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2018年10月

2018.10.31

京都・洛東 秋晴れ2018 ~八坂の塔 10.28~

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10月も末になって、ようやく天気も安定して来た様です。この日も午前中は雲一つ無い快晴で、まさに秋晴れと呼ぶに相応しい青空でした。

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八坂の塔には夕焼け空が似合いますが、こうした青空を背景にしても絵になりますね。足利義教によって再建されてから今年で548年、9月の台風にも耐えて堂々とした姿で聳えています。

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でも、そろそろ解体修理が必要な時期が来ているじゃないかな。この塔より200年近く新しい清水寺の塔が解体修理を受けているのに、八坂の塔が手つかずというのは何だか心配になってきます。素人の杞憂だと良いのですけどね。

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考えてみれば500年の間には戦乱、火事、地震と災難が次々と襲って来たのに、それらをことごとく潜り抜けてきたという事は奇跡に近いんじゃないかしらん。ごく見慣れた景色ですけど、実は凄いものを見せてもらっているのですね。いつまでも続いて欲しい京都のシンボルです。

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2018.10.30

京都・洛東 お茶の花2018 ~建仁寺 10.28~

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今、建仁寺ではお茶の花が満開になっています。生け垣が白ぽく見えるほどで、今年は特に多い様に感じますね。

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建仁寺とお茶の繋がりは、開山の栄西禅師に始まります。栄西は中国からお茶の種を持ちって栽培し、喫茶養生記を著して普及と奨励に勤めました。お茶そのものは奈良時代には入ってきていた様ですが、本格的に広めたのが栄西禅師だったのですね。

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その縁で建仁寺の生け垣はことごとくと言って良いほどお茶の木で、今の季節は白い花を咲かせます。観賞用ではないので形は地味ですが、白に黄色のおしべがなかなか綺麗ですよ。

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ところで、建仁寺のお茶の花らしい写真を撮ろうとあーでもない、こーでもないと生け垣にくっついて撮っていたのですが、そのうちに耳元でブーンという羽音が聞こえてきました。またクマンバチでも来たのかなと初めは気にしていなかったのですが、ふと横を見ると巨大なスズメバチが目の前を飛んでいました。慌てて飛び退いた事は言うまでもありません。しかもよく見ると生け垣のそこかしこに何匹も居るのですね。どこに巣があるのか、花の少なくなるこの時期、お茶の花はスズメバチにとっては貴重な食料源の様です。

祇園の真ん中でスズメバチに襲われたなんて事になったら新聞沙汰になるところでした。早々に退散する事にしましたが、建仁寺に行かれる事があったらスズメバチにはくれぐれもご注意下さい。町中だと思って油断していると大変な目に遭いますよ。

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2018.10.29

京都・洛東 まねき上げ2018 ~南座 10.28~

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京都・南座で11月から始まる顔見世興行のまねき上げが始まっています。南座が耐震工事に入ってからおよそ3年ぶり、京都の風物詩があるべき場所に帰ってきました。

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例年なら師走の訪れを教えてくれる行事なのですが、今年は2ヶ月連続公演という事でひと月早く行われました。南座のリニューアルをアピールしようという事なのでしょうね。

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アピールと言えば、この日の前日に歌舞伎役者70人が南座前から八坂神社までを歩くお練りが行われました。四条通が全面通行止めになり、沿道に1万5千人が集まったと言いますから、大変な騒ぎだった事が覗えます。実は私も行こうかと思っていたのでしたが、止めておいて正解でした。行ったらもみくちゃにされていたでしょうね。古典芸能の中でも、歌舞伎はまだまだ人気があるんだと改めて思い知らされる出来事でした。

顔見世興行は11月の部と12月の部に分かれます。出演者は同じようですがそれぞれ演目が違っており、ファンにはたまらない2ヶ月になりそうですね。

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2018.10.28

西郷どん 第四十回 「波乱の新政府」

久光を東京に呼び出すために鹿児島を訪れた岩倉と大久保。
仮病を使って上京を断る久光。

久光を東京に呼び出すには訳があるはずと隆盛。
各藩が握っている徴税権を新政府が持つようにするため、
藩を潰すのだと大久保。

天子様を守る名目で各藩から兵を集める、
その威力をもって不平を抑えてはどうかと隆盛。
よろしく頼むと大久保。

早速皆を集め、御親兵の話をする隆盛。
乗り気になる一同。

久光を再度説得する大久保。
悪いようにはしないという大久保の言葉に、鋭く反発した久光。
自分は島津家ではなく天子様に仕える身と大久保。
それがお前の本性かと久光。
新政府にも国父様の席を設けて待っています、
それが私の恩返しと言って立ち去る大久保。
一蔵、行かんでくれと哀願する久光。

明治4年2月、上京した隆盛。

大久保邸。
それぞれの思惑を持ち集まった江藤、板垣、後藤ら参議たち。
そこに到着した隆盛。

歓迎の豪華な宴会。
その場で露わとなる各参議たちの対立。
長州ですら反対派を抑えきれないと木戸。
苦り切る大久保。

宴の後。
薩長土肥、時間を掛けて皆の足並みを揃える事が肝要と隆盛。
ここが新しい国作りの山場、時間は掛けられない、
ここは自分に付いてきてくれと大久保。
判ったと隆盛。

8000人からなる御親兵を抱える事となった新政府。

上京して来た半次郎たち。
長屋住まいの隆盛に驚く一同。
一同をもてなす長屋の人々。

太政官会議。
廃藩置県を巡って対立する参議たち。
金が無いなら自分たちの給金を減らし、
質素倹約に務めれば良いと言い放つ隆盛。
黙り込む一同。

昼時。
料亭の仕出し料理を楽しむ参議たち。
その中で一人手弁当で済ます隆盛。

料亭。
今更質素倹約など出来るかと岩倉。
大久保はんから西郷にあんじょう言うてくれと三条。

西郷家。
なぜ皆の足を引っ張るような事をすると大久保。
過ぎた金をもらって過ぎた暮らしをするために来た訳では無い、
これでは横山安武の言うとおりだと隆盛。
政をする者は、か弱き民の手を握らなければならない、
そんな事はただのきれい事だと大久保。
そうじゃろかと隆盛。
立派な屋敷に住むのも、贅を尽くした物を食べるのも、
異国に舐められないためだ、
劣った暮らしをする者を相手に対等に話をする者など居ない、
これは100年先の暮らしを考えてのことだと大久保。
黙って大久保を見つめる隆盛。
頼む、吉之助さあと言って立ち去る大久保。


大久保邸。
木戸を呼び出した大久保。
このままでは土佐、肥前が主導権を握ってしまう、
私に手を貸して下さいと大久保。
西郷は大丈夫なのかと木戸。
それは心配ご無用と大久保。

数日後。
ついに下った廃藩置県の詔勅。
それを聞いて激怒する江藤、板垣。
こんな政府はやってられるかと出て行こうとする板垣たち。
足手まといは出て行ってもらって結構と大久保。
なぜ西郷は姿を見せない、
西郷が居なければ御親兵は動かないと木戸。
進退窮まったかに見えた大久保。
そこに遅れて現れた隆盛。

袂を分かつと言う板垣たちに待ったをかけ、
新政府が一枚岩にならなければ廃藩置県は出来ない、
後を安心して任せられると信じてもらわねば反乱が起きてしまうと隆盛。
そうならないために御親兵が居ると大久保。
御親兵も同じ、すべての民にこんなつまらん政府と思わせてはいけない、
戊辰で死んだ八千の魂が、
我らの肩に乗っているのだと隆盛。
もう一度話し合い、その答えを正々堂々とやれば良い、
それでも出てくる膿は反乱でも何でもおいが引き受けもんそと隆盛。
黙って席に戻る参議たち。

会議の後。
もう来ないのかと思ったと大久保。
実は迷っていた、でもやっと心を決めたと隆盛。
おいは何か間違っていたかと大久保。
何十年後に皆が良かったと思える日本にする、
それがおはんのやっている政だろう、
存分にやればよか、
おはんが抱えきれんもんはおいが引き受けると隆盛。

明治4年7月14日、廃藩置県断行。

「今回は廃藩置県が断行されるまでが描かれました。どこかダークに染まっていく大久保と、それでも友を信じて行こうとする純真な隆盛との対比が鮮やかでした。そして、今後の隆盛を襲うであろう悲劇を予感させる回でもありました。」

「ドラマでは急進的な大久保と慎重派の木戸という役回りでしたが、実際には反対でした。廃藩置県を急いだのは木戸を筆頭とする長州閥で、大久保は慎重論者でした。これが逆転したのは木戸が隆盛を説得したからで、木戸の言う諸外国と対等に渡り合うには廃藩置県は避けて通れないという理論を隆盛が飲んだのでした。」

「実を言えば、隆盛もまた私情としては廃藩置県に反対でした。やはり封建制度の中で育った隆盛としては、主家を潰すのは忍びなかったのですね。しかし、木戸に諭され、それが時の流れだと悟った時、全てを受け入れる決心をしたのでした。」

「隆盛はこれに先立ち、薩摩を発つときに約束していた新政府の刷新に手を染めていました。すなわち、政府の高官の削減、人員整理を強行していたのですね。当然の反動として彼らの恨みを西郷は受けていたのですが、廃藩置県を断行すればそれ以上の非難が自分に集中する事は判っていました。しかし、それを覚悟で木戸の論を受け入れたのですね。」

「佐々木高行の後日談に依れば、隆盛が参議たちを一喝したのは、詔勅が下った7月14日の翌日の事でした。詔勅は下したものの、その後をどうするかを巡って各参議が紛糾していた時、遅れてきた隆盛は彼らの意見を少し聞くや、この上各藩に異論がある時は、兵をもって打ち潰すのみと大喝したのです。この一言で参議たちは黙るほかはありませんでした。」

「明治維新が革命であるとすれば廃藩置県こそがその核心とも言うべきもので、西郷隆盛なくしては実現は無理だったと思われます。まさに彼の面目躍如と言ったところですが、その内心には血を流すような痛みと覚悟を隠していたのですね。」

「もっとも、藩主クラスの人たちの中には、廃藩置県を喜んで受け入れた者も少なからずあった様です。それは各藩の財政難が深刻で、ほとんどの藩が借金を抱え込んでいたのですね。廃藩置県によってその負債は新政府が負う事になり、苦しい藩政から解放されたと喜んだ人も多かったのでした。」

「しかし、ほとんどの士族にとっては死活問題であり、その怨嗟の声をどう裁くかは新政府に課せられた大きな課題となります。その矢面に立つのが隆盛であり、次回はそこが描かれる様ですね。隆盛に課せられた悲哀がどう表現されるのか、楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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2018.10.23

今週はお休みです

本日もねこづらどきを訪れて頂きありがとうございます。
先週末は体調不良のため京都に行くことが出来ず、取材が出来なかったため、今週はお休みとさせて頂きます。また再開した時はよろしくお願いします。

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2018.10.22

京都・洛南 そうだ京都、行こう2018・秋 ~酬恩庵 一休寺~

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今年のそうだ京都、行こうの秋のキャンペーンは酬恩庵、通称一休寺でした。とんちで知られる一休宗純が晩年を暮らした寺です。

京都とは言っても京都市内からはずっと南にあり、宇治市のさらに南の京田辺市にあります。京都駅からなら近鉄に乗って新田辺駅までざっと30分、ホームページに依ればそこからタクシーで5分とありますね。また、キャンペーン期間中(11月10日(土)~12月2日(日))は新田辺駅から直通バスが出る様です。

私はまだ行った事が無いのですが、結構大きなお寺の様ですね。紅葉の名所としても知られており、方丈や庭園など見所も多い様です。私は一休禅師木像が見てみたいかな。また、とんちの一休さんらしい仕掛けもある様ですよ。

難点はやはり遠いという事かな。キャンペーン期間中は混み合う事も考えると半日がかりになってしまうかも知れません。他のポイントと組み合わせるとすると、東寺くらいしか思い浮かばないですね。なので、日程には余裕を持っておかれる事をお勧めします。

ところで、そうだ京都、行こうは、今年で25年になるのだそうですね。このキャンペーンの影響は、京都にとって大きかったと言えるのでしょう。今年の一休寺もそうですが、それまであまり知られていなかった場所に焦点を当て、新しい名所に仕立てた事は枚挙に暇がありません。真如堂なんかはその典型かな。

その反面、昔からの京都通にとっては穴場が失われた事になり、功罪相半ばするといった所かしらん。

そのキャンペーンに貢献して来た長塚京三さんのナレーションは、今回で最後だそうですね。あのCMは関西では流れないのですが、You Tubeで見る事が出来ます。どれも京都の魅力を余すところなく伝えた名作揃いですね。中でも長塚さんのナレーションは巧みで、貢献度は大でした。丁度区切りの年で辞めるられる訳ですが、お疲れ様でしたと言いたいですね。

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2018.10.21

西郷どん 第三十九回 「父、西郷隆盛」

明治37年、京都市役所。
市長として赴任した西郷菊次郎。

助役の川村に問われるまま、父、隆盛について話し出す菊次郎。

明治2年、鹿児島。
隠居生活を送る隆盛。

奄美大島。
菊次郎を迎えに来た糸と熊吉。

くれぐれも糸に菊次郎の養育を頼む愛加那。
引き受けた糸。

武村。
借金を返し終え、屋敷を構えた隆盛。
家族の一員となった菊次郎。

さっそく郷中教育を受ける菊次郎。

久光に呼び出された隆盛。
維新後、下級武士が力を持ち、旧秩序を乱していると、
久光に非難される隆盛。

武村。
今ひとつなじめずに居る菊次郎。

東京。
参議会議。
中央集権に急進的な大久保。
それを心配する木戸。

日本各地で噴出する新政府に対する不満。

武村。
東京に一緒に行って、新政府に対する抗議をしてくれと
隆盛に頼む横山安武。
東京では大久保が新しい日本を作っている、
民百姓の事も考えていると隆盛。
民百姓だけではなく、自分たちの事も大事、
いずれ侍の世は終わると横山。
それもやむなしと隆盛。
憤然として帰る横山。

東京、集護院。
門前で抗議の自害を果たした横山。

さらに頻発する一揆や暴動。
暗殺された大村益次郎。

東京。

騒然とする世を憂うる岩倉。
西郷を呼び出すために従道を呼び出した大久保。

鹿児島。
戊辰の戦で亡くなった戦士たちの御霊を弔って歩く西郷。

帰郷した従道。
フランス帰りの従道を歓迎する一同。

その夜。
隆盛にフランスのポリスの話をする従道。
それは良い、士族に仕事を与えられると隆盛。

一緒に東京に来て欲しいと従道。
自分には政に参加する資格が無いと隆盛。
死んでいった者たちのためにも、
政府直属の強い軍を作って欲しいと従道。

東京に行く決心をした隆盛。
菊次郎のためにもう暫く家に居て欲しいと糸。
その話を聞いていた菊次郎。

翌朝。
父と母に隆盛の東京行きを直談判した菊次郎。
東京に行く事となった隆盛。

「今回から西田敏行が菊次郎として登場しました。なんと、今までナレーションをしていたのは菊次郎だったのですね。なんだか取って付けたような設定ですが、まあいいか。」

「そしてオープニングがまた少し変わりましたね。隆盛と大久保という両巨頭のすれ違いが象徴されている様で、なかなか興味深いところです。」

「明治2年頃の西郷は隠居生活を望んでいましたが、凱旋した下級士族が発言権を増し、明治新政府が藩籍奉還を行った事で藩政府の人材が不足し、乞われて藩の執政職に就いていました。ドラマのような野良仕事に精を出す姿ではなかったのですね。」

「西郷は維新の功労者として2千石の禄典を与えられ、幕末以来続いていた借金生活からようやく抜けだし、武村に屋敷と田畑を持つ事が出来ていました。また、朝廷からは正三位という高い官位を授けられています。もっとも、この官位と禄典については久光に遠慮をし、後に辞退する事になります。」

「久光との関係は、隆盛はドラマにあった様に常に非難される立場に晒されていました。久光は幕府は否定していたものの、封建制度そのものは維持を願っていたのでした。それを覆そうとする新政府の動きは久光には不満そのもので、そのはけ口の対象となったのが隆盛だったのですね。」

「隆盛はやはり封建制度で育った人らしく、藩主に対する忠義は絶対のものでした。なので、久光から非難される事は何より辛かったのですね。そのストレスが隆盛の健康を蝕み、益々体調不良を進行させていました。隆盛は温泉療養に何度となく出かけていましたが、屡々下血をするという程、身体を壊していたのです。」

「その隆盛にとってわずかに救いとなったのは、菊次郎を引き取った事でした。菊次郎から見た父は、甚だ喜び遊ばされている様に見えたそうです。」

「その隆盛が東京に出る事になったのは、従道に説得された訳では無く、その後岩倉具視が勅使として派遣され、それに対して隆盛が新政府の改革案を示し、それが受け入れられたからでした。それは国力に見合った陸海軍の整備、外交においては信義、礼節を欠いてはならない、政府の高官となるものは驕奢な生活をしてはならないといった内容でした。ドラマで横山が諫死した様に、一部の政府高官のおごり高ぶった生活ぶりは、庶民の非難する的となっていたのですね。それは隆盛としても許せるものではありませんでした。」

「自分の意見が受け入れられると知った隆盛は新政府入りを承諾しました。一つには久光から距離を置けるという事に救いを感じたのかも知れません。この後も久光との軋轢は続くのですが、それはともかくとして隆盛が中央に出る事によって新政府は新たな局面を迎える事となります。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.10.20

京都・洛北 仲秋の境内2018 ~上賀茂神社 10.13 ~

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社家町から久しぶりに上賀茂神社に参拝に訪れました。境内ではヌスビトハギかな、小さな萩が一本だけ咲いていました。

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本殿横ではまた補修工事が行われていました。台風の被害かと思ったのですが、遷宮事業の二期工事だったのですね。遷宮はもう終わったものと思っていたのですが、まだ続いていたのでした。

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台風の被害と言えば、ずっと気になっていたのが斎王桜の被害です。枝が折れたと聞いていたのですが、半分近くの枝が無くなり、無残な姿となっていました。豪華な八重紅しだれ桜だったのにね、これではしばらくの間、花を楽しむどころではなさそうです。

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御所桜の方は無事の様でした。こちらの方が古木だと思うのだけど、何が明暗を分けたのかしらん。何はともあれ、御所桜の桜来年もは楽しめそうで何よりです。

この後、帰りになから木の道を通ってきたのですが、かなりの桜が折れたらしく、歯抜け状態になっていました。残った桜も枝が少なくなっており、来年の桜は駄目でしょうね。想像していた以上に台風の影響は大きかった様です。

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2018.10.19

京都・洛北 仲秋の社家町 ~上賀茂 10.13~

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上賀茂の社家町で見つけた柿の実です。ついこの間まで青柿だと思っていたのに、いつの間にやら赤く染まっていたのですね。

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明神川に架かる橋には土で覆われた橋もあります。この時期になるとススキで覆われ、秋の風情を演出してくれます。玄関を出入りする都度に秋を感じられるとは風流で良いですね。

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今はまだ青いもみじもやがて赤く染まり、さらに秋の深まりを感じさせてくれるでしょう。紅葉の季節まであと少しです。

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社家町は古い町並みの中に四季を感じられるのが魅力の一つです。季節の移ろいを感じながら歩くのも良いですよ。ただ、思いのほか車の通行量が多いので、くれぐれも安全にはご注意下さい。

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2018.10.18

京都・洛北 仲秋の花々2018 ~京都府立植物園 10.13~

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秋の植物園は、秋咲きの花々で埋め尽くされています。四季の中でも春に次いで華やぐ季節ですね。その一つが秋バラ。まだ週間植物園には見頃とは書かれていませんでしたが、結構な数の花が咲いていました。今週あたりは見頃宣言が出されているかな。

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もう一つ主役級になるはずの花がコスモスなのですが、なぜか今年は今ひとつ華やかさに欠けます。背丈は倒れにくい様に低く仕立てられているのでしょうけど、花数が少なく何となくまばらなんですよね。

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今年の気候がコスモスには向かなかったのかな。それとも未だこれからなのかしらん。何にしてももう少し賑やかに咲いているところを見たかったです。

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カンナは息の長い花ですね。夏の盛りから秋が深まる今頃までずっと咲き続けています。正門前と沈床花壇にありますが、台風にも負けずに元気な姿を見せてくれています。

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園内を歩いていると次の季節の花も咲いていました。今年最初に見た山茶花です。この花を見るともう晩秋なのかなという気もしてきますね。季節の巡りはつくづく早いものだと思います。

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2018.10.17

京都・洛東 残り萩2018 ~迎称寺 10.13~

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今年は雨風が多く萩には受難の年でした。綺麗な状態の萩が見られた場所はあったのかな。ここ迎称寺ではどうだったのでしょうね。

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残念ながら盛りの頃には来られませんでしたが、毎年比較的遅くまで咲いている株もあるので一応見に来ました。

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さすがにほとんどの株で終わっていましたが、まだ部分的には花が残っていました。その残り少ない花目当てに蝶が舞っている姿には、秋の昼下がりらしいのどかな風情が漂っていました。

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まだ枝先にはつぼみが残っていたので、もう暫くは花が咲き続けている事でしょう。華やかさは無いですけどね、残り萩というのも、儚げで良いものですよ。

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2018.10.16

京都・洛東 仲秋の境内2018 ~真如堂 10.13~

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黒谷から真如堂へとやて来ました。本堂前から見た景色はいつもと変わらない様に見えます。

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ところが一歩三重塔の裏手へ回ると無骨な足場が組まれています。先月の台風で痛んだ塔の修復作業がようやく始まったのですね。ここに組まれているのはたぶん景観に配慮したからなのかな。これから紅葉のシーズンを迎えますからね。

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本堂前には藤袴の鉢植えが置かれていました。そこで出会ったのはアサギマダラ。これから南国へと渡っていく途中なのでしょうね。この小さな体で数千キロもの旅をするとは驚くばかりです。

Sinnyodou1810155

本堂周辺では、遅い萩の花が咲いていました。このあたりの花が咲くのは毎年今頃です。もう少し沢山咲いてくれたら綺麗なんだろうけど、そうは行かないところが寂しいのですよね。

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秋明菊は今年も群落となって咲いていました。この花はひ弱な様でいて、実はたくましいのですね。もう一つ楽しみにしていたのがホトトギスなのですが、残念ながらまだ咲いていませんでした。それになぜか今年は育ち方が今一なのですよ。今年の厳しい気候は、植物によって受けた影響が違う様ですね。こうして淘汰が行われていくのかな。気候変動はじわりと身近なところにも忍び寄って来ているのかも知れません。

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2018.10.15

京都・洛東 仲秋の境内2018 ~黒谷 10.13~

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10月も半ばに入り、一気に秋めいてきました。台風だの秋雨だのに振り回されているうちに、いつの間にか季節が進んでいたのですね。

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暦の上では既に晩秋と呼ぶべき時期に来ているのですが、気分としてはまだ秋が深まり始めたばかりです。なので、ここではあえて仲秋という副題を使いました。晩秋と呼ぶには11月に入らないと気分が出ないですよね。

Kirodani1810155

ここ黒谷で秋の深まりを感じたのは、すっかり穂を出したススキと色づき始めた梅の木です。ついこの間梅の花を愛でたと思ったのにもう落葉とは、時間が経つのは早いですね。なんて感じるのは年を取ったせいかしらん。

Kirodani1810153

四年前に植えられた三代目の熊谷直実鎧掛けの松も、だんだんと貫禄が付いてきました。まだまだ先代の美しさには及びませんけどね、素性の良さは感じさせます。あと10年もすればそれなりの姿になるのかな。途中で病害虫にやられないようにと願うばかりです。

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2018.10.14

西郷どん 第三十八回 「傷だらけの維新」

大村益次郎の指揮により、半日で壊滅した彰義隊。
しかし、更に抵抗の度合いを増した東北越諸藩。

京。
兵も金も無い新政府。
全てを薩摩で引き受けた西郷。

鹿児島。
援軍を集めるため帰郷した西郷。
久方ぶりの団らん。

菊次郎に書物を送る糸。

久光を説得し、増援軍を編成し越後に派遣した西郷。
その様子を見ていた吉二郎。

早朝、刀を持って家を出ようとする吉二郎。
それを見とがめ、止めた信吾。

戦に出たいと西郷に直談判をした吉二郎。
その熱意にほだされた西郷。

越後に出立した吉二郎たち。

数日後、ガトリング砲を有する長岡藩に苦戦をしているとの報告を受け、
自ら出陣した西郷。

越後に着いた西郷の下にもたらされる数々の援軍要請。
そんな中届いた、吉二郎が撃たれたという知らせ。
しかし、兵の命は皆同じと軍議を続ける西郷。

1500人の死傷者を出し、新政府軍の勝利で終わった北越戦争。

傷病兵を見舞う西郷。
侍働きが出来て嬉しかったと言い、西郷の腕の中で亡くなった吉二郎。

その後も函館まで戦い続けた新政府軍。

明治へと生まれ変わった日本。

明治元年10月、東京城に入った明治天皇。

東京城の一室。
二人で話し合う西郷と一蔵。

突然、全て終わった、薩摩に帰りたいと言い出した西郷。
これから全てが始まるのだ、
新しい国を作ろうと言い出したのはおはんだと一蔵。
そのために全てを壊した、多くの者を死なせた
その責めを負わねばならんと西郷。
それが新しい国を作るという事じゃろがと一蔵。
すまん、一蔵どんと西郷。
勝手な事を言うな、共に新しい国を作るために戦って来たんじゃと一蔵。
腰から小さな袋を取り、一蔵の前に置き、
世界に負けん国を作ってくいやいと言い残し、立ち去る西郷。
袋の中にあったのは、かつて見た鹿児島と書かれた地図でした。
後に残され、乾いた笑い声を上げる一蔵。

鹿児島。
吉二郎の妻、園に遺髪を渡す西郷。
泣き崩れる園。

吉二郎が西郷のためにと残していった銭を渡す糸。

西郷家の出納帳を見て、一人泣く西郷。

その夜、剃髪した西郷。

「今回は戊辰戦争の終結から西郷の退隠までが描かれました。心を鬼にして戦う西郷と、弟を亡くし泣き崩れる生身の西郷の対比が鮮やかな回でした。」

「彰義隊を壊滅させた後西郷は鹿児島へと帰りますが、それは増援要請と共に、自らの療養のためでもありました。体調を崩していたらしい西郷は帰郷後すぐに日当山温泉に湯治に向かい、新政府軍が戦っている最中、50日も鹿児島に止まっています。」

「長岡で激戦があったのは事実で、河合継之助率いる長岡藩は寡兵ながら良く戦い、新政府軍を苦しめたのでした。しかし、西郷の援軍が到着した時には大勢は決しており、西郷自身の出番はありませんでした。」

「吉二郎がこの戦場で倒れたのも事実ですが、西郷が看取ったというのは記録になく、ドラマの演出でしょう。でも、流れ的には許される範囲かなとも思いますね。」

「その後の西郷は陣頭指揮を執る事はなく、北陸道征討総督府の働きによって東北諸藩は降伏に追い込まれました。西郷は米沢を経て庄内へと入ります。ドラマではスルーされてしまいましたが、ここで庄内藩に対して取った寛大な処置が後の西郷像を決定的なものとしました。すなわち、賊軍に対しても降伏して来たものはこれを許し、対等以上に扱う度量の大きな徳を持った人物という評価が定着したのです。西郷の座右の銘として知られる敬天愛人という言葉を世に広めたのも庄内の人たちでした。」

「西郷はその後、新政府の要請を無視して鹿児島へと帰ってしまいます。その理由は良く判っていないのですが、鳥羽伏見の戦いの直後に家族に宛てた手紙には、戦が終わった後には隠居すると認められており、早くから退隠する心づもりであった事は確かです。」

「ドラマでは吉二郎の死を悲しんだ西郷が剃髪したかの様に描かれていましたが、実際には越後に発つ前に既に髪を切っていた様です。これは藩主に無断で隠居する事を意味し、後に久光の怒りを買う原因の一つともなるのですが、ドラマではどこまで重みを置くのでしょうね。」

「鹿児島に帰った西郷は再び日当山温泉で湯治を行っており、体調の悪さが退隠を願った理由の一つだったのでしょう。吉二郎を死なせた事も引き籠もる気持ちを更に強くさせたのかも知れません。いずれにしても西郷は静かな余生を願っていた様ですが、彼を覆っていた名声がそれを許しませんでした。西郷はこれからも激動の時代に翻弄されながら生きていく事となります。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.10.13

京都・洛東 10月の京都 ~秋は夕暮れ 八坂の塔~

Yasakanotou1810101

10月も半ばを過ぎると日暮れ時も早くなり、秋の日は釣瓶落としという言葉が実感される様になります。京都散策をしていても、昼を過ぎると夕方までの時間が短く感じられ、もうこんな時間かと焦らされる事もしばしばです。そんな時に行きたくなるのが高台寺の駐車場。ここから眺める夕景が素晴らしいのですよね。夕景の良い場所をあちこち探してはいるのですが、ここ以上の場所は今のところ見つけられていません。

中でも夕焼けを背景にした八坂の塔のシルエットは格別、京都を象徴的する景色の一つと言えるでしょうね。ただ、週一回しか京都に行けない身とあっては、なかなか綺麗な夕景に出会えないのが残念なところ。今年は絶好のタイミングで訪れられると良いのだけどな。

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2018.10.12

京都・洛中 10月の京都 ~リンドウ・廬山寺~

Rozanji1810111

秋の山野草として人気の高い花がリンドウです。でも、京都で見られる場所は意外と少なく、曼殊院や蓮華寺など数カ所に限られます。中でも比較的見応えがあるのが廬山寺ですね。

桔梗で知られる廬山寺の源氏庭ですが、10月も半ばとなると桔梗は刈り取られ、代わってリンドウが咲き始めます。桔梗の様に庭一面に咲く訳ではないのですが、比較的縁側に近い位置にあり、また背丈も高いので目に付きやすいです。

桔梗もそうですが、リンドウは野の花なのに意外とこの作り込まれた庭に似合い、調和しているのが良いですね。リンドウ目当てで来る人は少ないでしょうけど、今の時期にこの寺を訪れられる事があったら、ぜひ注目して行って下さい。リンドウの青い色が苔の緑や白砂に良く映えて、とても綺麗ですよ。


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2018.10.11

京都・洛北 10月の京都 ~秋バラ 京都府立植物園~

Syokubutuen1810121

10月は秋に咲く花の旬の時期でもあります。中でも美しいのが秋バラ。秋バラは春バラに比べると全体の豪華さでは劣りますが、花一つ一つの美しさでは春に勝ると言われます。京都府立植物園のバラ園は種類が多いので、秋に見頃となるバラもまた多いという理屈になりますね。晴れた日には、秋空にそびえる比叡山を背景にしたバラを楽しむ事が出来ますよ。

時期的には10月中旬から11月初旬くらいまで。まさにこれからですね。また10月19日から21日までの間は、植物園会館で秋のバラ展も開催されます。21日にはバラの栽培講習会もありまのすで、これから育てたいという方にはお勧めです。

ただ、今の植物園は台風21号の影響で立ち入り禁止区域が広く、三分の一近くが封鎖されています。普段の平穏な植物園とは様子が違っている様ですね。自然の驚異はもうあちこちで十分に見ているので、早く元通りの穏やかな植物園に戻って欲しいものです。

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2018.10.10

京都・洛北 10月の京都 ~北山ハロウィン~

Kitayama1810101

ここ数年の間にすっかり国民的行事となった観のあるハロウィンですが、ブームとなるはるか以前から続いているハロウィン行事が京都にあります。それが北山ハロウィン。今年で21回目を迎えるという老舗です。

最初はかぼちゃ18個から始まった北山ハロウィンは年々規模を拡大しながら続けられ、今では参加者が2万人を超えるという一大イベントに成長しています。イベントの内容はかぼちゃのカービングや仮装パレード、仮装パーティーなど。主役はやはり子供たちとなりますので、参加者のほとんどは子育て世代の親子かな。

若者たちが大騒ぎをする流行のスタイルとは少し違いますが、その分子連れでも安心して参加出来るイベントです。もっとも、子供の仮装にはお母さん方の方が熱心な気もしますけどね。

今年は10月27日と28日に行われます。詳しくはホームページでご確認下さい。

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2018.10.09

京都・洛中 10月の京都 ~時代祭~

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せっかくの好天に恵まれたのに、体調不良のため連休中は外出ならず。仕方が無いので、今週は過去に撮った写真からの構成となります。

10月の京都は祭りが多く開催されますが、中でも極めつけは時代祭でしょうか。平安神宮の祭礼で、明治維新から延暦時代までを八つの時代に分け、各時代の風俗に扮した20の行列が都大路を練り歩きます。

開催日は毎年10月22日と決まっており、同日の夜に開催される鞍馬の火祭と共に観覧する事を楽しみに入洛する人も多いと聞きます。しかし、火祭の方は今年は中止なのだとか。先月京都を襲った台風21号による鞍馬地区の被害が甚大で、叡電もまた鞍馬駅まで開通していない事もその要因の一つの様です。どこまでも尾を引く災害の影響ですね。

観覧は沿道のどこからでも出来ますが、風情を求めるなら京都御苑がお勧めです。建礼門前大通りは有料観覧席となりますが、そこを外れれば無料です。ただ、行列が長いので、出来れば折りたたみの椅子を持って行くのが吉かも、です。

後は天気次第かな。もし雨が降った場合は翌日に順延となりますので、遠くから来られる方は日程に余裕を見ておいた方が良いでしょう。今年は雨が多いですが、出来ればすっきりとした秋晴れの下で観覧出来ると良いですね。

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2018.10.08

京都・洛中 無電柱化工事中 ~先斗町~

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たん熊北店に行く前、久しぶりに昼間の先斗町を歩いて来ました。昼過ぎから夜に掛けては観光客でごった返すこの道ですが、まだ昼前とあって比較的空いています。

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その先斗町、石畳が消えてアスファルトの道になっています。せっかくの情緒が台無しだと思ったのですが、無電柱化工事の真っ最中だったのですね。昨年から着工されており、2020年に完成予定だそうです。

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何でもありの先斗町にあっては、電線のある猥雑な光景も悪くはないという気もしますが、無くなってしまえばすっきりとした良い町並みだと思うのでしょうね。アスファルトのパッチワークの道も、それまでの貴重な風景です。

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2018.10.07

西郷どん 第三十七回 「江戸無血開城」

江戸城、大奥。
天璋院と会見した西郷。

天璋院の願いとは、
慶喜の首と引き換えに戦を終わらせて欲しいというものでした。
しかし、この戦は止める事は出来ないと西郷。
私は徳川家の名に賭けて戦うと天璋院。

江戸城総攻撃の前日、寛永寺。
謹慎を続ける慶喜。

薩摩藩邸。
海舟と会見する西郷。

江戸を火の海にする訳には行かない、
そのための条件だと書状を差し出す海舟。
その内容は徳川の降伏、慶喜の水戸での謹慎、
江戸城の明け渡し、軍艦、武器の引き渡しなどでした。


ただし、今少しの猶予と慶喜近臣の処分は寛大にして欲しいと海舟。
虫の良い話だとは判っている、
しかし、西郷程の男なら勝者としての嗜みは知っているはず、
江戸100万の民に塗炭の苦しみを味あわせて作る国に、
この先どんな望みがあると言うのかと海舟。

これまで民のために生きてきた事を思い返し、
ついに総攻撃の取りやめを決断した西郷。

すぐに京に上り、天子様に認めて頂くと西郷。
ほっとし、涙ぐむ海舟。
ただし、一つだけ譲れない事があると西郷。
慶喜公の事なら、会いに行けばいいと海舟。

これで今年も上野の桜が見られる、
お前さんの銅像とやらを上野に建ててやろうと海舟。

その夜、寛永寺。
慶喜の下を訪れた西郷。
俺を殺しに来たのか、早くその短刀で刺せと慶喜。
短刀を前に置き、なぜ逃げたしたのかと西郷。
俺はロッシュ殿から逃げたのだと慶喜。
精鋭のフランス軍12万と銃を五万丁貸そう、
その代わり勝った暁には薩摩を差し出せと持ちかけられた。
そうなれば薩摩もイギリスと手を組み、
イギリスとフランスの戦いとなり、勝った方が日本を支配する。
俺に出来る事は逃げる事だけだったのだと慶喜。

おいはおなたが恐ろしかった、
しかし、徳川慶喜ではなくヒー様こそがあなただったのだ、
徳川の血を引いて生まれたのがあなたのご不幸だったと西郷。
徳川最後の将軍としての御覚悟、この牛男しかと見せて頂いた、
ヒー様、よくぞ逃げて日本をお守り頂いた、
おやっとさあでこざいもしたと西郷。

京。
新政府に勝との会談の結果を報告する西郷。
これでは長州の面目が立たないと桂。
武器弾薬を残したままではまた戦になると収まらない桂に、
その時は私が慶喜を討つと西郷。

寛永寺。
戦は無しで済みましたと報告する海舟。
苦労を掛けたという慶喜に、一番苦労したのは西郷だと海舟。

慶応4年4月11日、江戸城明け渡し。
水戸へと向かった慶喜。

江戸城。
天璋院に会い、慶喜の首は切れなかったと西郷。
徳川の家を守って呉れた事、それ以上に望む事はないと天璋院。

別室に西郷を呼び、徳川幕府歴代の記録を渡す天璋院。
とんでもないお宝だと西郷。
その中に二宮尊徳の書を見つけ、感激する西郷。
西郷の作る国を見たくなったと天璋院。

すべてが終わり、安らかな眠りに付いた西郷。

寛永寺。
武器を手に集まり、彰義隊と名乗った旧幕臣の不満分子たち。
さらに蜂起した奥羽越の諸藩。

京。
彰義隊を殲滅すべく手を打ったという桂。

江戸城。
桂の命を受けて派遣された大村益次郎。
上野は半日で落とせると益次郎。

江戸市中、居酒屋。
酒を酌み交わす勝と西郷。
これからも戦い続けるつもりかと海舟。
彰義隊が終われば会津、その後は奥州と西郷。
その先はと海舟。
おいにも判らない、先の見えない戦だと西郷。
何にせよ死んではいけない、
龍馬が夢見た新しい日本を作ってくれと海舟。

「今回は江戸無血開城が描かれました。天璋院との対面、慶喜との会見など創作色の強い回でしたが、それぞれの覚悟や思いが上手く描かれていたと思います。特に慶喜に覚悟の程を語らせ、それを聞いた西郷が慶喜の本質はヒー様だったと言い、自らを牛男と名乗らせてかつての二人の関係に戻らせたのは、いかにもこのドラマらしい演出でした。」

「西郷と海舟の会見は実際には二度行われており、一度目に示されたのはは海舟自身の思い、無辜の民を苦しめる様では官軍とは言えない、賊軍だというものでした。これに対する西郷の応対は記録にありませんが、海舟はある程度の手応えを感じたのではないかと思われます。」

「その翌日行われた二度目の会見では、先に山岡が持ち帰った官軍からの条件、武器弾薬、軍艦を全て差し出せという要求に対する回答が示されました。それは新政府軍が要求する全面降伏ではなく、いずれ徳川家の石高が削減された場合、その削減された分の武器弾薬を差し出すというものでした。それまでは城も武器も持ったままというもので、かなり強気と言って良い内容でした。この回答を作成したのは海舟ではなく、旧幕府の実権を握っていた大久保一翁をはじめとする若年寄集団「参政衆」で、海舟は参政衆から談判を依頼されたという立場でした。」

「西郷はこの虫の良い回答を蹴っても良かったと思われるのですが、そうはせず一旦受け取り大総督府に持ち帰ると答えました。これにより3月15日の総攻撃は中止となったのですが、海舟としては大成功でした。海舟は西郷と自分の仲だから事が簡単に進んだのだと言っていますが、その裏には天璋院と和宮による嘆願、イギリス公使パークスからの停戦の要望、山岡鉄舟の事前工作などがありました。それらを全て含み、最後は西郷自身の度量の大きさから、海舟の申し出は受け入れられたと思われます。」

「西郷は徳川家から示された条件を大総督府に持ち帰りますが、大総督府でも判断は付かず、西郷はさらに京にまで戻る事になります。そこで作られたのは折衷案というべきもので、一旦全ての武器弾薬を差し出させ、その後徳川家の処分が決まればその石高に応じた分を差し戻すというものでした。これは最後通牒であり、交渉役の海舟の出番はなく、参与衆が受諾を決め、最終的に江戸無血開城が決まったのでした。」

「ところが、慶喜本人はこの新政府案に不満で、海舟と一翁に再交渉を命じたと言われます。しかし、再交渉の余地などなく、結局は新政府の案どおりになるのですが、この事で海舟と慶喜は喧嘩別れとなったのでした。これにより海舟は交渉役を罷免される事となります。」

「海舟が再度登場するのは榎本艦隊が江戸を脱走した時で、参与衆ではどうする事も出来ず、罷免されて引きこもっていた海舟に、榎本への斡旋を頼み込んだのでした。海舟は榎本を説得し一旦品川沖まで引き返させ、艦隊を二分して半分を新政府に引き渡すと言うことで妥協させました。この妥協を新政府側が受け入れたのは西郷の独断で、この事が元で西郷の新政府内における立場が悪くなったと言われます。」

「この様に、江戸無血開城はドラマ以上に複雑な経緯をたどったのですが、やはり西郷以外の人ではいかな海舟でも上手く行かなかったでしょうね。窮鳥懐に入れば猟師も殺さずと言いますが、西郷の持つ美質が最後には物を言ったのでしょう。」

「なお、海舟は交渉が決裂した場合、自らが江戸市中に火を放ち、新政府軍を火の海に叩き込むという策を立てていたと言われます。そのために市中の火消し組に渡りを付けてどこから火を放つかを決め、さらには市民を船で脱出させる手筈まで整えていたのでした。海舟も西郷の度量だけをあてに会見に臨んでいた訳では無く、いざとなれば戦う覚悟でいたというエピソードです。」

「次回は彰義隊との戦いから戊辰戦争に至る経緯が描かれる様ですね。そして、戦いを終えた西郷は薩摩に引きこもるのかな。一蔵との間に隙間風が吹きそうな予感のする回になりそうです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.10.06

京都・洛中 たん熊北店

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味覚の秋のプチ贅沢がしたくて、ちょっと豪華なランチをして来ました。選んだお店はたん熊北店、木屋町にある和食の名店です。

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このお店、学生の頃から知ってはいたのですが、敷居が高くて入った事は無かったのですよ。何度店の前を通ったのか判りませんが、今回やっと念願かなって中に入る事が出来ました。

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たん熊北店は昭和3年の創業で、今年で90周年を迎えます。京都にあっては特別老舗という程ではありませんが、木屋町という食の厳選区でそれだけの間暖簾を守って来たという実績はたいしたものです。

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今では東京や神戸にも支店を出しているのですね。最初はカウンター席だけの小さな店だったそうですが、今では大店となっているのでした。

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この日のランチのメニューには無かったのですが、どうしても食べたかったのが松茸の土瓶蒸しです。一緒に入っているのは鱧で、京都の秋のメニューとしては定番と言っても良いのかな。鱧は夏のものと思われ勝ちですが、秋もまた二度目の旬なのですね。松茸と鱧のハモーニーは、この日一番の贅沢な一品でした。

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味の方はと言うと、濃くも無くかと言って薄くもなく、丁度良い塩梅でした。これぞ京都の懐石料理と言ったところでしょうか。

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最後の〆は栗ご飯。家庭の炊飯器で炊いたご飯とはやはり違いますね。懐石料理には季節感も大切です。

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水物は一転して洋風にまとめられていました。もっと渋いまとめ方をしてくるのかと思っていたのですが、嬉しい不意打ちでした。

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椅子席で予約していたのですが、通されたのは床の間付きの和室でした。しつらえは秋らしく菊の掛け軸と季節の花の生け花、そしてなぜか火縄銃です。これって何か意味があるのかしらん。意表を突くのも老舗らしさなのかな。

昼間からお酒を頂き、普段のストレス発散を十分にさせて頂いた一時でした。

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2018.10.05

京都・洛東 京都萩事情2018 ~常林寺 9.24~

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大原からの帰り、出町の常林寺に立ち寄って来ました。この三日前に来た時は山門内に立ち入る事が出来なかったので、もう一度見ておきたかったのです。

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その三日の間に花は咲き進んだ様で、結構な見頃となっていました。雨が降らずに済んだおかげもあったのでしょうね、花が綺麗な状態を保っていたのは嬉しかったです。

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もっとも、花数はこの寺にしては少なく、最高の状態とは言えませんでした。夏の猛暑や秋の長雨、台風など、萩にとっては良い年ではなかったのかも知れません。

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株によってはほぼ満開、多くは七分咲きから八分咲きだったので、好天続きだったらその後さらに持ち直していたでしょうね。しかし、残念ながら雨が降ってしまったので、この日あたりが一番の見頃だったのではないかと思われます。

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常林寺の萩ももう見頃は過ぎてしまったでしょうね。来年は好天に恵まれて、埋もれるような花の中を歩きたいと思っています。

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2018.10.04

京都・洛北 秋海棠2018 ~寂光院 9.24~

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大原と言えば三千院の名がまず上がりますが、もう一つの代表格が寂光院です。平清盛の娘にして安徳天皇の母である建礼門院の終の棲家となった場所として知られます。

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毎年この時期に訪れているのですが、変わらずに迎えてくれるのが秋海棠です。今年も満開の花が境内を彩っていました。

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秋海棠は中国原産の花。日本に入ってきたのは江戸時代との事ですので、建礼門院は見ていません。でも、美しい中にどこか儚げな風情を持ったこの花は、建礼門院には良く似合う様な気がします。

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秋海棠は大原に多く咲き、三千院や、その参道沿いでも見る事が出来ます。きっとこの里の人はこの花が好きなのでしょうね。

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紅葉時分には観光客で賑わう寂光院も、この時期は静かなものです。平家物語の世界に想いを馳せがてら、お出かけになられては如何ですか。

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2018.10.03

京都・洛北 秋桜2018 ~大原 9.24~

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大原は秋桜の里でもあります。ただ、最近は以前の様には秋桜を見かけなくなりました。何があったのでしょうね。

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この日秋桜を見かけたのは一カ所のみ。以前は秋桜畑になっていた場所も、がらんとした空き地になっていました。

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彼岸花と並んで山里の風情にはぴったりなのですけどね、育てる人が居なくなったのかな。だとしたら寂しい限りです。

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それでもピンポイントで秋桜に出会えたのは幸運でした。出来れば以前の様に道ばたのそこかしこで秋桜が見られる様になって欲しいのですけどね、それは無理な注文と言うものなのかしらん。秋桜の里の復活に期待したいです。

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2018.10.02

京都・洛北 彼岸花2018 ~大原 9.24~

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平成30年9月24日の大原です。この日は山里のそこかしこで彼岸花が咲き乱れていました。

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大原は京都における彼岸花の名所の一つで、水田のあぜ道や、土手の斜面などを色鮮やかに彩ります。

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そして、この花は山里の秋の風情にぴったり来るのですね。毎年この時期に大原を訪れるのは、我が家の楽しみの一つになっています。

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今回は三連休の最終日でしたが、それほど混むわけでもなく、静かな里の風情は保たれていました。これが紅葉時分だったらこうは行かないのですけどね。

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田んぼはほぼ稲刈りが終わっていましたが、中には昔ながらの天日干しをしているところもありました。稲木干しとかはざかけとか言いますね。大原では何と呼んでいるのかしらん。実りの秋らしい好きな景色の一つです。

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2018.10.01

京都・洛西 彼岸花2018 ~嵯峨野 9.22~

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雨続きだった今年の9月にあって、久しぶりに秋晴れとなった9月22日の嵯峨野です。この日は彼岸花が見頃を迎えていました。

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この赤い花には青空が良く似合いますね。花も久しぶりに日の光を浴びて伸びをしているかの様です。

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雨風のせいでしょうか、稲が倒れている田がいくつもありました。こうなってしまっては、機械刈りは無理なのでしょうね。手で刈り取るとなると大変なんだろうな。なお、真ん中で飛んでいる鳥の様なものは、鷹の形をした空飛ぶ案山子です。

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稲刈りの終わったあぜ道では、雑草に負けず彼岸花が群落となって咲いていました。市内の社寺ではせっかく植えた彼岸花が何年かすると消えてしまう事もあるのですが、野外では旺盛な繁殖力を見せます。これって、何が違うのでしょうね。ここで生きてきた年季が違うという事なのかしらん。

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写真を撮っていると、道行く親子が線香花火みたいな花だねと話しながら歩いて行きました。なるほど、言われてみれば、確かにそう見えなくもないですね。秋に灯された、少し儚げな花火かな。ちょっと大きいですけどね。

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