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2018.09.09

西郷どん 第三十四回 「将軍慶喜」

将軍家茂の死によって撤退を余儀なくされた幕府軍。
これで幕府の権威も地に墜ちたと喜ぶ岩倉たち。
そこに同席していた海舟。

回想。
一人長州に乗り込み、停戦交渉にあたった海舟。

徳川家は継ぐが将軍職は継がないと言う慶喜。

朝廷。
孝明帝自ら慶喜に将軍就任を依頼し、それを受けた慶喜。
その背後にはフランスの力が働いていました。

朝廷の許しを得ず、兵庫開港を決めた慶喜。

慶応2年12月25日、天皇崩御。

惑乱する岩倉。
これこそ幕府と朝廷を引き離す好機と一蔵。

朝廷工作を受け持った岩倉。
雄藩を受け持った西郷と一蔵。

久光の下を訪れた西郷。
有力四藩が集まり、兵庫開港に待ったを掛ける、
そうすれば幕府の権威は地に墜ちる、
その総代として主導権を久光が握って欲しいと西郷。
西郷に土佐、宇和島行きを命じた久光。

土佐藩。
幕府の横暴な行いを戒めて欲しいと言上した西郷。
その話、乗ったと容堂。

越前。
慶永に上洛を促す一蔵。
快諾した慶永。

京に集まった薩摩、土佐、越前、宇和島の諸侯。
その前に現れた慶喜。
まずはフォトグラフを撮ろうと言い出す慶喜。
長州の赦免、兵庫開港のお考えを聞くまでは帰らないと久光。
長州の話は先送り、兵庫の話なら皆から合議を得ていると慶喜。
同意する久光以外の三候。
征夷大将軍である自分に物申すなら、
それなりの覚悟をしてもらうと恫喝する慶喜。
西郷たちの惨敗に終わった四候会議。

大阪城。
各国の公使を接待し、自らが大君だと表明して幕威を回復した慶喜。

軍事援助と引き換えに、領土割譲を要求するフランス公使ロッシュ。
それは薩摩でした。

うなき屋でふきと出会った西郷。
ふきから慶喜とロッシュの間で薩摩という言葉が交わされていたと聞いた西郷。

薩摩屋敷。
フランスが幕府に軍事援助の見返りに薩摩を要求していると伝え、
イギリスはいくらでも薩摩に手を貸すと言うアーネスト・サトウ。
日本の事は日本人で解決すると西郷。

慶喜公が日本を切り売りしようとしている、もう腹を括る他はない、
武力をもって徳川を討つと西郷。
一度決めたら後には引けないと一蔵。
向こうは捨て身、こちらも覚悟を決めて掛からなければと西郷。

まずは長州、兵を上げる様頼んできてくれと西郷。
すぐに行くと一蔵。

岩倉。
討幕の勅命を賜りたいと西郷。
簡単な話ではない、なぜそんなに急ぐのかと岩倉。
急がねば慶喜公がこの国を異国に売ってしまうと西郷。
えらいこっちゃと岩倉。

山口。
長州公に拝謁し、卒兵上洛を要請する一蔵。
待っていたぞと木戸。

長州に続き芸州にも出兵の約束を取り付けた一蔵。

京。
続々と武器弾薬が運び込まれる薩摩屋敷。
まだ西郷が本気で戦う気で居る事を知らない信吾たち。

土佐。
この芝居に乗るなら今しかないと龍馬。
薩摩めと怒り狂う容堂。
戦をせずに幕府から政権を取り上げる妙案があると龍馬。

おかげまいりに狂う民衆たち。

岩倉。
偽の討幕の密勅を示し、幕府を倒せばこれが本物になると岩倉。
逡巡する西郷たちに、禁裏に手回しはしておくと岩倉。

ええじゃないか、と民草も喜んでいると岩倉。

薩摩の動きを知った慶喜。

慶応3年10月13日、二条城に招集された諸藩の重役たち。
大政奉還を表明した慶喜。

鍵屋。
西郷を訪ねてきた龍馬。
大政奉還を決意した慶喜を褒め称える龍馬。
やはりおはんじゃったかと西郷。
これから日本も新しい国になる、
日本中りの雨漏りもなおせるがぜよと龍馬。
龍馬は何も判っていない、これでは何も変わらないと西郷。
えらい言われようだと龍馬。
大政奉還は逃げを打っただけの詭弁に過ぎないと西郷。
それは言い過ぎだと龍馬。
あの頭の良い人には判っている、
政権を返されても朝廷には何も出来ない、
すぐに手元に戻ってくるとと西郷。
もう武をもって徳川を叩き潰さなければ新しい世は来ないと西郷。
わしはそうは思わん、
今徳川と戦をしたら日本全土は火の海ぜよと龍馬。
何と言われようと慶喜を討つ、息の根を止めると西郷。

「今回は四候会議の開催と結末、討幕の密勅と大政奉還、西郷が討幕を断固決意するまでが描かれました。この間およそ一年の複雑な動きを45分にまとめたのですから相当の省略がある訳ですが、要領よくまとめたとも言えます。」

「まず慶喜の将軍就任にあたっては、一蔵が猛反発し、断固阻止しようとしていました。彼は将軍が空位という未曾有の事態を好機と捉え、薩摩藩が主導権を握るべく孤軍奮闘していたのですね。一方、小松帯刀は幕府側と接触を持ち、三条実美ら五卿の帰洛と引き換えに、慶喜の新将軍就任を容認していました。同じ薩摩藩でも対応の仕方は一枚岩ではなかったのですね。」

「この頃の西郷は小松と一蔵の間にあって、取り立てた行動は示していません。西郷にとって小松は上司であり、また一蔵は盟友ではあっても小松の動きを遮る様な事は出来なかったのでしょう。ドラマには出てこなかった小松こそがこの時期の主役だったのですね。」

「慶喜が将軍に就任したのは12月5日の事でした。これはドラマにあったように孝明天皇の強い要請があったからですが、その孝明帝が12月25日に崩御されてしまいます。この崩御についてはあまりに突然の事であったことから、毒殺説が流れました。その犯人として疑われたのは、他ならぬ岩倉だったのですね。それほど岩倉の辣腕ぶりは当時から有名だったという事でしょうか。」

「実際の孝明帝の死因は天然痘だったのですが、暗殺説や怨霊説が出るほど突然で、政局に与えた影響も大きなものでした。慶喜が朝廷を思うように動かせたのは、一重に孝明帝の寵愛にあったからです。」

「四候会議については、ドラマにあった様に西郷が自ら久光に要請した訳ではありません。まずは重臣会議に掛けてもらい、久光の意向を確かめるという手順を踏んでいます。そして、もし久光が応じなければ、自分は手を引くつもりで居たと言います。なんだか西郷らしくない気もしますが、それだけ政治家として成熟したという見方も出来る様ですね。」

「四候会議は、慶喜が久光を除く三候を懐柔した事で瓦解した訳ではありません。兵庫開港問題については、四候に対してあらかじめ書面で意見を言う様にと要請しており、これをもって四候が揃う前に慶喜は朝廷に勅許を願い出ていたのでした。久光はこれに猛反発するのですが、四候会議では何も決める事は出来ず、結局朝議にかけられる事になりました。慶喜にとって朝議をあやつるのはお手のもので、一気に開港へと決めてしまったのですね。」

「長州についてはなるべく寛大な処置を取るというあいまいな形で落ち着きました。四候がこうした慶喜のやり方に良い感情を持つはずもなく、それぞれが大いに不満を抱いたまま四候会議は解散となってしまいます。」

「土佐藩については、一度は薩摩と共に幕府を討つという密約を結んでいます。薩土密約と呼ばれるのがそれで、後藤象二郎が国元から藩兵を引き連れて上洛するという約束でした。しかし、容堂候が武力討幕には反対であり、これは実現していません。」

「代わりに提案したのが大政奉還で、龍馬が後藤に教えたとされています。後藤と龍馬はこの案を西郷たちに示し、了解を取り付けました。ただし、慶喜がこれを受け付けるはずも無いから、それを名目に討幕すべしというものでした。ドラマで龍馬が慶喜を褒めていましたが、実際に龍馬自身も慶喜がそこまで決意するとは思っていなかったのですね。」

「次回は近江屋事件や小御所会議など幕末史に残る重要な出来事が描かれる様です。そして、西郷の放つ有名な台詞も出てくる様ですね。ちょっと展開が早すぎてついて行くのが大変ですが、刺激的な回になりそうで楽しみです。」

 (参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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