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2018.07.02

京都・洛北 岩倉具視幽棲旧宅

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三縁寺から西、実相院の近くに岩倉具視幽棲旧宅があります。当時公武合体派だった岩倉が、皇女和宮降嫁を主導した事により尊王攘夷派から命を狙われ、3年の間身を隠したとされる場所です。

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辣腕家として知られた岩倉ですが、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる中では身を潜めて隠れている他は無かったのでしょうね。京を追われた岩倉は、元の所領地であった岩倉村に逃げ込み、大工藤吉の家を購入してそこに潜伏したのでした。写真で言えば、奥の部分がそうで、土間と4部屋の主屋からなる粗末な家でした。

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その後、時を経て幾分かの余裕が出来たのでしょう、応接間として現在の母屋を増築しています。隠れ家としては随分と綺麗なしつらえとなっていますが、これは平成20年に保存修理を施されたためで、モダンな大正ガラスの入った障子戸などはその時にはめられたものです。

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こちらは遺髪碑です。岩倉村の人たちは、明治の元勲の一人である具視がここに居た事を誇りに思っていたのでしょう、具視の死後その遺髪をこの地に収める事にしたのです。

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これは対岳文庫。対岳とは具視の雅号で、岳とは比叡山の事を指します。辛い潜伏時代であったにも係わらず、そこ住んだ時に見た比叡山を雅号にするとは、具視の土性骨を見る思いがします。この対岳文庫は、具視の遺品類を収蔵するために建てられたもので、武田伍一が設計しました。

具視は幕末から明治維新にかけて辣腕を振るいます。西郷隆盛とも関わりが深く、たぶん西郷どんにも出てくるでしょうね。潜伏地としては少し綺麗すぎる気もしますが、一度見ておくとドラマにも深みが出てくるんじゃないかと思いますよ。

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