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2018.04.29

西郷どん 第十六回「斉彬の遺言」

斉彬の死を知った西郷は、お由羅の方の毒殺の疑いを説き、敵討ちをと言う仲間を遮り、それ以上に斉彬の遺志を継ごうと決起します。そして、水戸藩に幕府を討てとの密勅を下す事に成功しますが、それより先に斉昭が蟄居を命じられていたのでした。せっかくの密勅も効果を失い、慶喜からも二度と会うことは無いと言われ、殉死を決意した西郷。そこに現れ、斉彬の遺志を継ぐべきだと諭す月照。
殉死は思いとどまった西郷ですが、井伊の手は密勅に係わった者たちへも伸び始めます。いわゆる安政の大獄かが始まったのでした。左内が捕らえられ、西郷と月照も安閑とはしていられなくなり、薩摩へと落ち延びる二人。

「今回はほぼ史実どおりに進みましたが、微妙なところで書き換えられています。まず、西郷が殉死を決意したのは斉彬の死を知った直後の事でした。その時、月照から思いとどまるように説得されたのはドラマにあったとおりです。なぜこの順序を入れ変えたのはちょっと判らないですね。」

「また、斉彬の死がお油羅一派による毒殺という疑いが掛けられたのも事実で、この時西郷たちは国元に帰って敵を取ろうとしますが、これを押しとどめたのも月照だと言われます。実際、斉彬の死因は毒殺ではなく、コレラあるいは赤痢によるものと考えられています。」

「西郷たちが手にした密勅、いわゆる戊午の密勅は、水戸藩に兵を挙げよというものではなく、条約を締結した者の責任を問い、さらに幕政の改革を推し進めよというものでした。そして、徳川一門と有力諸藩にも密勅の趣旨を伝えよとも書かれていました。」

「その密勅が下される直前に斉昭らが蟄居謹慎を命じられたのは、当時は江戸城に登城する日があらかじめ決められていたところを、斉昭たちはそれを無視して直弼を問い詰めに行ったのですが、それが重大な法令違反だとして咎めを受けたのでした。この時、直弼は斉昭や慶喜に何を問われても「恐れ入り奉ります」とのみ答えて追求をかわし、その後で断罪を下したのはドラマにあったとおりです。このあたりが直弼の食えないところですね。」

「戊午の密勅は斉昭の謹慎により実効を伴わなかったばかりでなく、幕府の頭越しに水戸藩に下された事で、面目を潰された幕府の怒りを買う結果となりました。安政の大獄は安政5年4月の斉昭らの蟄居に始まり、犠牲者は橋本左内を初め、主な者では梅田雲浜、頼三樹三郎、安島帯刀、日下部伊佐治らが捕らえられています。このうち梅田雲浜は戊午の密勅iに直接関わった人物で、西郷以上に危険人物視されていました。そして捕らわれた者の多くは死罪に処せられています。」

「また、この密勅には係わっていなかったのですが、吉田松陰もまたこの大獄によって捕らえられた一人です。彼は無断渡航をしようとした前歴があった事、また梅田雲浜と交流があった事などから危険思想の持ち主と思われたのですね。そして、役人に問われるままに密かに計画していた老中暗殺計画を自ら漏らしてしまい、死罪となったのでした。」

「ドラマの西郷は密勅が無駄になったと知るや全てを諦めてしまいますが、実際の西郷はそう簡単には諦めませんでした。彼は近衛忠恕に請い、丁度江戸から薩摩に帰ろうとしていた斉興に、朝廷の守護のためという名目で、随行していた兵を京に留め置くように命じてもらったのでした。斉興はこの命に接して50名の兵を残していったのですが、西郷はこの兵を核に東西の同士と呼応して挙兵し、自らは彦根城を落とすと計画します。無論、何の根回しも根拠もない、杜撰で無謀な計画は未遂に終わったのですが、西郷の執念は伝わって来ると思います。」

「追われる身となった西郷と月照が薩摩に落ち延びようとした事は事実ですが、実際には西郷は受け入れ準備をすべく、一足先に薩摩に向かっています。月照に同行したのは俊斉でした。でも、ドラマチックに演出するには、西郷が背負っていったとする方が良かったのでしょうね。」

「次回は薩摩に落ち延びた西郷と月照を待ち受ける運命が描かれる様です。斉興が再び実権を握った薩摩藩がどういう対応をするのかが見物のようですね。斉彬の死がいかに大きかったかが実感される回になりそうです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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