真田丸 第50回「最終回」
とある尼寺。正信と相部屋になった信之。
大坂城、真田勢の部屋。決戦を前に酒で盛り上がる真田十勇士。そこに現れた幸村。命を惜しめ、そして必ず勝てと幸村。
厨。与佐衛門を問い詰める幸村。娘と妻が太閤に手込めにされ、命を絶った、以来、秀吉と大坂城が消え去るのをこの目で見るまでここに居ると与佐衛門。生かしておけぬと刀を抜く幸村。役目は終わったと串で腹を突く与左衛門。
秀頼の御前。本日は総掛かりで行くと幸村。真田勢と毛利勢が天王寺に陣取り敵を引きつけると勝永。その間に明石隊が敵の背後に回り込むと全登。岡山口は治房に任せると幸村。そして、満を持して秀頼公自ら御出陣頂くと幸村。
千成瓢箪が掲げられたのを合図に全軍一斉に襲いかかりますと治長。必ずや家康の首を取ってご覧にいれますと幸村。
淀の方の部屋。この頃、城と共に滅びる夢をよく見る、死ぬ時は誇り高くありたいものと淀の方。世の中に誇り高き死など無い、誇り高く生きて欲しいと幸村。死など怖くないと淀の方。燃えさかる城の中で喉を突き、血まみれになったご自身の姿を考えた事がありますか、秀頼公の首が三条河原に晒される様を思い描いた事がありますかと幸村。悩乱する淀の方。
抱き止める幸村。私の親しい人は皆死んでいくと淀の方。長い間悪い夢を見てきた、それも間もなく終わると幸村。
お上様にお願いしたき事がと幸村。出来る事ですかと淀の方。家康の首を取ってくる、それから先は徳川と豊臣がどう折り合いを付けるかという談判になる、また戦になれば次は必ず負けると幸村。左衛門佐が居れば勝てると淀の方。無言の幸村。死ぬつもりなのですねと淀の方。
戦に勝った後ならより良き和議の案を突きつける事が出来る、大坂城を捨てる代わりに四国全土の主として認めさせるのですと幸村。判りましたと淀の方。万に一つ、家康を討ち漏らした時は、千姫様を秀忠の下に和睦の使者として使わして下さいと幸村。うなずく淀の方。望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるのですと幸村。
幸村の部屋。父が今の私を見たら何と言われるかなと幸村。もちろん喜ばれるでしょうと内記。私はこの世に居た証しを何か残せたのかと幸村。人の値打ちは己が決める事では無い、時が決めると内記。戦国の世に義を貫き通し、徳川家康と渡り合った真田幸村の名は、日本一の兵として語り継がれるに相違ないと内記。どんな終わりを迎えてもかと幸村。大事なのは如何に生きたかですからと内記。
早蝉の声。私もせわしなく鳴いてくるかと幸村。
5月7日、茶臼山から岡山にかけて布陣した大坂方。別働隊として船場口に待機した全登隊。忠直、忠朝を主軸に数段の陣を構えた徳川方。
茶臼山の様子を見てきますと治長。戦場で会おうと秀頼。
淀の方の部屋。きりと天正カルタをしている淀の方。この戦は勝ちますと淀の方。落ち着いておられるのでほっとしました、左衛門佐様がそうおっしゃってましたからときり。二人はどんな関係と淀の方。どう言いますか、腐れ縁?ときり。
家康の陣。なぜ、こちらから攻めぬ、なぜ向こうは攻めてこぬと秀忠。秀頼の出馬を待っているのではと正純。我が陣営には豊臣恩顧の大名が多い、秀頼に出てこられては士気に関わると家康。幸村が寝返るという噂を立て、浪人の召し抱え、四国への国替えなどを盛り込んだ降伏勧告を出しては如何でしょうと正純。考える事が父に似てきたと家康。
茶臼山。秀頼公はと勝永。支度に手間取っているのではと治長。大蔵卿に止められているのではと勝永。それは無いと思いたいと幸村。とりあえずこれだけは先に運んで置いたと馬印を示す治長。今一度城を使いを出そうと治長。
この戦勝てるぞと勝永。私もそう思うと幸村。敵は30万、しかし、ほとんどの兵はまことの戦を知らぬ、加えて大名同士の繋がりも悪いと見たと勝永。秀頼公が城を出られたら、それを合図に我らで家康の本陣を目指して突っ込むと幸村。毛利勝永の名を日の本に知らしめてやると勝永。
そこに入った開戦の知らせ。もはや後には引けぬと幸村。家康の陣で待っていると勝永。
午前10時過ぎ、忠直隊から勝永隊に打ち込まれた鉄砲。それに応戦する勝永隊。忠朝隊を迎え撃つ勝永隊。
今すぐ打って出ると秀頼。なりませぬ、大御所様への返事はどうなされるのですと大蔵卿局。こんなものに何の意味があるのか、左衛門佐と約束をしたと秀頼。その左衛門左が徳川と内通しているという噂がありますと大蔵卿局。ありえぬと秀頼。左衛門佐の兄は徳川の大名、裏で通じていてもおかしくはございませんと大蔵卿局。ここまで我らを導いてくれたのは誰じゃと秀頼。罠かもしれませぬ、お城を出られてはなりませぬと大蔵卿局。その噂の真偽すぐに確かめよと秀頼。
忠朝隊を打ち破り、家康の本陣に向かった勝永隊。その手前に布陣していた信吉の陣。我らで食い止めようと信政。ここで戦えば必ず源次郎様の隊も加勢に現れると茂誠。無理押しはならぬと信吉。一人駆け出す信政。
信吉隊を撃破した勝永隊。続いて小笠原、榊原、諏訪、酒井を突き崩した勝永隊。
茶臼山。これより我らも打って出ますと幸村。秀頼公は何をしておられるのかと治長。大助に、城に戻って秀頼公にご出馬を促せと命ずる幸村。父の側に居たいと大助。この戦は、秀頼公の出馬があるか否かが勝敗の分かれ目だと幸村。父と戦いたいと大助。そなたは若輩の上、足に傷を負っている、側に居られては足手まといなのだと幸村。
大助の顔を両手で包み、頼んだぞと幸村。
私が寝返るという噂が流れている様です、疑いを晴らすにはこれしかないと幸村。
大坂城。秀頼の御前。徳川の間者と会っているところを見てしまい、それで口封じに真田に刺されたと与左衛門。
戦場を行く幸村の軍勢。
討ち死に36、手負いの者数知れずという損害を出した信吉の軍。戦場では一人の勝手な振る舞いで多くの兵を失う事になると茂誠。腹を切れば良いのかと開き直る信政。信政は大御所様を守るために敵勢に向かっていったのですとかばう信吉。
信政の前に現れた幸村の軍勢。一人立ち向かう信政。それにつられて打ちかかる信吉の軍勢。幸村に突きかかった三十郎。軽くあしらい小物に構うなと先を急ぐ幸村。泣き叫ぶ三十郎。
大混乱に陥った徳川勢。本陣めがけて突き進む幸村勢。
一旦軍勢を止め、目指すは家康の首ただ一つと叫び、再び突撃を開始した幸村。
家康本陣。幸村が迫っている事を知り、大混乱に陥った家康たち。
家康の旗本衆と戦い、本陣に突入した幸村勢。家康の馬印を倒した作兵衛。それは三方ヶ原の戦い以来の事でした。家康~!と叫ぶ幸村。
野道を転ぶように逃げる家康。
大坂方に圧倒的に有利な戦況。岡山口で秀忠軍に襲いかかった治房隊。
逃げ続けて息も絶え絶えの家康。ついに切腹すると言い出します。それを必死で止め、担ぎ上げて運んでいく旗本たち。
豊臣軍の圧勝寸前の戦況。それを変えてしまった治長の大坂城への帰還。その時、千成瓢箪を持ち帰ってしまったのでした。それを見て、動揺した豊臣方の兵士達。
大坂城に火を放った与左衛門。その煙を見て、戦機と見た家康。
陣を立て直した徳川勢。
幸村勢に襲いかかった直孝隊と高虎隊。風向きが変わったと生気を取り戻した秀忠隊。
苦戦する幸村勢。秀頼公はまだかと叫ぶ幸村。
秀頼の御前。皆秀頼公のご出馬を待っていますと大助。与左衛門は左衛門佐に斬られたと申していると大蔵卿局。あの男こそ徳川家に通じていたと佐助。そこに厨から火の手が上がったという知らせ。
秀頼公の前に帰って来て、今こそご出馬の時と治長。あい判ったと秀頼。そこに、馬印が戻った事で負け戦になったと勘違いした雑兵どもが逃げ出しているとの知らせ。さらに真田勢が退き、毛利勢も苦戦の様子との知らせ。どうやら流れが変わった様ですと治長。
徳川の猛反撃に遭った幸村勢と勝永勢。撤退を余儀なくされた全登勢。
奮戦を続ける真田勢。全身に弾を浴びながら幸村のための道を開く作兵衛。
これより打って出ると秀頼。それを引き留めた淀の方。武士らしく死にたいと言う秀頼に、勝てとは言っていない、生きよと言っていると淀の方。まだ策はある、望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるのですと淀の方。
千姫を連れて大坂城を抜け出すきり。
大阪城内に攻め入ってきた徳川勢。一人立ち向かう内記。そこにやって来た大助。大助を秀頼の側にやる内記。
多勢に無勢で倒され、最後に昌幸の位牌を抱いて事切れた内記。
作兵衛の畑。そこに戻ってきた作兵衛。大勢の敵を倒し、すえ、梅とつぶやき、大の字になって倒れた作兵衛。
秀忠の陣に向かうきりの一行。その彼方に、一騎で駆け抜ける幸村。
一人家康の本陣の前に駆けつけた幸村。本陣の正面に座っている家康。十文字槍を地面に突き立て、馬上筒を乗せて照準を定めた幸村。しかし、弾はわずかに逸れて背後の旗竿をへし折っただけでした。
すぐに馬を進めて二丁目の馬上筒を出して、今度は左手を支えに照準を定める幸村。家康の前に集まる旗本達。手を出すなと叫び、前に進み出る家康。
殺したいなら殺せば良い、しかし、わしを殺したところで何も変わらん、徳川の世は既に盤石、豊臣の天下には戻らない、戦で雌雄を決する世は終わった、お主のような戦でしか己の生きた証しを示せぬ様な手合いは、生きていくところはどこにもないと家康。
その様な事は百も承知、されど私はお前を討ち果たさねばならぬのだ、わが父のため、わが友のため、先に死んでいった愛する者のためにと幸村。
幸村が弾を込め直した時銃声が響き渡ります。しかし、それは駆けつけた秀忠軍から撃たれたものでした。馬上筒を取り落とした幸村。襲いかかる秀忠軍。佐助の力を借りて奮戦する幸村。
その様子を見ている正宗、景勝、兼続。見事な戦いぶりだと正宗。武士とはあの様に生きたいものだと景勝。
高台寺。且元に茶を点てている寧。大坂城が燃えたと聞き、全ては夢の又また夢と寧。
とある神社。疲労困憊している幸村と佐助。そこに現れた徳川勢。殊勝に頭を下げ、油断をさせたところを刺し殺した幸村と佐助。
ここまでの様だなと刀を佐助に渡し、脇差しを抜く幸村。
長い間良く仕えてくれた、幾つになったと幸村。五十五ですと佐助。疲れたろうと幸村。全身が痛うございますと佐助。だろうなと幸村。かつて梅がくれた六文銭を握りしめる幸村。
大坂城。とある櫓の中に潜んでいる秀頼、淀の方、大蔵卿局、治長、大助たち。燃えさかる天守。
家康の本陣。無事に届けられた千姫。淀の方の下に戻るきり。
戦場を駆けている勝永。
落ち着きを取り戻した信吉の陣。
梅を送り出す春。
十蔵と幸せそうに暮らす末。
全てを思い浮かべて微笑む幸村。
玉縄。領民に慕われている様子の正信。そこに届いた大坂からの知らせ。信之に気を使い、一人で聞く正信。その時鳴った信之の持つ六文銭。
七年後、松代藩十万石の主となった信之。
真田丸もとうとう最終回を迎えました。最後は大坂夏の陣の後半、豊臣家の滅亡までが描かれました。とは言っても、秀頼が死ぬところまでは描かれなかったですけどね。
夏の陣の経過は大まかにはドラマに描かれたとおりです。勝永の活躍により崩れに崩された徳川軍の間隙を縫って真田軍が突撃し、家康の旗印を倒したばかりか、家康を二度(ドラマでは一度でしたが)に渡って切腹を覚悟させたのでした。
寡勢の大坂方が勝利目前にまで迫ったというのも事実で、それが逆転したのが馬印と共に大野治長が城に戻った事、城に火が放たれた事に起因するというのもドラマに描かれたとおりです。また、幸村は兄と叔父が徳川方に居たために常に嫌疑を掛けられており、それを晴らすために大助を秀頼の側に派遣したというのもドラマにあったとおりです。
違うのは幸村が活躍しすぎている事で、一人で家康と対峙したという史実はありません。無論、馬上筒も創作で、真田隊が本陣を突き崩したのは確かですが、幸村自身がどのように活躍したかまでは伝わっていません。
ドラマとしては、まさか最後になって真田十勇士を出してくるとは思わなかったな。それにしては活躍の場がなく寂しかったです。佐助は最後まで活躍してましたけどね。
描かれなかった豊臣家の最後は、みじめなものでした。最後の頼みの綱とした千姫の願いも叶わず、秀頼たちが隠れた土蔵に向かって鉄砲が撃ち込まれ、全ての望みが消えたと悟った秀頼たちは自害して果てたのでした。この時、大助もまた秀頼に殉じて果てたとされ、その最期は見事なものだったと伝えられます。
幸村の最後については、ドラマの様に自害したのではなく、安居天神の近くで西尾仁左衛門に討ち取られたと言われます。この時、徒歩だっとも、馬に乗っていたとも言われ、馬は戦利品して持ち去られたとも言われます。
幸村の武勇はこの合戦の当時から鳴り渡っており、彼の首から髪の毛を抜いていく者が後を絶たなかったと言われます。
彼を日本一の兵と称えたのは島津家で、薩摩旧記録雑記後編という資料に記されています。また、細川家記には、さなた、後藤又兵衛、手柄古今無之次第候とあり、さらに言緒卿記には天王寺にて度々さサナタ武ヘンと記されています。いずれも当時に記されたもので、幸村の活躍が如何に目を惹くものであったかが判るというものですね。
ただ、勝永の活躍が無ければ豊臣方の苦戦は免れなかったところで、幸村も活躍出来たかどうかは判らず、彼はもっと評価されてもしかるべきかとは思います。
戦後の処理については、かなり厳しいものがあった様です。例えば、作兵衛については、彼の家族は全員が処刑されています。これは作兵衛が信之の家臣であったにも関わらず、幸村に加勢したという事があったせいではないかと言われます。おそらくは同じ運命を辿った元家臣たちは大勢居た事でしょう。
その一方で生き延びた者も少なからず居て、伊達家には梅の他にも御田、おかね、大八など幸村の子息が引き取られています。
ドラマで印象的だったのは、望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるという台詞ですね。これはかつてとりが言っていた言葉で、長い伏線がここで回収されたのでした。残念ながら現実とはならなかったけれど、矢尽き刀折れた姿の幸村は、まさにこの言葉どおりに生きたと言えるのでしょうか。
さて、一年間の長きに渡っておつきあい下さりありがとうございました。長文にも関わらず大勢の人に読んで頂き、感謝していますの一言です。今はだ、長い物語の終わりの余韻に浸っていたいですね。そしてまた、こんなに面白いドラマを書いて下さった三谷幸喜氏に感謝の意を捧げたいと思います。
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