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2018年7月

2018.07.31

夏の風物詩 京の七夕が始まります ~二条城~

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堀川エリアは堀川遊歩道と二条城からなります。堀川遊歩道は例年通り、ライトアップされた笹の飾り付けや光の友禅流しが行われます。ただ、ここも詳細は判りませんが、毎年あった光の天の川は今年はないのかしらん。

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二条城は城と庭園のライトアップと、妖怪たちの七夕をテーマとしたプロジェクションマッピングが中心となります。以前のプロジェクションマッピングはこの玄関口で行われていましたが、今年は庭園からの鑑賞となるとの事なので、また違った雰囲気となるのでしょうね。

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二条城の開催期間は8月1日から15日ですが、堀川遊歩道は8月10日までです。同じエリアなのにややこしいですが、両方へ行こうと思っている方はご注意ください。

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2018.07.30

夏の風物詩 京の七夕が始まります ~鴨川会場~

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先週末は台風接近のため、京都行きは諦めました。なので、今週は過去に撮った写真からの構成となります。

京都の8月は色々な行事がありますが、最初にやってくるのが京の七夕、今年で9回目になる比較的新しいイベントです。

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最初は鴨川と堀川の二カ所だけだったのですが、次第に増えて現在は5つのエリアで行われています。今や夏の一大イベントに成長しましたね。

そんな中でこの風鈴灯は鴨川エリアで最初から行われている、いわば京の七夕のシンボルですね。竹かごの中に風鈴を入れ、LEDの明かりで照らすというもので、お香が焚かれていた時期もあったのですが、今年はとうなのかな。

Kamogawa1807013

新しい試みとしては、ほたるの散策路が始められるそうです。詳細は判りませんが、どんな趣向なのか早く見てみたいですね。笹の数もさらに増やすという事なので、さらに華やかになった会場が楽しめそうですよ。

なお、各エリアで開催期間が異なるので、詳しくはホームページでご確認ください。鴨川会場は8月4日から10日までと、例年より短めですね。

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2018.07.29

西郷どん 第二十八回 「勝と龍馬」

禁門の変の後始末に奔走する西郷。

廃墟と化した京の町でふきと出会った西郷。
誰のせいかと問うふきに、幕府、朝廷、長州、薩摩、みんなのせいだと西郷。

これより長州征伐に取り掛かると宣言した慶喜。

慶喜の屋敷を訪れた西郷。

勝海舟と言い争い、海舟を追い返した慶喜。
廊下で西郷と出会った海舟。


四カ国連合艦隊が長州を攻めたと言い、この機に長州を叩き潰すと慶喜。
そこに入ってきて、民が苦しんでいるのが判らないのかとふき。
ここはおなごの来るところでは無いと西郷。

自分にも長州征伐の役目を与えてほしいと西郷。
まず海舟に会って、海軍の出動を説得しろと慶喜。

大坂。
海舟への取り次ぎを拒む宿屋の主人。
薩摩の西郷が来たと言ってほしいと西郷。
その名を聞いて2階から駆け下りてきた坂本龍馬。

西郷が本物か試し、追い返そうとする龍馬。
そこに帰ってきた海舟。

長州とは戦わない、それが返事だと海舟。
異国から民を守る海軍を見放す事は、民を見捨てる事だと西郷。
斉彬が見込んだだけの事はある男だと海舟。

斉彬様が今生きておられたら何と言ったかと西郷。
自分ならこう言う、もう幕府なんざ見限るこったと海舟。

西郷をどう見たと海舟。
釣り鐘みたいに揺れている、
小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響くと龍馬。

海舟を引っ捕らえよと慶喜。
海舟には軍艦がある、万一江戸城に砲口を向けられてはと西郷。
それよりも長州攻めの総大将もまだ決まっていないとかと西郷。
お飾りの総大将など誰でも良い、お前が采配を振るえと慶喜。

2ヶ月後、大坂城。
長州攻めの先陣を巡って紛糾する軍議。

半次郎と川路に長州へ潜入させた西郷。

広島、薩摩陣営。
長州の内情を調べて来た半次郎たち。

総大将慶勝に、長州行きを願い出た西郷。

岩国。
一人で敵陣に乗り込んだ西郷。

吉川監物に、三家老の切腹、藩主の謹慎などの条件を示す西郷。
さらに、捕虜になっていた長州兵を引き渡した小松帯刀。

すべての条件を飲んだ長州藩。
戦をせずに終わった長州征伐。

京。
お前には失望した、幕府への裏切りだと慶喜。
すべて私に任せるとおっしゃった、確かに征伐したと西郷。
ただの裏切りだと慶喜。

国とは生きたいと思う者の集まりだと思う、
生きたいと思う者のために働く事が政ではありませんかと西郷。
これまでの日本を守ってきたのは幕府だ、これからもそうあるべきと慶喜。
日本が火の海になろうとも幕府さえ残れば良いと思っておられると西郷。

腹を切れと慶喜。
小刀を取り出した西郷。
ここで切るのか、良いぞと慶喜。
この刀を覚えているか、かつてあなたを守るために人を殺めた刀だと西郷。
その刀を持って慶喜に迫り、慶喜の前に突き立てた西郷。
これで昔の縁は絶ち切った、もはやここまででございますと西郷。

慶喜に背を向けて去る西郷。
悔しがる慶喜。

「今回は海舟との出会い、そして第一次長州征伐が描かれました。海舟との出会いは大きく、それまで長州攻めに積極的だった西郷が、方針を大きく転換するきっかけとなりました。」

「当初、西郷は長州征伐に積極的で、防長二州を攻め取り、半国を禁裏御用に宛て、残りは参戦した諸藩で分け取りにするというものでした。」

「海舟と西郷が会ったのは元治元年9月11日、大坂での事でした。海舟は長州征伐に意気込む西郷に対し、幕府には政権担当能力はもはや無い事、その上で有力諸侯が長州征伐を行い、さらに幕吏の淘汰を実施し、有力諸侯が会盟して欧米諸国と新たに条約を結び直すのが良いと提言します。さらには、李氏朝鮮や清国と同盟を結び、ヨーロッパ諸国と対峙する必要があるとも語ったと言います。これを聞いた西郷は、海舟は底知れぬ知恵者であると最大限の賛辞を示し、ひどく惚れ申したと大久保に書き送っています。」

「海舟との会見で意見を変えた西郷は参謀として征討軍に加わり、ドラマにあった様に戦をする事なく長州征伐を終わらせる事に成功します。ドラマでは西郷が一人で敵地に乗り込んだ事になっていますが、実際には吉井友実と税所篤の二人を伴っての事でした。さらには西郷は下関に飛び、最も危険とされた奇兵隊など諸隊の長たちと会って、五卿の九州動座に同意させます。西郷ならではの離れ業でしたが、これにより長州征討を終わらせる条件が整ったのでした。この働きによって、西郷の名声は一気に高まる事になります。」

「戦をせずに済ませた西郷でしたが、当然これには慶喜は反対でした。慶喜のみならず、賢候と呼ばれた大名たちも同様で、西郷は長州藩と手を組み、倒幕を企んでいるのではないかという疑惑が生じます。これには西郷が寛大な処置を取った事に加えて、長州藩内で起こった高杉晋作によるクーデターを見過ごしたという事情もありました。西郷の寛大な処置は、長州の穏健派との合意に依ったものだったのですが、その交渉の最中に高杉が政権を覆し、再び反幕的な政権を打ち立てたのですね。西郷はこれを知りながら長州藩内の出来事としてあえて見逃し、征討軍を解散させていたのでした。」

「こうした動きは幕府と薩摩の間に微妙な影を落としていく事になります。しかしながら、とにもかくにも長州を屈服させる事に成功した幕府は、これを機に再び勢いを取り戻そうとします。それに薩摩が敏感に反応して行くことになるのですが、それが描かれるのはまだ先の事の様ですね。次回は西郷の3度目の結婚が描かれます。再び鹿児島に戻った西郷に縁談が殺到する様ですが、どんな騒動になるのか楽しみです。」

「追伸。小栗旬の坂本龍馬は格好良いですね。このドラマの主役は西郷ですが、やはり龍馬が出てくると応援したくなります。でも、あまり出番は少ないのかな。それがちょっと残念ですね。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.07.28

京都・洛中 祇園祭・後祭2018 宵々々山 ~屏風祭~

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祇園祭の宵山では、民家が屏風など自慢の調度品を飾って通行人に見せる、屏風祭が行われます。山鉾を見て歩くのも良いですが、贅を凝らした屏風祭を見て歩くのも楽しいですよ。

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こちらは藤井紋さんの屏風祭。見事な屏風と共に、とてもリアルなミニチュアの山鉾が飾られています。

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大きく元の店先を明けているのは、無名舎の屏風祭。元は白生地問屋を商っていた商家で、毎年センスの良い飾り付けを見せてくれます。

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この無名舎は、家のずっと奥まで見通す事が出来ます。京の町家がまさしく鰻の寝床だと判る景色ですね。

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そして、野田家の屏風祭。鵯越の戦いと屋島の戦いを描いた屏風が飾られています。ここではヒオウギではなく、なぜか百合が飾られていました。

屏風祭を見て歩くのも、人出の少ない後祭の方が良いかな。前祭だけのところも多いけれど、後祭だけでも結構楽しむ事が出来ますよ。

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2018.07.27

京都・洛中 祇園祭・後祭2018 宵々々山 ~浄妙山・橋弁慶山~

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数ある山の中で、アクロバティックなご神体を持つ山が二つあります。それが浄妙山と橋弁慶山です。

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浄妙山は宇治川の合戦に題材を取った山で、一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなんでいます。別名、悪しゅう候山とも言い、巡行時には二つの像が上下に重なる事になります。

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もう一つは、謡曲「橋弁慶」に題材を取った山で、言うまでも無く弁慶と義経が五条大橋で戦う姿を現しています。

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この山がアクロバティックなのは、義経が足駄の前歯一つで欄干に乗っている事で、巡行中絶対に外れないとは、500年前の職人の凄みを感じます。

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宵々々山の会所巡りもここまでてです。まだまだ祭りは続きますが、私はここで引き返す事にしました。後祭りは前祭に比べて人出が少ないですが、祭り情緒を楽しむにはちょうど良い感じですね。明日はもう一つの宵山の楽しみ、屏風祭りをお届けします。

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2018.07.26

京都・洛中 祇園祭・後祭2018 宵々々山 ~黒主山~

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八幡山のある新町理通りから一筋東にあるのが室町通り。ここには三つの山があり、真ん中にあたるのが黒主山です。

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謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテーマにしており、ご神体が上を向いているのはそのためです。

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これが大友黒主が見上げる桜で、本物と見紛う程よく出来た造花ですよ。この花は、家に悪事を入れないお守になるのだとか。

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黒主山のコスチュームは、黒で統一されていて洒落ていますね。洒落と言えば、食べられるちまきを最初に売り出したのもこの山で、左端の発砲スチロールの中に入っています。1400円と少し高めですけどね。

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黒主山の近くにあるのが誉田屋源兵衛登り鯉。2008年に創業270年を記念して始められたイベントで、270匹から始まって毎年一匹ずつ鯉が増えていくという趣向です。今年は280匹居たはずですが、まだまだ余白はあるので、この先もきっと続くのでしょうね。

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2018.07.25

京都・洛中 祇園祭・後祭2018 宵々々山 ~八幡山~

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北観音山から新町通りをさらに上がると八幡山が現れます。古くから町内に祀られる八幡宮をご神体とする山です。

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これがそのご神体。総金箔貼りの豪華な造りですね。中には応神天皇騎馬像が納められているそうです。また、鳥居は2基あり、宵山で使われるのは古い方で、巡行では新しい方が用いられるのだとか。新しいと言っても天保9年の作ですから、歴史の古さが判るというものですね。

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町会所に飾られた懸装品の数々。鉾に比べれば小さな山ですが、 実に様々な部品から成り立っているものですね。一つ一つが豪華なのは、各町内で競い合ってきた事を物語っています。

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こちらは巡行時に鳥居の上に飾られる鳩の彫り物です。古い方が左甚五郎作と伝わるもので、平成23年まで実際に使われていました。新しい方が平成24年に新調されたもので、現在はこちらが使われています。雌雄一対だそうですが、とてもリアルに作られていますよ。

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その鳩にちなんだ授かり物が鳩笛です。大小、雌雄一対、色違いなど様々なバリエーションがありますね。この鳩笛は子供の夜泣きにご利益があるのだそうです。

そのお授け物を売るのは子供たち。ここでも童歌は歌われているのですが、残念ながら撮影している間は聞くことが出来ませんでした。結構忙しそうだったから、仕方がないのかな。売り子と兼ねていると難しいのでしょうね。

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2018.07.24

京都・洛中 祇園祭・後祭2018 宵々々山 ~北観音山~ 

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南観音山と兄弟の様な関係にあるのが北観音山。距離も近いし、どちらも観音様をご神体としています。一説には、南観音山のご神体が北観音山のご神体に恋をされているのだとか、いないとか。暴れ観音なんていうイベントもありますね。

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ただ、宵山における佇まいは随分と違います。まず、北観音山はそもそも拝観が出来ないのですね。そして、他の山鉾の様にちまきなどのグッズを売る事をしていません。祇園祭の中でもここぐらいじゃないのかしらん。

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でも、祇園囃子の演奏は盛んで、ほとんど一晩中演奏しているんじゃないかと思うほどです。

その祇園囃子を暫しお聞きください。宵山情緒を少しでも感じて頂けたのなら幸いです。

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2018.07.23

京都・洛中 祇園祭・後祭2018 宵々々山 ~南観音山~

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祇園祭が前祭と後祭に分かれてから、もう5年になるのですね。最初はとまどいもありましたが、今ではすっかり定着した観があります。

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ただ、予想どおりというか、後祭の人出は少ないですね。実数は判りませんが、体感としては半分にも満たないんじゃないかしらん。

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でも、そのぶんゆっくりと見て回れるというメリットは大きいですね。混雑して困るのは大船鉾くらいかな。

毎年楽しみなのが南観音山の童歌。練習が行き届いているのか、良く揃っていますね。

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そして、こちらが売られているグッズの数々。可愛い歌声のおかげか売れ行きも上々の様でした。我が家も今年の粽は南観音山です。

ただ、残念なのが拝観時間が午後6時までで、昼間に行かないと上がれないのですね。夜の方が人出が多いのになぜんでしょう。あまりに多すぎるのを警戒しているのかな。来年は時間を早めて行ってみる事にしようかと思っているところです。

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2018.07.22

西郷どん 第二十七回 「禁門の変」

西郷の前に現れた一人の物乞い。
京の町が焼かれるというのは本当かと物乞い。
侍の本当の役目は民を守る事と西郷。

鍵屋。
西郷を訪ねてきた物乞い。
彼は長州の桂小五郎と名乗りました。

長州の過激派が動いている、長州を助けるため慶喜に会わせてほしいと桂。
平岡を斬ったのは長州ではないのかと西郷。
違う、しかし、今嫌疑を掛けられているのは長州、土佐、薩摩と桂。
薩摩の人斬り半次郎は凄腕で知られていました。

禁裏御守衛総督を任じられていた慶喜。
長州を恐れる孝明天皇。
長州を撃てと命じてほしいと慶喜。

西郷のお目付役として派遣された小松。
桂を慶喜に会わせ、慶喜がどう出るか見てみたいと西郷。

薩摩藩邸。
あっという間に3人を打ち据えた半次郎。
平岡殺害の下手人として半次郎を疑う小松。
自分で嫌疑を晴らすと半次郎。

慶喜の屋敷。
平岡殺害の下手人が知れ、ここまで裏切られるのかと泣き笑いする慶喜。

西郷からの誘いでヒー様として出かける慶喜。

とある料亭。
ヒー様として遊ぶ慶喜と西郷。
その席に現れた桂。
長州の暴発は自分が止める、天子様に取り次ぎをと願う桂。
簡単に引き受けた慶喜。
幕府と長州、それに薩摩が手を結べば乱れた世も正せる、
共に日本国を守ろうぞと慶喜。

升屋。
過激派の説得を始めた桂。手始めは古高俊太郎。
そこに現れた半次郎。
慶喜の命を狙った犯人を捜す半次郎。
半次郎ではないのかと桂。
邪魔をしたと帰る半次郎。

古高の家を見張る怪しい影。

六月五日、祇園祭の宵々山。
京に火を放ち、その混乱に乗じて天子様を長州に移す、
そう自白した古高。
今こそ好機、長州の巣窟を襲い、一網打尽にせよと慶喜。

池田屋事件。
惨殺された九名の志士たち。

復讐を叫び、二千の兵で京を目指す長州。
迎え撃つ幕府軍は三万。
長州は死に場所を求めているのかと西郷。
ここは腹を決めようと新八。
薩摩の役目はあくまで禁裏守護、出兵は控えると慶喜に伝える西郷。

久しぶりに再会した半次郎と西郷。

慶喜の邸宅。
長州と手を組むという話でしたがと西郷。
桂に乗せられた、やつらは御所を襲う寸前だったと慶喜。
なぜ薩摩は兵を出さないと慶喜。
自分は桂を信じると西郷。

平岡を斬った下手人が見つかった、水戸の者だったと慶喜。
水戸斉昭の子を水戸の者が暗殺しようとしたんだ、
もう誰が味方で敵なのか見当もつかん、
お前しかいないと慶喜。

京を取り囲んだ長州軍。

長州に撤兵を、そしてすべてを慶喜にまかせるという勅命。
これを聞き、出陣を決意した西郷。

この戦は長州と戦う事にあらず、退去させる事にあると西郷。

元治元年七月十九日、京に攻め入った長州軍。
乾門を守る薩摩軍。

檄を飛ばす長州の来島又兵衛。

優勢に戦を進める長州勢。
遂に動いた西郷。

蛤御門で激突した薩摩と長州。
長州が御所に向かって発砲するに及んで本格的な戦闘が始まります。
来島又兵衛一人を狙えと西郷。
その言葉に従って、又兵衛を討ち取った半次郎。
戦はこれまでと叫ぶ西郷。力を落とす長州勢。

そこに突っ込んできた会津勢。
再び始まった戦闘。必死に止めようとして足に被弾した西郷。

長州の賊徒をなで切りにせよと命ずる慶喜。

幕府方が放った火に依って、京に広がった火の手。

「今回は禁門の変が描かれました。懸命に止めようとした桂や西郷の願いもむなしく戦いは始まり、京は火の海と化したのでした。」

「戦いの前に桂が西郷に会ったというのは創作です。そもそも桂は長州の外交官であり、この時期にはまだ変装して逃げ回る必要はありませんでした。京から退去を命じられたのは外交官以外の長州藩士であり、桂はその中には含まれていなかったのです。」

「池田屋事件の嫌疑は強風の日を待って京に火を放ち、その騒動に乗じて天皇を長州に動座願うというものでしたが、実際に計画されていたのは中川の宮邸を襲うという程度のものでした。しかし、それ以前から流布されていた噂が裏付けられたと判断した新選組と会津藩が、これを好機と捉えて過激派の一掃を狙ったのでした。」

「京を囲んだ長州勢は、急いで攻め込むような事はせず、朝廷に対して陳情を繰り返すという戦術に出ます。京を軍勢に囲まれた朝廷は大混乱に陥っており、長州の申し出によって一時は会津に代えて長州に朝廷の守護を任せようという論までが出るに至っています。これに対して慶喜らが、それならば一会桑は一切手を引くと脅して事態を抑えています。」

「しかし、慶喜の腰も定まらず、言を左右する慶喜を見て、一時は慶喜が長州と手を結ぶのではないかという憶測が出るまでに至りました。決して長州勢が一方的に劣勢だった訳ではないのですね。」

「薩摩はというと、当初は長州と会津の私戦という立場を取り、出兵には応じませんでした。あくまで禁裏守護が役目と主張する西郷を見て、長州からも味方として期待を掛けられる事となります。しかし、西郷は朝廷に脅しを掛ける長州を見て、開戦やむなしと立場を変えていきます。」

「戦いは伏見方面で始まり、ここでは幕府軍が優勢で、長州勢は総崩れとなってしまいます。しかし、嵯峨から出た来島又兵衛率いる一隊は、幕府軍の警戒を掻い潜り、蛤御門にまでたどり着きました。そこで会津藩と激闘となり、一時は御所内に突入し、禁裡へと迫る勢いを示します。これを覆したのが西郷でした。」

「彼はドラマにあった様に、来島又兵衛一人に狙いを絞り、狙撃によって又兵衛を倒したのでした。又兵衛を倒したのは誰かは判っておらず、半次郎としたのはドラマの創作です。」

「又兵衛を倒した後、ドラマでは停戦を呼びかけていた西郷でしたが、実際にはさらに追撃を命じており、遅れてきた久坂玄瑞の一隊を攻め、鷹司邸に火を掛け、これを壊滅させました。ドラマでは戦嫌いとして描かれている西郷ですが、実際には戦好きで、決して平和主義者ではありませんでした。この後もドラマでは平和主義者として描かれていくでしょうけれども、それは西郷の実像を表したものではありません。」

「京を火の海にした元凶は無論長州勢にありますが、それ以上に隠れている長州勢をあぶり出すためと称して町屋に火を掛けた幕府軍に依る被害が大きかったと言います。その中には当然薩摩藩も含まれていました。」

「紀行の中でナレーションとして流れていた天竜寺の焼き討ちをしたのは、他ならぬ薩摩藩です。薩摩藩は、長州勢を匿ったという名目で、既に長州勢が居なくなっていたにも関わらず、天竜寺を焼いてしまったのですね。決して薩摩藩は正義の味方ではなかったという事です。それが戦というものの実情なのでしょう。」

「次回はいよいよ龍馬と海舟が出てくる様ですね。どんな龍馬たちを見せてくれるのか、楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.07.21

京都・洛中 祇園祭・前祭2018 宵々々山 ~月鉾・函谷鉾~

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南の鉾町から四条通りへと出ました。宵々々山では、まだ歩行者天国ではありませんから、車がどんどん走ってきて結構危ないです。警官も声を張り上げて歩道を歩くように警告していましたね。

その中で一段と目立つのが月鉾です。数ある山鉾野中でも最大級を誇り、懸装品も一段と豪華な事で知られます。ただ、不思議に思ったのは真木の頂上にあるはずの月が見えなかった事で、帰ってから写真を拡大してみてもありませんでした。これってどういう事なのでしょうね。

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月鉾も以前に上った事があるのでパスしました。もっとも、この時間帯になるとグッズもほとんど売り切れており、月鉾の人気の程が伺い知れます。

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月鉾の斜め向かいにあるのが函谷鉾です。ここはまだ上った事が無い鉾の一つで、今年はと狙っていたのですが、肝心の私の体力の方が限界に来てしまっており、通りを渡ってまで行く元気が無かったです。

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この鉾の前掛けは重要文化財に指定されている貴重なもので、巡行時には複製品が取り付けられています。オリジナルは宵山のときにしか見られないので、来年はぜひ行ってみたいですね。

最後はその函谷鉾の祇園囃子で閉める事にします。予定では今日は後祭の宵々々山に行っているはずなので、来週はその様子をお届けしますね。

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2018.07.20

京都・洛中 祇園祭・前祭2018 宵々々山 ~油天神山~

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太子山の北側にあるのが油天神山。古くから風早町に祀られていた菅原道真公を勧請して作られた山で、霰天神山と区別するためでしょう、通り名の油小路から取って油天神山と呼ばれます。

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ここの駒形提灯は、他の山鉾とは色合いが違いますね。もしかしたら、以前の白熱電球を使っているのかしらん。それとも、白熱球色のLEDなのかな。どちらにしても、今となっては独特ですね。

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ここは懸装品が近代日本画家の手に依るのが特徴で、見送りが梅原龍三郎画伯の朝陽図、胴掛けを前田青邨画伯の原画を元に作成されています。歴史は浅いかも知れませんが、何とも豪華なものですね。

油天神山では、わらべ歌というものはなく、ひたすら可愛い声で連呼しています。このあたり、各山鉾ごとの特徴が出ており、面白いところですね。ここも太子山と同じく休憩所があり、疲れた足を休めるには有り難い場所でした。

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2018.07.19

京都・洛中 祇園祭・前祭2018 宵々々山 ~太子山~

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保昌山と対極に、西の外れにあるのが太子山。ここも意外と言うと失礼にあたるけれども、人出の多い山の一つです。一つには椅子が沢山あっって、休憩所の様になっている事も関係しているのかな。

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今年のもう一つの目的は、この太子山にありました。この新調された胴掛けを見ておきたかったのです。太子山のオリジナルの胴掛けは、インド刺繍の見事なものなのですが、いかんせん老朽化で対策を迫られていました。しかし、インド刺繍で復元するとなると途方も無い金額が掛かるというので、より安価なベトナム刺繍で新調する事にしたのだそうです。安価と言ってもそれは緻密な出来映えで、うっとりと見とれる様な鮮やかな刺繍でした。これでまた、祇園祭の見所が増えた事になりますね。

このわらべ歌にあるように、太子山の御利益は智恵を授かる事にあります。人気の秘密はここにもあるのかな。受験を控えたご家族は、ここに来てお守りを貰うと良いかも知れませんね。

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ここに掛かっている胴掛けは宵山の飾り用です。巡行時には、ベトナム刺繍の胴掛けが飾られた事でしょうね。その姿はまた来年以降の楽しみに取っておく事とします。

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2018.07.18

京都・洛中 祇園祭・前祭2018 宵々々山 ~船鉾~

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鶏鉾から一筋超えた新町通りには船鉾があります。今は後祭の大船鉾がありますが、少し前までは唯一の船型のユニークな姿をした鉾でした。

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ここも宵山となれば大混雑する道で、確か一方通行になるんじゃなかったっけ。でも、この日はまだ比較的余裕があり、立ち止まっての撮影も楽に出来ました。

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ここは以前にじっくり見たことがあるので、今回はパス。祇園囃子を聞きながら、外を見て歩くだけにしました。

祇園囃子は一つの鉾に何曲もあり、宵山用の曲もあるそうですね。それをいちいち覚えていかなくてはならないのですが、囃子方の人たちも大変でしょう。ちなみに鶏鉾では、真ん中に楽譜らしきものが置かれており、初心者はそれを見ながら演奏している様でした。

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宵山と言えば駒形提灯。今はLEDが中心ですが、かつてはロウソクの明かりでした。いちいち火を点けるだけでも大変だったでしょうね。色合いも明るさも随分と違っていたのかな。そんな昔の宵山も見てみたい様な気がします。

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2018.07.17

京都・洛中 祇園祭・前祭2018 宵々々山 ~鶏鉾~

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今年の目標の一つは、まだ上っていない鉾に上る事でした。その一つがこの鶏鉾。毎年このあたりは大混雑し、町会所の入り口にまでたどり着くだけでも大変なんですよ。でも、今年はスムーズに町会所まで行くことが出来ました。

着いた時は、丁度祇園囃子を演奏しているところでした。暫しその音色を聞いて、宵山情緒をお楽しみ下さい。

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町会所での見所は、この見事な見送りにあります。ギリシャの詩人ホメロスの書いた叙事詩「イーリアス」の中の、トロイアの戦争物語「出陣するヘクトールと妻子の別れ」の場面を題材にした織物で、十六世紀後期にベルギー・ブラバン地方で織られたものだそうです。ただし、これはオリジナルではなく、巡行用に復元されたものです。

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オリジナルはこちらで、さすがに色あせていますね。記録には1814年6月に新調したとあるそうで、200年以上の歴史を持つ事になります。ちなみに、国の重要文化財に指定されているそうです。

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こちらは巡行時に乗る稚児人形。特に名前は無い様ですが、雄鶏を中心に据えた天冠を頭に乗せています。と言っても、横から見たのでは判らないですけどね。文久三年の作と言いますから、新選組が誕生した年に出来た人形であり、池田屋事件の騒動も知っている事になります。

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そして、山鉾の上から見た通りの様子です。かなり混雑しているのが判るでしょう。通りの半分こ人が居ないのは通行止めになっていないためで、宵々山、宵山となると、道幅一杯に人が溢れます。

山鉾の上には、演奏中にも関わらず入る事が出来ました。生演奏を目の前で見るというのも、なかなか出来ない経験ですね。拝観料は500円でしたが、それだけの価値はありましたよ。

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2018.07.16

京都・洛中 祇園祭・前祭2018 宵々々山 ~保昌山~

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三連休と宵山が重なった今年の祇園祭、さぞかし凄い人出で賑わった事でしょう。しかも、日中は38度を超えるという猛暑のおまけ付きとあって、皆さん大変な思いをしたでしょうね。かく言う私は、最も人出の少ない宵々々山に出かけてきましたが、ご多分に漏れず暑さには参りました。

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宵々々山の良いところは、まだ出店がないので歩きやすく、多少の人出はあっても渋滞しないところにあります。その反面、四条通りなどは歩行者天国になっておらず、移動の自由が制限されるというデメリットもあります。また出店が無いというのも祭気分が半減するという側面もあって、善し悪しではありますね。

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今年も最初に訪れたのは保昌山。東のはずれに一つだけぽつんとある山ですが、縁結びに御利益があるとあって、女性を中心に人気の高い山です。今年もミニ絵馬が、早い時間帯にも関わらず、沢山吊されていました。

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その人気ぶりを示すように、売り場は三カ所もあり、うち二カ所では子供たちがちまき売りのわらべ歌を歌っていて、なかなか賑やかでした。ところがカメラを向けると恥ずかしいのか、急に歌うのを止めてしまうのですよ。

正面に居ては歌いにくかろうと、少し離れて待っているとやっと歌ってくれました。でも、何か失敗したらしく笑ってますね。こういうところもライブ感があって良いな。

今年は残念ながら山鉾巡行の日は休みが取れなかったので、宵々々山のみのリポートとなります。少しでも祭気分を味わって頂けたらと思っています。

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2018.07.15

西郷どん 第二十六回 「西郷、京へ」

西郷が京に来ると聞き、興味を持つ岩倉具視、坂本龍馬、勝海舟たち。

鹿児島、西郷家。
借家住まいとなっていた西郷家。

仲間に島人たちの苦悩を話す西郷。
西郷が居ない間に起こった京の政変を伝える大山たち。

五日後、京に向かった西郷。
その途上、糸と再会した西郷。

京。
参与会議を引っかき回す慶喜。

孝明天皇から信任を受けた慶喜。

鍵屋。
尊攘派からの嫌がらせを受けている鍵屋。
そこに現れた西郷。再会を喜ぶお虎。

繁の家。
一橋家の家臣たちとの宴会で畳回しをしてみせる一蔵。
喝采する平岡たち。

くたびれ果てた一蔵を介抱するおゆう。

参与会議での慶喜と久光の確執を西郷に話す一蔵。
慶喜のあまりの態度に、国に帰ると言い出した久光。

薩摩が貶められる一方で西郷の名声は高まっている、
薩摩を救えるのはお前だけだと一蔵。

慶喜の屋敷。
牛男の絵に見入るふき。
牛男に妬いているとはと慶喜。

薩摩屋敷。
西郷と久光の対面。

自分はまだお前を許していない、下がれとキセルを投げつけた久光。
じっと耐えておとなしく引き下がった西郷。

もう一度、慶喜と会ってほしいと久光に頼む一蔵。

慶喜の屋敷。
訪ねてきた西郷を、慶喜は知らぬと追い返す平岡。
周囲にたむろする怪しい人影。

鍵屋。
西郷を訪ねてきたふき。今は慶喜の側室となっていました。
牛男と書いた文を手渡し、慶喜が会いたいと言っているとふき。

とある料亭。
かつてのヒー様として遊び人に扮している慶喜。

屋敷で会わなかったのは、見張られているからだ、
今の俺には誰が味方で誰が敵かも判らぬと慶喜。
薩摩はヒー様の味方、今一度国父様に会ってほしいと西郷。
あの男は自分の事しか考えていない、だから芋なんだと慶喜。

また逃げようとしているのかと西郷。
誰にも俺の気持ちは分からない、もう良い帰れと慶喜。
自分は嬉しい、また慶喜と腹を割って話が出来るのだからと西郷。
気持ちが変わって杯を差し出す慶喜。

なぜ俺が薩摩や宇和島、土佐、徳川の家臣たちと肩を並べなくてはならぬ、
あの井伊掃部頭は凄い男だったんじゃないのかと慶喜。
それは違う、左内はここに居ない、どれぼど日本を憂う人材が散った事か、
幕府が守るべきは民と西郷。
お前は変わらぬなと慶喜。
徳川も薩摩も長州もない、今は一つになる時だと号令を掛けられるのは唯一、
ここに居る将軍後見職慶喜と信じていると西郷。
斉彬に似て来やがった、判った、芋に会ってやろうと慶喜。

薩摩屋敷。
慶喜と何を話しても無駄、会わずに帰ると久光。
それでは西郷の働きが無駄になると一蔵。
大義であった、これでよかろうと久光。
ありがたき幸せと西郷。
良い心掛けだ、新しい役目として軍賦役兼諸藩応接係を申しつけると久光。

慶喜の屋敷前。
慶喜の代わりに撃たれた平岡。

斬られたのは自分だと、震え上がる慶喜。

久光が帰った事を慶喜に詫びる西郷。
不自然な笑みを浮かべ、国父殿に謝りたい、侮辱したのは本震では無い、
薩摩にはこれからも協力してもらわねばならないと慶喜。

平岡が刺された、こういう時こそ心と心で付き合いたい強き者が要る、
それは西郷、お前だ、薩摩は私と共にある、信じているぞと手を取る慶喜。
訝しげに慶喜を見、その目の奥に不気味なものを感じた西郷。

「今回は遠島を解かれた西郷が、一転して政治の中心地である京に舞い戻るまでが描かれました。今までの青臭い西郷は消え、自分を韜晦して久光の信を得るまでに成長した西郷がそこには居ました。」

「ドラマでの西郷は元気そのものでしたが、実際の西郷は長い間の座敷牢の生活が祟り、まともに歩けないほど足腰が弱っていました。そんな有様でありながら、帰国後わずか五日後に京に向かっているのですから、当時の武士というのはつらいものだったのですね。」

「西郷はそのわずかの滞在期間中に、島人たちへの苛政を告発する上申書を藩庁に向かって発しており、適正な価格での砂糖の取引をし、暮らし向きを助けてやるべきだと求めています。このあたりが西郷の真骨頂と言うべきでしょうか。」

「さて、西郷の居ない間に、歴史は大きく動いていました。主として長州藩を巡る動きで、天皇自らが攘夷を行うと神詣でをするという加茂行幸や、実現しなかったものの大和行幸が計画され、慶喜はその対応に振り回されていたのでした。そして、長州藩による外国船への砲撃があり、それらの反動として長州藩を京から追い落とす八月十八日の政変が起こっています。この政変では薩摩藩が中心となっており、会津藩もまたその一翼を担ったのでした。この頃は、一時的にせよ、幕府と薩摩藩は蜜月関係にあったのです。そしてその一方では、長州贔屓であった京においては、薩摩は会津藩と共に薩賊会奸と呼ばれて敵視される様になってしまいます。」

「参与会議とは、主として久光が主導して出来上がった政体で、それまでの幕府だけが政治を行う体制を改め、有力諸藩を京に呼び集めて合議制で政を進めていこうという画期的なものでした。具体的に呼ばれたのは、久光自身のほか、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城、福井の松平春嶽、会津の松平容保、それに一橋慶喜でした。」

「しかし、この会議はあまりにも薩摩藩が主導権を握ろうとした事が祟り、それを警戒した慶喜によって壊される事となってしまいます。具体的には孝明天皇が求める横浜鎖港を巡って、開港維持を主張する久光たちに対して、慶喜一人が鎖港を主張し、ついには朝廷に対して将軍家茂が鎖港する旨を答申したため、久光たちは天皇の信を失ってしまったのでした。」

「ドラマでは慶喜が久光を捕まえて姦物呼ばわりをしていましたが、あれも実話で、おそらくは演技でしょうけれども、中川宮の面前で久光を天下の大愚物、大姦物呼ばわりし、台所を支えてもらっているから言うことを聞くのかと暴言を吐いたと言います。結果として参与会議は解体し、政体は元通り幕府への一任へと戻ってしまったのでした。」

「ドラマで西郷は慶喜の目の奥に不気味なものを感じていましたが、実際の西郷も慶喜に禍心が生じている模様と知人への手紙で書いており、かつて日本の救世主として担ごうとした慶喜その人に対する不信感が芽生えてきた事を示唆しています。」

「西郷が拝命した軍賦役兼諸藩応接係とは、事実上京における軍事の実権を預かった事を意味し、次回の禁門の変での西郷の役割に大きく関係して来ます。京都の町を恐怖のどん底におとしめたこの戦を、どう描くのか楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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2018.07.14

京都・洛北 初夏の庭園 ~京都府立植物園~

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既に2週間以上前になってしまって、花の情報としては時期遅れの感があるのですが、京都府立植物園の初夏の一風景をお届けします。まずはバラ園から。

この写真を撮ったのは六月の末なのですが、春バラがまだ頑張っていました。一部では盛りと言っても良い株もあって、バラの多様性を見せてもらった思いです。

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紫陽花は遅咲きの花が盛りを迎えていました。特にこの赤い紫陽花がきれいでしたね。これだけ鮮やかな花色なところを見ると、西洋紫陽花なのかしらん。

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その紫陽花の前では大賀蓮が咲き始めていました。今頃は盛りを迎えている頃かな。

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そして、夏を先取りしたようなヒマワリです。バラ園の東側には巨大ヒマワリのロシアが大きく育っていました。これもそろそろ花を付ける頃でしょうか。

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沈床花壇では、あれだけ目立っていたアリウムギガンテウムが撤去され、すっきりした夏の装いとなっていました。このあたりの切り替えの早さはさすがは植物園だけの事はあるのかな。一度植物を育てているバックヤードの様子を見せてもらいたいものです。

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2018.07.13

京都・洛西 大映通り商店街

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太秦広隆寺駅から西に延びる道に大映通りがあります。かつてこの付近にあった大映京都撮影所にちなんだ通り名です。

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大映通りは三条通りに並行して通る道で、嵐電の駅で言えば太秦広隆寺駅と帷子ノ辻駅の間を繋いでいます。元はと言えば、毎月5日、15日、26日に夜店が出る夜店通りと呼ばれていたのですが、その後様々な商店が出店するに及び、大映通り商店街が形成されたのでした。

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2013年には、通りのシンボルとして大魔神像が置かれました。大魔神と言っても知っているのは私の世代以上の人でしょうけど、昭和41年に公開されて大ヒットした映画の主人公で、普段は穏やかな顔をした土の魔神が、ひとたび怒り出すと憤怒の表情に変わり、悪人を退治するというストーリーでした。今風に言うとゴーレームの様なものかしらん。

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この通りを歩いてすぐに気がつくのが、道の両端に描かれた白黒の破線と、規則的に敷かれた石積みの横線です。つまりは道そのものが映画フィルムになっているのですね。大映の撮影所は既にありませんが、近くには東映太秦映画村があり、映画好きの人は一緒に訪れてみるのも一興ですよ。商店街としても色々な店があるし、中には映画関係の店もありますからね。

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2018.07.12

京都・洛東 姿を現した御影堂 ~知恩院~

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円山公園から知恩院の北門を一歩入ると、巨大な三門が姿を現します。徳川家が威信を掛けて築いた日本でも最大級と言われる木造の門で、その端正な姿と相まって平成14年に国宝に指定されています。

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その三門を抜けた先にある大きな石段が男坂。下から見上げると壁の様ですが、上から見下ろすと崖を下るようで、結構怖く感じてしまいます。

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男坂を登り切ったところにあるのが御影堂。浄土真宗では同じ字を書いて「ごえいどう」と読みますが、浄土宗では「みえいどう」と読みます。この違いは謎ですね。平成24年から平成の大修理が行われてきましたが、ようやく外回りの修理が終わり、仮屋根が撤去されていました。

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久しぶりに見た御影堂は、やはり巨大なものですね。どうするのかなと興味があった最上部の葺き残しの瓦は、ちゃんと再現されていました。そりゃまあ仮にも国宝の修理ですものね、復元出来るところは復元するとしたものでしょう。すると、忘れ傘も元どおりに置かれているのかな。  

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面白いのが裏から見ると半分瓦が古いままで、再用できるものは再用しているのだそうです。ただし、あまり目立たない裏側に使ったのだとか。

修復はこのあと縁周りや内部の荘厳類の設置を残しており、来年に竣工する予定です。拝観が再開されたら、また見に行かなくてはいけませんね。

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2018.07.11

京都・洛東 梅雨明け前の境内 ~東福寺~

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天得院の桔梗を見た後、東福寺の境内を散策して来ました。もみじの緑もすっかり深くなっていましたが、真夏の日に焼かれていない分、まだまだ新鮮さを残しています。

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東福寺は別名伽藍面と言われます。その巨大な伽藍群の中でも飛び抜けているのが法堂です。なぜこんなに大きな御堂が必要だったかと言えば、中に大仏を納めるはずだったからです。大仏は計画だけで終わったのですが、盧舎那殿と書かれた扁額がその名残を止めています。

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その法堂の東側の水路では、まだ半夏生が咲いていました。何とか法堂全体と絡ませたかったのですが、さすがに大きすぎて入らなかったのは残念です。

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東福寺にも蓮は咲いています。蓮池はまだつぼみが上がった程度だったのですが、本坊周りや通天橋入り口では、鉢植えの蓮が咲いていました。

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蓮もそろそろ本格化する頃かな。名所と言われる場所では、綺麗な花が沢山見られる事でしょうね。

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2018.07.10

京都・洛中 立葵と蓮 ~相国寺~ 

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相国寺を訪れたのは先々週の事。丁度綺麗に立葵が咲き始めていたところでした。

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立葵が一番上まで咲き切ると梅雨が明けると言いますが、この頃はもう間もなく梅雨明けですと言われていました。今年は随分と早いんだなと思っていたのですが、それがあんなに大暴れするとはね。自然とはつくづく恐ろしいものです。

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蓮池の蓮も咲き始めたところでした。この豪華な花を見ると、やはり夏が近いんだなと思わせてくれます。

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この花は閉じかけのところなのかな。蓮は咲き始めから四日で散るとされており、これは一日目の花なのでしょうね。

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一方、こちらは三日目くらいの花でしょうか。蓮は二日目の午前中早くの花が一番綺麗とされますが、なかなかその時間には行くことが出来ないので、勢い三日目の閉じきらない花を見ることになります。二日目の花には良い香りがするとも聞きますが、まだ出会った事が無いですね。今度、思いっきり早起きして試してみようかしらん。

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2018.07.09

京都・洛東 枝垂れ柳の川 ~白川~

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先週末は京都に大雨特別警報が出ていたため、京都巡りは自粛しました。なので、今週は過去に撮った写真からの構成となります。

さて、白川と言えば祇園白川が有名ですが、当然その上流はあります。比叡山の麓に流れを発し、途中で琵琶湖疎水と合流して、平安神宮の橋の下流で再び白川として分流したあと、祇園白川を経て鴨川に合流しています。なので、下流の流れは実質琵琶湖の水と言っても良いのかもしれません。

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そして、三条通から東大路通の間は、両岸にしだれ柳が植えられ、独特の景観を持っています。それに様々な形の石橋が架かり、この地域特有の風情を感じさせます。

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これは比叡山の千日回峰行を終えた行者が、市内に入るときに最初に渡る橋として知られる行者橋です。こうした特別な橋が、日常の通路として使われているのが、この地域の凄いところでしょうか。

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左側は華頂学園、右側は商店街や住宅街といった何気ない界隈なのですが、こうして川だけを見ていると特別な景色を持っていますね。

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特別と言えば、三条白川橋のたもとに、京都市内で最古という道標がありました。延宝6年の建立とありますから今から340年前の事、徳川家綱の治世の頃です。「是よりひだり ちおんゐん ぎおん きよ水みち」とあり、東海道を歩いて来た旅人に東山界隈を案内していたのですね。三条大橋から市内へと行く前に、祇園へ、清水寺へと向かった旅人も多かったのかな。そんな事を想像させてくれる石碑です。

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2018.07.08

西日本豪雨災害、お見舞い申し上げます

西日本を中心に襲った豪雨は、各地に大きな被害をもたらしました。間もなく梅雨明けと言われていたのが一転しての豪雨で、自然の恐ろしさを改めて思い知らされました。

多くの被害者、被災者の方々には、心よりお見舞い申し上げます。

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2018.07.07

京都・洛中 桔梗2018 ~廬山寺~

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廬山寺の源氏の庭で、桔梗が見頃を迎えています。毎年の事ながら、見事な花の庭ですね。

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捨てておけば奔放に伸び放題になってしまう桔梗に添え木を添え、真っ直ぐに伸びるように手入れされているのが見て取れます。なので、この純和風の庭に桔梗が良く似合っているのですね。

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それにしても、この青い花は美しいですね。この日は晴れて輝いて見えましたが、梅雨の雨に濡れた風情もまた捨てがたいものがあります。

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この庭も大胆と言えば大胆で、せっかくのきれいな苔の州浜の上に、野の花である桔梗を植えるとは思い切った事をしたものです。それがぴったりとはまって、今では桔梗の寺として知られる様になっているのですから、これを考えた庭師は大したものだと思います。

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桔梗は秋の七草の一つに数えられますが、最盛期は梅雨と重なる今の時期です。溢れるような花を見たいのなら、訪れるのは今のうちですよ。

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2018.07.06

京都・洛東 桔梗2018 ~智積院~

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東山で桔梗の寺と言えば智積院もそうですね。ここは寺紋が桔梗という事もあってか、桔梗の花には力を入れられています。

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ここの桔梗を見に来る様になって10年以上が経ちますが、その間に結構盛衰があって、最初は地植えで見事な花列か出来ていました。しかし、何年かすると急速に衰え、一度は植え替えられたものの、すぐに駄目になってしまいます。結局、今はプランター植えになっており、元のような元気な姿に戻っています。こうしみると、桔梗というのも、強いようで結構手間の掛かる花の様ですね。

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今はむしろ紫陽花の寺としての方が有名になって来ているのかもしれませんね。この日も最盛期は過ぎたとは言え、依然として一面に花は残っていました。

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金堂の北側では、むしろ盛りだったかな。紫陽花は本当に息の長い花ですね。

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智積院の桔梗はまだこれからが本番かな。そうこうしているうちに、蓮も咲き出すでしょうね。ただ、今年の蓮はあまり元気がなさそうなのが気掛かりです。今年も綺麗な花が見られると良いのだけどな。

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2018.07.05

京都・洛東 桔梗を愛でる特別公開 ~天得院~

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今年も桔梗の季節となり、東福寺の塔頭天得院で、桔梗を愛でる特別公開が行われています。

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それほど広くは無い庭園ですが、桔梗が沢山植わっている光景は、いつ見ても野の風情に溢れていますね。

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同じ桔梗の庭でも廬山寺は添え木をし、まっすぐに伸びるように手入れをされていますが、天得院の場合は桔梗の伸びるがままに放置されているかの様に見えます。

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でも、よく見るとそれなりに手は入れられてあり、やはり勝手放題に伸びている訳ではなさそうですね。自然の様に見える様に工夫されているというのが正しいのかな。

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今年の公開は7月10日までです。拝観料は500円、他に冷たい善哉が800円、和パフェが1000円で頂けますよ。

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2018.07.04

京都・洛西 弥勒菩薩半跏思惟像の寺 ~広隆寺~

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広隆寺は603年に創建されたという、京都最古の寺です。嵐電にも太秦広隆寺という駅があり、門前に嵐電が通る事でも知られます。私も一日一鉄を真似して撮ってみましたが、難しいものですね。撮り鉄としてはまるで駄目です。

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広隆寺を建てたのは秦河勝。大陸から渡来し、このあたり一帯を支配していた秦氏の出身ですね。太秦という珍しい地名も秦氏に由来します。

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広隆寺は、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜って建てたとされます。その仏像が弥勒菩薩半跏思惟像。彫刻としては国宝第一号で、教科書にも載っていたので知っている人も多いことでしょう。

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細身の美しい仏様で、物思いに耽っている様な姿はいつまで見ていても飽きる事はありません。宝物殿には他にも沢山の優れた仏像が展示されているのですが、弥勒菩薩半跏思惟像は別格ですね。

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ここに来るのは学生時代以来2度目なのですが、まるで覚えていませんでした。そもそもこんなに広かったかしらん。弥勒菩薩半跏思惟像だけが目当てだったから、他は目に入らなかったのかな。でも、変わらぬ美しさを持った仏様に再会出来て、幸せなひとときでした。

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2018.07.03

京都・洛西 沙羅の花2018 ~鹿王院~

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嵐電で嵐山駅の二つ手前に鹿王院駅があります。その名の通り、臨済宗の古刹、鹿王院がある駅です。

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鹿王院は足利義満が自らの長寿を願って建てた寺。現世利益を願って建てた寺というのは、ちょっと珍しいんじゃないかしらん。

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鹿王院は、知る人ぞ知る沙羅の寺。沙羅の木は庭の奥にあるのですが、この日は客殿の廊下に、水盆に落花が入れて置いてありました。

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沙羅の花とはつまりは夏椿の事で、本物の沙羅の花とは違います。しかし、インドの沙羅の木は日本では育たないので、葉が似ている夏椿を沙羅に見立てたと言われます。あるいは、一日で散ってしまうので、諸行無常の風情を持つからだとも。

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まだそれほど痛んでいない花が、地面一面に散らばった様子は、確かに諸行無常を感じさせますね。平家物語の一節もさもあらんという気がしてきます。この季節ならではの景色ですね。

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2018.07.02

京都・洛北 岩倉具視幽棲旧宅

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三縁寺から西、実相院の近くに岩倉具視幽棲旧宅があります。当時公武合体派だった岩倉が、皇女和宮降嫁を主導した事により尊王攘夷派から命を狙われ、3年の間身を隠したとされる場所です。

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辣腕家として知られた岩倉ですが、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる中では身を潜めて隠れている他は無かったのでしょうね。京を追われた岩倉は、元の所領地であった岩倉村に逃げ込み、大工藤吉の家を購入してそこに潜伏したのでした。写真で言えば、奥の部分がそうで、土間と4部屋の主屋からなる粗末な家でした。

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その後、時を経て幾分かの余裕が出来たのでしょう、応接間として現在の母屋を増築しています。隠れ家としては随分と綺麗なしつらえとなっていますが、これは平成20年に保存修理を施されたためで、モダンな大正ガラスの入った障子戸などはその時にはめられたものです。

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こちらは遺髪碑です。岩倉村の人たちは、明治の元勲の一人である具視がここに居た事を誇りに思っていたのでしょう、具視の死後その遺髪をこの地に収める事にしたのです。

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これは対岳文庫。対岳とは具視の雅号で、岳とは比叡山の事を指します。辛い潜伏時代であったにも係わらず、そこ住んだ時に見た比叡山を雅号にするとは、具視の土性骨を見る思いがします。この対岳文庫は、具視の遺品類を収蔵するために建てられたもので、武田伍一が設計しました。

具視は幕末から明治維新にかけて辣腕を振るいます。西郷隆盛とも関わりが深く、たぶん西郷どんにも出てくるでしょうね。潜伏地としては少し綺麗すぎる気もしますが、一度見ておくとドラマにも深みが出てくるんじゃないかと思いますよ。

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2018.07.01

西郷どん 第二十五回 「生かされた命」

瀕死の状態で、牢から救い出された西郷。

これで懲りたろう、友を信じるのはやめよと雪蓬。
自分を生かしたのは天と人だと西郷。

雪蓬はお由羅騒動の時に流されてきた、
その時友が呼び戻どすと約束してくれたが、そのまま十数年が過ぎてしまったと土持。

土持の機転で、家の中の座敷牢に移された西郷。
彼らの恩に報いたいと、子供たちに学問を教える西郷。

生麦村。
久光の行列を乱したイギリス人を殺した奈良原と海江田。

江戸城。
イギリスから30万両の賠償金を要求された幕府。
薩摩は家臣、徳川のために家臣はある、賠償は薩摩にさせよと慶喜。

沖永良部島。
イギリス艦隊が薩摩に向かっているとの知らせを聞いた西郷と雪蓬。

鶴丸城。
断固戦う事を主張する一蔵。
その言葉に乗った久光。

どさくさ紛れに、寺田屋騒動で謹慎になっていた精忠組の面々を赦免させた一蔵。

沖永良部島。
イギリス来襲の危機に、斉彬の教えを守るため島抜けを図った雪蓬。

沖永良部島にイギリスが来るかも知れないと恐れる島民たちに、
偽の大砲を作って並べろと雪蓬。

雪蓬、土持と三人だけで偽砲を作る西郷。
手伝いを願い出る子供たち。

フランス革命の英雄としてナポレオンを語る雪蓬。

次々に手伝い始めた島民たち。

数日後、戦が終わったという知らせに喜ぶ西郷たち。

西郷に届いた償還命令。
雪蓬から餞別として渡されたナポレオン伝。

残された時間で島民たちを指導する西郷。

薩摩から迎えに来た信吾。

その夜、信吾を囲んだ歓迎会。
スイカ売りに化けてイギリス船に乗り込んだと信吾。

薩摩への船出。
革命と書いた旗を振り、見送る雪蓬。

信吾の計らいで薩摩への途中、奄美大島へと立ち寄った西郷。
愛加那と久方ぶりの再会を果たした西郷。

菊池源吾にはなれなかったと西郷。
会えなくても、私の中にあなたは居ると愛加那。

「今回は生麦事件から薩英戦争、そして西郷の帰還が描かれました。」

「まず訂正しなければいけないのが、徳之島での別れが西郷と愛加那の今生の別れと書いてしまったのですが、今回のドラマにあったように薩摩への帰還の途中で大島に立ち寄ったのでした。この時の数日間が今生の別れとなった訳で、お詫びして訂正します。」

「雪蓬については、ドラマではお由羅騒動で流されたとありましたが、これは前回に書いたように久光の書物を勝手に売り飛ばしたという、少々情けない罪で流罪となったのでした。」

「薩英戦争については、沖永良部島に攻めて来るというありませんでした。当然、西郷や雪蓬が対策を施したという事もありませんでした。」

「しかし、傍観者で居るしかなかった西郷のあせりは強く、地団駄を踏む思いであったと言います。その気持ちは土持にも伝わり、土持の発案で薩摩にまで渡る船を作ろうとまでしています。」

「薩英戦争の結果は、鹿児島の町は焼け野原となったのですが、イギリス艦隊の受けた被害も決して小さくなく、これ以後お互いに興味を持ち合い、協力関係へと発展して行く事となります。」

「この戦いの最中、薩摩藩士がスイカ売りに化けて船を乗っ取ろうとしたのは実話で、結果としては怪しまれて失敗に終わったのでした。何だかおとぎ話のような話ではありますね。」

「西郷への帰還命令が出たのは、薩英戦争での活躍により、精忠組の発言権が大きくなった結果でした。それでも久光は容易に帰還に同意せず、ようやく西郷が十分に反省している事が確かめられれば容認するとまで譲歩したのでした。それほど久光にとって西郷の存在は大きかった様です。」

「西郷もこの1年半に及ぶ流罪の中で大きく成長し、権力者に対して地ごろなどと思った事をそのままぶつけるような幼稚な事はする事はせず、真意は深く胸中に止め、韜晦する事を覚えたのでした。これ以後、久光に対して面と向かって刃向かう事はせず、少なくとも表面上は従順に振る舞う様になります。」

「雪蓬が西郷に伝えたナポレオンについては、当時の日本ではナポレオンこそがフランス革命の英雄と誤解されており、ワシントンなどと共に最も尊敬すべき人物と思われていたのでした。そして、西郷は生涯ナポレオンを尊敬して生きて行く事になります。」

「次回(7月15日)はいよいよ西郷が中央政界へと復帰する様ですね。ここからが西郷の本領発揮の場面であり、どんな西郷像が描かれるのか楽しみです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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