真田丸

2016.12.18

真田丸 第50回「最終回」

とある尼寺。正信と相部屋になった信之。

大坂城、真田勢の部屋。決戦を前に酒で盛り上がる真田十勇士。そこに現れた幸村。命を惜しめ、そして必ず勝てと幸村。

厨。与佐衛門を問い詰める幸村。娘と妻が太閤に手込めにされ、命を絶った、以来、秀吉と大坂城が消え去るのをこの目で見るまでここに居ると与佐衛門。生かしておけぬと刀を抜く幸村。役目は終わったと串で腹を突く与左衛門。

秀頼の御前。本日は総掛かりで行くと幸村。真田勢と毛利勢が天王寺に陣取り敵を引きつけると勝永。その間に明石隊が敵の背後に回り込むと全登。岡山口は治房に任せると幸村。そして、満を持して秀頼公自ら御出陣頂くと幸村。

千成瓢箪が掲げられたのを合図に全軍一斉に襲いかかりますと治長。必ずや家康の首を取ってご覧にいれますと幸村。

淀の方の部屋。この頃、城と共に滅びる夢をよく見る、死ぬ時は誇り高くありたいものと淀の方。世の中に誇り高き死など無い、誇り高く生きて欲しいと幸村。死など怖くないと淀の方。燃えさかる城の中で喉を突き、血まみれになったご自身の姿を考えた事がありますか、秀頼公の首が三条河原に晒される様を思い描いた事がありますかと幸村。悩乱する淀の方。

抱き止める幸村。私の親しい人は皆死んでいくと淀の方。長い間悪い夢を見てきた、それも間もなく終わると幸村。

お上様にお願いしたき事がと幸村。出来る事ですかと淀の方。家康の首を取ってくる、それから先は徳川と豊臣がどう折り合いを付けるかという談判になる、また戦になれば次は必ず負けると幸村。左衛門佐が居れば勝てると淀の方。無言の幸村。死ぬつもりなのですねと淀の方。

戦に勝った後ならより良き和議の案を突きつける事が出来る、大坂城を捨てる代わりに四国全土の主として認めさせるのですと幸村。判りましたと淀の方。万に一つ、家康を討ち漏らした時は、千姫様を秀忠の下に和睦の使者として使わして下さいと幸村。うなずく淀の方。望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるのですと幸村。

幸村の部屋。父が今の私を見たら何と言われるかなと幸村。もちろん喜ばれるでしょうと内記。私はこの世に居た証しを何か残せたのかと幸村。人の値打ちは己が決める事では無い、時が決めると内記。戦国の世に義を貫き通し、徳川家康と渡り合った真田幸村の名は、日本一の兵として語り継がれるに相違ないと内記。どんな終わりを迎えてもかと幸村。大事なのは如何に生きたかですからと内記。

早蝉の声。私もせわしなく鳴いてくるかと幸村。

5月7日、茶臼山から岡山にかけて布陣した大坂方。別働隊として船場口に待機した全登隊。忠直、忠朝を主軸に数段の陣を構えた徳川方。

茶臼山の様子を見てきますと治長。戦場で会おうと秀頼。

淀の方の部屋。きりと天正カルタをしている淀の方。この戦は勝ちますと淀の方。落ち着いておられるのでほっとしました、左衛門佐様がそうおっしゃってましたからときり。二人はどんな関係と淀の方。どう言いますか、腐れ縁?ときり。

家康の陣。なぜ、こちらから攻めぬ、なぜ向こうは攻めてこぬと秀忠。秀頼の出馬を待っているのではと正純。我が陣営には豊臣恩顧の大名が多い、秀頼に出てこられては士気に関わると家康。幸村が寝返るという噂を立て、浪人の召し抱え、四国への国替えなどを盛り込んだ降伏勧告を出しては如何でしょうと正純。考える事が父に似てきたと家康。

茶臼山。秀頼公はと勝永。支度に手間取っているのではと治長。大蔵卿に止められているのではと勝永。それは無いと思いたいと幸村。とりあえずこれだけは先に運んで置いたと馬印を示す治長。今一度城を使いを出そうと治長。

この戦勝てるぞと勝永。私もそう思うと幸村。敵は30万、しかし、ほとんどの兵はまことの戦を知らぬ、加えて大名同士の繋がりも悪いと見たと勝永。秀頼公が城を出られたら、それを合図に我らで家康の本陣を目指して突っ込むと幸村。毛利勝永の名を日の本に知らしめてやると勝永。

そこに入った開戦の知らせ。もはや後には引けぬと幸村。家康の陣で待っていると勝永。

午前10時過ぎ、忠直隊から勝永隊に打ち込まれた鉄砲。それに応戦する勝永隊。忠朝隊を迎え撃つ勝永隊。

今すぐ打って出ると秀頼。なりませぬ、大御所様への返事はどうなされるのですと大蔵卿局。こんなものに何の意味があるのか、左衛門佐と約束をしたと秀頼。その左衛門左が徳川と内通しているという噂がありますと大蔵卿局。ありえぬと秀頼。左衛門佐の兄は徳川の大名、裏で通じていてもおかしくはございませんと大蔵卿局。ここまで我らを導いてくれたのは誰じゃと秀頼。罠かもしれませぬ、お城を出られてはなりませぬと大蔵卿局。その噂の真偽すぐに確かめよと秀頼。

忠朝隊を打ち破り、家康の本陣に向かった勝永隊。その手前に布陣していた信吉の陣。我らで食い止めようと信政。ここで戦えば必ず源次郎様の隊も加勢に現れると茂誠。無理押しはならぬと信吉。一人駆け出す信政。

信吉隊を撃破した勝永隊。続いて小笠原、榊原、諏訪、酒井を突き崩した勝永隊。

茶臼山。これより我らも打って出ますと幸村。秀頼公は何をしておられるのかと治長。大助に、城に戻って秀頼公にご出馬を促せと命ずる幸村。父の側に居たいと大助。この戦は、秀頼公の出馬があるか否かが勝敗の分かれ目だと幸村。父と戦いたいと大助。そなたは若輩の上、足に傷を負っている、側に居られては足手まといなのだと幸村。

大助の顔を両手で包み、頼んだぞと幸村。

私が寝返るという噂が流れている様です、疑いを晴らすにはこれしかないと幸村。

大坂城。秀頼の御前。徳川の間者と会っているところを見てしまい、それで口封じに真田に刺されたと与左衛門。

戦場を行く幸村の軍勢。

討ち死に36、手負いの者数知れずという損害を出した信吉の軍。戦場では一人の勝手な振る舞いで多くの兵を失う事になると茂誠。腹を切れば良いのかと開き直る信政。信政は大御所様を守るために敵勢に向かっていったのですとかばう信吉。

信政の前に現れた幸村の軍勢。一人立ち向かう信政。それにつられて打ちかかる信吉の軍勢。幸村に突きかかった三十郎。軽くあしらい小物に構うなと先を急ぐ幸村。泣き叫ぶ三十郎。

大混乱に陥った徳川勢。本陣めがけて突き進む幸村勢。

一旦軍勢を止め、目指すは家康の首ただ一つと叫び、再び突撃を開始した幸村。

家康本陣。幸村が迫っている事を知り、大混乱に陥った家康たち。

家康の旗本衆と戦い、本陣に突入した幸村勢。家康の馬印を倒した作兵衛。それは三方ヶ原の戦い以来の事でした。家康~!と叫ぶ幸村。

野道を転ぶように逃げる家康。

大坂方に圧倒的に有利な戦況。岡山口で秀忠軍に襲いかかった治房隊。

逃げ続けて息も絶え絶えの家康。ついに切腹すると言い出します。それを必死で止め、担ぎ上げて運んでいく旗本たち。

豊臣軍の圧勝寸前の戦況。それを変えてしまった治長の大坂城への帰還。その時、千成瓢箪を持ち帰ってしまったのでした。それを見て、動揺した豊臣方の兵士達。

大坂城に火を放った与左衛門。その煙を見て、戦機と見た家康。

陣を立て直した徳川勢。

幸村勢に襲いかかった直孝隊と高虎隊。風向きが変わったと生気を取り戻した秀忠隊。

苦戦する幸村勢。秀頼公はまだかと叫ぶ幸村。

秀頼の御前。皆秀頼公のご出馬を待っていますと大助。与左衛門は左衛門佐に斬られたと申していると大蔵卿局。あの男こそ徳川家に通じていたと佐助。そこに厨から火の手が上がったという知らせ。

秀頼公の前に帰って来て、今こそご出馬の時と治長。あい判ったと秀頼。そこに、馬印が戻った事で負け戦になったと勘違いした雑兵どもが逃げ出しているとの知らせ。さらに真田勢が退き、毛利勢も苦戦の様子との知らせ。どうやら流れが変わった様ですと治長。

徳川の猛反撃に遭った幸村勢と勝永勢。撤退を余儀なくされた全登勢。

奮戦を続ける真田勢。全身に弾を浴びながら幸村のための道を開く作兵衛。

これより打って出ると秀頼。それを引き留めた淀の方。武士らしく死にたいと言う秀頼に、勝てとは言っていない、生きよと言っていると淀の方。まだ策はある、望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるのですと淀の方。

千姫を連れて大坂城を抜け出すきり。

大阪城内に攻め入ってきた徳川勢。一人立ち向かう内記。そこにやって来た大助。大助を秀頼の側にやる内記。

多勢に無勢で倒され、最後に昌幸の位牌を抱いて事切れた内記。

作兵衛の畑。そこに戻ってきた作兵衛。大勢の敵を倒し、すえ、梅とつぶやき、大の字になって倒れた作兵衛。

秀忠の陣に向かうきりの一行。その彼方に、一騎で駆け抜ける幸村。

一人家康の本陣の前に駆けつけた幸村。本陣の正面に座っている家康。十文字槍を地面に突き立て、馬上筒を乗せて照準を定めた幸村。しかし、弾はわずかに逸れて背後の旗竿をへし折っただけでした。

すぐに馬を進めて二丁目の馬上筒を出して、今度は左手を支えに照準を定める幸村。家康の前に集まる旗本達。手を出すなと叫び、前に進み出る家康。

殺したいなら殺せば良い、しかし、わしを殺したところで何も変わらん、徳川の世は既に盤石、豊臣の天下には戻らない、戦で雌雄を決する世は終わった、お主のような戦でしか己の生きた証しを示せぬ様な手合いは、生きていくところはどこにもないと家康。

その様な事は百も承知、されど私はお前を討ち果たさねばならぬのだ、わが父のため、わが友のため、先に死んでいった愛する者のためにと幸村。

幸村が弾を込め直した時銃声が響き渡ります。しかし、それは駆けつけた秀忠軍から撃たれたものでした。馬上筒を取り落とした幸村。襲いかかる秀忠軍。佐助の力を借りて奮戦する幸村。

その様子を見ている正宗、景勝、兼続。見事な戦いぶりだと正宗。武士とはあの様に生きたいものだと景勝。

高台寺。且元に茶を点てている寧。大坂城が燃えたと聞き、全ては夢の又また夢と寧。

とある神社。疲労困憊している幸村と佐助。そこに現れた徳川勢。殊勝に頭を下げ、油断をさせたところを刺し殺した幸村と佐助。

ここまでの様だなと刀を佐助に渡し、脇差しを抜く幸村。

長い間良く仕えてくれた、幾つになったと幸村。五十五ですと佐助。疲れたろうと幸村。全身が痛うございますと佐助。だろうなと幸村。かつて梅がくれた六文銭を握りしめる幸村。

大坂城。とある櫓の中に潜んでいる秀頼、淀の方、大蔵卿局、治長、大助たち。燃えさかる天守。

家康の本陣。無事に届けられた千姫。淀の方の下に戻るきり。

戦場を駆けている勝永。

落ち着きを取り戻した信吉の陣。

梅を送り出す春。

十蔵と幸せそうに暮らす末。

全てを思い浮かべて微笑む幸村。

玉縄。領民に慕われている様子の正信。そこに届いた大坂からの知らせ。信之に気を使い、一人で聞く正信。その時鳴った信之の持つ六文銭。

七年後、松代藩十万石の主となった信之。


真田丸もとうとう最終回を迎えました。最後は大坂夏の陣の後半、豊臣家の滅亡までが描かれました。とは言っても、秀頼が死ぬところまでは描かれなかったですけどね。

夏の陣の経過は大まかにはドラマに描かれたとおりです。勝永の活躍により崩れに崩された徳川軍の間隙を縫って真田軍が突撃し、家康の旗印を倒したばかりか、家康を二度(ドラマでは一度でしたが)に渡って切腹を覚悟させたのでした。

寡勢の大坂方が勝利目前にまで迫ったというのも事実で、それが逆転したのが馬印と共に大野治長が城に戻った事、城に火が放たれた事に起因するというのもドラマに描かれたとおりです。また、幸村は兄と叔父が徳川方に居たために常に嫌疑を掛けられており、それを晴らすために大助を秀頼の側に派遣したというのもドラマにあったとおりです。

違うのは幸村が活躍しすぎている事で、一人で家康と対峙したという史実はありません。無論、馬上筒も創作で、真田隊が本陣を突き崩したのは確かですが、幸村自身がどのように活躍したかまでは伝わっていません。

ドラマとしては、まさか最後になって真田十勇士を出してくるとは思わなかったな。それにしては活躍の場がなく寂しかったです。佐助は最後まで活躍してましたけどね。

描かれなかった豊臣家の最後は、みじめなものでした。最後の頼みの綱とした千姫の願いも叶わず、秀頼たちが隠れた土蔵に向かって鉄砲が撃ち込まれ、全ての望みが消えたと悟った秀頼たちは自害して果てたのでした。この時、大助もまた秀頼に殉じて果てたとされ、その最期は見事なものだったと伝えられます。

幸村の最後については、ドラマの様に自害したのではなく、安居天神の近くで西尾仁左衛門に討ち取られたと言われます。この時、徒歩だっとも、馬に乗っていたとも言われ、馬は戦利品して持ち去られたとも言われます。

幸村の武勇はこの合戦の当時から鳴り渡っており、彼の首から髪の毛を抜いていく者が後を絶たなかったと言われます。

彼を日本一の兵と称えたのは島津家で、薩摩旧記録雑記後編という資料に記されています。また、細川家記には、さなた、後藤又兵衛、手柄古今無之次第候とあり、さらに言緒卿記には天王寺にて度々さサナタ武ヘンと記されています。いずれも当時に記されたもので、幸村の活躍が如何に目を惹くものであったかが判るというものですね。

ただ、勝永の活躍が無ければ豊臣方の苦戦は免れなかったところで、幸村も活躍出来たかどうかは判らず、彼はもっと評価されてもしかるべきかとは思います。

戦後の処理については、かなり厳しいものがあった様です。例えば、作兵衛については、彼の家族は全員が処刑されています。これは作兵衛が信之の家臣であったにも関わらず、幸村に加勢したという事があったせいではないかと言われます。おそらくは同じ運命を辿った元家臣たちは大勢居た事でしょう。

その一方で生き延びた者も少なからず居て、伊達家には梅の他にも御田、おかね、大八など幸村の子息が引き取られています。

ドラマで印象的だったのは、望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるという台詞ですね。これはかつてとりが言っていた言葉で、長い伏線がここで回収されたのでした。残念ながら現実とはならなかったけれど、矢尽き刀折れた姿の幸村は、まさにこの言葉どおりに生きたと言えるのでしょうか。

さて、一年間の長きに渡っておつきあい下さりありがとうございました。長文にも関わらず大勢の人に読んで頂き、感謝していますの一言です。今はだ、長い物語の終わりの余韻に浸っていたいですね。そしてまた、こんなに面白いドラマを書いて下さった三谷幸喜氏に感謝の意を捧げたいと思います。

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2016.12.11

真田丸 第49回「前夜」

江戸、真田屋敷。大坂に行き、源次郎を説き伏せてくると言う信之。徳川方に知られぬよう、生きて帰れと稲。

兵糧を用意する松。

お守りとして六文銭を持たせるこう。

江戸城。千の無事を願う江。

大坂城。京に出て伏見城を押さえる、そして瀬田に出て徳川勢を迎え撃つと持論を展開する幸村。秀頼公はどうされるのですと大蔵卿局。伏見城で指揮を執って貰うと幸村。ありえぬと大蔵卿局。全軍の士気が高まるなら伏見まで行っても構わぬと秀頼。総大将はみだりに動かぬものと大蔵卿局。

お局様はどうせよと仰せかと治長。敵を迎え撃つのは大坂城と大蔵卿局。要害が出来上がっていればあり得た話、今は愚策と幸村。それを何とか勝ちに持っていくのがそなたの勤めと大蔵卿局。無言になる幸村。

そろそろ俺たちの策を聞いて欲しいと又兵衛。敵は大軍ゆえ、広い南側から攻めて来る、そこで天王寺に進出し、辺り一帯を固めて敵を迎え撃つと勝永。秀頼公はと大蔵卿局。城で高見の見物と勝永。素晴らしいと大蔵卿局。

南は良いとして、敵が東から来たらどうすると盛親。平野川の堤をあちこちで切っておこう、そうすればあたり一面沼地となり、敵は近づく事は出来ないと幸村。うなずく秀頼。

全ては豊臣家の御為と大蔵卿局。存じておりますと幸村。茶々様と秀頼公をお守りするのが私の役目、言葉がきついのは性分ですと大蔵卿局。つまり、我らは同じ方を向いていると幸村。ただし、浪人は大っ嫌いじゃと大蔵卿局。

京、二条城。各地から三十万の軍勢が集まっていると正純。落とせるか正信と家康。居眠りしている正信。全軍が集まればすぐにも総攻めをと正純。そうあせるな、まずは城を出てl浪人を追放すれば兵を引くと文を送れと家康。無駄です、秀頼が居る限り浪人は増え続ける、秀頼を亡き者にせぬ限りこの戦は終わらない、豊臣の血はこの戦で断ち切る、父上は甘すぎると秀忠。恐ろしい男に育ったと家康。

大坂城。大和郡山に移れ、ただし浪人は連れて行くなという家康からの文を受け取った秀頼。如何なされますと幸村。徳川とはこれにて手切れと文を破る秀頼。御意のままにと幸村。

豊臣の家も、天下一と謳われた大坂城も、これで終わりだなと家康。

真田の陣。信吉、信政に会っている信之。源次郎と話がしたい、合う手立ては無いかと信之。実は信伊様が、もう一度幸村に会うためにこちらに向かっていると茂誠。

4月29日、樫井。浅野勢と衝突した大野治房勢。一発の銃弾に倒れた団衛門。

大阪城内に運ばれた団衛門の遺体。そこにやってきて、いずれ皆もこの男の横に並ぶ事になるのですかと淀の方。いい加減にして下さいと連れ去るきり。

家康の本軍は、大和路を通って河内に出る、まず道明寺で食い止めると幸村。俺が行こうと又兵衛。又兵衛を助けてやってほしいと全登に頼む幸村。後詰めとして私と毛利と幸村。出来るだけゆっくり来てくれ、それまでに片付けておくと又兵衛。長宗我部殿には、八尾、若江を抑え、秀忠の軍を食い止めてくれと幸村。木村殿はそれを支える、おのおの、ぬかりなくと幸村。

5月1日、平野へ兵を進めた又兵衛と全登。

二条城。又兵衛が道明寺に入った事を知り、その裏をかく事にした家康。大和路を任された伊達勢。又兵衛が気になると正信。如何いたすと家康。調略と正信。

又兵衛の陣。徳川の使者に会っている又兵衛。播磨35万石という条件を示す僧。ふざけるなと笑い飛ばした又兵衛。

それで良い、又兵衛が徳川の使者に会い、調略に乗ったという噂を流せと正信。その噂をかき消すために焦って戦をする、そうなれば勝てるはずもない、又兵衛の命運は既に尽きたと正信。

徳川義直の陣。身柄を拘束されている信伊と信之。そこに現れた長泰。信之を見て慌てて逃げる長泰。それを追う信之。仕方が無かったんだ、あの兵糧は全部取り上げられたと言って逃げた長泰。

信伊を問い質した義直の家臣。彼は室賀久太夫と名乗ります。真田信伊と名乗のり、立ち去ろうとする信伊。待たれよと引き留める久太夫。我が父は真田安房守の罠に嵌まりと言いかける久太夫を、黙れ小童と一喝する信之。

大坂城近くのとある場所。信伊と信之に対面した幸村。大御所様はどうしてもお前が欲しい様だと信伊。ありがた迷惑と幸村。前とは事情が違う、かような城でどうすれば勝てる、信濃一国ではどうかと仰せだと信伊。気前の良い事でと幸村。兄上が終生望んでいた信濃の国主になれるのだぞと信伊。黙って首を振る幸村。

源次郎は死ぬつもり、しかも大御所様を道連れにと信之。買いかぶりです、いくら何でもそれはと幸村。徳川に刃向かいたくば刃向かえば良い、ひれ伏したくなくばひれ伏すな、しかし、死んではならぬと信之。捕まれと申されますかと幸村。そうだ、今度も必ずお前を助けてみせると信之。そしてまた14年と幸村。

決してお前を死なせはせん、犬伏での誓いを果たすつもりでいる、それを言いに来たと信之。では、いま、ここで酒をと幸村。帰ると信之。兄上と酒を酌み交わしとうございますと幸村。これは今生の別れではないと信之。生きたい様に生きれば良いと信伊。

家康の陣。景勝と酒を酌み交わす家康。今の自分があるのは太閤殿下のおかげ、しかし、わしは豊臣を滅ぼす、秀頼があそこに居ては徳川の為にならない、そのための戦と思ってくれと家康。何故、私にお話にると景勝。お主には判って欲しかったのだと家康。心の内に、やましさがあるからでは、この戦に大義が無い事が気になるからではと景勝。この話は止めようと家康。

先の戦で、真田源次郎の姿を見ましたと景勝。あの男は、私がそうありたいと思っていた人生を生きていると景勝。親子二代で楯突きおってと家康。

5月5日。二手に分かれて河内平野を目指す徳川勢。

又兵衛の陣。今夜の内に道明寺まで出ようと思っていると又兵衛。気を悪くしないで聞いて貰いたいと幸村。寝返る訳もなかろうと又兵衛。本気にしている奴もいると勝永。誰だと又兵衛。大蔵卿の婆あとかと勝永。言いたい奴には言わせとけ、播磨35万石だとさと又兵衛。実は私も信濃40万石で誘われたと幸村。なんで俺には声が掛からないんだと勝永。

一つだけ頼みがある、悪い噂を立てられたからと言って捨て鉢にはならない事、手柄を立てようと焦らない事と幸村。うなずく又兵衛。何で俺には声がかからないと勝永。

兜に香を焚きしめて、又兵衛にあいさつに来た重成。

道明寺に向けて進軍する伊達勢3万5千の軍勢、八尾、若江方面に向けて進軍する13万の本軍。

道明寺、又兵衛の陣。幸村の後詰めを待たずに敵陣へと突っ込む又兵衛。しかし、伊達勢の猛反撃に遭い、討ち死にした又兵衛。

又兵衛討ち死にの報に呆然とする秀頼。

幸村の陣。先走った又兵衛をののしる勝永。大和路の軍勢はと問う幸村。伊達正宗と全登。

正宗の陣。このまま進め、この先には真田が居る、決して侮るなと命ずる正宗。

重成の陣。敵が本軍と知り、目論見が外れた、ここは引き上げようと盛親。ここを通してしまっては道明寺の後藤勢が逃げ場を失うと重成。

果敢に攻め込んだ重成。しかし、多勢に無勢で討ち取られてしまった重成。

もはや勝ち目は無いと、部下達に解散を命ずる盛親。

幸村の陣。我らの策が敵に筒抜けの様だと幸村。有楽斎の他に間者がと勝永。我らの話し合いを常に聞いていた男だと幸村。

厨。徳川の使者と会っている与佐衛門。それを見た与八。与八を刺し殺した与佐衛門。

伊達勢と激戦を繰り広げる真田勢。手傷を負った大助。

城へ引き上げる途中、正宗を見据え、これで仕舞いか、徳川には真の兵は一人もおらんのかと叫ぶ幸村。色めき立つ部下を抑え、矢玉が尽きたと後を追わなかった正宗。悠々と引き上げる幸村。

大坂城。負傷兵で溢れかえる城内。倒れていた九兵衛。

馬上筒を取り出して眺める幸村。佐助を呼ぶ幸村。

春に城を出ろと命ずる幸村。どこに行けと言われるのですかと春。伊達陸奥守の陣だ、あの方ならかならず庇護してくれると幸村。

正宗の陣。正宗に春たちの庇護を頼む佐助。快諾した正宗。

大坂城。大助は城に残る、内記は足手まといだ、作兵衛は春たちを送り届けたら戻ってこい、きりには大事な仕事がある、残ってくれ、これは決して永久の別れではないと幸村。

良く耐えてくれたと幸村。泣いても良いのなら泣きますよと春。私は大谷刑部の娘ですと春。そうであったと幸村。ご武運をと春。

正宗の陣。正宗に拝謁した春たち。身柄を引き受けた正宗。

大坂城。きり相手に、明日家康相手に決戦を挑むことにしたと幸村。いよいよですねときり。おまえはいざとなったら千姫様を連れてここを抜けだし、秀忠の陣へ行けと幸村。大仕事ではないですかときり。だからお前に頼んだと幸村。その後はときり。沼田にでも帰ればよかろうと幸村。ここに戻ってきます、こうなったらお上様とご一緒します、最後までときり。源次郎様の居ない世に居てもつまらないからときり。

きりを強く抱きしめる幸村。遅いときり。すまぬと口づけする幸村。せめて10年前に、あの頃が一番きれいだったんですからときり。


今回は大坂夏の陣の前半が描かれました。概ね史実に沿って描かれていましたが、冒頭の作戦シーンでは、幸村が持論の出戦論を唱え、それを治長と治房が反対し、妥協案として道明寺で迎え撃つ事を又兵衛が提案したという流れだったと言われます。概ねドラマのとおりですが、治長が幸村方に付いている点が違うかな。

徳川方からの最後通告として、大和郡山に移れば兵を引くという提案があったのは事実です。しかし、大坂方の中の反対派の抵抗に遭い、この提案は拒否されました。これに対して徳川方はさらに譲歩し、従来の豊臣家臣は残し、新規に召し抱えた浪人達を追放すれば良いとしたのですが、秀頼はこれまで奉公してくれた者を切る事は出来ないとして、ついに手切れを通告したのでした。

夏の陣で緒戦なったのが樫井の戦いであった事はドラマにあったとおりです。この戦いで、団衛門が戦死した事もドラマで描かれたとおりですが、一発の銃弾で倒れたのではなく、先陣争いをして味方の連携を崩してしまい、乱戦の中で討ち取られたと言われます。この方がドラマで描かれて来た団衛門らしいという気がするのですけどね。

道明寺の戦いについては、新説が採られた様です。従来の説だと、当日は深い霧に覆われており、又兵衛は先行して道明寺に入ったのですが、後詰めとして追う幸村が道を見失い、戦いには間に合わなかったと言われてきました。しかし、最近の研究では幸村の行軍が霧に遮られたという事実はなく、ドラマにあった様に又兵衛、幸村と別々に布陣しており、又兵衛が苦戦に陥った時に救援に向かおうとしたのですが、間に合わなかったという事ではないかと考えられています。

幸村が伊達勢を押し返したのは有名な史実で、激突は三度に及び、道明寺まで押し返したと言われます。この時、大坂城に引き上げる幸村が、関東勢百万と候え、男はひとりもなく候と叫んだと言われ、ドラマでは少し意訳されていましたね。また、正宗が追撃を迫る徳川勢に対し、玉薬が尽きたと言って軍勢を止めたのも史実どおりです。

幸村が娘の梅を伊達正宗の陣に託したのも史実とされます。ただし、春の方は一子を伴って紀州に逃れ、浅野勢に囚われたと言われます。ただ、その後処刑されたとは伝わっていないので、恐らくはどこかで生き続けたのでしょうね。

きりについては、ドラマのナレーションにあったとおりで、梅を産んだのは彼女だとも言われます。ドラマの最初の頃に4人の妻を娶ると言っていたのに何時になるのかと思っていましたが、最後になってやっと実現しました。何とも長い伏線でしたね。

伏線と言えば室賀久太夫の登場にも驚きました。なぜ徳川義直の陣が出てくるのかと思っていたのですが、久太夫を出すためだったのですね。そして、前半で話題になった黙れ小童の台詞を、言われていた信之に言わせるためでした。シリアスな展開の中にこういう遊び心が垣間見えるのが三谷脚本の楽しいところです。なお、久太夫は実在の人物で、義直に仕えています。

次回はいよいよ最終回、幸村の突撃がどう描かれるか楽しみに待ちたいと思います。

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2016.12.04

真田丸 第48回「引鉄」

夜陰に乗じて徳川本陣を襲った又兵衛たち。

大坂城。あれで良かったのかと又兵衛。十分だと幸村。

家康は昨夜の夜討ちでさぞ慌てた事でしょう、明日の夜きっと京に戻るはず、その道中を狙うと幸村。良き案だと有楽斎。

有楽斎から刺客が来る事を知らされ、予定を早めた家康。

家康は、裏をかいて今日中に発つ。その裏をかくと幸村。必ず仕留めて見せますと佐助。

きりに、もし無事に帰ってきたら夫婦になって欲しいと頼む佐助。ごめんなさいときり。

秀忠にすぐに江戸に帰れと家康。すぐにも総攻めをと秀忠。我らが去れば浪人どもも居なくなる、そこを攻めるのだと家康。

戦は終わった、浪人達には一日も早く出て行ってもらいますと大蔵卿局。浪人が戦の火だねになりかねない事は判っているのかと有楽斎。承知の上と幸村。浪人達はできうる限り家臣にしてやりたいと秀頼。

密書を書き、部屋の外の者に手渡した有楽斎。しかし、それは幸村でした。

徳川に通じている事は判っていたと幸村。わしなりに豊臣家の事を考えての事だと有楽斎。刀を抜いた幸村。命乞いなどせぬと有楽斎。いますぐに出て行かれよ、そして戻ってくるなと幸村。

家康の宿所。家康を倒しに現れた佐助。格闘の末家康を刺し殺した佐助。

大坂城。家康は二条城に入ったという知らせを持ってきた内記。佐助が倒したのは影武者でした。次は逃すなと幸村。

慶長20年。陣を払い始めた大名達。たむろし続けている浪人達。むしろ、豊臣方が勝った事で、その数は増えていました。

勝算はあるのかと治長。茶臼山と岡山の間に空堀を掘り、この一帯を巨大な要害とする、ここで敵を迎え撃つと幸村。お主の不屈の精神には感服すると治長。私は勝つためにここに来たのですと幸村。

秀頼の御前。浪人達はそのままというのかと大蔵卿局。ここは左衛門佐に従いたいと治長。左衛門佐と耳障りだと大蔵卿局。これより母上は口を挟まないで頂きたい、後は秀頼公と私で事を決めていきますと治長。修理、頼みましたよと淀の方。

この要害で敵を打ち払って見せますと幸村。見事だと秀頼。これだけの堀を築くのには時が掛かる、それを稼ぐために浪人衆を解き放つのに手間が掛かっている事にしますと幸村。家康を騙すのだな、面白いと秀頼。

殿様にお願いしたい事が、浪人達は手柄を立てたいと逸っている、そこで身内を城内に入れる事を許して欲しい、そうすれば彼らの気持ちも少しは収まるはすばと幸村。容易いことと秀頼。

身内と出会い喜ぶ浪人衆。

秀頼の御前。これより甥達に会ってきますと幸村。そのまま向こうに付いてはなりませんよと淀の方。私は終生豊臣の家臣ですと幸村。肉親が敵味方に別れて戦うというのは辛いものだなと秀頼。それを申せば、姫様の方がもっと辛い目にと幸村。さぞ苦しかっただろうと秀頼。首を振る千姫。

わしはいずれ大坂を離れようと思っていると秀頼。城を出るのですかと淀の方。殿様がここに居られるかぎり、必ず争いの火種となりますと幸村。源次郎が居れば心配ないと淀の方。何時までも私が居るとは限りませんと幸村。

浪人達を連れてやはり四国に移ろうと思いますと秀頼。京、大坂にも近いと幸村。無論、源次郎も来てくれるのであろうなと淀の方。無言の幸村。讃岐と阿波の二カ国では如何でしょうと秀頼。せっかくだから、伊予と土佐も頂きましょう、だったら私も四国に参りますと淀の方。母上に判って貰えて何よりだ、千も良いなと秀頼。早速、家康に伝えましょうと淀の方。未だ早い、国替えの事を持ち出すのは次の戦に勝った後と幸村。

幸村の部屋。長宗我部殿の悲願は、土佐の国主となる事でしたねと幸村。欲を言えば四国全土を治めたいと盛親。甲斐や信濃では駄目ですかと幸村。四国を欲しがっている者が居るのだなと盛親。案ずるな、今度徳川が攻め込んできたら終わりだという事くらい判っていると盛親。私はまだ諦めてはいない、確かなところを聞きたいと幸村。四国を欲しいのは誰だと盛親。秀頼公と幸村。ならば淡路島と盛親。

廊下で千姫に呼び止められた幸村。江戸に帰りたいと訴える千姫に、聞かなかった事にしますと幸村。

信吉の陣。訪れた幸村を出迎えた三十郎と茂誠。初めて出会った信吉と信政、それに大助。

大坂城。畑を耕す作兵衛。腰を痛めている内記。作兵衛を手伝う春。

茂誠と三十郎と談笑する幸村。戦が終わった後は、上田に戻りたいものだと幸村。

大助と談笑する信吉。それを咎める信政。大助も幸村も徳川に逆らった大罪人と信政。むっとして、信政に向かっていく大助。大助を投げ飛ばす信政。何事かと駆けつけた三十郎。相撲を取っていましたと信吉。では私が相手だと信政を投げ飛ばす三十郎。

茂誠に、野戦のこつを聞く幸村。敵陣に馬で突き入るには槍が一番でしょうかと幸村。一度敵に囲まれたらお終いだと茂誠。狙うのが大将の首なら、鉄砲が一番と茂誠。しかし、火縄の扱いに手間取って狙い撃ちにされる事もあると、幸村を見る茂誠。誤魔化すように、江戸の兄上と姉上に文を書きましょうと幸村。

大坂城。畑仕事を続けていた作兵衛たち。手伝うかと幸村。

ここは昔、茶室が建っていたところなんだってときり。利休様がと幸村。

土を耕す作兵衛。その時、利休の刻印が入った木箱を掘り当てます。中から出てきたのは短い二丁の鉄砲でした。

これはイスパニア人から聞いた馬上筒というものだと勝永。火打ち石によって火縄を使わずに撃つことが出来る、いちいち火縄に火を付ける必要が無いので馬の上からでも撃つ事が出来ると勝永。それで馬上筒と幸村。新しい武器ゆえ、利休は商いの目処が付くまで隠しておいたのだろうと勝永。

秀頼の御前。徳川からいますぐ浪人達を解き放てと言って来た、これ以上長引くと徳川に刃向かうと見なすと言ってきたと秀頼。取り合ってはなりませぬと幸村。一日も早く浪人達を追い出すべきですと大蔵卿局。その話はもう決着が付いていると治長。

浪人達に渡した支度金がそろそろ尽き始めていると重成。修理、城には如何ほどの蓄えがあると秀頼。浪人達を暫くは養えるほどはありますがと治長。渡したところでその場しのぎ、今少し待ちましょう、次の戦に勝てば、徳川から御領地を奪い返す事も出来ますと幸村。空堀の作業を急がせよと治長。

蔵を開けよと迫る治房。その様な訳にはいきませぬと重成。

又兵衛と勝永に、浪人達を抑える様に頼む幸村。俺たちにしても、養って行かなければならない身内や家臣が居ると勝永。いずれ必ず豊臣の家臣として扶持が頂けるのであろうなと盛親。約束しようと治長。戦はあくまで要害が出来てから、それまで辛抱してもらうと幸村。

蔵を開け、金銀、米を持ち出した治房。

治房を叱りつける治長。気掛かりなのは浪人達、かくなる上は全ての浪人たちに褒美をやるしかないと幸村。

堀を掘り返したいと治房。なりませぬと幸村。堀が無ければ勝てないと治房。勝てますと幸村。

金を配った秀頼。その金で武器を買い求めた浪人達。

あり得ぬとあせる幸村。

駿府城。大坂の様子を聞く家康。

大坂城。闇討ちされた治長。

治長を見舞う幸村。弟だ、母も絡んでいるはず、ただの身内の喧嘩だと治長。

堀を掘り返そうとする治房。止める又兵衛と勝永。本気で止めない又兵衛を押しのけて行ってしまう治房。

堀の掘り返しが始まってしまったと勝永。みんな戦がしたい、そろそろ腹を括る時かもしれないと又兵衛。戦が起きる時は、誰も止める事は出来ないと幸村。

駿府城。大坂城の二の丸の堀が掘り返されていると聞き、ここまでだと諸大名に戦支度を命じ、自らも出陣する家康。

信之に無沙汰の文を書き、その中で末の行く末を託した幸村。

弟は死ぬ気だ、わしには判ると信之。おそらくは家康と刺し違えるつもり、止められるのは自分しか居ない、大坂に行くと信之。

馬上筒の試し撃ちをする幸村。


今回は大坂夏の陣の前夜が描かれました。創作色の強い回ではありましたが、緊迫感は伝わってきたと思います。

まずは、幸村が構想したとされる要害についてですが、手持ちの資料には無く、たぶん創作ですね。大体、堀の掘り返しだけで謀意ありと取られたのなら、大規模な空堀の設置などもっと悪意に取られたんじゃないかしらん。

その堀の掘り返しですが、実際に行われており、場所によっては人の肩を超すところまで掘り返されました。それでも、籠城に十分な堀にまでは回復しなかった様ですけどね。

話が戻りますが、佐助による家康暗殺は創作です。そもそも佐助そのものが真田十勇士の一人で、創作上の人物ですから当然か。

幸村がつかの間の休戦の間に真田家の陣地を訪れたのは史実にあるとおりで、信吉などと旧交を温めた様です。また、故郷の人たちに向けて文も送っていますが、末の事を頼んだのは信之ではなく石合十蔵です。

以下、順不同になりますが、浪人達が冬の陣より増えたのは史実にあるとおりで、ドラマでも言っていましたが、徳川に勝ったという評判が全国の浪人達に行き渡った結果の様です。

豊臣家では、この対策に苦慮しており、浪人達を解き放つと共に、新規の抱え込みはしないという立て札を立てたりしましたが効果はなく、浪人が減ることは無かった様です。

その一方で浪人に支度金を出した事も事実で、このあたりの矛盾した行為は豊臣家の内部で分裂が生じていた事を示しています。またドラマにあった様にその金で浪人達が武具を買い、それを禁止する命令を出したと言いますから、混乱の極にあった事が窺えますね。そして、その事が徳川家に疑惑を抱かれるきっかけになった事も史実どおりです。

秀頼が四国に移るという話は、冬の陣の和議交渉の時に出てきた話で、夏の陣の時には大和郡山に移るようにという条件が示され、秀頼はこれを拒否しています。

ドラマでは治長は主戦派となっていましたが、実際には和平派で、浪人を解き放ち、徳川家との約定を守ろうと考えていた様です。対する治房は主戦派で、兄弟で対立していた様ですね。その治長が襲われたのは史実にあるとおりで、その犯人として治房が疑われていました。

作兵衛が馬上筒を掘り当てたというのは無論創作ですが、ここで利休の刻印を持ってくるとは思わなかったですね。でも、これで、幸村が馬上筒を手に入れた経緯が自然に説明された事になり、このドラマの伏線の巧みさには舌を巻く思いです。

最後に信之が大坂に行くと言っていましたが、これも創作ですね。信之は大坂の陣には参加しておらず、冬、夏共に二人の息子に託しています。

次回は夏の陣が始まります。いよいよクライマックスが近づいていますが、その前に幸村の名台詞も聞かれる様ですね。また、きりとの関係にも進展がある様で、どう描かれるのか楽しみに待ちたいと思います。

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2016.11.27

真田丸 第47回「反撃」

天守に打ち込まれた砲弾。倒された侍女達。

1日で終わった砲撃。

話が違うと家康に抗議する且元。無視する家康。豊臣家を裏切った事を悔やみ続け、急死した且元。

淀の方が和睦に傾いたと治長。今は和睦の時では無い、大砲は弾が尽きた、撃ってこないのが何よりの証拠と幸村。

淀の方の居室。呆然としている淀の方。

今は誰にも会いたくないとの事ときり。怪我はされていないのかと幸村。私が全力で助けましたときり。礼を言う幸村。

秀頼の御前。これから和睦の案を出し合う、そして落としどころを見つける事になると治長。

浪人達の溜まり場。不満を鳴らす浪人達。俺に任せておけと又兵衛。

廊下。徳川はどう出るだろだろうかと重成。浪人衆の処分を求めてくるはず、我らを追い出した上で再度攻め込んでくる腹と幸村。和睦はならぬと治房。

秀頼の御前。和睦の前に浪人達の処遇を決めなければならない、それなりの扶持を与え豊臣の家臣とするという許しを得て欲しいと幸村。なりませぬ、召し抱える謂われがどこにあると大蔵卿局。浪人達が居たからこそ戦に勝ち、敵は和睦を言い出したと幸村。勝ったのだからも早や用済みだと大蔵卿局。まあまあと有楽斎。私としてはできる限り報いてやりたいと秀頼。

浪人の処遇を主眼にするからには、徳川の言い分も聞かねばならないと治長。おそらくは人質を出せ、淀の方には江戸に下る事になるかとと有楽斎。母上を江戸に向かわせる事は出来ぬと秀頼。殿様が大坂城を出て西国の一国をもらい受け、西の要の大名となられるのですと有楽斎。ありえませぬと大蔵卿局。それはどうか、この城を徳川に明け渡すという事と幸村。私はこの城にこだわっているのではない、それで泰平の世が訪れるのであれば喜んでこの城を出ようと秀頼。感服つかまりましたと有楽斎。

淀の方に呼ばれた幸村。大勢の侍女が死にましたと幸村に抱きつく淀の方。心配は要らない、敵の弾は尽きましたと幸村。私を叱って下さい、あれほど和睦はしないと言っておきながらと淀の方。何とか良い形で和睦に持ち込もうと皆で思案しているところと幸村。もうこの様な事は沢山だと淀の方。

廊下。淀の方がこの城を離れるのは良いかも知れないと幸村。何年ここにおられるとお思いですかときり。つまり、あの方はずっと辛い思いをしてきたという事だと幸村。

幸村の部屋。土佐一国の約束はどうなるのだと盛親。キリシタンの自由はどうなるのだと全登。言いたいことは判る、今掛けあっているところだと幸村。俺たちは使い捨てかと又兵衛。その様な事は断じてないと幸村。淀の方のところに盛んに出入りしているらしいが、二人の中を疑う者も居ると勝永。勝手に言わせておけと幸村。俺たちを使って一人だけ良い思いをする気ではないだろうな、だとしたら俺はお前を斬ると勝永。これ以上話すことは無いと幸村。

江戸。お通の屋敷。お通の膝枕で愚痴をこぼす信之。そこに現れた稲とこう。驚く信之。後を付けさせたと稲。お通には話を聞いて貰っていただけ、不思議に心が安まるのだと信之。悔しい、それは私の役目だと思っていたのにとこう。お帰り下さいませ、次のお客様がお待ちですとお通。客という事は銭を受け取っていたのですかと稲。これが生業ですからとお通。襖を開け、次の客にもう少しお待ちをとお通。誰だと信之。今月のお代はまだ貰っていないと勘定書を手渡すお通。これよりは夫の心を癒やすのはこうがするので、あなたはもう結構と稲。膝枕で200文というのは高くは無いかと信之。私を誰と思うておられますかとお通。

大坂城。作兵衛を呼び出した又兵衛たち。

浪人衆に囲まれた作兵衛。幸村というのはどんな奴だ、俺たちが命を預けるに足る男かと又兵衛たち。知らぬと作兵衛。お前、家来だろうと又兵衛。お側に居たのはわずかの間だけと作兵衛。こいつじゃ駄目だと又兵衛。しかし、昌幸の事ならよく知っている、あの人ほど義に厚い人は居なかったと作兵衛。すぐに裏切る事で有名だったではないかと勝永。とんでもない誤解だ、昌幸は生涯を賭けて信玄公への忠義を貫いた、源次郎様はその血を受け継いでおられる、あの方は太閤殿下のご恩に報いる為には何でもすると作兵衛。

茶臼山。豊臣方の和睦案を受け取った家康。何と行って来ましたと正信。浪人達を養う為に領地を呉れとの事だと家康。その代わりにと正信。秀頼が大坂城を出る、四国二カ国を呉れと行って来たと家康。和睦する事などない、今すぐ総攻めを仕掛けるべきだと秀忠。大御所様は戦を止めるとは言っていない、和睦と見せかけて敵を丸裸にする、それから総攻めをと正信。まずは如何なされますかと忠純。四国はやらん、国替えをと言うのなら江戸の近く、安房と上総の二国だと家康。

秀頼の御前。関東に下向など断じてなりませぬと大蔵卿局。家康はあえて出来ぬ相談を持ちかけて、こちらの出方を窺っているのでしょうと幸村。この先は使者を立て、直に話し合うのが良いかと、それがしが徳川の陣に行きましょうと有楽斎。敵には本多佐渡という古狐が居る、あの仁が出てきては有楽斎殿でも手こずられましょうと幸村。

ここは女の使者を出しましょう、そうすれば向こうも女を出すしかありませんと幸村。参りましょうと大蔵卿局。常高院様がよろしいかとと幸村。

家康の陣。向こうは淀の方の妹を立ててきたと家康。その手で来ましたかと正信。我らは誰を立てるのですかと秀忠。その場の雰囲気に周りを見渡す阿茶局。

淀の方の部屋。私に勤まるか不安ですと初。これ以上の方は居られませんと幸村。私も参りますので、心配は要りませんと大蔵卿局。阿茶局とはどの様な人ですがと初。きりが良く知っていると淀の方。なかなかの食わせ者、本多様が古狐なら女狸だときり。きりを談判の場に行かせてはと幸村。面白いと淀の方。勘弁して下さいときり。風向きが悪かったら、その場をかき回して流れを変えるのだと幸村。おまかせあれと、開き直ったきり。

12月18日、京極忠高の陣。戦というものは男の手で勝手に始められるもの、それを女の手で終わらせるというのも愉快なものだと阿茶局。左様でございますねと大蔵卿局。始めましょうかと阿茶局。

大坂城。そなたはしぶといと秀頼。望みを捨てぬ者だけに道は開けると幸村。

まずお上様についてと初。人質にはしないと阿茶局。ありがとうこざいますと大蔵卿局。秀頼公におかれては領地はこれまでと同じ、危害が及ぶことも無い、大坂の城を明け渡せとも言わないと阿茶局。まことでございますかと大蔵卿局。今後、大坂を離れる事があれば、お好きな国を望まれませと阿茶局。まあ、と大蔵卿局。徳川に楯突いた浪人達は一切処罰はしないと阿茶局。良い事ずくめですねと大蔵卿局。当たり前です、そちらが戦にお勝ちになったのだからと阿茶局。あとはおいおいと阿茶局。

何か言いかけて言い出せない初。それを見て、足がつったと転がり出したきり。それをきっかけに、浪人達の手当のために御領地を増やして頂けるという話はと切り出す初。浪人達は今後どうされるのですかと阿茶局。それについては頭を痛めて居るのですと大蔵卿局。このまま仕官するつもりの者も居ます、領地を増やして貰わないとと初。あの出城何と言いましたか、真田丸、あれを壊してしまってはどうですか、あんなものがあるから浪人達は何時までも居座るのですと阿茶局。それは良い考えですと大蔵卿局。真田丸は取り壊し、ついでに堀も埋めてしまいましょうと阿茶局。堀もと大蔵卿局。堀までなくなれば、いくら面の皮の厚い浪人達でも出て行かざるを得なくなると阿茶局。さすがは阿茶様、そういたしましょうと大蔵卿局。

再び足がつったと転がるきり。その件については一旦持ち帰り、右大臣様と相談した上で決めたいと初。男達に返せばまた血が流れる、せっかくこうして女だけで集まっているのです、私たちだけで決めてしまいましょうと阿茶局。はい、埋めてしまいましょうと大蔵卿局。埋めてしまいましょうと阿茶局。

家康の陣。浪人の罪は問わない、秀頼の領地はこれまでどおり、茶々様は江戸に住まなくても良い、大坂から移るならお望みの国へ、秀頼公の無事を請け合うと条件を読み上げる忠純。でかされたと正信。談判は何事も勢いで押し切るのが一番と家康。いささか疲れましたと阿茶局。阿茶局の肩を揉む家康。

戦闘隊形を解いた徳川軍。

秀頼の御前。秀頼に和睦条件を示す大蔵卿局。浪人達の処遇が曖昧になっていると治長。阿茶局殿もおいおいと申しておられましたと大蔵卿局。確かに、他は我らの望みどおりと有楽斎。殿様のご決断に従いますと幸村。

廊下。何か引っ掛かるかと治長。あまりにも我らに都合が良すぎる、他にも大蔵卿局と阿茶局の間で決めた事があるのではないか、初に確かめて欲しいと幸村。疲れが出て休まれていると治長。

きりに確かめる幸村。堀の話は、それに真田丸も壊すって、聞いてないのですかときり。そこに駆け込んできて、真田丸が壊されていると告げた内記。

真田丸。真田丸を破壊する徳川勢。

秀頼の御前。私が許しましたと大蔵卿局。何故にと幸村。戦も終わり、あの様なものは無用の長物と大蔵卿局。家康の狙いはそこだったのです、なぜお判りにならぬと幸村。浪人達を養うだけの金銀はもうありません、後は出て行ってもらうしかない、堀が無くなればあの者たちも出て行くしかないとあの者たちも思うでしょうと大蔵卿局。なんという愚かなと幸村。何がおろかですと大蔵卿局。出城も堀も無ければもう戦えませぬ、戦いが出来ぬ我らに家康が約定を守るとお思いかと幸村。母上は豊臣をお潰しになられるおつもりかと治長。全ては豊臣の為じゃと大蔵卿局。これで良かったのだと有楽斎。

本丸を残して無力化された大坂城。

まさからここまでやるとはと秀頼。全ては、家康のもくろみ通りと無念さをかみしめる幸村。すまぬと秀頼。

家康の陣。瞬く間に堀が埋められていくと家康。真田丸も見るも無惨な姿にと秀忠。これで裸の城だ、後は向こうが和睦を破るよう仕向けるだけと家康。そこで総攻めを掛けるのですねと秀忠。これぞ城攻めよと家康。

浪人達の溜まり場。又兵衛たちに、総構え、二の丸、三の丸、堀の埋め立てを伝える幸村。あんたの得意な策を聞かせてくれよと勝永。策は無いと幸村。諦めるのですかと重成。もはやこの戦に勝ち目は無いと幸村。建具を蹴飛ばす又兵衛。皆、早々に立ち去るが良い、城を枕に討ち死にしようなどと愚かな事は考えない様にと幸村。

では御免とたち去ろうとする盛親たち。お前ら、行く場所があるのか、無いやつらばかりがここに集まったんじゃないのかと又兵衛。戦うつもりかと勝永。堀も無い城でどうやって戦うと盛親。面白いじゃないかと又兵衛。

家族たちに、上田に行けと告げる幸村。その時現れた又兵衛たち。

早く策を立ててくれ、俺たちはうずうずしているんだと又兵衛。私は何のために九度山に行ったのですと全登。わしらはお主に従うと盛親。どうすれば勝てるか考えろと勝永。あなたは勝つためにここに来られたのではないのですかと重成。うなずく幸村。徳川に一泡吹かせてやりましょうと作兵衛。お願い申すと口々に叫ぶ浪人達。

そこに現れた秀頼。望みを捨てぬ者だけに道は開けるとそなたは言った、私はまだ捨ててはいないと言って、幸村の手を取る秀頼。かしこまりましたと幸村。勝ちどきを上げる又兵衛たち。


今回は和議に至る経過が描かれました。史実との整合性で言えば、和議の交渉は最初は治長と有楽斎が請け負い、埓が開かなかったために初と大蔵卿局、それに阿茶局が交渉役として登場としたという経緯があります。きりがその場に居たというのは、無論創作ですね。

交渉の内容は概ねドラマのとおりで、主な議題は浪人達の処遇についてでした。大阪方は浪人達を扶持するために、戦場として荒れてしまった河内、和泉、摂津などとは別の所領が欲しいと言い、徳川方はこれに難色を示すという経過を辿りました。結果としては、浪人達は全て召し放ちという事になるのですが、これが上手く行かずに豊臣方を苦しめる事になります。

堀の埋め立てについては、外堀だけを埋める約束であったのを、徳川方の謀略により内堀まで埋められたと言われる事が多いのですが、実際には合意事項として約定の中に入っていました。ただ、内堀を埋め立てるのは豊臣方であったはずが、徳川方によって埋め立てられたため、時間稼ぎに失敗したのが事実だった様です。

この堀を埋めるという事に対して大阪方がなぜ合意したかと言えば、最近の説として、ドラマにあった様に浪人を追い出すためという説が浮上しています。それほど浪人対策は豊臣家にとって急務の課題だったという訳ですね。

また、別の説として、冬の陣で実質敗戦を喫した家康の面目を保つ為に、徳川家としてはどうしても譲れない項目だったとも言われます。

大坂方がなぜそんな不利と判る講和条件を受け入れたかと言えば、備蓄していた弾薬が底を突いており、継戦が不可能になっていたという事情がありました。対策として火縄銃もなるべく撃たない様にするなど、これ以上戦いたくても戦えないという状況にあったのですね。

なお、真田丸についでですが、幸村は真田丸が破却される前に全てを解体し、用材を城内に運び入れて敵の鼻を明かしたという話が伝わっています。ドラマでこの説を採るのかなと思っていたのですが、違いましたね。

次回は何と幸村が家康の暗殺を図る様です。きりとの結婚話も描かれる様ですね。創作色が濃い回になりそうですが、楽しみに待ちたいと思います。
 

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2016.11.20

真田丸 第46回「砲弾」

茶臼山、家康本陣。力攻めは止めだと家康。如何なされますと正純。イギリスの大砲は未だかと家康。まだ数日は掛かると正純。兵を三つに分け、代わる代わる鬨の声を上げさせよと家康。

大坂城、秀頼の居室。この勢いに乗って家康の本陣に攻めかかろうと秀頼。戦はただ勝てば良いというものではない、兵を損じない事も大事と幸村。ここは守りに徹する、兵糧は敵が先に尽きる、あせって攻めて来る敵を打ち払う、大坂城はびくともしなかったと天下に知らしめる、そうすれば敵の中に心変わりする者が現れると幸村。

私は父上の城を守り、安寧の世を守り、父を越えたいと秀頼。

殿様にはもっとご自身の言葉の重みを知って欲しい、大坂城の主は殿様と幸村。

その時、沸き上がる鬨の声。何事かと焦る人々。

怖がる侍女達を安心させるきり。

真田丸。虚仮威しと見破った幸村。負け犬の遠吠えと、犬の鳴き真似をしてみせる団衞門。

淀の方の部屋。敵も色々考えるものだと淀の方。これからが正念場と幸村。私は戦にも政にも関心が無い、秀頼が無事であればそれで十分と淀の方。

廊下。幸村と行き会った初。姉は城と共に焼け落ちるのを待っている、どうか姉を救ってやって欲しいと初。

江戸、真田屋敷。七本槍の一人として、せめて自分だけでも秀頼公の役に立ちたいと長泰。荷は船に積んだと綱家。干し飯を持ってきたこう。では参りましょうと信之。

信之の前に立ち塞がった稲。わしの馬鹿を許せと信之。稲に代わって現れた昌相。徳川の目を盗んで大坂城に兵糧を運び入れるのは無理、真田は終わると昌相。父も源次郎も散々無茶をして来た、自分も一度くらいはと信之。そなたの父はどんなに無茶に見えても常に先を見据えていた、真田の家を滅ぼすつもりかと昌相。

先に行っていると長泰。すまぬと昌相を突き放す信之。背後からねばねばした網を投げた昌相。

長泰に、この件には真田家は一切関わりは無いと断る綱家。心得たと長泰。

網に絡め取られた信之。

大坂城。大助の手柄に上機嫌の内記と作兵衛。危ない事をさせてと怒っている春。戦には危険は付きものと幸村。その時、再び上がる鬨の声。部屋の外に出て、庭が変わっている事に気付いた幸村。籠城が長引くならと畑を作ったと作兵衛。

軍議の場。なんで打って出ないと荒れる又兵衛。俺たちも戦いたいんだと勝永。浪人衆も同じ思いと全登。いずれ攻めて来るそれまで待つんだと幸村。

家康の本陣。なぜ総攻めを命じられないと秀忠。将軍様は戦というものが判っておられない様だと家康。戦というものはただ勝てば良いというものではない、如何に兵を損なわずに城を落とすかが肝要と正信。

信伊を呼んだ家康。幸村を調略せよと家康。無理だと断る信伊。寝返れば十万石を与えようと家康。

信吉の陣。これより城に入る、渡りを付けたいと信伊。

暗闇に向かって矢文を放つ三十郎。受け取った佐助。

佐助から文を受け取った幸村。

真田丸。夜陰に紛れて現れた信伊。酒を酌み交わし、久闊を序す二人。家康からの書状を渡し、読まんでいいと早々に帰る信伊。文を破り捨てた幸村。

家康に不首尾だったと報告する信伊。

とある一室。襖越しに会話する正純と有楽斎。大御所様は和睦をお望みだと正純。なかなか難しいと有楽斎。やって頂こうと正純。

秀頼の御前。和睦を持ち出した有楽斎。なりませぬと幸村。和睦いたしましょうと大蔵卿局。今少し様子を見たいと秀頼。

軍議の場。負けてもいないのに和睦など冗談では無いと又兵衛。その理屈が通じる人たちではないと幸村。秀頼公は何とと勝永。まだ考えておられると幸村。

佐助に有楽斎の動きを探れと命じた幸村。

秀頼の部屋。代わる代わる秀頼を責める有楽斎と大蔵卿局。

殿はとうとう押し切られてしまった、左衛門佐なんとかならぬかと治長。

夜、淀の方の居室。何故あの者たちは和睦したがるのかと淀の方。浪人衆が力を付けるのが恐ろしいのだろうと幸村。せっかく豊臣のために力を貸してくれているというのに、おかしな話だと淀の方。秀頼公を説き伏せて欲しいと幸村。

まことの事を言います、私は秀頼と居られれば良いのです、この城も手放せと言われれば手放しましょう、どこか遠くの小さな国に移って、皆で暮らせればそれ以上は望まない、私と秀頼と、左衛門佐が居ればと、幸村の手を取る淀の方。

それはお心に止めておかれませ、味方の士気に関わればと幸村。先の件なにとぞお願いいたしますと幸村。お任せなさいと淀の方。

秀頼の御前。和睦はなりませぬと淀の方。既に右大臣様は和睦と決められたと大蔵卿局。私は秀頼の母なるぞと淀の方。断を下すのは大坂城の主たるこの私、そうであったなと左衛門佐と秀頼。無言の幸村。そなたを産んだのはだれじゃ、我こそがこの城の真の主ぞ、断は私が下します、和睦は決してなりませぬと淀の方。

廊下。幸村を追ってきた秀頼。己の言葉の重みを知れと申したのはそなたではないかと秀頼。断を下すのはあくまで殿、しかし、その断が間違っていれば如何なる手を使っても食い止めます、私は戦に勝つためにここに参ったと幸村。

浪人衆の溜まり場。団衞門に、敵陣に切り込むそうだなと又兵衛。もうお耳にと団衞門。夜討ちを掛けると聞いたがと勝永。それは話が大きくなっていると団衞門。いつだと又兵衛。今夜と団衞門。場所はと又兵衛。本町口あたりと団衞門。

くれぐれも真田様にはご内密にと団衞門。良いんだあいつは、なんとなく成り行きで総大将みたいになっているが、全く違うからと勝永。俺たちも一緒に行って良いかと又兵衛と勝永。

幸村に止めるなら今だぞと告げる盛親。気分を変えるのも良いかも知れないと立ち上がる幸村。

本町口、蜂須賀の陣。夜襲を掛けようとしている又兵衛たち。そこに現れ、私も加えてくれと幸村。

一斉に攻めかかる幸村達。敵を倒しながら、塙団衞門でごさると木札を置いていく団衞門。

徳川陣。イギリスから到着した大筒。

且元に、淀の方の居室を聞く家康。そればかりはと且元。そこを外すためだと家康。天守の南の方と居室を示す且元。そこだけは外そうと家康。

天守の南を狙えと命ずる家康。

大坂城。侍女達を従えて廊下を行く淀の方。

大坂城に向けて発射されたカルバリン砲。

天守に命中した砲弾。続いて、本丸御殿に命中した砲弾。

崩れ落ちる御殿の屋根。その下敷きになって倒れた侍女。それを見て取り憑かれたように近づこうとする淀の方。懸命に止めるきり。

今回は和睦を巡る駆け引きが描かれました。あの手この手と家康が言っていましたが、まさしくそのとおりの事が行われました。

まず、鬨の声ですが、実際に行われています。これは最初は効果があり、驚いた町人達が城内に向かおうと橋に殺到し、堀に落ちて溺れ死んだ者が大勢出たと言われます。しかし、やがて虚勢だと見破られ、効果はなくなりました。

次に、幸村に対する調略も実際に行われており、その対価が十万石だったというのも史実どおりです。ただ、ドラマでは親しく接していた信伊と幸村でしたが、実際には幸村は用心して暗がりに座り、信伊との間も離してあったと言います。この時、幸村は断固断ったかと言うとそうでもなく、今は豊臣の恩義があるが、豊臣と徳川の間で和議が整った後、なお仕官が認められるのなら、たとえ千石でも受けましょうと答えています。

これに対して正純は、幸村が断ったのは恩賞が少なすぎたのだと考え、今度は信濃一国に条件を上げて再度信伊に調略を命じました。これを聞いた幸村は、徳川には誠意が無いと怒り、信伊にも二度と会おうとしませんでした。十万石ならまだしも、信濃一国ではあまりにも現実離れした話だと思ったのでしょうね。

団衞門が夜襲を掛けたのも史実どおりです。木札を置いていったのも史実だとされます。自分を売り込もうというのでしょうけど、面白い事をする人物ですね。ただし、この夜襲に幸村や又兵衛たちは参加していません。

家康がイギリスから取り寄せた大砲で城攻めをしたというのはよく知られた事実です。その砲弾が淀の方の居室に飛び込み、侍女達を吹き飛ばしたとも言われますが、そのあたりは史実かどうかは判然としません。ただ、砲撃に依る被害は甚大で、総構の櫓はほとんどが崩されたと言われます。

こうしてみると優勢の様に見えた徳川方が和睦を急いだのは、一つには真田丸における敗北により、徳川方の敗戦という評判を呼んでいた事が上げられます。もう一つには、ドラマで幸村も言っていましたが、兵糧不足という事がありました。徳川方は、兵糧は現地で調達するつもりだったのですが、既に大坂方があらかた買い集めてあり、調達しようにもどこにも無かったのですね。なので、戦が長引けば脱落する大名も出て来る事もあり得た訳で、和睦が急務とされたのでした。

もっとも、大坂方にも兵糧の問題はあり、それ以上に弾薬の不足が深刻だった様です。戦を長引かせれば大坂方有利だとは、必ずしも言えなかったのですね。

次回は和睦と幸村の苦悩が描かれるようです。私的には、阿茶局が暗躍する様を見てみたいですね。どんな描写がされるのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2016.11.13

真田丸 第45回「完封」

慶長19年11月19日、木津川口砦を襲った蜂須賀勢。その時、不在だった全登。

11月26日、今福砦を襲った佐竹勢。加勢に向かった又兵衛と重成。しかし、押し返された又兵衛。

軍議の場。的の真の狙いは城の南、安心召されよ、敵は真田丸で迎え撃つと幸村。

内通者が居るのではと勝永。

厨。有楽斎を呼び入れた幸村。有楽斎に、博労淵砦が手薄だと打ち明ける幸村。

その夜。博労淵砦が落ちたという知らせが入ります。早かったなと、やはりあの男かと幸村。

江戸、真田屋敷。松を労う信之。そこにやって来た正則と長泰。

二人の用件は、兵糧を大坂方へ送るという事でした。兵糧を城の中に入れるには幸村の協力が要る、その橋渡しを信之に頼みたいと長泰。仲間に加わってくれと正則。源治郎のためにもと言われ、困惑する信之。

断じてなりませぬと稲。判っているが、こればかりはそちの耳に入れておこうと思ったのだと信之。こればかりとは、と問い詰める稲。ない、源治郎のためだと信之。息子達はご公儀のために戦っている、どんな咎めを受けるか判らない、稲はけっして許さないと稲。

廊下。蔵に行って調べてきた、すぐに運び出せる蕎麦粉は1700貫、そばがきにすればおよそ10万個、千人で食べても一月以上持つ勘定とこう。

大阪城。春に、戦が始まったら、決して城から出るなと伝える幸村。その様子を廊下の角で聞いているきり。

戦が終わったらまた豊臣の世が来るのですかと春。戦に勝っても、もう徳川の世は動くまいと幸村。では秀頼公はと春。一大名としてどこかを治める事になるかもしれないと幸村。そのとき、旦那様はと春。思うところはあるが、まだこれからどうなるかと幸村。

その時、きりの背後から現れた淀の方。侍女にされてしまったきり。

徳川本陣。まずは真田丸を潰さねばと家康。ただの出城に見えると秀忠。よく見て見ろ、まずは大きさ、そして場所、最後に高さだと家康。えらいものを造ってくれたと正信。

真田丸。大阪城を包囲した敵陣を見て、壮観だなと幸村。向こうにも赤備えがと内記。あれは井伊直孝、向こうにもここに至る物語があるのだろうと幸村。聞いてみたいものですなと内記。

上杉の陣。家康に呼び出された景勝。

家康本陣。直江状の過去まで持ちだし、嫌みったらしく真田丸を落とせと命じる家康。苦悩する景勝。上杉と真田の縁はよく知っている、ここは真田と戦う事で徳川への忠義を示されよと正純。かしこまりましたと兼続。

自分も総大将として戦陣に立ちたいと秀頼。総大将とは城の奥でじっとしているものだと有楽斎。総大将が兵の前に出ると、焦っているのではないかと兵が不安を覚えると幸村。私が鎧姿で兵を励ますというのはどうかと淀の方。

廊下。お上様は戦を楽しんでおられると重成。そこに通りかかったきり。それをみとがめた幸村。お上様から侍女を仰せつかりましたときり。

鎧に陣羽織をはおり、陣中見舞いをする淀の方。その後を付いて歩く鎧姿のきり。

真田の陣。上杉の下に付き、真田丸を攻めよという命令を受けた信吉。

佐助に密書を手渡した三十郎。

密書を受け取り、急がねばと幸村。

明朝、前田勢に対してこちらから仕掛けると秀頼に告げる幸村。乗ってくるかと秀頼。必ずと幸村。城中に内通する者が要る気配がある、この事は外に漏らさぬようと念を押す幸村。

軍議の場。明日、こちらから仕掛ける、後藤、木村、長宗我部殿は私と一緒に真田丸に入ってもらいたい、毛利殿は北の守り、明石殿は東の守りをお願いすると幸村。承知、と一同。抜かりなくと幸村。

大助に初陣だと伝え、お主の肩に掛かっていると心得よと諭す幸村。

真田丸前方、篠山。六文銭の旗を掲げて仁王立ちになった大助。そして、旗を振りながら高砂やと歌い出します。それに合わせて鉦を叩いてはやし立てる真田勢。挑発に乗った前田勢。

見事に前田勢を引き連れて戻ってきた大助。よくやったと幸村。

鉄砲組を持ち場に付けさせる幸村。柵まで迫る前田勢。

幸村の合図で火薬を爆発させた佐助。その音を聞いて勢い付いた前田勢。背後から続く井伊勢。

勢いに任せて空堀に飛び込む前田勢。その様子を見て、敵を一つの塊と思ってはならぬ、所詮人の集まりだと幸村。

十二分に引きつけた時、放てと合図する幸村。あっという間に倒される前田勢。二段構えの塀を活用し、次々に敵を倒していく真田勢。

家康本陣。これでは真田の思うつぼだと焦る家康。

次々に倒される前田勢。

一瞬の隙を突き、真田丸に突入した前田勢。奮戦して押し返した幸村、又兵衛たち。

退却を始めた徳川勢。追い打ちを掛ける真田勢。その様子を遠望している景勝。

仕上げだと言って出陣して行く幸村。

前田勢の残党に向かって、我こそは真田左衛門佐幸村と名乗りを上げる幸村。前田勢を相手に奮戦する幸村、作兵衛たち。

その様子を遠望しながら、源治郎め、あっぱれな戦いぶりよ、日本一の兵、真田左衛門佐と叫ぶ景勝。

前田勢を全滅させた幸村。

家康本陣。またしても真田にやられたと正信。大敗じゃと秀忠。言わんでも判っておると家康。前田と井伊を引き上げさせよと家康。この戦、手こずるやもと正信。次の手を考えると家康。

真田丸に凱旋し、歓声に応える幸村。面白い様に策が当たったなと又兵衛。策とはそういうものだと幸村。勝ちどきを上げる盛親。

お見事でござった、天下の名将の采配をこの目で見ることが出来て、これほど嬉しい事はないと重成。その重成を手招きして、実はこの様な大戦は私も初めてなのだ、心の臓が口から飛び出しそうであったと幸村。秀頼に報告に行く重成を見送って、大きくため息をついた幸村。

今回はこのドラマの主題とも言うべき、真田丸の攻防戦が描かれました。史実よりはちょっと早かったけれど、真田、日本一の兵という声も飛び出しましたね。

冒頭で描かれた木津川口砦、今福砦などについては、前回も書きましたが大坂城の防衛力を強化する拠点として築かれたもので、位置づけとしては真田丸と同じです。違うのはその規模と構造ですね。中でも木津川口砦については、兵糧を調達するために海との連絡路を確保するという意味があって、この砦は大坂方にとって重要な拠点であり、逆に言えば早々に落とされたことは大きな痛手でした。これにより、大坂方は兵糧を確保する手段を失った事になり、後に兵糧不足に悩む一因となります。

そして、城内に居た内通者は、やはり有楽斎とされましたね。これについては諸説あり、冬の陣の後、有楽斎は大坂城を出て、その後も徳川麾下の大名として余生を永らえた事から、内通者だったと見る向きがあります。しかし、その一方で、有楽斎は豊臣家の中の穏健派として重要な役割を果たしており、決して内通者などではなく、夏の陣を前に強行派を押さえることが出来なくなったため、やむを得ず城を離れたとする見方もあります。どちらが正しいかは良く判らないですね。

実際に確認される内通者は、南条中務少輔という人物で、矢文で徳川方とやりとりをしていた事が発覚し、大坂方によって処刑されています。その後も大坂方は南条が生きている様に装い、徳川方を欺いていたとも言われます。この事が後で効いてくるのですね。

ドラマで淀の方が鎧を着て兵を励ましていましたが、実際にも同じような事をしていたそうですね。正直言ってそれが励みになったかどうかは判りませんが、戦国の世を生きた女性らしく、ただのお姫様ではなかった事は確かな様です。

さて、真田丸での実戦ですが、又兵衛と重成が共に戦った事になっていましたが、実際には幸村のほかには盛親が居た様です。また、敵に対する挑発として、大助が第一次上田合戦の時の幸村そのままを真似た事になっていましたが、あれは無論創作です。実際にはもう少し時間と手間を掛けており、真田丸の前方にあった篠山という所に柵を設けて鉄砲隊を配し、仕寄せを試みる前田隊を妨害していたのでした。しびれを切らした前田隊が篠山を攻めるとそこは空で、真田勢から嘲笑を浴び、前田勢は面目を失いました。これが下敷きで、翌日の夜、前田勢が再度篠山を攻めるとやはり空で、さらに堀際まで進みました。この動きを見ていた井伊隊は抜け駆けと見て攻めかかり、一斉に空堀へと飛び込んだのですね。以下はドラマにあったように真田丸からの攻撃に晒されて、屍の山を築く事になります。

ここでさらに別の事件が起こります。ドラマでは佐助が火薬を爆発させていましたが、実際には大坂方の石川隊が起こした事故で、二斗の火薬が爆発したと言いますからかなりの規模だった様です。ところがそれを見た徳川方は、例の南条が内通した証と受け取り、一斉に総構えに向かって攻めかかったのですね。大阪方では爆発事故によって混乱していたため対応出来なかったらしく、総構えが二十町に渡って崩されたと言います。そこへ徳川方は飛び込んだのですが、体勢を立て直した木村重成隊によって返り討ちとなりました。しかし、大軍である徳川方の勢いは止まらず、次々に掘に飛び込んて行ったのですが、総構えと真田丸からの銃撃に晒される結果となり、ドラマで描かれた以上の惨状となった様です。

最後の仕上げとして、ドラマでは幸村が自ら出陣していましたが、実際に出陣したのは息子の大助です。彼は五百の兵を引き連れて徳川軍の後方を攪乱し、悠々と自陣に引き返したと言われます。

負け戦を悟った徳川方は引き上げ命令を出しましたが、戦が終わったのは夜になってからでした。損害は1万5千とも3万とも言われますが、イエズス会の報告には虐殺とまで記されているそうです。そうなった理由は、竹束など弾よけの装備をせずに不用意に堀に飛び込んだ事にあり、待てという指揮官の命令も行き届かなかった様です。やはり実戦不足が響いた様で、反対に大坂方は実戦慣れした浪人が主体であり、その差が大きくものを言った様です。

前後しますが、ドラマの中で正則が秀頼に兵糧を提供したというのは事実です。しかし、その後も兵糧を運ぼうとしたという事は無いですね。また、長泰については、もっと直接的に大阪城に入ろうとしたところを、家康に止められています。いずれにしても、二人が信之に協力を依頼したという事実は無い様です。

ドラマでは、信之が稲に内緒で兵糧を送ろうとしていましたが、それは蕎麦でした。これは、たぶんですが、信之が稲に隠れて幸村に送ろうとすれば、米ではなく蕎麦しか無かったという事なのでしょうか。九度山時代に、幸村たちがなぜ蕎麦粉ばかりを送ってくるのかと不思議がっていましたが、これで謎が解けた様な気がします。

最後に、景勝が真田日本一の兵と叫んでいましたが、あれはまだ早すぎですね。幸村が日本一の兵と呼ばれたのは夏の陣の時で、寡兵にも関わらず、二度までも家康を追い詰めたからでした。それも誰かが叫んだのではなく、島津家の文書にそう書かれたですね。ドラマの描き方だけでは少し足りないと思ったのですが、真田丸が主題の一つなのだから、仕方が無いのかな。

次回は冬の陣の和睦を巡る画策が描かれる様です。幸村に対する調略も出てくる様ですね。大砲のシーンなど、どんな具合になるのかな。楽しみにして待ちたいと思います。

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2016.11.06

真田丸 第44回「築城」

籠城と決まった事を又兵衛たちに伝える幸村。不平を鳴らす又兵衛たち。

二条城。内通者から、大坂方が籠城と決めた事を知り、これで勝ったと家康。

大坂城。図面を見ながら、この城の弱点は南、よってここに出城を築くと幸村。

幸村の下に馳せ参じた作兵衛。作兵衛から末が十蔵と仮祝言を挙げた事を聞き、喜ぶ幸村。

信吉と信政が大坂に向かっていると聞き、全ては宿命と幸村。

治長に出城を築きたいと許しを請う幸村。既に同じ事を言ってきている者が居る、二人で話し合われよと治長。

出城について又兵衛と話し合う幸村。又兵衛の狙いは、目立つところで大暴れする事でした。自分なら勝てる出城を築く、譲ってくれと幸村。

幸村の策とは、出城の前に空堀を作る、手柄を立てようと敵は一気に攻めて来る、そこで空堀の底に乱ぐいと逆茂木を配しておく、そうすれば敵の先頭の勢いは削がれ、後ろからの兵が押し寄せて身動きが取れなくなる、そこに誘い道を配しておき、そこに入った敵を鉄砲狭間から一斉に撃つというものでした。玉込めしている間に来てしまったらと又兵衛。塀は上下二列になっている、上下一段ずつ撃てばことごとく討ち取れると幸村。そして、それを見た敵はひるむ、そこを虎口から押し出し、一気に蹴散らす、これが真田の軍略と幸村。面白いと又兵衛。

五人の衆を相手に陣立てを示す幸村。

陣立てを秀頼に示す治長。要所を占めるのが全て浪人なのが気になると有楽斎。金目当てで集まった者は金で転ぶと大蔵卿局。この出城が敵に回ったら背筋が凍ると有楽斎。そこは幸村の持ち場と秀頼。その幸村こそ怪しい、あの者の兄は徳川方、既に徳川に通じているかもしれないと大蔵卿局。豊臣譜代の者にも重成の様な強い者が居る、要所には信用がおける者を配すべきと有楽斎。作り直しじゃと布陣図を破り捨てる大蔵卿局。

新しい布陣図を五人の衆に示す治長。そこには五人の衆の名と共に、真田の出城も無くなっていました。もう良い、徳川に付くと勝永。勝永と行を共にしようとする又兵衛と盛親。この件、預からせてくれ、お上様と話し合ってくると彼らを引き留める幸村。

話は聞いていますと天正カルタの準備を始める淀の方。戦は味方同士が信じ合わなければ勝てないと幸村。私は判っている、幸村は決して裏切らないと、しかし、その様な声がある事も確か、しばらく大人しくしておく事と淀の方。我らに全てを任せて欲しいと幸村。それは出来ないと淀の方。徳川に勝てないと幸村。あの者たちが裏切らぬとどうして言えると淀の方。信じるのですと幸村。

殿下が亡くなってからずっと豊臣の家を守ってきた、ようやく秀頼が成人し任せられる様になった、あの子が決めた事に私が口を挟めますかと淀の方。

では、そなたの出城だけは作って良い事にする、これでどうじゃと淀の方。浪人達、全ての者を信じて貰わなければ意味が無いと幸村。ならば、出城の件は許しませんと淀の方。致し方有りませんと立ち上がる幸村。城を出て行くのですかと淀の方。とんでもない、他の策を考えるまでと幸村。

廊下。腹は括った、戦うのはあなた方、そちらの好きなようにされよと治長。

出城造りを始めた幸村。どれくらいかかると幸村。20日ほどと内記。作兵衛に、武田の武勇を表す赤い鎧を集める様に命じた幸村。

二条城。早々に到着した秀忠に、将軍たるもの、もっとゆったりと構えよ、いつまでも関ヶ原を引きずるなと叱りつける家康。

全国から集まった三十万の兵。

京、真田屋敷。真田の陣に入る工夫に困る松。そこに聞こえてきた、丹田に力を入れてという声。それは阿国の一座でした。思わず、座頭と駆け寄る松。しかし、それは二代目の阿国でした。これから徳川の陣中見舞いに行くと聞き、自分も一座に入れて欲しいと頼む松。

無事に真田の陣に入り、信吉と信政に、決して真田同士で刃を向け合ってはならないという信之の言葉を伝える松。不平を鳴らす信政。父の気持ちは判る、そのとおりにすると信吉。

お通相手に来し方を語る信之。あなたの腕のしびれはきっと心が疲れているから、私が治しますと香を焚くお通。

江戸、真田屋敷。夫の様子に不審を抱く稲。

大坂城、普請場。赤備えの試作品を見て、まるで沢ガニだ、もっと強い赤にしろと幸村。

普請場に来て、どこの家中かと聞く有楽斎。

秀頼の御前。私が許しましたと治長。浪人達が勝手に陣を張っているようだと有楽斎。全て私が許したと治長。なぜその様な勝手な事をと大蔵卿局。徳川を迎え撃つためと治長。真田が裏切ったらどうすると有楽斎。浪人どもはならず者の集まりと大蔵卿局。幸村は信じてやりたいと秀頼。あれの父親は裏切りの連続で生き残った男と有楽斎。

普請場。秀頼公のご命令だと工事の中止を命ずる有楽斎。ここで止めればお咎め無しと秀頼公は言われたと幸村に囁く治長。

夕暮れの普請場。今夜城を出る、お前も来ないかと、幸村を誘いに来た又兵衛と勝永。豊臣を見捨てる訳には行かないと幸村。それを見ていた秀頼。

ここに出城とはよく考えた、私は前々からこの城は南が弱いと思っていたと秀頼。さようでしたかと幸村。豊臣を見捨てぬと言うのは真だなと秀頼。私は太閤殿下にお誓い申し上げましたと幸村。この出城、仕上げよ、私が許す、そなたらを信じると秀頼。命に代えても殿様を守りますと幸村。その手を取り、頼りにしておると秀頼。

淀の方相手に、浪人達の力を借りて戦うと言い切った秀頼。

住吉に家康、平野に秀忠が布陣。

徳川方の布陣を調べてきた佐助。その中に居た景勝。

家康の陣。幸村を愚か者と噂する正宗。一同を前に開戦を宣言した家康。

大坂城。開戦に備え、陣配りをして歩く幸村。戦の前にミサの準備をする全登。キリシタンは強い、なぜなら死を恐れないからだと幸村。

幸村の鹿の角立ての兜を持ってきた作兵衛。見事だと褒める幸村。

こんな寄せ集めで三十万に勝てるのかと又兵衛。我らは関ヶ原の戦いで苦渋を舐めたが、戦を身体で知っている、しかし、相手はほとんど戦を知らぬ者たちだ、この差は大きいと幸村。

家康の陣。仕寄せの稽古をする兵達。その様子を見て、全然違うと身をもって手本を示す家康。年よりの冷や水とばかりにあきれる秀忠。

疲れたとひっくり返る家康。そこに届いた城内からの文。そこには布陣が記されていました。出城の主はと問い、幸村と聞いてまた真田かといきり立つ家康。

完成した出城。ようやくこれで城持ちになったと幸村。作兵衛に命じて、六文銭の旗を立てさせる幸村。城の名は何としますと内記。決まっている、真田丸よと幸村。


今回は真田丸が築城されるまでが描かれました。その過程はほぼ創作ですが、幸村と又兵衛が出城を巡って争ったこと、幸村が敵との内通を疑われていた事などは史実どおりです。

真田丸については諸説がありますが、先に目を付けたのは又兵衛とする説があり、既に又兵衛が普請に掛かっていたのを幸村が横取りしたとも言われます。

場所については、現在の明星学園がある地点と言われ、真田紀行に出てきた心眼寺などが並ぶ寺町を取り込む形で築かれたのではないかと考えられています。形については、従来は丸い形をした丸馬出だと言われていましたが、最近ではドラマにあった様に五角形に近い矩形ではないかとする説が有力です。

仕掛けについては幸村が説明していた様に、空堀の底に杭や逆茂木を設けて敵をせき止め、二段構えにした鉄砲狭間から間断なく銃撃を浴びせるというものでした。ただ、説明は無かったのですが、大坂城との間にも堀があり、引き処の無い、いわば背水の陣の様な出城だった様ですね。

大坂の陣で有名なのはこの真田丸ですが、真田丸だけが特別な存在だった訳ではなく、他にも同じ様な発想で急ごしらえに作られた出城は幾つもあります。木津川砦や鴫野砦、博労淵砦などがそうですが、ほとんどが前哨戦で落とされてしまっています。その中で真田丸だけが残ったのは、やはりその規模と構造、戦略の巧みさからでしょうか。そのあたりは次週に描かれるのでしょうね。

一方の徳川方の攻め方ですが、家康が自ら手本を示していた様に仕寄せという方法が取られていました。いわば塹壕戦ですが、なぜ攻め手がこの塹壕を飛び出して真田丸に殺到してしまったかについても、次週に描かれるのかな。

ドラマでは城内に内通者が居る事になっていましたが、実際にも何人も居た様ですね。例えば七手組と呼ばれる秀頼の親衛隊のうち、二人は徳川に内通していたと言われます。ドラマで怪しいのは有楽斎ですが、どういう結末を迎えるでしょうか。

ドラマとしては、また伏線が回収されていました。淀の方の天正カルタ、松の阿国などがそうですね。特に阿国がこんな形で出てくるとは思わなかったなあ。阿国に二代目が居たのかどうかは調べた限りでは判らないのですけどね。

次回はいよいよ真田丸の決戦が描かれます。終盤の一つ目のハイライトですね。どんな具合に描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2016.10.30

真田丸 第43回「軍議」

柏原、真田の陣。陣中を見回る秀忠。信吉たちに幸村が大坂城に入ったと言い捨てていく正信。

江戸、真田屋敷。松に、茂誠と三十郎に、どんな事があっても一番前に陣を敷く様な事をするなと伝えて欲しい、これは幸村のためだと京行きを頼む信之。

京、二条城。家康に拝謁し、忠節を誓う且元。家康から大坂城の兵糧はと聞かれ、半年も保たないだろうと機密を漏らした且元。

大坂城。いつかの蔵に幸村を呼び入れた淀の方。勝てますかと淀の方。そのために私は来たと幸村。

これより軍議がある、そこで必勝の策を献じるつもりと幸村。この城さえあれば、負けませんねと淀の方。籠城はしない、もっと良い策があると幸村。秀頼が危ない目に遭う事はありませんかと淀の方。もちろんと幸村。

床に落ちていた長巻を、いつかの様に立て直す幸村。その背中にすがりつき、私の愛した者は皆死んだ、父も母も、柴田の父も、捨もと淀の方。太閤殿下はと幸村。私の愛した人たちと言いましたと淀の方。

私はどうなっても構わない、秀頼を死なせないでと淀の方。命に代えてもと幸村。しがみつく淀の方の手をそっとほどき、これより軍議の支度があると言って出て行く幸村。

浪人達はどれほどに増えたかと大蔵卿局。既に10万を越える勢い、後は兵糧との兼ね合いと治長。そのようなものはどうとでもなると大蔵卿局。戦は時の勢いを味方に付けた方が勝ちと有楽斎。浪人達を持ち上げるのは構わないが、舵を取るのはあくまでも我らと大蔵卿局。本日の軍議が肝心と有楽斎。

幸村の部屋。かつての昌幸の策を元に、目下の形勢に合わせて策を練り直したいと幸村。

軍議の場。相手は20万、戦の定石どおり籠城としたいと重成。幸村以外の4人までが承知するなか、一人異議を唱えた幸村。どうすると秀頼に聞かれ、後詰めの無い今、ここは打って出るべきだと幸村。正面からぶつかって勝てるはずも無いと反対する又兵衛。正面からぶつかるとは言っていないと幸村。

大坂城は難攻不落の城、あえてそこから打って出るという意味が判らないと治長。戦場を城から離し、大坂、京、伏見、大津、上方全てを戦場とする事で徳川を分断し、敵の力を削いでいくと幸村。

話としては面白いと有楽斎。京の町に攻め入るのかと治長。京には家康がいると幸村。由緒ある神社仏閣を灰にすると言うのかと治長。勝つためと幸村。籠城で良いのではと有楽斎。ではいつまで籠もるつもりかと幸村。2年でも3年でも籠もる事が出来ると治長。その兵糧はと幸村。ごさると治長。ではその先はと幸村。そうこうする内に家康が死ぬ、それを待つと有楽斎。

こうしよう、城の四方を俺と勝永、盛親、全登で固め、向かってくる敵を蹴散らす、それでどうだと又兵衛。妙案と有楽斎。秀頼に裁断をと治長。そういう事ならば、私は引き下がらせて頂くと立ち上がった幸村。お待ちをと治長。考え抜いた策を碌に吟味もせずに捨てられたのではやる気が起きぬ、九度山に帰ると幸村。

幸村の部屋。源次郎様もやりますなと内記。父上ならどうするかと考えたと幸村。大助にはったりは真田の家風と教える内記。はったりではない、これは策だと幸村。そこに現れた重成。

軍議に戻って欲しいと重成。あなたはどう思われたと幸村。私は籠城こそが定石と思っていると重成。その定石を敵も知っている、だからこそその裏をかく意味があるのではと幸村。言葉に詰まる重成。

軍議に戻り、秀頼に策を説明する幸村。まず伏見城を攻略し、そこを出城にして二条城に攻め込む、そして秀忠が到着する前に家康の首を取る、同時に別の軍勢が大津を攻略し、近江を我が物とする、そして瀬田と宇治の橋を落とし、徳川本軍の行く手をふさぐ、ここまで来れば徳川に付いていた豊臣恩顧の大名の中にも我らに味方する者が出てくる、さらに伊達や上杉と示し合わせて秀忠勢を背後から襲わせる、負ける気がしないと幸村。

伊達や上杉が味方をしてくれるかと秀頼。家康の首さえ取れば必ずと幸村。これはお見事、さすがは真田殿と有楽斎。

方々如何でござると治長。一つの策だが、やはり籠城だと又兵衛。訳を伺いたいと幸村。話が大きすぎて付いていけないと又兵衛。説明ならいくらでもすると幸村。他の方々は、長宗我部殿と治長。籠城が良いと盛親。明石殿と治長。右に同じと全登。やはり籠城の様ですなと有楽斎。

待ったと勝永。俺は左衛門佐の策に乗る、話が大きすぎてそこが気に入ったと勝永。如何なされますと治長。もう少し話し合ってみたいと秀頼。暫く休憩してはと有楽斎。

籠城か打って出るか、どちらももっともという気がしてきたと秀頼。最後に決めるのは殿と治長。

廊下。勝永に、ありがとうこざいましたと幸村。俺は籠城だろうが出撃だろうがこだわらないと勝永。ではどうしてと幸村。あんたはなぜこの城に入った、俺は己の力を試してみたかった、それだけだと勝永。あんたに賛成したのは恩を売るためだ、京に攻め込む役目は俺にやらせろと勝永。いいでしようと幸村。

なぜ又兵衛は籠城にこだわるのかと幸村。あいつはあんたの意見に従うのが嫌なだけだと勝永。ではあちらの二人はと幸村。知らぬと勝永。

全登に、戦上手と知られた宇喜多家の家老であったあなたが、決して得策ではない籠城にこだわるのはなぜと幸村。籠城に賛成すればキリシタンの信仰に便宜を図ると治長に言われたと全登。私に豊臣に付く謂われは無い、理由はただ一つ、徳川がキリシタン禁教令を出したからだと全登。

盛親に、あなたも治長に何か言われたのかと幸村。あの男は言った、籠城に賛成すれば願いを叶えるとと盛親。あなたの願いとはと幸村。長宗我部家の再興と盛親。

豊臣家の連中は、俺たち浪人を頼りにしているくせに、牛耳られるのを恐れているんだと勝永。なぜ治長が私の策を知っていたのかと幸村。その時、ふと思い出した淀の方。

豊臣家が負ければ全てが潰える、キリシタンの布教も、長宗我部家の再興も、まずは勝つこと、籠城ではそれは叶わぬ、城は大きければ大きいほどどこかに綻びが生じる、勝つためには打って出る他は無いと幸村。

有楽斎の部屋。城から出るなどもってのほかと大蔵卿局。家康の首を取るには今より無いと治長。あの者達の思い通りにさせてはならないと大蔵卿局。長門守に頑張って貰うよりないと有楽斎。

初と談笑する淀の方。

軍議の場。打って出る事に意見を変えた盛親と全登。敵を分断するという事は味方も分断されるという事と重成。そのとおりと幸村。まとまりのない浪人達が一丸となれるのはこの大坂城と重成。大坂城は最強の砦であると同時に最後の砦、今の我らにはここしかない、籠城は最後に取っておき、まずは外に打って出るべきと幸村。

今の言葉、腑に落ちた、籠城は最後に取っておき、その前に敵の力を削ぐことを考えるべきだと重成。不承知と又兵衛。いつまでつまらぬ意地を張ると勝永。あんたは何のためにここに来たと勝永。死に場所を求めにやってきた、違いますかと幸村。

俺は天下の後藤又兵衛、天下一の城を枕に討ち死にするしかないと思った、俺の死に場所はここしかないと又兵衛。私は勝つためにここにやって来た、死にたがっている者に用は無い、勝つ気がないならこの城を出て行って貰おうと幸村。

本気で勝とうとしているのかと又兵衛。もちろんと幸村。お前は大間抜けだ、勝てるわけが無い、俺たちは日の本中を敵に回している、みんな思っている事だろうと又兵衛。我らは別々の思いを持ってここにやって来た、しかし、一つだけ通じ合っているものがある、皆がそれぞれ生きる望みを持っている、だからこそ我らは強い、私は本当に負ける気がしないのですと幸村。

ここに死に場所は無い、死にたいのなら徳川に付くべきだと幸村。その言葉、忘れねえぞと又兵衛。俺もまだ籠城はまだ早いと思っていたと又兵衛。

なかなか良いものを見せて貰った、初めから申し上げているとおり籠城以外にはないと有楽斎。それでは話し合った意味が無いと幸村。意味はあった、それぞれの思い、胸に染みましたと有楽斎。ふざけるなと有楽斎の胸ぐらを掴む又兵衛。お主達は、所詮金で雇われた浪人達、身の程をわきまえよ、我らの指示に従って敵と戦えば良いのだと有楽斎。

今の言葉は聞き捨てなりませぬと治長。何だとと有楽斎。ここに居る者たちは豊臣を守るために集った者、我らにとっては客人であり非礼は許されませぬと治長。誰に向かって言っていると有楽斎。決めるのは右大臣秀頼公でござると治長。決めた、籠城はしない、打って出ると秀頼。

この事、大蔵卿に伝えると有楽斎。好きになされませと治長。席を立つ有楽斎。これより急ぎ陣立てを決めていくと治長。

廊下。どうなりましたかと大蔵卿局。息子殿に聞きなされと有楽斎。

前途多難だなと又兵衛。多難で無い戦などないと幸村。豊臣の連中は、不利と判っていてなぜあそこまで籠城にこだわると勝永。におうなと又兵衛。では御免と去りかける幸村に、あんたはなぜここに来たと勝永。私にも良く判らないのですと幸村。

淀の方に、真田の献策により出陣すると伝える秀頼。なりませぬと淀の方。母上と秀頼。その者が裏切らぬと言えますかと淀の方。しかし、と秀頼。浪人達の中で信じられるのは真田だけ、他の者はここに置いて目を光らせて置かなければ何をするか判りません。ここに居れば徳川は手出しが出来ない、籠城しか無いと淀の方。

幸村に、秀頼公の気持ちは籠城で固まったと伝える治長。しかし、と幸村。お上様の一言でひっくり帰ってしまった、どうすることも出来ませぬと治長。そうと決まったからには次の策を考えましょうと幸村。


今回は大坂の陣を巡る軍議の場が描かれました。ドラマでは出戦に一度決まったものがひっくり返された事になっていましたが、一般的には出戦を主張した幸村に対し、治長らの反対によって籠城に決まったとされています。又兵衛は幸村に反対したとも、賛成したとも伝えられ、はっきりとは判りません。また、これとは別に、大坂方は大坂城の補強に翻弄されており、とても出戦どころでは無かったという見方もあります。

ドラマとしては、かつての昌幸の台詞が散りばめられており、伏線の多くが回収されていたのが面白かったです。中でも負ける気がしないという台詞は、昌幸の自信たっぷりの表情が思い出されて感慨深いものがありました。

また、大きな城ほど綻びが生じやすいという台詞も昌幸がかつて幸村に語ったもので、おそらくは真田丸築城へと繋がって行くのでしょう。三谷脚本は本当に良く出来ています。

全登が言っていたキリシタン布教のためという話はそのとおりで、彼の部下には何人かのキリシタンが居た事が知られます。禁教令は大坂の陣の前年に全国に向けて出されており、キリシタンは行き場を失っていたのですね。豊臣氏もかつて禁教令を出していますが、全登は敵の敵は味方という理屈で大坂城に入ったのでしょうか。

淀の方は、浪人達の中で信じられるのは真田だけと言っていましたが、ドラマでは確かにそうでしょうね。しかし、実際には兄と叔父が徳川方に居る幸村は、敵に内通する恐れありと見なされ、辛い立場にあったとも言われます。真田丸という敵に突出した出城に籠もったのは、そうした城内の評価を覆すためとも言われますね。

また、ドラマでは秀頼の信頼も厚く、軍議を仕切っていましたが、浪人五人衆の中では、土佐の国主であった長宗我部盛親、一万石の大名であった毛利勝永に次ぐ三番目の立場にあり、発言権もそれに比例したものだったとも言われます。実際の幸村は、ちょっと悲痛な立場にあったのかもしれませんね。

次回はいよいよ真田丸が登場する様です。どんな具合に幸村が思いつき、どんな出城を築くのか楽しみに待ちたいと思います。

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2016.10.23

真田丸 第42回「味方」

大坂城。淀の方との再会を果たした幸村。

幸村を持ち上げる有楽斎。部屋に帰る幸村。

幸村の武将としての能力に疑問を投げかける有楽斎と大蔵卿。

秀頼のお声掛かりで独り部屋になった幸村。そこはかつての御文庫でした。感慨に耽る幸村。

一つところに部屋を与えられた春やきりたち。

大助に城の中を探索してきてはと勧め、自分は疲れたと横になる内記。

もう一人側に欲しいと幸村。

天守を見上げる大助。大きいだろうと幸村。太閤殿下はどんな人でしたかと大助。あの天守よりももっと大きな人だったと幸村。

幸村に会いに来た又兵衛と勝永。

後から来た奴に大きな顔をして欲しくないと又兵衛。そんなつもりは無いと幸村。元が大名だろうがどうかは関係ない、要は次の戦でどんな働きが出来るかだと又兵衛。同じ思いと幸村。それにしても部屋が広いのはなぜだと又兵衛。自分も独り部屋、元は一万石を領していた大名だったと勝永。争い始める二人。間に入る幸村。

修理に部屋替えを願い出た幸村。相部屋になったのは長宗我部盛親でした。

又兵衛と相部屋の全登。

駿府城。真田が大坂城に入ったと聞いて立ち上がり、襖を持った手が震えた家康。それは父親か息子かと問い、安房守は既に死んだと聞いて安堵する家康。その一方で、出陣を早めた家康。

左衞門佐ごときでうろたえてどうしますと阿茶局。真田という名を恐れているのだと家康。一気に攻め滅ぼされよと阿茶局。人質としてお千が居ると家康。豊臣家はどうするおつもりと阿茶局。遠国の大名としておとなしく暮らして貰おうと家康。生ぬるい、先々の不安は取り除くに限る、千姫なら返せば秀頼の命を助けると言い、その後滅ぼしてしまえば良い、そうやって乱世を終わらせるのですと阿茶局。

駿府を発った家康。

江戸城。この戦、総大将は自分だと秀忠。家康は自分の仕事の総仕上げと考えていると正信。父上の思惑など関係ないと秀忠。すぐに出立だ、この戦は父の総仕上げでは無い、自分の総仕上げだと秀忠。

大坂城には姉たちも千も居る、害が及ぶことはありませぬなと江。無論と秀忠。私の望みはそれだけと江。

秀忠に息子達を引き合わせ、代理で出陣させる事を断る信之。了解する秀忠。

真田屋敷。両親に出陣のあいさつをする信政たち。

大坂に向けて出陣した秀忠。

真田屋敷。佐助が届けた文で、幸村が大坂城に入った事を知った信之。源次郎が城に入った事で、烏合の衆が一つにまとまるのが怖いと信之。源次郎の文を読み直し、自分の捨てた幸の字を拾いおった、やつは本気だと信之。

作兵衛に幸村が呼んでいると伝えた佐助。喜ぶ作兵衛。戦は嫌だと与八。一つやり残した事があると作兵衛。

末と十蔵に、仮祝言を挙げてくれと頼む作兵衛。その上で、末の父と共に大坂で徳川と戦うと告げる作兵衛。

つつましやかな仮祝言。感慨に耽る作兵衛。

大坂に向けて出立しようとした作兵衛たち。それを見とがめた信之。信之と切り結ぶ作兵衛。自分は徳川に忠義を誓った、源次郎の様にはなれないと信之。追い詰められた作兵衛。あわやと言うときに病の発作が出て、刀を落とした信之。その隙に、ありがとうございますと屋敷を出て行った作兵衛たち。違うと信之。

大坂城。千と秀頼に拝謁した幸村。幸村に総大将になって欲しいと頼む秀頼。

総大将、是非ともお引き受けなされと盛親。これまで何をされていたのかと幸村。京で子供相手に寺子屋を開いていたと盛親。そうでしたかと幸村。かつての家臣に背中を押されて城に入ったが、本来戦が嫌いだと盛親。そうは見えないと幸村。この顔で誤解され勝ちだが、肝の小さな男なのだ、上に立って貰う人が居ると実に助かると盛親。

大広間。ずらりと居並ぶ浪人衆。その中から現れ、幸村にあいさつする塙団衞門。戦の時には欠かせぬ男と自分を売り込み、自らの名前を書いた手札を渡して行く団衞門。

上座に現れた秀頼。これより軍議を始めると修理。いきなり立ち上がった又兵衛。たしなめる修理。かまわぬと秀頼。

我らは皆、豊臣のためにはせ参じた者、録を失えば皆浪人、以前の身分や禄高などで差を付けないで欲しいと又兵衛。さすがは黒田家随一の豪傑と持ち上げる有楽斎。この議はいったんあずかると修理。

これより総大将を選ぶ、殿は真田左衞門左をお望みだと修理。不承知と立ち上がった又兵衛。我らは真田に使われるために入城した訳では無いと又兵衛。我らはそれぞれに腕があっても、それをまとめていく力がなくては徳川に勝てない、大局を見る事が出来る誰かが上に立つ、それによって何倍もの力を得る事が出来ると幸村。だからそれがなぜお前なのだと又兵衛。私には二度徳川と戦い、二度勝ちを得た武功がござる、徳川の戦を熟知していますと幸村。

確かに上田城の話は聞き及ぶ、しかし、初めの戦いは30年も前の話、お主は20歳にもならぬ若造であったはずだがと勝永。早熟でござったと幸村。その時は旗を振っていただけという噂も聞くと勝永。噂は噂と幸村。真田殿こそが総大将に相応しいと全登。後から来た者に従う事はないと又兵衛。ご一同、いきり立たんでも有楽斎。

総大将にはもっと相応しい方が居る、盛親殿は四国を斬り従えた元親殿の御嫡男、まさしく総大将の器と存ずると又兵衛。そうした事にこだわるのを嫌われたのはどこのどなたでしたかと全登。修理殿、御裁定はお任せいたしますと幸村。もう決めてしまわれよと有楽斎。ひとまずこの件はあずかりと修理。預かる時がどこにある、敵はすぐにでも攻めて来ると勝永。困っている秀頼を見て、ご辞退つかまつりますと幸村。拙者も引き受けかねると盛親。ならば、それぞれが死力を尽くし、徳川と戦うのみと又兵衛。不満げな秀頼。

私に一つ策がございますと幸村。申してみよと秀頼。誰かが目立ってしまうと角が立つと判った、しかし、総大将は必要、そこで10万の兵を五つに分け、それぞれに大将を立て、その上に秀頼公御自ら立たれるというのは如何でしょうと幸村。良い考えじゃと秀頼。如何かな、後藤殿、毛利殿と幸村。それならばと勝永。その中に我々は入っているのだろうなと又兵衛。その議は一旦預かってと修理。お主は一旦預からぬと何も決められぬのかと又兵衛。重要な案件故吟味した上でと修理。今、ここで決めてもらおうと勝永。

例えばこうしては、私に、毛利殿、長宗我部殿、明石殿、後藤殿の5人と幸村。良かろうと又兵衛。他の方々もよろしいかと幸村。うなずく一同。今後はこの5人衆の合議によって決めていくとすると修理。うなずく秀頼。

これでは先が思いやられる、浪人達は自分の事しか考えていないし、修理にはそれをまとめる力が無い、秀頼公はまたお若いと内記。確かに浪人衆にはまとまりがない、しかし、あの者たちは今の境遇から這い上がろうとしてここに集った、無理矢理かり出された徳川の兵とはそこが違う、この戦十分勝てると幸村。


今回は大坂城に入城した幸村が、味方を取りまとめていく過程が描かれました。

まずは兵糧米の確保についてですが、大坂にある徳川方の大名屋敷からの調達で十万石とありましたが、実際にはそこまでは行かず、六万石程度だった様です。その一方で、福島正則の屋敷にあった八万石を借りる事に成功しており、民間から買い上げた二万石と合わせて十六万石程度だったのではないかと推測されています。なお、この正則については、出陣は許されず、江戸留守居を命じられました。

真田が大坂城に入ったと聞いた家康が、親か子かとと問いかけ、子と聞いて安心したという逸話は有名です。その時、襖を持った手が震えていたとも言いますね。ドラマでもそれが再現されていましたが、昌幸が死んだと聞いたのが二度目というところが違ったかな。

浪人衆の中で総大将を決めようとしたというのは創作でしょう。幸村が五人衆を決めたというのも創作だと思われますが、実際にも浪人の中に五人衆が居て、その合議で戦を進めていた様です。ただし、なかなか意見は合わず、やはり烏合の衆という観は免れなかった様ですね。

作兵衛については、やはり大坂城に入って、幸村と共に戦っています。真田の郷から大坂城に入ったのは、何も作兵衛一人だったわけではなく、かなりの数に上っている様ですね。どの程度だっかは判りませんが、後に信之が領内で詮議を行っている事からそのことが窺えます。

盛親については、土佐を治めていた長宗我部家の四男でしたが、嫡男の信親が戦死した後、父の元親が次男、三男を抑えて跡取りと定めた事により国主となりました。しかし、関ヶ原の戦いにおいて三成方に付いたため、結果として土佐一国を奪われてしまっています。浪人後はドラマにあった様に京で寺子屋を開いていたと言われますが、大坂の陣勃発にあたり、土佐の旧臣たちが集結し、一手の大将に祭り上げてしまったのでした。その数は一千人とも言われ、五人衆の中でも随一のものがありました。

ドラマとしては、身勝手な浪人衆たちを上手く誘導して、秀頼を総大将に収めた幸村の手腕が見事でした。それに、どう見ても絶望的な状況なのに、そこに希望を見いだす姿勢も変わっていないですね。

次回は籠城か出戦かを巡っての争いがある様です。幸村が昌幸から託された秘策が試される時ですね。どんな具合に描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。


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2016.10.16

真田丸 第41回「入城」

九度山、真田屋敷。家族に向かって大阪城に入る決心をしたと告げ、脱出の策を伝える幸村。

大阪城。溢れかえる浪人たち。そこに現れた後藤又兵衛。与えられた莫大な支度金。

亡き父上に恥じぬ戦をしたいものだと秀頼。

又兵衛に続いて現れた毛利勝永。

駿府城。大阪城の様子を聞き、烏合の衆に過ぎぬ、秀頼もおとなしくしていればどこぞの一大名として生き抜く事が出来たはず、自分もそれを望んでいたと家康。

時に真田はどうしていると家康。大阪城に入ったとは聞いていませんと正純。見張りを増やせと家康。

九度山、長兵衛の屋敷。長兵衛に、礼の印に宴を催したいともちかける幸村。

江戸、真田屋敷。石合十蔵と末を連れてきた作兵衛。二人の祝言を挙げると作兵衛。

江戸から秀忠が大坂へ出陣すると届いた文。豊臣家もいよいよ終わりか、胸が痛むと信之。

剣術の稽古をする信政と信吉。信吉を打ち負かした信政。信吉が落とした木刀を遠くへはね飛ばす信政。それを見ていた稲。

信政が木刀をはね飛ばした事をとがめ、兄への礼というものが無いとたしなめる稲。

信吉のけがを手当してやる松。そこに現れ、あとで信政にわびを言いなさい、けがはさせた方の心に傷が残るものとこう。

茂誠と綱家に、今度の戦を息子たちの初陣とする、それぞれ介添え役として見守って欲しい、自分はこの体では無理なので江戸に残ると伝える信之。

夜。信吉を正式に嫡男にして欲しいと稲。同じ事を考えていたと信之。此度の大将は信吉にと稲。


九度山、長兵衛の屋敷。賑やかな宴。幸村に番人を増やす様にとのお達しがあったと伝える浅野家家臣竹本義太夫。義太夫も宴に誘う幸村。

幸村の背後から現れ、大坂には行かれないのですかと問いかける九兵衛。なぜかなと幸村。太閤殿下の生きていた頃は世の中に活気があったからだと九兵衛。黙って立ち去る幸村。

義太夫だけでなく、見張りの者も宴に入れてしまうきり達。

雁金踊りを始めた幸村達。笑いさざめく村人達。踊りながら、さりげなく一人ずつ姿を消していく幸村達。

異変に気づき、後を追う義太夫。村はずれの寺へと案内する長兵衛。

とある寺で落ち合った幸村の一行。そこに現れ、自分も連れて行ってくれと九兵衛。

村はずれの寺を囲んだ義太夫たち。

大坂に行って手柄を立て、大名になると九兵衛。

じりじりと寺に迫る義太夫達。

山を下りる近道を知っていると九兵衛。

寺に踏み込んだ義太夫達。しかし、そこはもぬけの殻でした。なぜここに案内したと義太夫。高野山に寺はいくらでもあるととぼける長兵衛。もう良いと駆けだしていく義太夫。その様子を確かめて、幸村の下に向かった佐助。そっと頭を下げる長兵衛。

九兵衛を信じる事にした幸村。彼の案内で山を下りる幸村達。

駿府城。幸村が脱出した事を知り、恐れを抱く家康。徳川を二度破った男の息子が入った事でどれだけ敵の士気が上がるか、そういった事で戦は左右されるもの、やつだけは大阪城に入れたくないと家康。伊賀に服部半蔵が戻っていると正純。

大阪城下。明日、白昼堂々大阪城に入ると幸村。その後はときり。おまえ達は難の及ばないところへ逃がすつもりだと幸村。私も戦いますと春。それはならぬと幸村。

縁側で警戒している佐助。その背後を通る半蔵。その気配に気づき、戦い始める佐助。戦いは五分。そこに現れた幸村たち。追い詰められながらも、我に秘策ありと言い、全力で押し通ると言って逃げ去った半蔵。

敵の目をごまかすために老爺に変装している幸村。その格好で大阪城に入り、厠で元の姿に戻った幸村。

木村重成に幸村と名乗り、信繁と書かれた名簿を訂正した幸村。

廊下で出会った全登に、秀頼公にお会いしたいと願う幸村。

浪人たちに幸村を紹介する全登。どよめく浪人たち。

秀頼を待つ幸村に聞こえてきたベルの音。そこ現れた大野治長。今の兵はどれくらいかと幸村。およそ10万、それがすべて真田殿のものと思ってもらって結構と治長。

幸村の前に現れた秀頼。自分を覚えているかと秀頼。むろんの事と幸村。私も覚えている、またあえて嬉しいと秀頼。かつて太閤殿下には息子の様に可愛がってもらった、いまこそその恩返しの時と幸村。

上田城に籠もり、二度に渡って徳川勢を退けたのは真かと秀頼。それは父の安房守と言いかけた治長を制し、真でございます、徳川を打ち破ったのは私、父はただ見ていただけと幸村。

一つ伺いたい事がある、一番大事なことは兵糧と幸村。大坂に入る限りの米を買い集めていると治長。それでは足りぬ、堺を押さえ、そこを大坂に入る米の仕入れ口としましょう、そして大坂にある徳川方の大名屋敷にある兵糧米を取り上げましょう、それだけでも十万石を超える算段と幸村。真田が来てくれて良かったと秀頼。しぶしぶ左様でございますなと治長。

あなたと歩いているとあの頃に戻ったよう、三成も吉継も清正もみんな死んでしまった、頼りになるのはあなただけ、豊臣の世を取り戻すのですと大蔵卿。

大きくなりましたね、とかつて植えた三成の桃の木を見つめる幸村。その向こうに現れた淀の方。茶々様と昔の名で呼ぶ幸村。また会えましたね、源治郎とこれも昔の名で呼ぶ淀の方。見つめ合う二人。


今回は九度山からの脱出と大阪城への入城が描かれました。九度山からの脱出については多分に伝記的ですが、ドラマに描かれた様に村人を集めて宴を開き、酔いつぶれた村人の馬に荷を乗せて逃げたと伝わります。おそらくは、何らかの形で村人の協力があったと考えられますが、はっきりとは判りません。

幸村を迎えに現れた使者が持参した支度金については、黄金200枚と銀30貫目と伝わります。浪人一人を迎えるためにしてはかなりの大金で、幸村に対する期待の表れであるとともに、秀吉が蓄えていた富の大きさを窺い知る事が出来ますね。

信繁の入城については諸説があり、6000人を率いて入ったという説や、山伏に変装してそっと入ったとする説など様々です。ドラマでは、この山伏説に近い設定でしたね。

また、上田の旧臣にも協力を呼びかけた形跡があり、実際に大阪城に入った者も結構な人数が居た様です。さらには、九度山周辺の地侍達も幸村と行を共にしたと言われ、6000人は大げさとしても、それなりの人数は伴っていたのではないかと思われます。

ドラマでは春たちを安全なところへ逃がすといっていましたが、実際には大坂落城の折に子らとともに脱出しており、おそらくは一緒に城内に居たのでしょうね。ドラマではどう描かれるのかな。

信之が手がしびれると言っていたのは本当で、中風に罹っていたと言われます。しかし、当時としては長命し、病身でありながら93歳まで生きました。

ドラマで面白かったのは、半蔵が奥の手と言って押し通って逃げた事で、あれは神君伊賀越えの時のパロディですね。こうした遊びが三谷脚本の真骨頂かな。

次回は大阪城に集まった浪人たちの間での力関係が描かれる様です。幸村の腕の見せ所ですが、どう描かれるのか楽しみに待ちたいと思います。


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