京都・洛中 百日紅2018 ~神泉苑 8.25~
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妙覚寺でも百日紅が咲いています。これまで何度となく訪れているこの寺ですが、百日紅があるのには気が付いていませんでした。この時期はあまり立ち寄る事がなかったせいかな。
百日紅は、だだっ広い境内の丁度真ん中あたりにあります。門前からだと、他の木の陰に隠れて少し見にくいですね。だから今まで気が付かなかったのかな。
訪れた時は、丁度近所の地蔵盆で、お経を上げられているところでした。綺麗に花で飾られたお地蔵様も、ここでは初めて見る景色です。
お経が終わった後は、子供たちとお坊様が蓮の鉢の前で何やら話しをされていました。如何にも地蔵盆らしい光景で、微笑ましい感じがしますね。
後で鉢に近づいてみると、大きな花が咲いていました。この時期になってもまだ咲く花があるのですね。夏の名残を感じた一時でした。
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スポーツの神様として知られる白峰神宮で、今年も百日紅が咲いています。緑一色の境内にあって、この赤い花は貴重な彩りになっています。
百日紅は神門を入るとすぐ左手にあって、存在感を放っています。如何にもこの木らしい樹形も魅力の一つですね。
この神社では常にあの手、この手と参拝者を飽きさせない工夫を凝らしておられますが、今はこんなコーナーも出来ています。実際に好きなボールを持って、サムライブルーの旗の前で記念写真を撮るという趣向ですね。修学旅行生には人気があるんじゃないかな。
ジャカルタで開かれているアジア大会も終盤に入りましたが、サッカーやバレーボールはこれからです。母国の応援がてら、百日紅を見に訪れられては如何ですか。
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化野念仏寺の千灯供養に合わせる様にして行われるのが愛宕古道街道灯しです。1996年に始まった行事で、鳥居本の地蔵盆の一環として行われているそうです。
灯籠を作っているのは京都嵯峨芸術大学の学生と、地元の小学生たちです。手作り感満載ながら、地元ならではの題材ばかりで、嵯峨野の夜を美しく彩っています。
このあたりは京都嵯峨芸術大学製かな。師走の嵐山花灯路にも似たような灯籠が飾られていますよね。未来の芸術家たちが作った灯りです。
こちらはたぶん小学生が作った灯籠なのでしょう。大文字や渡月橋など、地元の子供たちが選んだ絵柄が並びます。
街道灯しは千灯供養の参拝者の足下を照らす意味もあるのでしょうね、この灯りのおかげで念仏寺への行き帰りが明るくなって有り難いです。
道ばたからは虫の声も聞こえ、季節の移り変わりを感じた一時でした。
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フランス公使ロッシュを招き、
軍艦で兵庫に乗り入れてもらいたいと依頼する慶喜。
慶喜の依頼どおりに兵庫沖に現れた連合艦隊。
異国が現れたと大混乱に陥る京。
鍵屋。
明日、将軍が参内する、異国の力を借りて天子様をゆさぶり、
長州征伐の詔を引きだそうという狙いだと一蔵。
なぜあのとき下関に行かなかったのかと後悔する西郷。
朝廷。
孝明帝に拝謁し、長州征伐の勅許を頂けなければ、
幕府は一切政から手を引く覚悟と脅す慶喜。
うろたえる孝明帝。
岩倉。
とうとう長州再征伐の詔が下った、
お前がいつまでも長州と手を組まないからだと西郷を責める岩倉。
長州が攻められる前に打つ手は無いかと西郷。
どう考えても幕府の勝ち、いっそ一橋と手を組もうと岩倉。
得意のはったりだ捨て置けと一蔵。
そのとき、倒れてしまった一蔵。
持病の胃痛だ、おめかけさんのところへ連れて行けと岩倉。
一蔵を家まで連れ帰った西郷。
出迎えたのは繁の家のゆう。
とにかくこんな仲になったと一蔵。
ここは藩の者も知らん、密談にはもってこいだと一蔵。
密談とは、非義の勅命は勅命にあらずという事でした。
それを薩摩藩の意思として天下に広めると一蔵。
そんな事をしたら天子様に弓を引く事になる、
幕府からも狙われ、大久保一蔵は日本中を敵に回すぞと西郷。
自分たちは間違っていない、たとえ一人でもやると一蔵。
恐ろしい男だと西郷。
諸藩、公家の間に広まった二人の名の入った書き付け。
それを見て喜ぶ者、怒る者。
様子見に走った諸藩。
長州。
その文を見ても、薩摩の事など二度と信じないと桂。
薩摩。
長州と手を組むのは断じて承服出来ないと海江田。
もちろんだと大山。
次の一手として、亀山社中を訪れた西郷。
桂に会わせるのはもう無理だと龍馬。
商いの話だ、薩摩名義で武器弾薬を買い、
それを長州に売るという許しを国父様からもらってきたと西郷。
国父を説得してきたとは大したものだと龍馬。
その代わり薩摩から長州に頼みがある、米が欲しい、
その取引の仲立ちを龍馬にして欲しい、儲けもあるはずと西郷。
それを聞き、手を出す龍馬。
あっけに取られる西郷。
シェイクハンドぜよと龍馬。
龍馬と握手し、今度こそは桂殿とシェイクハンドがしたいと西郷。
長州。
桂の下に急ぎ、ゲベール銃とミニエー銃の威力の違いを見せ、
桂を説得しようとする龍馬と中岡。
あの時の屈辱は死んでも忘れない、
長州の次は薩摩、その時になって我らの苦しみを知るが良いと桂。
いい加減にしろと桂に掴みかかる龍馬。
商さえ出来れば良いと思っている男に、侍の意地が判るかと桂。
立ち去ろう手とする伊藤を呼び止め、
イギリスに行っている留学生からの手紙を渡す龍馬。
ミニエー銃を投げ捨て、薩賊の手を借りなければならないのなら、
皆で討ち死にだと叫ぶ長州兵たち。
それを見ている桂。
慶応二年一月早々。
京にやって来た桂と伊藤。
鍵屋。
薩摩側、西郷、一蔵、小松帯刀、桂久武。
長州側、桂と伊藤。
土佐藩、龍馬。
次々と同盟の条件を挙げていく桂。
その中に含まれていた幕府と決戦に及ぶ事という一条。
これでは薩摩が謙りすぎだと一蔵。
さすがにやり過ぎだ、フェアに行こうと龍馬。
長州は朝敵にされた、置かれている立場は違うと桂。
最初から薩摩と手を組む気は無いのではと一蔵。
この話は無かった事にするかと桂。
すべて桂殿の言うとおりだ、明日返事をさせてもらうと西郷。
もう約束は違えない様にと桂。
必ずと西郷。
こんな大それた事を我らだけでは決められないと久武。
国父様に問うても怒られるだけと一蔵。
国父様が決められたのは幕府には従わないという事と帯刀。
ここにははっきり幕府と戦うと書いてある、断るしかないと久武。
これは桂殿が恥も悔しさも捨てて書かれたものに違いない、
それをないがしろにしては恥知らずと罵られる、
ここは腹を括ろうと西郷。
明日は長州から頭を下げるまでは何も言ってはならない、
これだけは譲れないと帯刀。
再び鍵屋を訪れた伊藤。
彼が西郷に差し出したのは、留学生たちからの文でした。
その文と写真を見て、まさかこんな事がと西郷。
これを中山家にお届けをと伊藤。
これを明日話し合いの場に持ってきてくれと西郷。
翌日、お花畑。
意地の張り合いで一言も発しない両藩。
そこに乱入してきた海江田。
なぜ我らを薩賊と呼ぶ朝敵と手を組まなければならないと海江田。
海江田に同調し、口々に叫ぶ薩摩藩士たち。
いい加減にせんかと一喝する西郷。
長州と手を組むのは日本のため、
お前たちが変わらねばこの国の先は無いと西郷。
我らが手を組む日は遠いようだと桂。
そんな事はないと伊藤を促す西郷。
伊藤が取り出したのは一枚の写真。
そこに写っていたのは長州と薩摩の留学生たちでした。
彼らは遠い異国で暮らす内に打ち解け、
この国の行く末について話し合うようになったと伊藤。
この若者たちはとっくに助け合っていると西郷。
薩摩も長州も異国の恐ろしさは良く判っているはず
遠い異国の若者たちを見習って手を組みやと龍馬。
桂に向かって頭を下げた西郷。
西郷に並んで頭を下げる一蔵、帯刀、久武。
これは我らの負けだと桂。
やっぱり侍とは面倒なものだ、
西郷さん今ですき、シェイクハンドと龍馬。
西郷の前に座り、よろしう頼むと手を出した桂。
こちらこそお願いしもすと握り返した西郷。
一蔵に手を出した龍馬。
その手を握った一蔵。
一月二一日。
今日より薩長両藩は日本のために力を尽くすという一条を加え、
締結された薩長同盟。
「今回は薩長同盟が締結されるまでが描かれました。従来は龍馬が発言を渋る西郷を一喝して事が進むという展開が多かったのですが、今回は一枚の写真をきっかけに事態が動くという新しい描かれ方がされました。」
「龍馬の一喝については、最近の研究で否定的な見方が多くなっている様です。それを裏付ける一次資料が無いからで、今度のドラマではどうするのかしらんと思っていたのですが、写真という小道具をもってそれに代えました。史実とは違うでしょうけど、薩長両藩が同時期に留学生を送っていたのは確かで、面白い描き方だと思いました。」
「ただ、この盟約をもって薩摩藩が倒幕に梶を切ったと見るのは早計で、いわゆる決戦条項はあくまで一会桑に対する戦いを挑むというものであり、幕府本体に対してではありません。もっと絞れば薩摩藩対会津藩の戦いであり、当時の京都政界を牛耳っていた勢力を、京都から一掃するというものでした。」
「西郷が主役のドラマですから西郷が主導権を取るのは当然ですが、大久保の凄みもだんだんと描かれる様になってきました。「非義の勅命は勅命にあらず」とは大久保が久光に宛てた報告書の中で書かれた言葉ですが、西郷をはじめ、龍馬を経由して長州藩にも伝えられるなど、当時からかなり知られた言葉だった様です。相当に思い切った言葉であり、まさに恐ろしか男でした。」
「また、本来は西郷以上に重要な働きをしたと言われる小松帯刀が、このドラマでは矮小化されているのが少し可愛そうですね。西郷にしても大久保にしても、小松という後ろ盾があって、初めて彼らの仕事が出来たのでした。」
「サイドストーリーですが、おゆうと一蔵の関係は史実どおりです。お虎も本当は西郷のおめかけさんだったのですけどね、それでは視聴者が許さないのかな。」
「次回は龍馬とお龍の新婚旅行が描かれる様ですね。そういえばお龍さんはまだ出てきてなかったのだっけ。どんなお龍さんが出てくるのか楽しみです。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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平成30年8月24日、化野念仏寺で千灯供養が行われました。京都の夏に終わりを告げる行事の一つです。
化野念仏寺に祀られたおびただしい石仏は、かつてこの地で風葬にされた人たちを弔うためのものでした。いつしかそれが地に埋もれてしまっていたのですが、明治の中頃に念仏寺の境内に集められ、現在の様な姿になったとされます。
千灯供養は、そんな無縁仏を供養するために、寺の信者や地元の人々によって始められたもので、次第に広く知られる様になり、より多くの人々を集める様になりました。
そして今では外国人向けのガイドブックにも取り上げられているのでしょうね、こうした外国の方々の姿も見られます。宗教は違っていても、亡くなった人たちを弔う気持ちには変わりは無いという事かな。
千灯供養は毎年8月23日と24日に行われます。丁度地蔵盆の時期と重なっており、地元の子供たちにとっては行事の一部なのでしょうか、次々にロウソクを供えては拝んでいる姿が印象的でした。
今年は平日で、かつ台風の影響もあってか、例年よりも参拝者の数が少なめでした。その減った分のロウソクを地元の有志や子供たちが埋めていた形でしたね。来年は土曜日に重なるため、もっと多くの人出がある事でしょう。
無縁仏を弔う灯りが美しい景色を現出する、静かな洛西の風物詩です。
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黒谷から真如堂へとやって来ました。ここには二日前に来たばかりですが、この日のお目当ては百日紅の花です。
ところが全然咲いていないのですよ。鎌倉地蔵の横にあった老木はとうとう伐り取られてしまったし、境内に後2本ある木も全く花を付けていませんでした。こういう年もあるのですね。
境内では地蔵盆が行われていました。ここは子供が沢山居て、昔ながらの光景が見られました。ゲームの景品なんかが置かれていたりして、楽しかった子供時代を思い出しましたよ。
槿の花も終わりに近づいています。最盛期に比べれば半分くらいかな。でも、ハイビスカスに似た花は、まだ夏が続いている事を思わせますね。立秋は過ぎたけれど残暑は厳しく、初秋とは名ばかりの様です。
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平成30年8月18日の黒谷です。この日は境内のそこかしこで百日紅が咲いていました。
百日紅は7月頃から咲いていますが花期が長く、花の少なくなる今の時期には貴重な彩りとなってくれています。
この日も気温は30度を超えていましたが、一時の事を考えると随分と涼しくなった様に感じてしまいます。39度なんて異常だったものなあ。まだまだ日向に居ると汗だくになりますが、日陰に入るとすっと汗が引くような気がしました。
さすがにもう蓮は咲いていないだろうなと思っていたのですが、蓮池ではまだ数輪の花が咲いていました。これは極楽橋の直ぐ下で咲いていた花。真上から見る蓮はなんとなく可愛く感じてしまいます。
そして、すっかり有名になったアフロの阿弥陀様。この髪型では今年の夏はさぞかし暑かったんじゃないかしらん。でも、修行を積んだ仏様には関係なかったかな。見ている方が参ったりしてね。
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海舟の名を騙って、西郷に会いに来た龍馬。
行き場を失った自分を買わないかと龍馬。
薩摩、西郷家。
西郷の無事を案じながら待つ糸たち。
龍馬を伴って帰ってきた西郷。
雨漏りする家に驚く龍馬。
家を修繕するより、他人を助ける事を優先するためだと聞き、
西郷が気に入ったと龍馬。
雨漏りの修理を手伝う龍馬。
日本の雨漏りを直したいと西郷。
雨漏りを直すみたいに幕府を潰すと言うのかと龍馬。
船に乗って世界中と商いがしたいと龍馬。
龍馬が大手を振って商いが出来る様な国にする、
力を貸して欲しいと西郷。
薩摩が自分を買ってくれたらと龍馬。
京。
長州再征のため、将軍上洛を諸藩に告げる慶喜。
薩摩。
御前会議。
幕府の命には従わぬが得策と西郷。
薩摩は兵を出さない、幕府を担ぐのはやめにしたと久光。
幕府はいずれ自滅する、その時こそ薩摩が天下に号令を下す、
斉彬公すら出来なかった事を久光公がするのだと説得した一蔵。
久光と茂久に龍馬を拝謁させた西郷。
海軍再建のために龍馬は使えると西郷。
船を貸してもらえたら、異国から武器でも船でも買ってくる、
自分は商人だ、幕府から目を付けられる事もない
自分を買ってくれないかと龍馬。
長州が潰されれば、次に狙われるのは薩摩と一蔵。
答えは見えている、長州と手を結ぶしかないと西郷。
長州は薩摩を憎んでいる、打つ手はないと一蔵。
打つ手はあると龍馬。
長州には知った顔がある、
自分が薩摩と長州の手を結ばせてやると龍馬。
渡りが付いたら、すぐにも長州に行くと西郷。
夜明け前、西郷家を発った龍馬。
ひと月後、京。
有力公家へ宛て、長州征伐の不可を説いた文を書いた岩倉。
それを届ける一蔵。中川宮には気をつけろと岩倉。
中川宮邸。
金子も受け取らず、快諾した中川宮。
薩摩、西郷家。
修繕に忙しい西郷たち。
下関、白石邸。
桂と再会した龍馬。
武器は要らないかと龍馬。
是非欲しいと桂。しかし、手立てが無いと桂。
薩摩から借りた船で商いをする、
自分が外国から買った武器や船を長州が買えば良いと龍馬。
薩摩だけは許せんと桂。
西郷まで憎んではつまらんぜよと龍馬。
薩摩、西郷家。
必ず無事に帰ってきてくれと糸。
そこにやって来た中岡慎太郎。
龍馬からの手紙を手渡す中岡。
文の中身は、下関に来ればすぐに桂に引き合わすと龍馬。
下関に発つ西郷。
そこに入った一蔵からの火急の知らせ。
将軍上洛ですぐにも勅命が下りそう、力を貸してくれと一蔵。
鶴丸城。
大山と海江田に、名代として下関に行って欲しいと頼む西郷。
しぶる大山に、自分が行くと文を預かった海江田。
京、二条城。
諸藩を前に、長州征伐の事は重大事ゆえ、我ら一同再度話し合い、
奏上せよとの詔を伝える慶喜。
廊下。
一蔵に声を掛け、岩倉から中川宮に宛てた手紙を投げ出す慶喜。
中川宮は慶喜と裏で繋がっていたのでした。
岩倉とつるんでいる事以外に、
薩摩が長州と手を組もうとしている事まで知っていた慶喜。
鍵屋。
西郷の帰りを待っていた龍馬。
下関に来なかった西郷を責め、
桂がどんな気持ちで待っていたかと龍馬。
文は届いていないのかと西郷。
文が来たとしても、桂の気持ちが変わる思っていたのかと龍馬。
桂は何とと一蔵。
桂は何も言わずに下関を去ったと龍馬。
桂に会いたい、会って心を尽くして謝りたいと西郷。
西郷さん、おまんの信用も義理も人情も、何もかも失ったと龍馬。
鶴丸城。
下関に行かなかった海江田を責める大山。
間違っているのは西郷だと海江田。
長州。
事の首尾を桂に問う藩士たち。
黙って歩く桂。
鍵屋を去る龍馬。
なぜ桂の気持ちに応えなかった、おいは天に甘えちょったと西郷。
もう一度桂と会うんじゃろ、
どんな事があってもやり遂げるのが吉之助さあだと一蔵。
おかげで自分まで付き合わされてしまった、
天が味方しないときはおいが味方してやると一蔵。
チェスト、きばれと一蔵。
「今回はいわゆる西郷の下関すっぽかし事件が描かれました。薩長同盟を一度は危うくさせたこの事件は、西郷の思いを巡って様々な説が唱えられています。」
「その前に、龍馬が薩摩に行ったのは、海舟が行き先を失った海軍伝習所の浪人たちの世話を、西郷に頼んでおいたからでした。薩摩にとっても船乗りたちが欲しかった時期であり、両者の利害が一致したのでした。決して、龍馬が自ら売り込んだ訳ではありません。」
「ドラマでは薩長同盟に熱心な西郷ですが、実際にはそこまで熱意を持っていた訳では無かった様です。最も熱心だったのは龍馬や中岡たち土佐浪士たちで、中でも中岡がその中心でした。西郷は彼らの説得により、やや消極的ながらも長州と手を組む事に同意したと言われます。」
「ドラマでは海江田に文を託した西郷でしたが、実際には佐賀関で京からの急報に接し、中岡の懸命な説得にも関わらず京に向かったのでした。一説には西郷にとっては長州と手を組む事よりも、長州征伐を止める事の方が急務だったのではないかと言われます。しかし、これには諸説があり、例えばいまだ西郷にはまだ長州と手を組む事に迷いがあったのではないかと言う説もあります。」
「桂としては、龍馬の説得により、恨みを飲んで西郷と会う事にしたのでした。しかし、それをすっぽかされた桂のむくれようは一通りではなく、再度西郷と会わせるための龍馬たちの苦労は並大抵では無かったと言います。」
「ドラマでは薩摩と長州が手を結ぼうとしている事が慶喜にまで漏れていましたが、実際にも幕府はその動きを掴んでいました。それほど幕府の諜報能力は優れており、龍馬の存在も活動もまた幕府方に知られていたのでした。」
「ドラマの西郷は、天に甘えていたと言っていましたが、天を敬う西郷としては痛恨事だったのでしょう。次回はいよいよ薩長同盟が結ばれる様です。その時、西郷や龍馬がどう動くのか、楽しみに待ちたいと思います。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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大文字の送り火と同じ日に、真如堂では精霊送り灯ろう供養会が行われます。祖先や亡くなった近親者の名を書いた灯籠を奉納し、それを大の字に並べてお精霊さんを冥府に送るという趣旨です。
同時に本堂では読経があり、つつげて奉納者の名が読み上げられて供養が行われます。ただ、毎年行われていたご本尊様前での参拝はなく、ひたすら供養が行われるだけでした。ここ二年行ってなかったのですが、その間に参拝の仕方が変わってしまったのかな。
ちょっと肩すかしを食らった感じでしたが、静かな境内に読経だけが響く風情は厳かで、いつもに変わらず良いものでした。この日は直前まで雨が降っていて準備も大変だったと思いますが、無事に開催されて何よりでした。
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今年も大文字送り火の季節がやって来ました。お盆に家に帰ってきたお精霊さんを、冥府に送り返すという伝統行事です。
今は五山の送り火と称されていますが、以前は10の送り火がありました。今年、その内の一つ「い」の字の痕跡が見つかったという報道は記憶に新しいところですね。
今よりずっと暗い夜空に輝く10の送り火は、それは豪華なものだった事でしょうね。今更復活は無理な話でしょうけど、一度は見たかった気がします。
火が燃えているのはおよそ30分程。その30分のために、保存会の方は一年を掛けて準備をされます。無論基本はボランティアで、伝統を守るという熱意以外にないのでしょう。このままずっと耐えること無く、五山の送り火が続いて行く事を願うばかりです。
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京の七夕、北野紙屋川エリアから堀川エリアへとやって来ました。もっとも、堀川会場は10日で終了しているので、入れるのは二条城だけとなります。
二条城でも様々な催しが行われますが、メインは二の丸御殿唐門や東大手門、そして二の丸庭園のライトアップとなります。小堀遠州が手がけたという名園は、昼間見ると迫力のある大名庭園ですが、夜に見ると繊細な日本庭園に見えるのが不思議です。
たぶん見える範囲が限られているからでしょうか。歩くことによって見える景色が、昼間以上に違って来るのも興味深いですね。
もう一つの注目イベントが二の丸御殿大広間をスクリーンとしたプロジェクションマッピングです。主題は妖怪の七夕。会期は今日までだったのですが、見逃した人のために動画を撮ってきましたので、どうぞご覧ください。
ざっと2分30秒ほどの作品ですが、とても凝った完成度の高い作品だと思います。間断なく放映されていたので、混み合う事も無くじっくりと見る事が出来ましたよ。
京の七夕もほとんどのイベントが終わりましたが、まだ下鴨神社糺の森の光の祭が残っています。糺の森の参道と境内がライトアップされ、球体が立ち並ぶという趣旨だそうです。9月2日まであるので、一度は行っておきたいと思っています。
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北野天満宮のもう一つのイベントが、御土居のライトアップです。御土居とは豊臣秀吉が築いたもので、堤防と城壁の両方の機能を兼ねた施設です。京都をぐるりと取り囲み、一説には京都を城下町化しようとしたのだとか。この御土居によって洛中と洛外の区別が出来上がったのですが、その後町の発展と共に邪魔者扱いにされ、ほとんどが取り壊されてしまいました。しかし、今でもその名残が何カ所が残っており、北野天満宮の西側の紙屋川沿いにもその一つがあって、史跡に指定されています。
御土居沿いには沢山のもみじや梅が植えられており、梅や新緑の季節、それに紅葉時分には特別公開が行われています。京の七夕でも夜間にライトアップが行われ、自由に出入り出来る様になっています。他の季節と違って無料というのが嬉しいですね。
この日はどういう訳か御土居を歩く人が少なく、ちょっと怖いくらいの雰囲気でした。人が多すぎるというのも風情がないですが、少なすぎるというのも考え物ですね。
そんな中で、やはり絵になるのは鶯橋ですね。季節になると、この橋の付近で鶯が鳴く事から名付けられたそうですが、朱塗りの橋はライトアップされると一層景色に映えて見えます。この日は鶯ならぬフクロウの鳴く声が、遠くから絶え間なく聞こえていました。
御土居を歩いているうちににわか雨に遭ってしまい、あわてて雨宿りに走るというハプニングがありましたが、ライトアップされた境内は普段とは違った雰囲気に包まれており、夏の宵を楽しませてもらいました。北野紙屋川エリアの会期は8月16日までとなっていますので、まだ行かれていない方も間に合いますよ。閉門は21時です。
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今年の京の七夕、2カ所目は北野、紙屋川エリアを訪れてきました。メインとなる会場は北野天満宮です。
その北野天満宮で行われているのが、御手洗川足つけ燈明神事です。元々、神社の境内には御手洗川が流れており、夏になると御手洗神祭として梶の葉に香水をかけて清める神事などが行われていました。しかしその後、川の水が涸れてしまい、神事も中断していたのですが、2016年に御手洗川が復元され、御手洗川足つけ燈明神事として復活したのでした。
参拝者は五色のロウソクの中から好きな色を選び、火を灯しながら御手洗川の中を歩いて渡って、穢れを川に流すという趣旨です。ロウソクは色によって祈願する内容が異なり、例えば黄色なら金運上昇という訳ですね。水はひやりとするほど冷たく、暑い夏の日にはぴったり来る神事です。
ロウソクは本殿前に設けられた奉納場所にまで持って行って献灯するするのですが、歩く距離が長く火を消さない様にするのは至難の業です。また上手く消さずにたどり着けたとしても、ロウソクは半ば以上まで燃えて短くなっており、今度は灯明台に刺すのに苦労するという事になってしまいます。このあたり改善の余地があると思うのですが、3年間変わっていないですね。それに、3年の間に川底に藻が生えて、滑りやすくなっているのも気になる点でした。
10日から12日の間は、本殿と拝殿を結ぶ石の間を通り抜ける事が出来るのですが、前回来た時に拝観しているので今回はパス。でも、荘厳な雰囲気は素晴らしいので、まだ体験した事が無い人にはお勧めです。
色々改善してほしいところはあるけれど、下鴨神社の御手洗祭の様に混み合う事は無いので、ゆったりと夏の宵の風情を楽しむ事が出来ますよ。ちなみに奉納料は300円、石の間の通り抜けは1000円(水みくじ付き)です。
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一橋派を朝廷と切り離すべく活動を始めた西郷。
しかし、肝心の孝明帝が慶喜を信頼しきっており、全く上手くいきません。
その最中、ヤモリとあだ名された岩倉具視の名を聞いた西郷。
岩倉村。
岩倉に金を届ける一蔵。
その金をひったくるようにして受け取り、
このままでは終わらないとつぶやく岩倉。
薩摩藩邸。
民草は天子様の子であり、身分の差は無い、
そう記した岩倉の手紙を読み、会わせて欲しいと一蔵に頼む西郷。
あれはただの物乞いだと一蔵。
岩倉はかつて和宮降嫁を実現させた凄腕でした。
しかし、その後政争に敗れ、都を追い出されたのでした。
岩倉隠棲地。
岩倉を訪ねてきた西郷と一蔵。
一歩足を踏み入れたとたんにくせ者避けの罠にかかってしまいます。
高笑いする岩倉。
岩倉に飯を振る舞われる西郷と一蔵。
毒が入れてあると言われ、思わず吹き出す西郷。
西郷の素性を詳しく知っていた岩倉。
侍の世は終わると岩倉。
斉彬も同じ事を言っていたと西郷。
幕府は要らないと思っているのかと西郷。
そんな話で来たのかと岩倉。
金を差し出す西郷。
それを受け取り、力になってやろうと岩倉。
夕方。
賭場を始めた岩倉。
岩倉に誘われ、賭けを始めた西郷。しかし、連戦連敗です。
賭場の客で連勝続きの男。
それは桂小五郎でした。
賭場の帰りに桂に追いついた西郷と一蔵。
長州と手を組みたいと思っていると西郷。
薩摩に恨みこそあれ、話す事などないと桂。
刀を抜き、一触即発の桂と一蔵。
間に入ってその場を納めた岩倉。
幕府に勝つための方法を教えてやる、その前に金をと岩倉。
自分は帰ると一蔵。
西郷には博打の負け分を返せと、御庭番を命ずる岩倉。
慶喜邸。
慶喜を江戸に戻すための使者。
その命令文を破いた慶喜。
自分が京に居るのは天子様のお望みだと慶喜。
ふきにサボンを贈ってやる慶喜。
どこか不満げなふき。
一人、岩倉の下で雑用をこなす西郷。
汚い納戸。そこに隠されていた立派な着物。
箱に隠されていた有力者たちへの手紙。
そこには倒幕もやむなし、
そのためには長州と薩摩の手を握らせる必要があると書かれていました。
すべては夢物語だと岩倉。
すべては天子様の御心次第と西郷。
自分は蟄居、息子たちも閑職の身、岩倉家は天子様に嫌われたのだと岩倉。
岩倉の考えはこの国に要りようだ、必ず天子様からの呼び出しがあると西郷。
自分は日の目を水に死ぬ運命、帰れと西郷を追い返した岩倉。
岩倉の夥しい手紙を前に考え込む西郷。
あの男は駄目だ、もう諦めろと一蔵。
あの着物は、いつ呼美戻されても良い様に手入れがしてあると西郷。
岩倉家。
西郷の負け分の金を持って岩倉を訪ね、もうこれっきりだと一蔵。
そこに大勢の二才たちを釣れて現れた西郷。
彼らは岩倉の手紙を読んで感激してやって来たのでした。
話を聞かせてくれと願う一同。
そこに書いてある事はみんな嘘、自分は天子様から忘れられた身だと岩倉。
そこに現れた岩倉の息子、周丸。彼は天子の勘気を解かれ、
天子様の近くに戻れたと告げます。
そして、天子様の言葉として、岩倉の事は決して忘れていないと伝えました。
感激のあまり叫びながら、
今ずく天子様にお会いしたいと御所に向かって拝跪する岩倉。
そしてすぐに立ち直り、麻呂の有り難い話を聞かせてやる、
その前に木戸銭だと岩倉。
このままでは終わらないと岩倉。
「今回は岩倉具視との出会いが描かれました。実際の出会い方がどうだったかは判りませんが、ドラマ仕立てとしては面白かったと思います。特に笑福亭鶴瓶の怪人ぶりが見事にはまっていますね。」
「岩倉具視の隠棲地には先日訪れてきましたが、岩倉実相院近くにありました。今は周辺は開けていますが、当時は周辺に何も無い片田舎だった事でしょう。また、現在はすっかり手を入れられて綺麗になっていますが、たぶんひどいあばら屋だったものと思われます。」
「岩倉は元々は幕府寄りの公家で、公武合体の象徴としての和宮降嫁に力を尽くした事で知られます。公家の中では辣腕家とされていましたが、尊王攘夷派が台頭して来ると政争に敗れて失脚し、都から追放されてしまいます。」
「蟄居後は、尊攘派からの襲撃に怯えながらも、かつての辣腕ぶりを知る薩摩藩などが接触を図り、その影響から幕府寄りから反幕的な立場へと変貌を遂げます。」
「ドラマでは屋敷で賭場を開帳していましたが、実際にもそうだったようですね。というより、下級公家の間では当たり前の事だったとか。岩倉と言えば喧嘩上手で知られますが、そうした賭場に出入りする様な階層との付き合いが岩倉をして公家らしくない人物像を形作ったのかも知れません。」
「慶喜が孝明帝の信認を厚く受けていたのは有名な話で、幕府の生命線でもありました。この二人の仲を裂くことなど容易な事ではないのは誰の目にも明らかでした。逆に言えば、反幕派にとっては、他ならぬ天皇その人が大きな壁となっていたのです。」
「桂と西郷、大久保のやりとりはす完全な創作です。お互い名は知っていたでしょうけど、実際に会った事はあるのかしらん。その辺は謎ですね。」
「次回はいよいよ龍馬が出てくる様ですね。主役ではないけれど、やはり龍馬が出てくるとなるとわくわくするなあ。ちゃんと活躍の場を与えてあげて欲しいものだと願うばかりです。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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東寺から市バスに乗って、智積院まで来ました。ここでのお目当ても蓮の花です。
7月に訪れた時に、既につぼみが上がっていたので少し遅いかなと思っていたのですが、丁度見頃だったのは嬉しかったです。
それに早朝の花はやはり美しいですね。早起きは三文の得といったところなのかな。
智積院の蓮は、もうつぼみはあまり残っていなかったので、今年は終わりかもしれませんね。ぎりぎり間に合ったというところだったのでしょう。
この日も朝の勤行があるのでしょう、沢山の僧侶の方と出会いましたが、例外なくおはようございますと挨拶をして頂きました。この寺ではいつもの事なのですが、やはり気持ちの良いものですね。綺麗な庭園と共に、ますます智積院が好きになりそうです。
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蓮を見たさにうんと早起きをし、始発に乗って東寺へとやって来ました。その甲斐あって、綺麗な花を見る事が出来ましたよ。
蓮の花は4日で散ると言います。初日は朝早くに咲いてすぐに閉じてしまい、二日目は昼前まで咲き続けます。三日は閉じること無く一日中咲き続け、四日目には散ってしまいます。綺麗な花を見るには、早朝が一番良いという訳ですね。
それに、蓮には香りがあるとは聞いていましたが、この日初めてそれらしい香りを感じる事が出来ました。香りを出すのは二日目の花との事ですから、上手く岸辺で咲いていたのでしょう。
それにしても、今年の夏は暑いですね。こんなに早朝に来たにも関わらず、写真を撮っているだけで汗だくになってしまいました。でも、それたけの値打ちはあったのですけどね。
来るときは東門から入ったので気がつかなかったのですが、帰りに正門側に歩いて行くと沢山の店が出ていました。弘法市の日では無いのになと思ったのですが、調べてみると毎月第一日曜日には手作り市が開かれるのですね。早朝にも関わらず、大勢の人で賑わっていたのには驚かされました。弘法さんだけではない、とことん庶民的な東寺の顔を見せてもらった気がします。
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京の七夕に行く前に、黄昏時を迎えた祇園白川を散策して来ました。この界隈は相変わらずの人気で、特に何の花が咲いているという訳でもないのに人出は多いですね。
でも、この界隈特有の情緒が、それだけ人を惹きつけるのでしょう。特に外国人が多いのは他の場所と同じ傾向ですけどね。
こうした丹色の柵やそこに書かれている漢字も、欧米人には気になる存在の様です。稲荷大社の千本鳥居と同じ事なのかな。
そろそろ日も暮れて、あたりもだんだんと暗くなって来ました。もう京の七夕へと行く頃合いですね。
鴨川に向かう途中に、路地を撮っていたら偶然歩いてきたカップルです。もう祇園に欧米人が居ても、何の違和感もなくなりました。むしろ普通になってしまいましたね。これが国際化というものなのかな。そろそろ、こちらの意識を変える時が来ているのかも知れませんね。
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南座に隣接して建つのがにしんそばの総本家、松葉です。創業は文久元年と言いますからまさに幕末動乱の時期、新選組よりも2年古いという事になります。もしかしたら、新選組隊士もそばを食べに立ち寄ったかも知れませんね。
松葉がにしんそばを発案したのは明治15年の事、思っていたよりは新しいですね。私はてっきり江戸時代からあるものだと思っていました。にしんは蝦夷地で捕れたものを身かきにしんに加工して、北前船で上方へ運んでいました。京都ではおばんざいの一つとして好まれていたのですが、それをそばに乗せて食べようと考えたのは二代目だそうです。何でもない事の様ですが、誰も思いつかなかった事を始めたのが偉いですね。
本店は南座の隣ですが、この日立ち寄ったのは北店の方です。手打ちそばやうどんを主体とした店だそうで、平成20年に一度改装されています。
これはひやしきつねそば。さすがに暑いので暖かいそばは遠慮したのですが、冷たくても味はしっかりしており、とてもおいしかったですよ。税抜きで1100円、少し高いですが、夏に食べるには良いですね。京の七夕に行く前に立ち寄られては如何ですか。
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耐震工事のために暫く姿を隠していた南座でしたが、工事の進捗によって仮設の覆いが取られ、再び姿を現しました。これまでは書き割りで存在を主張していたのですが、やはり不自然でしたからね。でも、我ながら記憶力は曖昧なもので、元からこんな色合いだったかしらんと疑問に思ってしまいました。
そこで少し調べてみたのですが、ほぼ元通りに塗装されていました。綺麗になったぶん違って見えた様ですね。
南座は江戸時代初期に官許された七座のうちの一つとされ、今年で400年を迎えるという歴史を持ち、同一の場所で営業されてきた芝居小屋としては最古のものとなります。今回の改修では耐震補強だけではなく、最新の設備を備えた劇場へと衣替えしたそうで、歌舞伎のみならず、様々なエンターテイメントに対応出来る様になるのだそうです。
新装記念興行は11月1日から始まる吉例顔見世興行となるそうで、毎年行われている顔見世興行よりもひと月ほど早い開始となるのですね。師走の風物詩招き上げも10月中に掲げられるのかしらん。久しぶりに見る招き上げの景色を見るのが今から楽しみです。
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先日お届けした様に、京の七夕が始まっています。先週末はこのうちの鴨川エリアへ行ってきました。
鴨川エリアは、初日と二日目が鴨川納涼との共催になっています。まあ共催と言うより、京の七夕が鴨川納涼に乗っかったというのが正しいのかも知れません。
鴨川納涼は今年で49回目を迎えるという老舗のイベントで、京都にある各県人会がそれぞれのお国自慢を持ち寄り、屋台を作って売り込み合戦を行うという趣向です。各地の名産が一堂に会するという事からか、以前から人気が高かったですね。ただ、人が多すぎてゆっくり出来ないというのが難点かな。
京の七夕が始まった当時は、この鴨川納涼の他にはほとんど呼び物がなく、三日目以降は閑散としていたものでした。それが今では七夕飾りや風鈴灯がある河川敷を散策する人が多くなり、京の七夕がすっかり定着した事を思わせます。
ただ、せっかく根付いた行事なのに、どういう理由かは分かりませんが鴨川と堀川は会期が短くなっており、今週の金曜日までとなっています。週末に静かになった会場をゆっくり散策したかったのだけどな、ちょっと残念ですね。あと、これも理由は分かりませんが、ホームページとパンフレットに掲載されている行事が少し違っています。友禅流しの実演なんかがそうですね。蛍の散策路もどこであるのか判りません。
まあ、イベントとしては細かい齟齬はありますが、平日の仕事帰りに鴨川を歩いて帰るのも、悪くない趣向ですよ。
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1年ぶりに鹿児島に帰った西郷。
数々の活躍により、すっかり人気者になっていました。
茂久と久光に拝謁した西郷。
上機嫌の茂久に対し、未だに西郷にわだかまりのある久光。
形ばかりの久光の言葉に、丁重に礼を言う西郷。
とある河原。
もはや幕府は要らない、潰すしか無いと西郷。
驚く一蔵。
力を貸してくれと西郷。
とてもついて行けないと一蔵。
子供たちと鰻獲りに興ずる西郷。
その様子を橋の上から見ている糸。
何やら大荷物を持たされています。
兄嫁から急かされる糸。
その様子を見ていた一蔵。
西郷の帰りを祝う宴。
顔を見せない一蔵。
一座を切り盛りする吉二郎の嫁の園。
兄も嫁を取ってくれと琴。
嫁取りの話で盛り上がる一同。
翌日、山のように集まった西郷の嫁候補。
そこに現れた雪蓬。
西郷の口利きで赦免になったのでした。
そのまま西郷家に居着く雪蓬。
西郷に嫁取りを迫る琴。
島に妻と子が居ると西郷。
西郷家の跡取りはどうするのかと琴。
西郷家に跡取りをと頼む吉二郎。
鶴丸城。
幕府からの参勤交代の命を受け、激怒する久光。
自分が幕府と掛け合って取りやめさせたはずなのに、
長州征伐に成功したために幕府は思い上がった、
つまりは西郷のせいだと久光。
久光の言いかかりに、泣いて詫びる西郷。
その様子に驚く久光。
一蔵に京に行き、西郷の尻拭いをしてやれと命ずる久光。
廊下。
西郷を掴まえ、国父様の懐に入るつもりかと一蔵。
慶喜は再び長州を征伐するに違いない、
そうなれば薩摩にも出兵命令が下る、
しかし、薩摩は長州の味方に付くと西郷。
気は確かかと一蔵。
国父を動かすためなら媚びも売る、偽りの涙も流す、
力を貸してくれと西郷。
ためらう一蔵。
そこに現れ、今や薩摩を代表する西郷に嫁も嫡子も居ないのは恥だ、
早く嫁を取れという君命を伝える久武。
考え直せと言い捨てて去る一蔵。
大久保家。
嫁取りの話で来ていた琴。
自分も明日京に上る、西郷も近く京へ行く、
嫁を選んでいる暇はないと一蔵。
満寿に糸の事を調べておいてほしいと頼む一蔵。
西郷家。
嫁を取れと西郷を責める琴。
そこに現れた満寿。一緒に来たのは岩山直温と糸。
糸の幼い頃の話がはずむ一同。
離縁されていた糸。
それを聞き、これ以上の嫁は無いと盛り上がる一同。
一人煮え切らない糸。
突然産気づいた園。
得意の足で、産婆を呼んできた糸。
ますます西郷の嫁にと一同。
私は跡継ぎが産めずに離縁された身、
西郷家の嫁には相応しくないと糸。
翌日、岩山家を訪れた西郷。
糸に嫁に来てほしいと西郷。
自分は子が産めないために離縁されたのだと糸。
そんな事は天に任せようと西郷。
私を哀れんでくれているのかと糸。
自分は今日本中がひっくり変える様な事を考えている、
民のための国を作ろうとしていると西郷。
一蔵には判ってもらえなかった、しかし、糸になら判ってもらえる、
一人でも判ってくれる人が居たら心強いと西郷。
すんもはんと糸。
無理をいうたなと立ち去る西郷。
西郷家。
糸に断られたと一同に詫びる西郷。
何と言ったと雪蓬。
惚れる暇はないと言ったと西郷。
非難を轟々と浴びる西郷。
岩山家。
糸に西郷は今日旅立つそうなと直温。
今度はお前が決めたら良いと直温。
西郷家へ走る糸。
京に立ったと聞き、後を追う糸。
橋の上で追いついた糸。
あの家でお帰りを待っています、
西郷吉之助と一緒に新しい国を見たいと糸。
ふつつかものですが、よろしくおねがいしますと糸。
ありがとうと西郷。
そのまま京に向かう西郷。
西郷吉之助、チェストー、気張れと糸。
笑って行く西郷。
「今回は糸との結婚までが描かれました。序盤に散りばめられていた伏線がここで回収されましたね。足が速いというのは得な事なんだな。」
「糸とのなれ染めは無論すべて創作です。当時の嫁取りは家と家の縁組みであり、個人的な感情はほとんど無視されていました。岩山家との縁組みも、西郷家の家格が上がり、岩山家と釣り合う様になった事が大きかったかと思われます。」
「もっとも、それではドラマになりませんから、最初からこの展開は意図されていたのでしょう。可愛そうなのは愛加那ですが、当時の薩摩にあってはいかんともし難く、西郷も苦悩した上での決断でした。また、これもドラマには出てきませんでしたが、この時期西郷は菊次郎に対して手紙を出しています。やはり、奄美大島に残してきた妻子に対する思いは複雑なものがあった様です。」
「それにしても西郷の成長ぶりには芽を見張るものがありますね。久光を地ごろと罵った頃とは一回りも二回りも大きくなっています。まさに革命家としての凄みが付いたというべきでしょうか。」
「幕府が参勤交代を再開しようとした事は事実で、ドラマで久光が言った様に長州征伐に成功した事が大きな要因でした。一蔵がその阻止のために京に派遣されたのも史実どおりです。」
「ドラマでは説明が無かったのですが、西郷が福岡経由で京に上ったのは、五卿(八・一八の政変時に都落ちした七卿の内の五人。一人は死亡し、一人は生野の変に参加し、残りは5人となっていました。)の取り扱いについて協議するためで、福岡藩の五卿に対する待遇の改善、そして幕命による五卿の出府に対処するためでした。ドラマにあったように、この時期の西郷は多忙を極めていたのですね。」
「次回は岩倉具視が出てくる様ですね。笑福亭鶴瓶が演じる岩倉はなかなか面白そうです。どんな怪人ぶりをみせてくれるのか楽しみです。」
(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著
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今の時期、昼間に北野天満宮を訪れるとこんな感じです。ライトアブ時の様な華やかさはありませんが、七夕飾りが季節感を感じさせますね。
そして、境内では大福梅の土用干しが行われてます。これは境内で採れた約2.5トンの梅を塩漬けにし、夏の日差しを利用してカラカラになるまで干すという行事というか作業です。これって、実の採集から史土用干しまで、すべて巫女さんの役目だそうですね。私は馥郁とした梅の香りが好きで、毎年の様に訪れています。
干し上がった梅は再び塩漬けにされ、12月13日の事始めから25日の仕舞天神の頃まで参拝者に授与されます。以前は6粒で700円でしたが、今年はどうなるのかな。これは正月に白湯やお茶に入れて、戻してから頂きます。承服息災に御利益があるそうですよ。
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北野・紙屋川エリアは広く、北野天満宮を中心に、上七軒界隈、今出川通北野門前界隈、北野商店街界隈、大将軍商店街界隈からなります。ここは会期が長く、8月4日から16日まであります。
ここもイベントは色々あるけど、メインとなるのは御手洗川足つけ燈明神事かな。ロウソクに火を付けて御手洗川の中を歩き、途中の池で水占いをして、ロウソクを神前にまで持って行ってお供えするという趣向です。川の水は冷たくて気持ちが良いのですが、歩く距離が長すぎてロウソクの火が最後まで持たないというのが難点でしたね。今年は改善されているのかしらん。
御土居を超えた紙屋川では、もみじのライトアップが行われます。また、8月11日(土)16時からは上七軒夕盆踊りが行われるそうです。私は行った事がありませんが、上七軒の綺麗どころも参加されるようですよ。時間のある方は如何ですか。
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