西郷どん 第四十三回 「さらば、東京」
明治6年10月14日、太政官会議。
隆盛の朝鮮派遣に関して、冒頭から激しく対立する大久保と隆盛。
富国強兵を主張する大久保と朝鮮居留民の安全を主張する隆盛。
大久保と岩倉の罷免をと三条に迫る江藤。
狼狽するばかりの三条。
突如として寝返り、隆盛側に付いた岩倉。
後刻。
岩倉を責め、参議を辞任すると伝える大久保。
狼狽する三条。
自分も辞めると岩倉。
遂に人事不省に陥った三条。
西郷邸。
せめてもの護身用にとピストルを渡す従道。
これは不要と返す隆盛。
10月18日、太政官。
三条が倒れた事を伝え、会議を中止する岩倉。
三条邸。
見舞いに訪れた隆盛。
病を押して大久保の企みを伝える三条。
明治帝に会う岩倉。
後日の太政官。
冒頭、自らが太政大臣代理と宣言した岩倉。
(回想)
岩倉に明治帝に隆盛が朝鮮に行き、
命を落とすやもしれんと伝えて欲しいと大久保。
朝鮮国使節派遣取りやめの叡慮を伝える岩倉。
紛糾する会議。
朝鮮国の居留民の事を託し、辞意を表明した隆盛。
いきり立つ桐野たち。
兵を動かしてはならんと一喝する隆盛。
明治6年12月24日。
政府に辞表を届け出た隆盛。
隆盛に続いた江藤、後藤、板垣達。
内務卿となった大久保。
岩倉邸。
祝いに集まった長州閥の一同。
隆盛の下野によって騒動が起こるかもと木戸。
よろしゅう頼むと岩倉。
隆盛はそんな男では無いと木戸。
隆盛邸を訪れた木戸。
条約改正の失敗と長州の者たちの汚職の責任を取ると木戸。
まだこれからだ、木戸には政府に残ってもらわねばと隆盛。
厚く握手を交わした両雄。
大久保邸。
帰りを待っていた隆盛。
薩摩に帰る前に挨拶に来たという隆盛。
自分は土俵際で岩倉卿にしてやられた、
あれはおはんのした事かと隆盛。
ああ、そうじゃと大久保。
なぜここまでずる賢い頭の使い方をせねばならんと隆盛。
おいには理想とする政府の姿がある、
それを邪魔する者は排除すると大久保。
それはおいの事かと隆盛。
おはんの人を信じる政は甘かと大久保。
一蔵どんはおいを政府から追い出したかったとなと隆盛。
ああ、と大久保。
なぜはっきりそう言うてくれんかった、
おいとおはんの喧嘩なら腹を割って話せば済んだ、
周りを巻き込む事はなかった、
こんな回りくどい事はすかんどと隆盛。
卑怯者とでもなんとでも言え、憎め、すべて覚悟の上と大久保。
無理を言うな、おはんを嫌いになれるはずがないと隆盛。
おいのまけじゃ、後はおもいっきりやれ、
おいは薩摩で畑でも耕しながら見ている、たのんだどと隆盛。
翌朝、鹿児島へと旅発った隆盛。
これが二人の最後の別れでした。
一人見送りに来た従道。
自分は西郷の名に恥じぬよう最後まで食いつくと従道。
たまには帰ってこいと隆盛。
「今回は征韓論に破れ、隆盛が下野するまでが描かれました。隆盛と大久保、二人の理想がぶつかり合う様は迫力がありました。実際、あの二人が激論したら誰も口を挟めなかったでしょうね。」
「ドラマではかなりの省略がありましたが、大筋では史実どおりでした。一旦は大久保を裏切り隆盛の論に与した三条太政大臣と岩倉でしたが、彼らが何より恐れていたのは隆盛を覆う声望と彼を慕う陸軍の将兵、各地の不平士族たちの反乱でした。それが覆ったのは三条が人事不省に陥った事で、これを奇貨とした大久保と岩倉が決定をひっくり返したのでした。」
「三条が人事不省に陥った背景には隆盛の脅しがあったと言われ、もし閣議の決定どおりの奏上が行われなかった時は、自分は自殺するよりないという手紙を三条に送りつけています。西郷の死によって引き起こされるであろう陸軍や士族の反乱を恐れた三条は、極限状態に置かれたのでした。そして、大久保と隆盛の板挟みになった三条は、遂に精神的に耐えきれなくなってしまったのでした。」
「大久保は岩倉と諮り、明治帝自らが岩倉を太政大臣代行に任じる様に工作しました。当時の法制では、太政大臣が職務を遂行出来ないときは、左大臣または右大臣がこれを代行するとありました。しかし、それでは三条が決めた隆盛派遣をそのまま奏上するよりなくなります。そこで明治帝を背後から動かし、勅命をもって岩倉に代行を命じさせたのです。これにより、岩倉は自らの意思に沿って振る舞う事が可能となったのでした。」
「隆盛は奏上が行われる前日に江藤らと共に岩倉邸を訪れ、翌日の参内で自らの派遣を奏上するよう念押しをしています。しかし、岩倉は勅命を盾に自らの意見も同時に奏上すると言って一歩も引かず、ついに隆盛たちを退けたのでした。岩倉卿の持つ凄みは、この時をもって如実に発揮されたと言うべきでしょうか。」
「隆盛がその気になれば、岩倉を無視して自らが明治帝に直訴する事も出来たはずです。そうなれば、隆盛びいきであった明治帝は隆盛の望みを聞き入れたかも知れません。しかし、彼はここで身を引き、それ以上の動きには出る事はありませんでした。このあたりが隆盛の謎とされる部分で、その理由ははっきりとは分かっていません。」
「岩倉が奏上したのは隆盛の派遣という決議がなされた事と岩倉自身の考え、つまり今は富国強兵に務めるべき時期であり、隆盛の派遣は時期尚早というものでした。明治帝は岩倉の意見を良しとし、隆盛の派遣は退けられたのです。」
「自らの望みが絶たれた事を知った隆盛は全ての官位、地位を辞職して東京を去ります。ただし、陸軍大将の地位と従三位という官位はそのまま止め置かれました。」
「東京を去るにあたって、西郷が大久保を訪ねたという逸話は、伊藤博文の後日談にあります。司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」では、後は頼むと隆盛が言い、いつでんそうしゃ、おいが知るものかと大久保が答えたとありますが、どうやらそれは伊藤の談を元にした司馬氏の創作の様ですね。そもそも、一次資料では伊藤は隆盛が東京を去った日に大久保を訪ねていないし、大久保の日記にも記載はありません。伊藤の後日談からして怪しいのですが、両雄の別れとしてはドラマのごとくあって欲しいという気はしますね。」
「しかし、研究者によっては大久保にしてやられた隆盛は、大久保を君側の奸としてひどく憎むようになっていたとも言います。仲が良かった分、その反動は大きかったのかも知れません。」
「隆盛自身はドラマの台詞にあった様に、農耕に従事して静かに余生を暮らそうとしていたのかも知れません。しかし、世間は隆盛の下野をきっかけに騒然とし始めます。次回は佐賀の乱とその後が描かれる様ですね。その時西郷がどう動くのか、楽しみに待ちたいと思います。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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