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2018.05.06

西郷どん 第十七回「西郷入水」

苦難の末薩摩にたどり着いた西郷と月照。

薩摩藩の跡継ぎを茂久とし、久光を後見と定めた斉彬の遺言。
しかし、実権を握ったのは斉興でした。

天璋院と名を改めた篤姫。
篤姫に懐かない家茂。
責任を取って暇乞いをした幾島。

斉彬の遺志を継ごうとする久光を遮り、幕府への恭順を決めた斉興。

西郷と月照が薩摩に入った事を聞き、日向送りを命じた斉興。
西郷を救おうと八方手を尽くす正助。
しかし万策尽き、西郷を生かすために月照を斬る事を勧める正助。
覚悟を決めた西郷。

夜、月照と共に船出をした西郷。
冬の錦江湾に、抱き合って飛び込んだ二人。

「今回は西郷の入水までが描かれました。覚悟を決めた西郷の哀しさと、西郷を思う正助の心意気がよく描かれていたと思います。」

「久光も意外と良い人だったのですね。律儀に斉彬の遺志を継ごうとしたものの、斉興の迫力の前に屈してしまったのでした。」

「実際の久光は、教養も高く、決断力も備えた実力者でした。幕末の薩摩藩を動かしたのは西郷や大久保ではなく、藩の実権を握っていた久光だったと言われます。しかし、その後西郷や大久保が目指した近代日本は性に合わず、ことごとく明治新政府の方針に反対したのでした。そのため、後世には良く言われる事がなく、幕末期に果たした役割も矮小化されてしまったのでした。」

「それはともかくとして、月照を薩摩に連れて行ったのはドラマには登場していない福岡藩士の平野国臣でした。国臣は勤王の志士として知られ、西郷とも親交がありました。この時、西郷は月照を受け入れるべく一足先に薩摩藩に帰り、月照に同行していた俊斉もまた薩摩へ様子見に帰ってしまいます。付き添う者は下僕の重助だけとなった月照を救ったのが国臣で、苦心の末月照を薩摩藩に潜り込ませる事に成功したのでした。」

「ドラマでは西郷たちを救うべく奔走したのは正助でしたが、実際に月照を救うべく奔走したのは西郷自身でした。しかし、その甲斐もむなしく斉興が実権を握った薩摩藩では、幕府のお尋ね者となった月照を匿う度量はなく、日向送りと決めてしまったのです。そしてその役目を他ならぬ西郷に命じたのでした。ドラマにあった様に、西郷までが日向送りにされたというのは事実に反します。」

「西郷と月照が抱き合い心中をしたのは史実のとおりで、苦楽を共にした月照一人を死なせる事は、西郷には出来なかったのですね。藩命と友情の板挟みにあった西郷の苦衷の決断でした。ドラマの様に、月照を殺せば自分が助かるという設定は、少し余計だった様に思われます。」

「次回からはいよいよ奄美大島編が始まるようです。入水した西郷がどうなるか、その西郷がどんな変化を見せるかが見所となるようですね。新しい登場人物も出てくるようで、これからの展開が楽しみです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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