義経・平清盛

2012.05.20

平清盛 第20回 「前夜の決断」

(保元元年7月2日、鳥羽院崩御。)

(今宵こそ 思い知らるれ 浅からぬ 君に契りの ある身なりけり)

(そう詠って、鳥羽院との縁を語る西行。その西行に戦になるとつぶやく清盛。)

(崇徳上皇に接近する頼長。彼は自らの財を頼りに、上皇の権威によって天下の権を奪い返そうと誘いかけます。)

(御所。先手を打って、頼長と崇徳院に謀反の動きありと宣言する信西。彼は全国の武士に向かって、後白河帝の守護に馳せ参じる様に命じます。これは鳥羽法皇の遺志であり、美福門院の命であると訴える信西。)

(清盛の館。天皇方に付くか上皇方に付くかで意見の分かれる郎党たち。裁断を求められた清盛はどちらにも付かないと言います。その理由を、戦の後の恩賞をつり上げるためと説明する清盛。釣りあげると言っても、どちらが勝つか見極めが肝要と郎党達。ただ勝つだけでは駄目だ、勝った後に公卿に昇らなければ政に参画出来ない、世を変える事が出来ないのだと清盛。)

(忠正の様子がおかしいといぶかる家貞。忠盛が生きていれば、同じ事をしたのではないかと思ったのだと忠正。)

(7月8日。京に入った為朝。都大路でその様子を見ていた鬼若。)

(館で弓の稽古をする清盛。)

(鳥羽田中殿。平氏がまだ態度をはっきりさせないと教長。荘園を分け与えると言っているのにと頼長。)

(高松殿。平氏が態度をはっきりさせないのは、上皇が餌で釣っているからではと成親。平氏になど媚びなければならないとはと信頼。今様を口ずさむ後白河帝。)

(鳥羽院御所。義朝に、親兄弟と別れても自分たちに付くのかと確かめる得子。例え親兄弟と争う事になってもと、故法皇と帝に忠誠を誓う義朝。)

(田中殿。頼長に、義朝の不参加を詫びる為義。きっと勝てと言って立ち去る頼長。このまま親子が戦うのかと為義に詰め寄る通清。説き伏せられると思っているのかと為義。正清に好きにせよと為義。ここに居ると正清。)

(清盛の館。義朝が親兄弟と別れて帝に付いたと聞き、自分たちは断じてそうはしないと清盛。清盛を訪ねてきた信西。)

(双方の恩賞はつり上がったかと聞く信西。さすが信西、此度は領地か官位かと清盛。さにあらずと清盛を誘う信西。)

(高松殿。後白河帝に拝謁する清盛。人払いをして、清盛と二人になる帝。)

(清盛に、どれだけ恩賞を釣り上げようとも忠盛の遺志など叶わない、武士はあくまで番犬で終わるのだと言い、賽でも振ってさっさと決めよと言い放つ帝。投げつけられた賽を握りしめ、平氏は必ず勝ってみせる、この戦にも、あなたとの勝負にもと清盛。笑みを浮かべて立ち去る帝。陰からその様子をじっと見ている信西。)

(7月9日。為義の館に入った為朝。喜ぶ為義。そこに現れ、あれだけ見下されていながらまだ頼長の為に戦うのかとからかう鬼若。つまみだそうとする郎党達。笑いながら立ち去る鬼若。)

(清盛の館。清盛の下に馳せ参じた伊藤忠直。これで勝利は疑いなしと笑う忠清。しかし、意気消沈している郎党達。為朝が上皇方に付いたという情報が入っていたのでした。それでも決断は変えないのかと頼盛。平氏は帝方に付くと清盛。)

(何故かと忠清。帝はお見通しだったと清盛。それはまずいのではと頼盛。それは帝が自分を煽って、昇ってこいと言われたのだと悟ったと清盛。そんな了見で戦わされたのではたまったものではないと頼盛。あの方だけが武士の力を良く判っているのだと清盛。)

(戦は戦う事に一心に撃ち込まなければ生き残れないものだと忠清。もっともな事だと清盛。)

(此度の戦いは、上皇と帝の名代として武士同士が戦う、これに打ち込めるのかと皆に問う清盛。答えられない郎党達。自分は武士の世がそこまで来ているという確かな手応えを得たい、そのために平氏は帝と共に戦うと清盛。生きるも死ぬも諸共、それが平氏の強さとは忠盛の言葉と一同に釘を刺す盛国。)

(常磐の館。赤子を抱く常磐に、洛外に用意した別宅に移れと命ずる義朝。)

(洛外の別宅。由良御前に常磐を引き合わせ、ここに置いてやってくれと頼む義朝。常磐に向かって、殿がお世話になっていると微笑みかける由良。黙って頭を下げる常磐。子供心にも酷だと思う鬼武者。)

(家族を洛外の館に案内して来た清盛。そこに待っていたのは家成の娘、経子でした。源氏物語まで持ってきたのかと驚く重盛。この様な時こそ、恋する心が必要なのだと時子。微笑む経子。俯く重盛。)

(池殿。自分の郎党達に、平氏の血を引かぬ清盛に命運を預ける事は出来ない、今宵の内に兵を集めよと命じ、上皇に味方すると宣言する頼盛。そこに現れ、棟梁に逆らう事はなりませぬと諌める池禅尼。自分は家盛の様にはなりたくない、立派な志のために命を落としたくはない、父と母のただ一人の子となったこの身を失いたくないのだと頼盛。)

(7月10日、保元の乱当日。高松殿に本陣を置いた帝方。白河北殿に本陣を置いた上皇方。)

(経子の館。二人の息子に、存分に戦ってこい、しかし命は粗末にするなと言い聞かせる時子。そして、清盛に向かって、お腹の子に勝って顔を見せてやって欲しいと言います。ややがと驚く清盛。今朝気付いたのだと時子。きっと戦上手な子になるだろうと清盛。女子だったらどうすると時子。笑いながら盛国に後事を託して出立する清盛。)

(由良の別宅。鎧を付けている義朝。身内と戦う事で良いのかと義朝を見つめる常磐。友切の太刀を差し出し、志を遂げる為に存分に働き下さいと由良。太刀を受け取り、出立する義朝。見送る由良と常磐。)

(白河北殿。郎党にかかれと命ずる為義。応ずる一同。一人動かない正清。それを見て、通清にここで待てと命ずる為義。正清に義朝の事を悪し様に言う通清。義朝の悪口を言う者は父とて許さないと正清。厄介な殿を見捨てられないのは自分譲りだなと言って立ち去る通清。)

(高松殿。友切の太刀を見る義朝。そこに現れ、ひれ伏す正清。遅いではないか、主に恥をかかせるなと言って正清を立たせる義朝。一同に支度を命ずる義朝。微笑んで義朝に従う正清。)

(清盛の館。これより高松殿に向かうと出陣を命ずる清盛。応ずる一同。)

(廊下を行く頼盛を見る池禅尼。目を反らす頼盛。その様子を見ていた忠正。)

(池殿で鎧を着けている頼盛。そこに現れた忠正。上皇方に付く事はならぬ、勝ち目はないと釘を刺す忠正。自分たちが参じれば分が良くなるはずと頼盛。たとえ勝ったとしても一門を裏切り、棟梁を裏切ったと誹りを受けると忠正。そんな事になれば義姉が悲しむ、亡き忠盛にも顔向けが出来ないと忠正。清盛が平氏に災いすると危ぶんできた叔父に止められるとは思わなかった、平氏が根絶やしになったら何とすると頼盛。微笑む忠正。)

(清盛の館。現れた頼盛を見て、忠正は一緒ではないのかと問う家貞。跪いて、叔父は来ないと言う頼盛。)

(白河北殿。上皇に向かって、此度の戦、味方すると誓う忠正。)

(清盛の館。忠正を連れ戻すと出て行こうとする清盛。忠正は平氏を根絶やしにしないために戦うつもりだと引き止める家貞。生きるも死ぬも諸共、それが平氏の絆、その絆を断って何とすると清盛。きっとそう言うだろうと、叔父から言づてを預かったと頼盛。)

(自分とお前の間には、はなっから絆などない。それが忠正の言づてでした。頼盛をにらみ据え、肩で息をする清盛。辛そうな頼盛。座り込み、地面に手を突いて、叔父上とつぶやく清盛。)

(邸の中で、忠正殿、かたじけないと手を合わせる池禅尼。)

(白河北殿。清盛に向かって、お前との間にはなかっら絆などないと、心の中でつぶやく忠正。)

(清盛の館。涙を堪えていた清盛は、やがて立ち上がります。)

(いよいよ戦だと意気上がる兔丸とその郎党達。)

(高松殿。馬上で友切の太刀に触れる義朝。)

(帝に、清盛が300騎を率いて参陣したと伝える伝奏。微笑む帝。)

(馬上、腕を組んで義朝の前に現れた清盛。それを見て馬を巡らす義朝。)

今回は保元の乱前夜が描かれました。平家の帰趨を巡ってのやりとりなど、緊迫感があって面白い回だったと思います。

敵味方に分かれた天皇家と摂関家、源氏と平氏でしたが、その構図を明確に描き出したのは信西でした。彼は、守仁が即位するまでの中継ぎという弱い立場の後白河帝の権威を守るため、その地位を危うくする反対勢力を一掃しようと画策したのですね。

鳥羽法皇の死後、頼長と崇徳上皇は不利な立場にはあったものの、兵力で劣る事は明かであり、挙兵しようとまでは考えていませんでした。それ以上に、時が経てば悪評の高い後白河天皇から時勢が離れ、やがては自分たちの世が来るかもしれないと期待すらしていた様です。

ところが、そうは行かなくなってしまったのですね。まず、頼長が父と共に諸国の荘園から軍兵を集めていると噂が流れ、朝廷はこれを禁ずる命を全国に下します。それと同時に、彼の住まいである三条殿が没収され、氏の長者である事が否定されました。そして、彼が命じて呪詛していたという僧侶が掴まり、これが謀反の決定的な証拠とされます。全ては信西と忠通の仕組んだ罠だった訳ですが、事ここに至って頼長は挙兵せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。崇徳上皇はこの頼長に巻き込まれただけであり、全く不本意な挙兵だったと思われます。

乱の勃発に際しては、朝廷側が官として全国に動員令を出したのに対し、上皇方は摂関家の私兵のみが頼りでした。最初から帝側の有利は明かであり、上皇方は劣勢に置かれていました。その中で平氏の帰趨が不明確だったのはドラマにあったとおりですが、その理由は清盛が恩賞を両天秤に掛けたからではなく、忠盛夫婦が重仁親王の乳父、乳母であった事によるものです。鳥羽法皇はその事を警戒しており、法皇が生前に指名してあったという御所を守る武士の名簿の中に清盛の名はありませんでした。

その清盛が帝側に馳せ参じたのは、美福門院の誘いに応じたものと言われます。女院は平氏の武力を得る為に、法皇の遺命であるとして清盛に参陣を命じたのですね。清盛も帝側が有利である事は十分に承知しており、これを奇貨として参陣に応じたのでした。

その中で、頼盛が帰趨を迷ったのはドラマにもあったとおりですが、池禅尼の説得により清盛に従って帝側に付く事で兄弟の対立は避けられました。禅尼は前述の様に重仁の乳母だったのですが、帝の命という筋目を重んじて頼盛を帝方に付けたと言われます。では忠正はと言うと、最初から頼長方の人間でした。決してドラマの様に、頼盛の身代わりとして上皇方に参陣したのではありません。

彼は、若い頃は忠盛と共に鳥羽法皇に仕えていたのですが、ある時に法皇から勘当されてしまったようです。それ以後は摂関家に仕える事で立身し、殿上人にまでなっていました。鳥羽法皇に忠誠を誓う忠盛や清盛とは、早くから対立関係にあったのですね。乱の勃発に際しても、頼長から離れるには、余りにも深い関係となっていたのです。

一方の源氏は、摂関家の私兵となっていた為義と、鳥羽法皇に接近していた義朝が対立していたのはドラマにあったとおりで、乱に際しては親子兄弟で争う事になります。そんな中で、為義が最も期待した戦力が為朝であったのもドラマにあったとおりで、彼は期待に違わぬ奮戦をしてみせる事になります。

ドラマに戻って、清盛が恩賞の釣り上げを狙って帰趨を明らかにしなかったという設定でしたが、これまで筋目にこだわってきた事に比べてあまりに打算的で、ちょっと納得し難いものがありました。私はまた両派の宥和を計るために、詰まらぬ時間稼ぎをしているのかと思いましたよ。

その目論見を破ったのが後白河帝だった訳ですが、文字通り清盛がどちらに転ぶか賽を振ってみたというところだったのでしょう。そして、出た目は後白河帝の望んだとおりのものでした。あれだけ悪し様に罵倒したならば、逆の目が出てもおかしくないところですが、そうはならなかったところが二人の呼吸というところでしょうか。

頼盛は、史実に添って清盛との立場に一線を画しながらも、母の言葉に従うという道を取りましたが、忠正は一門のために身を犠牲にすると描かれました。史実において唯一人、一門の中で清盛に対立した人物を、ドラマでは悲劇の人として救ってやったのですね。ドラマでは頼盛、忠正、そして清盛の苦悩振りを、丁寧に描いていたと思います。

そして、清盛以上に苦悩していたのが義朝で、親子で争わなければならないという悲劇を耐えている様が、見ていて良く伝わってきました。為義もまた、彼の持つ優しさが描かれていましたね。

一点違和感を感じたのが清盛が武士の世をもたらすと言っていた事で、史実と比べるとまだ少し早過ぎます。確かに、武力としては武士の力が大きかったのは確かですが、乱の主役は王家であり、摂関家でした。そして陰の主役は信西であり、清盛たちは朝廷の命によって戦ったに過ぎません。清盛自身も、自らが政治の中枢に躍り出るとは、まだ考えていなかったでしょうね。せいぜい平家の家格を上昇さようと言う程度だったのではないかと思われます。

次回は保元の乱ですね。ここまでこのドラマは、この乱の回のために多数の伏線を張り巡らせて来た様なものですから、その集大成としてどのように描かれるのか、楽しみに待ちたいと思っているところです。

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2012.05.13

平清盛 第19回 「鳥羽院の遺言」

(後白河帝誕生に混乱する朝廷。権力者となった信西の廻りに集まってきた公家達。)

(信西に会い、いったいどういう事かと問い質す清盛。上皇の世が来ては自分が困ると信西。雅仁は、王家に渦巻く積年の鬱屈から流れ出た膿、すべてを抱え込んだ毒の巣と言ったのは信西ではなかったのかと清盛。そんな人物であるからこそ、自分が乳父として思う様に政治が出来るのだと信西。再び父に裏切られた上皇はどうなると清盛。微笑んでうなずく信西。立ち上がって御簾を引き千切る清盛。)

(崇徳上皇の御殿。法皇を生涯許さないとつぶやく上皇。)

(院の御所。上皇よ許せ、我が子よ許せとつぶやきながら写経をする法皇。)

(政の場から遠ざけられている頼長。あのうつけが帝とはけしからぬと啼くオウム。それは頼長が何度となくつぶやいた言葉でした。夕べ内覧の宣旨が下る夢を見た、きっと正夢だろうとオウムに向かって言う頼長。)

(美福門院の前で近衛帝が呪詛されたと口寄せをした巫女。その口寄せに従って愛宕山を調べたところ、目に釘を打たれた天公像が見つかれました。どこからともなく立つ、頼長の仕業という噂。)

(法皇に申し開きをすべく御所を訪れようとする頼長。その前に立ち塞がり、法皇にも美福門院にも会う意思は無いと冷たく言い放つ忠通。どうしても申し開きををと言う頼長に、誰もそなたに肩入れする者は居ない、会っても無駄だと笑って立ち去ると忠通。さては、風聞を立てたのは兄の仕業かと頼長。そのやりとりを側で聞いていた忠実。父上とすがる頼長。今度の風聞は、そなた自らが立てたのだと忠実。何を言うと頼長。綱紀粛正の名の元に公家の恨みを買い、過激な取り締まりにより寺社をも敵に回したと忠実。それは摂関家に実権を取れ戻す為だったと頼長。お前はやり過ぎたと言い捨てて立ち去る忠実。けしからぬと啼き続けるオウム。)

(東国。義朝の命を受け、義賢の館を襲った義平。友切の太刀を譲れと言う義平。これは父から授かったものと拒む義賢。義賢を矢で射殺した義平。義朝の手にもたらされた友切。)

(義朝の館。満足げに友切の太刀を抜く義朝。祝いを言う郎党たち。そこに駆け込んできた為義。義賢を殺して友切を奪ったのは本当だったのかと義朝に掴みかかる為義。為義を突き飛ばす義朝。友切を奪い返そうとする為義。これは源氏で最も強い武士が持つべき太刀、父に返す気は無いと義朝。)

(父の思いを踏みにじり、自分の弟を殺させるなど正気なのかと叫ぶ通清。もう良いと力なくつぶやき、肩を落として出て行く為義。後を追う通清。まことにこれでと言いかける正清。出かける、支度をせよと叫んで立ち去る義朝。その様子を陰から見ていた鬼武者。)

(じっと庭を見ている鬼武者。何をしている、弓の修練の時間だと由良御前。修練などしてどうなる、欲の為に身内を殺す者になるばかりだと鬼武者。鬼武者を叩き、父には志があっての事、子の分際で軽々しく咎め立てなどするなと叱る由良。)

(常磐御前の館。じっと考え込んでいる義朝。気遣う常磐。何もないと義朝。友切を示し、これを手に入れて少し気が高ぶっているのだと義朝。今若や乙若も、いずれ太刀を振るう様になるのだろうかと常磐。今若は3つ、乙若は生まれたばかりだと義朝。)

(清盛の館。一同が集まっているのを見て、訝る清盛。その中に居る見知らぬ女性。そこに時忠が現れ、滋子という自分たちの妹だと紹介します。清盛に目通りさせたいと言う時忠に、自分には時子が居ると清盛。誰が側女にと言ったかと声をとがらせる時子。では誰の側女に、自分のかと詮索する郎党達。)

(そうではなく、新しい帝の世となったのを機に、やんごとなき方の妻となる手だてはないのかと聞く時忠。やんごとなき方?と清盛。これだけの美貌ゆえ、いずれ帝の耳に入って妃にという話になるかも知れないと時忠。帝の寵愛を受けるとは、朧月夜の君の様だと時子。)

(やんごとなきお方の寵愛を受ける為に入内するなどまっぴらだと滋子。たとえ、盗人でも乞食でも、好きな人の妻となると滋子。じっと滋子を見る清盛。何を言い出すのだと時忠。時忠にあかんべえをして、立ち去る滋子。感嘆する郎党達。)

(池殿。面白い女子が一門に加わったものだと池禅尼。感服した、今の世に足りないものは滋子の様な強い志だろうと清盛。自分は新しい帝に気に入られるよりも、上皇の心に添いたいと清盛。上皇の心にと禅尼。自分は実の親子でないからこそ、いつか解り合える日が来ると知っている、法皇と上皇にもいつかその喜びを知って貰いたいのだと言って立ち去る清盛。)

(今の言葉を聞いたら、亡き殿もさぞかし喜ぶだろうと須磨。さて、どうであろう、苦笑いしているかもしれないと禅尼。)

(10月、内裏仁寿殿。正式に即位した後白河帝の祝宴が開かれています。帝の側に居るのは、お気に入りの成親と信頼の二人。公卿でもない者を物好きなと噂する殿上人。それを聞き、面白くないとつぶやく信頼。)

(そこにもたらされた、崇徳上皇からの祝いの歌。よほど恨みの籠もった歌なのではと噂する殿上人たち。)

(あさぼらけ 長き夜を越え にほひたて くもゐに見ゆる 敷島の君)

(新しい帝の姿を見事に読んでいる、さすがは上皇と褒めそやす殿上人たち。立ち上がって、歌が書かれた紙を見て、あなにくしとつぶやく後白河帝。それぞれの句の初めの文字をつなげると「あなにくし」、実に難いとの言葉が織り込まれていると信西。おのれ上皇と膳を投げる後白河帝。狼狽する法皇。)

(膳を投げ続ける帝。上皇の歌を拾い上げ、ならぬ、此度の即位は取りやめだと叫ぶ法皇。今すぐ譲位せよ、自分が浅はかだったと帝に迫る法皇。帝は重仁だと叫ぶ法皇。法皇を睨み付け、法皇よ、ここは私の世だと重々しく宣言する帝。その姿に、白河帝の姿を重ねる法皇。突然倒れてうずくまる法皇。駆け寄る美福門院。冷たく見据える帝の近臣たち。)

(鳥羽法皇の見舞いに参上した清盛。その前で是は我が子なりと写経を続ける法皇。起きていて大事ないのかと気遣う清盛。上皇は自分や帝を殺したい程憎んでいる、一朝事があれば武士が力を合わせて御所を守るが良いと言って清盛の手を取る法皇。我らの武力は、父と子の争いをさらに荒立てるためにあるのではないと断る清盛。驚く法皇。それよりも、法皇の心を上皇に伝えよと清盛。泣き崩れる法皇。)

(上皇の御所。法華七喩の長者窮子の写経を献上した清盛。それは何十年も別れ別れであった父子が再会して和解し、説是我子、これは我が子であると父が子に対して心より言葉を掛けるという話でした。法皇は帝が即位した日から悔い、心より詫びて許しを乞い、いまこそ本当の親子になろうと毎日この写経をしているのだと伝える清盛。しかし、その写経を破いてしまう上皇。 )

(保元元年。悪化した法皇の病と共に、崇徳院挙兵の噂が広まります。自分が死んだ後に何が起こっても、それは上皇にして来た事に対する報いだと法皇。自分を責めてはいけないと美福門院。そこに現れた信西。今は悔いている時ではない、治天の君としてなすべき事をせよと信西。)

(信西の発案により、戦が起こった時には鳥羽院に忠誠を誓うという文を書けという命を下した鳥羽院。)

(上皇と鳥羽院の仲を案じ、平氏は書かないと言い張る清盛。忠正にいざと言う時には亡き忠盛の志を守って欲しいと頼む池禅尼。)

(御所で誓書に署名した義朝。その表で通清に、この先左大臣がどのような立場になるかも知れないというのに署名したのかと聞かれ、下野守として当然の事をしたまでと答える義朝。義朝は強くなった、しかしその強さは為義を守る為のものではないのかと問い質す通清。為義と同じ道を歩く事はないと言い切る義朝。これまでと立ち去る通清。今の義朝について行けないと立ち去る正清。)

(清盛の館。息子達を前に剣を振るう清盛。そこに訪ねてきた義朝。息子達を紹介する清盛。御所に誓いの文を書きに寄った帰りだと義朝。自分は上皇を追い詰め、この世を乱す元となる文など書けないと清盛。乱れれば良い、武士の働き甲斐があると義朝。自分さえ良ければ良いのかと清盛。それでも武士の棟梁かと刀を突き付ける義朝。)

(その刀を清盛に示し、源氏重代の家督を継ぐ者の証しの友切だと言い、この太刀を手に入れる為に我が子を使って弟を殺したと義朝。義朝を殴り、なんという事をと清盛。源氏を率いるには、この友切が必要だと義朝。だからと言って身内をと義朝に掴みかかる清盛。何が上皇と法皇の仲直りか、揉めさせておけばよい、戦になればもっと良い、それこそが武士にとって無二の機会だと義朝。そんな腐った土台の上に何が築けるのかと清盛。土台はとっくに腐っている、もう元には戻らないと義朝。そんな事はないと清盛。ならば勝手にせよ、お上親子の仲直りにうつつを抜かし、一門を滅ぼすが良いと言って出て行く義朝。)

(崇徳上皇の御殿。縁に座っている上皇。そこに現れた美福門院。かつて自分の父は白河院に頼み、自分を上皇に入内させようとした事があった、それがこの様な事になろうとはと女院。黙って聞いている上皇。法皇を傷付ける人を押しのけ、帝位に就けた我が子はわずか17歳で儚くなった、無理に帝にした事が命を縮めたのかも知れないと女院。)

(法皇はもう長くはない、どうか余生に悔いを残さぬ様にと女院。)

(清盛の館。清盛を訪ねてきた信西。なぜ誓いの文を書かないと信西。返事をしない清盛。法皇は、初めは上皇の重祚すら考えていた、だがそれは世の更なる乱れの元となるかも知れないと散々迷った末に雅仁を帝に据えたのだと信西。しかし、今はそれを悔いていると清盛。つまりはそういう事だ、誰が帝位に就こうと、時はそちらに向かってうねっていると信西。そちらにとはと清盛。すなわち、天下大乱と信西。誓いの文を書くか書かないか、自分の守りたいものは何かをよく考えて決めよと信西。)

(縁で一人、信西の言葉を思い返している清盛。側に座り、義朝がすぐに帰ってしまって残念だった、優しそうな人だとと時子。優しいだとと吐き捨てる清盛。優しげな目で重盛たちを見ていた、きっと大切な奥方や子があるのだろうと時子。じっと考え込んでいる清盛。)

(7月2日。降りしきる雨の中、鳥羽院危篤の噂が飛び交います。周囲が止めるのを振り切り、鳥羽院の側に駆け込む美福門院。女院の声に、うっすらと目を開ける法皇。)

(崇徳上皇の御殿。縁で鳥羽院の写経の切れ端を拾い上げる上皇。そこには我が子と書かれていました。そこに知らされる法皇危篤の知らせ。)

(院の御所。美福門院に、そなたの人生を巻き込んで済まなかったと謝る法皇。諸大夫の娘の自分がこうして面白く生きられるのはあなたのおかげと涙する女院。)

(法皇の見舞いにやって来た崇徳上皇。ところが、警護する武士達の中に居た藤原惟方は、法皇に仇する恐れのある者は通す訳には行かないと門を開けません。自ら輿を出て、我は法皇の子だ、通せと叫ぶ上皇。子が親の死に目に会って、何の障りがあると上皇。そこに現れた清盛。清盛を見て、早く法皇の下に案内せよと命じる上皇。上皇の前に立って剣を抜き、少しばかり遅かった、自分には自分の守るべきものがあると上皇に剣を向ける清盛。聞こえてくる磬の音。それを聞いて父上とつぶやき、引き返す上皇。剣を下ろして俯く清盛。鳴り続ける磬の音。)

(鳥羽院の亡骸を菊の花で埋め尽くす美福門院。)

(雨の中、泣き崩れる上皇。その前に現れた頼長。)

(誓いの文に書かれた清盛の名を見て微笑む信西。武家の棟梁として、苦渋の決断をした清盛。)

今回は鳥羽法皇の死去とそれに伴う乱世への道筋が描かれました。概ね史実に沿った展開でしたが、鳥羽院の心情と清盛の取った行動は大きく違っていた回とも言えます。

ドラマでは近衛帝に対する呪詛は頼長が行ったものとされていましたが、当時の噂としては上皇もまたこれに絡んでいたと言われていた様です。恐らくは忠通あたりが流したものと思われますが、法皇と美福門院はこの噂を信じ、上皇を憎悪する様になったと言われます。史実では、それまでの上皇と法皇の仲はそれほど険悪なものではなく、共に熊野詣に出かけるほどの良好さは保っていました。法皇と上皇の仲が決定的に決裂するのは、近衛帝崩御の後というのが事実に近い様ですね。その意味から言えば、これまでのドラマの展開そのものが創作でああり、史実とは正反対の展開になっていると言えそうですね。

一方、鳥羽法皇が生前に北面の武士を中心に誓文を書かせたというのは史実にあるとおりで、自分の死後に乱が起こると予想していたと言われます。その誓文に清盛が署名したのも史実どおりですが、それを迷っていたという事は伝わっていません。つまりは、この部分は創作という事になりますね。前回にも書いた様に、忠盛夫妻は重仁の乳父と乳母であり、平氏は上皇方とも強い繋がりがありました。ですから、清盛の立場としては難しいものがあったと思われますが、時の権力は鳥羽院側にあり、院に忠誠を誓うのに迷いは無かったものと思われます。

また、鳥羽法皇の死去の際に、見舞いに訪れた崇徳上皇が門前払いに会ったのも史実にあるとおりで、藤原惟方が法皇からその旨を命じられたと伝えられます。ただし、この時清盛が立ち会って上皇に剣を向けたという事実はなく、これも完全な創作ですね。

源氏方で言えば、義朝の子義平が義賢を討ったのは史実にあるとおりですが、その時友切を奪い返したという事は聞かない様です。たぶん、親子の相克をより強調するための演出ではないかと思われますが、その方が確かにドラマチックではありますね。それにしても、義朝に見捨てられた為義は少し可哀想でしたね。

ドラマに戻って、清盛はあくまで前回に立てた方針を守り抜こうとし、上皇と法皇の仲を取りもとうとします。そのために中立を貫こうとしましたが、信西の言葉に時代の流れを感じ取り、平氏一門を守る為に法皇方に就く事を決意します。その決意の表れが上皇に剣を向けるという行動に出た訳ですが、かなり乱暴な演出と言えるでしょうね。いくら何でも、あの段階で上皇に臣下が剣を向けるなど、許されるはずもありませんから。それに、直前までの苦悩を払った経緯が見えにくく、唐突な感じは否めませんでした。

もう一つ、意図が見えなかったのが美福門院で、上皇に余生を誤るなと言ったのは何を意味しているのでしょう。法皇の意思を尊重して仲直りせよという意味だったのかどうか、ちょっとした謎の行動です。あるいは、挙兵をするという噂に対する釘刺しだったのかな。史実としては、上皇とは利害の相反する関係にあり、あの段階で上皇に会いに行くとは考えられないですね。法皇と共に美福門院もまた善人として描こうという脚本家の意図の表れかも知れません。

代わって、全てを引き受けたのが信西で、まるで天下大乱を望んだ張本人の様に描かれました。実際、忠通らと共に上皇と頼長の勢力を消そうと策謀したのは事実であり、保元の乱を演出した張本人ではあります。でも、その責任は生前に種を撒いた鳥羽法皇や美福門院にもあり、彼一人の仕業とするのは少し可哀想ですね。まあ、それほどの辣腕家であったのは確かなのですが。

後白河天皇については、崇徳上皇に対する憎しみを露わにし、類い希な暗主と酷評されたとおりの演出がなされました。鳥羽法皇が即位は取りやめたと叫んだのも無理なからぬところですが、これも少し可哀想な気もします。崇徳上皇との仲は即位が決まる日までは良好なものであり、一緒に暮らす仲睦まじい兄弟でした。即位後は天皇としての公的な立場に拘束され、自らの意思よりも、周囲の政治的な動きに翻弄されたというのが正直なところではないでしょうか。個人的に崇徳上皇をどう思っていたのかは、推し量る術もないというのが実情でしょう。なお、後白河帝の即位の時の悪評は、その後の政局にも大きな影を落としていく事になります。

頼長については、近衛帝崩御と共に内覧の権は無効となり、後白河帝即位の後は認められる事はありませんでした。これはドラマにあった様に、近衛帝呪詛の噂のせいであり、忠通による策謀と言われます。そして、これもドラマにあった様に、頼長自身が撒いた種でもありました。忠実の台詞のとおり、彼はやり過ぎたのですね。失脚した彼は、この後も忠通と信西によってさらに追い込まれる事になって行きます。

次週は保元の乱の前夜が描かれる様ですね。清盛の決断が見所となりそうですが、私的には池禅尼が忠正に掛けた言葉が気になる所です。史実とは少し違うのではないかとも思えるのですが、どう描かれるのか見てみたいと思います。


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2012.05.06

平清盛 第18回 「誕生、後白河帝」

(1154年(久寿元年)。容態が悪化した近衛帝。近衛帝を救わんと僧たちに読経をさせる美福門院。崇徳上皇を騙した因果が巡ってきたのではないかと悩む鳥羽法皇。)

(家成の館。心労から体調を崩した家成を見舞う清盛。清盛の手を取って、この先も法皇をよろしく頼むと家成。承知したと清盛。たくましき野良犬の声を朝廷自らが聞く様になった、感無量だと家成。5月29日、家成死去。)

(崇徳上皇に拝謁し、重仁が帝となった暁には力を貸して欲しいと頼まれる清盛。鳥羽法皇に忠義を尽くしている以上、法皇と仲の悪い人に力を貸す事など出来ないと断る清盛。そちが私に、この醜き世を面白く生きろと言ったのではないのかと上皇。)

(身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ)

(西行の歌を詠い、世捨て人の様な暮らしを強いられて待つ事13年、やっと面白く生きる機会が訪れようとしている、そちが力にならずして何とすると言って清盛の肩を揺する上皇。黙って上皇を見つめ返す清盛。)

(廊下で雅仁親王と会った清盛。一介の武士を頼るとは、上皇も落ちぶれたものだ親王。武士の役目が少しずつ変わってきたのだと清盛。ため息をついて立ち去る親王。)

(清盛の館。今、上皇に近付くのはまずいと忠正。いずれ上皇の世となるは必至と頼盛。そうなれば法皇に与する者を追い落とそうとするかもしれないと盛国。上皇に仕えて歌会に招かれたいと経盛。情けない、鍛えて差し上げると経盛を庭に引き出そうとする忠清。法皇と上皇の両方に良い顔をしておけばよろしいと時忠。忠盛の時とは随分と趣きが違う、これが清盛の率いる平氏なのだなと池禅尼。)

(皆の言い分を聞いて考えが定まった、法皇と上皇に仲良くして頂くと清盛。何を言い出す、二人の間には長年の深い溝があると忠正。その溝を埋めぬ限り、世の乱れは正せぬ、平氏はその溝を埋める為に働くと清盛。)

(鎮西。鳥羽法皇の所領を荒らして回る男。彼は鎮西総追捕使源八郎為朝と名乗り、今よりこの地の主は自分だと宣言し、強弓を放って見せます。)

(為朝の所行により、左衛門大尉の勤めを解かれた為義。彼が頼れるのはいよいよ摂関家のみとなりました。)

(頼長の命により、叡山の悪僧を捕らえた為義。百叩きにせよと命ずる頼長。自分を見忘れたか、祇園社の争いの時に力を貸してやったのはこの自分だ、この場は見逃せと鬼若。二百叩きにせよと冷たく言い放つ頼長。法皇に見放され、残忍極まりない悪左府に従うしかないとは哀れだなと為義をあざ笑う鬼若。鬼若を殴り飛ばし、帝の容態が芳しくない、近い内に頼長の世も夢ではないと為義。悪僧までが馬鹿にしおってと鬼若を打ち据える為義。)

(頼長に会いに来た忠実。聖徳太子に習い、乱を治め、世を正す政を行っていると頼長。少しばかり度か過ぎないかと忠実。不埒な者を処罰するのは、摂関家が要となってよき国作りをするためだと頼長。それはわかる、しかしと言いかける忠実。自分の政が判らない愚人に貸す耳は無い、今度要らぬ口出しをすれば父とて容赦はしないと頼長。)

(出産ならぬまま、内裏に帰った呈子。)

(跡継ぎもなく、帝が儚くなってしまったら如何にもまずいと忠通。重仁が帝となり、その父である上皇の世となるというのがその理由でした。それは困るだろう、上皇は忠通や美福門院を恨んでいるからと信西。なんとかならぬのかと忠通。すぐにも帝が儚くなってしまう様な物言いは、如何にも不謹慎と言って立ち去る信西。)

(信西の館。戻った信西を慌ただしく出迎える朝子。雅仁親王が来ているのでした。)

(雅仁の用事とは、上皇の側は息が詰まる、青墓の宿に行きたいので供として朝子を借りるというものでした。驚く信西。青墓は芸事の盛んな土地なのだと朝子。今がどういう時かよく考えよと信西。自分には関わりのない事と雅仁。)

(御所。目が見えぬと這い回り、もう世を治める事はできないのかと叫ぶ近衛帝。)

(もっと僧を集め、目を治す薬師を捜して来いと美福門院。祈祷のための護摩壇を作らせて来たと義朝。早く運び込めと美福門院。)

(僧侶達と祈祷に励む美福門院。)

(鳥羽法皇に拝謁し、上皇を白河院の呪縛から解き放って欲しいと言上する清盛。それは何とすると法皇。これまでの事を上皇に詫びる事だと清盛。今更、あまりに虫が良すぎるのではないかと法皇。自分もまた忠盛の実の子ではなかった、しかし今は平氏の棟梁となっている、それはそれぞれが抱えるわだかまりと向き合い、嵐を乗り越えてきたからこそと清盛。逡巡する法皇。すれ違った心を引き合わせるのは今しかない、そして法皇自身がそれを望んでいるはずと清盛。じっと考え込む法皇。)

(青墓の宿。芸人達で賑わう町。町中で輿から下ろせと命ずる雅仁。雅仁の周囲に集まり、踊り出す芸人達。機嫌良く笑う雅仁。)

(どこからか聞こえてくる「遊びをせんとや」の今様。その声の主を訪ねていくと、そこには乙前と名を改めた祇園女御が居ました。もう一度歌ってくれと頼む雅仁。なりませぬと立ち去ろうとする乙前。頼むと強引に引き止める雅仁。)

(そなたは何者かと問う雅仁。ただの白拍子ですと乙前。京に来て私の今様の師となってくれと頼む雅仁。そればかりはと断る乙前。暮らしの事は心配せずとも良いと雅仁。都は今、何かと騒がしいと聞いている、老いの身には堪えると乙前。さようかと残念そうな雅仁。)

(「遊びをせんとや」と歌い始める雅仁。この歌の様に軽やかに世を生きている男が居る、法皇や上皇ですらその男を頼っていると言って笑い出す雅仁。それに比べて私はどうだ、声を涸らして歌っても誰も自分を見てくれない、生まれて来なくても何の障りもなかった者だと泣き出す雅仁。声を涸らして歌うのは、身の内に正体の知れぬ力がみなぎっているからでしょうと乙前。いつかきっとそれがあふれ出てくる、それは世を大いに動かすものでしょうと乙前。まことかと雅仁。うなずく乙前。まことかと言って、乙前の膝で眠る雅仁。)

(久寿2年7月23日。近衛帝崩御。)

(御所に参内すると清盛。誰に味方すべきか、武士も公卿も戦々恐々としているはずと盛国。一門には静まっている様に命じよ、これは争いの始まりではなく、法皇と上皇が歩み寄るべき良い機会なのだと清盛。)

(数日前に妻を亡くし、喪に服している頼長。そこにもたらされた帝崩御の知らせ。)

(急ぎ参内した頼長。しかし、服喪中の参内は差し障りありと止められてしまいます。理に叶っていると引き下がる頼長。頼長の参内を止めたのは信西でした。)

(重仁にいよいよだと声を掛ける崇徳上皇。)

(法皇の御前会議。重仁を次の帝にと推す声に、それは危うい、上皇に実権が移れば法皇にどんな仕返しをするか判らないと忠通。彼は仁和寺に入っている守仁を推します。守仁の父は雅仁、父を差し置いて子が即位されるなど前例がないと反対する信西。では姉の暲子で良いのではないかと雅定。やはり重仁でよいのではないかと別の声。話が戻っていると信西。)

(参内してきた清盛。彼は雅仁を見かけ、おくやみを言いに参内してきたと告げます。あれほど母君に望まれ、慈しまれてきた弟が、あんなにも早くはかなくなるとはと雅仁。人は生まれ出ずる事がばくちだと雅仁。雅仁を見上げる清盛。だが、と御簾を引き落とし、生まれてこなければ勝つも負けるもない、それでは面白くないと雅仁。)

(法皇様の考えはと促され、重仁を即位させると言って立ち上がる法皇。いっそ上皇を再び即位させても良いと考えているとも言う法皇。驚く忠通と信西。今こそ上皇に詫びたいのだと法皇。心より詫び、共に政を行って行きたい、それこそ朕の勤めだと法皇。)

(遊びをせんとやと歌い出す雅仁。)

(法皇のお心は身に浸みた、しかし、いささか考えが甘いと信西。きっと信西を見る法皇。今更詫びたところで上皇が法皇を許すはずもなく、法皇に付く者、上皇に付く者と国が大きく割れると信西。ここは法皇が自在に操れる者を帝の座に就けるべき、さもなくば天下大乱となるは必定と訴える信西。黙って出て行こうとする法皇。そこに現れて、私からもお願いすると美福門院。)

(その歌は何でございますかと雅仁に問う清盛。それはいつか海賊船で耳に甦った歌、それが無ければ生きていられなかったかもしれないと清盛。涙を流し、そなたもかと雅仁。そのまま出て行く雅仁。)

(翌朝、卒倒した上皇。呆然と座る法皇。)

(久寿2年7月24日。雅仁親王即位。後白河帝が誕生したのでした。)

今回は後白河帝の誕生が描かれました。史実に沿っていたかは別として、ドラマチックで面白い展開でしたよね。自らも帝の候補とは思っていなかった雅仁が玉座に着いたシーンは劇的ですらありました。

史実との関係としては、清盛が関与した事、法皇が上皇に歩み寄ろうとした事を除けば、ほぼそのままに描かれていたと思います。嫡流という事から言えば重仁が最も相応しいと考えられていたのですが、崇徳上皇と利害関係にある忠通と美福門院は守仁を候補にと推し、鳥羽法皇もまた叔父子と疑う崇徳上皇の子が帝の座に就けば、自分の血統は途絶えてしまうと苦慮していたのですね。しかし、守仁が即位するには、雅仁という障害がありました。信西が言っていた様に、父を差し置いて子が即位するという前例が無かったのです。

雅仁に関して言えば、ほとんど全ての人が帝の器にあらずと考えていました。乙前や神崎の白拍子たちを身辺に集めて今様に狂っていた彼は、朝廷の中では誰にも相手にされていなかったのですね。乳父である信西ですら、古今に比類無き暗主と言って憚らなかったと言われます。しかし、その雅仁を推したのは、他ならぬ信西でした。彼は忠通らの推す守仁の即位を前提とした上で、中継ぎとして父の雅仁を即位させる事を進言したのです。重仁を即位させるくらいならと法皇もまたこれに同意し、後白河帝の誕生となったのですね。まさに大どんでん返しが実現したのでした。

また、頼長が服喪のためにこの決定に参加出来なかったのも史実にあるとおりですが、それ以前に苛政が災いして反頼長の勢力が結成されており、意図的に彼の参内を阻んだとも言われています。

なお、清盛が法皇と上皇の間を取り持とうとした事実はなく、平家一門は時忠の言っていた様に両方に良い顔を見せていました。つまり、従来通り鳥羽法皇に忠誠を誓うと共に、忠盛と宗子が重仁親王の乳父、乳母となっていたのですね。常に多方面との関係を保ち、世の中がどう転んでも生き残れる様にという配慮は、忠盛の代から施されていたのでした。

ドラマに戻って、清盛はやっと主人公らしい主体的な行動を見せます。ただ、政治力学とはほど遠い情緒的なもので、説得力は無いに等しい考えでしたが、まっとうな意見ではありました。また、雅仁親王の苦悩ぶりもまた、見応えがありましたね。そなたもかという台詞は謎でしたが、異色の帝王の片鱗は見せてくれたと思います。

信西もまた、清盛とは対照的な政治力を見せてくれました。彼の黒幕ぶりは、今後の見所だと思われます。一方の頼長は、独りよがりが目立ち、急に影が薄くなりましたね。史実に沿っているとは言え、少し寂しい気がします。

なお、乙前という人物は実在しており、後白河帝の今様の師匠だったと言われ、青墓に縁があったというのも事実の様です。ただし、祇園女御が乙前となったという史実は無く、ドラマにおける創作ですね。また、雅仁親王が青墓に行ったというのも創作でしょう。

次週はいよいよ保元の乱への序章が描かれる様です。大きな時代のうねりをどう描くのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2012.04.29

平清盛 第17回 「平氏の棟梁」

(1153年(仁平3年)。平氏の棟梁となった清盛は、一族、一党を前に、亡き父の志を継ぎ、武士の世を目指すと宣言します。そして、重盛と基盛の二人の息子に対して、一門を担う跡継ぎとしての自覚を求め、二人の弟たちの手本となれと命じます。)

(庭で弓の技量を競い合う一門。)

(家貞から平家一門の所領を聞き、膨大な数に目を瞠る清盛。家成の警護、博多からの船荷の采配など棟梁としての仕事に目を回す清盛。)

(厨房で、棟梁の妻として采配を振るう時子。時子にこれで足りるのかと問う池禅尼。)

(広間で、宴の開始を宣言する清盛。しかし、膳にはわずかの肴しか載っていません。これでは足りないと時子を責める清盛。では今から魚を捕ってくると開き直る時子。腹の代わりに耳を満たせて欲しいと助け船を出す頼盛。しかし、時子は琵琶を止めてしまっていました。それでも棟梁の妻かと怒鳴る清盛。)

(法皇や美福門院を招いての宴を開くという家成。そこで歌を詠めと薦められ、慌てる清盛。)

(池禅尼に清盛のバックアップを約束する家成。)

(信西に歌を作って欲しいと頼み込む清盛。きっぱりと断ると信西。帝の身がどうなるか判らないのだと信西。)

(内裏、清涼殿。身体を悪くし、寝込んでいる近衛帝。)

(呈子が懐妊するも、無事に生まれるか、その子が男かとうかも判らない状況にあって、美福門院も気に病んでいる。もしもの事があれば世の力の有り様が大きく変わる事になる、今度の歌会は平家一門がその一角に居られるかどうかを占う場と心得よと信西。)

(廊下で義朝に出会った清盛。珍しく礼儀正しく清盛に祝いを言う義朝。何かあったのかと訝る清盛。そここに現れた常盤御前。常磐がいつかの酒売りの娘と知り、驚く清盛。常磐を妻とした、あと三月ほどで子も生まれると義朝。従5位下下野守に任ぜられる事になった、それも常磐のおかげ、彼女は心の支えなのだと義朝。)

(夜、時子に義朝が頼もしく思えた、家を背負う男子にはそれを支える女子が必要なのだと清盛。聞かずに寝ている時子。)

(義朝の館。縁で雨の降る庭を眺めている由御前。母を一人にする父はひどいと鬼武者。棟梁として子を増やすのは大事な勤めだなのと由良。)

(為義の館。庭を見る為義。そこに現れた義賢。義賢に、源氏重代の太刀、友切を授ける為義。それを持って東国に行き、義朝に並ぶ力を付けよと命ずる為義。太刀を受け取り立ち去る義賢。)

(友切を授けるという事は、いずれ源氏の棟梁となすという事を意味するのではと通清。忠盛は清盛を見事に育てて上げたのだと為義。為義とて義朝をと通清。不思議な笑みを浮かべる為義。)

(崇徳上皇の御殿。近衛帝の見舞いにいかないかと雅仁親王を誘う上皇。帝など早く身罷れば良いと親王。近衛帝が死ねば上皇の息子である重仁が跡を継ぐのが順当、そうなれば上皇が院政を布く事が出来ると親王。めったな事を言うではないと上皇。そこに知らされる家成の歌会。)

(清盛の館。重盛と基盛に書を教える盛国。幾らやっても上達せぬと投げ出す基盛。盛国の苦労に触れ、有り難い事なのだと弟を諭す重盛。)

(清三郎相手に、清盛はお前よりも先妻の子である重盛と基盛の方が可愛い、いずれ寺に入るお前には武も書も要らぬのだと吹き込む時忠。しょげかえる清三郎。)

(庭を歩き回りながら歌を考えている清盛。源氏物語の話をする時子。邪魔だと清盛。そこに清三郎が荒れていると知らせが入ります。)

(書を破りながら、自分には武も書も要らぬと泣く清三郎。それでも平氏の子かと怒鳴る清盛。清三郎を庇う時子。大事な歌会を控えている、家の事はそなたの役目だと時子を責める清盛。申し訳ないと時子。明子ならもっとしっかりした棟梁の妻となっていたと清盛。言ってしまってから、余計な事を言ってしまったと気が付く清盛。ショックを受けて、出て行く時子。)

(清三郎に言ったのは私だと時忠。何故と清盛。姉が琵琶を止めたのは、明子の音を消されたくないと言われたからだと時忠。10何年も前の事だと清盛。10何年も守ってきたのだと時忠。自分は清盛よりもずっと時子の事を判っていると時忠。)

(部屋に籠もる時子。)

(夜。真っ白な紙を前に、時子と時忠とのやりとりを思い出している清盛。)

(家成の別邸。歌会に出席している法皇、上皇、、雅仁親王、忠通、頼長、信西たち。末座に控える清盛。詠み手の成親。最初の歌は上皇の作。)

(朝夕に 花待つころは 思ひ寝の 夢のうちにぞ 咲きはじめける)

(雅な歌と褒める家成たち。きっと夜ごとに夢の中で政をなさっているのだろうと皮肉る美福門院。たしなめる法皇。吹き出す親王。)

(清盛の館。部屋に籠もる時子の下に、清三郎を連れた重盛と基盛がやってきます。自分たちには、母が亡くなる時に弾じてくれた継母の琵琶の音こそが耳に残っていると重盛。その話を聞いた清三郎も聞きたいと言っていると基盛。)

(家成の別邸。清盛の一首を披露する家成。紙を見て、このようなものは読めませぬと狼狽える成親。なぜといぶかる家成。代わって読み始める清盛。)

(重盛に 基盛それに清三郎 清四郎みな われらの子なり)

(笑い出す親王。なんだそれは、題の春が入っていないと頼長。もはや歌ではないと上皇。今のは何だと法皇。)

(私事ながらと断り、歌会に心を奪われて妻に言ってはならない事を言ってしまった、それより先は妻の事が心を占めて歌の事など考えられなくなってしまったと清盛。時子は、先妻との間に二人の子があった事にもこだわらない、いつも明るい春の日溜まりのような女子だと清盛。)

(やかんごとなき方々が集まるこの歌会は、平氏の棟梁を受け継いだ自分が世の役に立てるかどうかを占う場であったと存じていると清盛。その場であるからこそ申し上げる、自分は我が一門を何より大事に思っていると清盛。歌会はここまでにと清盛。苦笑する家成。)

(廊下。諸刃の剣の様な男だと美福門院。最も我らに足りないものを持っていると法皇。)

(清盛の歌を読む親王。清盛をどう見るかと信西。私には関わりのない事と立ち去る親王。その後を見送り、あなたこそが我が掌中の玉だとつぶやく信西。)

(清盛の館。時子と言いながら帰って来た清盛。聞こえてくる琵琶の音。)

(子供たちの前で琵琶を弾く時子。そこにやって来た清盛。清盛に向かって、母が居たからこそ、自分たちは実の母を亡くしてからも健やかに生きて来られたと重盛。いずれも大事な我らの母上だと基盛。母上を傷付ける様な事を言うのは、父とても許さないと重盛。殿の心は通じていた様だと盛国。息子達の肩を叩き、自分にも聞かせよと座る清盛。心配しなくても、明子と時子の音色はまるで違う、どちらも忘れはしないと清盛。琵琶を引き始める時子。)

(為義の館。為義に、友切を義賢に渡したのは棟梁を弟に譲る気かと迫る義朝。お前は強く成りすぎた、父の誇りを踏みにじっても、何の痛みも感じぬ程にと為義。さような者に、源氏を背負わせる訳にはいかないと怒鳴る為義。それならば、自分も自分の道を貫くのみと言い返し、館を飛び出す義朝。自分も同様にと通清に一礼して出て行く正清。)

今回はほぼ創作のみの回でした。主題は平家の棟梁を受け継いだ清盛でしたが、第二部の人物相関図を描いた回とも言えます。ぎこちない船出となりながら、何よりも一門を大切にすると誓った清盛、母が違う故に微妙に温度差のある重盛、基盛と清三郎たち。彼らを支える時子。余計な事を言う役目はやはり時忠という事でしょうか。作者としては仲の良かった平家一門を強調しつつ、なおその中にある温度差を描く事で将来への伏線としたかったのでしょう。まじめ過ぎる重盛なども、やはり伏線なのでしょうね。

朝廷では、久々に得子らしい一面が見られました。政界への復帰を夢見る崇徳上皇の心の内を見事に言い当てる鋭さと毒は、今でもなお健在なのですね。近衛帝の母としての地位を得ながら、肝心の帝が病弱ゆえに不安定な得子の心の焦りを表していたのでしょうか。その帝の後を巡る争いも、最も資格を持つ重仁を中心に描かれていました。雅仁の相変わらず人を食った様子も面白かったですね。

さらには、源氏も亀裂を深めていきます。次男の義賢が義朝に対抗すべく東国に下ったのは史実にあるとおりですが、為義が友切を与えたというのはどうなのでしょうね。友切、すなわち髭切は、義朝から頼朝に受け継がれているので義朝が貰ったはずなのですが、このあたりのいきさつは良く判りません。義賢から奪い返すという設定になるのかしらん。

ドラマとしてはかなり粗っぽい設定で、朝廷の重鎮を集めた歌会で自らの子の歌を詠い、一門こそが全てだと宣言するなど、無茶も良い所でしょう。下手をすれば、謀反の疑いありと取られても仕方がないのではないかしらん。荒唐無稽に過ぎる設定だと思われますが、家族愛もまたこのドラマのテーマの一つということなのでしょう。王家に最も欠けているものだと法皇も言ってましたしね。私としては、苦虫をかみつぶした様な頼長の反応が面白かったな。

これで保元の乱の相関図がほぼ出来上がった事になりますが、唯一残っているのが雅仁親王ですね。この人がどうなるかは次週に描かれる様です。興味深いのは今の所仲の良い崇徳上皇との間をどう描くつもりかで、この二人の関係の成り行きが今後の注目点だと思っているところです。

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2012.04.22

平清盛 第16回 「さらば父上」

(舞子の言葉を思い出している忠盛。)

(久しぶりに宋の剣を振るう清盛。)

(久安6年9月26日。忠通の館を襲った為義。忠実の命により、摂関家の家宝、朱器台盤を奪ったのでした。)

(朱器台盤を頼長に与える忠実。藤原、氏の長者となった頼長。)

(為義の館。為義を盗賊と同じだと罵る義朝。一族のために働いて何が悪いと居直る為義。)

(院の御所。忠盛に、刑部卿に任ずる内意を伝える鳥羽院。それは美福門院たっての願いでした。また、さらに清盛を安芸守に任ずるとも伝える院。これは美福門院の命じた高野山宝塔建立に対する褒美でした。)

(御所の廊下で忠盛とすれ違った為義。彼は息子に盗賊と言われたが自分はこの道を行く。そして、かつて忠盛と約束した様に、源氏と平家のどちらが強いかという決着を着けると告げます。楽しみだと微笑んで去る忠盛。)

(郎党を引き連れて安芸に赴任した清盛。)

(忠盛の館。感慨に耽る家貞。激しく咳き込む忠盛。)

(寝込んだ忠盛。)

(安芸。国司として国府で山海の珍味に舌鼓を打つ清盛。清盛にあいさつする厳島の社の司、佐伯景弘。)

(厳島神社。景弘の案内で境内を見て回った清盛は、その寂れように驚きます。)

(歓迎の舞を見る清盛達。その舞人の中に昔の仲間、桃李を見つけた兔丸。驚く郎党達。そこに現れた春夜。久闊を叙す兔丸達。)

(安芸の海岸を案内する春夜。かつて100人が乗れる大船を造っていたと聞き驚く清盛。宋の剣を如何にして手に入れたかと問う春夜。この国で最も強い男から授かったと清盛。)

(忠盛の館。縁に座って、咳き込む忠盛。心配する家貞。舞子に言われた「夢中で生きていれば、何の為に武士として生きているのかが判る」という言葉をしきりに思い出す、だがまだ判らないと忠盛。)

(義朝の館。修練に励む義朝と郎党たち。)

(内裏。雑仕女として働く常磐。)

(統子内親王の館。)

(「ならびおる ふたつの黒き蝶の舞 いずれが高く のぼりけむ」)

(それは忠通と頼長の事を例えた歌でした。その二人の事で夫と舅がもめていると由良姫。家族の仲を取り持つのが妻の役目だと内親王。)

(内覧の宣旨を賜った頼長。忠通と並ぶ権限を持った事で、二人の仲は決定的な亀裂を生じました。)

(近衛帝に謁見し、臣下の罷免を進言する頼長。心労が激しい近衛帝。)

(頼長の振るまいに憤る美福門院。彼女に同調する忠通。いっそ頼長をもっと煽ってやろうと門院。)

(清盛の館。安芸から帰った清盛と郎党達。賑わう館。時子から忠盛の容体を聞く清盛。)

(忠盛の館。駆けつけた清盛。しかし、意外にも忠盛は平然と座っているのでした。驚く清盛を迎える忠盛。ほっとする清盛。安芸の感想を聞かれ、面白い事が出来そうだと張り切って見せる清盛。)

(清三郎に剣を持たせる清盛。無理だと嫌がる清三郎。鍛えればそれが軸となるのだと続けさせる清盛。)

(義朝の館。鬼武者に弓を教えている為義。驚く義朝。私が招いたのだと由良姫。孫を交えての久しぶりの団欒に和む一家。そこに頼長から家成の館を襲えという命が伝えられます。頼長の館の前で、家成の家人が下馬しなかったという無礼に対する仕返しでした。)

(為義に、そんな誇りの無い行為をしても、重用されるのは平氏ばかり、行くなと止める義朝。義朝を殴り飛ばす為義。いくら鍛えて待っていても、武威を示す機会はやってこない、地を這ってでも生き残る、それが誇りだと行って立ち去る為義。悔しげに立ち去る義朝。間に入って苦悩する由良。)

(呈子の御殿。常磐の前に不意に現れた義朝。父と喧嘩したのか、本当は父の役に立ちたいと望んでいたはずと労る常磐。常磐を抱きしめる義朝。)

(家成の館を襲った為義。賽子を手に涼しい顔の家成。)

(近臣を襲われて、烈火のごとく怒った鳥羽院。すべては頼長を陥れるための美福門院の謀でした。平氏に頼長を襲わせる大義名分を得た門院。)

(家成の仕返しのために、頼長の館を襲えという門院からの密命が伝えられた忠盛。そうすれば鳥羽院は喜び、塔の完成を待たずして公卿に推薦出来るという含みでした。気の進まぬ様子の忠盛。その様子を見て、この話を断れと家貞に命ずる清盛。宋の剣を振りかざし、自分がこの剣を振るうのは、院と摂関家の小競り合いに巻き込まれるためではないと言い放つ清盛。)

(院に仕えるためではなく、武士が頂きに立つ世を作る為に我らは太刀を振るってきた、それがために武士は今の世に生きていると忠盛。忠盛を見て微笑む清盛。)

(平氏一門を集めた忠盛。一門の前で、まず忠正にこれからも一門を支えよと伝える忠盛。そして、清盛には唐皮の鎧を授けました。頼盛には名刀の抜丸、教盛には愛用の弓、経盛には愛用の鞍を授け、兄弟助け合っていけと諭します。忠清には侍大将、家貞には出家せずに一門の要となる様に言い渡しました。そして、盛国と兔丸には新しい棟梁に最も近く仕えよと命じます。つまりは清盛を忠盛を嗣ぐ棟梁と定めたのでした。)

(何か言いたげな忠正。宗子を見る清盛。うなずく宗子。謹んで受けると忠盛に応える清盛。)

(再び安芸に旅立つ清盛。見送りながら、すぐに後から行くと忠盛。)

(部屋に入ろうとしてよろめく忠盛。支える宗子。かたじけないと忠盛。初めて言われたと宗子。そんな事はない、一緒になってからずっと有り難いと思っていると忠盛。微笑み合う二人。)

(安芸の海岸。小船の中で昼寝をしている清盛。そこに現れた忠盛。驚く清盛。清盛に棒きれを渡し、打ち合う忠盛。戯れる二人。強くなったなと声を掛ける忠盛。父を見て微笑む清盛。海に目をやり、ふと気が付くと忠盛の姿が消えていました。忠盛の代わりに突き刺さっている宋の剣。剣を抜いて、父上とつぶやく清盛。)

(仁平3年1月15日、忠盛死去。)

今回は忠盛の死を巡って物語が動きました。ここまで、ある意味清盛以上に物語の核となっていた忠盛でしたから、その存在が消える影響は小さくはなかったですね。

まず、史実との関係から追っていくと、忠実が為義に命じて忠通の邸を襲わせ、朱器台盤を奪ったというのは事実です。自分に逆らって摂政の地位を弟に譲らない忠通に、忠実が業を煮やしたのですね。これには少し前段があり、忠通は長く嫡男に恵まれておらず、頼長を跡継ぎとすべく養子にしていたという事実があります。ところが、その後に忠通に実子が生まれたため、約束を反故にしようとしたのですね。この事に加えて近衛帝への入内を巡っての兄弟の争いがあり、忠実は頼長の肩を持ってやったのでした。

忠実が忠通から奪った氏の長者とは氏族を束ねる代表者の事で、頼長を兄に代えて藤原氏の長に据えた事を意味します。これにより、忠通はその地位を奪われただけでなく、藤原氏の有する荘園の管理権も失った事になり、経済的にも追い詰められたという事になります。ただし、摂政の地位は朝廷から与えられたものであり、忠実と言えども力尽くで奪う事は出来ませんでした。

次に、頼長が内覧の権を得たという下りが出て来ましたが、これは天皇に決裁を求める文書に先に目を通す権限を持つという事で、事実上朝廷の実権を握る事になります。本来は摂政・関白の役目だったのですが、鳥羽院は忠通を関白に任命する一方で、忠実に求められると内覧の権を頼長に与えてしまったのでした。忠通にすれば、唯一残った関白の地位も名目だけのものとなってしまったに等しい訳ですね。追い詰められた彼は、院の近臣や美福門院らと手を結んで反撃しようと試みます。そのあたりは、来週以降に描かれる様ですね。

朝廷の実力者となった頼長は、自ら理想とする政治を推し進めようとしました。それは律令に基づく政治だったのですが、現実には様々な慣例に基づいて政が行われて来たという実態があり、頼長が理非を正そうとすればする程、様々な軋轢を生む事になって行きます。その豪腕振りを評して悪左府、つまり力の強い左大臣と呼ばれる様になるのですが、しかしその意欲とは裏腹に次第に孤立を深めていく事になります。

その頼長が家成の邸を襲ったというのは史実にあるとおりなのですが、それは為義にやらせたのではなく、秦公春という隋臣に命じての事でした。その理由は、頼長の雑色が家成の家人に陵辱された報復というもので、頼長による私刑と言っても良いものですね。ドラマでは平家をして頼長を討たせるための美福門院の謀となっていましたが、そんな事実は無い様です。ただし、この事が鳥羽院の心証を害した事は確かで、頼長の孤立を深める一因となったとされています。他にも賀茂社や石清水八幡宮に追捕の為に人を入れては流血沙汰を起こしており、頼長の検断好きは彼を追い詰める事にのみ役だった様です。

なお、忠盛の死にあたって頼長は、その日記に忠盛の功績と人柄を称える記述を残しており、一廉の人物と認めていました。つまりは、ドラマの様に平家を目の敵にして追い落とそうとした事実は無いという事ですね。

ドラマに戻って、武士の世を作る為に剣を振るって来たのだと言って清盛に地位を譲った忠盛でしたが、それが舞子の言葉に対してやっと得た答えでした。その志を清盛が受け継ぐ事でドラマの主題が続いていく事になるのですね。主題曲ともなっている「遊びをせんとや」の今様が繰り返し流される事で、それが上手く強調されていた様に思います。

ただ、忠盛が死んだ時点で清盛は既に35歳になっており、いつまでも少年じみた清盛の振る舞いには違和感を感じてしまいます。国司ともなったのだから、それ相応に振る舞って欲しいと思うのは私だけなのかな。

源氏の方では、為義の悲壮感が良く出ていました。忠盛に大きく水を開けられてしまった彼にとっては、摂関家との関係が唯一の拠り所であり、犬と蔑まれようが頼長の命に従う事が精一杯の生き方なのでした。より大きな力を持つ鳥羽院に気に入られた義朝にすれば、為義の生き方は危なくて見ていられないのですが、為義には義朝の忠告は通用しないのですね。このあたりはドラマ独自の脚色は入っているにしても、史実との関係を上手く取り入れていると思います。間に入った由良が可哀想でしたね。

さて、次回は棟梁となった清盛の姿が描かれる様です。不安な出船となる様ですが、武士の世を目指すと言う清盛の力強い姿が見られる事を期待して待ちたいと思います。


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2012.04.15

平清盛 第15回 「嵐の中の一門」

(馬から落ちて亡くなった家盛。)

(家盛の亡骸に縋って泣き崩れる宗子。駆けつけた清盛に、家盛に触るなと宗子。お前が平家に災いを持ち込んだ、お前が死ねば良かったのだと清盛に言う忠正。)

(清盛の館。土砂降りの雨。秀子は親元に戻ると時子に告げる盛国。雨の中、屋根に登っている清盛。驚く時子と盛国。やる事がいちいち仰々しいと頼盛。)

(落馬の寸前、家盛は兄上とつぶやいたと頼盛。清盛に向かって、あなたが苦手だ、代わりに死ねば良かったとまでは思わないが、家盛はただ一人、父と母を同じくする心やすい兄だったと頼盛。)

(鳥羽院御所。改めて院に対する忠義を誓う忠盛。その忠盛に高野山の大塔の修復を命ずる鳥羽院。清盛を名代にと願い出る忠盛。)

(7月9日、大塔造営の事始めが行われ、その代官として臨んだ清盛。そこに現れた一人の僧。怪しい奴と殺気立つ郎党。私だと笠を取ったのは、西行となった教清でした。)

(西行の僧坊。いつからここにと清盛。つい先頃まで陸奥に行っていたと西行。)

(とりわきて 心は凍みて冴えぞわたる 衣川見に来たる今日しも)

(衣川が見たくて陸奥にまで行ったが、心まで凍る寒さだったと西行。何をやっているのだ、いつまでも変わらない奴と清盛。)

(競う様に西行を訪ねてきた大勢の女達。彼女たちは、西行に食べ物を持って来たのでした。相変わらず女性に人気のある様子を見てあきれる清盛。)

(清盛の館。家盛が死んだのは清盛のせいだともっぱらの噂だと時子に告げる時忠。つまらぬ事をと時子。あれのどこが光る君かと時忠。思っていたのとは違って、誰よりも寂しく、人恋しい人、私は側を離れないと時子。)

(忠盛の館。蔵の物は要るだけ清盛に与えよ、大工も仏師も極上の者を使えと家貞に命ずる忠盛。)

(この期に及んで清盛を名代とするとはと忠正。張り詰めてきたものがぷつりと切れてしまって、忠盛は大丈夫だろうかと家貞。)

(1150年(久安6年)1月4日、近衛帝元服。数日後、入内した頼長の養女、多子。これを警戒して、自分の養女、呈子を入内させようと動き出した忠通。)

(忠通に向かって、頼長に摂政の座を譲れと迫る忠実。話はこれまでと断る忠通。対立を深める摂関家の兄弟。)

(今様を歌う雅仁親王。彼は今、崇徳上皇と共に暮らしていました。そなたは帝となりたいと思った事はないのかと上皇。まるでない、帝になっては一日歌っている事など出来ないと親王。いっそ、そなたほど潔ければと上皇。)

(清盛の館。清盛に、当代きっての絵師と常明を紹介する信西。常明に、高野山に奉納する曼荼羅を画いて欲しいと依頼する清盛。身命を賭してと常明。信西に礼を言う清盛。雅仁が常明の絵を好きなので見知っていたのだと信西。今日は家盛の一周忌だから、供養のために正倉院に愛用の品々を納めると清盛。)

(忠盛の館。忠盛に、これも納めて欲しいと鹿の角を差し出し、この志のために家盛は死んだのだからと宗子。それで気が済むのならと忠盛。角を床に叩き付けて泣き崩れる宗子。呆然と見つめる清盛。角を床に叩き付けて砕く宗子。黙って見つめている忠盛。)

(泣きながら忠盛を叩く宗子。何事かと集まってくる忠正たち。砕けた角を見つめる清盛。)

(夜、清盛の館。清盛を訪ねてきた西行。時子を紹介する盛国。どうしたと聞く清盛。宝塔再建の勧進のために山を下りてきたと西行。済まぬが、自分には宝塔再建の役目は務まらないと清盛。どうしましたと西行。一門は酷い嵐の中に居る、その元は自分だと清盛。家盛の亡骸に触れる事も許されず、代わりに死ねば良かったとまで言われて、どうして大役が務まろうかと言いながら、大塔の完成図をたき火の中にくべる清盛。)

(身も心も凍る衣川で、一心に川を見つめ続けていた、それは美しきものが潜んでいたからに違いないと西行。美しきもの?と清盛。今は嵐の中で一心に大塔再建に努められよ、そうすれば風雪を堪え忍んだ者だけが見られる美しきものが見つかる、嵐の中の一門のため、余所者にしかできない事がきっとあるはずと西行。)

(西行の言に従い、大塔再建の仕事に打ち込む清盛。)

(義朝の館。頼長警護のために義朝を誘いに来た為義。太刀を手に出て行こうとする義朝。それを咎める為義。かつて忠実に唆され、忠盛を闇討ちにしようとした事を忘れたのか、あんな目に遭っておきながら摂関家に従う父の気持ちが判らないと義朝。背を向けて出て行く義朝。)

(都大路。常磐とその父が騒いでいます。そこに通りかかった義朝。訳を聞けば、忠通が間もなく入内する呈子の雑仕女とするため、都中から見目麗しき女を集めよという命が下ったのでした。病の母を捨てては行けないと常磐。呈子に仕える事が出来るのなら父の暮らしぶりも良くなる、そうすれば母の病も癒えるはず、親の役に立つ事は何より嬉しいだろうと常磐に説く義朝。)

(都中から集められた千人の女の中から、随一の美女として選ばれた常磐。内裏の一室で瞬く間に宮中の女に仕立てられて行く常磐。)

(美女たちを従えて華やかに入内した呈子。)

(院の御所。院号宣下を受けて美福門院となった得子。美福門院に拝謁する忠盛。大塔が完成した暁には、忠盛を公卿とするよう口添えをすると美福門院。ありがたきお言葉と忠盛。)

(廊下で、家貞にあと一息だと忠盛。廊下の先に頼長を見つけて跪く忠盛。)

(美福門院の覚え目出度い様だなと頼長。身に余る光栄と忠盛。家盛が落命してから1年かと頼長。一周忌の供養を済ませたばかりだと忠盛。私も残念だ、優れた男と目を掛けていたのだがと頼長。有り難きお言葉と忠盛。身の程を弁えぬ野心を持つ者は、苦しみ抜いて死ぬという事だと頼長。ぎょっとする忠盛。)

(知らず知らず、生まれ怪しき兄への鬱屈が溜まっていたのであろう、家盛こそが跡継ぎに相応しいと少しばかり煽ってやったら、何もかも差し出しおったと頼長。はっとして頼長を見る忠盛。つまるところ平氏の足並みを乱したに過ぎないと気が付いたが、今更後には引けない、死ぬまで自分に与するしかないと悩んでいたのであろうと頼長。返す返すも残念だ、自分と家盛は何もかも結ばれた仲だったのだからと頼長。かっとして立ち上がる忠盛。)

(薄笑いを浮かべながら随人の手を取り、もう死んだ人間の話だと頼長。忠盛に向かって、自分が父ならあっぱれな事と褒めてやる、さすが武士の子、見事なる犬死にだと言い捨てて去る頼長。怒りで震える忠盛。)

(清盛の館。曼荼羅を画く常明。弟への供養のために筆を入れてはと清盛を誘う常明。清盛が絵に筆を入れようとした時、忠盛が現れます。今すぐ止めよと命ずる忠盛。いぶかる清盛。もう財をなげうって、このようなものを寄進しなくてもよいと忠盛。)

(家盛を殺したのは自分だと忠盛。清盛が居たからこそ、この世を変える為に鬼にも蛇にもなれた、一門の者にも家盛にも無理を強いた、いつか志が遂げられれば全てが報われると信じてきた。だが家盛は断じて報われない、武士は己の分を弁えて生きていればよいのだと忠盛。)

(話はそれだけか、ならぱ帰って欲しいと言って絵に向かう清盛。止めよと言っているのが判らないのかと清盛を突き飛ばす忠盛。再び絵に向かう清盛。言う事が聞けないのかと清盛を叩き付ける忠盛。血を流しながら、自分は家盛の兄だと言って絵に向かって這う清盛。)

(流れる血を筆に含ませて、仏を描く清盛。それを見つめる忠盛。清盛に手を合わせる常明。絵を描き上げて仰向けに倒れる清盛。涙する忠盛。倒れている清盛を見て駆け寄る時子。)

(時子に続いて現れた宗子、忠正、頼盛。清盛の書き上げた仏の絵を見つめる宗子。そして、家盛が兄によろしくと言っていると清盛に告げる宗子。涙する清盛。微笑む宗子。微笑む清盛。嵐を乗り越えた平氏一門。)

(為義の館。郎党に号令を下す為義。)

今回は家盛の死と、それに伴う平氏一門の動揺が描かれました。かなり創作色が強い回ではありましたが、史実に沿った動きもいくつかあります。

まずは、清盛紀行にもあった様に、高野山の大塔の再建を平家が請け負った事ですね。この事が清盛の出世に大きく寄与する事は紀行にあったとおりですが、その出世を予言した老僧はドラマにも出て来るのでしょうかね。また、これも紀行にあった様に、清盛が奉納する曼荼羅図に自らの血で筆を入れたと平家物語にはあり、それを上手くドラマに取り入れていました。もっとも、忠盛に殴られて血を流した訳ではなく、自ら首の血を抜いて宝冠を描いたと物語には書かれています。

次に、西行が高野山に住んだ事も、その前に陸奥にまで旅をして来た事も史実のとおりですね。彼が陸奥にまで行ったのは能因法師という和歌の先達の跡を偲んでの事と言われ、風雅探訪の旅だったとされます。また、奥州藤原家とは縁戚の関係にあり、その縁もあった様です。その後は長く高野山に住みながら、都へも足繁く出入りするという生活を送る事になって行きます。その事もドラマに生かされていますね。

そして、近衛帝を巡って、多子と呈子を相次いで入内させた事も史実にあるとおりです。結果として藤原摂関家が二つに分かれるのですが、そのあたりの描き方が分かり難かったのではないかしらん。確かに史実においても忠実と頼長が仲が良く、忠通に摂政の座を譲れと迫っているのですが、突然過ぎてドラマを見ているだけでは何の事やらと混乱したのではないかな。判りやすく言えば、出来の良い頼長に忠実は摂関家復活の望みを託し、今ひとつ冴えないように見える忠通に代わって摂関家の長に据えようとしたのですね。その事を巡って対立が深まって行くのですが、説明が足りてない様に思えます。

また、常磐が呈子の雑仕女として千人の美女の中から選ばれたというのは、史実がどうかはともかくとして、物語としては伝わっている事ですね。この後、義朝と関係が出来ていく訳ですが、そのあたりどう描くのか、楽しみにしているところです。

わずかに触れられている所では、雅仁親王と崇徳上皇が一緒に暮らしていた事も史実にあるとおりで、後に対立関係になる二人も、この頃には仲睦まじい兄弟だったと言われます。また、雅仁親王が今様をどうしても止められなかったというのも史実に沿っていますね。

ドラマに沿っては、頼長が見事な悪役振りを示してくれました。何もあんな事を言わなくてもと思いますが、まさしくはまり役でもあります。また、それに対する忠盛の演出も良い出来でした。押さえていた親としての激情をぶちまける忠盛が、実感を持って迫ってきました。中井貴一はやはり上手いですね。それに対する清盛の反応も見事で、初めて主役らしい演技を見せて呉れたのではないかしらん。

今回の出来事で、やっと清盛出生から引きずっていたわだかまりが一掃され、清盛が跡継ぎとしての自覚と役割を担うという地ならしが出来たという事になるのでしょう。ここからの新生清盛が楽しみですね。ただし、忠正と頼盛が清盛とは一線を引いたままという図式は変わりはなさそうで、ここは史実に沿った描き方になりそうです。

次回は忠盛が亡くなりそうですね。ドラマの基調を支えていた忠盛が居なくなって大丈夫かと思ってしまいますが、そこは清盛の成長に期待するのが正しいのでしょう。次回はさらに主役らしくなった清盛の姿を見てみたいものです。

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2012.04.08

平清盛 第14回 「家盛決起」

(宗子の苦悩を知り、清盛に嫡男とは思わないと通告した家盛。)

(検非違使庁から戻った忠盛。何事も無かった様に出迎える宗子。忠盛に鹿の角を示し、宗子が舞子ゆかりのものだと気付いたと告げる家貞。)

(時子の歌に合わせて舞いの稽古をする清盛。上手く舞えずに時子に当たる清盛。)

(清盛に賀茂の祭にて舞を舞えなくなったと告げる家成。その理由は平家に対する世の反発が強くなったためでした。その代役として指名された家盛。)

(義朝の館を訪れた為義。頼長から賀茂祭の警護を頼まれたと告げますが、鳥羽院に仕える身であると断る義朝。源氏の嫡男なら従えと言って立ち去る為義。)

(義朝に頼長に従えと忠告する由良姫。余計な口出しをするなと義朝。朝廷の事を知りたくないのなら、なぜ私を妻としたと立ち去る由良姫。)

(賀茂神社。祭りの用意がされ、警護の武士や見物人が集まっています。)

(神殿の一角。鳥羽法皇に、清盛を軽い刑で済ませたと思えば今度は弟に大役を任せるとは、よほど延暦寺の呪詛を受けたいのかと皮肉を言う忠実。これが私の政だ、よく心得ておけと法皇。法皇の政とは、身分賤しき者を引き立てる事と見受けられると頼長。私の事かと得子。心当たりでもと頼長。頼長を睨み付ける得子。そのまま立ち去る忠実と頼長。)

(始まった舞。見守る法皇、忠実、頼長。家盛は正妻の子でありながら清盛に遅れを取っていると頼長に告げる忠実。家盛を見つめほくそ笑む頼長。)

(忠盛の館。家盛の舞の見事さを吹聴する維綱。家盛を褒める忠盛。そこに、頼長が家盛を屋敷に招くという知らせを持ってくる忠正。家盛の舞の見事さに感心したというのがその理由でした。これも家盛の日頃の精進の賜と喜ぶ郎党達。面白くなさそうな清盛。)

(都の通りで義朝に出会った清盛。強訴を阻んでやったのは我らと義朝。礼を言う清盛。)

(通りの店で酒を酌み交わす清盛と義朝。賀茂祭では内大臣の警護に当たったが、あの様な男に仕えたくはないと義朝。お前もそう思うのか、初めて気が合ったと清盛。頭に乗るなと義朝。自分は目の敵にされているが家盛は気に入られたらしいと愚痴る清盛。弟に先を越されそうなのかと笑う義朝。笑い事ではないと清盛。酒が切れた、家で呑むかと誘う義朝。その時、この酒を買って貰えないかと現れたみすぼらしい女。)

(母が病で、何も売れなければ身売りをするほかないと言う女。お前が買ってやれと義朝。六条の義朝の家にがらくたでも何でも持っていけと清盛。がらくたとは何だと義朝。人助けも出来ないのかと清盛。急に笑い出した女。瓢箪を差し出し、これで買うと義朝。)

(夜、忠盛の館。宗子の前に鹿の角を出す忠盛。自分がこれを持っているのは、陰陽師の世迷い言にたぶらかされた白河院が、罪無き女の命を奪った日の事を忘れない為だと忠盛。家盛が哀れだ、けれども私は全てを受け入れていると宗子。)

(高倉邸。頼長に拝謁する家盛。先だっての舞には感服した、清盛の数々の不始末を補って余りあると頼長。家盛は清盛とは違って正妻の子であると維綱。ではいずれ跡継ぎとなるのはこの家盛かと頼長。そうなるのが道理と維綱。理に叶った事こそ好ましい、優れたものが世に煌めくのが道理だと頼長。頼長にひれ伏す家盛。)

(1148年(久安4年)。半ば蟄居の日々を余儀なくされ、所在なげに酒を呑みながら郎党達の餅つきを見ている清盛。このままでは家盛に跡継ぎの座を奪われてしまう、どうなさるのかと時忠。杯を投げつける清盛。時忠に、餅でも食べないかと誘う盛国。)

(跡継ぎの座など譲ってしまえば良いではないかと時子。何だとと清盛。光源氏でさえ、帝の座は弟に譲ったと時子。光る君が譲ったわけではないと清盛。それくらい広い心を持てという事、小さな事を気に病む様ではそもそも跡継ぎの器ではないと時子。むっとするも、言い返せない清盛。)

(従4位下、右馬頭に昇進した家盛。)

(高倉邸。夜、縁側で酒を呑む頼長。側には家盛。家盛に酌をしてやる頼長。怪しげな出自の兄の陰で過ごした不遇の時は長かっただろうと頼長。そんな事はと家盛。あの兄さえ居なければと生きてきたはずだと頼長。家盛の手を取り、私が叶えてやろう、まこと世に輝くべきはそなただと頼長。平氏一門にも鳥羽院にもそう思い知らせてやろうと言って、家盛を押し倒す頼長。)

(1149年(久安5年)、忠盛の館。鳥羽院の熊野詣の警護を命じられた平氏。しかし、清盛の同行は許されませんでした。警護に同行するのは家盛、頼盛、教盛という清盛の異母弟たち。面白くなさそうな清盛。家盛に会いに来たという経盛。賀茂祭での見事な舞が都中の語りぐさしさとなっていると経盛。いよいよ跡継ぎらしくなってきたと教盛。まだ誰も跡継ぎとは決まっていないと家貞。家盛は正妻の子と経盛。清盛は先の騒動のせいで跡継ぎにはなれぬはずと教盛。ここではっきり、家盛を跡継ぎにすると決めてしまえと忠正。じっと背中で聞いている清盛。)

(私もそう定めてもらいたいと家盛。慎みなさいと宗子。その母を制し、兄を跡継ぎでないと示す事が一門のためになると家盛。一門の安泰だけを考えていて世を変えられるか、何の為の武士かと叫ぶ清盛。自分は神輿に矢を射た事を悔いていないと清盛。何と恐ろしい事をと教盛。こんな人を兄とは思いたくないと経盛。忠盛に迫る清盛。何も言わない忠盛。)

(家盛に向かって、自分は降りる、跡継ぎはお前だと言って出て行く清盛。)

(清盛の館。家に帰ってきて縁側に座る清盛。館の中で、盛国相手に、とんだ見込み違いだった、清盛に付いていてもこの先良い思いは出来そうにない、姉を家盛の側女にでもできないものかと愚痴る時忠。弟を叱る時子。時忠の言うとおりだ、側女となるなり出て行くなり、好きにするが良いと清盛。)

(何と情けない事をと時子。どれだけ落ちぶれようと、あなたさまこそが我が光る君と時子。時子を抱きしめる清盛。)

(忠盛の館。家貞相手に、自分は清盛こそが世を変える男と思って跡継ぎにするつもりでいた、しかし、家盛が後を継ぎたいと言った時に心の軸が揺れてしまったと忠盛。)

(高倉邸。夜、頼長の下を訪れている家盛。いよいよ清盛も終わりだと頼長。なぜかうかない家盛。そんな弱い心では世を正せないぞと頼長。家盛の肩を抱きながら、鳥羽院が頼りにしている平氏の武力と財力は、家盛が跡継ぎとなれば自分のものになったも同然と頼長。院は我らを頼らざるを得なくなる、その時こそ摂関家が栄華を取り戻す時だと頼長。平氏は院に忠義を誓っていると家盛。今更何を言う、そなたが院が頼りにしている清盛を蹴落としたのだと頼長。自分が棟梁に押したのは、ふさわしい器と思ったからではない、清盛よりも優れているのは、はるかに御しやすい男という事だけだと頼長。見目も申し分ないと言って家盛に迫る頼長。這って逃げ出そうとする家盛。もう遅いと頼長。家盛を背後から抱きしめ、欲に眩んで一門を売ったのだと言って押し倒す頼長。)

(夜、清盛の館。一人月明かりの中で座っている清盛。ふと目覚めて、清盛の側に座る時子。家盛に負けた事を悔しいとは思わぬ、ただ寂しいのだと清盛。仲の良い兄弟だったのだから当然だと時子。)

(忠盛の館。朝、庭に佇む家盛。そこに現れた宗子。勤めを無事に果たせと宗子。宗子に背を向け、嫡男であるかどうかはどうでも良かった、ただ跡継ぎになった事を当たり前の母として喜んで欲しかったのだと家盛。兄とも母とも、当たり前の関係で居たかった、せめて帰って来た時には当たり前の母として笑いかけて欲しいと涙ぐむ家盛。立ち去る家盛。家盛と叫んで涙ぐむ宗子。)

(2月13日、京を出立した鳥羽院の一行。無事に参詣を済ませ、3月15日に京の南郊の山崎に着いた一行。)

(清盛の館。庭で遊ぶ清太と清次を見守る清盛。)

(山崎。警護の列の中で、道ばたで遊ぶ幼い兄弟を見て、幼い頃清盛と木に登った日の事を思い出す家盛。)

(木に登る清太と清次を見ながら、家盛と木登りをした日を思い出す清盛。)

(清盛が手を差し出した時の事を思い出し、馬上で微笑む家盛。木から落ちた時を思い出し、そのまま馬上から崩れ落ちる家盛。)

(平次と叫ぶ清盛。)

今回は家盛の反乱が描かれました。史実においては、祇園闘乱事件の後、清盛が勢いを失ったのに対し、家盛が急速に台頭し始め、清盛に取って代わる勢いを示した事が知られています。その流れはドラマに描かれていたとおりですが、ただし、その背後に頼長が居たというのは創作です。

その頼長が男色家であったのは有名な事実で、自らの日記にその記録の数々を書き残しているのですね。この時代の性風俗は今と大きく違っていて、男色もごく普通の事とされていました。それどころか男色関係が政治にも人事にも大きな影響を及ぼしていたというのですから、この時代を知るには常識の違いを認識しておく必要があります。それにしても、NHKが大胆にも描いたものだとは思いますけどね。

それはさておきドラマに戻ると、家盛はやはり心優しき男なのでした。家盛の反乱は、頼長に唆された事よりも母親の無念を思っての事であり、自らの栄達を願っての事では無かったのですね。棟梁としては不向きではあっても、誰よりも親思いな息子なのでした。そして、忠盛もまた、親としての迷いを見せます。清盛に迫られてなぜ黙っているのかと思ったのですが、やはり我が子可愛さという思いが彼の中にもあったのでした。このあたり、建前だけてはない、人としての心の揺れを丁寧に描いていると思います。この脚本家の上手いところですね。

一方の頼長は、ただ正義感に燃えるだけの男から、悪辣さを加えた男に性格が変わって来ました。正論が通じない鳥羽院の世にあっては、一本調子では通じないと判ってきたという事なのでしょうか。史実では忠通の方の役回りなのですけどね、これも保元の乱への伏線という事なのでしょう。

保元の乱の伏線と言えば、義朝と為義の関係にもありました。頼長の警護を大役と言う為義に対し、自分は鳥羽院に仕える身と断る義朝でしたが、後の二人の関係がここで暗示されています。また、頼長に対する反発から、清盛と義朝が仲良くなるという設定もそうですね。一時的な呉越同舟という事になるのかな。

そして、常磐御前が出て来ました。まだ九条家の雑仕女になる前という設定なのですね。後に義朝の愛妾となると共に清盛とも関係して来るのですから、まさに運命的出逢いという事になるのでしょうか。次回はその常磐が九条家に仕える事になるいきさつも描かれる様ですね。

さて、家盛は突然馬から落ちてしまいます。史実では熊野詣の警護の途中で病死したと言われていますが、それにしても前触れが無く唐突過ぎますね。どんなけりの付け方をするのやら気がかりです。依然として清盛が主役らしく見えないところが難点ではありますが、周囲が面白いからまあ良いかというところですね。

次回は頼長か再び平家の前に立ちふさがる様です。これも創作の回となりそうですが、山本耕史演ずる頼長が面白くなってきたので、どんな具合になるか楽しみですね。

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2012.04.01

平清盛 第13回 「祇園闘乱事件」

(1147年(久安3年)6月15日、祇園社。一門繁栄祈願の為の田楽奉納に訪れた清盛とその郎党達。そこに社人たちが現れ、清盛たちが武器を携えている事に難色を示します。警護のためだと答える盛国。田楽の奉納に弓、太刀は要らないと社人。社人にどけと言って出て来る兔丸。その社人は兔丸の幼なじみの金覚と銀覚でした。親の仇であるはずの忠盛の息子に仕えている事を揶揄された兔丸は、銀覚に頭突きを食らわします。血を流して倒れた銀覚。神域を血で穢されたと怒り、撃ち掛かる社人達。応戦する郎党達。乱闘を止めようとする清盛。)

(清盛一統に厳罰を求めて鳥羽院に訴え出た明雲。数日の内に詮議し、処断すると答える院。)

(すぐに盛国たちを検非違使に差し出せと忠盛。)

(一条二坊右獄の牢に入れられた盛国達。すぐに出してやると清盛。もうすぐ子が生まれる北の方を気遣えと盛国。)

(盛国たちを差し出しただけでは収まらず、強訴に及んだ延暦寺。彼らの求めるところは忠盛と清盛の流罪でした。)

(源氏に鎮圧を命じられた鳥羽院。)

(神輿を盾に推し通ろうとする法師達。神輿を避けて矢を射る源氏の武者達。その時、一本の矢が神輿に命中します。驚いて腰を抜かす鬼若。矢を射たのは清盛でした。かつて藤原師通が神輿に矢を射て急死して以来、神罰を恐れて神輿に矢を向ける者は誰も居なかったのです。)

(神輿に矢で射た事について揉める平家一門。たまたまではなく、狙って射たのだと清盛。神輿などただの箱、神など宿っていないと清盛。おののく郎党たち。お前は災いの種だと忠正。わざと射ったと知れては、流罪をまぬがれないと家貞。清盛を殴る忠盛。そして、宗子に蟄居の準備を命じます。)

(検非違使庁の一室に案内された忠盛と清盛。忠盛に謝る清盛。加茂川の水、双六の賽、山法師を天下の三不如意と白河院は言ったと忠盛。つまり、山法師は平家の力ではどうしようもないものだと忠盛。)

(6月30日、延暦寺。清盛に懲らしめをと呪詛する明雲。)

(院御所。清盛と忠盛の流罪を主張する頼長。事の始まりは祇園社の言い掛かりにあり、流罪は厳しすぎると忠通。平氏の武力は世に欠かせぬものと家成。そうなった事が間違いの元、白河院が敷いた誤った道筋を今こそ正すべきだと頼長。信西に意見を求める鳥羽院。さすがは頼長、しかし、賛同はしかねると信西。誤った道でもここまで続いてきた、それを無しにするなど治天の君がするべき事ではないというのが彼の意見でした。)

(父の師通を亡くした忠実は、誰よりも神罰の恐ろしさを知る故、鳥羽院の世は長くないと言います。ここで清盛をかばい立てすれば災いが及ぶ、親子共々流罪にせよと忠実。)

(廊下。信西に向かって、なぜ我が意に逆らう事を言ったと問う頼長。すべて真の事、自分が目指すのは新しき政による新しき国作り、藤原摂関家による古い政治ではないと信西。なんとしても流罪にしてやると頼長。)

(再び強訴を行う動きを見せる延暦寺の大衆。)

(比叡山の麓を固める源氏の武者達。平家が没落すれば我らの利、しかし、ここは強訴を阻んで源氏の武が平氏に劣らぬところを見せつけるのだと為義。)

(忠盛の館。検非違使庁で謹慎する忠盛の下に着替えなど差し入れを用意する宗子。その準備の途中で、忠盛の鹿の角を見つけます。何事も無かったかの様に元に戻す宗子。)

(検非違使庁。忠盛に詮議が揉めている様子と知らせる家貞。時子からの清盛への差し入れは双六盤でした。何と気が利かぬち怒る清盛。)

(清盛の館。旺盛な食欲を見せる時子。その時、急に産気づきます。)

(先日の詫びを言いに来た忠正。しかし、手が足りないと相手にされません。)

(淸太と清次相手に竹馬を作る忠正。喜ぶ清次。元気の無い清太。彼は時子が子を産めば、自分の子ばかりを可愛がるのではないかと気にしていたのでした。そんな事はない、生まれてくる子をうんと可愛がってやれと忠正。)

(検非違使庁。双六に興じる忠盛と清盛。何故自分を引き取ったのか、いつか平氏に災いする日が来ると思わなかったのと清盛。白河院にたった一人で立ち向かった強い母だったとその最期の様子を語る忠盛。そして、舞子から生まれた清盛が、迷信のごときものに立ち向かう時が来るのを待っていたと忠盛。そして、清盛に向かって平氏にもこれから咲きの世にもなくてはならぬ男だと言う忠盛。)

(院御所。兔丸が海賊の棟梁であった事を暴露する頼長。海賊を役立つ者として取り立てるなど、清盛の才覚の表れだと信西。詭弁だと頼長。)

(鬼若に、強訴の場で見た事を言えと頼長。清盛が神輿を狙って矢を射たのを見たと鬼若。わざと神の宿る神輿に矢を射立てるとは、もはや無法者と言うしかなく、都から放逐されるべき男だと頼長。たった一本の矢に国中がかき乱されている、それは清盛が世になくてはならぬ男と言う事と信西。おってはならぬ男だと頼長。)

(庭を見ている法皇。何を迷っている、平氏なくしては法皇の世は続かないと得子。白河院のお胤と言われる清盛が騒ぎをお越し、自分わ追い詰める、未だに白河院が世を治めている様な気さえする、忠盛親子を救う事は白河院の血に操られている気がするのだと法皇。)

(検非違使庁。賽子を手に柱にもたれている清盛。黙って座っている忠盛。そこに現れた鳥羽法皇。ひれ伏す二人。清盛に向かって、神輿を射たのはわざとかと問う法皇。わざとだと清盛。両手を広げて、神輿を射た時の孤独自分を射てみよと法皇。立ち上がり、矢を射る仕草を取る清盛。そして、ねらい澄ました様に射る真似をします。射られたがごとくみぞおちを押さえ、我が身に巣くう白河院の血が吹き出ていると笑う法皇。)

(清盛に向かって、そちこそが神輿に放たれた矢そのもの、白河院と自分が乱しに乱した世に報いられた一本の矢だと鳥羽法皇。)

(清盛の館。清太と清次を見ている忠正の下に、忠盛と清盛は流罪をまぬがれ、銅30斤の償いで済んだと知らせた忠清。軽く済んだ事にほっとする忠正。その時、聞こえてくる産声。)

(院御所。裁きを聞き、嬉しそうに一礼して立ち去る信西。怒りを堪えている頼長。)

(忠盛の館。浮かぬ顔の宗子に訳を聞く家貞。鹿の角を取り出し、忠盛は前の奥方が大事なのだろう、それ故に清盛を大事にするのだと宗子。それを廊下で聞いている家盛。)

(清盛の館。生まれたばかりの清三郎を抱く時子。早く抱かせよと清盛。生まれてきた時に蟄居させられていたどうしようもない父だと時子。もしも帰ってこなかったらと怖かったのだと時子。自分はどこにも行かぬ、自分にはこの京において勤めがある、平氏の子としてと清盛。そこに訪ねてきた家盛。)

(此度はすまなかったと清盛。もはや兄を嫡男とは思えなくなったと家盛。そして、これからは自分が一門を率いていくと宣言する家盛。)

今回は祇園闘乱事件が描かれました。大筋としては史実に沿っていましたが、いくつか創作も入っています。元々創作の兔丸はともかくとして、清盛が神輿に矢を射たという事、後の弁慶である鬼若が絡んでいたという事、清盛の処分を巡って頼長と信西が対立したという事、清盛と忠盛が検非違使庁で蟄居した事などはすべて創作です。特に、清盛が矢を射たという設定は新平家物語に見える事で、この小説から拝借したものなのでしょうね。それにしても唐突過ぎて、なぜあの場に事件の当事者たる清盛が居たのか理解不能です。それたけでも命令違反で、処罰ものなんじゃないのかしらん?

もっと違和感があったのは、ドラマではまだ何もしていないのに等しい清盛が、何やら大物の様に扱われていた事で、鳥羽院が間違った世を正す矢だと叫んだのは如何にも不自然という感じがしました。まあ、それだけ神輿に矢を放つという行為が破天荒なものであった、つまりは迷信に囚われた世を正す行為だと言いたいのでしょうけどね、何だかなあと思ってしまいます。ドラマの場面としては迫力はあったのですけどね。

ドラマの流れとしては、どこまでも白河院の影を引きずっている鳥羽法皇が印象的でした。そして、世の乱れの元はやはり白河院にあるという設定もなるほどなという感じです。このあたりは上手い手法ですね。どこまで行っても、もののけの血が災いをなす、それを絶つのがやはりもののけの血を引いた清盛の役目という事なのでしょうか。それに目覚めたのが今回という事になるのでしょうね。

もう一つの流れとしては、朝廷と平家に分裂の兆しが見えてきた事ですね。朝廷では忠通と頼長・忠実、頼長と信西に亀裂が見えて来ています。そして、平家では家盛が突如として叛旗を翻しました。これも史実に沿った流れではあるのですが、家盛の場合は母の泣き言を聞いたからというのでは、少し理由が弱くはありますまいか。これまで清盛が平氏を散々窮地に追い込んできたにも関わらず兄を立ててきた家盛なのに、ここに来て急変するというのは無理を感じてしまいます。反対に、忠正が清盛一家に対して良い感じになっているというのも面白い設定ですね。これも、どんでん返しのための伏線なのか。

何にしても、次回は家盛が決起するのだとか。兄思いであったはずの家盛がどう豹変するのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2012.03.25

平清盛 第12回 「宿命の再会」

(1144年(天養元年)。明雲を先頭に強訴を繰り返す延暦寺の大衆達。)

(忠盛に山法師を打ち払えと命じた鳥羽法皇。)

(武力の行使ではなく、荘園を叡山に寄進する事で強訴を退けた平氏。その恩賞として正4位の上に昇った忠盛。しかし、念願の公卿にはなれませんでした。武士を公卿にする気はない朝廷。)

(清盛の館。夜、出家して信西となった通憲が訪ねて来ます。出家の理由を問う清盛に、忠盛を三位に取り立てない朝廷のあり方に嫌気が差したのだと答える信西。志だけがあっても道は開けないと信西。)

(忠盛の館。元服し頼盛と名を改めた平五郎。武士として導いてやれという父の言葉に、朝廷の番犬として生きろと教えよという事かと噛みつく清盛。その不満の元は、明子が死んだ事にありました。疫病も飢饉も止める事が出来ない朝廷でありながら武士を参議にする気は無い、武力と財力を搾り取られるだけだ。妻の死に目にも会えず、そんなにしてまで背負わねばならない平氏一門とは何かと清盛。)

(清盛に後添えをと家貞。まだ言っても無駄、心の軸が定まっていないと忠盛。その手には鹿の角。それを陰から見ていた宗子。)

(清盛の館。淸太と清次相手に源氏物語を語る時子。)

(清太と清次に琵琶を弾いてやる時子。それを聞き、ここで琵琶を弾じるのは止めて貰いたいと清盛。なぜと時子。下手だからと清盛。清太も清次も喜んでいると時子。下手だから駄目だと清盛。言い争う二人。)

(時子の館。しょげている時信に訳を聞く時子。時忠が大事な書物をばくちで取られてしまったのだと時信。一冊分の値打ちを2冊分に増やしてやろうと思ったのだと時忠。姉はどこに行っていたのかと時忠。清盛の館だと時信。)

(清盛の館。清太と清次と戯れている時子。そこに訪ねてきた時忠。彼は清盛に会うなり、姉を後添えにしてくれないかと言い出します。驚いて止める時子。言い争う二人。ふと清盛に対する思いを口にした時子。琵琶を止めよと言ったのは、明子の音色を消されたくないからだと清盛。)

(時子の館。姉に謝る時忠。あのままでは清盛の悲しみに付け込む事になってしまったと時子。どんなきれい事も、欲が無ければ始まらないと時忠。)

(清盛の館。時子が来なくなり、むずかる清次。自分も時子が来なくなった事が心残りだと盛国。)

(法金剛院。如来像に手を合わせる待賢門院。その時、急に咳き込みます。気遣う堀河に大事ないと待賢門院。そこに現れた得子。)

(なにゆえ黙って出家されたと得子。あなたが人を愛しく思う気持ちの激しさを教えてくれた、己の愚かさを振り返れば俗世に未練はない。されどそんな激しい思いを知らずに生きて来た事だけが心残りだと待賢門院。どこまでも福々しげで、憎々しい方だ、法皇を奪い国母の座から追い落としても全てを奪い取る事は出来なかったと得子。)

(1145年(久安元年)。読経の中、病床にある待賢門院。)

(院御所。待賢門院の病が篤いと聞き、狼狽える法皇。そして菊が咲き乱れる庭に出で、水仙を捜します。そして無いと知るや、季節外れの水仙の花を捜せと命じます。)

(水仙を捜せという命に接し、道理に合わないと従わない清盛。一門のために従ってくれと家盛。明子を亡くした悲しみを誰が判ると清盛。自分は一門の為に好きな女子と別れて秀子と一緒になったと家盛。済まぬと清盛。)

(水仙を捜して草原を歩く清盛。その途中で、関東から戻った義朝に出会いました。久闊を叙す二人。ふと見ると、義朝の馬の鞍には水仙を入れた竹筒がありました。彼は尾張で法皇が水仙を捜している事を知り、東国の家来に命じて陸奥を捜させたのでした。急ぐと言って去っていく義朝。黙って見送る清盛。)

(水仙を手に待賢門院の寝所に駆け込む鳥羽法皇。しっかりせいと声を励ます法皇。目を開けた門院。門院に水仙を差し出す法皇。手を伸ばす門院。その手を握り、頬ずりをする法皇。病人の側に居てはいけないと側近に引き離される法皇。)

(部屋の外から叫ぶ法皇。部屋の中から呼びかける門院。扉に頬を付ける法皇。人を愛しく思う気持ちが、こんなにも優しく清げなる事がやっとわかりましたと門院。涙する法皇。水仙を握りしめながら、我が君と呼びかけ、今は愛しさに包まれていると門院。そのまま息を引き取った門院。扉を叩いて泣き叫ぶ法皇。)

(久安元年8月22日。待賢門院死去。寂しげに磬を鳴らす法皇。)

(門院に地獄を味あわせる事が望みだった。しかし、今は安らかに極楽に行く事を願って止まぬと言い、手を合わせる得子。)

(為義の館。東国から戻った義朝を見て狂喜する為義。)

(清盛の館。一人佇む清盛。)

(院御所。法皇からお褒めの言葉を頂く義朝。一朝事ある時は、東国のもののふを引き連れて参上すると義朝。これからは京にて忠勤に励めと法皇。)

(廊下。義朝の前に立ちはだかり、こんな事で頭に乗るなと清盛。一番強い武士は源氏だと義朝。いや平氏だと争う二人。これから平氏を背負って立つと清盛。なんと軽い一門かせいぜい励めと義朝。田舎武士めと清盛。)

(義朝の館。田舎武士と言われた事に腹を立てている義朝。そこに現れた由良姫。父に言われてあいさつに来たと由良姫。変わりはないかと聞かれ、男子を二人設けたと答える義朝。ショックを受けて、祝いを言って帰ろうとする由良姫。そなたも俺の子を産むかと義朝。おふざけもたいがいにと怒る由良姫。統子内親王に仕える由良姫はきっと役に立つ、自分の嫡男を産んで貰いたいと義朝。女子をばかにしてと由良姫。ずっと帰りを待っていたのではないのかと義朝。涙しながらずっとお待ちしていたと由良姫。由良姫を抱きしめる義朝。)

(清盛の館。あいつと居ると気が高ぶると帰って来た清盛。清太と清次と雀を捕まえて遊んでいる時子。それは盛国が呼んだのでした。突然時子に駆け寄り、そなたでよい、そなたは俺に惚れている、息子達はそなたに懐いている、後は俺がそなたに惚れるだけだと叫ぶ清盛。何の事かと時子。俺の妻になれと言っているのだと清盛。失礼なと清盛を突き放し、源氏物語の様な恋にあこがれていたのにあんまりだと時子。そして、清盛に駆け寄り抱きつきます。倒れ込む二人。祝福する郎党達。)

(1147年(久安3年)。尾張にて鬼武者、後の頼朝誕生。同じ年、子を授かった清盛。この年6月、祇園社の争いに巻き込まれる清盛。)

とうとう待賢門院璋子が亡くなりました。途中まで天然キャラとして面白い存在だっただけに、居なくなるのは惜しいという気がしますね。ドラマでは出家して悟った様になっていた璋子でしたが、実際にも法金剛院で念仏三昧の生活を送っていたと言われ、仏に縋る事で心の平安を見出そうとしていたのかも知れません。また、出家したと言っても寂しく過ごしていた訳ではなく、法皇もしばしば御幸されていたと言いますし、西行なども法金剛院を訪れていたと言われます。決してわびしい暮らしをしていた訳では無い様ですね。

その死因は病死ですが、何の病かは判っていません。ですから、流行病であったかの様なドラマの設定は創作ですね。亡くなったのは法金剛院ではなく三条高倉第で、死にあたって法皇が駆けつけたのはドラマにあったとおりです。そして、法皇が泣きながら磬を鳴らしたというのも史実どおりですね。

璋子の生涯を振り返ってみれば、栄光と挫折の波乱に富んだ人生でした。絶世の美貌を謳われ、二人の権力者の寵愛を受けて栄華を極め、その寵愛の翳りと共に次第に権勢を失い、最後は自ら種を撒いたとも言われる呪詛事件で出家を余儀なくされました。良くも悪くも、平安末期という時代を象徴する人物の一人であった事は間違いないですね。

璋子の亡骸は以前に紹介した様に花園西陵に葬られました。法金剛院にも近く、璋子に興味を持たれた方は、セットで訪れられると良いですよ。

さて、ドラマの流れで言えば、璋子の為に水仙を捜せと法皇が命じたのは象徴的な出来事でした。この花を璋子に合わせて上手く使っていますよね。ただ、義朝が陸奥から取り寄せたという設定は、如何にも無理がありました。この時代に宅急便とチルド技術があったのかと言いたくなりますよね。どう考えても有り得ないでしょうが。せめて、比叡山の山の上とかにあったというのなら判らなくもないですが。それでも無理ではあるのですけどね。

もう一つの大きな流れとしては、義朝と清盛の縁談がありました。どちらもデリカシーのかけらもない、乱暴極まりない求愛だったのですが、武士らしい演出をしたという事なのでしょうか。ただ、義朝の場合は打算が多分に入っていましたが、清盛の方はなぜ時子に求愛したのか、今ひとつはっきりしませんでした。何となく、周囲の状況が整ってきたからというだけだったものね。明子の死をあれほど嘆いていた清盛が豹変するのには、かなり不自然な設定だったという気がします。

なお、義朝が東国に勢力を築いたのは事実ですが、関東一円という訳ではなく、上総がその中心だった様ですね。そして、相模にもその勢力はあり、鎌倉に館を持っていた様です。ですから、ドラマの設定はかなり大袈裟ではありますね。

次回は祇園闘乱事件が描かれます。これも以前に紹介した事があるので、興味のある方は一読してみて下さい。ネタバレではあるけれども、ドラマの予習にはなると思いますよ。

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2012.03.18

平清盛 第11回 「もののけの涙」

(各方面に波紋を呼んだ教清の出家。)

(清涼殿。崇徳帝に教清出家の歌を伝える清盛。教清だけが心の拠り所だったと崇徳帝。崇徳帝に白河帝の子だと聞いている、自分も同じだと告げる清盛。そして、もののけに振り回される事なく、自分なりに面白く生きていくと清盛。)

(重仁親王の誕生によって生気を甦らせた崇徳帝。)

(鳥羽上皇に重仁に帝位を譲りたいと申し出る崇徳帝。既に躰仁が皇太子になっていると鳥羽上皇。血の繋がりが薄い者には譲りたくないと崇徳帝。帝の願いは重仁の後ろ盾となって、思う様に政治を動かす事でした。)

(驚いて得子の下に押しかけた忠通。慌てる事はないと得子。)

(崇徳帝の下を訪れた得子。彼女は重仁を帝に就けるために、まず躰仁に位を譲って欲しいと切り出します。忠通の顔を立てる為に躰仁を帝とし、崇徳帝は院政を布けばよい。重仁は躰仁が退位した後に帝に就けば良いではないか、それまでは自分が重仁を育てると得子。)

(永治元年12月7日。躰仁に帝位を譲った崇徳帝。しかし、宣命使が詠み上げた宣命には、皇太子ではなく皇太弟と記されていました。弟では政が出来ないと叫ぶ崇徳帝。全ては得子の謀でした。)

(3歳にして帝となった躰仁。引き続き、治天の君として政を行う事となった鳥羽法皇。)

(1142年(康治元年)正月。忠盛の館。得子が皇后になった事に伴い、平家の行く末を語り合う郎党たち。ここは法皇に忠勤を励むべきだと家盛。面白き道を選べばよいのだと清盛。戯れを言っている時ではないと家盛。)

(楽を奏でる宗子、明子、秀子の三人。見事な調和に和む一家。)

(時子の家を訪れた明子。彼女の用件は、琵琶の教授の手伝いをして欲しいという事でした。清盛の館でと聞いて断る時子。なぜと明子。)

(清盛の館。結局明子を手伝っている時子。やんごとなき姫君たちの前で教授を始める明子。しかし、時子はあまり練習していなかったらしく、良い音を出せません。そこに半裸で現れた清盛とその郎党達。)

(時子と二度会っている事を覚えていない清盛。あきれる時子。)

(庭で相撲を取る清盛の息子達。あちこちが痛いと言っては母に甘える息子達。戯れる父と子。)

(盛国に妻を迎えてやってはどうかと明子。)

(盛国に波子を薦める明子と清盛。せっかくですがと断る盛国。)

(盛国に、元は漁師である事を気にしているではないかと聞く明子。波子は名のある家に仕えている、自分が粗相をしては恥をかかせてしまうと盛国。そなたは立派な武士だと明子。二人のやりとりを陰で聞いている清盛。盛国の働きを称え、婚礼の準備をさせて欲しいと明子。頭を下げる盛国。)

(夜。琵琶を奏でる明子。そなたは琵琶のごとき女だ、要となって家を支えてくれていると清盛。)

(相模国。波多野義道の館。三浦氏に続いて波多野一族を家来に加えた義朝。波多野一族の娘と契る義朝。彼女の間に朝長、別の女性との間には義平が生まれていました。)

(為義に、いつまで検非違使で居るつもりかと発破をかける由良姫。そうずけずけと言われる筋合いはないと怒る為義。無礼を詫びる由良姫。ただ義朝に会いたいとのだと泣き崩れる由良姫。)

(待賢門院に、彼女に仕える判官代源盛行、その妻津守嶋子が土佐に流される事になったと告げる御影。なぜと問う堀河。自分を呪詛したのだと得子。証拠の品として、盛行の館の庭から見つかったという呪詛の文字が書かれた天児を示す得子。それを待賢門院が命じた事かどうかは問わないと言い捨てて去っていく得子。)

(天児に着せられていたのは、かつて待賢門院が得子に祝いの品として贈った産着でした。では待賢門院を陥れるためにと堀河。そうではない、法皇や上皇を苦しめ、教清を出家に追いやった愚かさを突き付けて救ってくれるのだと待賢門院。その一月後、出家した待賢門院。)

(神社に参拝に来た清盛一家。一家の無事を祈る明子。明子のために祈る清盛。)

(境内で咳き込み倒れている人を見つけ、駆け寄り介抱する明子。)

(夜。琵琶を奏でている途中で倒れた明子。)

(風病の様だと薬師。都に流行っている疫病の事で、近くに寄らない方が賢明だと言う。治せと清盛。治せる薬が無いと薬師。宋の薬を手に入れよと清盛。無体なと薬師。もう良いと飛び出していく清盛。)

(宋の薬を求めに博多に行くと清盛。落ち着いて下さりませと引き止める盛国。そこに現れ、屋敷内に病を持ち込んで申しわけないと基章。容態が悪化した明子。明子の下に行こうとする清盛を止める基章。)

(昼。明子を訪ねてきた時子。泣いている清次を宥める淸太。泣いていては母に笑われると時子。一層泣き出す淸太と清次。)

(館内に溢れる読経の声。僧侶と並んで一心に祈る清盛。その清盛を見つめる忠盛と宗子。ふと思いついた様に、陰陽師を呼ぼうと言い出す清盛。陰陽師になど頼ってはならぬと忠盛。その時、聞こえてくる琵琶の音。)

(琵琶は、淸太と清次のために時子が弾いているのでした。琵琶の音を聞いて目を覚ました明子。)

(病室に駆け寄り、二人で海を見に行くと言ったではないかと叫ぶ清盛。もう十分に見せてもらったと明子。清盛の目に映る広くて面白い世を見る事が出来て幸せだったと明子。悲しまないで下さいと言って息を引き取った明子。)

(泣き叫びながら僧侶達を足蹴にし、明子を生き返らせよと迫る清盛。清盛を止め、恨むなら、宋の薬を求めさせない、疫病を止められない朝廷を恨めと盛国。そして、皆が健やかに暮らせる世を作れと盛国。泣き崩れる清盛。)

(時子の膝で眠る淸太と清次。)

(清盛にもののけの血が流れている事を思い出す忠盛。)

今回は清盛の妻、明子の死がメインテーマでしたが、朝廷でも大きな動きがありました。崇徳帝の譲位と待賢門院の出家がそれで、いずれも史実にあるとおりの事です。

崇徳帝の譲位の際に、宣命に皇太子ではなく皇太弟と書かれていたのは事実とされます。つまり、子であればその子が成人するまでの間は親が政治を見る、すなわち院政を布く事が出来るのですが、弟であればそれは出来ません。その場合は、自分たちの親である鳥羽法皇にこそ、その資格があるという事になるのですね。躰仁は崇徳帝の養子であると同時に弟でもあったので、こうした策略が成立したのです。

ドラマでは得子がこの策略を考えたとされ、当時の崇徳帝も得子に嵌められたと考えた様ですが、実は関白の忠通の差し金ではないかとも言われています。忠通は崇徳帝には縁が薄く、反対に躰仁は自分の娘の養子でした。摂関家の力を取り戻す為にも、崇徳帝の世になってもらっては困るという立場にあったのですね。得子は九尾の狐のモデルとされる程策略に富んだ女性と言われるのですが、その裏で糸を引いていたのは忠通の方だったのかも知れません。なにしろ権謀術数に長けた摂関家の人ですからね、それくらいの事はやりそうな気がします。

また、待賢門院に仕えていた源盛行と津守嶋子が、呪詛の咎を受けて土佐に流されたのも史実にあるとおりです。ただし、呪詛は天児を使ったのではなく、巫女に踊らせて呪うという方法でした。盛行は、摂津国の広田神社にて、巫女を鼓舞跳梁させて得子を呪わせたとされ、問い詰められてその事実を認めたとされています。また、神社からは呪詛に使った銀筺が見つかっており、全ては待賢門院の密詔を受けて行われたと言われています。しかし、実はやはり忠通の策略ではないかという見方もあるのですね。当時の朝廷が如何にどろどろとした権力争いの場であったかを窺わせる事件なのですが、この事が待賢門院に出家の決意をさせたのは確かな様です。

なお、ドラマでは出てこなかったのですが、待賢門院が出家した場所は法金剛院であり、鳥羽法皇や崇徳上皇をはじめ沢山の公卿が女院の出家に立ち会っています。つまり、法皇と女院は、ドラマの様に何事も無かった様にただすれ違った訳ではなかったのですね。

次に、清盛の妻、明子の死に関しては、全くの創作です。清盛の最初の妻に関しては、基章の娘である事以外判っている事はほとんど無いのですね。名前の明子からして創作で、いつ亡くなったかについても記録には無い様です。確かなのは、重盛と基盛の二人の子供を産んで早世した事くらいかな。その明子をことさら良妻賢母として描いたのは、次に来る後妻のための伏線なのでしょうか。

ただ、このところ清盛が主役らしくないところが気になっています。今回もどこか一人だけ浮いていた様な印象を受けたのは私だけでしょうか。松山ケンイチが熱演すればする程、なんだかなあと思えてしまいます。もののけの涙って、清盛の涙という事なのでしょう?でも、どこがもののけだったというのかしらん?清盛が武家の次期統領ではなく普通の家庭人の様に描かれているのは、これも次にブレークするための伏線なのでしょうかね。まあ、好意的に見れば、家庭的な平家という側面を強調した演出と取れなくもないとは思っています。

次回は義朝との再会が描かれる様ですね。ライバルとの再会で、主役らしさが戻って来る事を期待したいものだと思っているところです。


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