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2018年11月

2018.11.30

京都・洛中 京都紅葉事情2018 ~妙顕寺 11.24~

Myoukenji1811301

真如堂の次に目指していたのは妙顕寺です。連休中でもさほど混まない穴場はないかしらんと考えていた時に、Milkさんのブログで教えてもらったのがここでした。

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紅葉はピークまではあと少しといったところでしたが、まずまずの景色を見せてくれていました。たぶん、今日あたりが最高潮だったんじゃないかな。

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そんな中で、境内の片隅で黄色く染まったもみじがありました。早くも西に傾いた秋の陽を浴びて綺麗でしたよ。

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そのもみじ越しに見た本堂です。こういう景色も新鮮な感じがして良いものですね。

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堂内では、一室まるごと庭にした部屋がありました。何とも思い切った事をするものですね。こうした事をするのも妙顕寺ならではなのかな。また一つここを訪れる見所が増えましたね。

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2018.11.29

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~真如堂 11.24~

Sinnyodou1811281

黒谷から真如堂へとやって来ました。ここでは紅葉が見頃となっており、大勢の人出で賑わっていました。

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色づき方は木によってまちまちで、真っ赤に染まった木もあればまだ緑の木もあり、花の木などはほとんど散っているなど状態は様々でした。全体としてはほぼピークに近かったんじゃないかな。

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残念だったのは、この日は午前中は曇っていた事で、写真の背景が白くなってしまった事です。ところが諦めて帰って暫くすると雲が取れて晴れ渡ったのは皮肉なものでした。よほど引き返して撮り直そうかと思ったのですが、時間の関係で諦めました。もう少し粘っていれば良かったですね。

Sinnyodou1811285

本堂東側もこんな感じで、良い具合に染まっていました。ここがこんなに綺麗なのは久しぶりではないかしらん。

Sinnyodou1811286

真如堂の紅葉も、そろそろピークは過ぎてしまった事でしょう。でもまだ参道や本堂裏は染まりきっていなかったので、見所はまだあると思われます。人出も少なくなっているでしょうから、これから出かけられるには良い場所かも知れませんよ。

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京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~黒谷 11.24~

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平成30年11月24日の黒谷です。この日は紅葉がほぼ見頃となっていました。

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11月10日に訪れた時に既に色づいていたこのもみじは、最高潮を迎えていました。2週間掛かったのは比較的暖かい日が多かったからなのかな。よく縮れずに保ってくれたものです。

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この日は紫雲の庭にも入ってみました。池泉回遊式と枯山水が融合したこの庭にはもみじが数多く植えられています。

Kurodani1811275

ここでもやはり日当たりの差でしょう、美しく紅葉したもみじとまだ緑のままのもみじが混在していました。でも、これたけの景色が見られたのですから良しとするのでしょうね。庭の奥にあるもみじたちは、12月に入ると黄色く染まります。それはそれで綺麗ですよ。

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黒谷の紅葉は、そろそろ盛りを過ぎている頃でしょうか。でも、まだ緑の木も多かったので、今から行っても残りもみじの風情は楽しむ事は出来ると思いますよ。

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2018.11.28

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~京都府立植物園 11.23~

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平成30年11月23日の京都府立植物園です。この日は紅葉が見頃を迎えていました。

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植物園の紅葉の中心になるのは、なから木の森周辺のもみじ林です。一番きれいだったのは池のほとりのこの木で、真っ赤に染まっていました。

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後はまだ色づきの浅い木も多かったので、今日あたりでもまだ見頃を保っていると思われます。なにしろ広いですから、どこかしら見所はあると思いますよ。

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ただ、なから木神社西側の池の周辺では台風の被害が見て取れ、かなり美観が損なわれていました。東屋も屋根がめくれて立ち入り禁止になっていましたからね。

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こちらは花の木の紅葉です。色々な木の紅葉が楽しめるのも植物園ならではですね。ただ、フウの木が台風でかなりのダメージを被っており、全く紅葉していなかったばかりか、残った枝の葉も枯れた様になっていて、無残な姿となっていました。このまま枯れてしまいやしないかと心配になるほどです。来年は是非とも元気な姿を見せて欲しいものです。

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2018.11.27

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~常照寺 11.23~

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源光庵から近くの常照寺へ来ました。ここでは紅葉は、まずまずの見頃になっていました。

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最高潮になるまではもう一息かなという感じだったのですが、これだけ染まっていれば来た甲斐はあったというものです。これなら、ゆくりお茶を飲んで楽しんでいけば良かったかも知れません。

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この日一番きれいだったのはこの木で、やはり日当たりが良いせいでしょうか、他とは一線を画した様な染まり方でした。

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境内全体としては、赤、黄、緑が混在するパステルカラー状態で、これはこれで綺麗でした。もう二、三日すればピークに達していたかも知れません。

Jousyouji1811276

こちらは開放されていた遺芳庵です。腰を掛けてお茶を頂くという面白い形式の茶室ですね。大きな丸窓は吉太夫ゆかりの吉野窓。円の底辺部が直線になって欠けており、完全で無い自分を表しているのだそうです。

常照寺はどうだろう、まだ見頃を保っているのかな。ここはバスで団体が来るので、タイミングによっては結構混み合います。でも、団体とかち合わなければ静かで良いところですよ。源光庵、光悦寺とセットで回るには丁度良いポイントです。

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2018.11.26

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~源光庵 11.23~

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平成30年11月23日の源光庵です。この日は本堂前の樹齢120年というもみじの紅葉が見頃を迎えていました。この日はこのもみじが白眉でしたね。

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庭園もまずまず色づいていました。もう少ししたら見頃になっていたでしょうね。ただ、この庭園は盛りになってもオレンジ色が普通で、あまり代わり映えはしなかったかも、です。

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迷いの窓は色づきが浅く、まだこれからといったところでした。今日あたりはそれなりに見られる様になっているかな。

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悟りの窓は奥のもみじが色づいていましたが、手前側のもみじが緑のままで、ちょっと残念でしたね。その後の冷え込みでどこまで色づいたでしょうか。

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そして悟りの窓と迷いの窓のコラボレーションです。人気は圧倒的に悟りの窓の方で、ここには写っていませんが、窓の前には大勢の人だかりがしていました。綺麗な紅葉は見られなかったけれど、良い記念にはなったのかな。

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2018.11.25

西郷どん 第四十四回 「士族たちの動乱」

鹿児島に戻って農耕や狩猟にいそしむ隆盛。

静かに暮らす隆盛の下に、続々と東京から帰ってきた薩摩士族たち。

彼らに東京へ帰れと諭す隆盛。
隆盛に東京に戻ってもらうために帰ってきたのだと晋介。
口々に帰京を促す士族達。
しかし、がんとして撥ね付けた隆盛。

薩摩に帰ってきた薩摩士族の数は600人に及びました。
職を失った彼らが暴発する事を恐れる大山県令。

隆盛を日々訪ねてくる士族達。
行方をくらます隆盛。

隆盛に逃げんでくいやんせと伝えて欲しいと晋介。
勝手な事を言わんでくいやい、
あなたたちには腹が立って仕方がない、
旦那様は新か国を作るために走ってこられた、
これからはあなたたちが走る番だと糸。
一言も無く引き上げる晋介たち。

内務省を訪れた川路と新八。
参議兼内務卿として権力の頂点に立つ大久保。
二人に西国の士族の不満を抑える役目を命ずる大久保。
なぜ隆盛は政府を去ったのかと新八。
自分の役目は終わった、そう言って薩摩に帰ったと大久保。
私情は捨て警察のために献身したいと川路。

そこに岩倉卿が襲われたという知らせ。
土佐なまりのやつらに襲われたと岩倉。

三日後、土佐藩士の仕業と判明した襲撃事件。
さらに反乱の火の手が広がる恐れがあると木戸。
既に佐賀では江藤の一派が集まっていると伊藤。
佐賀より薩摩ではないのかと木戸。
隆盛は絶対に立たないと大久保。

鹿児島。
温泉で療養する隆盛。
甥の望みは静かに暮らす事、一蔵が作る世を見たいという事だと隆盛。

大久保の留守宅を襲った暴漢たち。
東京へと旅だった満寿たち。

明治7年2月15日、佐賀の乱勃発。

士族たちの暴発を心配する晋介たち。

夜陰、西郷家を訪れた江藤たち。
西郷の決起を促す江藤に、政府を潰そうとは思っていないと隆盛。
失望したと言い残し、去って行く江藤。

大久保自らが率いる政府軍に捕らえられ、
まともな裁判も受けずに斬首、さらし首となった江藤。

太政官。
さらし首とはやり過ぎではと木戸。
二度とこの様な事を起こさないため、江藤君の最後の役目と大久保。

大久保邸。
対峙する満寿とおゆう。

帰宅した大久保。
突然現れたおゆうに狼狽する大久保。
満寿とこれからの事を取り決めさせてもらった、
これからうちに来るのは1と6の付く日とおゆう。

束の間の団らんを楽しむ大久保。

鹿児島。
江藤への処分を書き立てる新聞を読む隆盛。
みんな震え上がっていると雪蓬。
それが政府の思惑かと隆盛。

政府への反発を強める士族達。
憂慮する晋介たち。

大山県令に士族たちの学校を作ろうと頼みに来た隆盛。
そこに現れた新八。
西洋で見たのは、煤煙の中でネズミの様に暮らしている人々だった、
そんな国を作る手伝いはしたくない、
それよりも隆盛の作る士族の学校の手伝いをしたいと新八。

西郷家。
風琴を手に西洋のオペラを歌う新八。

そこに現れた半次郎。
隆盛の力で政府を変え、世直しをする、
そのためなら命は要らないと半次郎。
その半次郎に学校の手伝いをしてくれと頼む隆盛。
納得のいかない半次郎。

明治7年6月、私学校設立。

アメリカから帰国した菊次郎。

私学校に乱入した不審者。
恐ろしく強い不審者は半次郎でした。
私学校に加わった半次郎。

内務省。
西国の不平士族が増えているとの報告を聞く大久保。
私学校にも続々と志願者が増えていると聞き、
密偵の数を増やせと命ずる大久保。

「今回は薩摩に帰った隆盛が私学校を作るまでが描かれました。火薬庫の様な鹿児島にあって、不平士族を抑えようとした隆盛の苦心が良く伝わってきました。」

「隆盛は帰国後、狩猟と湯治に精を出していました。この生活は相当な長期間に及んだそうで、その姿は農夫同然だったと言われます。しかし、彼を慕って多くの士族が帰郷するに及び、彼らを捨て置く訳にも行かなくなりました。そこで彼が起こしたのが私学校です。私学校は戊辰の戦で多くの死傷者を出した事を受け止め、彼らの後継者として道義、尊皇、愛民の心を持つ士官を育てる事を目的としていました。」

「その士官たちを育てる目的は、近いうちに起こるであろうロシアとの衝突に備えるためであったと言われます。これから判る事は、少なくとも隆盛には内乱の意図は無かったという事でした。」

「江藤が佐賀の乱に敗れ、隆盛に救いを求めた時にも隆盛はこれを断っています。この事からも隆盛には反乱の意思は無かったと言えるでしょう。」

「しかし、大久保の放った密偵者からは、隆盛が土佐グループと共謀し、新政府を転覆させようという報告が上げられていました。事実、岩倉卿は旧土佐藩士たちに襲われ、ますますその信憑性が高まっていました。」

「もっとも、ドラマにあった様に新政府内では、西郷が鹿児島に居る限り暴発は無いという観測もありました。これは大山巌が鹿児島に帰った時、隆盛自らが暴発は起こさせないと語った事が伝えられており、不思議な安心感に包まれていたとも言います。」

「ドラマでは晋介たちは隆盛を政府に再出仕させるために帰国したとありましたが、新政府の側でも鹿児島の不穏な空気を一掃するために、西郷を東京に呼び戻すために様々な動きをしています。先の大山巌が派遣されたのもその一環で、最後には明治帝自らが勅使を派遣し再出仕を求めたのですが、隆盛はとうとう首を盾に振りませんでした。」

「政府に出仕する事を断り続けた隆盛は、相変わらず農耕と湯治にいそしんでいました。明治9年には娘の菊草の婚約も整い、私人としての隆盛はごく平穏で幸せな生活を送っていたのでした。それを覆すのが大久保の放った密偵達なのですが、それは次回に描かれる様ですね。いよいよ西南戦争の勃発となるのか、緊張した回になりそうです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.11.24

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~金福寺 11.22~

Konpukuji182511

平成30年11月22日の金福寺です。この日は紅葉がほぼ見頃となっていました。

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色づき加減は最高とは言いがたく、並程度かな。芭蕉堂周辺のもみじがまだ色づきっていなかったので、今日あたりはまた印象が違っているかも知れません。

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ちょっと驚いたのは、その芭蕉堂がつっかい棒で支えられていた事で、倒壊の危険があるという事でした。これも台風の影響だったのかしらん。早く修復して綺麗な姿を見てみたいものです。

Konpukuji182515

庭園への入り口では、敷紅葉が見事でした。この日見たもみじの中では最も綺麗だったかな。朝のうち降っていた雨のたまものだったのかも知れません。散りたての上、雨で濡れていたのが幸いしたのでしょうね。良いものを見せて頂きました。

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2018.11.23

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~圓光寺 11.22~

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詩仙堂から圓光寺へとやって来ました。ここに来るのは12日ぶりでしたが、紅葉は確実に進んでいました。

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ただ、色づき加減は今ひとつですね。去年に比べると進行はやや遅めかな。

Enkouji1811223

このもみじも台風の被害があった様で、枝が短くなっていました。色づきも方もあまり良く無いですね。でも、奔流庭を前にすると、良いアクセントとなっています。

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十牛の庭は見頃の木、緑の木、パステルカラーの木が入り交じった状態でした。まずまず綺麗だけれど、圓光寺としてはやや物足りない光景でした。

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ここも今後の冷え込み加減次第かな。今日の冷え込みを受けて進んでいてくれると良いのですけどね。

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2018.11.22

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~詩仙堂 11.22~

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平成30年11月22日、今日の詩仙堂です。雨模様の詩仙堂は、紅葉がはほぼ見頃を迎えようとしているところでした。

Sisendou1811222

座敷から見た景色は盛りに近かったです。まだ少し色付きが浅い感じもありますが、雨に濡れた葉は艶やかで、なかなか綺麗でしたよ。

Sisendou1811223

庭園のもみじはまだ浅い色付き方でしたが、明日の朝はさらに冷え込む様なので、もう少し色合いは深くなるかな。連休初日の詩仙堂は、見頃で始まりそうです。

Sisendou1811225

白眉はやはり庭園から見たこのもみじてしょうね。毎年美しく染まりますが、今年も鮮やかな色彩を見せてくれました。ただ、台風の影響なのかな、昨年よりも枝の密集度が低くなっている気がします。たぶん、細かい枝がかなり折れたんじゃないかしらん。

Sisendou1811226

台風の影響と言えば、庭園の大もみじの大枝が折れて樹形が半分になり、無残な姿になっていました。今日は傷跡は修復されていましたが、被災直後は相当に悲惨な状況だった事でしょうね。庭園のメインの木だっただけに、残念でなりません。自然の猛威には勝てないな。

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2018.11.19

暫くお休みします

ねこづらどきに訪れて頂いてありがとうございます。

京都の紅葉も佳境を迎えようとしていますが、この大事な時期にまた体調を崩してしまいました。大変残念ながら週末に京都に出かけられず、取材が出来なかったので、暫く更新を停止します。せっかく来て頂いたのに申し訳ありません。

23日には復活出来ると思いますので、再開の折にはまたよろしくお願いいたします。

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2018.11.18

西郷どん 第四十三回 「さらば、東京」

明治6年10月14日、太政官会議。

隆盛の朝鮮派遣に関して、冒頭から激しく対立する大久保と隆盛。

富国強兵を主張する大久保と朝鮮居留民の安全を主張する隆盛。

大久保と岩倉の罷免をと三条に迫る江藤。
狼狽するばかりの三条。
突如として寝返り、隆盛側に付いた岩倉。

後刻。
岩倉を責め、参議を辞任すると伝える大久保。
狼狽する三条。
自分も辞めると岩倉。
遂に人事不省に陥った三条。

西郷邸。
せめてもの護身用にとピストルを渡す従道。
これは不要と返す隆盛。

10月18日、太政官。
三条が倒れた事を伝え、会議を中止する岩倉。

三条邸。
見舞いに訪れた隆盛。
病を押して大久保の企みを伝える三条。

明治帝に会う岩倉。

後日の太政官。
冒頭、自らが太政大臣代理と宣言した岩倉。

(回想)
岩倉に明治帝に隆盛が朝鮮に行き、
命を落とすやもしれんと伝えて欲しいと大久保。

朝鮮国使節派遣取りやめの叡慮を伝える岩倉。
紛糾する会議。
朝鮮国の居留民の事を託し、辞意を表明した隆盛。

いきり立つ桐野たち。
兵を動かしてはならんと一喝する隆盛。

明治6年12月24日。
政府に辞表を届け出た隆盛。
隆盛に続いた江藤、後藤、板垣達。

内務卿となった大久保。

岩倉邸。
祝いに集まった長州閥の一同。
隆盛の下野によって騒動が起こるかもと木戸。
よろしゅう頼むと岩倉。
隆盛はそんな男では無いと木戸。

隆盛邸を訪れた木戸。
条約改正の失敗と長州の者たちの汚職の責任を取ると木戸。
まだこれからだ、木戸には政府に残ってもらわねばと隆盛。
厚く握手を交わした両雄。

大久保邸。
帰りを待っていた隆盛。
薩摩に帰る前に挨拶に来たという隆盛。

自分は土俵際で岩倉卿にしてやられた、
あれはおはんのした事かと隆盛。
ああ、そうじゃと大久保。
なぜここまでずる賢い頭の使い方をせねばならんと隆盛。
おいには理想とする政府の姿がある、
それを邪魔する者は排除すると大久保。
それはおいの事かと隆盛。
おはんの人を信じる政は甘かと大久保。
一蔵どんはおいを政府から追い出したかったとなと隆盛。
ああ、と大久保。
なぜはっきりそう言うてくれんかった、
おいとおはんの喧嘩なら腹を割って話せば済んだ、
周りを巻き込む事はなかった、
こんな回りくどい事はすかんどと隆盛。
卑怯者とでもなんとでも言え、憎め、すべて覚悟の上と大久保。
無理を言うな、おはんを嫌いになれるはずがないと隆盛。
おいのまけじゃ、後はおもいっきりやれ、
おいは薩摩で畑でも耕しながら見ている、たのんだどと隆盛。

翌朝、鹿児島へと旅発った隆盛。
これが二人の最後の別れでした。

一人見送りに来た従道。
自分は西郷の名に恥じぬよう最後まで食いつくと従道。
たまには帰ってこいと隆盛。

「今回は征韓論に破れ、隆盛が下野するまでが描かれました。隆盛と大久保、二人の理想がぶつかり合う様は迫力がありました。実際、あの二人が激論したら誰も口を挟めなかったでしょうね。」

「ドラマではかなりの省略がありましたが、大筋では史実どおりでした。一旦は大久保を裏切り隆盛の論に与した三条太政大臣と岩倉でしたが、彼らが何より恐れていたのは隆盛を覆う声望と彼を慕う陸軍の将兵、各地の不平士族たちの反乱でした。それが覆ったのは三条が人事不省に陥った事で、これを奇貨とした大久保と岩倉が決定をひっくり返したのでした。」

「三条が人事不省に陥った背景には隆盛の脅しがあったと言われ、もし閣議の決定どおりの奏上が行われなかった時は、自分は自殺するよりないという手紙を三条に送りつけています。西郷の死によって引き起こされるであろう陸軍や士族の反乱を恐れた三条は、極限状態に置かれたのでした。そして、大久保と隆盛の板挟みになった三条は、遂に精神的に耐えきれなくなってしまったのでした。」

「大久保は岩倉と諮り、明治帝自らが岩倉を太政大臣代行に任じる様に工作しました。当時の法制では、太政大臣が職務を遂行出来ないときは、左大臣または右大臣がこれを代行するとありました。しかし、それでは三条が決めた隆盛派遣をそのまま奏上するよりなくなります。そこで明治帝を背後から動かし、勅命をもって岩倉に代行を命じさせたのです。これにより、岩倉は自らの意思に沿って振る舞う事が可能となったのでした。」

「隆盛は奏上が行われる前日に江藤らと共に岩倉邸を訪れ、翌日の参内で自らの派遣を奏上するよう念押しをしています。しかし、岩倉は勅命を盾に自らの意見も同時に奏上すると言って一歩も引かず、ついに隆盛たちを退けたのでした。岩倉卿の持つ凄みは、この時をもって如実に発揮されたと言うべきでしょうか。」

「隆盛がその気になれば、岩倉を無視して自らが明治帝に直訴する事も出来たはずです。そうなれば、隆盛びいきであった明治帝は隆盛の望みを聞き入れたかも知れません。しかし、彼はここで身を引き、それ以上の動きには出る事はありませんでした。このあたりが隆盛の謎とされる部分で、その理由ははっきりとは分かっていません。」

「岩倉が奏上したのは隆盛の派遣という決議がなされた事と岩倉自身の考え、つまり今は富国強兵に務めるべき時期であり、隆盛の派遣は時期尚早というものでした。明治帝は岩倉の意見を良しとし、隆盛の派遣は退けられたのです。」

「自らの望みが絶たれた事を知った隆盛は全ての官位、地位を辞職して東京を去ります。ただし、陸軍大将の地位と従三位という官位はそのまま止め置かれました。」

「東京を去るにあたって、西郷が大久保を訪ねたという逸話は、伊藤博文の後日談にあります。司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」では、後は頼むと隆盛が言い、いつでんそうしゃ、おいが知るものかと大久保が答えたとありますが、どうやらそれは伊藤の談を元にした司馬氏の創作の様ですね。そもそも、一次資料では伊藤は隆盛が東京を去った日に大久保を訪ねていないし、大久保の日記にも記載はありません。伊藤の後日談からして怪しいのですが、両雄の別れとしてはドラマのごとくあって欲しいという気はしますね。」

「しかし、研究者によっては大久保にしてやられた隆盛は、大久保を君側の奸としてひどく憎むようになっていたとも言います。仲が良かった分、その反動は大きかったのかも知れません。」

「隆盛自身はドラマの台詞にあった様に、農耕に従事して静かに余生を暮らそうとしていたのかも知れません。しかし、世間は隆盛の下野をきっかけに騒然とし始めます。次回は佐賀の乱とその後が描かれる様ですね。その時西郷がどう動くのか、楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.11.17

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~圓光寺 11.10~

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最近はこの小仏さんを見るとどこか判るという程になったのが圓光寺。本当に可愛らしい仏様ですね。でも、賽銭を置くのは止めた方が良いかも知れません。明らかに苔が痛んでいましたからね。

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紅葉の方はまだ来るのが早すぎました。たぶん今日あたりに見頃になってきているんじゃないかしん。

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その紅葉の度合いを示す象徴の様な葉っぱを見つけました。まだ来るのが早すぎるよと言われたような気分になる様な色付き方ですね。

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それでもごく一部では色付いていました。色合いはまずまず綺麗な様に見えましたが、今頃はどうなっているのかしらん。

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この日はお寺の人が玄関前に立っていて、盛んに水琴窟の音を聞くようにと薦めていました。その割にひしゃくが無くて水を流せなかったのはなぜなのかしらん。それでも竹筒に耳を近づけるとかすかに神秘的な音が聞こえてきました。久しぶりに聞いた水琴窟の音でした。

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2018.11.16

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~法然院 11.10~

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南禅寺から哲学の道を通って法然院まで来ました。ここは予想どおりと言うか、ほぼ緑のままでした。

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少し驚いたのは参道が随分と明るくなっていた事で、これも台風の影響なのでしょうね。半ばで折れた木や、枝打ちがされた杉などかなりの被害があった事を覗わせる光景でした。

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紅葉はまだだったけれど、境内の水瓶には菊があしらわれており、秋らしい演出がされていました。こういうちょっとした心遣いが嬉しいですね。

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ここが色付くのは多分今月末頃、その時分にまた訪れてみたいと思っています。綺麗に色付いていてくれると嬉しいのですけどね。

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2018.11.15

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~南禅寺 11.10~

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天授庵を出て南禅寺境内を歩いてみました。前週に来た時よりは少し進んだ感じでしたね。

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銀杏も色合いが深くなり、隣のもみじも色付き始めていました。まだ本格化はしてませんでしたが、今週末あたりはかなり見頃に近づいているかも知れません。

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三門北側のもみじは毎年色付くのが早いのですが、今年もかなり綺麗になっていました。ただ、この木も台風の影響なのかボリューム感が無くなっていましたね。

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参道はところどころで色付いた木があります。このもみじは向こうの白壁との対比が綺麗だなと思って人通りが途絶えるのを待っていたのですが、無理でした。ここで記念写真を撮る人が多くて滞留してしまうのですね。この時期の南禅寺で人を入れずに撮るのは至難の業です。

Nanzenji1811166

この日一番綺麗だったのはこの木かな。少し小降りなのですが、その分色付くのも早かった様です。その他では水路閣周辺はまだほとんど緑のままでした。人通りは多かったですけどね。見頃になるのはたぶん連休ごろかな。今後の冷え込みに期待です。

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2018.11.14

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~天授庵 南庭 11.10~

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天授庵の南庭は書院前に比べると進行が遅いのが例年の傾向です。今年もその傾向は変わらず、まだ半ば以上は緑のままでした。

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中には綺麗に色付いている木もあって、紅葉の季節らしい雰囲気は出ていますね。書院前に比べると物足りませんが、それなりに見られない事はないですよ。

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南庭の通路は狭く一方通行なのですが、それに気づかず逆行して来る人が居るので場所によってはすれ違うのに一苦労する事もありました。写真もパパッと撮って次に進むという感じになります。

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色合いはこちらも並程度かな。今年はまだ深紅に染まった紅葉とは出会った事はなく、かと言って縮れてどうしようもない木も少ないという、平均的な染まり方のところが多い様です。まだ結論を出すには早すぎますけどね。

Tenjuan1811136

池面に落ちているもみじを撮っていると鯉と目が合ってしまいました。餌をくれるのかと勘違いされたのかしらん。たぶんお寺の人が開場前にあげているのでしょうね。何とも人なつっこい鯉ではあります。

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2018.11.13

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~天授庵 書院前 11.10~

Tenjuan1811121

真如堂から天授庵にやって来ました。ここでは書院前の庭園でほぼ見頃となっていました。

Tenjuan1811122

やはりここは例年のごとく進行が早いですね。天授庵に行こうと思われている方は、少し急がれた方が良いかも知れません。

Tenjuan1811123

ただ、ここも台風の影響なのかボリューム感に乏しい事が気に掛かりました。もしかしたら細い枝が折れるかしたのかも知れませんね。

Tenjuan1811125

色合いはややオレンジ色が強く、並程度でしょうか。今年の異常気象を考えると健闘しているとも言えるのかな。

Tenjuan1811126

人出は多く、書院前の縁側は座っている人でほぼ一杯でした。数年前の「そうだ京都、行こう。」のキャンペーンの余波がまだ残っているのかな。

明日は南庭の様子をお届けします。

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2018.11.12

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~真如堂 11.10~

Sinnyodou1811151

黒谷から真如堂へとやって来ました。ここでは紅葉が見頃にまでは至っていませんが、雰囲気は出てきたなという状態でした。

Sinnyodou1811152

花の木は去年に続いて進行が早いですね。枝先の葉は台風で吹き飛ばされていましたが、その後の紅葉の仕方も早かった様で、盛んに落葉していました。

Sinnyodou1811153

この写真で風に飛ばされる落ち葉が判るかな。とても美しい景色で、風が吹く度に歓声が上がっていましたよ。

Sinnyodou1811155

紅葉の色合いは並程度かな。見た目綺麗ですけど、透明度が足りないというか、最高の状態でない事は確かです。ただ、これからの冷え込み加減でまた変わるかも知れませんね。

Sinnyodou1811156

紅葉の度合いは全体で2分程度、本堂の南や東はまだ緑のままで、三重塔周辺や放生池周辺で5分程度とほぼ去年並です。これから綺麗に染まってくれると良いのですが、果たしてどうなるでしょうね。


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2018.11.11

西郷どん 第四十二回 「両雄激突」

アメリカ留学のため、東京へ出た菊次郎。
菊次郎に農業を学んでこいと隆盛。
アメリカへ旅立った菊次郎。

東京。
大久保からの手紙を読む隆盛。
西洋の強大さを説き、今少し留守を頼むと大久保。

使節団との盟約を違い、次々と新政策を進める隆盛。

不正を働き、政府を追い出された井上。
長州の勢力が居なくなった太政官。

新たに参議となった後藤、江藤、大木。
留守政府を動かし始めた隆盛。

徴兵制を血税と聞き、生き血を取られると誤解した庶民。

学制の改革、鉄道の敷設、太陽暦の採用などを決めた留守政府。
使節団に気を遣う三条。
明治6年5月5日、火事となった宮中。

火事騒ぎで倒れた隆盛。
心臓に病を得てしまった隆盛。

使節団より一足早く帰国した大久保。
大久保に冷たい留守政府の面々。

西郷邸。
見舞いに訪れた大久保。
西洋の凄さを語り、
政府を立て直すために今の参議を辞めさせると大久保。
江藤たちは良くやってくれていると隆盛。
この人事は無効と大久保。
今の政府に大久保たちが加わる事で良いのではと隆盛。
船頭が多すぎて政にならないと大久保。
皆で議論すれば良いと隆盛。
議論など無用、
ドイツのビスマルクは議論無しで300の諸国侯をまとめ上げたと大久保。
欧米に追いつくには前に進む力だけ、
それに逆らう者は追い出せば良いと大久保。
だったら政府に居なくても良い、薩摩に帰れ、
政府は自分と江藤たちで十分だと隆盛。
一人立ち去る大久保。

明治6年6月。
朝鮮国との関係悪化が浮上して来た太政官。
すぐに軍を派遣すべきと板垣。
それでは戦になってしまう、
ここは礼節を尽くし、全権大使を派遣すべきだと隆盛。
その大使は殺されるやも知れぬ、
そんな危ない役目を誰にやらせるのかと板垣。
自分が行くと隆盛。
岩倉の帰国を待つべきと三条。
これは何のための政府か、国家の大事に何も決められないなら、
今すぐこの国家を辞めたらよかと叫ぶ隆盛。
押し黙る一同。

2ヶ月後、天子様への上奏も済み、内定した隆盛の派遣。

大久保邸。
大久保を訪ねてきた隆盛。
病を装い、合わない大久保。
政府には大久保が必要だと伝えてくれと隆盛。

明治6年9月13日。
帰国した使節団。

明治帝に詫びを入れる岩倉。
岩倉を叱責した明治帝。

岩倉を宴席に招いた長州の面々。
自業自得と山県たちを見放そうとする岩倉。
長州の巻き返しのため、隆盛を責める伊藤。
西郷と大久保が仲違いをしたと聞き、気が変わった岩倉。
そこに現れた大久保。

太政官。
西郷から逃げ回る三条。

10月14日、再開された閣議。
大久保を参議に復帰させた岩倉。
朝鮮派遣を切り出した隆盛。
真っ向から反対した大久保。
隆盛を見るその目は、もはや友のものではありませんでした。

「今回は使節団の帰国と征韓論が議論されるまでが描かれました。鋭く対立する両雄の迫力が見応えがありましたね。」

「ドラマでは帰国した大久保が留守政府からつまはじきにされ、隆盛からも国へ帰れとまで言われていましたが、大久保の帰国と共に辞意を表したのは隆盛の方でした。どうやら使節団派遣の際に大久保帰国と入れ替わりに隆盛が身を引くという約束が取り交わされていた様なのですが、今少し隆盛の力を必要とした大久保が勝海舟の手を借りて隆盛を慰留したのでした。」

「しかし、大久保はなぜか大蔵省には出仕せず、関西方面への視察を名目に東京を離れてしまいます。このあたり隆盛と大久保の間にどんなやりとりがあったのか資料には残っていないのですが、両者の間に隙間が生じたのではないかと推測されています。」

「その大久保の留守の間に沸き起こったのが征韓論でした。ドラマにあったように当時の朝鮮国は、維新を成し遂げた日本を西洋化した禽獣同然の国として相手にせず、国交断絶状態にありました。征韓論の萌芽は明治二年にあり、当時強硬論を主張したのが木戸でした。しかし、ロシアとの樺太問題、欧米使節団の派遣など他の重大問題に紛れ、言わば棚上げとなっていたのです。」

「使節団派遣の際も征韓論は議論されたのですが、やはり穏健論が多数派を占め、使節団帰国までは凍結という事で決着しています。」

「この問題が再び俎上に上ったのは明治6年5月31日に朝鮮からもたらされた報告書からでした。ドラマにあったように日本人による貿易(もっとも密貿易でしたが)が朝鮮国の取り締まりで困難になっている事、倭館の門前に日本を無法の国と侮辱する掲示があったと記されていたのでした。」

「この問題に強硬論を主張したのは板垣で、朝鮮国に軍艦数隻を派遣し、軍事的圧力を背景として国交樹立を迫ろうと主張したのでした。これに反対し、まずは非武装の使節を派遣すべきと主張したのが隆盛でした。」

「隆盛は征韓論そのものに反対したのではなく、まずは自分が朝鮮国に渡り、十中八九は殺されるであろうから、それを大義名分として軍を派遣すれば良いと考えたのですね。」

「元々は征韓論からは遠かった隆盛が急に自らの遣韓を思い立った背景には、外務卿の副島種臣が中国に渡り、台湾問題で大きな成果を上げて帰国した事が関係していると言われます。自らも副島のごとくありたいと願った隆盛は、征韓論に飛びついたと言うのですね。」

「もう一つ、隆盛の健康問題もありました。ドラマでは宮中の火事の後、急に倒れた様に描かれていましたが、隆盛の体調不良はそれ以前から顕著で、特に胸痛がひどく明治4年の時点で明らかになっていました。自分の命が残り少ないと悟った隆盛は、言わば最後のご奉公として朝鮮国に渡る事を願ったと言うのです。」

「隆盛は、かつて自らを土中の死骨と嘆いたごとく、死に損ないという思いが常にありました。幕末、単身で長州藩に乗り込み交渉に当たった様に、自らの命を的にして交渉に臨むというのは隆盛の行動に良く見られます。つまりは死に所を常に求めていたとも言えるのですね。隆盛の征韓論はその集大成ともいうべきものだとも言われます。」

「しかし、大久保にすれば隆盛が殺されれば戦争になる事は避けられず、到底認められる事ではありませんでした。両雄の対立は避けられるものでは無かったのですね。大久保のために弁護するとすれば、ドラマの様に薩長閥のために西郷を葬ろうとしたとしたのは明らかな誤解で、彼なりの正義感に基づいた行動でした。ドラマの大久保はちょっと可哀想な役廻りになっていますね。」

「次回は征韓論を巡る両雄の議論が交わされる様です。予告ではかなり迫力があるものの様ですね。どんな描き方がされるのか楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.11.10

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~黒谷 11.10~

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平成30年11月10日、今日の黒谷です。今日は一部のもみじが色付いていましたが、まだ本番と言うには遠く、盛りまでにはもう暫く時間が掛かりそうな感じでした。

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そんな中で、毎年早く色付く栄摂院は、今年も綺麗に染まっていました。ここのもみじは本当に絵になりますね。

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桜は盛りを過ぎて散りが盛んでした。桜はゆっくりと枯れ葉が散るので掃除が大変だと聞きますが、今日掃除されていた僧侶の方の様子を見ていると実際手間が掛かりそうでしたね。もう一週間早ければ桜が盛りだったのかな。今日はは桜ともみじの端境期という感じでした。

また、今年も紫雲の庭が特別公開されているので、見に行かれるのも良いかも知れません。ただ、中は見てきていないので様子は判らないのですけどね。私は連休の頃に行ってみようかなと思っているところです。

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2018.11.09

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~南禅寺 11.3~

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永観堂からの帰りに南禅寺に立ち寄りました。ここももみじがほんのりと色づいていました。

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早く色づいた木は、逆光に透かせると綺麗ですね。そろそろ一週間が経ちますが、暖かい日が多かったのであまり変わっていないかな。

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銀杏は上部から色づき始めていました。まだ下の枝までは色づいていなかったのですが、隣のもみじとのコラボレーションが楽しみな一角です。

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紅葉よりも一足先にツワブキが見頃を迎えていました。南禅寺は知られざるツワブキの名所です。この花が枯れる頃、紅葉が盛りを迎える事が多いのですが、さて今年はどうなるのでしょうね。

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2018.11.08

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~永観堂 11.3~

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平成30年11月3日の永観堂です。この日は池の周囲を中心にもみじが色づき始めていました。

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ここも色づき方は去年と同じか、気持ち早いかなという程度ですね。本格化するのはこれから、池の周囲から順に色づいていく事でしょう。

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色合いは今の所悪くはないです。縮れてしまった木もあったけれど、ここも台風や猛暑の影響は最小限だった様に見受けられます。

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気になるのは今後の冷え込み加減ですね。天気予報ではそれほど冷え込む日はなさそうなので、あまり良い傾向ではない様にも思えます。

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人出は既にかなりのものでした。これから連休にかけてはさらに増えるのでしょうね。多くの人が訪れる場所だけに、綺麗に色づいてくれる事を祈るばかりです。

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2018.11.07

京都・洛西 京都紅葉事情2018 ~光悦寺 11.3~

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暦も11月に入り、いよいよ紅葉の季節が始まりました。本格化するのはまだもう少し先ですが、市内では最も進行の早い光悦寺に様子を見に行ってきました。

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毎年の事ながらここは紅葉が進むのが早いですね。盛りとまでは言えないまでも、見頃開始と言える程度にまでは色づいていました。

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進行具合は去年とほぼ同じで、色づき具合も似たようなものです。心配された夏の猛暑や台風の影響は、ここでは無い様です。

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ここが見頃になるのはあと一週間から10日後くらいかな。参道は例年通りまだ緑だったので、11月も半ば過ぎから末頃になると思われます。

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これも例年どおりですが、10日から13日までは茶会のために拝観停止となります。丁度良い頃に拝観停止となる訳ですが、茶会の参加者には良いタイミングでしょうか。その次の週末にはどうなっているかは、見てみないと何とも言えないですね。

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2018.11.06

京都・洛西 秋の境内2018 ~仁和寺 11.3~

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仁和寺には毎年桜の時期に来ていますが、今年はタイミングが合わなかったので見合わせました。このため、訪れるのは1年半ぶりとなります。

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仁王門を潜って少し驚いたのは勅使門が開いていた事です。通常は閉じられていて、天皇の行幸や勅使が訪れた時にのみ開かれるものなのですが、この日はなぜが開け放たれていました。ちょっと珍しい光景なので思わずパチリ。

中を覗いて見たのですが、屋根にブルーシートが被されている建物があり、ここでも台風の被害があった事を伺わせる光景でした。

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紅葉は一部の木で始まっていました。御室桜はほぼ散っており、もみじはこれから本格化するところですね。綺麗に色づくかどうかは謎です。

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もう一つ、この日時別公開されたのが観音堂でした。6年間に及ぶ半解体修理が完了した事を機に一日だけ無料公開が行われたのです。観音堂は修行の場とされ、普段は一般公開されておらず、特別公開もこれまで無かったですね。まだ仏像などは元に戻されていませんでしたが、綺麗に修復された壁画などを拝観する事が出来ました。

壁画は観音の世界が描かれており、下部には地獄図が描かれるという興味深いものでした。この日訪れられなかった方も心配は無用で、5月15日から7月15日、9月7日から11月24日の春、秋の2回特別内拝が行われますので、興味のある方は訪れられては如何ですか。拝観料は1000円という事です。

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2018.11.05

京都・洛西 秋の特別拝観2018 ~仁和寺~

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御室・仁和寺で秋の特別拝観が行われています。特別拝観自体はこれまでにも何度となく行われてきており、金堂や経堂は私も拝観した事があります。しかし、今回初めて一般公開されるものがありました。それが金堂裏の五大明王壁画です。

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金堂は元は御所の紫宸殿だったものを移築した建物で、蔀戸などにその名残を見る事が出来ます。内部は内陣と外陣に分かれており、出家者の世界である内陣には阿弥陀三尊像が配され、壁には荘厳な壁画が描かれています。一般の参拝者が入れるのは外陣までで、これまでの公開でも入れるのは外陣だけでした。しかし、金堂にはもう一つの部屋があったのですね。

それが内陣裏の部屋で、その存在はこれまで一般には知られていませんでした。そこに描かれているのが五大明王図で、普段は暗闇に閉ざされた部屋にひっそりと存在し続けてきたのですね。

明王とは密教独特の信仰対象で、それぞれ仏が化身した姿とされます。正面左から順に、

1.金剛夜叉明王

馬の様なたてがみと牙を持ち、その牙で一切の苦しみや悪、煩悩を噛み砕いて飲み込んでしまうとされます。不食、拒食の人に霊験あらたかで、この尊の加持した食物を与えればたちまち完食してしまうと言われます。不空成就如来の化身。

2.降三世明王

大日如来が須弥山山頂で「金剛頂経」を説こうとしたとき、大自在天たちが仏勅に従わなかったため、大日如来がこの降三世明王に変化し、大自在天たちを屈服させました。この尊が両足で踏みつけているのは大自在天とその妻の烏摩妃です。

3.不動明王

五大明王の中心となる明王。大日如来の化身で、真言宗だけでなく、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派、さらに修験道で幅広く信仰されています。

4.軍荼利明王

手に甘露の智水を入れる水瓶を持ち、経典では悟りを妨げる魔を除くと説かれており、密教における結界を司ります。宝生如来の化身。

5.大威徳明王

六面六臂六足の姿を持つ尊で、善人に悪意を抱く者や危害を加えようとする者を懲らしめ、悪人の呪詛を破り、悪夢を消滅し、悪病を除く事に霊験あらたかとされます。阿弥陀如来の化身。

(以上パンフレットから抜粋)

の五つの明王像が描かれています。

描かれてから370年以上経ていますが、ずっと日光に当たること無く保存されてきたため、昨日描かれたばかりのように鮮やかで、その精緻な筆使いまで見て取れますよ。確かにこれは必見ですね。

Ninaji1811053

経蔵は1640年代に建設されたもので、内部に八角輪蔵があります。この輪蔵には一切経が収められており、これを回転させるだけで全ての経典を読んだのと同じ功徳があるとされます。

特別拝観は800円、12月16日までの開催となっています。一つ注意すべきは拝観受付が金堂前となっている事で、それを知らない人たちが御殿の拝観受付の前に長い行列を作っていました。特別拝観だけで御殿に入らないのなら、行列に並ばずに直接金堂前に行けば受け付けてもらえますよ。そのあたり、何の説明も無いのは何だかなあという気がします。

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2018.11.04

西郷どん 第四十一回 「新しき国へ」

廃藩置県の憂さを晴らすため、
錦江湾で一晩中花火を上げさせた久光。

欧米使節団を派遣する事を決めた新政府。

今こそ実権を握る好機と捉える留守居組の参議たち。

日本の窮状を救うため、天子様の行幸を提案する隆盛。
賛同する大久保。

鹿児島。
菊次郎にもちかけられた留学。
行くかどうかは自分で決めろと糸。

不満が高まる鹿児島。
その不満を大山たちにぶつける久光。

東京。
使節団に加わる事になった川路。
フランス製の香水を身にまとい、陸軍少将となった桐野。
侍従を拝命した新八。

宮中改革に乗り出した隆盛。
天子様に相撲を取り、
御簾内から出て全国を行幸する様進言する隆盛。
隆盛の言を入れた明治帝。

11月、欧米渡航の勅命。

大蔵省を担当し、財政も司る事になった隆盛。
後藤と江藤に注意し、何も変えてはいけないと岩倉。
吉之助さあ、頼んだどと大久保。
気をつけてのうと隆盛。
肩を抱き合う二人。

サンフランシスコに旅立った使節団。

早速実権を握るべく動き出した江藤たち。
それを押さえる隆盛。

各地で頻発する一揆や打ち壊し。
徳川の世の方が良かったのではないかと噂する人々。

山城屋事件。
汚職にまみれた山県有朋。
山県を斬ろとうする桐野。

山県に陸軍大輔の役目を降りさせた隆盛。

久光の使いとして来た海江田。
自分を県令にしろと要求する久光。
断固断る隆盛。

天子様に全国を行幸してもらうつもりだと隆盛。
つまり薩摩にも来るという事かと海江田。
その折りには久光公にもお目通りを願うつもりだと隆盛。

鹿児島。
天子様のお供で隆盛が帰ってくると聞き、大騒ぎになる西郷家。

明治帝に拝謁し、その洋装に驚いた久光たち。

これがお前と、兄、斉彬が作りたかった新しい国かと問う久光。
今は思い描いていた国とはかけ離れている、
国の腐敗一つ取ってもどうにも出来ない、
おいは蹴り飛ばされるに違いないと隆盛。

こんやっせんぼと叱り飛ばす久光。
最後までやり抜け、それでも倒れた時には薩摩に帰ってこい、
後は若い者に任せればよかと久光。

留学を願い出た菊次郎。

「今回は欧米視察団の派遣と留守政府の苦難が描かれました。大久保と隆盛の別れは、久しぶりに二人の友情を感じさせるものでした。」

「久光もまた豹変しましたね。急に隆盛の理解者となり、名君ぽくなりました。実際にそうだったら、隆盛の苦悩ももっと少なくて済んだでしょうにね。」

「使節団の派遣の主たる目的は不平等条約の改定にあり、新政府は1年後に迫った一回目の改定期限を諦めて5年程伸ばし、その間に対等の条約を結ぶに相応しい法制の整備と産業の振興を図る事としました。そのために諸外国の実態を実地に見ると共に多くの留学生を伴い、異国の文化、文明を移植しようと図ったのです。」

「それにしても、国内に難題を抱えた状態で、国の根幹を成す人材の大半を国外に出すと言うのは大英断でした。それは隆盛という重鎮が居たからこそ出来たとも言えますが、全てを任された隆盛が割りを食ったとも言えます。」

「使節団と留守居政府の間には勝手に新政策を実施したり、人事異動をしてはならないという取り決めが交わされました。当初の使節団の派遣は十ヶ月となっており、その程度の期間であればこの約定を守る事は容易いと思われました。しかし、実際に使節団が帰ってきたのは1年9ヶ月後の事でした。これだけの長期の間、何もせずに済ますというのは無理というもので、留守居政府は徴兵制や学制の改革、地租改正など次々に新政策を断行して行く事となります。そして、その事が使節団と留守居政府の溝を深める事となって行きます。」

「山城屋事件はドラマにあったごとく、陸軍大輔の職にあった山県有朋が同郷の山城屋和助に陸軍省の公金65万円(当時の歳入の1%)という大金を貸し与え、その見返りを受けていたという事件です。この背後には徴兵制を推進しようとする山県と、士族のみの志願兵制を推進しようとする桐野たちの反目があったとも言われますが、結果としては山県の辞任と隆盛の近衛都督・参議兼陸軍元帥就任という形で収束を見ました。この事もまた、広い意味では使節団との約束違反でした。」

「明治帝の行幸は主として西国で行われ、真の目的は久光を明治帝に拝謁させ、その機嫌を取る事にありました。しかし、実際には久光の機嫌は良くなるどころか洋装で現れた明治帝を見た事で怒りを爆発させ、西郷をさらに責める事となります。久光は明治帝に随行していた徳大寺宮内卿に対し十四箇条からなる旧制に戻して欲しいという嘆願書を出し、隆盛を罷免しなければ自分は上京しないと強い調子で訴えました。ドラマの様な物わかりの良い国父様に戻っていれば、隆盛はどんなにか楽だった事でしょうか。」

「ドラマでは村田新八が侍従になっていましたが、あれは西郷が推し進めていた宮中改革の一端で、女官に囲まれた明治帝を外国の皇帝のごとく教育するために、新八や吉井友実、山岡鉄舟ら、自分の信頼出来る剛毅かつ清廉な人物を周辺に送り込もうとしていたのですね。」

「今回のドラマで最も心に響いたのは糸さんの台詞で、子供を手放すのは痛みを伴う、しかし、子供が自分で決めた事は尊重しなければならないという事でした。親子の情はこうして紡がれてきたものであり、いつの時代でも変わりのないものなのですね。ちょっとじーんと来た一幕でした。」

「次回は征韓論が出てくる様ですね。対立を深める大久保と隆盛、クライマックスに向けての助走がいよいよ始まる様です。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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2018.11.03

京都・洛東 秋の散歩道2018 ~八坂神社 10.28~

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三年坂から石塀小路を通って八坂神社まで来ました。見慣れた景色ですが改めて見ると石鳥居は堂々として立派ですね。日本でも最大級と言われるのも判ります。でも少し感じが違っていると思ったら扁額が無くなっているのでした。いったいどうしたのかしらん。

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入母屋破風の巨大な屋根で覆われた本殿は、拝殿と本殿が一体となった祇園造りと呼ばれる独特の造り。この下には龍穴と呼ばれる池があって、青龍が棲むと伝わります。

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最近は八坂神社も商売が上手くなって、摂社、末社の御利益を強調して参拝者を増やそうとしています。この大国主社は縁結びの神様ですが、以前はなかった大国主命と因幡の白兎の石像が出来ています。

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そしてその前で売られているのが恋みくじという訳ですね。なんだか上手く出来過ぎているなあ。

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西楼門にあるたこ焼き屋さんも古くなりましたね。でも看板は進化していて、たこの人形付きになっていました。変わらない様でいて、色々と変化し続けているのが八坂神社です。

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2018.11.02

京都・洛東 秋の散歩道2018 ~三年坂 10.28~

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二年坂から三年坂にかけての道沿いには、白い蔵が建っています。今はそれぞれ店舗になっていますが、元は一軒の家だったのでしょうね。江戸時代から続く様な豪商の家だったのかしらん。

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江戸時代と言えば、この松韻堂さんも江戸時代の風情を残す家です。こうした二階が低く、縦格子が入った造りは江戸期の町家の特徴ですね。大正時代に開発された二年坂には見られない三年坂ならではの光景です。

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もっとも、古い町家はこの一軒くらいですね。後は大正から昭和、さらには平成になってから建てられた家が並びます。江戸時代にはこの坂の脇には登り窯があったと言いますからそれも当然かな。

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三年坂の登り口の石碑には、蔦が這っています。毎年根っ子を切られるのですが、次の年には必ず生えてきますね。紅葉するととても綺麗なんですが、それまで切られずにあると良いのだけどな。

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朝早くに出かけた今回の散策でしたが、時間が経つにつれて人出が増えてきました。まだ店も開きかけたところでしたが、やっぱり行楽シーズンですね。清水寺まで行くつもりでしたが、混み合うのも嫌なのでここから引き返す事にします。次は久しぶりに八坂神社にお参りに行くとするかな。

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2018.11.01

京都・洛東 秋の散歩道2018 ~二年坂 10.28~

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二年坂は二寧坂とも書きます。現地には二寧坂と書かれた立て札がありますから、地元では二寧坂を推奨しているのかしらん。でも、三年坂の産寧坂とは違って意味が通じないですね。産寧坂にあやかった当て字と見るのが良いのかな。

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この界隈は桝屋町と言い、大正時代に形成された町家街です。かさぎ屋さんの様に当時から営業している店もありますが、大半の店は平成に入ってから開業されました。それまでは静かな住宅街で、土産物屋が2軒ほどあった程度だったかな。

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二年坂は歴史的風土特別保存地区に指定されており、町並みそのものは以前のまま保存されています。なので、大正時代の息吹を感じたいのなら、店が開く前の早朝か、閉まった後の夜に訪れるのが良いですね。昼間は人混みで、情緒があるんだか無いんだか判らなくなっています。

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人気の洋食店みしなさんも、朝はこのとおり静かな路地です。いかにも京都らしい光景ですね。でも、店に入られなければ意味が無いか。二年坂にいつ行けば良いかは人それぞれという事かな。でも、私はやはり朝早くが良いですね。

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