西郷どん 第三十七回 「江戸無血開城」
江戸城、大奥。
天璋院と会見した西郷。
天璋院の願いとは、
慶喜の首と引き換えに戦を終わらせて欲しいというものでした。
しかし、この戦は止める事は出来ないと西郷。
私は徳川家の名に賭けて戦うと天璋院。
江戸城総攻撃の前日、寛永寺。
謹慎を続ける慶喜。
薩摩藩邸。
海舟と会見する西郷。
江戸を火の海にする訳には行かない、
そのための条件だと書状を差し出す海舟。
その内容は徳川の降伏、慶喜の水戸での謹慎、
江戸城の明け渡し、軍艦、武器の引き渡しなどでした。
ただし、今少しの猶予と慶喜近臣の処分は寛大にして欲しいと海舟。
虫の良い話だとは判っている、
しかし、西郷程の男なら勝者としての嗜みは知っているはず、
江戸100万の民に塗炭の苦しみを味あわせて作る国に、
この先どんな望みがあると言うのかと海舟。
これまで民のために生きてきた事を思い返し、
ついに総攻撃の取りやめを決断した西郷。
すぐに京に上り、天子様に認めて頂くと西郷。
ほっとし、涙ぐむ海舟。
ただし、一つだけ譲れない事があると西郷。
慶喜公の事なら、会いに行けばいいと海舟。
これで今年も上野の桜が見られる、
お前さんの銅像とやらを上野に建ててやろうと海舟。
その夜、寛永寺。
慶喜の下を訪れた西郷。
俺を殺しに来たのか、早くその短刀で刺せと慶喜。
短刀を前に置き、なぜ逃げたしたのかと西郷。
俺はロッシュ殿から逃げたのだと慶喜。
精鋭のフランス軍12万と銃を五万丁貸そう、
その代わり勝った暁には薩摩を差し出せと持ちかけられた。
そうなれば薩摩もイギリスと手を組み、
イギリスとフランスの戦いとなり、勝った方が日本を支配する。
俺に出来る事は逃げる事だけだったのだと慶喜。
おいはおなたが恐ろしかった、
しかし、徳川慶喜ではなくヒー様こそがあなただったのだ、
徳川の血を引いて生まれたのがあなたのご不幸だったと西郷。
徳川最後の将軍としての御覚悟、この牛男しかと見せて頂いた、
ヒー様、よくぞ逃げて日本をお守り頂いた、
おやっとさあでこざいもしたと西郷。
京。
新政府に勝との会談の結果を報告する西郷。
これでは長州の面目が立たないと桂。
武器弾薬を残したままではまた戦になると収まらない桂に、
その時は私が慶喜を討つと西郷。
寛永寺。
戦は無しで済みましたと報告する海舟。
苦労を掛けたという慶喜に、一番苦労したのは西郷だと海舟。
慶応4年4月11日、江戸城明け渡し。
水戸へと向かった慶喜。
江戸城。
天璋院に会い、慶喜の首は切れなかったと西郷。
徳川の家を守って呉れた事、それ以上に望む事はないと天璋院。
別室に西郷を呼び、徳川幕府歴代の記録を渡す天璋院。
とんでもないお宝だと西郷。
その中に二宮尊徳の書を見つけ、感激する西郷。
西郷の作る国を見たくなったと天璋院。
すべてが終わり、安らかな眠りに付いた西郷。
寛永寺。
武器を手に集まり、彰義隊と名乗った旧幕臣の不満分子たち。
さらに蜂起した奥羽越の諸藩。
京。
彰義隊を殲滅すべく手を打ったという桂。
江戸城。
桂の命を受けて派遣された大村益次郎。
上野は半日で落とせると益次郎。
江戸市中、居酒屋。
酒を酌み交わす勝と西郷。
これからも戦い続けるつもりかと海舟。
彰義隊が終われば会津、その後は奥州と西郷。
その先はと海舟。
おいにも判らない、先の見えない戦だと西郷。
何にせよ死んではいけない、
龍馬が夢見た新しい日本を作ってくれと海舟。
「今回は江戸無血開城が描かれました。天璋院との対面、慶喜との会見など創作色の強い回でしたが、それぞれの覚悟や思いが上手く描かれていたと思います。特に慶喜に覚悟の程を語らせ、それを聞いた西郷が慶喜の本質はヒー様だったと言い、自らを牛男と名乗らせてかつての二人の関係に戻らせたのは、いかにもこのドラマらしい演出でした。」
「西郷と海舟の会見は実際には二度行われており、一度目に示されたのはは海舟自身の思い、無辜の民を苦しめる様では官軍とは言えない、賊軍だというものでした。これに対する西郷の応対は記録にありませんが、海舟はある程度の手応えを感じたのではないかと思われます。」
「その翌日行われた二度目の会見では、先に山岡が持ち帰った官軍からの条件、武器弾薬、軍艦を全て差し出せという要求に対する回答が示されました。それは新政府軍が要求する全面降伏ではなく、いずれ徳川家の石高が削減された場合、その削減された分の武器弾薬を差し出すというものでした。それまでは城も武器も持ったままというもので、かなり強気と言って良い内容でした。この回答を作成したのは海舟ではなく、旧幕府の実権を握っていた大久保一翁をはじめとする若年寄集団「参政衆」で、海舟は参政衆から談判を依頼されたという立場でした。」
「西郷はこの虫の良い回答を蹴っても良かったと思われるのですが、そうはせず一旦受け取り大総督府に持ち帰ると答えました。これにより3月15日の総攻撃は中止となったのですが、海舟としては大成功でした。海舟は西郷と自分の仲だから事が簡単に進んだのだと言っていますが、その裏には天璋院と和宮による嘆願、イギリス公使パークスからの停戦の要望、山岡鉄舟の事前工作などがありました。それらを全て含み、最後は西郷自身の度量の大きさから、海舟の申し出は受け入れられたと思われます。」
「西郷は徳川家から示された条件を大総督府に持ち帰りますが、大総督府でも判断は付かず、西郷はさらに京にまで戻る事になります。そこで作られたのは折衷案というべきもので、一旦全ての武器弾薬を差し出させ、その後徳川家の処分が決まればその石高に応じた分を差し戻すというものでした。これは最後通牒であり、交渉役の海舟の出番はなく、参与衆が受諾を決め、最終的に江戸無血開城が決まったのでした。」
「ところが、慶喜本人はこの新政府案に不満で、海舟と一翁に再交渉を命じたと言われます。しかし、再交渉の余地などなく、結局は新政府の案どおりになるのですが、この事で海舟と慶喜は喧嘩別れとなったのでした。これにより海舟は交渉役を罷免される事となります。」
「海舟が再度登場するのは榎本艦隊が江戸を脱走した時で、参与衆ではどうする事も出来ず、罷免されて引きこもっていた海舟に、榎本への斡旋を頼み込んだのでした。海舟は榎本を説得し一旦品川沖まで引き返させ、艦隊を二分して半分を新政府に引き渡すと言うことで妥協させました。この妥協を新政府側が受け入れたのは西郷の独断で、この事が元で西郷の新政府内における立場が悪くなったと言われます。」
「この様に、江戸無血開城はドラマ以上に複雑な経緯をたどったのですが、やはり西郷以外の人ではいかな海舟でも上手く行かなかったでしょうね。窮鳥懐に入れば猟師も殺さずと言いますが、西郷の持つ美質が最後には物を言ったのでしょう。」
「なお、海舟は交渉が決裂した場合、自らが江戸市中に火を放ち、新政府軍を火の海に叩き込むという策を立てていたと言われます。そのために市中の火消し組に渡りを付けてどこから火を放つかを決め、さらには市民を船で脱出させる手筈まで整えていたのでした。海舟も西郷の度量だけをあてに会見に臨んでいた訳では無く、いざとなれば戦う覚悟でいたというエピソードです。」
「次回は彰義隊との戦いから戊辰戦争に至る経緯が描かれる様ですね。そして、戦いを終えた西郷は薩摩に引きこもるのかな。一蔵との間に隙間風が吹きそうな予感のする回になりそうです。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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