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2018年7月

2018.07.15

西郷どん 第二十六回 「西郷、京へ」

西郷が京に来ると聞き、興味を持つ岩倉具視、坂本龍馬、勝海舟たち。

鹿児島、西郷家。
借家住まいとなっていた西郷家。

仲間に島人たちの苦悩を話す西郷。
西郷が居ない間に起こった京の政変を伝える大山たち。

五日後、京に向かった西郷。
その途上、糸と再会した西郷。

京。
参与会議を引っかき回す慶喜。

孝明天皇から信任を受けた慶喜。

鍵屋。
尊攘派からの嫌がらせを受けている鍵屋。
そこに現れた西郷。再会を喜ぶお虎。

繁の家。
一橋家の家臣たちとの宴会で畳回しをしてみせる一蔵。
喝采する平岡たち。

くたびれ果てた一蔵を介抱するおゆう。

参与会議での慶喜と久光の確執を西郷に話す一蔵。
慶喜のあまりの態度に、国に帰ると言い出した久光。

薩摩が貶められる一方で西郷の名声は高まっている、
薩摩を救えるのはお前だけだと一蔵。

慶喜の屋敷。
牛男の絵に見入るふき。
牛男に妬いているとはと慶喜。

薩摩屋敷。
西郷と久光の対面。

自分はまだお前を許していない、下がれとキセルを投げつけた久光。
じっと耐えておとなしく引き下がった西郷。

もう一度、慶喜と会ってほしいと久光に頼む一蔵。

慶喜の屋敷。
訪ねてきた西郷を、慶喜は知らぬと追い返す平岡。
周囲にたむろする怪しい人影。

鍵屋。
西郷を訪ねてきたふき。今は慶喜の側室となっていました。
牛男と書いた文を手渡し、慶喜が会いたいと言っているとふき。

とある料亭。
かつてのヒー様として遊び人に扮している慶喜。

屋敷で会わなかったのは、見張られているからだ、
今の俺には誰が味方で誰が敵かも判らぬと慶喜。
薩摩はヒー様の味方、今一度国父様に会ってほしいと西郷。
あの男は自分の事しか考えていない、だから芋なんだと慶喜。

また逃げようとしているのかと西郷。
誰にも俺の気持ちは分からない、もう良い帰れと慶喜。
自分は嬉しい、また慶喜と腹を割って話が出来るのだからと西郷。
気持ちが変わって杯を差し出す慶喜。

なぜ俺が薩摩や宇和島、土佐、徳川の家臣たちと肩を並べなくてはならぬ、
あの井伊掃部頭は凄い男だったんじゃないのかと慶喜。
それは違う、左内はここに居ない、どれぼど日本を憂う人材が散った事か、
幕府が守るべきは民と西郷。
お前は変わらぬなと慶喜。
徳川も薩摩も長州もない、今は一つになる時だと号令を掛けられるのは唯一、
ここに居る将軍後見職慶喜と信じていると西郷。
斉彬に似て来やがった、判った、芋に会ってやろうと慶喜。

薩摩屋敷。
慶喜と何を話しても無駄、会わずに帰ると久光。
それでは西郷の働きが無駄になると一蔵。
大義であった、これでよかろうと久光。
ありがたき幸せと西郷。
良い心掛けだ、新しい役目として軍賦役兼諸藩応接係を申しつけると久光。

慶喜の屋敷前。
慶喜の代わりに撃たれた平岡。

斬られたのは自分だと、震え上がる慶喜。

久光が帰った事を慶喜に詫びる西郷。
不自然な笑みを浮かべ、国父殿に謝りたい、侮辱したのは本震では無い、
薩摩にはこれからも協力してもらわねばならないと慶喜。

平岡が刺された、こういう時こそ心と心で付き合いたい強き者が要る、
それは西郷、お前だ、薩摩は私と共にある、信じているぞと手を取る慶喜。
訝しげに慶喜を見、その目の奥に不気味なものを感じた西郷。

「今回は遠島を解かれた西郷が、一転して政治の中心地である京に舞い戻るまでが描かれました。今までの青臭い西郷は消え、自分を韜晦して久光の信を得るまでに成長した西郷がそこには居ました。」

「ドラマでの西郷は元気そのものでしたが、実際の西郷は長い間の座敷牢の生活が祟り、まともに歩けないほど足腰が弱っていました。そんな有様でありながら、帰国後わずか五日後に京に向かっているのですから、当時の武士というのはつらいものだったのですね。」

「西郷はそのわずかの滞在期間中に、島人たちへの苛政を告発する上申書を藩庁に向かって発しており、適正な価格での砂糖の取引をし、暮らし向きを助けてやるべきだと求めています。このあたりが西郷の真骨頂と言うべきでしょうか。」

「さて、西郷の居ない間に、歴史は大きく動いていました。主として長州藩を巡る動きで、天皇自らが攘夷を行うと神詣でをするという加茂行幸や、実現しなかったものの大和行幸が計画され、慶喜はその対応に振り回されていたのでした。そして、長州藩による外国船への砲撃があり、それらの反動として長州藩を京から追い落とす八月十八日の政変が起こっています。この政変では薩摩藩が中心となっており、会津藩もまたその一翼を担ったのでした。この頃は、一時的にせよ、幕府と薩摩藩は蜜月関係にあったのです。そしてその一方では、長州贔屓であった京においては、薩摩は会津藩と共に薩賊会奸と呼ばれて敵視される様になってしまいます。」

「参与会議とは、主として久光が主導して出来上がった政体で、それまでの幕府だけが政治を行う体制を改め、有力諸藩を京に呼び集めて合議制で政を進めていこうという画期的なものでした。具体的に呼ばれたのは、久光自身のほか、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城、福井の松平春嶽、会津の松平容保、それに一橋慶喜でした。」

「しかし、この会議はあまりにも薩摩藩が主導権を握ろうとした事が祟り、それを警戒した慶喜によって壊される事となってしまいます。具体的には孝明天皇が求める横浜鎖港を巡って、開港維持を主張する久光たちに対して、慶喜一人が鎖港を主張し、ついには朝廷に対して将軍家茂が鎖港する旨を答申したため、久光たちは天皇の信を失ってしまったのでした。」

「ドラマでは慶喜が久光を捕まえて姦物呼ばわりをしていましたが、あれも実話で、おそらくは演技でしょうけれども、中川宮の面前で久光を天下の大愚物、大姦物呼ばわりし、台所を支えてもらっているから言うことを聞くのかと暴言を吐いたと言います。結果として参与会議は解体し、政体は元通り幕府への一任へと戻ってしまったのでした。」

「ドラマで西郷は慶喜の目の奥に不気味なものを感じていましたが、実際の西郷も慶喜に禍心が生じている模様と知人への手紙で書いており、かつて日本の救世主として担ごうとした慶喜その人に対する不信感が芽生えてきた事を示唆しています。」

「西郷が拝命した軍賦役兼諸藩応接係とは、事実上京における軍事の実権を預かった事を意味し、次回の禁門の変での西郷の役割に大きく関係して来ます。京都の町を恐怖のどん底におとしめたこの戦を、どう描くのか楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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2018.07.14

京都・洛北 初夏の庭園 ~京都府立植物園~

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既に2週間以上前になってしまって、花の情報としては時期遅れの感があるのですが、京都府立植物園の初夏の一風景をお届けします。まずはバラ園から。

この写真を撮ったのは六月の末なのですが、春バラがまだ頑張っていました。一部では盛りと言っても良い株もあって、バラの多様性を見せてもらった思いです。

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紫陽花は遅咲きの花が盛りを迎えていました。特にこの赤い紫陽花がきれいでしたね。これだけ鮮やかな花色なところを見ると、西洋紫陽花なのかしらん。

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その紫陽花の前では大賀蓮が咲き始めていました。今頃は盛りを迎えている頃かな。

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そして、夏を先取りしたようなヒマワリです。バラ園の東側には巨大ヒマワリのロシアが大きく育っていました。これもそろそろ花を付ける頃でしょうか。

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沈床花壇では、あれだけ目立っていたアリウムギガンテウムが撤去され、すっきりした夏の装いとなっていました。このあたりの切り替えの早さはさすがは植物園だけの事はあるのかな。一度植物を育てているバックヤードの様子を見せてもらいたいものです。

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2018.07.13

京都・洛西 大映通り商店街

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太秦広隆寺駅から西に延びる道に大映通りがあります。かつてこの付近にあった大映京都撮影所にちなんだ通り名です。

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大映通りは三条通りに並行して通る道で、嵐電の駅で言えば太秦広隆寺駅と帷子ノ辻駅の間を繋いでいます。元はと言えば、毎月5日、15日、26日に夜店が出る夜店通りと呼ばれていたのですが、その後様々な商店が出店するに及び、大映通り商店街が形成されたのでした。

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2013年には、通りのシンボルとして大魔神像が置かれました。大魔神と言っても知っているのは私の世代以上の人でしょうけど、昭和41年に公開されて大ヒットした映画の主人公で、普段は穏やかな顔をした土の魔神が、ひとたび怒り出すと憤怒の表情に変わり、悪人を退治するというストーリーでした。今風に言うとゴーレームの様なものかしらん。

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この通りを歩いてすぐに気がつくのが、道の両端に描かれた白黒の破線と、規則的に敷かれた石積みの横線です。つまりは道そのものが映画フィルムになっているのですね。大映の撮影所は既にありませんが、近くには東映太秦映画村があり、映画好きの人は一緒に訪れてみるのも一興ですよ。商店街としても色々な店があるし、中には映画関係の店もありますからね。

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2018.07.12

京都・洛東 姿を現した御影堂 ~知恩院~

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円山公園から知恩院の北門を一歩入ると、巨大な三門が姿を現します。徳川家が威信を掛けて築いた日本でも最大級と言われる木造の門で、その端正な姿と相まって平成14年に国宝に指定されています。

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その三門を抜けた先にある大きな石段が男坂。下から見上げると壁の様ですが、上から見下ろすと崖を下るようで、結構怖く感じてしまいます。

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男坂を登り切ったところにあるのが御影堂。浄土真宗では同じ字を書いて「ごえいどう」と読みますが、浄土宗では「みえいどう」と読みます。この違いは謎ですね。平成24年から平成の大修理が行われてきましたが、ようやく外回りの修理が終わり、仮屋根が撤去されていました。

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久しぶりに見た御影堂は、やはり巨大なものですね。どうするのかなと興味があった最上部の葺き残しの瓦は、ちゃんと再現されていました。そりゃまあ仮にも国宝の修理ですものね、復元出来るところは復元するとしたものでしょう。すると、忘れ傘も元どおりに置かれているのかな。  

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面白いのが裏から見ると半分瓦が古いままで、再用できるものは再用しているのだそうです。ただし、あまり目立たない裏側に使ったのだとか。

修復はこのあと縁周りや内部の荘厳類の設置を残しており、来年に竣工する予定です。拝観が再開されたら、また見に行かなくてはいけませんね。

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2018.07.11

京都・洛東 梅雨明け前の境内 ~東福寺~

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天得院の桔梗を見た後、東福寺の境内を散策して来ました。もみじの緑もすっかり深くなっていましたが、真夏の日に焼かれていない分、まだまだ新鮮さを残しています。

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東福寺は別名伽藍面と言われます。その巨大な伽藍群の中でも飛び抜けているのが法堂です。なぜこんなに大きな御堂が必要だったかと言えば、中に大仏を納めるはずだったからです。大仏は計画だけで終わったのですが、盧舎那殿と書かれた扁額がその名残を止めています。

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その法堂の東側の水路では、まだ半夏生が咲いていました。何とか法堂全体と絡ませたかったのですが、さすがに大きすぎて入らなかったのは残念です。

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東福寺にも蓮は咲いています。蓮池はまだつぼみが上がった程度だったのですが、本坊周りや通天橋入り口では、鉢植えの蓮が咲いていました。

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蓮もそろそろ本格化する頃かな。名所と言われる場所では、綺麗な花が沢山見られる事でしょうね。

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2018.07.10

京都・洛中 立葵と蓮 ~相国寺~ 

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相国寺を訪れたのは先々週の事。丁度綺麗に立葵が咲き始めていたところでした。

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立葵が一番上まで咲き切ると梅雨が明けると言いますが、この頃はもう間もなく梅雨明けですと言われていました。今年は随分と早いんだなと思っていたのですが、それがあんなに大暴れするとはね。自然とはつくづく恐ろしいものです。

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蓮池の蓮も咲き始めたところでした。この豪華な花を見ると、やはり夏が近いんだなと思わせてくれます。

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この花は閉じかけのところなのかな。蓮は咲き始めから四日で散るとされており、これは一日目の花なのでしょうね。

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一方、こちらは三日目くらいの花でしょうか。蓮は二日目の午前中早くの花が一番綺麗とされますが、なかなかその時間には行くことが出来ないので、勢い三日目の閉じきらない花を見ることになります。二日目の花には良い香りがするとも聞きますが、まだ出会った事が無いですね。今度、思いっきり早起きして試してみようかしらん。

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2018.07.09

京都・洛東 枝垂れ柳の川 ~白川~

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先週末は京都に大雨特別警報が出ていたため、京都巡りは自粛しました。なので、今週は過去に撮った写真からの構成となります。

さて、白川と言えば祇園白川が有名ですが、当然その上流はあります。比叡山の麓に流れを発し、途中で琵琶湖疎水と合流して、平安神宮の橋の下流で再び白川として分流したあと、祇園白川を経て鴨川に合流しています。なので、下流の流れは実質琵琶湖の水と言っても良いのかもしれません。

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そして、三条通から東大路通の間は、両岸にしだれ柳が植えられ、独特の景観を持っています。それに様々な形の石橋が架かり、この地域特有の風情を感じさせます。

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これは比叡山の千日回峰行を終えた行者が、市内に入るときに最初に渡る橋として知られる行者橋です。こうした特別な橋が、日常の通路として使われているのが、この地域の凄いところでしょうか。

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左側は華頂学園、右側は商店街や住宅街といった何気ない界隈なのですが、こうして川だけを見ていると特別な景色を持っていますね。

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特別と言えば、三条白川橋のたもとに、京都市内で最古という道標がありました。延宝6年の建立とありますから今から340年前の事、徳川家綱の治世の頃です。「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」とあり、東海道を歩いて来た旅人に東山界隈を案内していたのですね。三条大橋から市内へと行く前に、祇園へ、清水寺へと向かった旅人も多かったのかな。そんな事を想像させてくれる石碑です。

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2018.07.08

西日本豪雨災害、お見舞い申し上げます

西日本を中心に襲った豪雨は、各地に大きな被害をもたらしました。間もなく梅雨明けと言われていたのが一転しての豪雨で、自然の恐ろしさを改めて思い知らされました。

多くの被害者、被災者の方々には、心よりお見舞い申し上げます。

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2018.07.07

京都・洛中 桔梗2018 ~廬山寺~

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廬山寺の源氏の庭で、桔梗が見頃を迎えています。毎年の事ながら、見事な花の庭ですね。

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捨てておけば奔放に伸び放題になってしまう桔梗に添え木を添え、真っ直ぐに伸びるように手入れされているのが見て取れます。なので、この純和風の庭に桔梗が良く似合っているのですね。

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それにしても、この青い花は美しいですね。この日は晴れて輝いて見えましたが、梅雨の雨に濡れた風情もまた捨てがたいものがあります。

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この庭も大胆と言えば大胆で、せっかくのきれいな苔の州浜の上に、野の花である桔梗を植えるとは思い切った事をしたものです。それがぴったりとはまって、今では桔梗の寺として知られる様になっているのですから、これを考えた庭師は大したものだと思います。

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桔梗は秋の七草の一つに数えられますが、最盛期は梅雨と重なる今の時期です。溢れるような花を見たいのなら、訪れるのは今のうちですよ。

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2018.07.06

京都・洛東 桔梗2018 ~智積院~

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東山で桔梗の寺と言えば智積院もそうですね。ここは寺紋が桔梗という事もあってか、桔梗の花には力を入れられています。

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ここの桔梗を見に来る様になって10年以上が経ちますが、その間に結構盛衰があって、最初は地植えで見事な花列か出来ていました。しかし、何年かすると急速に衰え、一度は植え替えられたものの、すぐに駄目になってしまいます。結局、今はプランター植えになっており、元のような元気な姿に戻っています。こうしみると、桔梗というのも、強いようで結構手間の掛かる花の様ですね。

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今はむしろ紫陽花の寺としての方が有名になって来ているのかもしれませんね。この日も最盛期は過ぎたとは言え、依然として一面に花は残っていました。

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金堂の北側では、むしろ盛りだったかな。紫陽花は本当に息の長い花ですね。

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智積院の桔梗はまだこれからが本番かな。そうこうしているうちに、蓮も咲き出すでしょうね。ただ、今年の蓮はあまり元気がなさそうなのが気掛かりです。今年も綺麗な花が見られると良いのだけどな。

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2018.07.05

京都・洛東 桔梗を愛でる特別公開 ~天得院~

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今年も桔梗の季節となり、東福寺の塔頭天得院で、桔梗を愛でる特別公開が行われています。

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それほど広くは無い庭園ですが、桔梗が沢山植わっている光景は、いつ見ても野の風情に溢れていますね。

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同じ桔梗の庭でも廬山寺は添え木をし、まっすぐに伸びるように手入れをされていますが、天得院の場合は桔梗の伸びるがままに放置されているかの様に見えます。

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でも、よく見るとそれなりに手は入れられてあり、やはり勝手放題に伸びている訳ではなさそうですね。自然の様に見える様に工夫されているというのが正しいのかな。

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今年の公開は7月10日までです。拝観料は500円、他に冷たい善哉が800円、和パフェが1000円で頂けますよ。

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2018.07.04

京都・洛西 弥勒菩薩半跏思惟像の寺 ~広隆寺~

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広隆寺は603年に創建されたという、京都最古の寺です。嵐電にも太秦広隆寺という駅があり、門前に嵐電が通る事でも知られます。私も一日一鉄を真似して撮ってみましたが、難しいものですね。撮り鉄としてはまるで駄目です。

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広隆寺を建てたのは秦河勝。大陸から渡来し、このあたり一帯を支配していた秦氏の出身ですね。太秦という珍しい地名も秦氏に由来します。

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広隆寺は、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜って建てたとされます。その仏像が弥勒菩薩半跏思惟像。彫刻としては国宝第一号で、教科書にも載っていたので知っている人も多いことでしょう。

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細身の美しい仏様で、物思いに耽っている様な姿はいつまで見ていても飽きる事はありません。宝物殿には他にも沢山の優れた仏像が展示されているのですが、弥勒菩薩半跏思惟像は別格ですね。

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ここに来るのは学生時代以来2度目なのですが、まるで覚えていませんでした。そもそもこんなに広かったかしらん。弥勒菩薩半跏思惟像だけが目当てだったから、他は目に入らなかったのかな。でも、変わらぬ美しさを持った仏様に再会出来て、幸せなひとときでした。

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2018.07.03

京都・洛西 沙羅の花2018 ~鹿王院~

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嵐電で嵐山駅の二つ手前に鹿王院駅があります。その名の通り、臨済宗の古刹、鹿王院がある駅です。

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鹿王院は足利義満が自らの長寿を願って建てた寺。現世利益を願って建てた寺というのは、ちょっと珍しいんじゃないかしらん。

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鹿王院は、知る人ぞ知る沙羅の寺。沙羅の木は庭の奥にあるのですが、この日は客殿の廊下に、水盆に落花が入れて置いてありました。

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沙羅の花とはつまりは夏椿の事で、本物の沙羅の花とは違います。しかし、インドの沙羅の木は日本では育たないので、葉が似ている夏椿を沙羅に見立てたと言われます。あるいは、一日で散ってしまうので、諸行無常の風情を持つからだとも。

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まだそれほど痛んでいない花が、地面一面に散らばった様子は、確かに諸行無常を感じさせますね。平家物語の一節もさもあらんという気がしてきます。この季節ならではの景色ですね。

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2018.07.02

京都・洛北 岩倉具視幽棲旧宅

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三縁寺から西、実相院の近くに岩倉具視幽棲旧宅があります。当時公武合体派だった岩倉が、皇女和宮降嫁を主導した事により尊王攘夷派から命を狙われ、3年の間身を隠したとされる場所です。

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辣腕家として知られた岩倉ですが、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる中では身を潜めて隠れている他は無かったのでしょうね。京を追われた岩倉は、元の所領地であった岩倉村に逃げ込み、大工藤吉の家を購入してそこに潜伏したのでした。写真で言えば、奥の部分がそうで、土間と4部屋の主屋からなる粗末な家でした。

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その後、時を経て幾分かの余裕が出来たのでしょう、応接間として現在の母屋を増築しています。隠れ家としては随分と綺麗なしつらえとなっていますが、これは平成20年に保存修理を施されたためで、モダンな大正ガラスの入った障子戸などはその時にはめられたものです。

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こちらは遺髪碑です。岩倉村の人たちは、明治の元勲の一人である具視がここに居た事を誇りに思っていたのでしょう、具視の死後その遺髪をこの地に収める事にしたのです。

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これは対岳文庫。対岳とは具視の雅号で、岳とは比叡山の事を指します。辛い潜伏時代であったにも係わらず、そこ住んだ時に見た比叡山を雅号にするとは、具視の土性骨を見る思いがします。この対岳文庫は、具視の遺品類を収蔵するために建てられたもので、武田伍一が設計しました。

具視は幕末から明治維新にかけて辣腕を振るいます。西郷隆盛とも関わりが深く、たぶん西郷どんにも出てくるでしょうね。潜伏地としては少し綺麗すぎる気もしますが、一度見ておくとドラマにも深みが出てくるんじゃないかと思いますよ。

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2018.07.01

西郷どん 第二十五回 「生かされた命」

瀕死の状態で、牢から救い出された西郷。

これで懲りたろう、友を信じるのはやめよと雪蓬。
自分を生かしたのは天と人だと西郷。

雪蓬はお由羅騒動の時に流されてきた、
その時友が呼び戻どすと約束してくれたが、そのまま十数年が過ぎてしまったと土持。

土持の機転で、家の中の座敷牢に移された西郷。
彼らの恩に報いたいと、子供たちに学問を教える西郷。

生麦村。
久光の行列を乱したイギリス人を殺した奈良原と海江田。

江戸城。
イギリスから30万両の賠償金を要求された幕府。
薩摩は家臣、徳川のために家臣はある、賠償は薩摩にさせよと慶喜。

沖永良部島。
イギリス艦隊が薩摩に向かっているとの知らせを聞いた西郷と雪蓬。

鶴丸城。
断固戦う事を主張する一蔵。
その言葉に乗った久光。

どさくさ紛れに、寺田屋騒動で謹慎になっていた精忠組の面々を赦免させた一蔵。

沖永良部島。
イギリス来襲の危機に、斉彬の教えを守るため島抜けを図った雪蓬。

沖永良部島にイギリスが来るかも知れないと恐れる島民たちに、
偽の大砲を作って並べろと雪蓬。

雪蓬、土持と三人だけで偽砲を作る西郷。
手伝いを願い出る子供たち。

フランス革命の英雄としてナポレオンを語る雪蓬。

次々に手伝い始めた島民たち。

数日後、戦が終わったという知らせに喜ぶ西郷たち。

西郷に届いた償還命令。
雪蓬から餞別として渡されたナポレオン伝。

残された時間で島民たちを指導する西郷。

薩摩から迎えに来た信吾。

その夜、信吾を囲んだ歓迎会。
スイカ売りに化けてイギリス船に乗り込んだと信吾。

薩摩への船出。
革命と書いた旗を振り、見送る雪蓬。

信吾の計らいで薩摩への途中、奄美大島へと立ち寄った西郷。
愛加那と久方ぶりの再会を果たした西郷。

菊池源吾にはなれなかったと西郷。
会えなくても、私の中にあなたは居ると愛加那。

「今回は生麦事件から薩英戦争、そして西郷の帰還が描かれました。」

「まず訂正しなければいけないのが、徳之島での別れが西郷と愛加那の今生の別れと書いてしまったのですが、今回のドラマにあったように薩摩への帰還の途中で大島に立ち寄ったのでした。この時の数日間が今生の別れとなった訳で、お詫びして訂正します。」

「雪蓬については、ドラマではお由羅騒動で流されたとありましたが、これは前回に書いたように久光の書物を勝手に売り飛ばしたという、少々情けない罪で流罪となったのでした。」

「薩英戦争については、沖永良部島に攻めて来るというありませんでした。当然、西郷や雪蓬が対策を施したという事もありませんでした。」

「しかし、傍観者で居るしかなかった西郷のあせりは強く、地団駄を踏む思いであったと言います。その気持ちは土持にも伝わり、土持の発案で薩摩にまで渡る船を作ろうとまでしています。」

「薩英戦争の結果は、鹿児島の町は焼け野原となったのですが、イギリス艦隊の受けた被害も決して小さくなく、これ以後お互いに興味を持ち合い、協力関係へと発展して行く事となります。」

「この戦いの最中、薩摩藩士がスイカ売りに化けて船を乗っ取ろうとしたのは実話で、結果としては怪しまれて失敗に終わったのでした。何だかおとぎ話のような話ではありますね。」

「西郷への帰還命令が出たのは、薩英戦争での活躍により、精忠組の発言権が大きくなった結果でした。それでも久光は容易に帰還に同意せず、ようやく西郷が十分に反省している事が確かめられれば容認するとまで譲歩したのでした。それほど久光にとって西郷の存在は大きかった様です。」

「西郷もこの1年半に及ぶ流罪の中で大きく成長し、権力者に対して地ごろなどと思った事をそのままぶつけるような幼稚な事はする事はせず、真意は深く胸中に止め、韜晦する事を覚えたのでした。これ以後、久光に対して面と向かって刃向かう事はせず、少なくとも表面上は従順に振る舞う様になります。」

「雪蓬が西郷に伝えたナポレオンについては、当時の日本ではナポレオンこそがフランス革命の英雄と誤解されており、ワシントンなどと共に最も尊敬すべき人物と思われていたのでした。そして、西郷は生涯ナポレオンを尊敬して生きて行く事になります。」

「次回(7月15日)はいよいよ西郷が中央政界へと復帰する様ですね。ここからが西郷の本領発揮の場面であり、どんな西郷像が描かれるのか楽しみです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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