高知

2008.09.06

夏の旅2008~土佐紀行・龍馬伝への期待~

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土佐紀行の最後はやはり龍馬で締めましょうか。ここは龍馬の生涯を蝋人形を使って展示している龍馬歴史館です。まず出迎えてくれるのが龍馬の銅像。手を懐に入れた有名な写真の絵柄ですね。桂浜の銅像も、基本的に同じ写真を元にしています。

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龍馬歴史館では、前半は龍馬の事績が紹介されているのですが、後半は世界の偉人の蝋人形が並べられています。ですから、途中から歴史館はどこへ行ったんだと言いたくなるのですが、立体的な歴史上の人物に出会えるのはここだけですから、それなりに価値はあるのかな。中には郷士の辿った歴史に関するかなりマニアックなコーナーもあり、龍馬前史を知るには良いかもしれません。

では、コアな龍馬ファンにまでお薦め出来るかというと、かなり微妙です。展示の内容が陳腐ですし、新しい発見といえるものは、前述の郷士の歴史を除けば無いと言っても良いでしょう。時間があればどうぞという程度かな。

ただ、蝋人形の出来としてはかなりのものがありますので、純粋に観光目的なら面白いでしょうね。私的には、藤山寛美さんが良かったな。

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さて、2年後の大河ドラマは「龍馬伝」と決まりました。以前に放映された「龍馬が行く」とは違い、岩崎弥太郎の目線で見た龍馬を描くとの事ですから、またひと味違った人物像が見られる事と期待しています。その舞台は当然土佐から始まるでしょうし、家族の姿も描かれる事でしょう。もしかしたら、今回辿った土佐路が現れるかもと思うとたのしみですね。

それに、岩崎弥太郎が中心に来るとすれば、やはり海援隊が軸になるのでしょう。そうなれば長崎が脚光を浴びる事になるのでしょうね。閉鎖されている亀山社中を再開しようという動きがあると聞きますし、長崎の人達もさぞ色めき立っている事でしょう。

後は龍馬が活躍した京都かな。寺田屋はちょっと微妙な事になっていますが、関連する史跡はまだまだ沢山ありますので、また大いに賑わう事でしょう。

龍馬伝によって土佐と京都に繋がりが出来る事を期待しつつ、楽しかった今夏の土佐紀行を終えたいと思います。

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2008.09.05

夏の旅2008~土佐紀行・長尾鶏~

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高知の名物の一つに長尾鶏があります。尾羽が特に長く伸びる事で知られ、特別天然記念物に指定されています。

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長尾鶏は「ちょうびけい」と読むのが正式の様なのですが、一般には「ながおどり」または「おながどり」と呼ばれています。この長尾鶏センターではローマ字表記でONAGADORIと記されており、パンフレットにはカタカナでオナガドリと書かれていました。ですので、ここではオナガドリで通す事と致します。

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オナガドリは見ての通り鶏の仲間で、起源は江戸時代初期に遡り、突然変異によって生まれたと言われます。最初は2mがせいぜいだったのですが、営々と続けられた品種改良の努力によって10mを越える様になり、これまでの最長記録は13m50㎝とされています。

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オナガドリの飼育は思っていた以上に大変で、産卵は年に一度のみであり、しかも孵化率が低くいために、一羽も得られない年もあるそうです。孵った雛の中で尾が長くなるのは雄に限られ、しかもその素質を持ったものは何羽かに一羽しか居ないのだそうです。

さらに条件があり、オナガドリはその長い尾を傷つけない様に、また汚さない様にするため、冒頭の写真の様な木箱(止箱)の中で飼育されています。この箱の中の生活に耐えられる様なおとなしい性格の鶏でなくてはならず、オナガドリとして成長できるのはほんとうにごく僅かの鶏しか居ない様ですね。

写真は母親代わりのチャボとオナガドリの雛たち。オナガドリの雌は、抱卵もしなければ雛たちの世話も出来ないらしく、代理の母としてチャボの雌が使われるのだそうです。

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オナガドリの原種は褐色系であり、白い鶏は白色レグホンと掛け合わせる事によって得られます。と書くと簡単そうですが、どうしても元の褐色が出てしまうので、純白にするには何度も交配を重ねていかなければなりません。この鶏はなんと85代も掛かってやっと得られたものだそうで、気の遠くなる様な作業を一生掛けてようやくたどり着けるかどうかという世界の様です。

ですから、オナガドリを飼育する人は年々少なくなり、今残っている人も高齢者ばかりなのだそうです。つまり、オナガドリはいずれ絶滅する運命にあるという事を意味し、目にする事が出来るのは剥製ばかりという日が来るのかも知れません。そんな事になってしまっては、寂しい限りですけどね。

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2008.09.04

夏の旅2008~土佐紀行・はりまや橋~

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高知において、桂浜と並んで有名な名所と言えば播磨屋橋でしょう。播磨屋とは江戸時代の高知に存在した豪商の事で、今は橋の名前のみが残ります。はりまや橋と表記される事も多く、現地の欄干には全てひらがなで「はりまやばし」と書かれています。

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かつてこの地にあった播磨屋と柩屋は、互いの本店が堀で隔たれていました。その不便を解消すべく私費で懸けられた橋が播磨屋橋で、当時は簡素な木橋でした。その後何度か架け替えがあり、昭和3年の街路整備によって高知有数の目抜き通りに変貌しました。良く知られた朱色の欄干は戦後のもので、南国博覧会に合わせて設置されたと言われます。

この橋が有名になったのは、よさこい節の一節に歌われた事に始まります。そのよさこい節を歌詞にした歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットし、さらに制作された同名の映画の中で赤い欄干がスクリーンに写し出された事により、全国に知られる様になりました。

「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」

ここに出てくる坊さんとは幕末に生きた実在の人物であり、竹林寺の僧・純信という人です。

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当時は僧侶の色恋沙汰は御法度であったのですが、純信は寺に出入りしていたいかけ屋の娘・お馬と道ならぬ恋に陥ってしまいます。純信はひと目を偲んで髪飾りを買うまでになったのですが、やがて周囲に二人の仲を気付かれてしまいました。追い詰められた純信は、お馬とで手に手を取って逃げたのですが、香川の琴平まで行った所で捕まり、関所破りの罪で純信は国外に追放、お馬もまた安芸川から東へと追放されてしまったのでした。このとき、純信37歳、お馬は17歳だったと伝わります。

写真は龍馬歴史館に展示されている蝋人形で、はりまや橋で密会している場面なのでしょうか。はりまや橋の名は知られていても、二人の悲恋については知らない人がほとんどでは無いかという気がします。

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はりまや橋は、高知市で最も賑わう繁華街の一角に存在します。以前は道路の脇に赤い欄干があるだけで、その下には川ならぬ歩行者用の地下通路が通っていました。このため、日本三大がっかり名所の一つとまでに揶揄されていたのですが、平成5年に改修されて面目を一新し、復元された堀の上に橋の架かる現在の姿になっています。

本来の播磨屋橋はこちらの方で、4車線の立派な道路橋ですね。観光用の赤い欄干を持つ太鼓橋は、映画のシーンを元に江戸時代の橋をイメージして作られたものであり、元の播磨屋橋とはまるで異なります。言わば映画が作った名所ではありますが、古き高知を彷彿とさせてくれる貴重な場所でもあると言えそうです。

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2008.09.03

夏の旅2008~土佐紀行・桂浜~

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高知の名所と言えば、まず最初に名前が上がるのが桂浜でしょう。白砂青松を絵に描いた様なこの景色は、高知と言うより日本を代表する景観と言えるのかも知れません。

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左手の岩が下龍頭岬。その上に建つ小さな祠は大海津見神をお祀りする海津見神社で、通称「竜王宮」と呼ばれます。海上の安全を護る神様で、かつては地元の漁師が海に出る時、その妻達が夫の安全と大漁を祈願するため、社前で酒を酌み交わしたと言われています。また、豊玉姫命と山幸彦命の一期一会の神話になぞらえて、恋愛成就の神様としても知られるそうですね。

後でも触れる若宮八幡宮の末社らしく、天気の良い日には神社から神主さんが出向き、社前で恋みくじや龍馬の刺繍が入ったお守りなどを売っているそうです。この日は出張は無かった様ですが、出来れば龍馬のお守りは欲しかったな。

この浜で素晴らしいのはどこまでも続く水平線と波の音。動画で撮ってきましたので、どうぞご覧下さい。

高知・桂浜」のビデオ
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どうです、波の音に癒されましたか。

ここは一見して遠浅の様に見えますが、実は波打ち際からいきなり深くなっており、海流の流れも速い事から遊泳禁止になっています。きれいな海なので入ってみたくなるのですけどね、波も荒いのであまり近づくと危険です。 

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桂浜に来ると食べたくなるのがアイスクリンです。

アイスクリンとは元来アイスクリームの古い呼び方なのですが、高知では独自の進化を遂げて氷菓子の一種として存在しています。アイスクリームが生クリームや牛乳を使うのに対し、アイスクリンは脱脂粉乳を使う事から乳脂肪分が少なく、代わりに卵を使う事で旨味を補っている様です。

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アイスクリンは高知全域で売られており、別に桂浜の名物という訳ではないのですが、最初に食べたのがこの桂浜でして、以来ここに来る度に食べるのが慣わしとなっています。と言っても食べるのは3度目なのですけどね。

今回食べたのは土居冷菓のアイスクリンでした。これまでに食べたアイスクリンと違ってとても滑らかで、なかなかに美味でしたよ。どちらかというとアイスクリームに近く、もしかすると出来てから間もないアイスクリンだったのかも知れません。

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前回食べたのは岩松冷菓のアイスクリンでした。まあ、店の名前ではなく、こじゃんとうまいという看板の方を覚えていたのですけどね。こちらのアイスクリンはシャリシャリとした食感で、アイスクリームというよりシャーベットに近い様に感じました。この方がアイスクリン本来の味わいの様ですね。また機会があれば、もっと他のアイスクリンも食べてみたいところです。

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桂浜からは離れますが、近くの若宮八幡宮に長宗我部元親の銅像がありました。元親は戦国期の土佐に生まれ、一領具足と呼ばれた剽悍な兵を率いて、ほぼ四国全土を統一したという希代の英雄です。私はこの元親のファンでもあり、今回の旅行のテーマの一つにしようと思っていたのですが、残念ながら時間の関係でこの銅像を訪れただけに終わってしまいました。

若宮八幡宮との関係は、元親の初陣に際して戦勝を祈願したところ、見事に快勝する事が出来たというところにあるようです。この銅像はその初陣の姿を表現したものだそうですが、実に凛々しく格好が良いですね。ただ、初陣にしては堂々とし過ぎており、また貫禄がありすぎる様にも思えるのですが、そこは一代の英雄という事で目を瞑るのでしょう。

さしもの元親も龍馬の前では影が薄く、あまり人気は無い様ですね。その生涯を追っていくとなかなか面白い人物なのですが。司馬遼太郎さんの「夏草の賦」を原作にしたドラマでも出来れば人気が出るのでしょうけどね。

もっとその存在を世に知られて良い人物だと思います。

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2008.09.02

夏の旅2008~土佐紀行・坂本龍馬~

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今の高知で、圧倒的な人気を誇っているのが坂本龍馬。高知城周辺ではさすがに一豊と千代が頑張っていましたが、それ以外では一辺倒と言って良いほど龍馬、龍馬で溢れかえっていました。

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かくいう私も龍馬ファンの1人であり、今回の旅行でも主要なテーマの一つに掲げていました。その中で楽しみにしていたのが、龍馬が生まれた町を訪れる事です。

ここがその場所で、本丁筋という高知市の東西を結ぶ大通りに面しています。住所で言えば上町1丁目、隣は上町病院となっていますから、目印には丁度良いですね。

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坂本龍馬生誕地から南に入ったところにあるのが、龍馬の生まれたまち記念館です。高知市が運営する施設で、主として龍馬の生い立ちやその家族、さらには周辺の人物の紹介にスポットを当てているところに特色があります。

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施設にはCGを使って龍馬の少年時代を追体験するコーナーなどもありますが、ここでの一番のお薦めはボランティアの方に依る無料案内かも知れません。私は少しだけお話を伺っただけなのですが、地元の方ならではの情報を豊富に持っておられる様に見受けられました。何よりとても親切で、丁寧な対応をして頂いたのが嬉しかったですね。

写真は記念館の前から龍馬の実家跡を見たところで、この道筋は真ん中に水路がある事から水通町と呼ばれているそうです。

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こちらは記念館から西側を見たところで、龍馬の家の本家筋にあたる才谷屋があったとされるあたりです。少年時代の龍馬は、本家と実家の間をこの水通町を歩いて通っていたのですね。

実のところ、坂本家と才谷屋は裏表の関係にあると何かの資料で読んだ事があり、当然隣接して建っていたものと思っていました。ところが、現地に来てみると案外離れた場所にあったのですね。この事実が判っただけでも、高知にまで来た甲斐があったというものです。

ボランティアの方にはもっとお話を伺いたかったのですが、時間が無かったために長居が出来なかった事が心残りです。

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桂浜にある高知県立坂本龍馬記念館です。ここは龍馬観光の一大拠点であり、龍馬を求めて高知に来た人なら、一度は訪れる場所と言えるでしょう。資料も充実していますし、しっかりとした解説も掲示されています。近江屋のセットの前では、龍馬に扮したスタッフが観光客の質問に答えてくれるのも良いですね。

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ただ、龍馬の事をある程度知っている人にとっては、少し物足りない場所かも知れません。なぜなら、展示してある資料はほとんどが複製であり、本物は京都国立博物館が所蔵しているケースがとても多いのです。つまり、京都で開かれる特別展を訪れた事がある様な人なら、今さらという感じを受ける事でしょうね。

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とはいえ、ここにしかない手紙などの資料がある事は確かですし、龍馬グッズなども豊富に置かれています。また、土佐湾を望む景観は素晴らしいものがありますし、やはりここは桂浜の銅像とセットで訪れておくべき場所の一つだと思います。

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2008.09.01

夏の旅2008~土佐紀行・高知城~

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旅行3日目は、主として高知市内を回る事になります。まずは、高知市のシンボルである高知城から開始です。

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高知城を築いたのは、言わずと知れた山内一豊です。一昨年の大河ドラマでは主役を張っていましたよね。その一豊公の銅像は追手門の近く、県立文学館の前に立っています。ドラマで演じた川上隆也と違って、かなり強面の感じのする古武士の風格を感じますね。

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そして、もう1人の主役である千代の銅像は城内にあります。三の丸の手前、杉の段で名馬「太田黒」の横に立ち、夫に勧めるかの様に手を差し伸べていますね。どことなくふくよかな感じがするのは、「豊かできれいな女性にして欲しい」という、司馬遼太郎さんの助言によるものなのかも知れません。

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天守閣は四層五階建ての望楼式で、江戸初期に建てられた天守にしては古風さを感じます。これは一豊が前任の地である掛川城の天守を模して造ったからと言われ、土佐を治める拠点を短期間で築くには、設計が省略できるなど何かと都合が良かったのかも知れません。

また、近くで見ると案外小さい事にも気付いたのですが、20万石とは表向きの名目で、実質は9万石に過ぎなかったと言われる当時の土佐の経済力を反映しているのかなという気もします。

とはいえ、総塗り込めの白壁は美しく、軽快な感じのする姿は、やはり名城と呼ぶに相応しいですね。

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この城の特徴として天守台が無く、天守閣と懐徳館という本丸御殿が同じ平面上に建っている事が上げられます。多くの場合、天守には専用の石垣を築き、一段高く独立させて建てるのが普通で、こんな例はちょっと他には無い様な気がしますね。

天守の高欄もまたこの時代としては珍しく、一豊のこだわりがあったと言われます。一豊は家臣からこの高欄が目立ち過ぎるのではという助言を受け、わざわざ着工前に家康から許可を貰っており、そこまで気を遣わなくてはならない外様大名の立場の悲しさと、高欄に懸けた一豊の思い入れを感じずには居られません。

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本丸御殿の遺構は高知城の他には川越城にあるだけで、とても貴重な存在と言えます。本丸の書院は正殿、溜の間、玄関からなり、この写真は正殿にある上段の間で、藩主が家臣と対面する場所でした。もっとも普段使われていた訳ではなく、特別な場合にのみ、正式謁見の場所として使用されたとの事です。

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こちらは、黒潮の波を象ったと言われる「波の透彫欄間」です。うちわけ波の欄間と呼ばれ、土佐の左甚五郎と言われた武市髙朋の作と伝えられています。とてもシンプルで、かつ現代的な意匠ですよね。

ところで、功名が辻で一世を風靡したはずの一豊と千代ですが、早くも過去の人となりつつある様です。この御殿の玄関に千代のレリーフが飾られているのですが、誰だか判らない人がとても多いのですよ。教えて上げると思い出すのですけどね、千代に会うためにこの城に来ている訳ではなさそうです。

大河効果で大いに賑わった高知なのですが、忘れ去られるのも意外な程速かった様です。ちょっと寂しい気がしますね。

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天守からの眺望は前を遮る物がなく、とても素晴らしいものがあります。これは南方向ですが、正面に見えているのが筆山で、その麓には鏡川が流れています。

この鏡川と城の北を流れる江の口川を天然の堀として要害を固めた訳ですが、築城当時は辺り一面が酷い湿地帯で、とても町を作れる様な場所ではありませんでした。城の名もまた、周囲を川に囲まれているという意味で、河内山城と名付け似られました。

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しかしその後洪水が相次いだため、二代目藩主である山内忠義は河内山の名を忌み嫌い、名を高智山と改めました。これがさらに省略されて、今の高知になったとされています。

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本丸の西を護る黒鉄門です。防御力を高める為に小鉄板を貼り付けてある事からこの名があるのですが、確かに見るからに堅固な構えではありますね。

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城の登り口には、板垣退助の銅像があります。幕末の戊辰戦争で土佐藩兵を率いて活躍し、明治新政府では土佐閥を代表して参議となりますが、征韓論で敗れて下野し、以後自由民権運動の指導者となりました。岐阜で演説中に暴漢に襲われて負傷した際に、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ事で有名ですね。

今はさほど注目される事はありませんが、往時は自由民権運動の総帥として絶大な人気を誇っていたそうです。そう言えば、肖像が百円札に使われていた事もありましたね。「龍馬が行く」ではそれなりの活躍をしていますが、「龍馬伝」では出番があるのかな。

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高知城は、本丸御殿と天守を除いて、出入り自由の公園となっています。これだけの名城に日常的に接していられるのですから、高知市民は幸せですね。春の桜、そして秋の紅葉も素晴らしいらしく、四季を通して訪れてみたいところです。

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2008.08.31

夏の旅2008~土佐紀行・山内家下屋敷長屋~

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高知市と言えば、土佐藩24万石の城下町だった事で知られます。しかし、第2次世界大戦下における高知大空襲によって旧市街地の大半は焼けてしまい、城下町らしい佇まいはほとんど残っていません。そんな中で貴重な遺構となっているのが山内家下屋敷長屋です。

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山内家下屋敷長屋は、幕末の藩主山内容堂の別邸下屋敷の一部で、屋敷を警備する家臣達が寝泊まりするための施設でした。このように現存する武家長屋は全国的にも珍しいそうですね。

木造2階建てで、長さ17間半(約33m)幅2間半(約4.5m)の規模を保ち、1階が7区画、2階は3区画に別れています。昭和55年から56年に掛けて保存修理が行われ、現在は国の重要文化財として高知市が所有し、一般に無料公開が行われています。

内部は写真撮影が禁止されているので画像はありませんが、1階には当時の生活道具など、二階には和船などの模型や高知縁の人物の写真などが展示されています。

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山内家下屋敷跡地は明治維新後に一般に売り出されたため、現在は三翠園というホテルになっています。この門は下屋敷当時のものらしいのですが、現在はホテルの正門として使われており、なにやらホテルの格式を感じさせますね。

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実は今回宿泊したのがこの三翠園であり、6年前に続いて2度目となります。なぜここを選んだかと言えば、サービスもさる事ながら、高知市内で唯一天然温泉が付属しているというところが大きいですね。温泉は平成9年に湧出したという新しいもので、塩分を含んだナトリウム塩化物高温泉となっています。ですから、肌が弱い人は真水の上がり湯が必要となってきますね。

残念ながら掛け流しではなく循環となっていますが、露天風呂もあってなかなか快適なお風呂でしたよ。

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今回は2泊して来たのですが、料理は2日とも違う内容でした。これは2日目のもので、1日目は蟹の代わりに皿鉢料理が並んでいました。どうせならそっちの写真を撮っておきそうなものですが、初日はホエールウォッチングのダメージが残っていて、とてもそれどころではなかったのです。

料理はご覧の通り土佐の珍味を並べたもので、なかなかの美味でした。分量も多く、少し食べかねたくらいでして、最後は息子達に平らげてもらいました。

今見るともう一度食べたいと思いますが、こんなご馳走ばかり続けていたらその内に病気になりますね。やっぱり2日くらいが限度だったと思います。

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2008.08.30

夏の旅2008~土佐紀行・入野海岸~

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足摺岬を後にして、高知市への帰路を辿ります。しかし、帰る前にもう一箇所、入野海岸へと立ち寄りました。

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入野海岸は四万十川の東、黒潮町に広がる砂浜で、陸側に天正年間に植えられたという入野松原が連なる事で知られています。一帯は土佐西部大規模公園として整備されており、キャンプ場、体育館、テニスコートなどの施設を備えたリゾート地なのですね。

そして、外海に面しているだけに波が高く、高知有数のサーフィンビーチとしても知られています。

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しかし、我が家がここに来たのは別の理由がありました。それは桜貝を拾う事なのです。実は20年前にもこの浜に立ち寄った事があり、ガイドブックに載っていた桜貝を拾って帰った記憶があるのです。

ところが最近のガイドブックには記載が無く、ネットで調べてもはかばかしい情報がありません。よさこいタクシーさんにお願いして黒潮町役場に問い合わせても貰ったのですが、少しならあるかも知れないがあまり期待は出来ないとの事でした。

長年の間に消えてしまったのかと思いつつ海岸を歩いてみたのですが、意外にもすぐに見つかったのがこの貝殻でした。20年前に拾ったのも同じ貝でして、目を凝らせば極小のものも含めて沢山落ちていました。

これって桜貝の仲間ではないかと思うのですが、どんなものなのでしょう。

調べた限りではモモノハナガイの様な気がするのですが、まるっきり違う様でもあり、良く判りません。どなたか詳しい方はおられませんか?

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夏の終わりが近づき、いつの間にか日の暮れが早くなって来ましたね。時刻は午後6時前、すっかり傾いた西日が風紋を照らします。

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海岸には結構な数のサーファー達が居たのですが、砂浜が広大なせいでしょう、ほとんど人の気配が無いかの様に感じてしまいます。

西日の差す浜辺で佇んで居ると聞こえるのは打ち寄せる波の音だけ、静かな旅情を感じたひとときでした。

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2008.08.29

夏の旅2008~土佐紀行・足摺岬~

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四国の最南端に位置する岬、それが足摺岬です。これまで何度となく行きたい思っていたのですが、やはり交通の便がネックとなり、実現する事が出来ませんでした。今回も高知市から遥かな長駆となるプランではありましたが、高知よさこいタクシーさんのおかげで、やっとここまでたどり着く事が出来たという次第です。

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足摺岬と言えばやはり灯台ですね。初代は大正3年に建てられたそうで、8角形をしていたそうです。現在の灯台は昭和35年に出来た2代目で、ロケット形灯台と言うのだそうですね。青い海と空を背景に、この白い灯台は実に良く映えています。

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足摺岬の先は、何も遮るものが無い太平洋が広がっています。そして、岬を洗う流れは黒潮。とても深くて綺麗な水の色をしていますね。

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今回の旅で堪能したのが水平線。大阪では絶対に見る事が出来ない景色ですからね。果てしなく続く水平線を見ていると、なるほど地球は丸いのだなという事が実感出来ます。

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足摺岬にも四国88箇所霊場の一つがあります。それが第38番札所である金剛福寺。37番札所である岩本寺から110kmあるといい、歩いて来るには3泊4日の行程になるのだそうです。私たちは車でしたから楽なものでしたが、相当な山越えとなる道であり、きっとお遍路さん泣かせの難所なのでしょうね。

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足摺岬への入り口にあった中浜万次郎の銅像です。万次郎は幕末にアメリカに渡った事で知られ、その貴重な知見ゆえに、開国に揺れる日本に多大な影響を与えた人物と言われます。

万次郎はこの近くの中浜村の出身で、14才の時に漁に出たのですが、時化にあって漂流し、アメリカの捕鯨船に救助されてアメリカに渡ったのでした。そして、船長の好意によってアメリカの教育を受けさせて貰うという幸運に恵まれ、やがて知識人として成長した万次郎は日本に帰国します。

万次郎はペリー来航時にその経歴と能力を買われて幕府直参として迎えられ、咸臨丸の渡米時には通訳として随行しました。幕末期にあっては彼の経験と能力は大変貴重なもので、坂本龍馬を初めとして板垣退助・中江兆民・岩崎弥太郎など、土佐を代表する人物達に多大な影響を与えたとされます。

再来年の大河ドラマは高知が舞台となる龍馬伝ですから、きっと万次郎も登場する事でしょうね。この銅像もドラマの最後に縁の場所として紹介されるかな。今から2年後の日曜日が楽しみですね。

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2008.08.28

夏の旅2008~足摺岬・竜串~

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四万十川を後にして、足摺岬へと向かいます。その前に立ち寄ったのが、足摺半島の付け根にあたる竜串。奇岩と珊瑚が広がる海で知られる観光スポットです。

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ここでの予定は、海底に広がる珊瑚を眺めるグラスボートに乗る事でした。前日は豪快なクジラ、そしてこの日は美しい珊瑚を見て土佐の海を堪能するはずだったのですが。

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なんと、波が荒いために船が欠航してしまったのです。天候は穏やかだったのですけどね、陸の天気と海の状況は、必ずしも一致するものではない様です。後で調べるとホエールウォッチングも欠航だったらしく、1日違いで危うく乗れないところでした。危ない、危ない。

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竜串はこうした泥岩や砂岩から成り立っており、この湾の向こう側が見残し海岸と言って、やはり同じ様な奇岩が織りなす景観が一面に広がっている場所なのだそうです。

こんな具合に天気は上々で、海も一見して穏やかにみえるのですけどね、実際には冒頭の写真の様に荒れていて、2m近い波が立っていた様です。

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欠航してしまったものは仕方がないので、もう一つのスポットである海底展望塔へと向かいます。ここは海の中に建っており、遠く海上を見わたすだけではなく、海底にある窓を通して海の中を見るための展望塔なのです。

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展望塔の底には円い窓が幾つも設けてあって、そこから海の中を見通せる様になっています。実際の感じはこんな具合で、展望塔の周囲を沢山の魚が泳ぐ様を見る事が出来ます。天然の水族館という感じですが、当然ながらすべて野生の魚であり、またスケール感も水族館とは桁違いですから、なかなか見応えはありますよ。

ただ、やはり波が荒いせいで透明度が低く、あまり鮮明に見る事が出来なかったのが残念です。

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実のところ、ここに来るまでは竜串がどんな所かは知りませんでした。足摺岬は知っていても、竜串は知らないという人が多い事でしょうね。四万十川から岬に向かうには少し逆モーションになってしまうのですが、わざわざ寄ってみるだけの価値はある場所ですよ。海底展望塔だけでも面白いし、ボートに乗れたらさらに楽しい事でしょうね。

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