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2018.11.25

西郷どん 第四十四回 「士族たちの動乱」

鹿児島に戻って農耕や狩猟にいそしむ隆盛。

静かに暮らす隆盛の下に、続々と東京から帰ってきた薩摩士族たち。

彼らに東京へ帰れと諭す隆盛。
隆盛に東京に戻ってもらうために帰ってきたのだと晋介。
口々に帰京を促す士族達。
しかし、がんとして撥ね付けた隆盛。

薩摩に帰ってきた薩摩士族の数は600人に及びました。
職を失った彼らが暴発する事を恐れる大山県令。

隆盛を日々訪ねてくる士族達。
行方をくらます隆盛。

隆盛に逃げんでくいやんせと伝えて欲しいと晋介。
勝手な事を言わんでくいやい、
あなたたちには腹が立って仕方がない、
旦那様は新か国を作るために走ってこられた、
これからはあなたたちが走る番だと糸。
一言も無く引き上げる晋介たち。

内務省を訪れた川路と新八。
参議兼内務卿として権力の頂点に立つ大久保。
二人に西国の士族の不満を抑える役目を命ずる大久保。
なぜ隆盛は政府を去ったのかと新八。
自分の役目は終わった、そう言って薩摩に帰ったと大久保。
私情は捨て警察のために献身したいと川路。

そこに岩倉卿が襲われたという知らせ。
土佐なまりのやつらに襲われたと岩倉。

三日後、土佐藩士の仕業と判明した襲撃事件。
さらに反乱の火の手が広がる恐れがあると木戸。
既に佐賀では江藤の一派が集まっていると伊藤。
佐賀より薩摩ではないのかと木戸。
隆盛は絶対に立たないと大久保。

鹿児島。
温泉で療養する隆盛。
甥の望みは静かに暮らす事、一蔵が作る世を見たいという事だと隆盛。

大久保の留守宅を襲った暴漢たち。
東京へと旅だった満寿たち。

明治7年2月15日、佐賀の乱勃発。

士族たちの暴発を心配する晋介たち。

夜陰、西郷家を訪れた江藤たち。
西郷の決起を促す江藤に、政府を潰そうとは思っていないと隆盛。
失望したと言い残し、去って行く江藤。

大久保自らが率いる政府軍に捕らえられ、
まともな裁判も受けずに斬首、さらし首となった江藤。

太政官。
さらし首とはやり過ぎではと木戸。
二度とこの様な事を起こさないため、江藤君の最後の役目と大久保。

大久保邸。
対峙する満寿とおゆう。

帰宅した大久保。
突然現れたおゆうに狼狽する大久保。
満寿とこれからの事を取り決めさせてもらった、
これからうちに来るのは1と6の付く日とおゆう。

束の間の団らんを楽しむ大久保。

鹿児島。
江藤への処分を書き立てる新聞を読む隆盛。
みんな震え上がっていると雪蓬。
それが政府の思惑かと隆盛。

政府への反発を強める士族達。
憂慮する晋介たち。

大山県令に士族たちの学校を作ろうと頼みに来た隆盛。
そこに現れた新八。
西洋で見たのは、煤煙の中でネズミの様に暮らしている人々だった、
そんな国を作る手伝いはしたくない、
それよりも隆盛の作る士族の学校の手伝いをしたいと新八。

西郷家。
風琴を手に西洋のオペラを歌う新八。

そこに現れた半次郎。
隆盛の力で政府を変え、世直しをする、
そのためなら命は要らないと半次郎。
その半次郎に学校の手伝いをしてくれと頼む隆盛。
納得のいかない半次郎。

明治7年6月、私学校設立。

アメリカから帰国した菊次郎。

私学校に乱入した不審者。
恐ろしく強い不審者は半次郎でした。
私学校に加わった半次郎。

内務省。
西国の不平士族が増えているとの報告を聞く大久保。
私学校にも続々と志願者が増えていると聞き、
密偵の数を増やせと命ずる大久保。

「今回は薩摩に帰った隆盛が私学校を作るまでが描かれました。火薬庫の様な鹿児島にあって、不平士族を抑えようとした隆盛の苦心が良く伝わってきました。」

「隆盛は帰国後、狩猟と湯治に精を出していました。この生活は相当な長期間に及んだそうで、その姿は農夫同然だったと言われます。しかし、彼を慕って多くの士族が帰郷するに及び、彼らを捨て置く訳にも行かなくなりました。そこで彼が起こしたのが私学校です。私学校は戊辰の戦で多くの死傷者を出した事を受け止め、彼らの後継者として道義、尊皇、愛民の心を持つ士官を育てる事を目的としていました。」

「その士官たちを育てる目的は、近いうちに起こるであろうロシアとの衝突に備えるためであったと言われます。これから判る事は、少なくとも隆盛には内乱の意図は無かったという事でした。」

「江藤が佐賀の乱に敗れ、隆盛に救いを求めた時にも隆盛はこれを断っています。この事からも隆盛には反乱の意思は無かったと言えるでしょう。」

「しかし、大久保の放った密偵者からは、隆盛が土佐グループと共謀し、新政府を転覆させようという報告が上げられていました。事実、岩倉卿は旧土佐藩士たちに襲われ、ますますその信憑性が高まっていました。」

「もっとも、ドラマにあった様に新政府内では、西郷が鹿児島に居る限り暴発は無いという観測もありました。これは大山巌が鹿児島に帰った時、隆盛自らが暴発は起こさせないと語った事が伝えられており、不思議な安心感に包まれていたとも言います。」

「ドラマでは晋介たちは隆盛を政府に再出仕させるために帰国したとありましたが、新政府の側でも鹿児島の不穏な空気を一掃するために、西郷を東京に呼び戻すために様々な動きをしています。先の大山巌が派遣されたのもその一環で、最後には明治帝自らが勅使を派遣し再出仕を求めたのですが、隆盛はとうとう首を盾に振りませんでした。」

「政府に出仕する事を断り続けた隆盛は、相変わらず農耕と湯治にいそしんでいました。明治9年には娘の菊草の婚約も整い、私人としての隆盛はごく平穏で幸せな生活を送っていたのでした。それを覆すのが大久保の放った密偵達なのですが、それは次回に描かれる様ですね。いよいよ西南戦争の勃発となるのか、緊張した回になりそうです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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