西郷どん 第三十五回 「戦の鬼」
大政奉還に踏み切った慶喜。
その真意は、政が出来ない朝廷は必ず徳川に泣きついてくる、
その時徳川が政の中心に収まれば良いという所にありました。
鍵屋。
慶喜の真意を巡って対立する龍馬と西郷。
ついに袂を分かった両者。
薩摩。
討幕の兵を久光に要請する西郷。
もう討つべき幕府は無いと久光。
密勅を示した西郷。
失敗は許されんと同意した久光。
西郷家。
寅太郎をあやす西郷。
束の間の団らん。
京、近江屋。
刺客に襲われた龍馬と中岡。
薩摩屋敷。
西郷が龍馬を殺したと押しかけたお龍。
それは違う、おいは守れんかったと西郷。
何が新しい時代や、こんな事になるなら来んでええとお龍。
そのまま、ええじゃないかの波に消えていったお龍。
その夜。配下の者に江戸で騒動を起こせ、
薩摩の仕業と判らせ連中を怒らせれば良いと命じた西郷。
岩倉の屋敷。
岩倉にクーデターを持ちかけた西郷と一蔵。
慶応3年12月9日、クーデター決行。
発せられた王政復古の大号令。
次いで小御所会議。
慶喜を擁護する容堂。
鋭く対立する岩倉。
容堂に加勢する春嶽。
劣勢となった岩倉たち。
御所の門前に立つ西郷。
二条城。
西郷を討つなら今と容保。
西郷を討てば朝敵となる、俺は朝敵にだけはならぬと慶喜。
御所。
慶喜公をここへ呼べと容堂候が粘っていると一蔵。
そげな事、短刀一本あれば事たりると西郷。
それを聞いていた容堂。
逆転した形勢。
慶喜に下された辞官納地の命令。
二条城。
西郷の影に怯える慶喜。
二条城から退去した慶喜。
大坂に兵を向かわせようと西郷。
すぐに慶喜を討つ理由が無いと一蔵。
既に手は打ってあると西郷。
大坂城。
江戸城で火の手が上がった、糸を引いているのは薩摩と板倉。
すぐに兵を出しましょうと幕臣たち。
ならぬ、今兵を動かしては薩摩に大義名分を与えてしまうと慶喜。
江戸。
薩摩藩邸を襲った庄内藩。
翌年、1月2日。
江戸藩邸が撃たれた事を兵に告げ、
大坂から幕府軍が攻め上ってくると一蔵。
我らは正義の軍、慶喜は勅命に従わぬ逆賊、
此度の戦は大将の首を取って勝利とすると西郷。
大阪城。
京に向けて兵を向ける旧幕府軍。
風邪を引き、熱が引かない慶喜。
どこまで追いかけてくるのだと西郷を恐れ続ける慶喜。
京。
西郷にどうして変わってしまったのかと問い質す信吾。
慶喜は日本を異国に売り渡そうとしている、
どうしても許せないと西郷。
戦をして一番苦しむのは民、そう言ったのは兄さあだと信吾。
もう迷っておられぬと西郷。
江戸の薩摩屋敷を襲わせたのも兄さあのした事かと信吾。
そのとおりだ、ほどほどではいかん、
あの男を地の果てまで追い詰めると西郷。
戦の鬼だと信吾。
ああそうじゃ、おはんも死力を尽くして戦えと西郷。
「今回は王政復古の大号令から小御所会議、鳥羽伏見の戦い前夜までが描かれました。西郷が鬼へと変貌する様が迫力をもって描かれていましたね。」
「まず、ドラマでは久光が兵を出すことに同意したのは討幕の密勅が決定打になった様に描かれていましたが、必ずしもそうではないという見方も出てきています。その理由として西郷の上洛は当初見送られていた事、討幕に反対していた家臣を久光が排除しなかった事などが挙げられます。」
「しかし、藩主の上洛は朝廷の要請でもあり、断る事は出来ませんでした。また、当初藩兵を率いる予定であった小松帯刀が病に倒れた事によって西郷が上洛する事となります。さらには、幕府軍が続々と大坂に終結していた事もあって、不慮の事態に備えるために多数の藩兵を率いての上洛となったのでした。」
「龍馬焚殺については薩摩の陰謀説など様々な説がありますが、最も有力とされるのは京都見回組による犯行で、その理由は龍馬が伏見で捕り方を三名射殺していた事に依る公務だったというものです。」
「お龍が西郷に怒鳴り込んだというのは創作ですが、こんな事になるなら新しい世など要らないと言ったお龍の言葉は彼女の本音だった事でしょうね。」
「王政復古の大号令と小御所会議については、春嶽を通じて事前に慶喜も知っていました。その上で何も手を打たなかったのですが、慶喜は武力衝突を避けたかったからではないかと言われます。」
「小御所会議で西郷が短刀一つあれば済むと言ったのは有名な話で、西郷の凄みを表す言葉として知られます。ドラマでは容堂が直に聞いた事になっていましたが、実際には広島藩を通じて土佐藩に伝えられたもので、これ以上は無駄な抵抗と悟った容堂が鳴り止んだのでした。」
「江戸において薩摩が起こした騒動は西郷の陰謀に依るものと言われていますが、実際には西郷では無く江戸藩邸の独自の判断に依るものでした。事件を聞いた西郷が残念千万と言っている事がその傍証で、西郷はそこまでの陰謀家では無かった様ですね。」
「ドラマでは省略されていましたが、小御所会議以後の形成は西郷たちにとって不利なもので、土佐藩を中心として慶喜擁護論が高まり、実際に慶喜を内大臣として京に呼び戻す寸前にまで事は運んでいました。もし、江戸で騒動が起こらなければ、歴史は変わっていたのかも知れません。」
「結果として江戸藩邸が焼き討ちされた事で西郷が助かったのは確かで、事態は彼が望む方向へと進んでいく事になります。次回はその鳥羽伏見の戦いから江戸進軍までが描かれる様ですね。決着まではまだまだ紆余曲折がある訳で、どう描かれるか楽しみです。」
「追伸。慶喜が二条城を退去した時に通った門は西門でした。一般には公開されていませんが、城の外側から二条城の西側に行けば、橋こそ無いけれど門自体は今も見る事が出来ます。東大手門の様な立派なものではなく、ここからひっそりと慶喜が墜ちていったのかと思うと感慨深いものがありますよ。二条城を訪れる事があれば、外回りをして西門を見に行く事をお勧めします。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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