龍馬伝

2010.11.28

龍馬伝48 ~龍の魂~

「龍馬の夢。」

「桂浜。塾生達に稽古を付けている半平太。それを側で見ている長次郎。半平太の号令の下、元気に刀を振る以蔵を初めとする土佐勤王党の面々。そこに現れた龍馬。駆け寄る一同。龍馬の功績を称える半平太。皆のおかげだと答える龍馬。饅頭を配る長次郎。笑み崩れる龍馬。」

「京都・近江屋。陽之助に起こされる龍馬。周囲に書き散らせされているのは、龍馬が書いた陸蒸気の図面。早晩日本にも入ってくる陸蒸気と蒸気船のどちらが早く人や荷物を運べるかを考えていたら、いつの間にか眠っていたと陽之助を笑わす龍馬。外から聞こえてくる祭り囃子の音。」

「陽之助に沢山の文を預けて、各藩の重役達に送る様に頼む龍馬。その中身は、新政府綱領八策でした。陽之助が止めるのも聞かずに外に飛び出していく龍馬。」

「町中で噂されている大政奉還。これから世の中がどうなって行くのかと不安がる町衆に、これからは上も下も無い世の中が来る、誰もが好きな様に生きていける様になると説く龍馬。彼は帝を中心とした新しい世の中がどんな形になるかを見届けようとしていたのでした。」

「土佐藩、京都藩邸。竜馬の居場所を尋ねに来た弥太郎。しかし、応対に出た役人の態度は惨憺たるものでした。龍馬を大殿を唆した悪人と罵り、象二郎こそ取り立てているが、ろくな者ではないと吐き捨てる役人。龍馬の居場所も教えて貰えずに閉め出される弥太郎。」

「近江屋。家人と共に夕食を食べる龍馬。龍馬の馬鹿話に興じる家人達。クワイを食べながら、こんな野菜は見た事がないと話す龍馬。野菜は良いが、塩や米が値上がりして醤油の値まで上がってしまった、このままでは商売があがったりだとぼやく近江屋新助。いつになったら元に戻るのかと心配する家人。もうすぐだと言ってやる龍馬。」

「密かに今日を抜けて越前に向かった龍馬。その途中で新選組に遭遇し、慌てて身を隠します。前にも増して、手荒く不審者を捜す新選組。その途中で見廻組の佐々木達の一行と遭遇した近藤。無言のまま、不気味に通り過ぎていく佐々木達。」

「越前城。春嶽侯に拝謁している龍馬。新政府綱領八策を見ながら、これを西郷や木戸に送ったのかと聞く春嶽侯。無論、容堂候にもと答える龍馬。なんという大胆な事をとあきれる三岡八郎。新政府綱領八策に書かれた○○○とは何かと聞く春嶽侯。そこには帝の下で政を取り仕切る人物の名が入ると答える龍馬。それば誰だと聞かれ、自分にも判らないと答える龍馬。少しあきれた様子の春嶽侯。」

「それより、今は米と塩の値を元に戻す事が大事だと詰め寄る龍馬。彼は、そのためにも早く新しい政府を作って仕事を始めて貰わなければならないと説きます。それには答えず、ここにすわってみないかと自分の席を指す春嶽侯。とまどいながらも、殿様の席に着く龍馬。」

「どうだ、景色が変わって見えるだろうと聞く春嶽侯。土佐の下士の生まれの自分には、居心地が悪い席だと答える龍馬。普通は高い所に座ると居心地が良くなって、降りたくなくなるものだと春嶽侯。慶喜公は降りてくれたと言う龍馬。あのお方だからこそだと答える春嶽侯。」

「もう世の中は変わり始めている、これからは身分の上下も無くなると迫る龍馬。そう容易には行かない、新政府綱領八策を読んだ者は皆疑心暗鬼になると反駁する春嶽侯。沢山の者が○○に入るのは自分だと言い出すかもしれないと三岡。それで良い、それでこそ真剣に○○に誰が入るべきかを皆が考え始めるのだと答える龍馬。苦笑する春嶽侯。」

「○○○を巡って議論を始める薩長の人々。毛利敬親公かと長州藩。徳川か、ならば徳川は滅ぼさなくてはならないと薩摩藩。徳川は既に政権を返している、今は戦よりも新しい政府を作る方が先だと大久保に迫る慎太郎。お前は龍馬に良い様に転がされていると相手にしない大久保。」

「近江屋。龍馬を訪ねてきた弥太郎。龍馬は居ないと答える近江屋の家人達。龍馬はどこだと大声を上げる弥太郎。弥太郎を投げ飛ばす籐吉。ますます檄高する弥太郎。騒ぎを聞きつけて階下に降りてきた龍馬。」

「どういう訳か土佐藩邸に入れなくなったと言いながら弥太郎を二階に案内する龍馬。お前は大政奉還を成し遂げた英雄、薩摩にとっても長州にとっても大恩人だろうと言う弥太郎に、そう簡単にはいかないと良いながら茶を勧める龍馬。」

「湯飲みを受け取らずに、お前と会うのはこれが最後だと言いながら、ミニエー銃九千丁を売って儲けた5245両だと手形を差し出す弥太郎。土佐商会とは関わりなく、自分で儲けた金だと聞き、我が事のの様に喜ぶ龍馬。」

「ところが、弥太郎はこの金は要らないと言い出します。彼は戦が起こると見込んでミニエー銃を仕入れた、大政奉還など有り得ないと思ったからだ。しかし、龍馬ならやりかねないと弱気になった、お前を信じてしまったのだ、こんな悔しい事があるかと叫ぶ弥太郎。お前に儲けさせてもらった金など要らぬ、お前にくれてやると叫びながら、手形を放り投げる弥太郎。龍馬など足下にも及ばぬ男になって見せると言い捨てて去っていこうとする弥太郎。そんな彼を呼び止める龍馬。」

「お前は俺がそんなに嫌いかと聞く龍馬。この世で一番嫌いだと答える龍馬。悲しげに、自分はいつでも弥太郎を友達だと思ってきたと語りかける龍馬。そんなところが一番嫌いだと答える弥太郎。思う様に生き、それがことごとくうまく行く、そんな龍馬と一緒に居たら、自分はとんでもなく小さな人間に思えてしまうのだと悲しげに語る弥太郎。」

「しかし、誰もが新しい世の中を望んでいると思ったら大間違いだと続ける弥太郎。彼はいざ扉が開いたら、とまどい、怖じ気づく者が山の様に居る。恨み、ねたみ、恐れ、保身、そのうち怒りの矛先はお前に向くと予言します。まぶし過ぎる日の光は、無性に腹が立つと知っていると語る弥太郎。悲しげな龍馬。」

「お前の言うとおりかも知れない、知らぬ間に人を傷付けて来たのかも知れないと弱々しげにつぶやく龍馬。」

「世の人は、我を何とも言わば言え、我がなす事は我のみぞ知る。」

「わしは自分の出来る事をしたまでだ、お前も自分の好きに生きたらよい、と弥太郎に語りかける龍馬。そして、彼の手を取り手形を渡そうとします。止めろと良言いながら抵抗する弥太郎。構わずに、自分の事など相手にしなくても良い、お前はこの金で世の中と繋がっていると叫びながら弥太郎を押し倒す龍馬。お前はこの金で日本一の会社を作り、日本人みんなを幸せにしなければいけない、それは自分には到底出来ない、岩崎弥太郎にしか事だと諭す龍馬。」

「寂しげに、達者での、弥太郎と言って頭を下げる龍馬。」

「近江屋をさまよい出た弥太郎。達者でのという言葉が繰り返し彼の頭の中で響いていました。」

「浜辺で月琴を弾くお龍。」

「近江屋で、お龍に宛てて手紙を書く龍馬。今は自分の役目の最後の仕上げに掛かっている、これが終わればもう出番はない、お龍を連れて土佐に帰り、みんなで世界を旅して回るのだと記す龍馬。」

「その前に、お前も英語を習わなくてはならないと説く龍馬。海援隊には英語の辞書を作る様に命じたと続けます。」

「長崎、海援隊本部。辞書の編集にいそしむ隊士達。自由、希望としいった単語を入れようと話し合う惣之丞達。」

「子供達が日本に生まれてきて良かったと思える国を作りたいのだと続ける龍馬。」

「近江屋。龍馬の部屋で世界の絵図を見入る近江屋新之助。その様子を見て、本を手渡す龍馬。峰吉にはと、別の本を手渡します。」

「お龍に向けて、簡単な英語を教えると記す龍馬。アイ・ラブ・ユー、わしは、おまんが、好きじゃという意味だ、良く覚えておく様に、自分たちにとっては一番大事な言葉だからと続ける龍馬。」

「浜辺で龍馬の手紙を読み、もアイ・ラプ・ユーとつぶやくお龍。」

「近江屋の二階で、アイ・ラプ・ユーじゃ、お龍とつぶやく龍馬。」

「京都、薩摩藩邸。龍馬はみんなで日本の事を考えようと言っている、どうしても徳川を叩かなくてはいけないのかと西郷に迫る慎太郎。」

「下関。木戸に向かって、龍馬を信じよう、京に上って新政府を作ってくれと迫る伊藤と井上。本当のところは、龍馬はどう思っているのだうとつぶやく木戸。」

「京都、薩摩藩邸。もし、龍馬が○○○に徳川慶喜と書くつもりならと言いかける吉之助。そんな訳はないと遮る慎太郎。龍馬は大政奉還で徳川を助けたと叫ぶ吉之助。それなら自分が確かめてくる、もしあいつが言ってはならない名を口にしたら、その場であいつを斬ると言う慎太郎。黙ってうなずく吉之助。」

「近江屋。慎太郎から届いた手紙。そこには居場所を知らせろとありました。」

「町中を行く慎太郎。その前に現れた新選組。やり過ごそうと道を変える慎太郎。その背に向かって、龍馬と一緒に居た土佐者だなと声を掛ける近藤。逃れようと先を急ぐ慎太郎。その前を遮る新選組。囲まれた慎太郎。」

「隊士に向かって、手を出すな、自分がやると命ずる近藤。近く見ている見廻組の佐々木。」

「近藤と激しく斬り合う慎太郎。慎太郎の刀を素手で掴んだ近藤。彼は痛みをこらえて慎太郎に噛みつきます。叫び声を上げて近藤を突き放す慎太郎。」

「刀を投げ捨て、近藤に対峙する慎太郎。彼は、この刀が何の役にも立たない世の中が目の前に来ていると言いながら、懐紙を取り出して近藤の傷ついた手に握らせます。そして、おまえ、どうすると小声で聞きます。困惑しながら、そんな事は判らんと言い捨てて去っていく近藤。付き従う新選組。」

「幕府が無くなったら、新選組もただの人切りだと噂し合う町衆達。黙って去っていく佐々木。じっと見ていた今井信郎。」

「居酒屋。居続けで呑んでいる弥太郎。店の者に注意され、土佐ではみんな鯨の様に酒を呑むものだと毒づく弥太郎。その言葉を聞きつけたらしく、お前は土佐者かと尋ねる今井。彼の用件は龍馬の居場所を聞く事でした。」

「雨の中、見廻組の者達に囲まれながら、あんな奴の事は知らないと白を切る弥太郎。お前達は誰だ、幕府か、新選組か、見廻組か、薩摩かね長州か、紀州藩か、それとも長崎奉行所かと次々に名を上げていく弥太郎。龍馬を恨む者は沢山居るなと嬉しそうな今井。お前もその一人かと聞く今井。あんな奴は殺されて当然だと叫ぶ弥太郎。黙って去っていく見廻組。」

「その後を追う弥太郎。彼らの前に立ちはだかり、龍馬は殺される様な事はしていない、あいつは日本のためを考えているだけだと弁護を始める弥太郎。龍馬に悪気は無い、龍馬を殺してはいかんぞと叫ぶ弥太郎。彼を無視して先を急ぐ今井達。」

「彼らに追いすがり、殺さないでくれと懇願する弥太郎。彼は財布を取り出し、これをやる、五千両全部やると差し出します。今井は弥太郎に近付き、龍馬は徳川に忠義を尽くす我ら侍を愚弄した、我らの全てを無にしたと叫びながら当て身を食らわせます。思わずその場に崩れ落ちる弥太郎。彼を捨てて去っていく見廻組。泥水にまみれながら、のたうち回る弥太郎。」

「近江屋二階。咳き込んでいる龍馬。下から酒を運んできた寅之助。仕事のし過ぎを心配する寅之助に、自分が生まれたこんなめでたい日になとおどける龍馬。大事にして下さいと言って帰る寅之助。何やら書き物を続ける龍馬。」

「新政府の重役たるべき人物の名を書き連ねた龍馬。その紙を前に半平太に語りかけ、その名をここに書きたかったと杯に酒を注ぐ龍馬。」

「半平太の杯を飲み干し、新たな杯に酒を注ぐ龍馬。今度は以蔵に語りかけ、優しいお前には人を助ける仕事が向いていると言いながら、以蔵の杯を飲み干す龍馬。次いで、海援隊士の写真を置き、お前の事も忘れていないと長次郎に語りかける龍馬。お前には世界中を飛び回る大仕事をまかせると言って杯を干す龍馬。4つめの杯に酒を注ぎながら、高杉に向かって夢にまで見た新しい日本が来ると語りかけ、その杯を干す龍馬。」

「雨の中、近江屋に向かう慎太郎。その姿を陰で見つめる今井達。」

「闇の中、集まってくる傘。その傘を投げ捨てて、近江屋に向かう男達。」

「近江屋。夜なべ仕事をしている家人達。その時、潜り戸を叩く音。用心深く、もう店じまいしたと声を掛ける家人。腕まくりして構える籐吉。中岡慎太郎が来たと伝えて欲しいという男の声。はいと言って戸を開ける家人。安心して慎太郎を案内する籐吉。」

「中岡を部屋に請じ入れる龍馬。火鉢を挟んで対座する慎太郎。彼は新政府の重役を考えていたと言いながら、書き物を慎太郎に示す龍馬。」

「難しい顔をしながら、書き物に目を通す慎太郎。彼はそこに春嶽侯の名があるのを見て、徳川家の後家門だと難色を示します。春嶽侯は新政府には必要な人間だと答える龍馬。険しい表情で龍馬を見つめる慎太郎。その機先を制する様に、腹が減ったと言って立ち上がり、龍馬!と叫ぶ慎太郎を尻目に、階下に向かって軍鶏を買ってきてくれと頼みます。」

「雨の中、無言で近江屋に向かう武士の隊列。」

「軍鶏鍋でも食べながら話をしようと席に戻る龍馬。徳川を新政府に入れてはいけないと急き込む慎太郎。これは日本人による日本人のための新政府なのだと答える龍馬。人の気持ちはされほど割り切れるものではないと反駁する慎太郎。それは弥太郎にも言われた、しかし、260年も前のと言いかける龍馬を遮り、あの○○○は誰の名前が入るのだと問い掛ける慎太郎。あの○○○には、みんなが入ると答える龍馬。志さえあれば誰でも入れる、それをみんなで選ぶのだと説く龍馬。」

「その選んだ人物を、この人達が支えていくというのが自分の考えだ、自分を斬る前に良く考えてみてくれと言って、書き物を差し出す龍馬。お前の名前がないと答える慎太郎。自分は役人になる気は少しもないと答える龍馬。」

「雨の中、龍馬の名を連呼しながら近江屋に向かって駆ける弥太郎。」

「自分は海援隊の仲間と世界を回る、アメリカやイギリスがどれほどの国か、この目で確かめてくると龍馬。彼はさらに、世界中から知恵と技術と人々を集める、この世界には蒸気船の様に驚くべきものがまだまだ満ち溢れていると語ります。」

「世界中から知恵と技術と人々が集まったら、この国はかつて無いほどの夢と希みに溢れた国になると語る龍馬。興奮が冷め、龍馬の話に聞き入っている慎太郎。さらに蝦夷地開拓の夢まで語り出す龍馬。すっかり軟化し、海かとつぶやく慎太郎。」

「近江屋の潜り戸を叩く音。用心深く誰だと聞く家人。中岡慎太郎の家内だと答える女の声。不審に思いながら扉に近付く家人達。」

「近江屋二階。誰にも言うなと言いながら、自分は泳げないと白状する慎太郎。それは誰にもいえないないと笑い出す龍馬。その時、階下で響く物音。ほたえな!と叫ぶ龍馬。駆け上がって来る足音。危機を察知し、いかんと叫ぶ慎太郎。」

「駆け込んで来るなり、刀を振るう刺客達。不意を突かれて斬り立てられる慎太郎。斬られながらも刀を持って今井の太刀を受け止めた龍馬。どうしてわからん!と叫んで今井を突き飛ばす龍馬。その隙に斬り立てる見廻組隊士達。倒れた龍馬と慎太郎に何度も斬り付ける隊士達。龍馬の書き付けで刀の血を拭う今井。やがて、彼らは佐々木がもう良いとい言ったのをきっかけに立ち去ります。」

「後に残った瀕死の二人。のたうち回りながら、泳げなくても平気だ、わしの船はどんな嵐でも沈まないと叫ぶ龍馬。それなら安心だと答える慎太郎。世界はどれくらい広いのだろうと聞く慎太郎。すくに見に行けると答える龍馬。」

「震える手で、頭の傷をなぞった龍馬。深傷である事を悟ったのか、ああとうめき声を上げます。」

「わしはこの命を使い切れたかと問い掛ける龍馬。何を言う、お前はまだまだ!と叫ぶ慎太郎。そうか、まだまだか、そうだなあとつぶやく龍馬。」

「龍馬!と叫びながら夜の町を駆ける弥太郎。その前に現れた、抜き身の刀を持った血まみれの今井。なんていう事をと言いながら、今井達にむしゃぶりつく弥太郎。弥太郎を突き飛ばす今井。放っておけと弥太郎を捨て、家路に付く佐々木達。血刀を鞘に収める今井。」

「近江屋。そうじゃのと言って、息が絶えた龍馬。龍馬の名を呼びながら、屋根の上に這い出ようとする慎太郎。血まみれになって横たわる龍馬。その横に転がる新政府の重役候補の名簿。」

「雨の中、龍馬を返してくれ、大事な人だ、大事な人だと繰り返し泣き叫ぶ弥太郎。」

「桂浜。海を見つめて立っているお龍。その背後から呼びかける龍馬の声。振り向くと小船の中から龍馬が現れました。この海の向こうに広い世界があると両手を広げて伸びをする龍馬。そして、お龍に向かって、う・み!と笑顔の練習をしろと念押しをします。そう言われて海を見つめるお龍。再び振り向いた場所には、もう誰も立っていませんでした。」

「向こうからやって来た権八と乙女。お龍さんと声を掛ける乙女。う・みと言って笑顔を作り、乙女達の方を向くお龍。何を言ったのかと怪訝そうな乙女。一人背を向けて海岸を歩いていくお龍。黙って見送る二人。」

「明治15年。坂崎を相手に語り終えた弥太郎。西郷も木戸も居なくなった政府は、見にくい勢力争いばかりだと吐き捨てる弥太郎。今に龍馬の夢見た世の中が来ると言う坂崎。そんな甘い事ではないと言って立ち上がろうとし、転げる弥太郎。助けようとする坂崎の手を振り払い、わしに触るなと叫ぶ弥太郎。」

「龍馬は、脳天気で、自分勝手で、人たらしで、女人に好かれて、あれほど腹の立つ男は居なかった!わしはこの世で、あいつが一番嫌いだった!あなん男は、あんな龍はどこにも居ない!と言って、完爾と笑う弥太郎。」

「明治18年2月7日、弥太郎死去。」

「船の舳先で腕組みをして立つ龍馬。汽笛の音と共にフェードアウトする画面。完の文字。」

とうとう龍馬伝が終わりました。色々と思うところはあったけど、終わってみると寂しいものですね。ドラマの冒頭で弥太郎が放った龍馬が大嫌いだというインパクトのある台詞が、最後になって別の意味を持って甦ってきました。それは弥太郎がずっと押し殺してきた龍馬に対する思いだったのですね。この終わり方はなかなか良かったと思います。

近江屋事件周辺の史実については既に何度か書いていますので、ここでは詳しくは触れません。少しだけ補足しておくと、龍馬暗殺の夜に雨が降ったという記録は無く、雨中の出来事というのはドラマの創作でしょう。一つには弥太郎の行動を劇的にしたいという事、もう一つは吉田東洋の暗殺と重ね合わせたという事があるのかも知れません。(追記:当日の雨に関してですが、日中は確かに雨が降っていました。現場に下駄の遺留品があったのは、道がぬかるんでいたせいだと言われていますね。ただ、夜は雨が上がって晴れており、雨中の出来事であるという描写は、創作である事には変わり有りません。)

また、龍馬の名は彼が作った重役候補の中にはなく、それを見て不審を覚えた西郷に向かって、自分は役人になる気は無い、この後は世界の海援隊をやるつもりだと答えたというエピソードは有名ですよね。ドラマもこの線に沿って組み立てられていましたが、実際に作成された案には、参議候補として彼の名が入っていました。つまりは、彼は新政府に参加して新たな国作りを続けるつもりだったと思われるのですが、後世(大正時代)になってから世界の海援隊という伝説が創作された様です。まあ、その方が龍馬らしいという感じはするのですけどね。

次に、龍馬の葬儀について触れておきます。

龍馬の葬儀が行われたのは、慶応3年11月17日の夜の事だとされます。お尋ね者であった龍馬の葬儀を幕府にとがめられる事を恐れて、あえて夜に出棺したのだと言われます。その様子は以前に龍馬坂として触れていますが、その先の墓についてはまだ紹介していなかったと思います。

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これが霊山にある龍馬の墓ですね。これまでも常に参拝者が途切れる事はなかったのですが、龍馬伝の放映以来さらに増えて、行列が出来る程になっていたそうですね。この日は混雑を恐れて朝早くに訪れたのですが、それでも何人もの人がお参りに訪れていました。

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墓域には三柱の石塔が立っています。その右側にあるのが龍馬の墓石ですね。龍馬の遺体は土葬されたので、今でもこの下には龍馬の遺骨が眠っているはずです。

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左側にあるのが中岡慎太郎の墓石です。その功績は龍馬以上という評価もある中で、今ひとつ龍馬の陰に隠れてしまっている観がある人ですが、そのせいなのでしょうか、見ていると龍馬~慎太郎の順で参拝する人が多いようです。まあ、考えすぎかも知れないのですが。

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彼らの墓の隣に、一回り小さな墓標があります。これが藤吉の墓なのですね。龍馬達と一緒に死んだ藤吉も、同じ墓域に葬って貰えたのでした。ただ、この墓の存在を知る人は案外少ないらしく、手を合わせる人は少ない様です。今度お参りする機会があれば、是非藤吉の墓にもお参りしてあげて下さい。

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そしてもう一つ、龍馬達がここに眠っている理由は、この霊明神社にあるという事も忘れてはいけません。当時はこの神社の墓地に葬られる事が志士としての名誉とされており、龍馬達もまたその栄誉を受けるべくここに運ばれたのでした。

その後、京都護国神社が出来た事でその存在を忘れられてしまいましたが、やはり歴史的事実を消してしまうべきではありませんよね。

さて、終わりに当たってのご挨拶ですが、結構批判的な事も書いたりしたけれど、この番組によって龍馬が辿った人生を壮大なドラマとして楽しませて頂いたと思っています。私的には、龍馬をもう一度勉強し直す良い機会となりました。また、これまであまり知らなかった半平太や弥太郎の人生を知る事が出来たのは収穫でしたね。出来ればまた高知を訪れて、彼らが生きた町を探索してみたいものだと思っています。

皆様におかれては、一年間龍馬伝のレビューにおつきあい下さいまして、ありがとうございました。期間を通じて沢山のアクセスを頂いた事に感謝しています。これからも機会があれば龍馬について書いていきますので、よろしければまた遊びに来て下さい。お待ちしています。

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2010.11.27

龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か5

龍馬暗殺の直接の実行犯は見廻組であるという事については、ほぼ間違いはないと言えると思います。そして、その指令が見廻組の上層部から出されたと考える事も自然な流れと言えそうですね。

問題はその背後に何が隠されているかという事に絞られます。ここが幕末最大のミステリーと呼ばれる所以ですね。

まずは、これまで調べて来た幕府の公務執行であるとする説です。

繰り返しになりますが、龍馬は幕府転覆を狙う政治犯であると共に、伏見において捕吏を殺害した殺人犯でもありました。つまり幕府にしてみれば、龍馬を見つけ次第捕らえるのは当然の事であり、手に余れば殺しても良いという命令は何も龍馬に限った事ではなく、過激派に対しては以前から出されている特権でした。

公務の執行であったという傍証としては、菊屋峰吉が残した証言の中に井口家(近江屋)に伝わるという話があります。

事件当日、井口家の人々は階下に居たのですが、騒ぎが起きている最中に「佐々木見廻組頭の声で、この場合何か申し置く事があらば承ろうと言うのと、坂本さんの声で言い残す事は沢山にあるが、しかし汝等に言うべき事は毫もない、思う存分殺せ。と言う声が」聞こえて来たというのです。

これは全くの暗殺であれば無用の問答であり、捕縛に失敗したためやむなく斬り捨てたという形式を整える為に発した問い掛けではないかと思われます。まあ、感じとしては、いきなり斬り付けて致命傷を負わせた後で言っている様に思われますけどね。

まとめれば、近江屋事件は見廻組が上からの捕縛命令に従った公務の執行であった。しかし、実態は問答無用の暗殺と言って良く、幕府を転覆させた龍馬に対する恨みが込められた斬り込みであった。最後に形式を整える為に、龍馬の言い分を聞き置く形を取った、という事になるでしょうか。

次にポピュラーなのが、薩摩藩陰謀説です。薩摩藩が黒幕という説は実は事件直後からあり、「坂本を害し候も薩人なるべく候事」(改訂肥後藩国事資料・巻七)という噂が京都市中に流れていたそうです。

薩摩藩が龍馬を狙う理由は、薩摩があくまで武力討幕を狙っていたのに対し、龍馬は慶喜公の大政奉還の功を大とし、新政権においても慶喜公を政権の首座に据えようとしていた事にありました。かつては、龍馬と薩摩藩は歩調を共にしていた仲ではあったのですが、海援隊結成以後龍馬は土佐藩に大きく傾き、薩摩藩とは必ずしも利害が一致しない様になっていたのですね。龍馬には薩長同盟という大功があり、薩摩藩としては無碍にする事も出来ない、しかし、このまま活躍されては有害となるばかりという判断が働いたのだとされます。

この薩摩藩陰謀説を裏付ける証拠は種々存在します。

まず、龍馬暗殺の実行犯の一人である今井信郎の処遇が揚げられます。

彼は戊申戦争を函館まで戦い抜き、そこで捕虜となって取り調べを受けたのですが、その中で龍馬暗殺に関わった事を自白しています。そして、裁判の結果、龍馬暗殺に関わった事及び戊辰戦争において新政府に刃向かった事を罪に問われて禁固に処せられています。

ところが、本当は斬罪に処せられるべきところを助けた人物が居るというのですね。その人物こそが西郷隆盛でした。西郷と今井の間には表向き直接の関わりは見いだせず、それをあえて助けたのは龍馬暗殺の裏側に西郷が居たからではないかという疑惑が生じる事になるのです。

今井が西郷に恩義を感じていた事は確かで、後の西南戦争の時に彼は一隊を組織して九州に駆けつけようとしました。表向きは西郷討伐の為でしたが、本心は九州に着いたら西郷軍に寝返るつもりだったと息子に語り残しているのです。結果としては、九州に赴く前に西郷軍が壊滅してしまった為に不発に終わったのですが、今井をしてそこまでさせる関係があった事は確かですね。

次に、鳥取藩慶応丁卯筆記という資料に、龍馬を斬った犯人は宮川の徒かも知れないという記述があり、ここから薩摩藩が関与していると説く説があります。

この宮川とは、三条制札事件を起こした土佐藩士宮川助五郎の事と考えられ、彼自身は新選組に捕らえられたのですが、その仲間の多くは薩摩藩邸に逃げ込んで匿われていました。

この仲間達はその後十津川に移されており、事件当日に犯人が十津川郷士であるという名刺を差し出した話と符合します。つまり、この日中岡が龍馬に会いに行ったのは宮川が釈放されるのに際して、その身柄を陸援隊で引き受けても良いのかという相談をするためでした。そこに、十津川に居る仲間から連絡があっても不自然ではなく、籐吉が何の疑いもなしに犯人を通したのも頷けるというものですね。この場合、宮川の仲間というのは土佐人であり、薩摩藩の意向を受けた土佐人が同士討ちをしたという事になります。

ただ、この説は根拠が希薄であり、飛躍し過ぎているきらいがありますね。

薩摩藩陰謀説の有力な証拠とされるものに、佐々木多門の書状が挙げられます。佐々木多門とは海援隊士の一人であり、彼が松平主税の家来である岡又蔵という人物に宛てた手紙が現存しているのですが、そこには、

「才谷殺害人姓名迄相判リ、是ニ付テ薩摩ノ処置等、種々愉快ノ義コレアリ。」

と記されているのですね。

これをどう読むかですが、薩摩藩陰謀説に立てば、「龍馬暗殺の犯人はその氏名まで判った。この事件について薩摩が取った行動については色々と面白い事実がある。」となり、薩摩藩が関与している証拠を握ったという意味に取れます。残念ながら具体的な内容については触れられておらず、誰が何をしたのかまでは判りません。

この文書が公開されたのは平成4年の事で、当時は薩摩藩陰謀説の決め手とまでに言われました。

ところがその一方で、この文書を「龍馬暗殺の犯人の氏名は判った。この犯人解明にあたって薩摩藩が執った処置など、色々と愉快な事がある。」と正反対に読み取る説も出てきました。

具体的には、現場に残されていた刀の鞘について、薩摩藩が伏見藩邸に匿っていた御陵衛士達が新選組の原田佐之助のものだという証言を得たという事実を指すのではないかというのです。つまり「薩摩の処置」とは、元新選組の御陵衛士達を使って証拠を掴んだという意味だと言うのですね。

どちらかと言うと後者の方が有力な様な気がしますが、まだ結論を決めるには早すぎる様ですね。

薩摩藩陰謀説の根拠として、大久保利通が岩倉具視に宛てた手紙の一節を掲げる説もあります。

慶応3年11月18日付けで書かれた手紙の中で、大久保は「石川(中岡)が死んだ事は実に嘆かわしい」と記しているのですが、龍馬には一言も触れていないと言うのですね。つまり、主戦派だった中岡を死なせてしまったのは(自分たちの落ち度でもあり)残念極まりないと嘆くのですが、岩倉と共謀して暗殺した龍馬については触れる必要が無かったのだという説です。

大久保=冷血漢という前提に立った様な説ですが、これは強引に過ぎる説だと思われます。つまり龍馬が亡くなったのは15日夜の事で、中岡が死んだのはその2日後の事でした。大久保が18日の手紙に龍馬の名を出ずに中岡の事だけを書いたのは、龍馬の死は既成事実として今更書く必要がなかったのに対し、中岡はこの前日までは生きており、その死は新しいニュースだったからだと解釈出来ます。

大久保は別の岩倉宛の書簡で龍馬を暴殺したのは新選組であるらしい、いよいよ彼らは自滅を始めたのだと記しており、龍馬暗殺の犯人を憎んでいる事が伺えます。また、岩倉が大久保のに宛てた書簡には、龍馬と中岡が殺された事は、遺憾切歯の至りである、なんとか真っ先に復仇したいものだと記されており、大久保=岩倉ラインの犯行と見るのはちょっと無理が有りそうですね。

他には、大久保に要請された高台寺党の犯行とする説もありますが、この党に元薩摩藩士の富山弥平衛が居た事、そして龍馬襲撃の直前に伊藤甲子太郎が近江屋を訪れている事程度しか根拠が無く、かなり無理があると思われます。

薩摩藩ではなく土佐藩が黒幕であるとする説もあります。

これも古くからあって、龍馬と共に大政奉還を実現させた後藤象二郎が、その功を独り占めしようとして龍馬暗殺を企んだと言うのですね。この説には岩崎弥太郎も絡んでいて、暗殺の前後弥太郎は大阪に居たとされるのですが、その日記には何も記されていないのです。彼が事件の事を聞いたのは翌日の16日の事で、場所は大阪だったとされるのですが、その事も書かれていないのですね。

そして事件の直後、後藤は藩の執政に昇任し、弥太郎は土佐商会の主任の残留が決まったばかりではなく、新留守居組という上士格に取り立てられているのです。11月18日の弥太郎の日記には躍り上がって喜んだと記されており、龍馬暗殺の悲しみは微塵も感じられないのですね。龍馬の死と共に飛躍した後藤と弥太郎に疑惑の目が向けられてもおかしくは無いでしょう。

ただ、この説も動機という点で疑問が残ります。たとえ龍馬を殺したとしても、大政奉還の裏には龍馬が居たという事は大勢の人が知っており、後藤にとっては大したメリットはありませんでした。弥太郎にしても、龍馬を殺してまで乗っ取る程の魅力は、海援隊には無かったでしょうしね。

この説を補強するものとして、藩そのものが龍馬を消そうとしたのだとする説もあります。つまり、脱藩を繰り返しながら何の罰を受けることなく自由に振る舞う龍馬を忌々しく思う勢力があり、龍馬が藩邸に入れなかったのもこの勢力があったからだとされます。また、いろは丸の賠償金を巡って藩と海援隊の間で軋轢があり、この点でも龍馬は憎まれていたと言います。この様な藩内の反龍馬勢力が後藤と結び、龍馬暗殺を謀ったのだと言うのですね。そこには、もしかしたら弥太郎も何らかの働きをしたのかも知れません。

この説も推論としては面白く、かつ状況証拠としても頷けるところがあるのですが、如何せん論拠が希薄ですね。龍馬伝はもしかしたらこの説を採るのかという気もしますが、果たしてどうなるのでしょうか。

この他に、紀州藩陰謀説もあります。いろは丸事件で煮え湯を飲まされた紀州藩が、幕府に働きかけて龍馬を暗殺したと言うのですね。海援隊ではこの説を信じて、天満屋事件を起こすに至ります。ただ、これも状況証拠だけですね。

以上が龍馬暗殺の黒幕説の主なものですが、通説とされるのは幕府が主体的に動いたとされる説ですね。でも、どの説も面白く、推論の材料には事欠かないので、素人でも楽しむ事が出来ます。今でも新説が唱えられる事があり、まだまだ論争は続いていきそうですね。

参考文献)「坂本龍馬」 「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「龍馬暗殺の謎」 木村幸比古、「完全検証 龍馬暗殺」神人物往来社刊、 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

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2010.11.21

龍馬伝47 ~大政奉還~

「慶応3年10月、京都。ええじゃないかの騒ぎに巻き込まれた龍馬達。」

「二条城。大政奉還の建白書を携えて登城した象二郎。老中、板倉侯から建白書を受け取り、戦慄く慶喜公。」

「建白書を巡って、侃々諤々の議論を交わす幕府の重臣達。その中で一人大政奉還に理ありと説く永井玄蕃頭。反発する板倉侯、小栗上野介達。その騒ぎを一喝して静める慶喜公。」

「土佐藩邸。象二郎に幕府からの回答を聞く龍馬。一つもないと苛立つ象二郎。もう一押しできないかと迫る龍馬ですが、ここから先は慶喜公が決める事であり、待つしかないと答える象二郎。」

「長崎、土佐商会。密かにミニエー銃9千挺を売り捌こうとしている弥太郎達。」

「引田屋。小曽根乾堂、お慶、クラバーら仲間の商人達と会合を開いている弥太郎。彼は自分の読みが当たった、ミニエー銃には沢山の引き合いが来ていると明かします。戦になれば大もうけが出来ると息巻く弥太郎ですが、お慶達は龍馬が大政奉還に動いている事を知っており、その行動力の方を信じている様でした。」

「京都。永井の行列を先導する新選組。その先で平伏して永井を待ち構える龍馬。彼は大政奉還の建白書を書かせたのは自分だと名乗って永井に目通りを願い出ますが、新選組の隊士達は一斉に斬りかかります。それを駕籠の中から一喝し、止める永井。」

「永井の屋敷。居並ぶ家臣の中、端座している龍馬。着流し姿で入ってきた永井。勝海舟の師としての永井に話し始める龍馬。彼は船長の心得として、危難に遭遇した時は何よりも乗客・乗員の命を郵船すべきだという教えを引き、幕府が危うくなった今、慶喜公は徳川家の家臣を守るべきだと説きます。慶喜公の決断は、100年後、200年後の日本の将来を決める事と迫る龍馬。なにも答えずに、出て行けと告げる永井。黙って引き取る龍馬。」

「長崎、海援隊。龍馬はどこに居るかと聞きに来た弥太郎。弥太郎が武器を扱っている事を指摘し、何の為に商売をしているのかと問う惣之丞。決まっている、金儲けのためだと答える弥太郎。自分たちは龍馬のために商売をしている、今龍馬は大政奉還を成し遂げる為に京都にいる、必ず龍馬はやり遂げると弥太郎を突き放す惣之丞達。」

「京都、二条城。慶喜公に大政奉還を説く永井。京に居る全ての藩を集めろと命ずる慶喜公。」


「酢屋。駆け込んできた慎太郎。彼は明日各藩の重役が二条城に招集されるという情報を持ってきました。そして、その場で大政奉還の建白書が却下されるであろうという見通しを語ります。」

「薩摩藩、京都藩邸。慶喜公が大政奉還を拒否すると読み、国元の兵士達を呼び寄せようと決める吉之助達。」

「下関。戦争の準備でごった返す兵舎。」

「酢屋。吉之助との約束どおり、土佐も兵を挙げろと迫る慎太郎。」

「土佐藩、京都藩邸。重役招集の文書を読む象二郎。」

「高知城。鉄砲を構え、一発発射する容堂候。」

「酢屋。戦がしたい訳ではない、しかし、徳川を倒すには戦しかないと迫る慎太郎。」

「象二郎に手紙を書く龍馬。」

「龍馬の手紙を読む象二郎。戦だけは避けなければならない。もし、大政奉還が拒否されたら、長崎から海援隊を呼び寄せて慶喜公を斬る、象二郎もその覚悟で明日の会議に望んで欲しいと説く龍馬。」

「長崎、土佐商会。ミニエー銃の商談に忙しい社員達。一人、グラバー達の言葉を思い出している弥太郎。彼は明日の内に全部の銃を売ってしまうと決断を下します。」

「慶応3年10月13日、京都。二条城に集められた在京40藩の重臣達。その前に現れた慶喜公。彼は大政奉還を受け入れる事について意見を求めます。驚いて止めに入る板倉侯と小栗。一喝して黙らせる慶喜公。重ねて問う慶喜公。しんと静まりかえる一座。やっと上がる自分の一存では決めかねるという声。それをきっかけに次々に同じ答えを返す重臣達。」

「そんな中で、一人大政奉還を受けるべきだと声を上げた象二郎。今帝に政を返せばまさに大英断、異国からの侵略を防ぎ、薩長との戦も避ける事が出来ると叫ぶ象二郎。その象二郎の近くまで歩み寄った慶喜公。震えながら、慶喜公の名前は日本を救った英雄として未来永劫歴史に刻まれると言い切った象二郎。その象二郎の胸ぐらを掴んだ慶喜公。なおも、ご英断をと迫る象二郎。忌々しげに象二郎を突き放す慶喜公。立ち上がり、もうよい、下がれと言って解散を命ずる慶喜公。退出する重臣達。一人取り残される慶喜公。」

「酢屋。慶喜公が会議半ばで解散を命じたという知らせを持ってきた陽之助。彼が言うには、慶喜公がどういう決断を下すのかはまだ判らない、しかし、象二郎だけははっきりと大政奉還を勧めたという事でした。黙ってうなずく龍馬。」

「その夜、籐吉に世界地図を教える龍馬。彼は六分儀の使い方を籐吉に教えます。何をのんびりととあきれる陽之助達。今更じたばたしても仕方がないと答える龍馬。」

「籐吉と並んで星を見上げながら、早く船出がしたいとつぶやく龍馬。土佐の家族、お龍、それに海援隊の仲間と共に航海に出る夢を語り出す龍馬。自分も連れて行って欲しいと頼む籐吉。当たり前だと答える龍馬。」

「かつて作った黒船の模型を取り出す龍馬。彼は土佐の海に思いを馳せます。」

「翌朝、龍馬を訪ねてきた海舟。驚く龍馬。」

「容堂候に建白書を書かせたと永井から聞いたと海舟。幕府の役目は終わったと答える龍馬。今や敵同士だ、気安く言うなと海舟。驚く龍馬に、冗談だと誤魔化す海舟。」

「徳川家を残そうとする龍馬の苦心は判る、しかし、幕府を無くすのは容易な事ではない、二万の家臣が役目を失う事になると説く海舟。そんな事はどうでも良い、大政奉還が成ったら上も下も無くなる、役目を失った二万人も自分の食い扶持は自分で稼げばよいのだと答える龍馬。」

「一つだけ条件があると切り出す海舟。大政奉還を行う事は大変な勇気と決断力が必要だ、決して敗軍の将として扱う事は許さないと宣言する海舟。薩長を押さえられるかと念を押す海舟。命に賭けてと約束する龍馬。」

「その時、陽之助が叫ぶ声が聞こえました。慶喜公が大政奉還を決めた、その話を籐吉が永井まの屋敷の者に聞いたと知らせる陽之助。呆然とする海舟。慶喜公は、良くご決断されたと感激する龍馬。たった一人でこれだけの大仕事をやってのけたと褒め称える海舟。一人ではない、みんなでやった事だと答える龍馬。」

「新しい日本の夜明けぜよ!と叫ぶ龍馬。」

「慶応3年10月14日、終焉を迎えた徳川幕府。」

「長崎、海援隊本部。大政奉還の知らせに沸く隊士達。」

「土佐商会。手紙を見ながら、負けたと言いながら泣く弥太郎。」

「薩摩藩、京都藩邸。大政奉還の知らせに感激する慎太郎。その感動に水を浴びせるかの様に、龍馬を生かしておいたのは間違いだったと言い放つ吉之助。驚く慎太郎。」

「下関。誰が慶喜をたぶらかしたのだと叫ぶ井上。坂本君とつぶやく木戸。」

「二条城。なぜこんな事になってしまったのかとつぶやく慶喜公。薩長が手を組み、土佐が寝返ったからだと答える小栗。その全てに関わったのが坂本龍馬と続ける板倉侯。坂本龍馬とつぶやく慶喜公。」

「京都。ええじゃないかの騒ぎの中、大政奉還を宣言する龍馬。その時上がる悲鳴。と共に現れた新選組。幕府が終わっただとと言いながら刀を抜く近藤。待てと叫びながら現れた海舟。龍馬を斬る事は上様の決断を蔑ろにする事だ、自分が許さないと言って白刃の前に立ちはだかる海舟。近藤に向かって、これからの日本は大きく変わる、自分たちと一緒に新しい日本を作らないかと呼びかける龍馬。忌々しげに立ち去る近藤。後を追う隊士達。」

「再びわき上がるええじゃないかの波。大政奉還はなった、しかし、それだけでは人々の暮らしは変わらない、全てはこれからだと叫ぶ龍馬。700年続いた侍の世の中を終わらせたのだ、ここからが正念場ただと発破を掛ける海舟。これから何をするんだと言って去っていく海舟。その後ろ姿を見送る龍馬。」

「長崎、引田屋。ミニエー銃の代金を乾堂とお慶に支払う弥太郎。大政奉還の知らせが来る前に銃を売り抜けた事を褒める乾堂。やはり龍馬を信じたのかと問うお慶。」

「待ってろよ、龍馬と叫ぶ弥太郎。」

「酢屋。早く京から逃げようと勧める陽之助達。そんな事は判っている、しかし、それ以上にやる事があるのだと言って書き物を続ける龍馬。」

ようやく大政奉還が成りました。平和革命を成し遂げたと喜ぶ龍馬ですが、それだけでは何も変わらないのだと気付きます。史実の龍馬はその先も見通していて新政府綱領八策を作るのですが、それがドラマの最後で書いていた文書ですね。

ええじゃないかの群衆に向かって大政奉還が成ったと叫んでも、人々が何も反応しない場面は象徴的でした。その後、新選組と海舟のやりとりがあっても、群衆にはやはり何も伝わらないのですね。そこで龍馬は、まだまだやり残した事があると気付いたのでした。

実のところ、武力討幕派は早くからこの事に気付いていたのでした。社会の仕組みが根底から変わったと世の中に知らせるには、全てを破壊する戦争に拠るほか無いと考えていたのが西郷であり、大久保であったのですね。長州藩にしても同様で、彼らは奇兵隊を生んだ藩内革命を通してその事を実感していたのでした。決して、徳川の持つ権力を力尽くで奪いたいからと考えていた訳ではないのですね。龍馬もまたその事は承知しており、大政奉還はその一手段に過ぎないと考えていた節が窺えます。

しかし、慶喜公が大政奉還を決意した事で龍馬の立場は変わりました。彼は慶喜公の功を大として、徳川家を存続させる方向に舵を切ったと言われます。それこそ平和革命を指向したのですが、その矢先に非業の死を遂げてしまったのですね。平和革命というのは武力革命以上に困難な道であったと思われますが、それを龍馬がどう実現させていくつもりだったのかと考えずには居られません。

さて、ドラマの展開と史実との関係を簡単に記しておくと次のとおりです。

大政奉還の建白書を巡っては、慶喜公以下幕府の重臣達もあらかじめ承知していた事でした。建白書が提出されたのは10月3日の事ですが、それに先立つ9月20日に薩摩藩との調整に手間取る土佐藩に対して、永井玄蕃頭が早く提出する様にと催促しているのですね。ですから、建白書がいきなり提出されたと驚くはずもありません。

龍馬が象二郎に手紙を書いて発破を掛けたのは史実にあるとおりです。ただ、この直前まで龍馬は土佐から部隊を呼び寄せて討幕の軍に加えようと画策していました。にも関わらず、当日になったら突然大政奉還が成らない時は慶喜公を殺して自分も死ぬと言い出しているのですね。このあたりの心境の変化の理由は良く判りません。歴史の変化点にあって気持ちが高ぶったのか、あるいは大政奉還の可能性を感じてそれまでの方針を変えたのか。実のところ、象二郎の方は慶喜公が建白書を受け入れそうだと知っていた様子が窺えます。

大政奉還の場面で、慶喜公が諸藩の重役の前に現れるという図は二条城に掲げられており、大変有名なものですよね。しかし、実際には慶喜公は現れず、老中が趣意書を重役達に回覧して、意見のある者は特に拝謁が叶うと伝えたのでした。実際に拝謁して賛意を述べたのは象二郎と薩摩藩の小松帯刀です。

大政奉還が成った後で兵を国元から呼び寄せると言った西郷でしたが、実際には既に国元からは兵が進発していました。これは長州藩と示し合わせての事で、大政奉還が朝廷に上表されたのと同じ10月14日付けで討幕の密勅が下されており、慶喜公がもし建白書を受け入れなかったとしたら、そのまま戦争になだれ込むもりで居たのです。本当に際どい歴史のIFですね。

なお、龍馬が永井に会った事、弥太郎がミニエー銃を売りさばいた事、海舟が京都に現れた事などは全て創作です。また、籐吉が大政奉還の知らせをもたらしたのも創作ですが、それにしても何でこんなリアリティの無い展開にしたのでしょうね。二条城の奥で決められた事がいち早く小者同志の会話の中に出て来る事などあり得るはずもないのだけど、籐吉にも活躍の場を与えてやろうとしたのかな。実際には象二郎からの手紙で初めて判った事の様です。

次回は最終回、いよいよ暗殺の謎が描かれる事になりますね。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」  「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

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2010.11.20

龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か4

龍馬を襲ったのは見廻組でしたが、当日直接の指揮を執った者は与頭の佐々木只三郎でした。

只三郎は、天保4年(1833年)に会津藩の佐々木家の三男として生まれています。長じて旗本である佐々木家に養子に入り、幕臣となりました。剣術は神道精武流を学び、幕府講武所の剣術師範を勤めた事もある程の腕前です。特に小太刀の名手として知られていた様ですね。

只三郎が幕末の風雲の中に出てきたのは、文久3年に浪士組が結成された時でした。只三郎は取締並出役として浪士組と共に上洛し、その監督に当たっています。京都においては、清河八郎に反発して残留を決めた近藤勇達と会津藩の仲立ちをしたとされており、新選組の結成にも一役買った事になりますね。

只三郎は浪士組が横浜警護を命じられると一行と共に江戸に帰ったのですが、その直後に清河を暗殺しています。これは清河が浪士組を操ろうと画策し、幕府を裏切った事が原因でした。

翌元治元年からは、京都見廻組の与頭として都の治安維持に当たる事になります。見廻組は新選組の様な派手な活躍こそありませんが、京洛の地における佐幕派の雄として重きをなしました。この佐幕一途の只三郎から見れば、大政奉還を実現させた龍馬は幕府に仇なす大悪人と映った事でしょうね。

この只三郎が龍馬暗殺における実行犯の一人であると示す資料は二つあります。その一つが実兄にあたる手代木直右衛門の伝記「佐々木直右衛門伝」です。

直右衛門は会津藩公用方という重役であり、見廻組を預かる只三郎とは常に連携して事に当たっていた様ですね。「佐々木直右衛門伝」は子孫の方が大正12年に刊行した私家版の伝記で、そこには死の数日前に直右衛門が語り残したとされる龍馬暗殺の経緯が記されています。

まずはその動機ですが、龍馬は薩長同盟を締結させた張本人であり、さらには土佐藩の藩論を討幕に転換させた人物として、幕府から深く嫌忌されていたからとしています。龍馬が「新政府綱領八策」において慶喜公を新政権の中枢に据えようとしていた事など、一顧だにされていないのですね。

次に、この命令を下したのは京都所司代である桑名侯・松平定敬だったと明記されています。当時はまだ旧幕府が行政府としての機能を有していましたからこれは公務の執行という事になるのですが、土佐藩との軋轢を考慮したのか当時も公表はされていません。そして王政復古以後は、桑名侯は会津藩主松平容保侯の実弟にあたるため、その家臣たる直右衛門は主に累が及ぶ事を恐れて明るみには出さなかったとの事でした。

思うに、捕縛を命じていながらその一方では手に余った時は斬り捨てて良いと認めており、実際にはほとんど問答無用で斬り付けている事から、事実上は暗殺指令だったのでしょう。龍馬が全くの浪人身分であった頃ならともかく、この時点では藩士としての復帰が認められているのですから、これを表沙汰にするのは憚られたのでしょうね。

増してや、龍馬の様に直接の容疑(伏見で捕吏を射殺したという罪)が無い中岡や籐吉を巻き添えにしているのですから、たとえ公務だと言い張っても落ち度がある事は否めません。当時の幕府が置かれていた微妙な立場からすれば、全てを闇に葬り去るのが得策と考えられたのでしょう。これがもし幕府の全盛期に起きた事件だとしたら、土佐藩取りつぶしの口実として大いに喧伝されていた事でしょうね。

次の資料として、只三郎の子孫が高橋一雄という人に依頼してとりまとめた「佐々木只三郎伝」があります。この伝記は維新史研究所の調査資料を元に編まれたものとされ、具体性に富んだ充実した内容となっています。

以下、箇条書きに要点を掲げます。

・龍馬を襲ったのは某諸侯の命に拠ると、実兄の手代木直右衛門が死の数日前に語り残している。この諸侯とは会津藩主松平容保の事を指し、主君に累が及ぶ事を懸念した直右衛門がずっと秘匿していた。

・龍馬が潜んでいた近江屋は、元治以来土佐藩の御用達を務めていた関係で龍馬を預かった。また、当主の新助は義侠心に富んだ人物であり、龍馬のために土蔵を改造して隠れ家とし、食事もここに運んで外からは一切その所在が判らない様にしてあった。また、万が一の時には裏の誓願寺に逃げられる様に梯子も用意されていた。

・龍馬は襲撃のあった日の前日から風邪気味で熱があったため、何かと不便な土蔵を出て、母屋の二階奥八畳の間に移っていた。

・当日襲撃を行ったのは、只三郎のほか渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、土肥仲蔵、桜井大蔵、今井信郎の7人である。

・午後2時頃一度近江屋を訪ねたが留守であったため、先斗町の瓢屋に引き上げた。この瓢屋と近江屋の間に見張りを置き、リレー式に連絡が伝わる様に手当てした。

・夕方6時頃に一人の武士が近江屋に入っていった。次いで7時頃には15、6の少年、暫くしてからもう一人の武士が近江屋に入ったとの知らせがあった。いずれも出て来る気配が無いので、いよいよ在宅しているとの確信を得た。

・只三郎達は瓢亭を出て近江屋の近くで待機した。午後8時半頃、少年と武士が連れ立って出て行ったのを確認した。

・只三郎は近江屋に行き、応対に現れた下僕に「十津川郷士である、坂本先生が在宿なら御意を得たい」と言って名刺を差し出した。下僕は怪しむことなく、名刺を持って二階に上がっていった。

・その隙に渡辺、高橋、桂の三人が屋内に入り、下僕の後を静かに付けて二階へと上がっていった。そして、下僕が名刺を渡して部屋から出てきたところを、一人が出会い頭に切り倒した。この時龍馬は「ほたえな!」と叫んでいる。

・残る二人は座敷に飛び込み、咄嗟の内に龍馬と慎太郎の二人を倒してしまった。この時、誰が下僕を斬り、誰が龍馬と慎太郎を斬ったのかは良く判らない。

・斬り込まれた時、龍馬と慎太郎は行灯を挟んで対座していた。一人は龍馬の前頭部を斬り付け、もう一人は慎太郎の後頭部を斬った。

・龍馬は佩刀を後ろの床の間に置いてあったので、これを取ろうとして後ろ向きになった。そこを右の肩から左の背骨にかけて大袈裟に斬られた。それでも龍馬は刀を手にして立ち上がった。

・そこに三の太刀が襲い掛かった。龍馬は刀を抜く暇もないままに、鞘ごとその太刀を受けようとした。しかし、部屋の天井が低く傾斜していたため、鞘の鏢が天井を突き破ってしまった。敵の刀は鞘ごと龍馬の刀身を三寸ばかり斜めに削り取り、前頭部を鉢巻きなりに薙ぎ払った。龍馬は「石川刀はないか、刀はないか」と叫びながら昏倒してしまった。

・慎太郎は短刀を持って立ち向かったが、これも鞘を払う暇が無い程に斬り立てられ、めった斬りにされた。特に右腕は皮一枚でやっと繋がっているほどであった。

・敵は失神して倒れた慎太郎の臀部を二太刀斬り付けたが、慎太郎が死んだ様子だったので、もう良い、もう良いと言って立ち去った。

・この間、只三郎は階段の上がり口を警戒し、他の三人は近江屋の店の者が騒ぐのを取り押さえていた。そして、襲撃組の三人が下に降りてきたので、そのまま連れだって店の外に出た。

龍馬襲撃関連の部分は以上ですが、現在知られている襲撃時の経過はほぼ網羅されており、諸資料をベースにまとめ上げられたものだと推測されます。そして、数ある小説やドラマのシナリオは、この佐々木伝を元にして書かれている事が判りますね。

補足すれば、午後6時頃に訪れた武士が中岡慎太郎でした。彼は奉行所から釈放される宮川助五郎の引き取りについて龍馬と相談するために訪れたと言われます。

次に7時頃に訪れた少年は菊屋の峰吉、ほぼ同時刻に訪れた武士は岡本健三郎です。峰吉が近江屋を出たのは龍馬から軍鶏を買ってきてくれと頼まれたからで、岡本は他に所用があったため峰吉が外に出るのをきっかけとして席を立ったのでした。

また、午後2時頃に龍馬が留守であったというのは、近所に住む福岡孝弟を訪ねていたためではないかと思われます。

辻つまが合わない点としては後二人の訪問者が欠けている事が揚げられます。この夜には海援隊士の宮地彦三郎と板倉槐堂が近江屋を訪れているはずなのですが、佐々木伝の記述には含まれていません。ここまで詳しい記述なのに、奇妙と言えば奇妙ですね。

そして、「手代木直右衛門伝」と大きく異なるのは、指示を下した人物が桑名侯ではなく会津侯であるとしている点です。見廻組の上位に居るのは京都守護職であるはずですから、会津侯とする佐々木伝の方がより自然に思えます。直右衛門が容保侯を庇っていたのは自身が語っているとおりですが、少しでも累が及ぶのを防ぐ為に桑名侯の名を出したものなのでしょうか。

なお、見廻組に指示を出した人物としては、当時見廻役(京都守護職の下に位置し、見廻組を統括する役職。)であった小笠原弥八郎がまず疑われました。彼は明治3年に今井信郎の供述に基づき取り調べを受けていますが、自分は無関係であると証言し、これが認められています。

次いで、当時目付であった榎本対馬守も名前が挙がっている一人です。これは勝海舟がその日記に記している人物で、大阪町奉行を務めていた松平勘太郎がそう推測しているとあります。ただ、この人物に関してはこの日記に記されているだけで、見廻組とどういう関係があったのかなど詳しい事は判っていません。大阪町奉行であった人物がそう言う以上、なんらかの根拠があったかも知れないだけに、もう少し詳しく書いておいてくれればと、ちょっと惜しい気もしますね。

参考文献)「坂本龍馬」 「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「龍馬暗殺の謎」 木村幸比古、「完全検証 龍馬暗殺」神人物往来社刊 

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2010.11.14

龍馬伝46 ~土佐の大勝負~

「土佐藩、高知城。城内に運び入れられる千挺のミニエー銃。その箱を見て何だこれはと問い掛ける容堂候。今に日本中が内乱となる。土佐が生き残るためには必要な武器だと答える象二郎。その武器はどっちを向いて使う気だと問う容堂候。徳川将軍の威光は無く、人心は新しい世を望んでいると答える象二郎。不機嫌そうに、無言で立ち去ろうとする容堂候。あわてて容堂侯を制し、会わせたい者が居る、坂本龍馬というこの千挺の銃を持ってきた男ですと縋る象二郎。象二郎を振り切って立ち去る容堂候。」

「目を閉じて座敷に控えている龍馬。」

「今日は駄目だ、大殿様を動かすのは簡単ではないと言いながら座敷に入ってきた象二郎。薩長はもう待ってくれない、何としてもお目通りを叶えて欲しいと訴える龍馬。判っていると苛立ちを押さえつつ答える象二郎。」

「坂本家。台所で働く乙女達。そこに誰がいませんかという野太い声が聞こえました。お客さんだ、千野さんと声を掛ける乙女。そこに、龍馬が帰ってきましたと現れる龍馬。驚きつつも喜んで飛びつき、糠味噌の付いた手で龍馬の顔をなでる乙女。あまりの臭気に怒る龍馬。出迎える千野。春猪の子鶴井を見て駆け寄る龍馬。権平を見て、無沙汰を詫びる龍馬。子供を抱いて現れた春猪。大騒ぎになる坂本家。」

「仏壇に向かって手を合わせる龍馬。留守中に亡くなった伊輿が心配してくれていたと聞き、位牌に向かって詫びる龍馬。」

「居間。今度戻って来る時は、必ずお龍を連れて来ると約束する龍馬。彼は今度土佐に戻って来たのは、大殿様にお願いをするためだと語り始めます。お前が大殿様に会えるはずはなかろうと驚く乙女達。実は後藤象二郎様のとりなしがあるのだと答える龍馬。藩の参政と知り合いかといぶかる乙女。知り合いと言うか同志と言うかと答えを濁す龍馬。もしかして、大出世したのかとはしゃぐ春猪。どう説明したら良いのかと困る龍馬。その時、訪ねてきた人が居ました。」

「夜、大宴会になっている坂本家。訪ねてきたのは岩崎家の人々でした。機嫌良く踊る弥次郎。龍馬に酌をしながら、弥太郎は藩の役に立っているのかと聞く美和。あいつが土佐商会を引っ張っているのだと答える龍馬。出世したからと言って人様を見下す様な事をしたら私が許さないと美和。弥太郎はそんな者では終わらないと話に加わる弥次郎。自分が日本を支えるという気概を持たなければ侍ではないと気炎を上げる弥次郎。にこやかにうなずいてやる龍馬。酔い崩れる弥次郎。弥太郎は自分というものをしっかりと持っていると言ってやる龍馬。それは褒め言葉かと相好を崩す弥次郎。和やかに続く宴。」

「土佐商会。主任から降りて、一介の職員として夜遅くまで働く弥太郎。そこにやってきた藩士の高橋と森田。彼らは弥太郎が付けていた帳簿を奪い取り、中身を点検します。これは土佐商会の仕事ではないと指摘する高橋達。わしは自分の商売をしている、藩の金を使う訳ではないと言って帳簿を取り返す弥太郎。自分たちはお前が主任を降ろされた事を残念に思っていると意外な事を言い出す高橋達。これからは刀よりも算盤の方が役に立つ時代が来る、その仕事を手伝わせてくれと頼む高橋達。」

「高知城。藩の行く末について議論をする重臣達。どうどう巡りの議論を聞き、やかましいと怒鳴りつける象二郎。」

「龍馬が帰って来たという噂は、一晩で土佐中に広がりました。海岸で龍馬を囲む下士の仲間達。千挺の銃でどっちと戦うつもりかと聞く下士達。徳川だと答える龍馬。ついに幕府を倒す時が来たかと盛り上がる下士達。そこに、坂本龍馬というのはどこに居るのかと言いながらやって来た上士達。」

「高知城。容堂候に、龍馬に会って欲しいと再度頼み込む象二郎。どうしてあの男に会わなければならないのだと怒鳴りつける容堂候。」

「海岸。大殿様に会って何をするつもりか、土佐藩を戦に巻き込むつもりかと龍馬に詰め寄る上士達。薩長と徳川が戦を始めたら、土佐も日和見は出来ないと反論する下士達。跪けと居丈高になる上士達。やめや、と叫ぶ龍馬。」

「高知城。今の世の中の流れを作ったのは坂本龍馬だ、薩長を結びつけ、薩土盟約を成立させたのはあの男なのだと容堂候に訴える象二郎。」

「海岸。砂浜に正座する龍馬。満足げに、お前達も跪けと下士達に命ずる上士達。憤る下士達。突然笑い出した龍馬。下士が上士に跪く、こんなばかばかしい事を土佐ではまだしているのかと言って立ち上がる龍馬。何だとと詰め寄る上士達。一人の男の手を掴む龍馬。」

「高知城。象二郎に向かって、どうしてそれを黙っていたと詰め寄る容堂候。下士の分際で東洋に認められ、脱藩者でありながら次々と大事を成し遂げていく龍馬が妬ましかったのだと苦しげに白状する象二郎。」

「海岸。男と無理矢理握手する龍馬。自分が持ってきたあの銃は、こうしてみんなが仲良く手を繋ぐための銃だと諭す龍馬。手を振りほどいて、尻餅をつく上士。この振る舞いは決して許さないと捨て台詞を残して去って行く上士達。」

「龍馬に会ってくださいと頼む象二郎。その前に座り、一点を見つめている容堂候。」

「太鼓が響く中、高知城の廊下を歩く龍馬。」

「目を閉じて容堂候のお出ましを待つ象二郎。庭先で土下座して控えている龍馬。」

「奥から現れた容堂候。彼は庭先の龍馬に向かって面を上げろと命じます。」

「久しぶりだと切り出す容堂候。勝麟太郎の書生をしていた時に一度会って以来だと答える龍馬。脱藩者だという事を隠して、白々しい事を言っていたと皮肉る容堂候。」

「慶喜公に政権を返上する大政奉還の建白書を書いて貰えないかと切り出す龍馬。それは直訴か、直訴というものは受け入れられなかった時には腹を切らなければならないのだと一喝する容堂候。大殿様が戯れ言だと思われたのなら、ここで腹を切ると答える龍馬。」

「笑いながら、自分の戯れ言で城下に騒ぎを起こしたのを忘れたのか、東洋を斬ったのは自分だと嘘を付いたではないかと言って席に着く容堂候。あれは武市を助けたがったからだ、武市は武士の鑑だったと答える龍馬。あれに切腹を命じたのは自分だ、お前の仲間の下士達を殺していったのも自分だ、難くはないのかと問い掛ける容堂候。下士が上士に虐げられているこの土佐の有様が憎いと叫ぶ龍馬。しかし、母は自分に教えてくれた、憎しみからは何も生まれないと。憎むべきは250年以上続いてきた、この古い日本の仕組みだと言って立ち上がる龍馬。無礼者と言って飛びかかる上士達。大声を出して制止する象二郎。その上で申し訳ないと容堂候に詫びる象二郎。」

「座敷に入り、立ったままで、幕府も藩ももう要らない、この国は新しく生まれ変わらなくてはならない、それが大政奉還だと叫ぶ龍馬。将軍も大名も消してしまうと言うのかと問い掛ける容堂候。はい、武士という身分もおそらく無くなってしまうと答える龍馬。いきり立つ上士達。黙れと制止する象二郎。自分がどれほど恐ろしい事を言っているのか判っているのかと問う容堂候。世の中が変わるという事は、突き詰めて考えれば、自分が言った様になるだろうと答える龍馬。」

「座って容堂を見つめる龍馬。彼はこの国は武士が力で押さえるのではなく、志のある者が議論を尽くして治めていく様になるべきではないのかと訴えます。そして、脇差しを抜いて前に置き、懐から巻紙を取り出し、ここに新しい国の形が書いてある、どうか大殿様のご決断をお願いしますと結びます。」

「立ち上がる容堂候。それを見て、自分も脇差しを抜いて前に置き、ご決断をと叫ぶ象二郎。」

「二人を見下ろしながら、大名も武士も無くなってしまった世の中に何が残るのか答えろと龍馬に問い掛ける容堂候。顔を上げて、異国と堂々と渡り合う日本人が残ると答える龍馬。」

「刀を仕舞えと命ずる容堂候。脇差しを差す二人。立ち去る容堂候。正面を見つめ、涙を流す龍馬。」

「夜、坂本家。夜食を食べながら坂本家の飯が一番だとご機嫌な龍馬。給仕をする乙女達。父が亡くなった年まであと5年だ、自分が死んだら誰がこの家を守るのかと言い出す権平。私が守ると言い張る乙女。彼女を無視して、龍馬に坂本家の家督を継いで貰えないかと頼む権平。今龍馬を止めてはいけないとたしなめる乙女。居住まいを正し、もう少しで大仕事が終わる、その時が来たら必ずこの家に戻って来ると答える龍馬。本当かと確かめる権平や春猪。必ずと約束する龍馬。複雑な面持ちの乙女。」

「夜明け前。坂本家の縁側で酒を飲む龍馬。」

「同時刻、高知城の縁側で酒を飲んでいる容堂候。その傍らには、龍馬が渡した巻紙があります。」

「大政奉還の建白書を出して慶喜公の怒りを買えば、この山内家はお取りつぶしになるかもしれないとつぶやく容堂候。側に控えている象二郎。彼は大殿様が意を決して建白書を出すのなら、それに異を唱える家臣は一人もいないと進言します。杯を象二郎に渡し、酒を注いでやる容堂候。飲み干して返杯する象二郎。武士の世を終わらせるてやるかと語りかける容堂候。」

「別室で建白書を書き始める容堂候。やがて書き終えて、極楽浄土の掛け軸を見つめます。」

「高知城。建白書を載せた三方があります。平伏して礼を述べる龍馬。千挺の鉄砲は9千両で土佐藩が買い上げると宣告する容堂候。ただし、その鉄砲は徳川を撃つ為ではなく、この土佐を守る為の武器だと付け加えます。有り難き幸せとひれ伏す龍馬。」

「立ち上がって龍馬の前に行き、座り込む容堂候。お前はわしがこれを書くと信じていた、それはどうしてだと聞く容堂候。それは大殿様が武市半平太の牢に来たと聞いていたからだと答える龍馬。今の姿と同じように半平太と同じ地べたに座り、お前は良い家臣だったと言ってくれた、半平太は涙を流して喜んでいたと語る龍馬。黙って立ち上がり、部屋を出て行く容堂候。その後ろ姿に向かってひれ伏し、ありがとうございますと礼を言う龍馬と象二郎。」

「三方に乗った建白書を手に取り、頭を下げる龍馬。そして、傍らにいる象二郎に礼を言います。象二郎は立ち上がって、右手を差し出しました。龍馬も立ち上がり、微笑みながら握手を交わします。」

「海岸で海を眺めている龍馬。そこにやって来た乙女。にこやかに迎える龍馬。彼は明日京に発つ、いよいよ正念場だと言います。お前の周りは敵ばかりの様で心配で堪らない、命だけは大切にしろと忠告する乙女。心配ない、大殿様は自分の言う事を聞いてくれたし、象二郎は今や味方だと笑い飛ばす龍馬。そして、全てが終わったら、自分は蒸気船に乗ってお龍を連れて土佐に戻ってくると約束し、かつて乙女達に言った家族を連れて世界を見て回るという夢を語り出します。清国、インドと叫ぶ乙女。アフリカと言いながら砂浜に地図を書き出す龍馬。アメリカと言って小さく線を引く乙女。アメリカはもっと大きいと叫ぶ龍馬。出立は来年の春だ、それままで楽しみに待っていてくれと言う龍馬。ありがとうと礼を言う乙女。」

「早く春にならないかと言いながら海を見つめる龍馬。隙有りと言って棒でその尻を叩く乙女。久しぶりにやるかと言って、ちゃんぱらを始める二人。龍馬の棒を叩き折った乙女。なんという力だと驚く龍馬。いつまでもじゃれ合う二人。」

今回は史実とは全く違う完全な創作(容堂候を説得したのは象二郎。容堂候に関しては龍馬は関与していません。)でしたのでドラマの感想だけになりますが、なるほどここに持ってきたいがための伏線だったのかという謎解きがいくつもありました。このシナリオ作者は半平太への思い入れがとても強いのですね。どう考えても無理があった半平太に会いに来た龍馬のシーンを入れた意図がやっと判りましたよ。

リアリティの無さは相変わらずで、下士に過ぎない龍馬が御前であんな態度を取ったら、乱心者として斬り捨てられてもおかしくはないと思うのですが、それが通ってしまうのが龍馬伝ですね。それに訴えている事があまりに情緒的で、説得力が無い事も気になります。大政奉還=武士の世の終わりというのも飛躍のし過ぎですね。何より、大名も武士も無くしてしまうなどとこの時点で殿様に向かって言ってしまっては、全てがぶち壊しになってしまうのが落ちでしょう。それを怒らない容堂候の度量の大きさには感服しました。この容堂候は結構好きだなあ。

ただし、慶喜公を怒らせたら山内家はお取りつぶしになると言っていましたが、そんな権力が幕府に残っているはずも無く(それをやろうとして失敗したのが長州征伐です)、容堂候の思考の中に入っていたはずもないと思いますけどね。

龍馬の横でじっとこらえている象二郎の演技は光っていました。無茶苦茶な龍馬に対して折り目正しい象二郎という対照も良かったですね。説得力の無い訴え方は頂けないですが、龍馬の暴走を止めずにいる度量の大きさと上士達を押さえる威厳はなかなかのものでした。

最後のシーンは、ほのぼのとしていて良かったです。これも小龍に出会った後のシーンを受けてのものですね。あの回では何だこの子供じみた夢はと思ったのですが、ここまで来るとすぐ後に来る悲劇と対照していとおしく感じました。

少しだけ史実との絡みを補足しておくと、ドラマの中で龍馬に絡んだ上士達が居ましたが、実際にも龍馬を厳罰に処すべきだと当局に迫った上士達が居た様です。何と言っても脱藩という大罪を二度も繰り返した訳ですからね、それに対して何の処罰も与えない藩当局に対して不満を持つ者も少なからず居たという事です。

龍馬が京都藩邸に入れなかった理由の一つには、こうした反対勢力が居た事が挙げられます。直接には龍馬の土佐藩への復籍の手続きが終わっていない事が原因だったのですが、不平分子に拠る意図的なサボタージュがあったのかなという気もしますね。龍馬の敵は国元にも居たと言う事は確かです。

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2010.11.13

龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か3

もう一人、龍馬暗殺について語り残しているのが渡辺篤です。この人は天保14年(1843年)に京都二条城御門番組与力・渡辺時之進の長男として生まれました。龍馬暗殺の時には24歳という事になりますね。剣術は西岡是心流(大和郡山の人、西岡是心を開祖とする流派。京都所司代においてはこの流派を修める人が多かったと言います。)の免許皆伝者で、家茂公の御前試合のにおいて丁銀5枚を下賜されたという経歴を持ちます。見廻組に入ったのは慶応3年3月の事ですが、龍馬を暗殺した時には一時的に新遊撃隊に所属していた様です。

ややこしいのは、今井の証言に出て来る渡辺吉太郎とは別人らしいという事で、吉太郎は江戸出身である事(桑名藩とも)、篤の通称は一郎であった事などからそれが判ります。なぜ証言と食い違うのかは謎なのですが、今井の回顧談では、もう一人居たが差し障りがあるので名前は明かせないと言っている人物が居り、これが篤の事ではないかとも言われています。

渡辺はその履歴書において龍馬暗殺に関わった事を記しており、それを要約すると次の様になります。

1.龍馬を襲撃したのは佐々木の命に従ったものであるが、龍馬が徳川幕府を覆そうとしており、その累が他に及ぼうとしたからである。
2.襲撃したのは佐々木頭取と自分、それに今井ほか3名である。(履歴書の原本とされる巻子では計7名。)
3.黄昏時より龍馬の旅宿に踏み込んだところ、5,6名の慷慨の氏が居た。
4.正面に座っていたのが龍馬でまずこれを斬り、横に居た両名をたちまちの内に倒してしまった。従僕も同様に斬ったが、一人13、4歳の給仕が机の中に頭を突っこんで隠れていたのは、子供ゆえに見逃してやった。
5.刀の鞘を忘れたのは世羅敏郎という武芸の劣った人物だった。
6.世羅は普段の鍛錬が足りないものだから、襲撃が終わった後は息も絶え絶えで歩く事も出来ない有様であり、自分がその腕を抱えてやり、抜き身の刀は自分の袴に隠して歩いた。
7.引き上げる時に四条通を通ったが、丁度ええじゃないかの群衆が来たのでこれに紛れて行った。
8.引き上げた場所は佐々木頭取の下宿であった松林寺である。ここで一同は祝杯を上げてから、三々五々帰宅した。
9.翌日、新選組の近藤勇が佐々木頭取に会った時に、その労をねぎらってくれた。しかし、世間では新選組の仕事だったと噂しており、功を奪われた様で悔しい思いをした。
10.龍馬を討ち果たすにあたっては、小者の增次郎という者を使った。以前から増次郎には龍馬の周辺を探らせていたが、当日は自分たちは先斗町の料亭で待機する一方、増次郎は乞食に化けて近江屋の軒下に潜んでいた。そして龍馬が帰宅した事を確かめたと自分たちの下に知らせて来たので決行に及んだ。
11.龍馬を討ち果たした功により、月々15人扶持を貰える事になった。

渡辺が書き残した資料は「渡辺家由緒暦代系図履暦書」というもので、明治44年8月19日に書き上げられました。この履歴書には短い原本があり、そちらは明治13年6月25日に認められたものです。

渡辺の履歴書は非常に具体性に富んでおり、前後の情景も良く判るのですが、反面事実誤認(4名を殺害し、1人は見逃してやったなど)が含まれる事からその信憑性を問う意見があります。また、書かれた時期が事件から44年も経過した後であり、先に発表された今井の回顧談の影響も見られるという意見もありますね。さらには、これは今井などから聞いた事であり、渡辺自身は参加していなかったのではないかという見方もあるようです。

一種の売名行為という声もある程ですが、この資料をどう扱うかについては、未だに結論は出ていない様ですね。

龍馬を直接斬った人物としては、桂早之助の名が挙げられます。桂は天保12年(1841年)に京都所司代同心の子として生まれています。龍馬暗殺の際には26歳という事になりますね。渡辺と同じく西岡是心流の使い手で、17歳の時に目録を得ています。特に小太刀の名手として知られ、その腕を買われて京都文武場の剣術指南役心得に命じられました。

所司代の役人としても活躍しており、8・18の政変の時には境町御門の警備に出動して白銀3枚を受けています。また、池田屋事件の際には不逞浪士の捕縛に従事し、報奨金として5両を受け取りました。さらには、家茂公の御前試合で活躍し、白銀5枚を賜っています。世が世なら、非常に優秀な人材として評価されていた事でしょうね。

見廻組にはその優秀さを買われて推挙されて入ったものらしく、龍馬襲撃のメンバーに選ばれたのもその腕を見込まれての事だったようです。

京都の霊山歴史館には、桂が龍馬暗殺時に使用したとされる脇差が展示されています。子孫の方から寄贈されたものだそうで、刃渡り42.1㎝というかなり短いものです。室内での戦闘を想定し、小太刀の名手と言われた桂が特に指名されたとされますが、なるほどとうなずける気がしますね。

全体に錆が入っておりあまり利器という感じはしないのですが、ちゃんと研げば凄い切れ味だったのでしょう。刀身には無数の傷が残っており、龍馬と切り結んだ時のものとされています。この刀は何度となく目にしていますが、その都度に凄惨な情景が目に浮かぶ様で、つい見入ってしまいますね。

桂はその後に起こった鳥羽伏見の戦いで戦死しており、今井や渡辺の様に語り残したものはありません。しかし、その経歴から見ると幕府側の俊英と言うべき存在であった事が窺われ、中岡が敵ながら武辺の者と賞賛したのは彼の事だったのでしょう。今では龍馬を斬った暗殺者としての評価しかありませんが、歴史の闇に埋もれてしまった一人ではないかという気がします。

(参考文献)「坂本龍馬」 「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「龍馬暗殺の謎」 木村幸比古、「完全検証 龍馬暗殺」神人物往来社刊 

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2010.11.07

龍馬伝45 ~龍馬の休日~

「高知、坂本家。久しぶりに届いた龍馬の手紙に盛り上がる坂本家の人々。そこにはお龍を妻に迎えたと記されており、寝耳に水の家族達を驚かせます。」

「坂本家の跡継ぎとして龍馬に期待している権平は反対しますが、女性陣は明日をも知れぬ龍馬と所帯を持ってくれたお龍は偉いと賛成に回ります。」

お龍については慶応元年頃から故郷に充てた手紙の中に名が見えており、それとなく親しい間柄であると家族に対して知らせています。そしてはっきりと妻であると明記したのは、慶応2年12月4日付けで伏見の遭難を知らせた手紙の中においての事です。さらに同日付けで乙女に充てた別の手紙では、お龍が居たなればこそ自分の命は助かったと記しており、お龍の印象を少しでも良くしておこうという配慮が伺えます。やはり家族に相談することなく妻を迎えた事について、龍馬なりに憚るところがあったのでしょうね。

「長崎、海援隊本部。一千挺のミニエー銃の使い道について、一つは徳川に対する脅し、もう一つは万が一の時に土佐を守る武器としての役割があると確認する隊士達。龍馬はこの銃を下関に運び、長州人にも見せてくると語ります。それは土佐藩の本気を示し、薩長土の足並みを揃えるためでした。」

「団結を見せる海援隊士達に対し、その一千挺は手切れ金だ、自分はもうお前達の面倒は見ないと言い捨てて去る弥太郎。その後ろ姿を見送りながら、先日弥太郎が言ったお前は疫病神だという言葉を思い出す龍馬。」

「土佐商会。これからがビジネスチャンスだと言いながら帰って来た弥太郎を待っていたのは、後任として着任した佐々木高行でした。彼は帳簿を見ながら、表向きは千挺と言いながらと実際には1万挺のミニエー銃を買ったとある、お前は土佐商会の金を勝手に使ったのかと弥太郎を問い詰めます。悪びれる事無く、その9千挺は他に売って金を儲けるためのもの、薩長が戦を始めれば必ず武器の値段は上がると答える弥太郎。」

「所詮は地下浪人がする事、品がなさ過ぎると吐き捨てる佐々木。商売は儲けるか損をするかであり、身分など関係ないと反発する弥太郎。彼は、これからの日本は生き馬の目を抜く世の中になる、身分などにこだわらず、覚悟を決めた者だけが生き残る事が出来るのだと言い捨てて去っていきました。」

「海援隊本部。龍馬が下関に発とうとしています。むそこに弥太郎がやって来ました。見送りに来てくれたのかと話しかける龍馬に、目録を持って来ただけだと言って、書き付けを放り投げる弥太郎。龍馬は、お前が用意してくれたミニエー銃千挺は決して無駄にしないと語りかけますが、自分に指図をするなと拒絶する弥太郎。仕方ないといった表情で、行ってくると弥太郎に言い捨てて出て行く龍馬。見送る隊士達。その背中に向かって、お前は金にならない事を必死にやるが良い、自分は正反対の事をしてやると言い放つ弥太郎。」

佐々木高行が長崎に赴任したのは、主任の弥太郎の後任としてではなく、出崎官である後藤象二郎の後任としてでした。この頃の象二郎は大政奉還を主軸とした政局に掛かりきりであったため、長崎どころではなかったのですね。この佐々木と龍馬はとても気があったらしく、丸山で遊興中の龍馬が佐々木を誘い出す手紙が何通か残されています。如何にも遊び仲間といった感じの文面で、二人の関係が伺えて興味深いものがあります。

「下関。慎蔵の案内で木戸貫治を訪ねた龍馬。そこには薩摩の大久保利通も同席していました。ミニエー銃を木戸と大久保に示し、これから土佐に運ぶ、これを背景に幕府に大政奉還を迫るのだと説明する龍馬。しかし、木戸と大久保は容堂候が大政奉還に同意していない事を知っており、嘘はいけないと龍馬をたしなめます。そして大久保は、挙兵する気がないのなら薩土盟約は破棄するとまで言いました。」

「木戸に向かって、戦は最後の手段である、幕府は揺らいでいる、必ず大政奉還は成し遂げられると迫る龍馬。徳川の力を残しておいては、いつまた政権を獲りに来るかもわからないと大政奉還案を否定する大久保。龍馬を捨て、大久保と共に立ち去ろうとする木戸。その木戸に追いすがる龍馬。」

「もうこれ以上、うろちょろと首を突っこまない方が良い、これは友としての最後の忠告だと囁く木戸。冷たく鋭い目で龍馬を見る大久保。一人取り残された龍馬。」

龍馬が下関に着いたのは慶応3年9月20日の事で、この日に木戸に充てて書いた龍馬の手紙が残っています。それによれば、大久保が使者として長州に来ていた事は確かですが、直接には会っていない様ですね。この時薩摩藩は既に武力討幕へと傾いており、大久保の用件は長州と共に挙兵するための打ち合わせでした。

もう少し詳しく書くと、薩土盟約を受けて後藤が土佐に帰ったのが7月8日の事でした。そしてすぐさま容堂候に説き、了解を得て京都に帰る手筈だったのですが、容堂候は大政奉還の建白書を提出する事には賛成したものの、薩摩藩から盟約の条件として示された出兵には同意しませんでした。また、土佐藩内の世論についても、板垣退助を代表とする討幕派が存在するなどばらばらで、これをまとめるのは容易でない事が判っさて来ます。さらに追い打ちを掛ける様にイカルス号事件が発生し、この事件の始末に1ヶ月以上の時間を取られてしまいました。

イカルス号事件が一段落し、大政奉還に対する藩内の意見が統一出来たのが8月25日の事でした。この間、薩摩藩内でも討幕派が力を増し、討幕を急ぐ長州藩からも突き上げがあって、小松や西郷らはこれを押さえるのに苦慮していた様です。彼らが武力討幕に踏み切らなかったのは薩土盟約があったからですが、9月7日に後藤が兵を伴わずに帰って来ると兵力の裏付け無しでの建白書提出の効果を疑い、その2日後には盟約を破棄してしまいました。こうして薩摩藩は討幕路線を鮮明にし、その使者として大久保が長州藩に派遣されたのですね。

ドラマとは違って龍馬が下関に来た時には、事態は大きく変わっていました。龍馬はと言うと、この間の事情を木戸から聞かされており、武力討幕もやむなしという意見に傾いていました。先の手紙の中で、後藤は土佐に戻すか長崎に移し、代わりに討幕派の板垣を土佐藩代表として派遣すると言っているのです。龍馬にそれだけの権限があったのかどうかは疑問ですが、明らかに方針転換をしているのですね。

龍馬が全くの平和主義者では無かった事は、この経過から見ても明らかだと言えそうです。

「伊藤邸。子供達と相撲をとっているお龍。そこに戻ってきた慎蔵と龍馬。うれしさの余り、龍馬に駆け寄って抱きつくお龍。」

「お龍の作った握り飯を食べる龍馬。龍馬の留守中、慎蔵と木戸に世話になったと報告するお龍。先程の木戸の態度を思い出したのか、一瞬口ごもる龍馬。彼は明日土佐に旅立つとお龍に告げます。やっと土佐の家族にあいさつが出来ると喜ぶお龍。今回は連れて行けない、土佐へはこの次に連れて行くと釘を刺す龍馬。」

「一人で待つのはもう嫌だと迫るお龍に、今は険しい道を歩いている、この道には女を連れて行く訳にはいかない、もう少しここで待っていてくれと頼む龍馬。それには答えず、慎蔵に席を外してくれと頼むお龍。お龍の不作法をたしなめる龍馬ですが、慎蔵の方が気を遣って部屋を出て行きます。」

「そこに、家主の伊藤がやってきました。龍馬と久闊を暖める伊藤。お龍と二人きりにしてやれと気遣う慎蔵。しかし伊藤は、龍馬が来た事を知った奇兵隊の面々が訪ねてきたと伝えに来たのたでした。なんとか断ろうとする慎蔵と龍馬。間に入って困っている伊藤。見かねて、もう良い、呼んで下さいととりなすお龍。助かったとばかりに、奇兵隊を呼ぶ伊藤。わびの印とばかり、今夜は一緒に風呂に入ろうとお龍を誘う龍馬。驚きつつも嬉しそうなお龍。」

「奇兵隊の面々と酒を飲み騒ぐ龍馬。龍馬の言っていた険しい道とは何かと慎蔵に聞くお龍。龍馬に正義がある様に、薩摩にも長州にも正義がある、人の心を一つにまとめるのは難しい事だと答える慎蔵。龍馬には味方が居ないのか、慎蔵は味方でしょう?と問い掛けるお龍。私は龍馬が大好きだ、しかしその前に長州人だと答える慎蔵。彼は、しかしお龍だけは別だ、龍馬が帰る場所はお龍しかない、どうか龍馬を支えてあげて欲しいと頼みます。寂しげな、とまどった様な表情で龍馬を見るお龍。」

「次の店に行こうと盛り上がる奇兵隊士達。もうここまでと遮る龍馬。どうぞ行ってきて下さい、風呂を沸かしておきますからと勧めるお龍。喜ぶ奇兵隊士達。すぐに戻ってくるからと出かける龍馬。」

「寝間を敷き、一人縁側に座って龍馬の帰りを待つお龍。」

「芸者を上げて騒ぐ龍馬達。酔い潰れる慎蔵。」

「花を生け、鏡を見ながら「うみ」と笑顔の練習をするお龍。彼女はもみじを拾って数を数える様に縁側に並べています。」

「隙を見て帰ろうとする龍馬。しかし、芸者衆にひきとめられてしまいます。」

「龍馬の帰りを待ちわびるお龍。」

「まどろむ内に、龍馬が襲われる夢を見て飛び起きたお龍。部屋中に敷き詰められたもみじ。動悸が収まらないまま、不安が彼女の胸をよぎります。」

「翌朝、料亭で目覚めた龍馬。横に眠っているのは芸者。乱れた着物をかき合わせて、これはいかんと飛び起きる龍馬。酔い潰れたままの慎蔵を後に、伊藤邸に駆け戻る龍馬。」

「伊藤邸。縁側に座ってもみじの葉をたき火にくべているお龍。そこに駆け戻ってきた龍馬。彼はお龍を見るなり、すまん!と頭を下げます。何も言わずにピストルを取り出し、龍馬に突きつけるお龍。風呂がすっかり冷めてしまったと告げるお龍。すぐに温め直すと答える龍馬。ピストルを下ろして微笑むお龍。笑ってくれたかと近づく龍馬。その時、龍馬の横面を張り飛ばすお龍。」

「どうして帰って来てくれなかったのか、もう龍馬に会えない気がしていたと訴えるお龍。二度とこんな思いはさせない、約束すると謝る龍馬。」

「夕べは芸者と歌って踊ったのだろう、申し訳ないと思うのなら今度は私の為に歌ってくれと迫るお龍。喜んで歌うと三味線を弾き出す龍馬。ところが、歌が出てきません。なぜ歌が出てこないと龍馬が焦っていると、慎蔵が飛んできました。自分が付いていながら申し訳ない、酔い潰れてしまったのだとお龍に謝る慎蔵。彼は良い知らせと言って、今日は波が荒いので船が出ない、一日龍馬と一緒に居られると告げます。こみ上げる喜びに笑顔になるお龍。」

「お龍と遊ぶ為にやって来た慎蔵の息子達。龍馬が代わり遊んでくれると子守を押しつけるお龍。仕方がないと相撲を取り始める龍馬。縁側に置いたピストルに手を伸ばすお龍。それを制して、これは自分が預かる、代わりにこれをと手紙を手渡す慎蔵。」

「お龍に充てた乙女の手紙を読むお龍。そこには、龍馬の妻になって呉れた事への礼、龍馬は昔は泣き虫で困った事、今でも甘ったれだから、何かしでかしたら遠慮無くひっぱたいてやってくれとの伝言が認められていました。もうやってしまったと微笑むお龍。土佐で会える日を楽しみにしていると書く乙女に、おおきにと礼を言うお龍。」

「二人して海岸を散歩する龍馬夫妻。そこで鬼ごっこをしていた子供達。鬼になって一緒に遊ぶ龍馬とお龍。」

「子供を作ろうと言い出す龍馬。名前をどうすると聞く龍馬に、龍という字を入れて欲しいと答えるお龍。自分たちの子供は、誰よりも元気がよいと言う龍馬。はいと答えるお龍。」

「伊藤邸。二人して寝ころびながら、乙女からの手紙に、子供の頃は泣き虫だった事、今でも甘ったれだと書かれていたと告げるお龍。未だに子供扱いだと苦笑する龍馬。早く龍馬の家族に会いたいと願うお龍。もうすぐたと答える龍馬。」

「寝物語に、土佐には桂浜という大きな浜がある、そこには時々鯨がやって来る、土佐の大殿様はその鯨が海の水を飲む様に酒を飲むらしいとお龍に聞かせる龍馬。面白そうに聞いているお龍。」

「その大殿様を説得に行くのだと告げる龍馬。龍馬なら大丈夫、志を成し遂げて早く私の所に帰って来てくれと答えるお龍。自分を信じてくれるのかと聞く龍馬。あたりまえや、私は坂本龍馬の奥さんやと答えるお龍。ありがとうと言って、お龍を抱きしめる龍馬。」

「夜半、お龍の寝顔を見つめる龍馬。彼はお龍に布団をかけてやり、縁側に出て月夜の彼方とお龍の寝姿を交互に見比べます。」

「翌朝、お龍の握り飯を受け取り、ありがとうと礼を言う龍馬。彼は慎蔵にお龍を頼むと言って部屋を出ます。」

「出入り口で龍馬を見送るお龍。すぐに戻って来るから待っていて呉れと笑顔で立ち去る龍馬。はいと言って、笑顔で見送るお龍。いつまでも龍馬の去っていった方角を見つめるお龍。」

龍馬がお龍との最後の日々をどう過ごしたのかは判っていません。でも、ドラマを見ていると切なくなってきますね。きっと、もっと一緒に居たかった事だろうな。

「船上の人となった龍馬。」

「薩摩藩、京都藩邸。小松帯刀に向かって、討幕の勅命を貰う様に進言する大久保。賛同する西郷。口々に小松に決断を迫る藩士達。」

「二条城。フランスが資金の提供を断ってきたと報告する小栗。フランスは幕府が薩長に負けると思っているのかと惑乱する慶喜。」

「長崎。お慶と小曽根乾堂に、9千挺のミニエー銃を買い取って欲しいと頼む弥太郎。その銃はやがて高値で自分が売りさばく、その時には分け前を渡すと約束する弥太郎。土佐商会の主任を解任されたのではないのかと危ぶむ乾堂とお慶。いよいよ自分のカンパニーを立ち上げるのだと宣言する弥太郎。」

この時点で弥太郎が自分の会社を立ち上げたという事実はありません。彼はこの後、土佐商会主任というポストはそのままに、上士格に取り上げられるという異数の出世を遂げる事になります。もっとも、それは龍馬の死後の事となるのですが、ドラマの描写とは大きく異なりますね。

「慶応3年9月23日、土佐に帰ってきた龍馬。」

「高知、後藤邸。ミニエー銃千挺を運んできたと象二郎に報告する龍馬。大殿様が考えを変えない、徳川を攻める気も、大政奉還をさせる気も無いと告げる象二郎。薩長は今にも武力討幕に向けて挙兵しようとしている、自分を大殿様に会わせてくれと頼む龍馬。おんし、やるかえと確かめる象二郎。はっ、と応じる龍馬。」

先に書いた様に、この時期には後藤は京都に居たのであって土佐には居ません。また、土佐藩の藩論は既に大政奉還と決まっており、この点では龍馬に出番はありませんでした。龍馬の用件はミニエー銃1千挺を土佐藩に買い取らせる事及び出兵を促すことにあったのですが、このあたりはまた来週に描かれる事になりますね。

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2010.11.06

龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か2

さて、龍馬と中岡慎太郎を襲った犯人ですが、当時から様々な推測がされています。

まず、疑われたのは新選組でした。これは、慎太郎が仲間に残した「相手が斬りかかってくる時、こなくそ、と言った。これは四国の言葉である。」という証言、そして当日現場に残っていた刀の蝋色の鞘について、伊東甲子太郎が新選組の原田(四国松山出身)のものに似ていると証言したこと、さらに近江屋に残っていた下駄が新選組が多く出入りする先斗町の瓢亭のものと思われたためでした。

土佐藩では後々までこれを疑わず、さらに海援隊では新選組を動かしたのはいろは丸事件で恨みを持つ紀州藩であると断定し、天満屋事件を起こすに至ります。しかし、当初から新選組ではこれを否定しており、また、当日の夜に近藤勇は妾宅に居たという証言がある事、下駄についても瓢亭のものではなく、祇園中村屋(中村楼)と下河原かい(口偏に會)々堂のものとする同時代の資料がある事などから、現在では否定されているようです。

次に、明治になって見廻組の今井信郎、渡辺篤らが、自ら行ったと認める供述を行っており、今ではこれが定説になっています。

まず、今井信郎は幕臣の出で、天保12年(1841年)の生まれですから、龍馬暗殺時には28歳だったということになりますね。直心影流の免許皆伝者で、講武所師範代を務めた事もある腕利きです。神奈川奉行所や関東郡代岩鼻陣屋を経て、慶応3年10月に見廻組に着任したばかりでした。

今井は戊辰戦争を函館まで戦い抜き、そこで囚われの身となります。そして、取り調べにおいて龍馬暗殺に関わった事を認め、その経緯を口供書として残しています。それを箇条書きにまとめれば次の様になります。

1.龍馬を襲撃したのは見廻組与頭佐々木只三郎の指図に基づく公務である。
2.その目的は謀反を企てた龍馬を召し捕る事にあった。
3.一度は伏見で取り逃がしているため今度こそ捕り逃がしてはならず、もし手に余る様な事があれば討ち取っても良いと命令されていた。
4.当日出動したのは佐々木只三郎を筆頭に、桂早之助、渡辺吉太郎、今井信郎、高橋安次郎、桜井大三郎、土肥仲蔵の7人だった。
5.、昼頃に一度近江屋を訪ねたが留守であったため、改めて夜8時頃に行った所在宅していたので踏み込む事にした。
6.真っ先に入ったのが佐々木で、桂、渡辺、高橋の3人がこれに続いて2階へと向かった。自分は土居、桜井と共に階下で控えていたので、二階の様子は知らない。
7.やがて二階から降りてきた佐々木が様子を語るには、召し捕ろうとしたが3人が居て果たせず、やむなく討ち取ったとの事であった。
8.すぐに立ち退けとの命令だったので、一同は近江屋を出て、それぞれ見廻組屋敷や旅宿に戻った。

今井はこの供述に基づき、龍馬暗殺に関わった事及び旧幕府軍に加わって新政府に対して抵抗した事により禁固に処せられました。これが明治3年の事でその2年後に特赦によって出獄しています。

ところが今井はさらに明治33年になってから実歴談を発表し、実は龍馬を斬ったのは私だと先の証言を翻しています。

その実歴談に依れば、龍馬を暗殺した理由は、幕府の為にも朝廷の為にもなせらない、ただ世間を混乱させるだけの悪漢だったからだと言い、渡辺、桂、それともう一人を誘って近江屋を襲撃したのでした。

近江屋の二階には龍馬と慎太郎のほか3人の書生が居り、誰が龍馬か判らなかったので、「坂本さん、お久しぶりです。」と話しかけ、「はて、だれでしたかいのう」と答えた人物を龍馬と即断して斬り付けたのたでした。そして龍馬を倒してから慎太郎に斬りかかり、これも倒した上で引き上げたとあります。

これは結城礼一郎という人物が今井から聞き取った事をとりまとめたもので、まず甲斐新聞に掲載され、後に近畿評論という雑誌に転載されて全国に知れ渡たりました。

この記事については、土佐藩出身の谷干城が多数の事実誤認があると言って騒ぎ出し、これは悪質な売名行為だと言って今井を攻撃するという事態を招いています。谷は暗殺当日に現場に駆けつけた事もあって事情を良く知っており、かつ龍馬を殺したのは新選組の犯行であると信じていた事が攻撃の主な理由でした。

しかし、谷が指摘した事実誤認の部分については別に理由がありました。実は筆者である結城によって、事実が改ざんされていたのですね。この事は結城自身が認めており、特に襲撃の部分についてはより劇的になる様に加筆したと言っています。ただし、どの部分をねつ造したのかまでは語っておらず、どこまでこの実歴談を信用して良いのかは判っていません。その点が惜しまれますが、襲撃の際に龍馬を特定するために、まず坂本さんと呼びかけて返事をした人物を襲うというパターンはこの実歴談から出ているのですね。

以下次週に続きます。

(参考文献)「坂本龍馬」 「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「龍馬暗殺の謎」 木村幸比古、「完全検証 龍馬暗殺」神人物往来社刊 

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2010.10.31

龍馬伝44 ~雨の逃亡者~

「京都で薩土盟約を締結し、長崎に戻った龍馬。薩摩が土佐に協力すると聞き手放しで喜ぶ惣之丞に、これからが大事、今象二郎が容堂候に大政奉還建白について願い出ていると釘を刺す龍馬。」

「土佐、高知城。容堂候に薩土盟約を示し、大政奉還建白書を提出する様に進言する象二郎。薩摩は大政奉還が実現するなどとは思っていない、奴らはただけ戦がしたいだけだと煮え切らない容堂候。それならば土佐藩も軍備を整え、兵を挙げるのかと口走る象二郎。血相を変えて象二郎にを足蹴にし、大恩ある徳川家に土佐が戦を仕掛けるなど未来永劫あり得ないと叱りつける容堂候。土佐はこれからの日本の要にならなければならないと懸命に訴える象二郎。苦しげに顔を歪める容堂侯。」

「土佐商会。国元から届いた書状を読み、容堂候の説得が難航している事を知る龍馬。彼は弥太郎にミニエー銃千丁用意する様に頼みます。大政奉還に失敗し、戦になった時に供えての武装でした。」

「引田屋。お慶の商談の場を取り持つお元。彼女のおがけで商談がうまく行ったと感謝するお慶。」

「引田屋から引き上げるお元と妹芸子。その途中騒ぎが持ち上がります。二人の外国人人水夫を、白い着物を着た武士が切り捨ててしまったのです。その現場を目撃したお元達。殺されたのはイギリス船「イカルス号」の水夫達でした。」

「土佐商会。龍馬に頼まれたミニエー銃が手に入ったと喜んでいる弥太郎。そこに、イギリス公使の通詞であるアーネスト・サトウが訪ねてきました。サトウは、水夫を殺した犯人は白い着物を着ていた事が判った、海援隊士はいつも白い袴を履いていると聞いていると切り出します。白い着物を着た者など幾らでも居ると抗議する弥太郎ですが、サトウはパークスは下手人を引き渡さなければイギリスは土佐を攻撃すると言って、通告書を手渡して帰ります。」

「長崎奉行所。海援隊を取り調べる様に要請するパークス。龍馬を捕らえる好機と感じて、快諾する奉行。彼は配下の者に、龍馬を捕縛する様に命じます。」

「海援隊本部。何と言う事をしてくれたと怒鳴り込んできた弥太郎。自分たちがそんな事をする訳がないと反論する龍馬。グラバーやオールトが、もう自分たちとは取引しないと通告してきたと吐き捨て、どうして自分の商売を邪魔するのかと龍馬に当たる弥太郎。その時、奉行所の役人が踏み込んできました。あわてて龍馬を隠す隊士達。」

「龍馬を出せ、ここには居ないと押し問答をする役人と隊士達。その時、惣之丞が自分を奉行所に連れて行けと名乗り出ます。心配する仲間達に、自分が丸く収めて来ると言って奉行所に向かう惣之丞。」

「こうなったら自分たちで犯人を捜すしか無いと言う龍馬。その言葉に応じて諸方に散る隊士達。弥太郎はややこしくなるから龍馬はここに居ろと言い捨てて出て行きます。忌々しげに見送る龍馬。」

「長崎奉行所。惣之丞を取り調べる奉行。龍馬の居所を聞きだそうとしますが、惣之丞は知らぬと白を切ります。海援隊は日本を救おうとしている、異人を斬る者など居るはずがないと言い張る惣之丞に、そういうふざけたやつつが大嫌いだ、龍馬など謀反人に過ぎんと決めつける奉行。重ねて龍馬の居場所を聞く奉行。あくまで知らぬと言い張る惣之丞。取り調べを打ち切る奉行。牢に連れて行かれる惣之丞。」

「お元を呼んだ奉行。事件当夜の様子を聞く奉行。下手人は龍馬ではなかったのかと問い掛ける奉行。違うと答えるお元。いつから奴の味方になったのかと恫喝する奉行。重ねて龍馬の居所を聞く奉行に知らぬと答えるお元。下がれ、と怒鳴りつける奉行。」

「長崎の町で、下手人を捜す海援隊士達。目撃者から「しゃからしか」という声を聞いたという証言を得て、それは福岡の方言だと活気づく隊士達。」

「お元の置屋。お元に会わせてくれと訪ねてきた弥太郎。お元は居ないという女将を押しのけ、部屋に入り込む弥太郎。その時、長崎奉行所の役人がお元の部屋を改めると言って踏み込んで来ました。どうしてお元の荷物を調べるのかと役人に問い掛ける弥太郎。あの女は龍馬と出来ていたと答える役人。お元の部屋で叫ぶ部下達。彼らが見つけたのは十字架が刻まれたかんざしでした。悪魔でも見つけたかのごとく、おそれおののく役人達。キリシタンと息を呑む弥太郎。」

「かくれキリシタンの集会所。信者達と共に一心に祈りを捧げるお元。そこに踏み込んできた長崎奉行所の役人達。とっさにお元を逃がす男の信者。隠し通路から一人逃げ出すお元。役人達に取り押さえられる信者達。お元を逃がすなと叫ぶ役人。」

「海援隊本部。なす事もなく、一人佇む龍馬。そこに帰ってきた弥太郎。彼はお元はキリシタンだったと叫びます。お元が逃げていると聞き、探しに行くと飛び出す龍馬。お元がキリシタンだと知っていたのかとその背中に向かって叫ぶ弥太郎。そこに駆け込んできた陽之助。彼は下手人が判った、水夫を殺したのは福岡藩士だと弥太郎に告げます。」

「長崎奉行所。お元のかんざしを眺め、いままでお元が知らせてきた事は、全部でたらめだったのかと呻く奉行。その時、弥太郎が訪ねてきます。追い返せと命ずる奉行ですが、押し通ってくる弥太郎。彼は奉行に向かって、イギリス人水夫を殺したのは福岡藩士であると訴えます。その夜、福岡藩邸に戻ってきた金子才吉が、イギリス人を斬ったのは自分であると言って腹を切ったと申し述べる弥太郎。」

「しかし、奉行は弥太郎が差し出した書状を破り捨て、弥太郎に投げつけます。そこまでして龍馬をかばいたいかと言う奉行に、あくまで疑うと言うのなら土佐藩で取り調べると答える弥太郎。この長崎では、土佐藩と言えども自分が認めなければ商売など出来ない、さっさと龍馬を引き渡せと怒鳴りつける奉行。商売だけはと、庭に飛び降りて土下座する弥太郎。彼を無視して退席する奉行。必死で呼びかける弥太郎。」

「夜の丸山。お元を探す龍馬。」

「引田屋。お慶の宴席に駆け込んで来る妹芸子。彼女はお慶に、お元が隠れキリシタンだったと訴えかけます。」

「夜の町を逃げまどうお元。彼女を捜す龍馬。町中に溢れる役人達。慌てて身を隠す龍馬。」

「雨の中、弥太郎と出くわした龍馬。お前が奉行に捕まったら良いんだと冷たく言い放つ弥太郎。彼は龍馬にお前のせいで、土佐商会も、お元の人生も滅茶苦茶になったと言いがかりを付け、お元はあたりまえの幸せを願っていた、それを壊したのはお前だと迫ります。長崎奉行は誰がイギリス人を殺したかはどうでも良い、幕府に逆らうお前を捕まえたいと言う、自分もお元もお前のとばちりを食らってしまったのだと龍馬を責める弥太郎。お前は疫病神だ、自分の商売が上手く行きかけると、いろは丸を沈めただの、イギリス人を殺しただの、いつも邪魔ばかりする、わしの前から消えてしまえと言い捨てて去っていく弥太郎。呆然と見送る龍馬。」

「海岸を逃げまどうお元。跡を追ってきた龍馬。龍馬と気付かずに這って逃げるお元。洞窟の奥でお元を見つけた龍馬。みんなで笑って暮らせる国はどこにあるのかと龍馬にむしゃぶりつくお元。大丈夫だと抱きしめてやる龍馬。」

「イギリス領事館。戦の用意が出来ている、言い逃れに終始するのなら土佐に攻め込むばかりだと話すパークス。彼の言葉を筆記しているサトウ。直ちに翻訳して土佐に送れと命ずるパークス。その時、龍馬がやって来たという知らせが入りました。会おうと面会を許可するパークス。」

「次室でピストルを突きつけられて立っている龍馬。そのまま公使の部屋に連れて行くサトウ。海援隊長と名乗り、水夫を殺したのは福岡藩士だと話し始める龍馬。長崎奉行は海援隊士が犯人だと言っているがと反問するサトウ。それは奉行が自分を下手人にしたい、自分たちは徳川幕府を倒そうとしている謀反人だからだと答える龍馬。」

「しかし、自分たちとイギリスは味方同士ではないのか、イギリスは幕府を倒す為に薩摩と長州の後ろ盾をしている、つまり海援隊とイギリスは同じ目的を持っていると語りかける龍馬。さらに、この国をイギリスの様な立派な国にするために必死働いている、刀を抜いてイギリス人を斬っている暇は無いとまくし立てます。あなたの言っている事に証拠は無い、命を懸けて無実だと言えるかと問い掛けるサトウ。証拠は無いがこの命を呉れてやる事は出来ないと答える龍馬。彼はひざまずいて、この龍馬の命を新しい日本の為に使わせて貰えないだろうかと訴えかけます。」

「グラバーから龍馬は日本を変えようという高い志を持つ男だと聞いている、日本を変えられるかと問い掛けるパークス。必ず新しい国にしてみせると答える龍馬。手をさしのべるパークス。その手を掴んで礼を言う龍馬。これから奉行所に行くというパークスに、もう一つお願いがあると食い下がる龍馬。」

「長崎奉行所。奉行を訪ねてきた弥太郎。惣之丞を解き放ってくれた事に対する礼を言い、土佐商会の商売もこれまでどおりに願うと口上を述べる弥太郎。これで済んだと思うなと龍馬に伝えろと言う奉行。自分はもうあの男に関わりたくない、それは自分でどうぞと答える弥太郎。」

「海岸。沖合に停泊している蒸気船。海岸にあるボートに乗っているお元。側にいる龍馬。そこに駆けつけてきたお慶。このご恩は一生忘れないとお元。パークスがお前を暖かく迎え入れてくれるから心配するなと言い聞かせる龍馬。これからは堂々とマリア様を拝める国に行けるという龍馬に、こんな芸子を、こんなキリシタンを助けてくれてと泣き崩れるお元。」

「龍馬が日本を生まれ変わらせてくれたら、帰ってきても良いかと聞くお元。みんなが笑って暮らせる国にしてみせると答える龍馬。沖にこぎ出していくボート。見送る龍馬。笑顔で去っていくお元。」

「海援隊本部。無事に帰ってきた惣之丞を出迎える隊士達。」

「忌々しげに刀を見つめる奉行 。」

「いつまでもお元を見送る龍馬。」

今回の展開はあまりにも酷いですね。史実無視と言う以前に、ドラマとしても完全に破綻しています。

まず強権を振るう長崎奉行ですが、何時の時代の悪代官なのですか。白い着物という目撃証言だけで龍馬の犯行と決めつけて捕縛しようなど、出鱈目も良いところです。そもそも、この場合急務なのはイギリスとの対外関係でしょう?龍馬は確かに政治犯かもしれないけれど、この場合は二の次なのでは?証拠も無しに犯人をでっち上げて外国に差し出すなど、国辱も良いところです。そんな配慮も出来ないと言うのか、このお奉行は。

また、土佐藩を相手に居丈高に恫喝するなど、この時期の幕府に出来るはずもありません。こんなに態度に出でられるのなら、慶喜公は何も苦労せずに済んだ事でしょうね。長崎奉行はそれほど偉かったと言いたいのか。綱吉や吉宗の時代と勘違いしているのではないのかしらん。これではあまりに安っぽくて出来の悪い時代劇ですね。その内、印籠が出て来るんじゃないかと思いましたよ。

パークスの描写にしてもそうで、一国の公使ともあろう者が、訪ねてきた客に対して、丸腰にも関わらず何人もがピストルを突きつけるという対応をするものなのかしらん?あれでは紳士の国という名が泣きますよ。それに、龍馬がぺらぺらとしゃべっただけで戦争を回避するのですか?そんな甘い対応をする公使がどこに存在すると言うのかしらん。さらには、日本の国禁を犯したお元をイギリスで匿う?そんな事をすれば、イギリスという国の信義が問われるだけではないですか。どこまでご都合主義を通すのか。

弥太郎がどうしようもなく酷い奴なのは設定だから許すとしても、自分一人だけが助かろうとするお元という設定はどうなのか。浦上4番崩れの際には、かくれキリシタン達は逃げも隠れもせずに、自ら縛に付いたと言います。彼らの結束はとても強かったはずなのに、仲間が捕まっているにも関わらず一人だけ外国に高飛びしようとするものなのかしらん?少なくとも笑顔では居られないと思いますよ、たぶん。そもそも自分のせいで発覚したのだし、せめて仲間の事は気にして欲しかったな。それに、龍馬が言う「みんな」には、お元だけが入っているのだろうか。他の信者達はどうでも良いのか。一言も触れない龍馬というのも何だか嫌だな。

ちなみに、史実の龍馬は、キリスト教に対しては寛大では無かった様です。海援隊が発行した本に「閑愁録」があるのですが、この本に書かれているのは、開国によってキリスト教も入って来る事になるがそれに幻惑されてはいけない、これに対抗する為には仏教徒が覚醒して立ち上がらなければなければならないという内容でした。著者は龍馬ではなく長岡謙吉ですが、龍馬の生存中に発行された本であり、その内容を容認していたものと思われます。これは龍馬の後進性を表すと言うよりも、当時の日本人としての当然の反応だった様です。

浦上4番崩れに対する処分は明治になってから下されるのですが、井上馨や大隈重信、小松帯刀らがこの件に関わり、最後に断を下したのが木戸準一郎でした。結果は流罪であり、江戸時代よりも遙かに過酷な刑罰が加えられたと伝わります。配流された者は3394名、うち662名が命を落としました。当然外国からは激しい抗議があったのですが、それ以上にキリシタンの害というものを恐れたのですね。当時の一流の政治家たちをもってしてもこの結果であり、一人龍馬だけが異質であった訳ではありません。龍馬伝の解説にもあった様に、信教の自由が認められるのは、明治6年を待たなければなりませんでした。

イカルス号事件ついて簡単に触れておくと、パークスが証拠としたのは、犯人が白袴姿だったという目撃証言の他に、事件の翌朝に海援隊の船と土佐藩の船が相次いで出航していたという事実があります。これが犯人隠匿のためだと言うのですが、長崎奉行所ではあまりに証拠が薄いと言って受け付けませんでした。そこでパークスは土佐との直接交渉に乗り出し、軍艦に乗って高知に乗り込みます。

一方、龍馬は事件が起こった時には京都に居ました。知らせを受けて佐々木高行ら土佐藩の重役達と会うべく兵庫に向かったのですが、船上で佐々木達と話し合っている内に船が出航してしまい、そのまま高知へと向かう事になります。

高知では後藤象二郎がパークスと応対し、事実無根であると突っぱねました。パークスも証拠も無しに土佐藩と開戦する事も出来ず、再び長崎に戻って徹底した調査を行う事になります。この間、龍馬は高知に上陸する事は出来ず、ずっと船内に潜んでいました。

長崎においては、佐々木や弥太郎、それに海援隊士達と会合を開き、千両の賞金を賭けて犯人を捜す事になりました。しかし、効果が無いまま長崎奉行所の取り調べに臨む事になります。

出席したのは龍馬ほか海援隊士、土佐藩の佐々木ら15名で、イギリス側はアーネスト・サトウ、幕府からは外国奉行が立ち会いました。つまりは、史実では龍馬は堂々と奉行所に出頭しているのですね。精査の結果、当日は二人の海援隊士が丸山に出かけている事が判りました。しかし、殺人に関する証拠はなく、犯人を特定する事は出来ずに終わっています。

長崎奉行所では、海援隊の船の出航についての届け出に手落ちがあった事、取り調べ中の証言に食い違いがあった事などを取り上げて、該当者に謝罪を求める事でけりを付けようとしました。謝罪を要求された弥太郎はすぐに謝りましたが、海援隊士の二人はいわれのない事として応じず、ついには無罪放免となっています。

事件が解決したのは明治初年になってからで、ドラマにあった様に福岡藩士の金子才吉が犯人でした。その夜、道ばたでいぎたなく寝込んでいた水夫達を見て腹立たしく思い、斬り殺してしまったと言うのです。その後で、藩に迷惑が及ぶ事をおそれて、切腹して果てたのでした。福岡藩は土佐藩の窮状を見ながらこれを隠していたのですね。

この事件によって龍馬と象二郎は、切所とも言うべきこの大事な時期に、一ヶ月以上の政治的空白を余儀なくされました。この事が土佐藩にとっては大きなマイナスとなり、薩摩藩との間に隙間が生じる事になってしまいます。

参考文献:「龍馬 最後の真実」 菊池 明、「坂本龍馬」 松浦 玲、「坂本龍馬 海援隊始末記」 平尾道雄、「龍馬の手紙」宮地佐一郎 「龍馬の夢を叶えた男 岩崎弥太郎」 原口 泉

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2010.10.30

龍馬伝 龍馬を殺したのは誰か1

(10月16日にアップした近江屋事件の続きです。)

龍馬暗殺前夜の状況を整理しておくと、次の様になります。

まず、徳川第15第将軍慶喜による大政奉還が慶応3年10月13日に表明され、14日に朝廷に奏上し、15日に勅許を受けています。さらに続けて征夷大将軍としての辞表を10月24日に提出しているのですが、これは受理されずに保留となりました。つまり、新しい政体が出来るまでは従前どおり幕府が政治を行うという態勢が続くのです。

新しい政体を決めるのは広く人材を集めた「議政所」となるはずでしたが、当面は大名達を招集してこれに代え、何度も会議が開催されました。そして、その間に様々な駆け引きが行われていきます。

まず、大政奉還の仕掛け人となった龍馬は「新政府綱領八策」を策定し、「議政所」の実現に向けて動き始めます。その新政府綱領八策は前回にも掲げていますが、再度掲載します。

新政府綱領八策
 第一義
    天下有名ノ人材ヲ招致シ、顧問ニ供フ。
 第二義
    有材ノ諸侯ヲ撰用シ、朝廷ノ官爵ヲ賜ヒ、現今有名無実ノ官ヲ除ク。
 第三義
    外国ノ交際ヲ議定ス。
 第四義
    律令ヲ撰シ、新ニ無窮ノ大典ヲ定ム。律令既ニ定レバ、諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下ヲ率ス。
 第五義
    上下義政所。
 第六義
    海陸軍局。
 第七義
    親兵。
 第八義
    皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス。

 右預メ二三ノ明眼士ト議定シ、諸侯会盟ノ日ヲ待ツテ云々。〇〇〇自ラ盟主ト為リ、此ヲ以テ朝廷ニ奉リ、始テ天下万民ニ公布云々。強抗非礼公議ニ違ウ者ハ、断然征討ス。権門貴族モ賃借スル事ナシ。

    慶応丁卯十一月             坂本直柔

これは龍馬が自筆したものであり、2通が現存しています。おそらくは何通も作成されて各方面に配布され、新体制に向けての叩き台としたのではないかと推測されています。

ここで注目されるのが「〇〇〇自ラ盟主ト為リ」の部分で、ここに誰が入るのかが謎とされています。最も有力とされるのが慶喜公で、龍馬は慶喜が大政奉還という「大功」を樹てた事を大きく評価しており、新しい時代においても慶喜公が盟主となって日本を率いて行くべきだと考えていたと言われます。

別の意見では、四賢侯の一人でかつ龍馬の(元)主君である容堂候とする説、同じく四賢侯の一人であり、大政奉還建白に同意してくれた島津久光侯とする説がありますね。もっとも穿った説としては、この八策を受け取った側がそれぞれ都合の良い名を入れて、その上で話し合えばよいと考えていたとも言われます。叩き台としては、この最後の説が一番しっくりと来る気がしますね。

次に薩摩藩の動きですが、これがまことに複雑怪奇な事をしています。この年の5月には兵庫開港問題で幕府を追い込み倒幕を実現しようと目論で四賢侯会議を招集しましたが、慶喜の反撃に遭って失敗に終わった事で、薩摩藩の方針は武力倒幕へと傾きました。そして、この方針は長州藩にも伝えられ、薩長による討幕路線が固まったかに見えました。

ところが6月に土佐藩に働きかけられると薩土盟約を結び、大政奉還路線に転換します。これには大政奉還路線を推進するが、これを幕府が拒否した場合はそれを口実に討幕の兵を挙げるという含みがありました。そして、その約束の担保として土佐藩が京都に兵を送る事になっていたのですが、容堂候がこれを認めませんでした。このため薩摩藩は方針を再び討幕路線に戻して長州藩及び芸州藩と結盟し、薩土盟約を破棄してしまいます。

これに対して土佐藩の後藤象二郎が諦めずに粘り強く交渉を重ねた結果、薩摩藩は土佐藩が大政奉還の建白書を提出する事に同意を与えました。そして10月13日に慶喜によって大政奉還の意思が示された時には、二条城に登城していた家老の小松帯刀が賛意を示したばかりでなく、その翌日には朝廷に対して速やかに大政奉還を勅許する様に求め、さらに幕府に対して大政奉還後の策を言上しています。

これだけを見ればあたかも後藤の策に乗って大政奉還路線を推進したかの様に見えるのですが、その裏では朝廷に働きかけて討幕の密勅が下りる様に策動しており、10月14日付けで受け取る事に成功しています。結果的に同日付けで慶喜が大政奉還を奏上した事で効力を失いましたが、その密勅を受け取ったのが他ならぬ小松帯刀その人でした。いったいその真意がどこにあったのか、後世から見てもまるで判りませんね。ましてや龍馬には、この裏の動きは全く見えていなかった様です。

龍馬暗殺の直前には、武力討幕のための兵力三千が薩摩を発ち上洛の途上にありました。これに呼応する様に、長州藩もまた兵を京都に送るべく動き始めていたのです。

そして、幕府方はと言うと、慶喜とその側近達は大政奉還後も徳川家が政治の中心にあり、今後も主導権を握り続けられると自信を持っていました。しかし、多くの幕臣達は慶喜の深謀遠慮を理解する事が出来ずにおり、大政奉還に反対し、かつそれを推進した土佐藩に対して怨嗟の声を挙げていました。龍馬の署名入りの新政府綱領八策はこういう時期に配布されたものであり、大政奉還の立役者が龍馬であった事が知れ渡ったと思われます。そしてその策の中で新しい政体に反対する者は断然征討すると言われては、幕臣達の恨みは龍馬に集中した事でしょう。龍馬の真意が徳川家を救う事にあったとしても、ですね。

この様な状況の中で龍馬は暗殺されてしまいました。まさに、誰から狙われてもおかしくないという状態ですね。

以下、長くなったので土曜日ごとに更新して行きます。

(参考文献)「坂本龍馬」 「幕末・京大阪 歴史の旅」 松浦 玲、「龍馬暗殺の謎」 木村幸比古、「完全検証 龍馬暗殺」神人物往来社刊 

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