京都・洛中

2017.08.12

京都・洛中 京の七夕2017 ~鴨川会場~

Kyonotanabata1708121

京の夏の風物詩となりつつある京の七夕が、今年も開催されています。始まった時は鴨川と堀川の二会場だけでしたが、年々規模が大きくなり、昨年からは六つの会場で行われています。

Kyonotanabata1708122

今年私が訪れたのは鴨川会場です。本当は開幕当初に行きたかったのですが、天候の関係などで断念し、結局最終日となってしまいました。

Kyonotanabata1708123

鴨川会場で毎年趣向を凝らしてくれる京阪電鉄の今年の演出は、この地上に降りた天の川でした。体感型照明インスタレーションによって天の川を表現しているそうですが、正直言って良く判らなかったです。昨年までの方が大規模で面白かった様な気がするかな。

Kyonotanabata1708125

風鈴灯は例年どおりの風情のあるものでした。ただ、以前はあったお香が今年は無かったですね。昨年はどうだったかしらん。

Kyonotanabata1708126

鴨川会場と堀川会場は昨日で会期を終えました。ても、まだ梅小路公園会場と岡崎会場は明日まで、二条城会場は14日まで、北野紙屋川会場は16日まで行われています。それぞれ違った趣向が用意されているので、興味のある方は訪れてみられては如何ですか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.11

京都・洛中 第42回京の夏の旅 文化財特別公開 ~涉成園 蘆庵~

Syouseien1708111

今年の今日の夏の度の一回目は、涉成園の蘆庵を訪れてきました。涉成園を訪れるのは10年ぶりくらいになるのかな。

涉成園は東本願寺の飛び地境内で、歴代貫首の隠居所として使用されていました。作庭したのは石川丈山と伝わり、洛中屈指の池泉回遊式庭園として知られています。その中でも蘆庵は比較的珍しい二階建ての茶室で、主として煎茶道のために使われていました。普段は非公開の部分で、雨戸で締め切られています。

Syouseien1708112

蘆庵の名は、天井部分に蘆が使われている事からこう呼ばれます。主な用途が煎茶道であるため炉は切っておらず、道具類を外から持ち込んでお茶を楽しんだようです。

Syouseien1708113

元の建物は江戸時代のものでしたが、その後火災に遭い、現在のものは昭和32年に再建されたものです。二階の主室は四畳半とかなり狭いですね。造りも質素ですが、この丸窓が良いアクセントになっています。

残念ながら全体像は木が邪魔になって撮る事が出来なかったのですが、冒頭の看板を参考になさって下さい。

Syouseien1708115

ここは特別公開の中でも扱いが変わっていて、涉成園に入るための清掃協力金(500円以上)を払うと蘆庵にも入ることが出来るようになっています。そのため、蘆庵を見終わった後は、涉成園を見て回るのは自由ですよ。

Syouseien1708116

ただ、残念な事に橋の修復作業と池の浚渫工事のために印月池の水は抜かれており、景色は今ひとつです。また、この暑さも手伝ってか、磯臭い異臭も漂っていました。なので、あまりお勧めではないと言ったら失礼かな。煎茶道に興味のある方には良いかも知れませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.10

京都・洛中 ~東本願寺~

Higasihonganji1708111

西本願寺と並ぶもう一つの本願寺が東本願寺です。真宗大谷派の本山で、真宗本廟が正式名称となります。

Higasihonganji1708112

東本願寺を創立したのは教如上人です。教如上人は顕如上人の長男として生まれましたが、織田信長と戦った石山合戦の時、父の顕如上人が和睦した後も一人石山本願寺に立てこもり戦い続けました。このため、父からは義絶され、その後一度は義絶は解けて教団の後を継いだものの、教団内の対立が元で豊臣秀吉の命により退隠を余儀なくされました。この時、本願寺を継いだのが弟の准如上人です。

Higasihonganji1708113

退隠後も布教活動を続けていた教如上人に救いの手を差し伸べたのが徳川家康でした。関ヶ原の戦いの後、現在の地に寺域を与え、新たな本願寺を創設する事を許したのですね。これにより本願寺教団は二つに分かれ、それぞれの位置関係から西本願寺、東本願寺と呼ばれる様になります。家康が教如を助けた裏には、強大な本願寺教団を分裂させ、その力を削ごうとする意図が隠されていたとも言われます。

Higasihonganji1708116

もう一つ面白い説があって、秀吉は自らの死後に神となるための権威付けとして、西本願寺、方広寺、豊国廟といった聖地を直線上に並べ、正面通でそれらを結んでいました。その意図に気づいた家康が、そのルートを分断するために東本願寺を今の位置に建てさせたというのですね。さらには、三代将軍の家光もまた、涉成園を東本願寺に寄進し、念入りに正面通を分断したと言われます。実際、正面通を歩いていると、すぐに東本願寺と涉成園に行き当たってしまい、この説がまことしやかに思えてきます。実際どうだったかは謎ですけどね。

Higasihonganji1708115

これは御影堂門前にある蓮の噴水です。噴水そのものを設計したのは京都市役所などを手がけた武田伍一氏、蓮の花の設計をしたのは竹内栖鳳氏、完成したのは1918年(1914年とも)の事でした。こんなモダンな噴水を100年前に手がけるとは大したものですね。今でも密かな人気を誇り、記念写真を撮っていく人も多いですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.09

京都・洛中 蓮2017 ~東本願寺 8.5~

Higasihonganji1708101

東本願寺の南堀には蓮が咲いています。住宅街と塀に挟まれたひっそとした場所で、なぜこんなところに植えたのかと思うのですが、それだけ静かに蓮の花を楽しむ事が出来ます。

Higasihonganji1708102

植えられている蓮は淀姫という品種です。今は無くなってしまいましたが、以前はそう書いた立て札が立っていました。かつては巨椋池で咲いていた花の様ですね。

Higasihonganji1708103

8月5日ではもう遅いかなと思っていましたが、まだ10輪ほどが咲いていました。最盛期だと一面に咲いているのですけどね。

Higasihonganji1708105

もうほとんどが花殻となっており、つぼみはあまり残っていなかったので、そろそろシーズンも終わりに近づいているのでしょう。今年もこの花が見られて良かったです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.08

京都・洛中 ~西本願寺・伝道院~

Dendouin1708081

西本願寺の御影堂門を出て正面通を5分ほど歩けば、洋館風の奇妙な建物と出会います。それが西本願寺所有の伝道院、明治45年に建てられた真宗信徒生命保険会社の元社屋で、現在は研修施設として使用されています。

Dendouin1708082

設計したのは平安神宮や祇園閣を手がけた事で知られる伊東忠太で、数ある氏の作品の中でも傑作の一つに数えられ、重要文化財に指定されています。

Dendouin1708083

それにしても、見れば見るほど奇妙な建物で、イスラム教のモスクの様なドームを持つかと思えば、日本の寺院の様な破風が付属するという複雑さです。また、外見からでは判りませんが、当時としては最先端の技術として鉄と檜の複合材を梁に使うなど意欲的な作品でした。

Dendouin1708085

この塔など、もはや何と表現して良いか判りません。西洋の城の尖塔の様でもあり、モスクの様でもあり、独特の造形ですね。

一度は老朽化のために解体という話も出ていたのですが、貴重な文化財として惜しむ声が高くなり、2010年に保存修復工事が行われました。その際にレンガの間に鉄筋を通すなど外見からでは判らない耐震補強を施し、4年後に重要文化財に指定されるに至っています。

Dendouin1708086

建物の周囲には、伊東忠太得意の怪獣の石像が並べられており、氏の造形である事が一目で判るようになっています。この怪獣たちを見るだけでも面白いですよ。残念ながら内部の公開は行われていませんが、外から見るだけでも十分に楽しめます。西本願寺に行かれる事があったら、少し足を伸ばしてみられる事をお勧めします。


| | トラックバック (0)

2017.08.07

京都・洛中 ~西本願寺~

Nisihonganji1708071

東寺から西本願寺まで歩いてきました。まだ朝は早いというのに日差しは強く、20分ほど歩いただけでもう汗だくです。

Nisihonganji1708072

最初に出会ったのが国宝の唐門、伏見城から移築されたと言われ、全体に精緻な彫刻が施された見事な門です。来年の6月から4年を掛けて修復されるとの事ですので、見に行かれるのなら今のうちですよ。

Nisihonganji1708073

西本願寺は、言わずと知れた浄土真宗本願寺派の大本山です。正式には龍谷山本願寺と言い、宗祖は親鸞聖人です。初めは東山大谷の地にあり、その後寺域は転々とし、戦国時代には大坂石山の地にあって、織田信長と戦ったのは有名ですね。現在の地に移ったのは1591年の事で、豊臣秀吉の命に拠るものでした。

Nisihonganji1708076

大きな伽藍は二つあり、本堂にあたるのが阿弥陀堂です。その名の通り阿弥陀如来を祀る御堂ですが、これだけ大きな寺にしては、ご本尊は意外と小さいですね。でも、仏様の功徳に大きさは関係なく、伽藍が大きいのは大勢の信徒が入れる様にという配慮からだという事です。

Nisihonganji1708075

西本願寺では、1日に4回ガイドを行われているのですが、今回は私も参加させて頂きました。その時教えて貰ったのが御堂の補修にあたる大工さんの遊び心で、単に痛んだ箇所を埋めるだけでなく、この写真では鷹の形に加工してあります。他にも富士山やナスビの形のものもあり、一富士二鷹三ナスビの洒落になっているのだとか。

Nisihonganji1708077

もう一つの大伽藍が御影堂です。宗祖親鸞聖人を祀る御堂で、本堂よりもこちらの方が大きいですね。それだけ宗祖の教えを大切にしているという事なのでしょうか。なお、御影堂の読み方は「ごえいどう」で、本願寺ではこう読みますが、他の宗派、例えば知恩院では「みえいどう」と読みます。この違いはなぜかと言うと、お坊さんにも判らないそうですね。

Nisihonganji1708078

堂内は至る所に金箔が使われ、豪華絢爛たるものでした。金をふんだんに使うのは、永久不滅の仏法の教えを表すためなのだとか。他にも見事なふすま絵などもあり、国宝の御堂にふさわしいしつらえとも言えるのかな。今回参加したガイドツアーのおかげで、西本願寺がこれまでより身近なものの様に感じる事が出来ました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.03

京都・洛中 蓮2017 ~立本寺 7.29~

Ryuhonji1708021

平成29年7月29日の立本寺です。この日は蓮が見頃を迎えていました。

Ryuhonji1708022

立本寺には7月の上旬にも来ていたのですが、その時はわずかにつぼみが上がっている程度で、全体に生育も悪い感じでした。なので今年は外れ年かなと思っていたのですが、およそひと月経ってみるとがらりと様子が変わっていました。

Ryuhonji1708023

生育が遅れたぶん、見頃も遅れたのでしょうか。10輪程度でしたが、どれも綺麗に咲いていましたよ。きっと丹精込めて手入れをされたのでしょうね。

Ryuhonji1708025

ただ、つぼみはあまり上がっていなかったので、盛りは過ぎてしまったのかもしれません。これからは数輪程度が咲き続ける感じになるのかな。

Ryuhonji1708026

少し驚いたのは、児童公園だった場所にビルが建っていた事で、景色が一変していました。たまたま居合わせたお寺の方に伺ったのですが、老人ホームだそうで、立本寺の土地を貸したのだそうです。境内に老人ホームが建っているのは清浄華院がありますが、あちらはお寺が経営しているのだったかな。どちらにしても、お寺の維持管理にはお金が掛かるのでしょう。観光寺院でないという事は、何かと大変なのでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.02

京都・洛中 大福梅の土用干し2017 ~北野天満宮~

Kitanotenmangu1708031

夏の土用の北野天満宮です。いつも賑わうこの神社ですが、さすがに夏の盛りとあってか、いつもよりは人出も少なめですね。

Kitanotenmangu1708032

その境内では、大福梅の土用干しが行われていました。この時期恒例の作業で、12月13日の事初めから授与される大福梅を作っているところです。

Kitanotenmangu1708033

この梅は境内で採れたもので、およそ2.5トンほどあるのだとか。収穫から貯蔵まで全て巫女さんたち総出で作業されるそうです。

Kitanotenmangu1708035

この日は昼から雨の予報で、実際少しぽつりと来ていたのですが、本格的には降らなかったのは幸いでした。もし降り出していたら、どうしていたのでしょうね。これだけの梅を屋根の下に移動させるのはさぞかし大変でしょう。その様子も見てみたかったなんて言うと、罰があたるかな。

馥郁たる梅干しの香りに、ちょっと良い気分になった一時でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.01

京都・洛中 応仁の乱勃発地 ~御霊神社~

Goryojinja1708011

昨日相国寺の戦いで応仁の乱について少し触れましたが、そのすぐ近くに由来の地があります。それが相国寺の北隣にある御霊神社で、応仁の乱勃発の地とされます。

Goryojinja1708012

御霊神社の戦いは、管領家の一つ、畠山家の家督争いでした。正確には応仁の乱の前哨戦というべきもので、ここに2千の兵で立て籠もった畠山政長に、三千の兵を引き連れた畠山義就が攻めかかったのでした。この時、室町幕府の将軍義政は、畠山家の内紛であるとして諸大名にこの争いに関与する事を禁じていたのですが、山名宗全はこれを無視して義就方に加担し、一方の細川勝元は将軍の命に従って動こうとはしませんでした。結果として政長は敗北し、見捨てた形となった勝元は面子を潰され、以後宗全と対立する様になって行きます。

Goryojinja1708013

この戦いが端緒となり、11年にも及ぶ戦が続く事になるのですが、その経過はあまりに複雑で怪奇なものであり、私もまだ理解仕切れていません。結果としては、京の町の大半は焼け野原となり、多くの寺社仏閣も灰燼と帰してしました。大抵の寺や神社の縁起には応仁の乱で焼けたとありますから、片端から陣地とされては焼き討ちにあっていったのでしょうね。

Hananogosyo17078011

相国寺の近くには、もう一つ応仁の乱に縁のある場所があります。それが花の御所跡で、今は相国寺の西隣にある大聖寺に石碑が残されています。花の御所は室町将軍家の屋敷だったところで、室町通に面して門があった事から、室町幕府の名があると言われます。

Hananogosyo17078012

応仁の乱勃発当初には義政もこの屋敷に居て将軍として乱の平定に動いていたのですが、あろう事か勝元に働きかけられると勝元に加担して宗全と対立する側に回ってしまいます。これにより、調停勢力を失った応仁の乱は混迷の度合いを深め、泥沼化していったのでした。

応仁の乱はまだ少し概略を調べた程度ですが、奥が深くて面白そうですね。京都にも縁の地がいくつもある事だし、これから本格的に勉強してみようかと思っているところです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.07.31

京都・洛中 蓮2017 ~相国寺 7.29~

Syoukokuji1707311

平成29年7月29日の相国寺です。この日は蓮がまだ見頃を保っていました。むしろ、前回の8日に訪れた時よりも咲いていたくらいです。

Syoukokuji1707312

この日はみたらし祭に行った直後で、まだ朝が早かった事もあるかも知れません。咲いて2日目、3日目の花は、昼には閉じてしまいますからね。

Syoukokuji1707313

ところで最近知った事ですが、応仁の乱があった当時、相国寺の戦いという大規模な戦闘があったのですね。東軍と西軍の大軍がここで激突し、激戦の末に相国寺の大伽藍は三日三晩に渡って燃え続け、灰燼と帰してしまったのでした。

Syoukokuji1707315

当然大勢の戦死者も出て、中でも蓮池に足を取られた西軍の軍勢600人が亡くなったのだとか。相国寺の蓮池と言えば、この放生池を指すのかな。そんな阿鼻叫喚の地獄図がここであったとは、俄には信じがたいです。

Syoukokuji1707316

もしそうだとすると、この蓮の花は戦死者に捧げる供養の花なのかしらん。平和の象徴の様に感じていたこの池の景色も、見方を変えなくてはいけないのかもしれません。

明日は、その応仁の乱にちなんで、周辺の縁の地を歩いてみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧