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2018年9月

2018.09.30

台風24号襲来

今日は大型の台風24号が上陸しました。これを書いている最中でも、外は大荒れの天気です。西郷どんも中止になり、テレビはずっと台風関連のニュースを流しています。これ以上は台風は要らないと思っていたけれど、自然の猛威だけはどうしようもありませんね。さらにはすぐ後に25号が不気味な動きを示しています。もう本当に来て欲しくないのだけどな、この先どうなるのだろう。

くれぐれもこれ以上の被害が出ませんように。皆さんもどうか十分ご注意なさって下さい。

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2018.09.29

京都・洛中 京都萩事情2018 ~大聖寺門跡 9.21~

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拾翠亭を出て、地下鉄一駅北へ上って大聖寺門跡に来ました。ここの萩も雨のせいで樹形が乱れていましたが、花そのものは七分咲き程度になっていました。

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これで晴天続きだったらさぞかし綺麗だったろうなと思わせる咲き方です。その後の天気の回復でどこまで持ち直したのかな。

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赤い萩が満開に近かったの対し、白い萩はまだ二分咲き程度でした。順調なら今日あたりが見頃となっていたのかしらん。

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大聖寺門跡は町中にあるのに訪れる人は少なく、萩の名所としては穴場と言っても良いでしょう。この日も境内に居たのは私一人でした。地下鉄今出川駅の2番出口を出てすぐの場所にあるので、一度は訪れてみられては如何ですか。

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2018.09.28

京都・洛中 百日紅2018 ~拾翠亭 9.21~

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健礼門前大通りを通って九条池まで来ました。ここはかつての九条家の庭園跡で、その形から勾玉池とも呼ばれます。

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その畔に建つのが拾翠亭。唯一残る九条家邸宅の遺構です。

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公家の茶亭らしく繊細な数寄屋風書院造りで、座敷で座っているととても落ち着く、居心地の良い建物ですよ。

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築後200年を経ていますが、今も茶室が二つ残り、一般にも貸し出しがされています。こんなところでゆっくりお茶を飲めたら、さぞかしほっこりする事でしょうね。

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拾翠亭の公開は毎週木金土の9:30~15:30です。拝観料は100円と格安で、内部と庭園の両方を楽しむ事が出来ます。この日はまだ百日紅が咲いており、古い建物を鮮やかに彩っていました。

ただ、ここでも台風の傷跡はあり、檜かな、かなり大きな木が真っ二つに折れたまま放置されていました。よくぞ建物が無事だったと思わせる光景でした。


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2018.09.27

京都・洛中 彼岸花2018 ~京都御苑 9.21~

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梨木神社から京都御苑へと入りました。すると、木々の下で彼岸花が咲いているのが目に付きました。

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この日咲いていたのは建礼門前の植え込みの中で、辺り一面に散らばる様に咲いていました。群落と言う程でもないですが、雑草は綺麗に刈り取られており、彼岸花だけがすっくと立ち上がっている様な状態ですっきりとしていて、とても綺麗でしたよ。

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ところで、京都御苑の台風の被害も相当なもので、そこかしこで倒木が見られました。これだけあちこちで倒木だらけだと受け入れてくれる処理場も一杯で、処置に困っている事でしょうね。京都から台風の爪痕が消えるのは、まだまだ先になりそうです。

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健礼門から少し南に下がって凝華洞跡にまで来ました。ここでは結構な数の彼岸花が咲いており、いつか誰かが意図的に沢山植えたのでしょうか。

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ここはちょっとした丘になっており、斜面沿いに咲いているので、下から見上げたり、上から見下ろしたり出来て、結構楽しめました。

なにしろ京都御苑は広いので、多分他の場所でも咲いていた事でしょうね。もしかしたら、彼岸花の隠れた名所なのかも知れません。

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2018.09.26

京都・洛中 京都萩事情2018 ~梨木神社 9.21~

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幸神社から梨木神社へとやって来ました。ここでは萩は二分咲き程度でした。

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何しろ境内一円が萩なので、株によっては見頃近くになっているものもあります。でも、全体を見渡せばちょっと寂しい状態でしたね。

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まあ、この神社はこんな感じの年が多いかな。なので、よく咲いている株を見つけてじっくりと眺めるのがコツと言えるかも知れません。

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萩祭りは24日で終了してしまいましたので、訪れる人も少なくなり、静かに萩を楽しむには良い時期です。この日も数人が訪れていた程度で、ほとんど独り占め状態でした。

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梨木神社の萩は、まだ暫くは見頃の株があるでしょう。ぱっと一面に綺麗に咲くという事はなさそうですけどね。神社の厳かな風情と、儚げな花を愛でに訪れてみては如何ですか。

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2018.09.25

京都・洛中 京都萩事情2018 ~幸神社 9.21~

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平成30年9月21日の幸神社です。この日は本殿前の萩が見頃を迎えつつあるところでした。

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今年の秋は雨続きとあって、せっかく咲いた花が散る、樹形が乱れるなど、萩にとっては受難続きです。ここ幸神社でもご多分に漏れず、ぱっと見には今ひとつの咲き方でした。

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でも個々の枝を見ればそれなりに綺麗に咲いており、やはり雨の影響は大きかった様です。萩には秋晴れこそが似合いますね。

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幸神社の萩は、この日で七分から八分咲き程度だったかな。天気はその後持ち直したので、もう少しは綺麗に見えたかも知れません。でも、また今日も雨だったから花も散ってしまったかな。つくづく恨めしい今年の天気です。

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2018.09.24

京都・洛東 京都萩事情2018 ~常林寺 9.21~

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平成30年9月21日の常林寺です。この日は萩が5分咲き程度になっていました。

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残念ながらこの日は檀家さんの法要という事で山門内には入れなかったので、入り口から撮った写真だけです。

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やはり萩は雨に弱いですね。連日の雨で散った花びらが地面に沢山散っていました。ずっと晴れていたらもっと綺麗だった事でしょうね。

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このあたりは満開と言っても良かったのかな。部分的には見頃と言っても良かったのかも知れませんね。

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今日も見てきましたが、このところの好天続きで持ち直した様で、かなり綺麗になっていました。一番良い状態からは遠かったですけどね、次の雨までは見頃が続きそうです。

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2018.09.23

西郷どん 第三十六回 「慶喜の首」

慶応四年一月三日、鳥羽伏見の戦い。

砲声に慌てふためく公卿たち。
劣勢を強いられる新政府軍。
そろそろあれの出番だと岩倉。

激戦の続く前線で指揮を執る西郷。

一蔵の家でゆうが用意していた錦旗。

戦場に現れた錦の御旗。
錦旗を見て戦意をう旧幕府軍。

銃弾に倒れた信吾。

大坂城。
慶喜の陣頭指揮を願う幕臣たち。

後方に送られた重傷の信吾。

官軍に寝返った津藩。

大坂城。
更なる抗戦を主張する幕臣たち。
自ら陣頭に立つと誓った慶喜。
奮い立つ幕臣たち。

その夜。
密かに大阪城を抜け出した慶喜、容保、定敬たち。

京。
慶喜逃亡の報に接し、勝ちどきを上げる新政府軍。
重態の信吾を余所に、御所に向かう西郷。

嵐に見舞われた開陽丸。
罰が当たった笑うふき。

江戸城。
無事にたどり着いた慶喜たち。

火鉢に当たり、鰻を食べようとする慶喜。
そこに現れ、慶喜を徳川の恥だと一喝する海舟。

あなたは西郷から逃げただけだとふき。
二度と顔を見せるなと慶喜。
哀れだね、あんたと海舟。

京。
突然現れた異人に驚く人々。

自分は医者だとウイリス。
最先端の医療で治療を施すウイリス。

一命を取り留めた信吾。

ウイリスを京に呼び寄せたのは西郷でした。
天子様に直訴してウイリスを京に入れた西郷。

慶応四年二月。東征軍を率いて進発する西郷。
見送る鍵屋の面々。
従軍を願い出た信吾。

西郷に泣きつくお虎。

駿府新政府軍大総督府。
続々と届く慶喜助命の嘆願書。
ここで手を緩めれば必ずあの男は力を盛り返すと西郷。
三月一五日と決まった江戸城総攻撃。

上野、寛永寺。
謹慎を続ける慶喜の下に現れた海舟。
恭順を貫くと言う慶喜に、フランスと共に戦えば勝つと海舟。
確かに勝てる、しかしその時こそ日本は異国の手に渡る、
俺を見くびるなと慶喜。

海舟に後始末を任せた慶喜。
山岡鉄太郎を呼び、駿府に向かわせた海舟。

駿府。
一人で大総督府に現れた鉄太郎。

西郷と会い、海舟の手紙を渡す鉄太郎。
そこには進軍を止め、江戸に会いに来いと書かれていました。
それは出来ないと西郷。
腹を切る覚悟で、天子様に願いを伝えて欲しいと鉄太郎。
なぜあの男のためにそこまでと西郷。
侍が我が主を信じられなくなれば侍ではなくなると鉄太郎。
その覚悟を見て海舟に会おうと西郷。

江戸、磯田屋。
西郷を待っていた幾島。

江戸城、大奥。
幾島の手引きで潜入した西郷たち。
一二年ぶりに再会した篤姫、天璋院。

「今回は鳥羽伏見の戦いから江戸城総攻撃の直前までが描かれました。鬼となった西郷は、実は心優しい西郷のままだったのでした。あくまで日本の行く末を見つめて、あえて鬼となっていたのですね。」

「鳥羽伏見の戦いは、戦端は薩摩軍の砲撃で開かれました。この時、朝廷への嘆願のつもりで行軍していた旧幕府軍は一列縦隊で、鉄砲に弾を込めてさえいなかったと言います。このため、先鋒は大混乱に陥り、新政府軍有利に戦況は進みます。」

「さらに伏見奉行所に砲弾が命中し炎上、ここを拠点としていた会津、新選組らは苦戦を強いられました。しかし、下鳥羽方面で幕府軍が盛り返し、一時は京に突入されそうな形勢となります。さらには伏見方面でも戦意の無い土佐藩が旧幕府軍の一隊を制止しなかったために、幕府軍が優位に立ちました。ところが日暮れと共になぜか撤退命令が旧幕府軍に出され、危うい所を新政府軍は踏み止まる事が出来たのでした。」

「ドラマでは西郷は終始前線で指揮を執っていた様でしたが、実際には前線に出る事は止められており、実戦に出たのは三日の伏見と五日の八幡の二日のみでした。」

「信吾が負傷したのは事実で、その治療に当たったのがウイリスだったのも事実です。ただ、彼を京に呼んだのは大山巌であり、信吾一人のために西郷が動いたという事実はありません。」

「錦の御旗については、ドラマにあったように岩倉の指示に基づいて一蔵の下であらかじめ作成されていました。無論見本があった訳では無く、想像の産物だったのですが、西郷からの要請で一蔵が朝廷と掛け合い、岩倉の働きもあって春嶽らの反対を押し切って朝廷から新政府軍に下賜されたのでした。」

「錦旗の威力は絶大だったと言われますが、誰も見たことがないものであり、当初は旧幕府軍にもそれが何を意味するのか判らなかったと言います。どこまで本当か判りませんが、旧幕府軍の兵士が新政府軍に対しあれは何だと問い質したところ、新政府軍は錦の御旗だと答え、それを聞いた旧幕府軍はそれは大変だと逃げたしたと言います。」

「兵士が逃げたかどうかはともかく、淀城を守っていた稲葉氏には効果覿面で、朝敵となった旧幕府軍の入城を拒否してしまいます。淀城は難攻不落の城として知られていたので、ここを拠点に出来ていれば旧幕府軍も易々とは負けなかった事でしょう。また、淀川の西岸にあった砲台を守備していた津藩も官軍となった新政府軍に寝返り、背後から対岸の旧幕府軍を砲撃したのでした。」

「何より効果的だったのは慶喜に対してであり、錦旗が出たと聞いた慶喜は朝敵になる事を恐れ、一気に戦意を喪失したのでした。日本古来の正当性を重んじる水戸学の徒だった慶喜にとっては、朝敵となる事が耐えられない程の苦痛だったのですね。」

「慶喜が兵士を置き去りにして大坂城から夜逃げをしたのは有名な話であり、慶喜の評価を低くしている最大の要因です。所詮は慶喜は腰の定まらぬ貴族だったと言われるのですが、慶喜のために弁護してやるとすれば、これ以上戦えば異国に付けいる隙を与えるだけだと考え、あえて身を引いたのだとも言います。」

「海舟と西郷の交渉については、ドラマにあった様に山岡鉄太郎が大きな役目を果たしています。山岡は江戸薩摩屋敷で捕らわれていた益満休之助という薩摩藩士を伴い、彼を通行手形代わりにして駿府にまでたどり着きます。そしてドラマにあった様に海舟の手紙を西郷に手渡したのでした。」

「海舟の手紙には慶喜の恭順の意思は本物であると認められており、穏便な措置を求める内容でした。これを受けて大総督府で協議が行われ、西郷は江戸城や海軍の引き渡しと引き換えに徳川家の存続を保証するなどとした七箇条の条件を山岡に託したのでした。山岡の働きが無ければ、後の海舟と西郷の話し合いも無かったのかも知れません。なお、海舟はドラマで慶喜に言っていたような戦略をも手紙に認めており、大総督府が折れたのはそれが現実となった場合、自分たちが不利だと悟ったからだとも言います。」

「これとは別に、大奥からも使者が出されていました。資料には単につぼねとだけあり、具体的に誰かは判りません。少なくとも幾島では無いでしょう。使者を出したのは篤姫と和宮であり、徳川家の存続を願うという内容でした。」

「ドラマの様に西郷が大奥に出向いて篤姫と会見したというのは明らかな創作であり、非現実的な作り話です。いくら西郷といえども、そんな離れ業が出来る訳もないでしょう。」

「ドラマには出てきませんでしたが、イギリス公使のパークスからも江戸城総攻撃は見合わせる様に要請がありました。パークスは、慶喜がこれまで日英和親のために貢献して来た事を評価しており、彼を討伐する事には反対でした。そして何より、日本で内乱が起こる事により、貿易が滞り、イギリスが損害を被る事を防ぎたかったのでした。」

「これらの動きを総合して、西郷と海舟の会見は行われます。そのあたりは次回に描かれる様ですね。ドラマではさらに慶喜とも会見するのだとか。創作色の強い江戸城無血開城になりそうですが、そのあたりをどう演出するのかじっくりと見たいと思っています。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.09.22

京都・洛中 彼岸花2018 ~妙蓮寺 9.16~

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芙蓉の寺として知られる妙蓮寺です。夏から咲き続けている芙蓉ですが、そろそろ佳境を迎えて来た様ですね。花数も増え、これから9月末にかけてが最盛期となります。

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その芙蓉の根元で、一足早く彼岸花が見頃を迎えていました。ここに彼岸花が植えられる様になったのは平成21年の事。以来、一時的に衰え掛けた事もありましたが、今年で10年目を迎え、今ではすっかり根付いています。

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ここの彼岸花はなぜか咲くのが早く、一番早い年では9月6日に見頃になっていた事もありました。なので、今年はむしろ遅い部類に入るくらいで、他の場所とは一線を画します。

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去年くらいからだったかな、山門前にも植えられる様になり、芙蓉と共に文字通り妙蓮寺の顔となって来ました。この日はまだ咲いていませんでしたが、古い門を背景に咲く様はなかなか絵になる光景ですよ。

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お彼岸も明日で中日、この花も丁度盛りを迎える頃です。早咲きの妙蓮寺は終わってしまったけれど、まだまだ咲いているところはあります。天気は気になるけれど、秋の野道に彼岸花を探しに出かけられては如何ですか。

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2018.09.21

京都・洛中 台風21号の傷跡 ~相国寺・平野神社 9.16~

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真如堂から相国寺へとやって来ました。ここでも台風21号の傷跡は生々しく残っていました。

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上立売通から法堂を見たとき、なんだかすっきりした様な感じがしたのですが、それもそのはず赤松の巨木が何本も倒れていたのでした。先の部分が切られてこれですから、台風が通過した直後はもっと凄い光景だった事でしょう。

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被害を受けたのは赤松だけでは無く、もみじも相当なダメージを受けていました。毎年綺麗な紅葉を見せてくれるこの木も枝が何本も折れて、樹形が変わってしまっていました。残念ながら、今年の紅葉は期待出来そうにもありませんね。

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ある意味、今回の台風被害の象徴的だったのが平野神社です。拝殿が倒れた様子はマスコミにも大きく取り上げられていましたが、今もかたづけられること無くそのまま残されています。門は閉じられ中に入ることは出来ませんが、本殿の屋根の傷み方も相当なものの様に見えました。一見すると廃墟の様で、痛々しい事この上ありません。

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桜苑も倒木の危険があるという事で立ち入り禁止になっていました。来年のお花見はちょっと無理なのかなあ。平野神社が立ち直るまでは暫く時間が掛かりそうです。

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2018.09.20

京都・洛東 彼岸花2018 ~真如堂 9.16~

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平成30年9月16日の真如堂です。不順な天気続きの今年にあって、この日は久しぶりに青空を見る事が出来ました。その青空を背景に立つ三重塔ですが、普段と変わらない様に見えて、先の台風の被害がここにもありました。相輪の下、露盤と言うのですかね、四角い部分の板が外れているのが判ります。早く直さないと雨漏りがしそうに思うのですが、すぐには手を打てないのかな。

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台風の被害は、教蔵の前に集められていました。折れた枝や倒れた杉など、かなりの被害があったことが判ります。京都の社寺は大なり小なりこんな具合になっていて、見ているだけで痛々しい限りです。

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台風で痛めつけられても、季節が巡れば花は咲きます。山門前では萩が花を付けていました。もっとも、咲いていたのはこの株だけで、他は全く咲いていません。今年の萩はどこも遅くなっている様です。

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反対に早く咲いていたのが彼岸花でした。毎年彼岸前後に咲きますが、ここ何年かは彼岸前に咲くのが当たり前の様になって来ています。

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こちらは苦沙弥和尚が植えられたのかな、白い彼岸花も咲いていました。花が折れないように添え木までされていたので、大切にされている事が判りますね。まだまだ汗ばむ様な残暑の日でしたが、確実に秋が訪れている事を知らされた様な真如堂の境内でした。

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2018.09.19

京都・洛北 美のパワースポット ~河合神社~

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あまりに悲惨な糺の森の姿を見て気落ちしたため、少し気分を変えようと河合神社に立ち寄って来ました。

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ここは特に台風の被害に遭った様子も無く、いつもの様に静かな境内でした。綺麗に掃除されているのも、美麗神のお社らしくて良い雰囲気ですね。

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気になっていたのは方丈の庵が吹き飛ばされていないかという事だったのですが、無事な姿を見てほっとしました。華奢に見えて意外と頑丈なのかな。

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美人水は少し改良された様です。以前はかりんだけだったと思うのですが、今は蜂蜜も加えられているとの事です。きっと飲みやすくなったのでしょうね。一杯350円です。

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そして人気の鏡の絵馬です。すっぴんの顔が描かれた鏡型の絵馬に自分の化粧品で色づけして奉納するのですが、元は同じ絵なのにそれぞれに個性が出るのが面白いところです。いつもより数が少ないのは、台風の風に飛ばされないように一度全部外したのかも知れません。この日も絵馬を描いていた人が居たので、近いうちに隙間の無い元の絵馬掛けに戻る事でしょうね。

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2018.09.18

京都・洛北 台風21号の傷跡 ~下鴨神社 9.15~

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常林寺から下鴨神社にやって来ました。9月4日に襲った台風21号によって、糺の森が大きく傷ついたと聞き、ずっと気になっていたのです。

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台風が過ぎてから2週間以上が経ち、さすがに参道は綺麗に整備されていました。一見すると何も無かったかの様に見えます。

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でも、参道の両脇に目をやると、根こそぎ倒れた木々がまだ放置されたままでした。こんな木が参道や馬場に散乱しているのです。他にも半ばから折れてしまった木や斜めに倒れかけた木など、惨状としか言いようのない光景でした。

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本殿前には、糺の森復興のための募金箱が置かれていました。あまりの悲惨な状況に心を動かされる人が多いのでしょうね、中身は小銭よりお札の方が目立っていました。

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被害の大きかった馬場にあって、新しい社も建っていました。賀茂斎院御歴代斎王御神霊社(かものさいいんのごれきだいのいつきのみやのみたまのやしろ)という長い名前の社で、嵯峨天皇の第八皇女有智子内親王以下35代の斎王様をご神体とする社です。約60年間途絶えていたものを、先の式年遷宮を機に再建されました。台風の被害を免れたのは何よりでしたね。少ずつですが、往年の姿を取り戻しつつある下鴨神社です。

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2018.09.17

京都・洛東 京都萩事情2018 ~常林寺 9.15~

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平成30年9月15日の常林寺です。この日は萩が2分咲き程度になっていました。昨年の今頃はほぼ見頃になっていたのに比べるとかなり進行が遅いですね。

Jorinji1809172

一番良く咲いているところでこの程度で、満開になるにはまだ時間が掛かりそうです。今年の花の暦はずっと早かったのですが、ここに来て常林寺の萩は反対になってしまいましたね。この所続いている不順な天候が影響しているのかしらん。あと気がかりなのは雨で、せっかく咲いても雨で散ってしまったのでは何にもなりません。そろそろ天気予報から傘マークが消えてくれないかな。

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2018.09.16

西郷どん 第三十五回 「戦の鬼」

大政奉還に踏み切った慶喜。
その真意は、政が出来ない朝廷は必ず徳川に泣きついてくる、
その時徳川が政の中心に収まれば良いという所にありました。

鍵屋。
慶喜の真意を巡って対立する龍馬と西郷。
ついに袂を分かった両者。

薩摩。
討幕の兵を久光に要請する西郷。
もう討つべき幕府は無いと久光。
密勅を示した西郷。
失敗は許されんと同意した久光。

西郷家。
寅太郎をあやす西郷。
束の間の団らん。

京、近江屋。
刺客に襲われた龍馬と中岡。

薩摩屋敷。
西郷が龍馬を殺したと押しかけたお龍。
それは違う、おいは守れんかったと西郷。
何が新しい時代や、こんな事になるなら来んでええとお龍。
そのまま、ええじゃないかの波に消えていったお龍。

その夜。配下の者に江戸で騒動を起こせ、
薩摩の仕業と判らせ連中を怒らせれば良いと命じた西郷。

岩倉の屋敷。
岩倉にクーデターを持ちかけた西郷と一蔵。

慶応3年12月9日、クーデター決行。

発せられた王政復古の大号令。
次いで小御所会議。
慶喜を擁護する容堂。
鋭く対立する岩倉。
容堂に加勢する春嶽。
劣勢となった岩倉たち。

御所の門前に立つ西郷。

二条城。
西郷を討つなら今と容保。
西郷を討てば朝敵となる、俺は朝敵にだけはならぬと慶喜。

御所。
慶喜公をここへ呼べと容堂候が粘っていると一蔵。
そげな事、短刀一本あれば事たりると西郷。
それを聞いていた容堂。

逆転した形勢。
慶喜に下された辞官納地の命令。

二条城。
西郷の影に怯える慶喜。

二条城から退去した慶喜。
大坂に兵を向かわせようと西郷。
すぐに慶喜を討つ理由が無いと一蔵。
既に手は打ってあると西郷。

大坂城。
江戸城で火の手が上がった、糸を引いているのは薩摩と板倉。
すぐに兵を出しましょうと幕臣たち。
ならぬ、今兵を動かしては薩摩に大義名分を与えてしまうと慶喜。

江戸。
薩摩藩邸を襲った庄内藩。

翌年、1月2日。
江戸藩邸が撃たれた事を兵に告げ、
大坂から幕府軍が攻め上ってくると一蔵。
我らは正義の軍、慶喜は勅命に従わぬ逆賊、
此度の戦は大将の首を取って勝利とすると西郷。

大阪城。
京に向けて兵を向ける旧幕府軍。

風邪を引き、熱が引かない慶喜。
どこまで追いかけてくるのだと西郷を恐れ続ける慶喜。

京。
西郷にどうして変わってしまったのかと問い質す信吾。
慶喜は日本を異国に売り渡そうとしている、
どうしても許せないと西郷。
戦をして一番苦しむのは民、そう言ったのは兄さあだと信吾。
もう迷っておられぬと西郷。
江戸の薩摩屋敷を襲わせたのも兄さあのした事かと信吾。
そのとおりだ、ほどほどではいかん、
あの男を地の果てまで追い詰めると西郷。
戦の鬼だと信吾。
ああそうじゃ、おはんも死力を尽くして戦えと西郷。

「今回は王政復古の大号令から小御所会議、鳥羽伏見の戦い前夜までが描かれました。西郷が鬼へと変貌する様が迫力をもって描かれていましたね。」

「まず、ドラマでは久光が兵を出すことに同意したのは討幕の密勅が決定打になった様に描かれていましたが、必ずしもそうではないという見方も出てきています。その理由として西郷の上洛は当初見送られていた事、討幕に反対していた家臣を久光が排除しなかった事などが挙げられます。」

「しかし、藩主の上洛は朝廷の要請でもあり、断る事は出来ませんでした。また、当初藩兵を率いる予定であった小松帯刀が病に倒れた事によって西郷が上洛する事となります。さらには、幕府軍が続々と大坂に終結していた事もあって、不慮の事態に備えるために多数の藩兵を率いての上洛となったのでした。」

「龍馬焚殺については薩摩の陰謀説など様々な説がありますが、最も有力とされるのは京都見回組による犯行で、その理由は龍馬が伏見で捕り方を三名射殺していた事に依る公務だったというものです。」

「お龍が西郷に怒鳴り込んだというのは創作ですが、こんな事になるなら新しい世など要らないと言ったお龍の言葉は彼女の本音だった事でしょうね。」

「王政復古の大号令と小御所会議については、春嶽を通じて事前に慶喜も知っていました。その上で何も手を打たなかったのですが、慶喜は武力衝突を避けたかったからではないかと言われます。」

「小御所会議で西郷が短刀一つあれば済むと言ったのは有名な話で、西郷の凄みを表す言葉として知られます。ドラマでは容堂が直に聞いた事になっていましたが、実際には広島藩を通じて土佐藩に伝えられたもので、これ以上は無駄な抵抗と悟った容堂が鳴り止んだのでした。」

「江戸において薩摩が起こした騒動は西郷の陰謀に依るものと言われていますが、実際には西郷では無く江戸藩邸の独自の判断に依るものでした。事件を聞いた西郷が残念千万と言っている事がその傍証で、西郷はそこまでの陰謀家では無かった様ですね。」

「ドラマでは省略されていましたが、小御所会議以後の形成は西郷たちにとって不利なもので、土佐藩を中心として慶喜擁護論が高まり、実際に慶喜を内大臣として京に呼び戻す寸前にまで事は運んでいました。もし、江戸で騒動が起こらなければ、歴史は変わっていたのかも知れません。」

「結果として江戸藩邸が焼き討ちされた事で西郷が助かったのは確かで、事態は彼が望む方向へと進んでいく事になります。次回はその鳥羽伏見の戦いから江戸進軍までが描かれる様ですね。決着まではまだまだ紆余曲折がある訳で、どう描かれるか楽しみです。」

「追伸。慶喜が二条城を退去した時に通った門は西門でした。一般には公開されていませんが、城の外側から二条城の西側に行けば、橋こそ無いけれど門自体は今も見る事が出来ます。東大手門の様な立派なものではなく、ここからひっそりと慶喜が墜ちていったのかと思うと感慨深いものがありますよ。二条城を訪れる事があれば、外回りをして西門を見に行く事をお勧めします。」

 (参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.09.15

中秋の名月イベント案内

Meigetu1809151

京都では、中秋の名月に会わせて趣向を凝らした様々な行事が行われます。今年は9月24日と振替休日に当たるので、お出かけになる方も多いのではないでしょうか。残念ながら大覚寺など台風の影響で中止になったところもありますが、まだまだイベントが行われる所は残っています。ここではそのいくつかを紹介したいと思います。

1.京都府立植物園

大芝生地特設ステージで、大澤誉志幸のコンサートが行われます。他に月の観望会など。入園料200円が必要です。詳細はホームページにてご確認下さい。

2.上賀茂神社

芝生内馬場殿で、賀茂観月祭が行われます。バイオリン演奏、石見神楽などの奉納のほか、18寺からは月見団子無料整理券が先着300名に配布されます。また、コンサート終了後にはにごり酒の接待もあります。詳細はホームページにてご確認下さい。

3.八坂神社

午後7時から舞殿にて、琴の演奏、舞楽の奉納などが行われます。観覧は自由。

4.神泉苑

ここの観月会は9月22日に行われますので要注意。午後6時から神事、午後6時30分から船上茶席(先着150名)、午後7時から音楽奉納など。詳細はホームページにてご確認下さい。

5.下鴨神社

名月管絃祭が午後5時30分から行われます。十二単の平安貴族舞、舞楽、管弦、琴の演奏などのほか、茶席(1000円)が設けられます。詳細はホームヘージにてご確認下さい。

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2018.09.14

京都・洛東 萩の名所案内 ~真如堂~

Sinnyodou1809141

真如堂も境内に沢山の萩が植えられています。その割に名所とされて来なかったのはあまり綺麗に咲かないからで、近くの迎称寺とは対照的でした。でも、最近は長年の手入れの甲斐あってか、かなり見られる様になって来ました。特に門前の萩と茶所前の萩が見事で、この二箇所だけでも見に行く価値があります。それに参道北側にある萩も綺麗になって来ており、この写真がその一つですね。これで本堂回りの萩がもっと咲くようになれば本物なのですけどね、去年はまだ今ひとつでした。今年はどんな具合かな。

ここは萩と共に彼岸花も見られるところで、9月の真如堂は見所が沢山ですよ。

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2018.09.13

京都・洛中 萩の名所案内 ~幸神社~

Sainokaminoyasiro1809131

幸神社(さいのかみのやしろ)は縁結びのパワースポットとして知られています。境内にある石神さんと呼ばれる石を拝めば良縁に恵まれるとマスコミで取り上げられたからで、事に女性に人気らしいですね。最近知ったのですが、この石神さんには浮気封じのご利益もあるそうで、何も独身の人に限ったパワースポットという訳でもない様です。

その本殿前にあるのが萩で、年によって当たり外れがありますが、当たり年にはそれは見事な花を咲かせます。ひと株だけですが、萩とはこんなに綺麗な花だったのかと見直す思いがしますよ。今年も綺麗な花が見られると良いのですけどね、さてどんな具合になっているかしらん。今から見に行くのが楽しみです。

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2018.09.12

京都・洛中 彼岸花名所案内 ~相国寺~

Syoukokuji1809121

京都の社寺には、彼岸花が咲くところが多くあります。相国寺もその一つで、境内のそこかしこで咲いています。以前は鐘楼前の植え込みの中に多かったのですが、最近ではあまり見なくなってきたのが残念です。変わらずに咲いているのが大光明寺前の築地塀沿いで、白い塀とのコントラストが美しいです。この築地塀沿いは咲くのが遅く、9月末頃に見頃になる事が多い様ですね。

ただ、不思議なのは以前はピンクに白のストライプの入った花だったのが最近では普通の彼岸花になっている事で、つまりは植え替えられたという事なのかな。丈夫そうに思える彼岸花も、絶え間ない手入れが不可欠なのかも知れません。


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2018.09.11

京都・洛東 百日紅の名所案内 ~八坂の塔~

Yasakanotou1809111

今年はあまり百日紅の名所巡りが出来ていません。中でも見ておきたかったのが夢見坂の百日紅です。一時、空き家になっていた頃には衰えが目立っていたのですが、新しい店が入ってからは復活を遂げました。やはり人の手が入らないと、花は綺麗に咲かない様ですね。

今年がどうなっているのかは判りませんが、八坂の塔と絡めた景色はここならではのものです。晴れた日の早朝に行くと、青空バックに素敵な写真を撮る事が出来ますよ。いつまでも元気で居て欲しい花の一つです。

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2018.09.10

京都・洛中 彼岸花名所案内 ~平野神社~

Hiranojinja1809101

今年の夏は台風や大雨に何度も襲われたかと思うと、今度は北海道で震度7の地震と災害続きです。各地で被害に会われた方には心からお見舞い申し上げます。

さて、先週末も京都に行けなかったので、今週も過去に撮った写真からの構成になります。

先週襲った台風21号は、京都の社寺にも深い傷跡を残しました。建物の損壊や倒木など、数え上げればきりが無い程です。被害の無かったところの方が少ないんじゃないかしらん。私も風が怖いと思ったのは初めてで、昔の人が風神様を崇めたのもむべなるかなと感じた次第です。

ここ平野神社でも拝殿が倒壊し、無残な姿となりました。マスコミでも大きく取り上げられ、慣れ親しんだ景色が一変してしまったのには心が痛みます。いずれは復興されるのでしょうけれども、暫くは寂しい姿を我慢しなければなりませんね。

それでも季節が巡れば花は咲きます。もうすぐ咲くのは彼岸花。ここ平野神社は彼岸花の名所でもあるのです。多く咲くのは桜苑の中で、木々の根元のそこかしこで咲いています。惜しむらくは雑草も多い事で、草の中に埋もれてしまっている姿には少し興が削がれますね。

見頃はやっぱり彼岸前後かな。他の場所より心持ち早く咲く事も多い様です。台風の傷跡を見るのは辛いけど、それに負けない花を見に行くのも応援の仕方の一つかなと思いますよ。

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2018.09.09

西郷どん 第三十四回 「将軍慶喜」

将軍家茂の死によって撤退を余儀なくされた幕府軍。
これで幕府の権威も地に墜ちたと喜ぶ岩倉たち。
そこに同席していた海舟。

回想。
一人長州に乗り込み、停戦交渉にあたった海舟。

徳川家は継ぐが将軍職は継がないと言う慶喜。

朝廷。
孝明帝自ら慶喜に将軍就任を依頼し、それを受けた慶喜。
その背後にはフランスの力が働いていました。

朝廷の許しを得ず、兵庫開港を決めた慶喜。

慶応2年12月25日、天皇崩御。

惑乱する岩倉。
これこそ幕府と朝廷を引き離す好機と一蔵。

朝廷工作を受け持った岩倉。
雄藩を受け持った西郷と一蔵。

久光の下を訪れた西郷。
有力四藩が集まり、兵庫開港に待ったを掛ける、
そうすれば幕府の権威は地に墜ちる、
その総代として主導権を久光が握って欲しいと西郷。
西郷に土佐、宇和島行きを命じた久光。

土佐藩。
幕府の横暴な行いを戒めて欲しいと言上した西郷。
その話、乗ったと容堂。

越前。
慶永に上洛を促す一蔵。
快諾した慶永。

京に集まった薩摩、土佐、越前、宇和島の諸侯。
その前に現れた慶喜。
まずはフォトグラフを撮ろうと言い出す慶喜。
長州の赦免、兵庫開港のお考えを聞くまでは帰らないと久光。
長州の話は先送り、兵庫の話なら皆から合議を得ていると慶喜。
同意する久光以外の三候。
征夷大将軍である自分に物申すなら、
それなりの覚悟をしてもらうと恫喝する慶喜。
西郷たちの惨敗に終わった四候会議。

大阪城。
各国の公使を接待し、自らが大君だと表明して幕威を回復した慶喜。

軍事援助と引き換えに、領土割譲を要求するフランス公使ロッシュ。
それは薩摩でした。

うなき屋でふきと出会った西郷。
ふきから慶喜とロッシュの間で薩摩という言葉が交わされていたと聞いた西郷。

薩摩屋敷。
フランスが幕府に軍事援助の見返りに薩摩を要求していると伝え、
イギリスはいくらでも薩摩に手を貸すと言うアーネスト・サトウ。
日本の事は日本人で解決すると西郷。

慶喜公が日本を切り売りしようとしている、もう腹を括る他はない、
武力をもって徳川を討つと西郷。
一度決めたら後には引けないと一蔵。
向こうは捨て身、こちらも覚悟を決めて掛からなければと西郷。

まずは長州、兵を上げる様頼んできてくれと西郷。
すぐに行くと一蔵。

岩倉。
討幕の勅命を賜りたいと西郷。
簡単な話ではない、なぜそんなに急ぐのかと岩倉。
急がねば慶喜公がこの国を異国に売ってしまうと西郷。
えらいこっちゃと岩倉。

山口。
長州公に拝謁し、卒兵上洛を要請する一蔵。
待っていたぞと木戸。

長州に続き芸州にも出兵の約束を取り付けた一蔵。

京。
続々と武器弾薬が運び込まれる薩摩屋敷。
まだ西郷が本気で戦う気で居る事を知らない信吾たち。

土佐。
この芝居に乗るなら今しかないと龍馬。
薩摩めと怒り狂う容堂。
戦をせずに幕府から政権を取り上げる妙案があると龍馬。

おかげまいりに狂う民衆たち。

岩倉。
偽の討幕の密勅を示し、幕府を倒せばこれが本物になると岩倉。
逡巡する西郷たちに、禁裏に手回しはしておくと岩倉。

ええじゃないか、と民草も喜んでいると岩倉。

薩摩の動きを知った慶喜。

慶応3年10月13日、二条城に招集された諸藩の重役たち。
大政奉還を表明した慶喜。

鍵屋。
西郷を訪ねてきた龍馬。
大政奉還を決意した慶喜を褒め称える龍馬。
やはりおはんじゃったかと西郷。
これから日本も新しい国になる、
日本中りの雨漏りもなおせるがぜよと龍馬。
龍馬は何も判っていない、これでは何も変わらないと西郷。
えらい言われようだと龍馬。
大政奉還は逃げを打っただけの詭弁に過ぎないと西郷。
それは言い過ぎだと龍馬。
あの頭の良い人には判っている、
政権を返されても朝廷には何も出来ない、
すぐに手元に戻ってくるとと西郷。
もう武をもって徳川を叩き潰さなければ新しい世は来ないと西郷。
わしはそうは思わん、
今徳川と戦をしたら日本全土は火の海ぜよと龍馬。
何と言われようと慶喜を討つ、息の根を止めると西郷。

「今回は四候会議の開催と結末、討幕の密勅と大政奉還、西郷が討幕を断固決意するまでが描かれました。この間およそ一年の複雑な動きを45分にまとめたのですから相当の省略がある訳ですが、要領よくまとめたとも言えます。」

「まず慶喜の将軍就任にあたっては、一蔵が猛反発し、断固阻止しようとしていました。彼は将軍が空位という未曾有の事態を好機と捉え、薩摩藩が主導権を握るべく孤軍奮闘していたのですね。一方、小松帯刀は幕府側と接触を持ち、三条実美ら五卿の帰洛と引き換えに、慶喜の新将軍就任を容認していました。同じ薩摩藩でも対応の仕方は一枚岩ではなかったのですね。」

「この頃の西郷は小松と一蔵の間にあって、取り立てた行動は示していません。西郷にとって小松は上司であり、また一蔵は盟友ではあっても小松の動きを遮る様な事は出来なかったのでしょう。ドラマには出てこなかった小松こそがこの時期の主役だったのですね。」

「慶喜が将軍に就任したのは12月5日の事でした。これはドラマにあったように孝明天皇の強い要請があったからですが、その孝明帝が12月25日に崩御されてしまいます。この崩御についてはあまりに突然の事であったことから、毒殺説が流れました。その犯人として疑われたのは、他ならぬ岩倉だったのですね。それほど岩倉の辣腕ぶりは当時から有名だったという事でしょうか。」

「実際の孝明帝の死因は天然痘だったのですが、暗殺説や怨霊説が出るほど突然で、政局に与えた影響も大きなものでした。慶喜が朝廷を思うように動かせたのは、一重に孝明帝の寵愛にあったからです。」

「四候会議については、ドラマにあった様に西郷が自ら久光に要請した訳ではありません。まずは重臣会議に掛けてもらい、久光の意向を確かめるという手順を踏んでいます。そして、もし久光が応じなければ、自分は手を引くつもりで居たと言います。なんだか西郷らしくない気もしますが、それだけ政治家として成熟したという見方も出来る様ですね。」

「四候会議は、慶喜が久光を除く三候を懐柔した事で瓦解した訳ではありません。兵庫開港問題については、四候に対してあらかじめ書面で意見を言う様にと要請しており、これをもって四候が揃う前に慶喜は朝廷に勅許を願い出ていたのでした。久光はこれに猛反発するのですが、四候会議では何も決める事は出来ず、結局朝議にかけられる事になりました。慶喜にとって朝議をあやつるのはお手のもので、一気に開港へと決めてしまったのですね。」

「長州についてはなるべく寛大な処置を取るというあいまいな形で落ち着きました。四候がこうした慶喜のやり方に良い感情を持つはずもなく、それぞれが大いに不満を抱いたまま四候会議は解散となってしまいます。」

「土佐藩については、一度は薩摩と共に幕府を討つという密約を結んでいます。薩土密約と呼ばれるのがそれで、後藤象二郎が国元から藩兵を引き連れて上洛するという約束でした。しかし、容堂候が武力討幕には反対であり、これは実現していません。」

「代わりに提案したのが大政奉還で、龍馬が後藤に教えたとされています。後藤と龍馬はこの案を西郷たちに示し、了解を取り付けました。ただし、慶喜がこれを受け付けるはずも無いから、それを名目に討幕すべしというものでした。ドラマで龍馬が慶喜を褒めていましたが、実際に龍馬自身も慶喜がそこまで決意するとは思っていなかったのですね。」

「次回は近江屋事件や小御所会議など幕末史に残る重要な出来事が描かれる様です。そして、西郷の放つ有名な台詞も出てくる様ですね。ちょっと展開が早すぎてついて行くのが大変ですが、刺激的な回になりそうで楽しみです。」

 (参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.09.08

京都・洛東 9月の京都 ~萩の名所 迎称寺~

Kosyouji1809081

京都でも、最も開放的な萩の名所と言えるのが迎称寺でしょうか。なにしろ道路に面してずらりと萩が植えられているのですから、行きさえすれば山門を潜る必要も無いという手軽さです。

迎称寺は神楽岡の地、真如堂の北隣にあり、萩の寺として知られる時宗の寺。崩れた土塀が古寺の風情を醸し出している寺としても知られます。周囲は住宅街なのですが、破れた土塀だけを見ていると、どこかの山奥にでも居る様な気がしてきます。

萩の見頃は年によって異なり、また株ごとでも異なるので、一度に見頃になる事はあまりありません。早い株では9月中頃、遅い株では10月に入ってから見頃になるものもあります。概ね9月下旬頃が一番綺麗な事が多いのかな。

気をつけなければならないのは、案外通行する車が多い事ですね。萩に見とれていると、いつの間にか車がすぐ近くまで来ていてはっとさせられる事があります。くれぐれも事故になど遭わない様にご注意下さい。


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2018.09.07

京都・洛中 9月の京都 ~萩の名所 梨木神社~

Nasinokijinja1809071

古くから萩の名所として有名な神社が梨木神社です。三条実万、実美親子を祭神として祀り、両公は学問、文芸の神様として崇められています。参道から境内に掛けて萩が沢山植えられており、毎年9月には萩祭りが開かれる事でも知られます。以前はもっと参道が長く萩も多かったのですが、半ばマンションと化したのは残念でしたけどね。

萩の数は多いのですが、その分見頃は分散する様で、境内一円が花で埋まる様というのは見たことはありません。けれどもどこかしかは咲いているので、空振りというのは少ないですね。今年の萩祭りも様々な趣向が凝らされているので、秋の連休のお楽しみとして出かけられては如何ですか。


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2018.09.06

京都・洛中 9月の京都 ~萩の名所 大聖寺門跡~

Daisyouji1809051

町中にあって、知る人ぞ知る萩の名所が大聖寺門跡です。山門から玄関までの境内の両脇にずらりと萩が植えられており、大株に育った萩の花はそれは見事ですよ。地下鉄今出川駅から歩いて5分という場所にありながら訪れる人は少なく、とても静かな環境で萩を楽しむ事が出来ます。

室町幕府のあった花の御所の跡でもあり、花を見ながら歴史を偲んでみるのも一興です。非公開の寺ですが、境内の散策は自由で、拝観料が要らないというのも魅力ですね。

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2018.09.05

京都・洛東 9月の京都 ~萩の名所 常林寺~

Joreinji1809061

9月の京都で訪れたい花の名所としては、彼岸花と並んで萩があります。中でも有名なのは常林寺、出町にある浄土宗の寺です。

常林寺は京阪の出町柳駅から歩いて5分、バス停も目の前という交通至便な場所にあります。境内はそれほど広くはないのですが、一面に萩が植えられており、最盛期には花で埋もれたような素晴らしい景色と出会う事が出来ます。

難を言えば、境内の広さに比べて訪れる人が多すぎる事かな。最盛期には、人を入れずに写真を撮るのに一苦労する事になります。なので、比較的人の少ない早朝に行くのがベターです。

見頃になるのは比較的早く、9月中頃には見頃に入っている事が多いです。でも最盛期は彼岸花が咲く頃かな。彼岸花と萩のコラボレーションはとても絵になりますよ。

心配なのは雨ですね。一雨降ると、一度に花が落ちてしまいますからね。今年は台風が多いから余計に心配です。澄んだ秋晴れの下で、萩の花をゆっくりと楽しみたいものですね。

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2018.09.04

京都・洛西 9月の京都 ~彼岸花 嵯峨野~

Sagano1809051

京都の彼岸花の名所として大原と並ぶのが嵯峨野歴史的風土特別保存地区です。位置としては広沢池と大沢池の間になり、昔ながらの田園風景の中に咲く彼岸花を見る事が出来ます。彼岸花は地区内の至る所で咲いていますが、どちらかと言えば大沢池に近いほど多いかな。

交通手段としてはやはりバスになります。大覚寺前から大沢池の裏側を通って行けば、10分程で田園風景の中に出る事が出来ます。後は足の向くままに歩いて行けば、そこかしこで彼岸花を見る事が出来ます。秋の野道をのんびりと歩いて回るのも良いものですよ。

あるいはレンタサイクルを借りて行くのも一つの手です。嵐電の嵐山駅にあるらんぷらレンタサイクルなら2時間まで500円で借りる事が出来ます。2時間もあれば、広い特別保存地区でも楽に一周出来ますよ。

ここも年によって見頃の時期が前後しますが、やはり彼岸前後が一番多いかな。稲刈りの遅い年には、黄色く染まった田園風景の中に、赤い彼岸花の列を見る事が出来ます。これぞ日本の秋という様な景色が素敵ですよ。

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2018.09.03

京都・洛北 9月の京都 ~彼岸花 大原の里~

Ohara1809031

先週末は京都に行くことが出来なかったので、今週は過去に撮った写真からの構成となります。

今年もはや9月の声を聞くようになりました。その9月の京都で行きたいところと言えば、まずは彼岸花の名所です。京都には彼岸花の咲く場所がいくつもありますが、その中でも大所と言えばまずは大原の里でしょうか。京都駅からならバスで50分程の距離にあり、同じ市内とは思えない様な山里の風情に溢れています。

彼岸花は大原盆地のそこかしこで咲いており、バスの車窓からも楽しむ事が出来ます。中でもバスターミナルから寂光院までの道沿いに多く、少し道を外れれば群落になって咲いている景色に幾つも出会えますよ。見頃は年によって前後しますが、やはり彼岸の頃が一番多いかな。上手くタイミングが合えば、たわわに実った稲穂とのコラボレーションを見る事も出来ます。

今年の秋は少し足を伸ばして、山里の彼岸花を見に行かれては如何ですか。

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2018.09.02

西郷どん 第三十三回 「糸の誓い」

寺田屋で幕吏の襲撃に遭った龍馬。
薩摩藩伏見藩邸に駆け込んだお龍。
助けに向かった西郷。

薩摩屋敷に匿われた龍馬。甲斐甲斐しく世話をするお龍。
薩摩に龍馬を誘う西郷。

薩摩、西郷家。
お龍に手を引かれて帰ってきた西郷。
それを見て激怒する西郷家の人々。
龍馬の妻と知り、ほっとした一同。

伏見の一件を話す龍馬とお龍。
お龍を羨ましいと思う糸。
奔放に振る舞うお龍。

龍馬にパークスを鹿児島に呼ぶことになった、
その接待に協力してくれと頼む西郷。

大坂城。
長州再征伐の幕命を断固として断る一蔵。

病に倒れた家茂。

10万余の軍勢で長州へと進軍した幕府軍。

薩摩。
龍馬の仲間が届けたパークス接待のための酒。
療養の旅から帰ってきた龍馬とお龍。
男の姿で女人禁制の山に登ったと言うお龍。
それを聞き驚く糸。

幕府が長州に攻め入った事を知った西郷。
長崎に戻るついでに様子を見てくると龍馬。

お龍を置いて、早朝に旅立つ龍馬。
それを見とがめたお糸。
お龍を頼むと龍馬。

龍馬が居ないと飛び出してきたお龍。
危ないからと引き留める糸。
私は龍馬と死ぬまで一緒、自分の命は好きに使うとお龍。
その決意に押されて長州に向かったと糸。
お互い難儀な男に惚れたもんやなと言い、
後を追うお龍。

長州軍優勢の知らせに沸く久光たち。

数日後、鹿児島にやって来たパークス。

龍馬の用意した酒と、鹿児島の珍味でもてなす久光たち。
中でも名物としてナマコを勧めます。
気味悪げに口にするパークスたち。

数日後、突如激怒したパークス。
一人でイギリス船に乗り込んだ西郷。
西郷がイギリスに捕まったと大騒ぎの西郷家。

イギリス船。
パークスと談合する西郷。
天子と将軍、誰が国の代表か、誰と話せば良いのかとパークス。
薩摩が天子様の下にこの国をまとめてみせますと西郷。
出来るのかとパークス。
この西郷がやりますと西郷。
民をないがしろにする幕府のやり方では立ち行かない、
それはあなたの国でも同じではないのかと西郷。
やっと議論の出来る相手が出来た、
西郷、あなたを信じようとパークス。

もう一つ大事なことがある、ナマコはいけないとパークス。

パークスと固い握手を交わした西郷。

無事に西郷家に帰ってきた西郷。
喜ぶ西郷家の人々。

その夜、久しぶりに夫婦の時間を持った西郷と糸。
愛加那はどんな人だったかと糸。
自分の命を救ってくれた人だと西郷。
難儀な男に惚れた、
ずっと惚れていくしかないとお龍さんと誓ったと糸。
糸を抱く西郷。

秋、再び京に上る西郷。
その西郷に子が出来たと報告する糸。
こんな時に家を空けなければならないとはと西郷。
チェスト、きばれと糸。

「今回は龍馬の襲撃と西郷のパークス接待が描かれました。お龍はイメージどおりの奔放な女性でしたね。」

「龍馬の襲撃については、幕府方に龍馬の行動が筒抜けだった事が原因でした。幕府の密偵は龍馬のすぐ身近な人物にまで及んでおり、彼の行動はほぼ把握されていたのですね。ドラマでは省略されていましたが、襲撃された時は長州藩の三吉慎蔵が一緒で、二人で戦って脱出に成功しています。」

「この時、龍馬がピストルで応戦したのは史実どおりで、捕り方を殺してしまった事が後に龍馬をお尋ね者とし、暗殺へと繋がったとも言われます。」

「西郷の反応はドラマよりもっと激越で、自ら拳銃を携え、これから伏見奉行所を襲うと言ったと言われます。しかし、龍馬が無事と知ると一個小隊を伏見に送り、龍馬の警護に当たらせました。後に龍馬を京都藩邸に迎え入れたとき、龍馬と西郷の様子を見た三吉は親子の情を見るようだったと語っています。」

「龍馬の薩摩行きは、日本で最初の新婚旅行として知られています。糸夫人がとんな反応を示したのかは伝わっていませんが、お龍の様な奔放な性格の女性を前にして、さぞかし驚いた事でしょうね。」

「パークスが鹿児島に来たのも史実どおりです。いきさつは省略しますが、西郷の発案では無かった事は確かです。しかし、西郷が鹿児島に帰った要件の一つはパークスの接待役を務める事でした。」

「そのパークスとの談判の最中に、天皇と大君が両立している国など無いとパークスが言い、面目ない事であるがいずれ国主の下に一つの国にまとめるだろうと西郷が答えたのはドラマにあったとおりです。」

「ドラマでは出てきませんでしたが、この頃西郷は大島で煩ったフィラリアが悪化し、体調不良に苦しめられていました。西郷の鹿児島滞在が長引いた原因はそこにあったとも言われます。苦しい中でも西郷は国事に奔走しなければならなかったのですね。」

「西郷が鹿児島に居る間に将軍家茂が死去し、幕府軍が長州勢に敗れていました。慶喜は徳川家は継ぐが将軍職は継ごうとせず、将軍が空位となる事態が生じていました。西郷の上洛はそうした政局に対応するためのものでした。」

「次回はそんな政局に挑む西郷の姿が描かれる様ですね。そして遂に武力討幕へと傾いていく様です。かなりの緊迫感を持った回になりそうですね。」

 (参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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2018.09.01

京都・洛中 阿倍晴明縁の社 ~晴明神社~

Seimeijinja1809011

神泉苑に向かう途中、晴明神社に立ち寄りました。ここに来るのは久しぶりなのですが、相変わらずの賑わいぶりでした。晴明人気は衰え知らずの様ですね。

Seimeijinja1809012

晴明神社は阿倍晴明の屋敷跡に建てられた神社です。屋敷跡と言ってもごく一部で、元は今の境内の十数倍はあったと言いますから驚きですね。

Seimeijinja1809013

これが肖像画を元に建てられた阿倍晴明の銅像です。漫画や映画の様な美男子ではなく、どこにでも居そうな中年男なのが意外ですね。でもこれが現実と言うものなのでしょう。そんな一見普通の人が、超能力を持っていたというのが凄いところなのかな。

Seimeijinja1809015

陰陽師を祀った神社らしく、境内には色々な仕掛けが施されています。この厄除け桃もその一つで、この桃に触れて水を掛けると、身についた厄が祓われるという趣向です。

Seimeijinja1809016

晴明井には二重の意味があって、晴明が念力で湧かせたという井戸で、五芒星が刻まれた注ぎ口はその年の恵方を向いており、飲むと病気平癒の御利益があると言われます。また、この地は千利休の屋敷があった場所でもあり、利休の茶会にはこの井戸の水が使われたとも言われます。まさに歴史的な井戸ですね。

以前と少し変わったかなと思ったのは参拝者に男性も多かった事で、10年程前には女性ばかりだったのとは様変わりをしていました。晴明人気がいよいよ本物になって来た証かも知れませんね。

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