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2018年4月

2018.04.30

京都・洛東 京都新緑事情2018 ~建仁寺 4.29~

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大型連休の二日目、新緑を求めて東山界隈を歩いてきました。まず訪れたのが建仁寺、前週に続けての訪問になります。

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前週にはあれほど咲き誇っていた牡丹は、すっかり姿を消していました。予想はしていましたが、あっけない程の変わりようですね。

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新緑もだんだんと萌えだした頃の新鮮さを失い、青もみじと呼んだ方が良い感じになってきました。でも、まだ柔らかさは残っているので、ここでは新緑で通す事にします。

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この日は混雑を避けるために早朝に出かけたのですが、さすがに人影は少なく、以前の建仁寺に戻った様な静けさに包まれていました。数年前までは一日中こうだったのですけどね。

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朝日に照らされた新緑はあくまで美しく、これは何年経っても変わることはありません。静かな境内で新緑を堪能した一時でした。

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2018.04.29

西郷どん 第十六回「斉彬の遺言」

斉彬の死を知った西郷は、お由羅の方の毒殺の疑いを説き、敵討ちをと言う仲間を遮り、それ以上に斉彬の遺志を継ごうと決起します。そして、水戸藩に幕府を討てとの密勅を下す事に成功しますが、それより先に斉昭が蟄居を命じられていたのでした。せっかくの密勅も効果を失い、慶喜からも二度と会うことは無いと言われ、殉死を決意した西郷。そこに現れ、斉彬の遺志を継ぐべきだと諭す月照。
殉死は思いとどまった西郷ですが、井伊の手は密勅に係わった者たちへも伸び始めます。いわゆる安政の大獄かが始まったのでした。左内が捕らえられ、西郷と月照も安閑とはしていられなくなり、薩摩へと落ち延びる二人。

「今回はほぼ史実どおりに進みましたが、微妙なところで書き換えられています。まず、西郷が殉死を決意したのは斉彬の死を知った直後の事でした。その時、月照から思いとどまるように説得されたのはドラマにあったとおりです。なぜこの順序を入れ変えたのはちょっと判らないですね。」

「また、斉彬の死がお油羅一派による毒殺という疑いが掛けられたのも事実で、この時西郷たちは国元に帰って敵を取ろうとしますが、これを押しとどめたのも月照だと言われます。実際、斉彬の死因は毒殺ではなく、コレラあるいは赤痢によるものと考えられています。」

「西郷たちが手にした密勅、いわゆる戊午の密勅は、水戸藩に兵を挙げよというものではなく、条約を締結した者の責任を問い、さらに幕政の改革を推し進めよというものでした。そして、徳川一門と有力諸藩にも密勅の趣旨を伝えよとも書かれていました。」

「その密勅が下される直前に斉昭らが蟄居謹慎を命じられたのは、当時は江戸城に登城する日があらかじめ決められていたところを、斉昭たちはそれを無視して直弼を問い詰めに行ったのですが、それが重大な法令違反だとして咎めを受けたのでした。この時、直弼は斉昭や慶喜に何を問われても「恐れ入り奉ります」とのみ答えて追求をかわし、その後で断罪を下したのはドラマにあったとおりです。このあたりが直弼の食えないところですね。」

「戊午の密勅は斉昭の謹慎により実効を伴わなかったばかりでなく、幕府の頭越しに水戸藩に下された事で、面目を潰された幕府の怒りを買う結果となりました。安政の大獄は安政5年4月の斉昭らの蟄居に始まり、犠牲者は橋本左内を初め、主な者では梅田雲浜、頼三樹三郎、安島帯刀、日下部伊佐治らが捕らえられています。このうち梅田雲浜は戊午の密勅iに直接関わった人物で、西郷以上に危険人物視されていました。そして捕らわれた者の多くは死罪に処せられています。」

「また、この密勅には係わっていなかったのですが、吉田松陰もまたこの大獄によって捕らえられた一人です。彼は無断渡航をしようとした前歴があった事、また梅田雲浜と交流があった事などから危険思想の持ち主と思われたのですね。そして、役人に問われるままに密かに計画していた老中暗殺計画を自ら漏らしてしまい、死罪となったのでした。」

「ドラマの西郷は密勅が無駄になったと知るや全てを諦めてしまいますが、実際の西郷はそう簡単には諦めませんでした。彼は近衛忠恕に請い、丁度江戸から薩摩に帰ろうとしていた斉興に、朝廷の守護のためという名目で、随行していた兵を京に留め置くように命じてもらったのでした。斉興はこの命に接して50名の兵を残していったのですが、西郷はこの兵を核に東西の同士と呼応して挙兵し、自らは彦根城を落とすと計画します。無論、何の根回しも根拠もない、杜撰で無謀な計画は未遂に終わったのですが、西郷の執念は伝わって来ると思います。」

「追われる身となった西郷と月照が薩摩に落ち延びようとした事は事実ですが、実際には西郷は受け入れ準備をすべく、一足先に薩摩に向かっています。月照に同行したのは俊斉でした。でも、ドラマチックに演出するには、西郷が背負っていったとする方が良かったのでしょうね。」

「次回は薩摩に落ち延びた西郷と月照を待ち受ける運命が描かれる様です。斉興が再び実権を握った薩摩藩がどういう対応をするのかが見物のようですね。斉彬の死がいかに大きかったかが実感される回になりそうです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.04.28

京都・洛東 牡丹2018 ~建仁寺 4.21~

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智積院から建仁寺まで移動して来ました。ここでは牡丹が見頃を迎えていました。

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結構早い様に思えますが、過去記事を見るとそうでもないですね。前回見に来た2014年と比べると数日違いの様です。

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建仁寺の牡丹は、法堂の周囲を取り囲む様に植えられています。でも、そのうち南側だけが咲き方が悪いのですね。一番日当たりが良いはずなのに何故なんだろう。

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もう蕾みはほとんど残っていなかったので、この日から数日の間が最後の見頃だったのかも知れません。今頃は痛んだ花しか残っていないかな。

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建仁寺は以前は静かな寺だったのですが、最近は観光客が増えましたね。特に外国人が増えたのはご多分に漏れずです。外国の人にはこの豪華な花が受けるのか、盛んにシャッターを切っていました。日本に来た良い思い出として持って帰られたら何よりですね。

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2018.04.27

京都・洛東 智積院の廊下 床もみじなど ~智積院~

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智積院は本来は修行の場、清掃は常に行き届いています。講堂の床もピカピカに磨き上げられており、まるで鏡の様ですね。

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そんな智積院ですが、廊下の奥を覗くと不思議な光景と出会います。ここは昼なお暗く、何かが潜んで居る様な気がしますね。まあ、実態はただの納戸でしょうけど、一人で広い講堂を歩いていると、ふとそんな事を思ってしまいます。

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こちらは智積院版の床みもじです。本場の実相院には負けますけどね、これはこれで綺麗だと思います。

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そしてもう一つ、緑の床です。向こうにあるのがもみじではないのですが、緑の美しさは同じですね。それにたぶん常緑樹ですから、一年中見られるのも魅力の一つかな。こんな具合に廊下を見て歩くのも智積院を訪れる面白さの一つですよ。

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2018.04.26

京都・洛東 京都新緑事情2018 ~智積院 4.21~

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名勝庭園から出てみると、そこには新緑が溢れていました。ここは楓樹が多いので、新緑を味わうにはもってこいの場所です。

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それにしても、智積院は見所の多いところですね。冬から早春にかけては梅が咲き、春になると新緑やツツジ、初夏にはサツキ、続いて紫陽花、夏になると桔梗や蓮が咲き、秋には紅葉が見事となります。これだけの場所でありながら、ほとんど混まないというのも魅力ですね。

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ただ、最近は紅葉時分になると、観光バスがやって来る様になりました。紅葉の名所としては、だんだんと認知されて来ている様です。

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でも他の季節にはまだまだ穴場と言えるポイントです。この日も参拝者はごくわずかでした。おかげでこの新緑もほとんど独り占めです。

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この日の最高気温は29度、もう夏と言って良い気温で日向に居ると暑いくらいでしたが、日陰に入ると丁度良い感じでした。このあたりはまだまだ真夏とは違いますね。目に刺さるような新緑を堪能出来た一時でした。

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2018.04.25

京都・洛東 晩春の庭園 ~智積院 4.21~

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法住寺から歩いて7、8分の智積院へと移動して来ました。ここもまた四季の花に彩られた風情のあるところです。

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智積院の境内は自由散策となっていますが、講堂と名勝庭園は有料区域となっています。その庭園に続く山門を潜って目に飛び込んできたのは、もみじの新緑でした。背後の五色の布と相まって、とても美しく見えます。

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ここに来たのは、実はツツジが目当てでした。法住寺や養源院の様子から見て、ここも見頃になっているかと思ったのですが、わずかに早かった様です。

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まあ、去年は5月7日に訪れて丁度見頃だったのですから、今年が早すぎるのですけどね。これだから予定を立て難いんだよなあ。

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ツツジの盛りを逃したので次はサツキの頃に来ようかと思うのですが、益々予測が難しくなりました。どこまでこの花の先走りは続くのでしょうね。

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2018.04.24

京都・洛東 ツツジ20018 ~法住寺 4.21~

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養源展から隣の法住寺へとやって来ました。ここではツツジが見頃を迎えていました。

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法住寺には梅を見に来る事は良くありますが、ツツジを見に来たのは初めてです。実際に来てみるとツツジも結構ありますね。

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この株なんかは満開の一歩手前かな。株全体が花で覆われたらさぞかし見事な事でしょう。

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そのツツジの下には卯の花が咲いていました。これも綺麗な花ですが、ここまで来ると晩春を通り越してもはや初夏の風情ですね。

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境内の中央には枯山水の石組みがあります。私の知る限り、京都では最も小さな枯山水ではないかしらん。見ようによっては、この石組みを中心に、境内全体が枯山水と見られなくもないですけどね。狭いながらも、結構見所のある法住寺の境内ですよ。

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2018.04.23

京都・洛東 京都新緑事情2018 ~養源院 4.21~

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平成30年4月21日、この日は晩春の風情を求めて東山界隈を散策して来ました。まず訪れたのは養源院です。

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ここは血天井がある事で知られる寺ですが、知る人ぞ知るもみじの名所でもあります。境内をもみじが埋め尽くしており、新緑、紅葉ともにとても美しい寺ですよ。

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この日は快晴、雲一つも無い青空でした。新緑もこういう空にはとても映えますね。

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今年はツツジの開花も早いですね。株によっては見頃を迎えているものもあります。桜に続いて、開花が早い傾向はなお続いているようです。

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境内の入り口にある白衣弁財天社の柱にはツタが絡んでいました。ツタもまた新緑は美しいものですね。秋には紅葉も綺麗なんだろうな。晩秋になったらもみじと共に紅葉を見なくてはと思っているところです。

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2018.04.22

西郷どん 第十五回「殿の死」

西郷たちの働きによってやっと下りた勅諚。
そこには将軍継嗣は英傑、人望、年長と書かれていました。

西郷からの知らせに喜び、軍備増強を急ぐ斉彬。

穏やかな日々を過ごす家定と篤姫。
その時、突如倒れた家定。

病身の家定に近づき、
自らに権力と、跡継ぎには慶福をと遺書を書くように囁く直弼。
しかし、家定が書いたのは柿の絵でした。
これを御台に食べさせてくれと頼む家定。

上意と称して大老に就任し、さらに開国と将軍継嗣を慶福と定めた直弼。

京都。
勅諚が九条関白の手で覆った事を知り、万事休すと絶望する左内。
急ぎ鹿児島へと戻る西郷。

江戸城大奥。
すべては家定の意思と本寿院に報告する直弼。
遺書があるなら見せよと迫る篤姫。
そこに現れ、家定への見舞いを言上した慶福。
慶喜とは大違いだと笑い合う本寿院たち。

鹿児島。
一足先に江戸の状況を知った斉彬。

必死で掛け通し、斉彬に拝謁した西郷。
西郷の報告を聞かず、ねぎらっただけの斉彬。

馬で出かけた斉彬の後を追い、
子供の頃、斉彬と出会った草原で斉彬に追いついた西郷。

集成館も廃止となる、夢は砕けたと言い、西郷の役を解いた斉彬。

重い足を引きずって家に帰った西郷。

何の役にも立てなかったと落ち込む西郷を叱り飛ばす正助。

江戸城。
権勢を欲しいままにする直弼。
柿の絵を形見に残し、亡くなった家定。
継嗣となった慶福。

鹿児島。
荒れる斉彬。

無役にも係わらず、斉彬の下に乱入した西郷。

訝る斉彬に京に兵を送り、その兵と斉彬の姿をもって、
幕府へ改革を迫る詔を頂くと言上する西郷。

その言葉を聞き、挙兵を決意する斉彬。
西郷に京へ戻り、近衛家に工作せよ、自分もすぐに後を追う、
今からお前はわしになにれと斉彬。

正助ら郷中の仲間に斉彬の挙兵を告げ、京へと向かう西郷。

京、鍵屋。
また世話になると言う西郷に見とれる仲居のお虎。

西郷を待っていた月照たち。
西郷の知らせに生気を取り戻した月照たち。
そこに喜び勇んで現れた俊斉。

鹿児島。
兵を鍛える斉彬。

京。
斉彬を迎える準備に励む西郷。

鹿児島。
安政5年7月16日、この世を去った斉彬。

「今回は直弼の台頭と斉彬の死までが描かれました。予告にあったとおり目まぐるしく四転五転した回でしたね。」

「腹黒い直弼の企みに対して、純朴な家定が書いたのは篤姫に与える柿の絵でした。家定の優しさを逆手に取った直弼は、彼が壁に掛けた面のごとく赤鬼として恐れられる存在となります。さりげない描写でしたが、今後の直弼を象徴する場面でした。」

「史実としては、将軍継嗣の件は直弼の暗躍ではなく、あくまで家定の遺志であったと言われますが、ドラマの設定上直弼を徹底した悪役としておく必要があるのでしょう。彼には気の毒だけど、ここは仕方が無いのかな。」

「勅諚が書き換えられたとする説は確かにあり、九条関白に南紀派の手が回っていたと言われます。その一方で、他ならぬ篤姫自身が養父である近衛忠恕に勅諚を下さぬ様にと依頼したという説もあります。このあたりは資料を漁っていると諸説があって、どれが正しいのか判断に苦しむところです。」

「西郷が急いで鹿児島に急報したのは史実のとおりですが、西郷が居たのは京都ではなく江戸でした。そして、当時ひと月は掛かるとされた旅程を21日で駆け通したと言われます。西郷がボロボロになっていたのも当然ですね。その西郷よりも早く斉彬の下に書状が届くと言うのは無理のある設定ですが、斉彬の絶望を描くには欲しかった描写なのでしょう。なお、西郷がお庭番を解かれたという事実は無い様です。」

「斉彬の挙兵については西郷が斉彬に進言したとも、斉彬自身の意思だとも言われます。この時期の西郷としては出過ぎた進言という気はしますが、これもドラマとしては西郷の仕事として描きたいところなのでしょう。」

「その斉彬の意思とは、天下に騒乱が生じれば三千の兵を率いて京に上り、朝廷を守護するというものと言われます。斉彬自身が率先して騒乱を起こすという訳ではないですが、一種のクーデターを企てたとも言えるのでしょう。それが斉彬の死によって御遺志となり、今後の薩摩の方向性を決める事となります。ただし、この御遺志は一次資料にはなく、伝聞やその後の薩摩藩の動きから総合的に判断して、あったらしいと考えられています。」

「ドラマでは「お前はわしになれ」という斉彬の台詞が効いて来る様です。西郷の今後の生き方を決めた、まさに決め台詞と言うべきものかな。あんな風に言われたら、西郷ならずとも奮い立ちますよね。」

「もう一人忘れていました。西郷にとって大切な人がさりげなく登場しています。お虎がそうで、今後の二人の絡み合いが楽しみです。」


(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.04.21

京都・洛中 花の社 ~平野神社 4.14~

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北野天満宮から平野神社へとやって来ました。ここでまず目に付いたのが魁桜の新緑です。花が美しいのは当然ですが、葉桜となった姿も捨てたものではありません。

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ここでは遅咲きの桜がまだ残っていました。これは鬱金桜で、黄色がかった薄い緑色が特徴の花です。この花も時間と共に赤くなるのですが、これはほぼ最後に近い姿の様ですね。

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花盛りだったのは突羽根桜でした。京都で最も遅く桜ですが、やはり一週間近く早い開花だった様ですね。これはまだ一段目の花で、この後中央から二段目の花が咲き、より豪華な姿へと変化していきます。

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おけさ桜の下には、新しくシャクナゲが植えられていました。小さな苗でしたが花は豪華で美しく、桜の盛りが過ぎた境内を華やかに彩っていました。

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境内のそこかしこで咲いていたのがイチハツで、この花もまた一週間程度早い開花です。牡丹が咲いているのも見たし、今年はどの花も例年より早い進行の様ですね。どこまでこの傾向が続くのか、京都巡りの予定を立て難くて困っているところです。

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2018.04.20

京都・洛中 京都新緑事情2018 ~北野天満宮 4.14~

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相国寺から北野天満宮へとやって来ました。ここでの新緑の主役は梅、もみじに負けず劣らず美しい緑ですよ。

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ここを訪れたもう一つの目的が、この北野桜を見るためでした。この前週に訪れた時はまだ咲きかけで花もまばらだったので、もう一度見ておきたかったのです。でも、やはり盛りは過ぎており、葉が茂りすぎて花があまり目立たなくなっていました。

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花だけを見るとこんな感じで、咲いた直後は白く、時間が経つと共に赤く色づくという特徴があります。葉が茂りすぎたのは、今年の異常な暖かさのせいもあったのかもしれません。

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そして、これが梅の新緑です。花の盛りの頃の様な華やかさはありませんが、生命力を感じさせる緑もまた美しいものがあります。

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北野天満宮では御土居にもみじの名所があり、今年は4月14日から6月30日まで公開されています。私は入りませんでしたが、きっと新緑が綺麗だった事でしょうね。入苑料は600円、ただし連休中は800円となりますのでご注意ください。

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2018.04.19

京都・洛中 京都新緑事情2018 ~相国寺 4.14~

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阿弥陀寺から相国寺へとやって来ました。

相国寺は応仁の乱の戦乱の舞台となり、堂塔伽藍は全て焼け落ちたのですが、その後有力者の後援を受けて再建が進みました。例えば正面に見える法堂は豊臣秀頼が寄進したもので、現在残っている法堂としては最古のものとされています。

相国寺に行くと空き地が多い事に気づきますが、それは再建される事がなかった仏殿や三門の跡地で、今でも礎石にその名残を見る事が出来ます。この寺が常に戦乱や大火に晒されて来た事を物語っていますね。

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相国寺はとても開放的な寺で、例えばこのもみじの前の道は上立売通であり、地元の人たちの生活道路として使われています。京都の大きな寺ではこうした例が他にも見られますが、ここまで地元に密着しているのは珍しいかもしれません。

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相国寺で新緑が一番美しいのはこの上立売通の横の一角で、道行く人たちの目を楽しませてくれます。秋は秋で、紅葉が綺麗ですよ。

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ここのもみじは寺でも大切にされている様で、枯れてしまった木の後には新しい木が植えられています。勢いよく枝を伸ばしている様は、元からある木とは対照的で若々しい生命力を感じます。

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この松の木の向こうに見えるのは経蔵です。元は仏舎利を納める宝塔だったそうですが、仏舎利が他の堂宇に移された事により、経蔵としての機能だけが残ったとの事です。中には高麗版一切経が収められているのだとか。出来れば特別公開で内部を見せて欲しい建物ですね。

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2018.04.18

京都・洛中 京都新緑事情2018 ~阿弥陀寺 4.14~

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寺町通りにある阿弥陀寺です。ここも一本だけですが、紅葉が見事なもみじがある事で知られます。つまりは新緑も綺麗なもみじという事ですね。

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このもみじの前にはお地蔵様が祀られており、たぶんこのお地蔵様のために植えられたのでしょうね。

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新緑の頃はこの新鮮な緑色、晩秋になれば紅葉でお地蔵様を彩るという訳なのでしょう。夏には日除けの意味もあるのかな。

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阿弥陀寺と言えば織田信長の墓がある事でも知られます。もみじよりもそちらの方が有名ですね。寺伝に依れば本能寺の変のおり、時の住職であった青玉上人が、燃えさかる本能寺から信長の遺骨を運び出したのだとか。

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これが信長とその息子信忠の墓です。天下人の墓としては随分と小さいですね。でも、そのぶん返って信憑性があるのかな。この墓の横には信長の小姓として運命を共にした森蘭丸、坊丸、力丸の墓もあります。ここには自由に参拝する事が出来るので、戦国の世に思いを馳せてみるのも一興ですよ。

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2018.04.17

京都・洛東 京都新緑事情2018 ~黒谷 4.14~

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4月も半ばとなり、京都は新緑の季節を迎えています。その新緑を求めて市内を巡ってきました。まず訪れたのが黒谷こと金戒光明寺、浄土宗の大本山です。

ここはその塔頭栄摂院、狭いながらも春は新緑、秋は紅葉が見事な事で知られます。新緑と言う割には色彩が濁って見えるのは、若葉に赤い花が混じっているからです。近くで見ると、赤い小さな花が可愛らしいですよ。

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山門前にはもみじのほか、桜の若葉も萌えていました。ついこの間までは花が咲いていたのにね、桜の変わり身の早さには驚かされるばかりです。

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こちらは山門の北側にあるもみじです。新緑の色とはまさにこの事でしょうか。

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黒谷の山門を特色付けているのが赤いもみじです。品種は何だろう、野村もみじかしらん。緑は新緑ですが、この場合は何と言うのでしょうね。

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このもみじは夏でも赤く、秋に一度褐色になります。そして晩秋になると再び紅葉し、元のような綺麗な色に戻ります。このもみじをここに植えたのは、この寺の美意識の現れなのかもしれませんね。

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2018.04.16

京都・洛中 京都新緑事情2018 ~仙洞御所 4.8~

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平成30年4月8日、仙洞御所を訪れてきました。仙洞御所を訪れるのは昨年の10月以来、半年ぶりになります。

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なぜこの日に仙洞御所を訪れたと言えば、桜を見るためでした。仙洞御所には桜の馬場という場所があり、そこでは美しい景色が見られるはずでした。それを見越して8日に予約したのですが、今年の異常な早さの桜の開花のために、ご破算となってしまったのでした。

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でも、桜は見る事は出来なかったのですが、代わりに美しい新緑を見る事が出来ました。仙洞御所には松のほか楓樹が多くあり、まさに新葉が萌え始めるタイミングに当たったのでした。

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新緑はこの時期にしか見る事が出来ない景色であり、桜に負けない美しさがあります。数の少ない桜よりも、むしろ良かったと言えるのかもしれません、まあ、半ば負け惜しみですけどね、新緑を堪能出来たのは嬉しかったです。

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次はやはり紅葉の時期に行ってみたいですね。競争率は高いでしょうけど、また4ヶ月前になったら早起きをして真っ先に予約をしなくっちゃ。

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2018.04.15

西郷どん 第十四回「慶喜の本気」

互いの健闘を誓い、江戸と薩摩に分かれる西郷と正助。

安政4年10月21日、江戸城。

将軍謁見のために登城したハリス総領事。

互いの国のための友好をと願うハリス。
痙攣した様に床を踏みならす家定。
「幾久しく友好を保ちたいと大統領に申し述べるべし。」
と、壊れたレコードの様に繰り返し叫ぶ家定。
あっけにとられる一同。

教えられたとおりに申したと篤姫に報告する家定。
喜ぶ篤姫。
御台とも幾久しく友好を保ちたいと家定。
その言葉を嬉しく思う篤姫。

福井藩邸。慶永に書状を届けた西郷。
慶喜擁立の壁は高くなったと慶永。

(回想)
老中堀田正睦の弱腰を叱りつけ、自分がアメリカに乗り込むと斎昭。
震え上がる 正睦。

家斉の評判は悪くなる一方で、
家定を毒殺し、慶喜を将軍に据えるつもりだという噂まであると慶永。

左内と協力し、諸大名の協力を仰ぎ、かつ、
慶喜が将軍になる覚悟を決めるよう説得せよと慶永。

磯田屋。
慶喜の評判を集めた一橋公言行記を書き上げた左内。
そこに現れ、そこに書いてある事は全て父がでっち上げた事だと言い、
言行記を破り捨てた慶喜。

ここではヒー様と呼べ、一橋様と呼ぶことは許さぬと慶喜。

言行記が台無しになった事を嘆く西郷。
抜かりはない、写しはいくらでもあると左内。

幕府に、この国難を乗り切るためには慶喜を次の将軍にする事が相応しいとの建白書を出した斉彬。この建白書を巡って鋭く対立する一橋派と南紀派。両派を裁定出来ずうろたえるばかりの堀田正睦。

西郷の後を付けてきた仮面の男。その男を取り押さえた西郷。
その時、ご同道願うと声を掛けてきた長野主膳。

彦根藩邸。
西郷に茶を振る舞う直弼。無作法に茶を飲み、旨いと西郷。
作法は知らなくても味は判るかと直弼。
この器もとても良いものと西郷。
御台所の輿入れの手配りをしただけの事はあるなと直弼。

逃げてばかりの男に将軍は務まらないと直弼。
あの一筋縄では行かないお方だからこそ、異国の言いなりにはならない、
この国は変わらなければならないと西郷。
自分に講釈をするとは恐れ入ったと直弼。
無礼な振る舞いは主君そっくりと主膳。
殿を愚弄するな、この国を守るためにこの国を変えようとしていると西郷。
250年の安泰を保ってきたのは徳川宗家、守るべき国とは徳川家の事、
異国が迫っているからと言っても、何も変えてはならぬと直弼。

西郷に斉彬の内情を知らせよ、そうすれば当家の家臣として取り立て、
薩摩に居る身内も助けてやろうと主膳。
家の者に何をしたと叫ぶ西郷。
まだ何もしていないと主膳。自分に力を貸せと直弼。

井伊掃部頭ともあろう人がこんな脅しをかけて来るとは、
こんな腐った連中に守られた将軍家も危ないものだ、
自分たちとは依って立つ立場が全く違うと良くわかったと西郷。

大奥。斉彬の建白書を読む本寿院。
水戸の隠居の息子が将軍になればあの男までが奥に入って来る、
それはならぬと本寿院。
御台所の縁組みはこの企みがあったからかと本寿院。

本寿院の怒りを知り、狼狽える幾島と篤姫。
そこに現れた家定。驚く篤姫。
御台とは幾久しく友好だと申したであろうと家定。

次の公方に慶喜をと願い出る篤姫。
慶喜は嫌いだと家定。
慶喜はこの国を守ってくれる、国も民も無事息災と篤姫。
姫も息災という事かと考え込む家定。

そこに現れた本寿院に向かって、跡継ぎは一橋にすると宣言した家定。
驚く本寿院。喜び合う篤姫と幾島。

磯田屋。相変わらずヒー様として遊び暮らす慶喜。
家定が跡継ぎに決めたと説得する西郷と左内。
あくまで固辞する慶喜。

その夜、刺客に襲われた慶喜。
人殺しだと叫び逃げる慶喜。
刺客と渡り合う西郷たち。

危うく切られそうになる慶喜。
咄嗟に短刀を抜き、刺客を刺し殺した西郷。

初めて人を殺した事で惑乱する西郷。

薩摩の人間がなぜ自分を殺そうとすると慶喜。
これは彦根の回し者だと西郷。

死体を始末した慶喜と左内。
手を合わせる西郷に、刺客に情けを掛けるのかと慶喜。
あの男にも主君がおり、家族が居る、その命を奪ってしまった
自分は人殺しだと西郷。
だから自分は将軍にはなりたくないと言っている、
そうなればもっと国が乱れて多くの血が流れると慶喜。
このままでは異国に飲まれる、血が流れるどころではないと左内。

俺の命を守ったと斉彬に褒めて貰えと慶喜。
あなたの命とあの男の命は同じ、
しかしあなたは国を変え、多くの民を救える力を持っている、
それでもまだ逃げると言われるならあの男も浮かばれないと西郷。
よし行くぞ、ついて来いと、ついに決意した様子の慶喜。

彦根藩邸。
直弼に会いに来た慶喜たち。
刺客を送るほどだからよっぽどの用があると思って来てやったと慶喜。

慶喜様が将軍を固辞されるのなら自分に一案がある、
紀州の慶福様が次の公方になった暁には紀州を差し上げると直弼。
確かに悪い話ではない、しかし気に食わぬ、
お前に紀州に行けと言われる覚えは無い、つけ上がるなと慶喜。
これは恐れ入りましたと直弼。
今の幕府でこの国が守れると思っているのか、
この大馬鹿者と直弼を叱りつける慶喜。
判った、自分が将軍になってやると言い捨てて帰る慶喜。

「今回は遂に慶喜が将軍職を継ぐ決意をするまでが描かれました。ほぼ創作の回と言って良いのですが、西郷の成長ぶりと本気になった慶喜の凄みが良く表されていたと思います。」

「以前、斉興とお由羅の方の前では一言も返せなかった西郷が、直弼相手に堂々と渡り合ったのは見事でした。斉彬の薫陶の下、諸国の士と交わった事で西郷が成長したという事なのでしょう。」

「慶喜の啖呵も格好良かったですね。ようやく幕末史をかき回した慶喜の本領が垣間見えた一瞬でした。」

「ただ、慶喜が決意に至る過程が少し弱かったかな。西郷に泣きつかれただけで翻意するとは、ヒー様らしく無い様な気がします。もう少しひねりがあっても良かったんじゃないかしらん。」

「ほぼ創作の回ではありましたが、そこかしこに史実も散りばめられていました。例えば大奥が斉昭を毛嫌いしていた事がそうです。」

「斉昭には大奥の女性に手を出したという噂が付きまとい、今で言うセクハラまがいの発言も多かったと言われます。また、大奥の浪費ぶりにも口を出し、支出を抑えようとした事も嫌われた源因でした。その子の慶喜が次期将軍ともなれば斉昭の発言権がさらに大きくなり、大奥が住み難くなると考えられたのが慶喜の将軍登用を妨げた要因の一つでした。それだけ大奥の発言権は強かったのですね。」

「また、家定が慶喜を嫌っていたのも事実で、この事も慶喜にとっては不利な条件でした。暗愚と言われた家定でしたが、自分の意思を持っていた証の一つでもありますね。」

「もう一つ付け加えるならば、家定と篤姫が仲睦まじかった事も事実と言われます。ドラマで描かれた様に家定には心優しい一面があったのかもしれません。」

「次回は家定が病に倒れ、直弼が大老職に就き、斉彬がそれに反撃するまでが描かれる様です。サブタイトルからすると斉彬の死までが入るのかな。その激動の中で西郷が活躍する様ですね。予告には四転五転する展開とありますので、どんな回になるのか楽しみに待ちたいと思います。」

参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.04.14

京都・洛中 京都桜事情2018 ~千本ゑんま堂 4.8~

Senbonenmadou1804161

平成30年4月8日の千本ゑんま堂です。この日は普賢象桜が満開、見頃を迎えていました。今年はご多分に漏れず、一週間ほど開花が早かったですね。

Senbonenmadou1804162

この日は初めて拝観をしたのですが、色々と興味深いお話を聞く事が出来ました。

千本ゑんま堂は、正式には印接寺と言いますが、印接とは引導と同じ意味だそうですね。この寺のあたりは風葬の地として知られる蓮台野であり、その入り口に小野篁が閻魔大王の像を建立したのが始まりとされます。その後、定覚上人が、藤原道長の後援を受けて、諸人化導印接仏道の道場として引接寺を開山されました。

ご本尊は閻魔大王で、縦横2.2mという巨大なものですね。目に琥珀を填めているという珍しい仏様で、さらに舌には香木を用いられていいるのだとか。今ではすっかり剥落していますが、かつては極彩色に彩られたいたそうです。そして右脇には閻魔帳を持った司命尊、左側には判決を書く司禄尊が祭られています。なお、閻魔大王は地蔵尊の変化した姿だそうで、本来は人々を救済する優しい仏様なのだそうですね。

蓮台野は風葬の地、つまりは野ざらしの地だったのですが、いつしか土葬し石仏を置くようになり、その石仏が千体程(つまりは無数)も立ち並んでいたいたことから、蓮台野に至る道を千本通と呼ぶようになったのだそうです。(あるいは卒塔婆が千本も並んでいたからとも言います。)

実際、今でもこのあたりを掘るとおびただしい数の石仏が出てくるそうで、本堂の西側にある石仏は、千本通に市電を通すために拡幅した際に出土した石仏を安置したものだそうです。

Senbonenmadou1804163

冒頭の十輪の塔は紫式部の供養塔と伝えられます。紫式部は源氏物語の作者として知られますが、軟弱な物語を書いた事で、あの世では責め苦を受けていたと言われます。その式部が助けを求めてこの寺の住職であった円阿上人の夢枕に立った事から、この供養塔が建立されたのでした。なお、金色の式部像は数年前に建立されたものです。

Senbonenmadou1804165

普賢象桜は丁度満開を迎えたばかりの様でした。青空に映えた姿はとても美しかったですよ。

Senbonenmadou1804166

この桜が散り始めるのは今日あたりからとの事でした。ただ、どうなるかは実際に見てみるまでは判らない様ですけどね。今日は午後から雨が降ったのも気になるところです。雨に濡れると落ちた花びらが潰れてしまうのでまだ散らないで欲しいのですが、さてどうなる事でしょうか。

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2018.04.13

京都・洛中 京都桜事情2018 ~千本釈迦堂 4.7~

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雨宝院から千本釈迦堂へとやってきまた。ここでは松月桜が満開、見頃を迎えていました。

Senbonsyakadou1804122

毎回書いていますが、現地には普賢象桜と書かれていますが、これは松月桜です。普賢象桜とは花色も違うし、葉の色も異なります。似ているのは牙の様になった二本のめしべだけですね。

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美しい八重桜である事は無類で、このままブーケにしても十分に通用します。無論、枝を切ったりするのは厳禁ですけどね。

Senbonsyakadou1804125

千本釈迦堂には、松月桜の他にも沢山の八重桜があります。これは関山桜で、おかめの像と絡めて撮ってみました。

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関山桜の隣にあるのが御衣黄桜で、こちらも満開になっていました。実はこの日初めて気が付いたのですが、稲荷社の前にも数本の御衣黄桜があるのですね。本堂の東側(ただし柵の向こう側)には鬱金桜とおぼしき桜が咲いていましたし、千本釈迦堂は知る人ぞ知る八重桜の名所と言えるのかもしれません。

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2018.04.12

京都・洛中 京都桜事情2018 ~雨宝院 4.7~

Uhouin1804131

白峯神宮から雨宝院へとやってきました。ここは有明桜の名所なのですが、今年はすっかり盛りが過ぎてしまっていました。

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せっかくの桜も、ただでさえ散り初めだったところに、この日の前日に降った雨で、すっかりみすぼらしい姿になっていました。でも、一応お決まりの構図でパチリ。

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この日はむしろ散った花びらの方に美しさがありました。地面の花びらは踏みつけられていましたが、灯籠の上に積もった花びらはとても素敵でしたよ。

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松月桜はまだ見頃でした。例年なら有明桜が散った頃に咲くのに、今年はまだ有明の花が残っている状態で咲いていたので、あまり目立たなかったのが残念でした。

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一番の見頃は御衣黄桜でした。まさに満開になったばかりで、もう暫くは見頃が続きそうです。これから雨宝院に行かれる方は、御衣黄桜に注目ですよ。

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2018.04.11

京都・洛中 京都桜事情2018 ~白峯神宮 4.7~

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平成30年4月7日の白峯神宮です。この日は黄桜が満開を迎えていました。

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実はこの花を見るのは初めてで、これがピークなのかどうかは判りません。ただ、一般的には花の中央が赤くなるほど終わりに近づくので、この日はまだぎりぎり見頃だったと言って良いのでしょう。

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もう一つ境内には八重桜が咲いていました。この花も真如堂の花とよく似ており、普賢象桜かなと思うのですが、なんとも言えません。千本ゑんま堂の桜と比べると似ている様でもあり、違うようでもあり、判断は難しいですね。

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ここはすっかりサッカーを始め球技の神様として有名になり、多くのボールが奉納されています。これはキャプテン翼の作者である高橋陽一氏が奉納したサッカーボールで、ファンには垂涎ものなのでしょうね。

Siraminejingu1704116

ただ、ここは本来は崇徳上皇の鎮魂のための神社であり、それを忘れないためでしょう、崇徳院の和歌の碑が建てられていました。でも、この趣意が判る人がどれだけ居るのかな。きっと崇徳院もあの世で苦笑している事でしょうね。

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2018.04.10

京都・洛東 新緑2018 ~真如堂 4.7~

Sinnyodou1804101

平成30年4月7日の真如堂です。この日は八重桜を除いてすっかり葉桜になっており、変わって爽やかな新緑が境内を覆っていました。

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それにしても、この変わり身の早さはすごいですね。一週間前はまだ桜が盛りに近かったはずなのに、もう初夏の様相を呈しています。

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でも、桜は無くても新緑の美しきは素晴らしいもので、芽だしのこの時期ならではの光景です。

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今が花盛りと咲いていたのが馬酔木で、まさに満開でした。寒い時期から咲く花ですが、やはり盛りは暖かくなってからの様ですね。

Sinnyodou1804106

ソメイヨシノや枝垂れ桜は終わっていましたが、八重桜は見頃を迎えていました。鐘楼周りの関山は鮮やかな花色で目立っていましたが、元三大師堂近くのこの花はひっそりと咲いていました。たぶん普賢増象桜かなと思うのですが、どうなのでしょうか。とてもよく似ているのですが、確証はありません。美しい花である事は確かですね。

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2018.04.09

京都・洛北 京都桜事情2018 ~上賀茂神社 3.31~

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なから木の道から加茂川を遡って上賀茂神社へとやって来ました。ここでも早咲きの御所桜からソメイヨシノ、八重紅しだれ桜までが咲きそろっていました。

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こちらは遅咲きのはずの加茂桜です。花付きはやや悪いものの、すでに満開になっていました。

Kamigamojinja1804083

そして、御所桜、斎王桜、ソメイヨシノの競演です。これだけ綺麗な光景は、そう見られるものではありません。

Kamigamojinja1804087

上賀茂神社での白眉と言えば、やはりこの斎王桜でしょう。今年はやや花付きが悪かった様ですが、豪華さはさすがです。でも、以前のように棚が無かった時の方がより豪奢だったと思うのだけどな。

Kamigamojinja1804086

上賀茂神社の桜もすでに盛りを過ぎ、散り初めから散り果てになっている事でしょう。なんとも異常づくめの桜シーズンでしたが、変わった咲き方が楽しめたとも言えます。この後に続く八重桜はどうなるのでしょうね。やっぱり後を追うように早咲きになるのかしらん。その様子は明日からお届けしようと思っています。

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2018.04.08

西郷どん 第十三回「変わらない友」

安政の大地震で嫁入り道具が駄目になってしまった篤姫。
それを1年で整え直せと西郷に命じた斉彬。

被害甚大な江戸の町を、輿入れ道具を調えるべく奔走する西郷。

安政3年11月11日、西郷の働きで輿入れ道具が調い、江戸城へと出立する篤姫。

江戸城大奥。静々と入ってきた篤姫の駕籠。その扉をいきなり開けた家定。
驚く篤姫に、丈夫か、死なぬか、と問う家定。薩摩の女子ゆえと答える篤姫。
安堵した様に立ち去る家定。

篤姫の輿入れを祝って酒を酌み交わす斉彬と西郷。
そのグラスは集成館で作っている切子ガラス。
紡績、ガス、エレキテル、洋式農具、印刷機など、
新しい技術を身につけた職人たちが金を稼ぐ、農民、商人も豊かになる、
民が豊かになれば自然と国はまとまると斉彬。

磯田屋。薩摩に帰る事になったと大山。おいは残ると俊斉。
そこに遅れてきた西郷。目黒不動に不犯の誓いを立ててきたのかと俊斉。
斉彬に男子が授かる様にと祈願した西郷。

京、近衛家。
斉彬の引きで忠恕に目通りした西郷。
そこに現れた月照。

月照に慶喜を次の公方にとの詔を頂戴したいと頼む斉彬。
天子様も月照さんの事をよくご存じだから頼むと忠恕。
静かに微笑む月照。

薩摩。
正助の縁談。すぐに承知した正助。

薩摩に帰郷した西郷。喜ぶ西郷家の人々。

留守中に借金のために家も何もかもを売ってしまったと聞いた西郷。
心配はいらない、やりくりをして家は出て行かなくて済むと吉二郎。
申し訳ない、もっと気張らねばと西郷。

その夜、仲間内の宴。
西郷の評判を仲間に聞かせる大山。何かと聞きたがる仲間たち。
機密事項だからと話せない西郷。
白けてしまった一同。

嫁をもらうと宣言した正助。再び盛り上がる一同。

正助の嫁を見に来た一同。こんなつまらん事で西郷を煩わせるなと正助。
それを聞いていた満寿。つまらぬ縁談なら断ってもらっても良いと満寿。
呆然とする正助。

正助は必ず天下国家のためになる男、その留守を守れるかと西郷。
はいと満寿。満寿を嫁にしたくなった、よろしくお願いしますと正助。

無事に哲丸を授かった斉彬。

山田をモデルに写真を撮ろうとする斉彬。
斉彬に動くなと言われ、困惑する山田。
その山田を捨てて、電信機を試しに行く斉彬。
電信機が指したのは未、来客という意味でした。

やってきたのは久光。哲丸の誕生を祝い、斉彬を支えていく所存と久光。
この国が無くなるかもしれぬという時に些細な事を言うなと斉彬。
アメリカが再びやってきて、更なる開国と交易を求めに来ると斉彬。
そのために大砲や鉄を作っているのは知っていると久光。
大砲だけでは無い、フランスから軍艦も買うと斉彬。
本気で戦に勝てると思っているのかと久光。
西郷、答えよと斉彬。
大事な事は戦ではなく、対等に付き合う事と言上する西郷。
なんじゃお前はと一喝する久光。
久光に、お前も変わらねばならぬと斉彬。

正助の祝言の日。正助の祝言を喜び合う仲間たち。
その時、斉彬から呼び出しが掛かった西郷。
ここは良いから早く行けと正助。

斉彬の急用とは、阿部正弘が急死したという知らせでした。
慶喜推挙の件は一旦取りやめにせねばと斉彬。
篤姫様が居る、命がけでこの国を変えようという思いは自分もまた同じと西郷。
今までの様な訳には行かない、
すぐに江戸に発ち、再び働いて貰わねばならぬと斉彬。
恐れながら一つ願いがありますと西郷。

果ててしまった正助の宴。一人西郷の帰りを待っていた正助。
改めて祝いを言う西郷。

正助も一緒に行こう、殿に役に立つ男だと申し上げたところ肥後藩まで連れて行けと言われたと西郷。
おいがいつそんな事を頼んだ、恩着せがましいと怒り出す正助。
恩など着せていないと西郷。
西郷が江戸で大事な働きをしている間、自分たちも必死でこの地で働いてきた。
軍艦だ、エレキテルだと金を湯水の様に使っている間に、
吉二郎たちは貧乏に負けんと言って懸命に働いてきたと正助。
西郷は変わってしまった、遠くへ行ってしまったと正助。
変わらねばならぬ時もある、今はこんな言い争いをしている時ではない、
この国を変えるべき時だと西郷。
もう良い、顔も見たくない、おいの前から消えてくれと正助。
悄然と去る西郷。
そのやりとりを聞いていた満寿。

江戸へ旅立つ西郷。

朝餉の後、旅支度をして待っていた満寿。
両親からも後押しされ、西郷の後を追う正助。

忘れ物をしたと言って戻ってきた西郷。
大事なものを忘れたのかと正助。
大久保正助を忘れてきたと西郷。
二人で駆け出す西郷と正助。


「今回は篤姫の輿入れに奔走する西郷に始まり、月照との出会い、正広の死、正助との旅立ちが描かれました。」

「西郷が篤姫の嫁入り支度を命じられたのは事実で、自ら商家にも出入りし、1年で支度を調えたと伝わります。この副産物として、無骨な西郷が女性の髪飾りなどの目利きが出来るようになったのでした。」

「ただ、家定への輿入れが遅れたのは嫁入り道具が駄目になったせいではなく、前回にも書いたとおり頻発していた地震やペリーの再来港などの対応で、幕府がそれどころではなかった事に依ります。」

「薩摩の切子硝子は西洋に受け入れられ、重要な輸出品となりました。現在にもその技術は受け継がれており、斉彬の確かな先見性が窺える事実です。」

「斉彬は写真好きとしても知られ、最も早く写真に写った大名とも言われます。また、自ら写真を撮る事も好きだった様ですね。ドラマにあったように家臣を撮った事もあったのでしょう。」

「電信機の実験にも熱心で、鶴丸城と休憩所の間に電信機を引くという実験も行っています。ドラマはこの実話に基づいた再現だったのでしょう。」

「月照はこれからの西郷にとって重大な人物で、正広亡き後の将軍後継工作に深く関わる事になります。さらなる縁についてはこれから描かれる事でしょう。」

「西郷が目黒不動に不犯の誓いを立てたのも事実で、斉彬の側室が懐妊した事を受けての事でした。ドラマで側室に触れなかったのは斉彬の印象を悪くしないための配慮からでしょうか。」

「西郷が不在の間に西郷家が貧窮のどん底に陥ったのも事実で、家屋敷も失うまでに追い込まれたのでした。それでも吉二郎の懸命の働きで、一家離散という破局にまでは至らずに済んでいます。」

「正広の死は斉彬の一派にとっては大きな打撃でした。幕府内に直接働きかける手立てを失った事になり、これ以後朝廷からの勅諚というやや迂遠な方針へと転換せざるを得なくなります。」

「次回は慶喜擁立を巡って本格的に動きがある様ですね。特に直弼と西郷が直接対峙するとか。どんな緊張感のある場面になるのか楽しみですね。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.04.07

京都・洛北 京都桜事情2018 ~なから木の道 3.31~

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植物園を出て、なから木の道の桜を見る事にしました。でも、あまりに人が多かったので、橋を渡って対岸から見る事にします。

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なから木の道が整備されたのは昭和48年(1973年)の事。北大路橋と北山大橋の間のおよそ800mの区間に約70本の八重紅枝垂れ桜が植えられました。以来45年の歳月が過ぎ、今では立派な桜並木へと育ち、京都の桜名所の一つに数えられる様になっています。

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でも、実は数本ほど八重では無い紅枝垂れ桜が混じっており、長い間なぜ早く咲く花があるのか不思議がられていました。どうやらこれは、植えた当時に苗を間違えた事に原因があった様です。苗の状態では見た目で区別が付かないですから、さしもの専門家も間違えてしまったのですね。

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この日はほぼ満開で、見頃の様でした。今日あたりはまだ満開ながらも色抜けがしてしまっているんじゃないかしらん。確か鴨川茶店が開催されるのは今日、明日のはずでしたから、今年の桜の進行の早さは、誰にとっても読みにくかったという事なのでしょうね。

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道の半ばにある飛び石は、ご覧の通り大人気でした。春の陽気に誘われて、水辺が恋しくなったのでしょうね。この飛び石の上から川越しに見る桜並木も、なかなか素敵なものがありますよ。また来年に試して見られては如何ですか。

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2018.04.06

京都・洛北 京都桜事情2018 ~京都府立植物園 3.31~

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平成30年3月31日の京都府立植物園です。この日はソメイヨシノと桜苑の枝垂れ桜群が満開となっていました。

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桜苑の全体はこんな感じです。数年前から土壌改良などが施された効果が現れたのでしょうか、どの桜も綺麗に咲いていました。職員の方もこの結果は嬉しい事でしょうね。

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早咲きの桜はすっかり色抜けがしていました。でも花は痛んでおらず、これはこれで綺麗でしたよ。

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こちらはレンギョウとのコラボレーション。こんな具合に、他の花と一緒に楽しめるのは植物園ならではです。

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ソメイヨシノは満開でしたが、色抜けがしており、散り初め間近という感じでした。今頃は桜吹雪になっているころかな。

この写真が上を向いているのはこの下に花見客が大勢居るためです。とにかくこの日は大変な人出でした。今年の花見のタイミングはまさにピンポイント、今週末はもう駄目でしょう。なんとも慌ただしい花見シーズンではありました。

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2018.04.05

京都・洛中 京都桜事情2018 ~妙顕寺 3.31~

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平成30年3月31日の妙見寺です。この日はソメイヨシノや紅しだれ桜、八重紅しだれ桜が同時に満開となっていました。

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門前には紅しだれ桜と八重紅しだれ桜があるのですが、同時に満開となっているのは珍しい事だと思います。さすがに紅しだれ桜の方は色抜けがしていましたが、それでも花は元気な状態で、散り際という風情でもなかったです。

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大客殿前の庭にも紅しだれ桜があるのですが、こちらは完全に色抜けがしており、見頃は終わっていました。この前週にはまだ咲きかけだったのですが、あっという間に盛りは過ぎてしまった様です。

ところでこの傘は夜間拝観時のライトアップ用のオブジェです。夜間拝観は4月12日まで行われており、18時からの受付となっています。この庭のほか孟宗竹の坪庭にもオブジェがあり、幻想的な光景が見られそうですよ。

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妙顕寺は境内にも桜が沢山あり、数年前に植えられた八重紅しだれ桜が良い感じに育って来ました。あと数年もすれば、さらに見応えのある桜となる事でしょう。

Myoukenji1804056

ソメイヨシノは風が吹くたびに花びらが散る状態でした。満開の姿も良いですが、こうした散り初めもまた風情のあるものですね。見頃の八重紅しだれ桜と散り初めのソメイヨシノと、桜の美しさを堪能させて頂きました。

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2018.04.04

京都・洛東 京都桜事情2018 ~平安神宮 3.31~

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平成30年3月31日の平安神宮です。この日は八重紅しだれ桜が満開となっていました。

Heianjingu1804052

八重紅しだれ桜は入り口を入ってすぐのところから始まります。以前はそれほど多くなかったと思うのですが、次々に新しい苗が植えられており、数年後にはさらに見事になる事でしょう。ただ、入り口が混雑する事になり、渋滞するんじゃないかと余計な心配もしたりします。

Heianjingu1804053

以前からある八重紅枝垂れ桜は入り口から下ったところにあり、谷崎潤一郎の細雪に出てくる桜はこちらの方でしょうね。谷崎が仰ぎ見る紅の雲と表現したのも、なるほどと思わせるものがあります。

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八重紅しだれ桜は年によって当たり外れがありますが、今年はまずまずの当たり年だったと言えるのでしょうか。木によって差はありますが、これだけの桜を見られたのだから満足とすべきなのでしょう。

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この日はほぼ満開でしたが、すでに色抜けの始まっている木もあったので、そろそろ見頃は過ぎつつある頃と思われます。満開はまだ保っていると思われますので、行かれるなら早くの方が良いですよ。

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2018.04.03

京都・洛北 京都桜事情2018 ~高野川 3.31~

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三条から出町柳まで移動して、高野川へとやってきました。ここは祇園周辺より寒いからでしょうか、ソメイヨシノがまだ盛りに近い状態を保っていました。

Takanogawa1804032

ここは土手の上が道路になっているのですが川沿いに小道があり、そこを歩くと不思議なほど車の騒音はほとんど気にならず、川のせせらぎの方が大きく感じるという静かな散歩道となっています。

Takanogawa1804033

この桜並木は北大路通の上流まで断続的に続いており、途中までなら川沿いに歩いて行く事も出来ます。ただ自転車も通るので、少し気をつけないとひやっとする事があります。

Takanogawa1804035

桜のほとんどが東岸に植えられているのですが、この木は西岸にある一本桜で、高野川でも一際見事なソメイヨシノです。

Takanogawa1804036

そして、こちらは出町デルタの入り口にある山桜で、これも一本桜として見事な枝振りであり、とても綺麗な花を咲かせます。例年ならソメイヨシノが盛りの頃には散っている事が多いのですが、今年は盛りの時期が重なりました。これだけ何もかもが一度に咲く年というのも珍しい事ですね。

ここもそろそろ花が散り始める頃かな。桜吹雪の舞う静かな道を、そぞろ歩いてみるのも良いものですよ。

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2018.04.02

京都・洛東 京都桜事情2018 ~鴨川 3.31~

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祇園白川から鴨川へと出てきました。ここではソメイヨシノのほか紅しだれ桜、八重紅しだれ桜が満開となっていました。

Kamogawa1804022

ソメイヨシノはすぐ近くにあるのに祇園白川よりは進行が遅く、散り初めまでにはもう少し時間がある様でした。それでも今日あたりはそろそろ散り始める頃なのかな。

Kamogawa1804023

この見事な桜は、対岸の先斗町の公園にあるソメイヨシノです。遠目にはまさに盛りの様に見えましたが、近くで見るとどうだったのでしょうね。

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それにしても、鴨川に映える桜は見事です。鴨川の上流にも桜はありますが、川面と桜の間に距離があるため、こんな具合には見えません。さらには先斗町の町並みの風情も見逃せませんね。

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八重紅しだれ桜は少し色抜けが始まっていました。元々桜は盛りの短い花ですが、今年は特に儚く散ってしまいそうです。

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2018.04.01

京都・洛東 京都桜事情2018 ~祇園白川 3.31~

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平成30年3月31日の祇園白川です。この日はソメイヨシノが見頃終盤を迎えていました。

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今年の桜は例年より一週間程度早かったのですが、祇園白川はさらに早い進行でした。前週の段階ですでに3分咲き程度だったのですが、この日は満開ではあったものの、散り初め間近になっていました。

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通りの中程にある早咲きの枝垂れ桜はすでに葉桜になっており、ソメイヨシノも一部では新葉が出始めていました。ここまで早いとは予測の範疇を超えてしまいましたね。

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八重紅枝垂れ桜も満開になっており、こちらは少し色抜けが始まっている程度でした。ところで、この川沿いの桜は以前からあったのかしらん。新しく植えられたにしては立派過ぎるし、私が気が付かなかっただけなのかな。

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巽橋の袂にある八重紅枝垂れ桜も満開でした。この木は以前はひょろっとした木だった様に記憶しているのですが、いつの間にこんなに成長したのでしょうね。同じ場所にあった柳も姿を消したし、変わらない様に見える祇園白川も、確実に変化している様です。

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