ですが、これぞ尾道という眺めの良さですね。
こちらは浄土寺山の中腹から眺めた尾道です。この町並みを、「一目千軒」と呼ぶのだそうですね。
尾道は昔から港町として知られた町で、特に江戸時代においては北前船の中継地として大いに栄えました。大阪と蝦夷地の間を取り次ぐ中継ぎ交易によって巨利を納めた豪商が軒を連ね、尾道は瀬戸内でも有数の殷賑の地となったのです。
明治以後、鉄道と国道が海と山の間にあったわずかな平地を貫いた事から、尾道の町は変貌を余儀なくされます。住む場所を失った人々は山の斜面に住処を求め、あるいは海を埋め立てるなどして平地を少しずつ増やしていきました。現在のこの景観が出来上がったのは案外新しく、明治から大正にかけての事の様ですね。そうして尾道の町は発展を続け、見渡す限りで千軒もの家が建ち並ぶ町並みが出来上がったのです。
ところがこの町並みにも、再び変化が訪れようとしています。この夥しい家屋のうち、実に4割が空き家になっているのだそうです。
原因は、やはり不便という事に尽きる様ですね。急な斜面は歩くのが大変というだけでなく、下水道整備にも支障を来しているようです。あまりに傾斜が急すぎて、下水管を敷設出来ない様ですね。ですから、未だにトイレの水洗化が進まず、くみ取り車が活躍しています。それどころか、ホースが届かない高台の家では、人力で汚物を回収し、それを天秤棒でかついで下ろすという、ちょっと今の時代では信じられない様な手間を掛けているのだそうですね。
そういう不便を強いられる斜面の家を捨て、開発の進んだ北部や西部に移り住む人が多くなり、後に入る人も居ない事から、空家だらけになってしまったのだそうです。という事は、この景色もいずれ無くなってしまうという事を意味しますね。
駅前の商店街もまた、映画「さびしんぼう」に描かれた様な賑わいはどこにもなく、だんだんとシャッター通り商店街となりつつある様です。一説には3割の店が商売をやめたと言われており、がらんとした印象を受けますね。
今回の旅行でより一層の尾道ファンとなってしまった私としては、今の景観が失われる事が残念でなりません。町は生き物ですから変貌する事は仕方が無いとしても、この迷路の様な町並みを無くしてしまうのは、どう考えても勿体ないですよね。町全体をテーマパークの様にして、このまま保存出来ないものかしらん。
また、しまなみ海道の開通以来、尾道は通過点になりつつあり、観光客が減り続けていると聞きます。去年は戦艦大和のロケセットのおかげで大いに賑わったそうですが、所詮は一過性のものに過ぎず、次にどうすれば良いのかと模索が続いている様です。
私が思うに、尾道は数々の魅力に溢れた素晴らしい町です。でもね、それが大阪にまでは聞こえて来ないのですよ。上手にキャンペーンを行えば、こんなに面白い町だもの、人が来ないはずはありません。もっともっと、尾道をアピールして下さい。
また、せっかく駅前に商店街があるのに、観光客が入れる店がほとんど無いのが残念でした。おみやげ物を買うにも、駅以外にはそういう場所が無いのですよ。ここに土産物センターでも作れば、大いに賑わうと思うのですが。
それともう一つ、お寺の拝観料が要らないのは素敵なのですが、やはりガイドをする人が欲しいです。予備知識なしで行けば、どんなに歴史のあるところでも、ああこんな場所かで終わってしまいます。それではやはり魅力は半減ですよね。
そんな尾道にも、素晴らしいガイドが居ました。それがこのガイド犬「ドビン」ちゃんです。元はちゃんとした家の飼い犬だったのですが、諸般の事情から飼い主の一家が尾道から引っ越した時、ドビンは家族と別れて町に残る事を選択したと言われています。以来、商店街を住処とし、ボランティアのガイドに付き従って、観光客の案内を勤める様になりました。ついにはドビン単独でも観光客を案内出来る様になったと言いますが、最近では年のせいで動きが鈍くなり、あまり動かなくなったそうです。ある意味、尾道一の有名人だそうですね。何度もテレビに出ているそうですが、大阪で知っている人は何人いるだろう?こんなに面白い犬、もっともっと宣伝して下さい。
最後はとりとめもなくなってしまいましたが、尾道の未来を憂う人たちが居るらしいと知り、応援したくなって書いてみました。この素敵な町「尾道」がいつまでも輝きを失わずに続く事を願って、旅行記の締めくくりと致します。
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