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2018年3月

2018.03.31

京都・洛東・洛中 京都桜事情2018 ~速報 3.31~

平成30年3月31日現在の京都の桜情報をテキストベースでお届けします。

1.祇園白川

ソメイヨシノのうち西側通路は散り初め、巽橋周辺は見頃終盤でしたが、たぶん間もなく散り初めになると思われます。ここは八重紅枝垂れ桜が見事でした。川沿いに1本あったのは新しく植えられたのかな。早咲きの枝垂れ桜は既に葉桜になっていました。

2.鴨川(三条~四条)

ソメイヨシノ、紅枝垂れ、八重紅枝垂れと三種がそろい踏みです。こういう年は珍しいですね。ただ、紅垂れは色抜けがしていましたし、八重紅垂れも色抜けが始まっている木もあり、盛りはそう長くはないと思われます。

3.高野川

ソメイヨシノが満開、見頃です。ここもピークはやや過ぎており、数日中には散り初めになるかと思われます。出町デルタの入り口にある山桜が満開で見頃でした。これもソメイヨシノと同時とは珍しい事ですね。

4.平安神宮

八重紅枝垂れ桜が満開で見頃でした。なかなかの圧巻でしたが、すでに色抜けが始まりかけている木もあり、盛りはそう長くはないと思われます。ソメイヨシノも満開で見頃、左近の桜も満開で見頃でした。

5.妙顕寺

ソメイヨシノは満開でしたが、風が吹くと花びらが盛大に散っており、散り初め直前といったところです。八重紅垂れ桜は満開で見頃、庭園内の紅垂れ桜は色抜けがしており、盛りは過ぎていました。また、門前の紅垂れと八重紅垂れが同時に満開で見頃になっており、これも珍しい事と思われます。

6.妙覚寺

門前の枝垂れ桜は色抜けがしており、盛りは過ぎていました。先週は半分が咲いていなかったのですけどね、一度に咲いてあっという間にピークが過ぎてしまったのでしょうか。また、塔頭の善明院の八重紅垂れ桜は満開でしたが、今年は半分程度しか咲いておらず、外れ年の様です。

7.京都府立植物園

ソメイヨシノが満開で見頃、ただし色抜けはしており、そう長持ちはしそうにありません。桜苑の枝垂れ桜は満開で、盛りと色抜けが混在しています。全体としては見応えはありました。

8.なから木の道

ここは対岸からしか見ていないのですが、遠目には満開で見頃の様でした。

9.加茂川上流

ソメイヨシノが満開で見頃です。ただし、間もなく散り初めになると思われます。

10.上賀茂神社

斎王桜、風流桜が満開で見頃、みあれ桜も満開ではありましたが、今年は半分も咲いておらず、外れ年の様です。また、御所桜も大半は色抜けがしていながらも一部が見頃で満開を保っており、斎王桜との競演は珍しいと思われます。

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京都・洛中 京都桜事情2018 ~立本寺 3.24~

Ryuhonji1803311

平成30年3月24日の立本寺です。この日は本堂前にあるしだれ桜が、満開、見頃となっていました。

Ryuhonji1803312

ここに桜があるのは知っていましたが、花を見るのは初めての事になります。早咲きか遅咲きかが判らず、いつ来れば良いのか判断が付かなかったのですよ。

Ryuhonji1803313

桜自体は小降りですが、花付きが素晴らしく、見応えはありますね。たぶん近所の人たちでしょうか、何人もの人がこの花を見に訪れていました。

Ryuhonji1803315

花色は白っぽく、ここもピークは過ぎていたのでしょうね。桜の盛りの時に訪れるのは、本当に難しいものだと思います。

Ryuhonji1803316

境内にはソメイヨシノが多くあるのですが、一部で咲いていた他はつぼみが膨らんだ程度でした。今日あたりはそのソメイヨシノが見頃となっているころじゃないかしらん。以前は児童公園だったところが老人ホームとなり、桜の数も半減していますが、まだまだ見所はあると思いますよ。

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2018.03.30

京都・洛中 京都桜事情2018 ~平野神社 3.24~

Hiramojinja1803311

平成30年3月24日の平野神社です。この日はしだれ桜を中心に、いくつかの桜が見頃を迎えていました。

Hiramojinja1803312

こちらは京都でも最も早く咲くと言われる魁桜です。今年も見事な咲きっぷりでしたよ。

Hiramojinja1803313

花色は白く、やはりピークは過ぎていた様です。でもこれだけ満開の姿を見ると、それだけでも十分という気がしますね。

Hiramojinja1803315

魁桜の他には、陽光桜が満開、見頃となっていました。こちらはまさにピークで、その美しい花色は名前のごとく輝いて見えました。

Hiramojinja1803316

桜苑で見事だったのは雪山桜で、丁度満開で見頃でした。これだけの桜なのに、あまり話題に上らないのが不思議な気もしますね。桜苑の隅っこにあって、あまり目立たないのが悪いのかな。もし一本桜として咲いていたのなら、名所となる事請け合いの桜ですよ。

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2018.03.29

京都・洛中 京都桜事情2018 ~水火天満宮 3.24~

Suikatenmangu1803311

平成30年3月24日の水火天満宮です。この日は紅しだれ桜が満開、見頃となっていました。

Suikatenmangu1803312

一時期に比べると下に垂れる枝が少なくなっており、そのぶんさみしく感じますね。やはり人通りがあると、繊細な枝は駄目になってしまうのでしょうか。

Suikatenmangu1803313

花色は相変わらず素晴らしく、色艶から見て多分この日がピークだったのではなかったと思われます。

Suikatenmangu1803315

水火天満宮にはもう一本、八重紅しだれ桜があるのですが、この日はまだつぼみが膨らんだ程度でした。あまり花付きは良くない感じだったので、今年は外れ年なのかもしれません。当たり年の時は、やや盛りの過ぎた紅しだれ桜とともに境内を彩ってくれるのですけどね、今年はどんな感じになるのでしょうか。

Suikatenmangu1803316

南の鳥居の畔にある蹲居には、誰かが置いた落ち椿がありました。水に濡れた花びらがまるで蝋細工のようであり、とても綺麗でしたよ。桜ばかりではない水火天満宮の美しさを、教えてもらった様な気がしました。

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2018.03.28

京都・洛中 京都桜事情2018 ~本満寺 3.24~

Honmanji1803301

平成30年3月24日の本満寺です。この日はしだれ桜が満開、見頃となっていました。

Honmanji1803302

この木は樹齢が90年ほどという事ですが、今の京都市内にあっては最も勢いのある桜の一つではないかと思われます。

Honmanji1803303

この桜は外から見るのがもちろん綺麗なのですが、下に入ると巨大な桜の傘の様になり、独特の雰囲気になるのも素晴らしいですね。

Honmanji1803305

この日は花色が少し白くなっており、ピークはわずかに過ぎていた様でした。桜は満開になる直前が最も花色が美しいと言いますから、この日の前日あたりが本当の見頃だったのではないかと思われます。 

Honmanji1803306

とは言え、これだけ見事な桜はそう多くなく、今年もこの花に出会えて良かったと思っています。桜は200年、300年と生き続けますから、この木も盛りになるのはまだまだ先、これからも末永く美しい花を見せて欲しいと思っています。

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2018.03.27

京都・洛東 京都桜事情2018 ~三年坂 3.24~

Sannezaka1803281

三年坂の途中に、見事なしだれ桜があります。明保野亭の敷地に生えているのですが、樹齢は何年程になるのでしょうね。

Sannezaka1803282

この桜は早咲きで、平野神社の魁桜と同じ頃に見頃となります。早い年には東山花灯路の会期中に満開となる事もあります。

Sannezaka1803283

電線が地中化される前はこの花の中に何本も電線が通り、いかにも危ない感じがしていたのですが、今はすっきりとした景観となって安心して見ていられます。

Sannezaka1803285

この日は花色がやや白っぽくなっており、わずかにピークは過ぎている様でした。一日か二日早ければ、もっと綺麗な花が見られたのでしょうね。

Sannezaka1803286

とは言えボリューム感は素晴らしく、十分に見応えはありました。今頃はさらに色抜けが進んでいる頃かな。でも満開は保っていると思われ、遠目にはまだ綺麗に見えると思いますよ。

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2018.03.26

京都・洛東 京都桜事情2018 ~建仁寺から八坂の塔 3.24~

Kenninji1803271

平成30年3月24日の京都は、しだれ桜を中心に見頃となっていました。ここ建仁寺では、浴室の前の紅しだれ桜が満開となり、とても美しい花を見せてくれていました。

Kenninji1803272

この日咲いていたのはこの木だけだったのですが、ソメイヨシノのつぼみは膨らんでおり、そろそろ咲き始める頃かと思われます。たぶん、今週末にはかなりの見頃になっているんじゃないかな。

Yasakanotou1803281

建仁寺から八坂の塔へとやってきました。ここでは夢見坂の途中にある紅しだれ桜が楽しみだったのですが、あまり花付きが良くなかったのが残念でした。綺麗に咲かせるというのは、なかなか難しいのでしょうね。

Yasakanotou1803282

その途中にあるのが八坂庚申堂です。ここはこのカラフルなくくり猿がインスタ映えするということで、今人気になっている場所です。この日は朝早くだったので誰も居ませんでしたが、昼頃に行くと大勢の人で賑わっていますよ。

次はさらに坂を上って三年坂へと向かう事にします。

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2018.03.25

西郷どん 第十二回「運の強き姫君」

安政2年、特赦令により戻ってきてた次右衛門。
喜ぶ大久保家の人々。

2年経っても篤姫の輿入れが決まらず、苛つく幾島。

斉彬に直訴する幾島。快く思っていない者が居るのだと斉彬。
それは井伊掃部頭かと幾島。
ならば大奥に手を回し、誰よりも世継ぎを望んでいる本寿院に働きかけてはと幾島。
人も金も惜しむなと斉彬。

西郷にも外側から目一杯働きかけよと幾島。

早速、各藩への書状と礼金を預けられた西郷。

西郷に、もしや輿入れの事が破れたのではないかと聞く篤姫。
めっそうもない、しかし、本当に御台所になりたいのですかと問う西郷。
それでなければここまで来た意味が無い、力を貸してくれと篤姫。

磯田屋。
お忍びで他藩の内情を探りに来た幾島、案内する西郷。

他藩の重役の接待に精を出す西郷。ついには裸踊りまで披露します。

その西郷の所業を怪しむ大山と俊斉。

薩摩、重富島津家。
久光に宝島事件の資料を届けに来た正助。
その資料の中に忍ばせてあった久光宛の書状。
久光への忠義を尽くすと言う正助。

江戸城。
役人に袖の下を渡し、大奥へと入った幾島。

家定の母、本寿院に斉彬から贈られた数々の豪華な品。
それとなく、篤姫の輿入れを快く思っていない者が居るとほのめかす幾島。
それは彦根殿か、ならば我らの後押しが欲しいという事かなと本寿院。
お力添えをと幾島。

母として最も望むことは、我が子を一人にして欲しくないという事と本寿院。
篤姫の良いところは体が強く、その上運が強いというところと幾島。
ならばその運に載ってみようかと本寿院。

双六で遊ぶ家定。その前に居並ぶ直弼と正広。
家定の前に御台所候補の絵を並べ、この中から選びなさいと本寿院。
これにすると直弼を指した家定。当惑する直弼。

一人庭に出てアヒルが死んだ事を嘆き、みんな自分を残して死ぬ、
死なない御台所が欲しいと家定。
丈夫で運の強い姫君ならこれですと篤姫を推薦する本寿院。
ではこれにすると家定。
一人異を唱える直弼。家臣の分際で何事、控えよと一喝する本寿院。

篤姫に輿入れが決まった事を伝える斉彬。
喜ぶ篤姫。複雑な心境の西郷。

家定がどのような人物か知りたくないのかと斉彬。
この世で並ぶべきものが無い公方様、口にするのも勿体ない事と篤姫。

斉彬に、篤姫は家定の体が弱く、
世継ぎを産むことが出来ないと知らないまま輿入れをするのかと問う西郷。
篤姫にはいずれ自分が話すと斉彬。
それを陰で聞いていた幾島。

篤姫を厳しく鍛える幾島。倒れる篤姫。庇う西郷。
これからは一人で戦って行かなければならない、強くなれと幾島。

安政2年10月2日。
篤姫に家定に子は出来ぬ、母としての喜びは無い、
そなたの本当の役目は慶喜を次の将軍にする事と告げる斉彬。
衝撃を受けにながらも、運命を受け入れた篤姫。

その夜、江戸を襲った大地震。
慌てて斉彬の下に駆けつけた西郷。その無事を見届け、篤姫の下に向かう西郷。
篤姫を救くい、早く逃げてくださいと西郷。
このまま殿も公方様も居ないところに一緒に逃げて欲しいと篤姫。
どんなところでもお供しますと西郷。
その言葉が聞きたかったと篤姫。
篤姫を促す西郷。
もう良いと篤姫。

覚悟を決めた様に毅然とし、御台所となるべき体をよく守ってくれたと篤姫。

「篤姫の輿入れは、確かに2年近く待たされました。けれども、その理由は井伊直弼が反対した訳では無く、ペリーの二度目の来航があった事、各地で大地震が頻発した事などにより、幕府がその対応に追われて輿入れどころでは無かった事に依ります。」

「安政の大地震とはドラマにあった様に江戸を襲った地震だけではなく、その前に起こった南海トラフや東海トラフに依るものと思われる大地震、飛騨や東北、四国などで起こった内陸型の地震などを総称して言われます。この続発した地震が各地に甚大な被害をもたらし、幕府は次々と寄せられる援助の訴えに対応すべく、右往左往していたのでした。」

「紀行で紹介されていた藤田東湖もこの地震で亡くなったのですが、橋本左内と並んで西郷に影響を与えた重要な人物でした。ドラマにいつ登場するのかと思っていたのですが、見事にスルーされましたね。」

「東湖は斎昭を支えた水戸藩の重鎮で、彼が居たからこそ水戸藩が幕末の中心となる事が出来ていたのでした。彼の死後の水戸藩は派閥が分裂して互いに抗争し合うようになり、遂には藩そのものが人材を失い力を無くす事となってしまいます。」

「篤姫に関しては、何度も書いている様に幕府から望まれた縁談であり、その理由の一つとして島津家の家系として体が丈夫だったからだとも言われています。このあたりはドラマに描かれたとおりですね。決して慶喜を将軍とするために将軍家に送り込まれたのではありません。」

「ドラマに戻って、輿入れ実現のために奔走する幾島と西郷の描き方は面白かったです。あの物堅い幾島は、いざとなると腹芸も出来る女丈夫だったのですね。」

「西郷の裸踊りも妙に面白く、はまっていました。ただ、本当の西郷は下戸で、酒は飲めなかったのですけどね、そのあたりはドラマの演出として必要なところなのでしょう。」

「篤姫が西郷に一緒に逃げて欲しいと言ったのは本音だったのでしょう。西郷が自分に寄せる思いを知っており、家定が不能者であると聞いてつい口に出してしまったのでしょうね。その後すぐに覚悟を決めたのは、さすがに薩摩の姫君だった事はあります。」

「このあたりは無論創作ではありますが、このドラマの西郷らしさがよく出ていたと思います。また、毅然とした篤姫も見事でした。」

「家定の描き方もただの不能者としてではなく、自分の感情を持った一人の人物として表現されていました。彼がアヒルを飼っていたのも、ただ寂しかったからだけなのですね。突拍子もない人物ではありますが、哀れを誘う境遇の人でもあったのでした。」

「次回は西郷が故郷に帰る様です。そして、斉彬の盟友である正広が急死してしまうようですね。これから激動の時代を迎える訳ですが、その中で西郷がどう描かれるか楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.03.24

京都・洛東・洛中 京都桜事情2018 ~速報 3.24~

平成30年3月24日現在の京都の桜情報をテキストベースでお届けします。

1.祇園白川

早咲きの枝垂れ桜が満開となっています。ただ、樹勢の衰えが著しく、あまり見応えはありません。他の枝垂れ桜は三分から五分咲き程度です。ここはソメイヨシノが早く、西側の通路で五分咲き程度、巽橋のたもとで三分咲き程度になっていました。

2.建仁寺

浴室の前の枝垂れ桜が満開、見頃となっています。とても綺麗でしたよ。

3.三年坂

坂の途中の枝垂れ桜が満開、見頃となっています。ただ、少し色抜けがしており、ピークはわずかに過ぎてしまった様です。

4.本満寺

枝垂れ桜が満開、見頃となっています。わずかに花色が白くなっており、ピークは昨日あたりだったのかしらん。でも、見応えは十分でした。

5.妙覚寺

山門前の枝垂れ桜が五分咲き程度になっていました。ここはいつもの事なのですが、半分ずつ咲くような感じで、咲いている部分は満開、咲いていない部分はまだつぼみといった具合です。一度冷え込むと開花が止まってしまうのでしょうか。

6.水火天満宮

早咲きの枝垂れ桜が満開、見頃です。まさに今日あたりがピークだったんじゃないかしらかん。以前に比べると枝垂れる枝が少なくなっておりやや見劣りがしますが、花そのものはとても綺麗ですよ。

7.千本釈迦堂

阿亀桜が満開、見頃です。でも、この木も衰えが目立ち、花芽の無い枝がかなりの部分を占めています。一体どうしてしまったのでしょうね。

8.平野神社

魁桜が満開で見頃、陽光桜も満開で見頃でした。また、桜苑では雪山桜が満開で見頃、早咲きの枝垂れ桜も満開となっていました。ソメイヨシノはまだつぼみが膨らんだ程度でした。

9.立本寺

本堂前の枝垂れ桜が満開で見頃でした。ソメイヨシノは一部で咲きかけでしたが、大半はまだつぼみが膨らんだ程度でした。

10.京都御苑

出水の枝垂れ桜が満開で見頃、近衛邸跡の糸桜の早咲き系は満開で見頃でした。ここはとにかく人出が多かったです。

その他では白木蓮が満開で見頃、ただし花数はやや少なめです。また、梅林は遅咲きの梅が満開で見頃、桃林も満開で見頃でした。ソメイヨシノはまだ咲いていません。石薬師門前のエドヒガンは三分咲き程度でした。

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京都・洛東 春の宵2018 ~祇園白川 3.17~

Gionsirakawa1803251

黒谷で夕日になっていた空も、四条につく頃にはすっかり暮れていました。本当はこれから東山花灯路に行くつもりだったのですが、すっかり疲れてしまって人混みの中に入っていく気力が無くなってしまいました。

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四条に来た一つには、薄暮の鴨川の景色を撮りたいという事もありました。ただ思ったほど綺麗では無かったですね。鴨川沿いの明かりが意外なほど無かったのですよ。もう少し粘っていたら、丁度良い感じになっていたのかな。

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祇園白川では、すでにしだれ桜が咲き始めていました。ライトアップは昨年から中止されてしまいましたけれど、こうして地明かりに照らされた花を見ると、再開して欲しいなと思ってしまいます。

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巽橋から切り通しにかけては人通りは多かったのですが、一時的に人影が無くなる瞬間がありました。そのチャンスを狙ってパチリ。

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ここに夜に来たのは久しぶりですが、やはり良い風情がありますね。店はいくつか入れ替わっている様ですが、変わらぬものがここにはあります。

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2018.03.23

京都・洛東 京都梅事情2018 ~黒谷 3.17~

Kurodani1803231

真如堂から黒谷へとやって来ました。ここでは勅使門前の梅が満開となっていました。

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この梅は遅咲きなのですが、これだけ咲いているのは初めて見ました。満開になるとこんなに美しい梅だったのですね。

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すでに5時を回っていたので拝観者の影はまばらで、ゆっくりとこの花を見ることができたのは嬉しかったです。それに時々この木の下に駐まっている車が無かったのも幸いしました。

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この木をよく見ていると、幹から直接咲いている花がありました。桜ではよく見る咲き方ですが、梅では初めて見たんじゃないかしらん。桜の様に花柄がないので、まるで幹に貼り付けたように見えましたよ。

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すっかり日が長くなったと言っても、まだ落ち始めると早いですね。暗くならないうちにと、出町柳まで戻る事にします。

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2018.03.22

京都・洛東 早春の境内 ~真如堂 3.17~

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平成30年3月17日の真如堂です。そろそろ木々が芽吹き始める頃ですが、参道はまだまだ冬景色のままでした。

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ここに来た一番の目当てはこのサンシュユでした。そろそろ見頃かと思っていたのですが、まさに満開になったところでした。遠目には春霞の様見えるこの花は、春の使者と呼ぶにふさわしいですね。

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そのサンシュユの隣、境内の東の端にあるのが樹齢300年という仙椿です。花も美しいですが、その堂々たる樹形が素晴らしい木です。

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木の周囲には落ち椿が沢山落ちていたのですが、誰かがいたずらしたのでしょう、柵の杭の上に並べて置かれていました。落ちてなお美しいのが椿の花ですね。

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馬酔木もまた見頃を迎えていました。見た目は地味ですけど、春を感じさせてくれる花として結構好きな花です。この日の真如堂は、春の気配で満ちあふれていましたよ。

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2018.03.21

第52回 京の冬の旅 ~林光院~

Rinkouin1803181

京の冬の旅、最後は相国寺の塔頭・林光院を訪れてきました。ここは初公開の寺で、今後は公開の予定が無いという貴重な機会です。

ここでの見所は、まず藤井湧泉画伯による水墨画で、「竜虎」、「松」、「蓮」、「梅」、「牡丹」などが描かれています。中でも面白いのが看板の上部にある虎図で、一見して猫にも見えてしまうユーモラスな虎ですね。両目を瞑っている様にも見えますが、実は左目はうっすらと開いており、向かいにある龍図の方を見ているのだそうです。

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そして、もう一つの見所が鶯宿梅で、かつて紀貫之の娘の庭にあった梅が、時の村上天皇の命により御所に移植されました。この時娘は、「勅なればいともかしこし鶯の、宿はととはばいかにこたえん」という歌を添えたのですが、それを見た天皇が心を打たれ、梅を返されたという逸話がある梅です。

その後、貫之の屋敷跡に林光院が建てられ、鶯宿梅も接ぎ木などに依る代替わりを繰り返し、今に至っています。

この梅は一本の木から白梅と紅梅が同時に咲くという思いのままという種類で、確か北野天満宮にもあったかな。この日は満開を少し過ぎたところで、前日の雨でかなり散っていましたが、まだ馥郁たる香りは健在で、美しい花も残っていました。

残念ながらここは一切の撮影が禁止されているので写真は無いのですが、玄関先に接ぎ木をされた若木が2本あったので、代わりに撮ってきました。実際の鶯宿梅はもっと立派な古木で、花付きも多くてとても美しいですよ。

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林光院は室町時代に創建された寺で、早逝した足利義満の子、義嗣の菩提を弔うために建てられました。当初は二条西ノ京の紀貫之邸跡に建てられたのですが、その後移転を繰り返し、安土桃山期に秀吉の命によって現在地に落ち着きました。明治維新後の廃仏毀釈により一時は廃院となったのですが、大正15年に再興され現在に至っています。

気になっていた薩摩藩との関係についてですが、話は関ヶ原の合戦時にまで遡ります。この時、西軍に付いていた島津家は西軍敗北時に敵中に取り残されたのですが、退却ではなくあえて正面突破を試み、多くの犠牲を出しながらも脱出に功します。

そして、一時的に伊賀に隠れるのですが、かねてより親交のあった堺の豪商田辺屋今井道與が駆けつけて義弘を先導し、堺から海路薩摩まで無事に送り届けたのでした。この恩賞として道與は島津家秘伝の調薬方の伝授を許されて薬種商となり、現在の田辺製薬へと続く事になります。

義弘はさらに道與に自らの僧行の木像を与え、道與はこれを住吉神社内に建築した松齢院に祀り、義弘亡き後はその位牌も合わせて祀りました。松齢院は後に疲弊してしまうのですが、道與の曾孫である乾崖梵竺が林光院五世住職となり、松齢院にあった木像と位牌を林光院に移し、島津家が遷座供養を修行しました。これによって林光院と島津家に関係が生じ、幕末に至るまでそれが続くのですね。相国寺の境内の一部を薩摩藩邸として貸し与えたのも、林光院との関係があったからでした。鳥羽伏見の戦いの犠牲者の墓が林光院の境外墓地にあるのもこの由来に依ります。

林光院にこんな歴史があったとは全く知らなかったのですが、やはり行って聞いてみるものですね。いつか西郷どんの紀行にも登場するのかな。京の冬の旅は終わってしまいましたが、最後にここに行けて良かったと思っています。

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2018.03.20

京都・洛東 京都桜事情2018 ~知恩寺 3.17~

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おかめ桜と同じ頃に見頃となるのが知恩寺のふじ桜です。今年もやはり丁度満開を迎えていました。

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このふじ桜は富士山の周囲に多いという富士桜と混同される事が多いようですが、富士桜はまめ桜の一種で花がずっと小さいとのことなので別種ではないかと思われます。

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この花の特徴は濃い桜色をしたしべにあり、他の桜にはない美しさを持ちます。正確な品種を知りたいところですが、どなたかご存じないかしらん。

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山門を入ったすぐ脇、保育園の西側にも桜が咲いていました。これを遠目に見たときにはふじ桜が新たに植えられたのかと思ったのですが、帰ってから写真をよく見ると違う桜でした。この時期に満開になる桜って何でしょうか。また一つ由来を知りたい桜が増えてしまいました。知恩寺は面白いところですね。

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2018.03.19

京都・洛東 京都桜事情2018 ~長徳寺 3.17~

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平成30年3月17日の長徳寺です。この日はおかめ桜が満開、見頃となっていました。

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この桜は早い年で10日前後、遅い年で20日前後に満開になります。それからすると、今年は例年並みかやや遅いといったところでしょうか。

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この桜は川端通に面していて、さらにバス停前にあるというとても目立つ場所にあるからでしょう、私が行った時にはすでに大勢の人が桜を取り巻いていました。上を向いた写真が多いのは、カメラを下に向けると人だらけになってしまうためです。

Tyoutokuji1803206

後から北側に植えられた桜も立派に育ち、きれいな花を咲かせていました。以前は一本きりだったのが、今ではちょっとした桜の名所ですね。まだ満開になったばかりの様でしたから暫くは見頃が続くでしょうけど、今週は雨がちらしいので見に行かれるなら早いほうが良いですよ。 

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2018.03.18

西郷どん 第十一回「斉彬暗殺」

将軍家定に拝謁し、篤姫入輿を願い出た斉彬。
あらぬ方を見やって、意思疎通も出来かねる家定。

将軍継嗣問題で対立する井伊直弼と斉彬。
御身大切にと言い捨てて立ち去る直弼。

虎寿丸と相撲を取る西郷。
その時、突然倒れた虎寿丸。

数日後亡くなった虎寿丸。

悲しみを胸に仕舞い、西郷に斎昭と慶永の宴の手はずを進めよと命ずる斉彬。

虎寿丸の死をお由羅のせいかと疑う大山たち。
その様子を伺っていた不審な人物。

高輪屋敷。
虎寿丸の死を聞き、また私が疑われるのかとお由羅。

鹿児島。
お由羅派に復讐をしようといきり立つ仲間を止める正助。

鶴丸城、記録書。
久光から文政七年の宝島の記録を探せと命じられた正助。
その理由を問う正助。イギリス軍がとんな具合に戦ったのか知りたいと久光。
久光に城下士が騒動を起こしかけている、それを鎮めるのはあなたしか居ない、あなたへの思いは城下士一同同じと正助。
正助の差し出した記録を持って、黙って立ち去る久光。

江戸、薩摩屋敷。
一堂に会した斎昭、慶永、慶喜、斉彬。
控える左内と西郷に近くに寄れと声を掛ける慶喜。

篤姫の輿入れは、薩摩が幕府を牛耳るためのものではないのだなと斎昭。
滅相も無い事と斉彬。
しかし、世継ぎが出来れば気が変わるというのが親心と斎昭。
それは心配ない、世継ぎが出来るはずが無いと慶永。
それはなぜと口走る西郷。
何も知らないのか、公方様は大虚けなのだと左内。
ではなぜ篤姫様をと西郷。
それは公方に跡継ぎは慶喜にと直々に働きかけるためと斉彬。

何を勝手な、自分は将軍になどならぬと慶喜。
ここは日本国のために将軍になってもらわねば困ると斉彬。
異国と互角に渡り合うなど、考えただけでも逃げたしたくなると慶喜。
それで良い、面子にこだわっていては何も出来ないと斉彬。
ここにはまともな父親は居ない様だ、幼子が死んだと言うのに祝いの杯を交わしている、篤姫とやらの行く末も思いやられる、付き合いきれぬと席を立つ慶喜。

磯田屋に来た慶喜。その様子を伺っている長野主膳。

斉彬に、お世継ぎが出来ないというのは本当かと問う西郷。
そのとき、突然倒れた斉彬。

動揺する薩摩藩邸。

水垢離し、祈祷をして斉彬の回復を願う西郷。

なんとか回復した斉彬。

お由羅の呪詛の証拠を探す大山たち。

毒殺を疑い賄い方の様子を伺う西郷。

再び働き出した斉彬に、毒殺の疑いがあると訴え西郷。相手にしない斉彬。その食事から焼き魚を持ち出した西郷。

磯田屋。
左内に斉彬毒殺の疑いがあると切り出す西郷。
その様子を伺い、聞き捨てならぬと部屋に入る慶喜。
目立てばこうやって毒を盛られる、政など命知らずな者に任せておけと慶喜。

左内に焼き魚を差し出し、毒の有無を確かめて欲しいと願う西郷。
銀のかんざしを焼き魚に刺す左内。変色したかんざし。これはヒ素だと左内。
やっぱり毒かと西郷。問題は誰の仕業かということだと左内。

そのとき、乱入してきた面を被った男。
突然左内に刃物を突きつけ、人質に取った男。
後を追う西郷。階段から転げ落ちた左内たち。そのとき、仮面の下を見た左内。

逃げ出した仮面の男。後を追うが見失った西郷。

高輪、薩摩藩下屋敷。
斉興とお由羅に拝謁した西郷。

お聞きしたいことがあると切り出す西郷。その前に褒美だと言って菓子を持ってこさせる斉興。
毒を疑って手が出ない西郷。なぜ食わぬ、毒を盛られたかと思うのかと斉興。
斉彬の食事からヒ素が見つかった誰の仕業かと西郷。
私を疑うのか、証拠はあるのかとお由羅。証拠は無いと西郷。
西郷の目の前で菓子を食べ、我らは毒など盛っておらぬ、証拠などあるはずもないとお由羅。
斉彬を憎んでいるのは自分の他にも沢山居る、これ以上疑うなら容赦はしないと斉興。
そうなれば斉彬も無事には済まないとお由羅。
二度とその顔を見せるなと言われ、返す言葉も出ない西郷。

蒸気機関の実験成功に上機嫌な斉彬。
そこに参上した西郷。

斉興のところへいっておったそうなと斉彬。呼び出された故にと嘘をつく西郷。
この大馬鹿者がと激怒し、西郷を蹴倒した斉彬。
この大事な時に何をやっておるのかと怒鳴りつける斉彬。
殿の命を狙って者の探索をいち早くと言い訳する西郷。
そんな事のためにおまえを召し上げたのではないと斉彬。
殿お命がなりより大事と西郷。つまらん、つまらん、つまらんと叫ぶ斉彬。
時が無い事が判らぬか、命に代えてもやらねばならぬ事があるのだと斉彬。
この国を変える、この国を強くすると斉彬。
なぜお前を側に置くか判るか、私と同じ大馬鹿者、民のために命を捨てられるからだと斉彬。
民のための国をつくりたい、のう西郷と斉彬。

「今回は虎寿丸の死と命を狙われた斉彬が描かれました。この二つの出来事はわずかひと月あまりの出来事で、西郷ならずとも不審に思うのは当然の事でした。」

「疑われたのはドラマにあった様にお由羅の方で、久光を跡取りにしたかったための呪詛だと噂されたのでした。この噂は西郷たちを虜にし、実際にお由羅の方を惨殺しようとまで考え、斉彬の激怒を誘ったのもドラマにあったとおりです。」

「もっとも斉彬自身もお由羅の方に対する感情は良いものではなく、彼女を姦女と呼び、いずれは退散させねばならないとも言っていました。さすがの斉彬も五人の子を失った後では、聖人君子では居られなかったという事ですね。」

「虎寿丸の死因は当時流行していた疫痢のためではないかと考えられ、斉彬の病の原因は判りませんが、毒を盛られたという根拠も無い様です。ただお由羅の方に対する印象は悪く、後の世に様々な虚構が語られる様になり、いつしかそれが真実であるかの様に思われる様になりました。」

「ドラマに戻って、前回斉彬が篤姫は不幸になると言っていたのは、家定に世継ぎが出来るはずも無いと知っていたからの様でした。実際、家定は病弱で、当時から世継ぎは望めそうもないと見限られていた様ですね。ただ、これも前々回にも書きましたが、篤姫を家定の御台所にと望んだのは幕府の側で、それを斉彬が利用しようとしたというのは誤解です。」

「ドラマの中で、斉彬が西郷を蹴倒し、つまらぬと叫ぶシーンは迫力がありましたね。斉彬が真に国の事を思い、自分の事は二の次と考えている事が良く伝わってきました。さすがは渡辺謙だけの事はあるのかな。」

「磯田屋では、後に暗躍する事になる長野主膳がさりげなく登場していました。仮面の男が誰なのかも気になりますね。左内を狙ったという事は、主膳の手の者という事なのかしらん。そのあたりが明かされるのはもう少し先の様です。」

「次回は篤姫の輿入れを巡るいきさつが描かれる様です。そこに西郷が絡んでいくとの事ですが、もしかしたらメロドラマ風になるのかな。どんな具合になるのか、楽しみながら見たいと思っています。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「史伝 西郷隆盛」 海音寺潮五郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著  

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2018.03.17

京都・洛東 東山花灯路2018 ~ねねの道~

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東山花灯路のメインストリートの一つがねねの道です。道幅が狭い事もあってか、常に渋滞する場所でもありますね。

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その取っ掛かりにあるのが大谷祖廟、通称東大谷です。ここがライトアップされるようになったのは昨年からですが、厳かな風情のある良い演出です。

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こちらは岡林院の丸窓です。大抵は誰かがなで仏のところに居るので写真は撮れないのですが、この時はたまたま誰も居なかったので静かな風情を撮る事ができました。

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そして、石塀小路の入り口です。ここは撮影禁止になっていますが、外から撮る分には良いだろうと撮らせてもらいました。もっとも、撮影禁止だとはほとんどの人が知らないらしく、何人もの人がシャッターを押していましたけどね。

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今年の東山花灯路はここまでです。後半は今日行くつもりだったのですが、昼間だけで体力が無くなる有様で、行けず仕舞いでした。残念ですが、また来年ですね。つくづく基礎体力を付けなければいけないと痛感しています。

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2018.03.16

京都・洛東 東山花灯路2018 ~粟田大燈呂~

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円山公園で一番目を引くのが粟田大燈呂です。青蓮院の北に位置する粟田神社の粟田祭りに登場する燈呂で、長く途絶えていたのですが、平成20年に180年ぶりに復活しました。

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現在は京都造形芸術大学の協力で作られているそうですが、記録に依れば室町時代にまで遡るそうで、一説には青森のねぶた祭りの原型ではないかとも言われています。

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もっとも、現在のものはねぶたを参考にしていると思われ、その意味では逆輸入とも言えそうですね。

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粟田祭りは10月に行われ、大燈呂が巡行する夜渡神事は10月7日に実施されます。パンレットに依れば日曜日の午後7時30分頃からとありますから、興味のある方は見に行かれてはとうですか。

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2018.03.15

京都・洛東 東山花灯路2018 ~円山公園~

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円山公園は、最初の頃に比べると少し寂しくなって来ています。毎年楽しみにしていた竹灯りが無くなってしまったし、サクハナ行灯もあおくすの庭に移動してしまいました。池の周囲のライトアップもいつの間にか無くなっていますね。

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枝垂れ桜のライトアップも無くなってから久しいです。とても綺麗だったのだけどな、桜に良くないという事で無くなったのかしらん。

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変わらないのは火の用心お囃子組ですね。開晴小学校と東山泉小学校の生徒たちが、京都のわらべ歌や火の用心の標語を歌いながら会場内を練り歩くのですすが、円山公園では立ち止まってのパフォーマンスを見せてくれます。

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勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ。この遊びも結構本気で、見ていて微笑ましいですね。この後は高台寺と清水寺でも同じパフォーマンスを見せてくれます。でもこれを毎日やるとなると、結構大変だろうな。


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2018.03.14

京都・洛東 東山花灯路2018 ~知恩院~

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春の宵のそぞろ歩きをテーマとして始まった東山花灯路も、今年で16回目を迎えました。毎年少しずつ趣向を変えて来ており、変わらぬものもあれば新しいものも登場しています。知恩院前のステージもその一つで、昨年までのサンドアートパフォーマンスから、ライブに変わっていました。

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この日は「千年の笛、京の響き」というライブコンサートで、凜ひとえさんの歌とダンス、尺八奏者の大山貴善さんの演奏、二人のセッションが行われていました。演奏もロックバンドと和琴、それに笛という和と洋の組み合わせで、京都の夜にふさわしいコンサートでした。

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知恩院前から出発する狐の嫁入りは、ずっと変わらない人気のイベントですね。今年は子供の狐も登場したはずなのですが、行列のどこに居るのかは判りませんでした。それにしても、凄い人だかりでしたよ。

次は時間は前後しますが、円山公園の様子をお届けします。


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2018.03.13

京都・洛中 京都梅事情2018 ~北野天満宮 梅苑 3.10~

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梅苑は昔ながらの佇まいで、ぱっと華やかになった境内に比べて落ち着いた風情を楽しむ事が出来ます。

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そんな中で、今年からの試みとして夜間のライトアップが始まりました。満開の梅を、LEDライトやかがり火、ロウソクの火などが照らし出します。

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残念ながら、この後東山花灯路に行く予定だったので、暗くなるまでは待てなかったのですが、きっと幻想的な雰囲気でったのでしょうね。

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ライトアップは2月23日から始まっていて、毎週、金、土、日に行われます。今年は今週が最後で16日、17日、18日の3日間がラストチャンスですね。通常は午後4時までの公開ですが、ライトアップ中は午後9時までの公開となります。

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今年は梅の開花が遅く、どうなる事かと思っていましたが、一番良いタイミングで訪れる事が出来ました。梅の花を堪能した後は、東山花灯路へと向かう事にします。

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2018.03.12

京都・洛中 京都梅事情2018 ~北野天満宮 境内 3.10~

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平成30年3月10日の北野天満宮です。この日は早咲き、中咲きの梅が見頃を迎えていました。

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こちらは本殿前にある飛梅です。太宰府に流された菅原道真公の後を追ったという伝説の梅ですが、実際350年ほど前に接ぎ木されているそうですね。つまりはその前からあった梅を受け継いだという事で、伝説が本当かも知れないと思わせるロマンのある梅です。

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北野天満宮は、以前は無料だった境内も半分ほどが有料区域になっています。その分小川のある庭園として整備され、新しい梅も植えられているのですけどね、以前の様に境内を見るだけで満足とは行かなくなっています。

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このあたりが新しい梅で、色鮮やかなしだれ梅が多いですね。以前より一段と華やかになた事は確かです。

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それにしても700円は高いよなあと思いつつ、昔ながらの梅苑へと向かう事にします。

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2018.03.11

西郷どん 第十回「篤姫はどこへ」

斉昭への使いの報告をする西郷。
慶喜と出会った事を聞き、さらに親しくなる様にと命ずる斉彬。

実父が死んだ事を知らされた篤姫。

ヒー様の正体を確かめるべく、磯田屋を訪れた西郷。
また出会った俊斉と大山。

おタマを呼んだ大山。胸が重いとおタマ。

ヒー様が来ている事を聞き、無理やり二人きりになる西郷。
その様子を探っている一人の男。

自ら慶喜と認めたヒー様。
自分は将軍になどならない、色々動かれて迷惑していると伝えておけと慶喜。
何のことか判らぬ西郷。

急に倒れたおタマ。大騒ぎとなる磯田屋。
そこに現れた先ほどの男。瀉血を施し、おタマを助けます。

お主は誰だと問う慶喜。越前から出てきたつまらぬ者と男。

事の顛末を斉彬に報告した西郷。
引き続きヒー様の動向を探れと斉彬。

その時、篤姫が居なくなったという知らせが入ります。
西郷に篤姫を連れ帰れと命ずる斉彬。

江戸中を探し回り、やっと海岸で篤姫を見つけた西郷。
実の父が亡くなった事を嘆く篤姫。

斉彬の下に帰った篤姫。
篤姫に輿入れ先は家定と告げた斉彬。
私に御台所が務まるでしょうかと篤姫。努めてもらわねば困ると斉彬。
そこに現れた教育係の幾島。

西郷に篤姫付き用人を命じた斉彬。
薩摩言葉を聞き、先が思いやられると幾島。

早速始まった幾島の教育。
大奥の出世双六を見せ、器量と才覚、威厳が求められると幾島。

礼の仕方、琴の弾き方、長刀などの厳しい稽古。

暇を見つけ、西郷に楽しい時はどんな時かと尋ねる篤姫。
薩摩に居た頃、家族と賑やかに過ごした事だと西郷。
私も賑やかな家で育った、楽しかったと篤姫。

次は男女の秘め事を学べ、お世継ぎを生むのが御台所の勤めと幾島。
西郷に下がれと幾島。

部屋に戻った西郷を待っていた先日の男。
内密な話があると言い、自分は福井藩の橋本左内と名乗った男。

自分は西郷と同じ、主君の松平慶永の密命を受けて動いていると左内。
今日は慶喜を次の将軍とする企てのために来たと左内。
それを聞いて驚いた西郷。

次はご公儀の仕組みについて説明する幾島。
斉彬が末席にある事を驚く篤姫。
それは関ヶ原で負けたせい、
お世継ぎを生めば斉彬が外祖父として幕府の実権を握られる日が来るかもしれぬと幾島。

斉彬は外国に対抗するため、幕府の仕組みを根本から変えるつもり、
そのために慶喜を将軍にするのだと左内。
篤姫が生む子が次の将軍ではないのかと西郷。

今の幕府は無能、斉彬は衆議一致という新たな仕組みを作ろうとしていると左内。
それは有力な諸藩が意見を出し合って政をするのだと左内。
日の本が一致して政を行うのかと西郷。

幕府は徳川のための政をしてきた、
だからそれを壊すために慶喜の将軍就任と篤姫の輿入れという二つの企てを進めているのだと左内。
なぜ二つの企てをと西郷。それは家定の体が弱いからだと左内。

情緒不安定な家定。

篤姫が世継ぎを生んでも幼子では難局を乗り切れない、それゆえ英邁な慶喜を将軍に据えるのだと左内。
自分は江戸に来たばかりで、将軍や御台所は雲の上の存在だと西郷。
自分は大きな勘違いをしていた様だ、こんな男を買いかぶっていたとはと左内。

そこに闖入して来た俊斉と大山。
今の話は自分の妄想ゆえ、忘れてくれと言って立ち去る左内。
得心の行かぬ様子の西郷。

なぜ篤姫を輿入れさせながら、慶喜を将軍に据えるのかと斉彬に問う西郷。
異国と互角に渡り合うには英邁な慶喜に将軍になって貰わなければ困るのだと斉彬。
篤姫はお世継ぎを生んで幸せになるのではないのかと西郷。
篤姫は不幸になると斉彬。

「今回は幾島と橋本左内が登場しました。幾島はドラマにあった様に近衛家から篤姫付きの教育係として呼ばれ、後に大奥に入って薩摩藩のために尽くしたと言われます。西郷が篤姫付きの用人となったのは創作ですが、幾島との掛け合いは面白かったですね。」

「西郷は篤姫が最初の御台所と言っていましたが、これは事実ではありません。その前に第十一代将軍の家斉に島津家から茂姫という女性が輿入れしており、御台所となっていました。一説には、この茂姫の縁から篤姫が家定の御台所として選ばれたとも言われます。徳川家と島津家は、すでに強い縁戚関係で結ばれていたのですね。」

「西郷と篤姫の縁は、西郷が篤姫の嫁入り道具を誂える係に選ばれた事に依るものですが、このあたりは後に描かれるのでしょうか。これには色々と逸話がある様ですが、スルーしてしまうのかな。」

「橋本左内は徳川慶永、後の春嶽の懐刀と呼ばれた男で、西郷も同輩の中では左内を最も推すとまで心酔した人物です。ただし、最初の出会いの時は年下の左内を西郷は見くびり、冷淡な応対に終始したと伝わります。このあたりはドラマとは逆ですね。しかし、左内の話を聞く内にその識見に驚き、態度を改めたのでした。」

「細かい事を言えば、左内と西郷が出会ったのは水戸藩の原田八兵衛宅で、薩摩藩屋敷ではありません。そして、左内は西郷の印象を燕趙非歌の士(時勢を憤り嘆く人)と記しています。このあたりもドラマとは違います。」

「左内が医術の心得があったというのは本当で、大坂の緒方洪庵塾で学んでいます。そのほか蘭学や兵学、自然科学なども学んでおり、当時の俊才の一人でした。西郷に開国論を伝えたのも左内ではないかと推測されており、ドラマではこのあたりが再現されていました。」

「左内が言っていた慶喜を将軍職に据える運動をしていたというのは事実で、将軍の跡継ぎになる資格を持っている人物の中では慶喜が最も英邁と見られていました。慶喜自身がそれをどう思っていたかは伝わりませんが、慶喜が優れた人物だった事は確かで、後に西郷たちの前に立ちはだかった事からもその事が伺えます。ヒー様もただの遊び人の様に振る舞いながら、左内がただ者ではないと見抜くところは鋭い一面を見せていました。」

「最後に斉彬の言った篤姫が不幸になるという言葉は気になりますね。次回はその答えが待っているのでしょうか。次回の副題も斉彬暗殺とあり、波乱含みの展開となりそうです。」


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2018.03.10

京都・洛北 京都梅事情2018 ~下鴨神社 3.3~

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下鴨神社の光琳の梅は見頃を迎えていました。前週にはやっと花がほころび始めたところだったのですが、予想していたとおり数日の間に見頃を迎えていました。

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正確には七分咲き程度だったかな。なので、もう少しは見頃を保っているかも知れません。

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この日は流し雛の行事と重なったため、梅の周囲も凄い人だかりがしていました。なので、自由に撮れなかったのか残念ですね。

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この日はこの後北野天満宮まで行くつもりだったのですが、体がつらくなって来たのでここまでにしました。やぱり体力が落ちていますね。

今日は東山花灯路に行っているはずです。もうそんな季節なんだなあと、つくづく年月の早さを感じます。春の宵のそぞろ歩きは次週にお届けするする予定です。

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2018.03.09

京都・洛東 京都梅事情2018 ~智積院3.3~

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法住寺から智積院へとやって来ました。ここでは紅梅が見頃を迎えていました。

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この前週には咲き始めたところでしたが、ここも暖かい日が続いたため一気に咲いた様です。梅はこういう事があるので油断が出来ないですね。

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それにしても美しい紅梅で、深紅という言葉がぴったり来ます。毎年この梅を見に来るのを楽しみにしているところです。

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白梅もまた見頃を迎えていました。紅梅とはまた違った清楚さが美しい花です。

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前週に咲いていたピンクの花は、まだ見頃を保っていました。そろそろ花が傷んでくる頃かと思っていたのですが、長持ちするものですね。でも、今頃は見頃を過ぎているころかな。

紅梅と白梅の方はまた見頃を保っていると思われます。それでも行かれるなら早い方が良いと思いますよ。

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2018.03.08

京都・洛東 京都梅事情2018 ~法住寺 3.3~

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つり雛展で訪れた法住寺では、紅梅が満開・見頃になっていました。

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紅梅があるのは竜宮門の前、通りに面しているので遠くからでもよく目立ちます。

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その竜宮門と一緒に撮ろうとしたのですが、あまり上手くいかないですね。もう少し工夫の余地があると思うのですが、良い角度を見つけられませんでした。

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この紅梅は暫く続いた暖かさにつられて、一気に咲いた様です。まだ暫くは咲いていると思うので、三十三間堂に行かれる事があれば、少しだけ足を伸ばされては如何ですか。

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2018.03.07

京都・洛北 流し雛2018 ~下鴨神社~

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桃の節句の行事、最後は下鴨神社へ行きました。ここでは流し雛が行われていました。

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流しびなは人形に穢れを乗せて流し、子供の無事の成長を願うという行事で、ひなまつりの原型とも言われてます。下鴨神社では、京人形商工業協同組合の主催で行われており、毎年大勢の人で賑わいます。前回行ったのは6年前になりますが、今年はさらに混み合っていましたね。

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このゆるキャラは兜こうたろう。京人形商工業協同組合青年会とありましたが、端午の節句のキャラクターなんかい、と思わずつっこみを入れたくなりました。まあ、今から端午の節句用の兜、人形のPRをしておこうという事なのでしょう。人気はあったのでまあ良いか。

流し雛の受付は10時20分から、11時から流し雛の式典として衣冠束帯、十二単の男女が雛を流し、続いて宮川町の舞妓が続きます。と言ってもあまりにも混雑するので見たことはないのですけどね。一般の参拝者が流せるのは式典が終わった後です。ちなみにひな人形には大小の二種類があって、大きい方が1000円、小さい方が500円です。

今年は12時頃に行ったのですが、まだまだ雛を流す人たちが引きも切らない様子でした。混み合うのは大変だけど、小さな女の子の居る方は、一度行ってみられると良いですよ。


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2018.03.06

京都・洛東 つり雛展2018 ~法住寺~

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三十三間堂の後は、法住寺を訪れました。ここではつり雛展を見るのが目的です。

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このつり雛はご住職の祖母が手作りされたものだそうで、毎年桃の節句前後に寺の一室に飾りつけられ一般公開が行われています。ご出身が静岡との事ですから、伊豆稲取地方の風習を受け継いだものなのでしょうか。

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ここには毎年の様に訪れていますが、今年は拝観の要領が変わり、寺の拝観と一緒になっていました。このため、拝観料が300円から600円にアップしています。まあ、寺の拝観料が500円だったはずなので、割安と考えればそうなのですけどね。

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法住寺の拝観は初めてだったのですが、赤穂四十七士の木像、親鸞聖人が自作されたという阿弥陀如来座像、同じく親鸞聖人のそばくい御影などを見る事が出来ます。また、後白河法皇ゆかりの身代わり不動尊も祀られているのですが、暗がりの中にあるので、お姿は見ることは出来ませんでした。

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つり雛展は3月4日で終了しています。毎年開催期間は微妙に変わっていますので、行かれる際にはあらかじめ確認される事をお勧めします。

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2018.03.05

京都・洛東 春桃会 ~三十三間堂~

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平成30年3月3日、三十三間堂で春桃会、ももの法会が行われました。

3月3日は桃の節句として知られますが、古来から陽数の三が重なる重陽の祝節で、上巳と呼ばれて禊ぎをし、邪気災厄を払う斎日とされてきました。

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三十三間堂もまた三が二つ重なる事からこの祝節にちなんで、ももの法会が行われる様になりました。いつから行われているかは判りませんが、それほど昔からある訳では無く、結構新しい行事の様ですね。

この日は拝観料が無料になるだけでなく、中尊の千手観音座像と結ばれた綱に触れて参拝する結縁綱参拝、京都女子大学落語研究会による寄席、瀬戸内寂聴さんによる青空説法などが行われます。中でも圧巻だったのが東風壇参拝で、堂内に特設された壇上から千体観音像を見るのですが、見渡す限り観音像が並んだ光景は凄いの一言でした。

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こちらは池坊社中による献華法要で、中尊に献華と法要が行われます。と言っても一緒に中に入れる訳ではなく、何が行われていたかは判らないのですけどね。

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このゆるキャラはしょうぐうさん。三十三間堂というより天台宗のキャラクターの様です。ホームページに依ると一隅を照らす運動から生まれたゆるキャラとの事ですが、なんとも可愛いお坊様ですね。

この日は無料公開とあってか、開門前から長い行列が出来ていました。その後も続々と参拝者が来ていたので、たぶん青空説法の頃には相当な混雑になっていたんじゃないかしらん。来年は日曜日になるのでもっと混み合うでしょうね。でも、いつもと違う千体観像を見られるだけでも行く値打ちがありますよ。

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2018.03.04

西郷どん 第九回「江戸のヒー様」

江戸に着き、早速藩邸の厳しい洗礼を受けた西郷。
そこで待っていたのは俊斎と大山でした。

江戸城。
再度来航したペリー艦隊に対する対応について話し合う阿部と斉彬。

評定の場で激しく対立した徳川斉昭と井伊直弼。
決済を求められて、何も言わずに立ち去った家定。
開国に傾いた評定。

何の策もなく開国しては清国の二の舞、英邁な君主を抱き、政を改めねばならないと斉彬。

斉彬の子、虎寿丸と戯れる篤姫。
相撲をねだる虎寿丸。相撲ならもっと強い男がいると篤姫。

そんな篤姫を見て、将軍家の御台所が務まるかと訝る斉彬。

品川宿のとある宿屋に連れてこられた西郷。
女が相手をすると知って帰ろうとする西郷。その時出会った女。
その女がふきであると知って驚く西郷。

部屋に戻ってふきの身の上話を聞く西郷。

そこに現れたヒー様。わっと騒ぎ立てる女達。

女達の絵姿を描いてやるヒー様。
西郷を呼び、この人を描いて下さいと頼むふき。

ヒー様が描いた西郷の絵は牛の様でした。
こいつは一生貧乏で終わる、嘘のつけない目をしているとヒー様。

そこに乱入してきた侍達。相手をしないなら金を返せという侍達に金を投げつけたヒー様。
激高した侍達。西郷を盾にして一人逃げ去ったヒー様。

初日から門限破りをし、罰として10日間の掃除を命じられた西郷。

山田に御座所まで呼び出され庭方を命じられた西郷。

江戸の様子を国元に書いて送った西郷。あせる正助。

庭方の仕事に励む西郷。

その西郷の前に現れた斉彬。そして、斉昭へ書状を届ける様に命じます。

そなたの命をわしに呉れと斉彬。
自分は剣術が出来ない、それでも生きているのは殿に言葉を掛けてもらったからだと西郷。
あのときのやっせんぼかと思い出した斉彬。

脇差しを差し出し、自分の手となり足となる事がおまえの役目、
他に漏らしてはいけない秘密も知る事になる、それが守れない時はこれを使えと斉彬。
命に代えてお引き受けしますと西郷。

地図をもらい、使いに出た西郷。やっと紀尾井坂を通っていけば良いと教えて貰った西郷。

水戸藩邸。
侍女と戯れる斉昭。

島津殿の書状を早速読ませて貰ったと言い、西郷の目の前で破って捨ててしまった斉昭。
何をなさいますと西郷。これが返答だと伝えるが良い、下がれと斉昭。
下がれない、訳を教えて貰いたいと西郷。

あの書状には幕府の悪口が書いてあった、その思いを自分の心に留め置いたという事だと斉昭。

もう一つ教えて欲しい、徳川三家の水戸様になぜ悪口を言うのでしょうかと西郷。
紀尾井坂を通ったであろう、本来なら紀尾水坂と言うべきところ、井伊が変わりに入っている。
井伊直弼はこの国難に際して、自分の権勢のみを強めようとしている。

そにこ入ってきた慶喜。
紀尾水坂にならなかったのは幕府に煙たがられている証拠、
薩摩がそのような書状を送ってきたのはいずれ幕府を倒そうとしているのではないかと慶喜。

その慶喜の顔を見て、ヒー様と気づく西郷。
人違いだと言って去って行く慶喜。

「謎の人物ヒー様とは慶喜の事でした。慶喜は斉昭の七男で、御三卿の一つである一橋家を継いでいました。実際にヒー様と呼ばれる様な鯔背な男だったかどうかは定かではありませんが、たぶん創作でしょうね。ちなみにヒー様とは一橋家のヒから来ているのかしらん。」

「西郷が茶屋遊びが嫌いな物堅い男だったかと言うとそうでもなく、後の京都時代にはさかんに遊んでいた様ですね。これは正助こと大久保も同様で、共に贔屓の芸妓が居た様です。」

「西郷が庭方に命じられたのは有名な話で、ドラマにあった様に斉彬の手足となって活躍を始めるきっかけとなりました。これ以後、諸藩の名士と交わり、西郷の名は一躍有名になって行く事となります。」

「家定については暗愚であったとう評価が定着しています。その一方で、意外と将軍らしい一面を示したという側面もあり、一概には決めつけられない様ですね。」

「井伊直弼についても評価は様々で、あえて開国を決断した英邁な人物とも言われ、その一方で安政の大獄という強権政治を行った独裁者とも言われます。どちらが正しいかは一概には決められない様です。」

「ドラマに戻って、慶喜が倒幕と言っていましたが、この時期に倒幕を考えていた人物は存在せず、斉彬たちが考えていたのは幕府の改革を行って、強い政府を作るという事でした。その斉彬たちが担ごうとしていたのが慶喜だったというのは皮肉な設定です。」

「その慶喜が宿屋から一人船で逃れ去ったのは、後に大坂城から将兵を置き去りにして江戸に逃げ帰った事を風刺しているのでしょうか。あのヒー様ならやりかねないと思わせる設定ではあります。」

「可哀想だったふきが意外と明るいのは救いでした。でも、そのふきを身請けしようとしているのがヒー様だったのなら、この先どうなるのかと思いやられます。」

「西郷の田舎者ぶりも面白かったです。江戸っ子の早口と難解な薩摩弁との対比もなかなかでしたね。実際、当時はどうやって意思疎通を図っていたのかと興味があるところです。」

「次回は橋本左内との出会い、篤姫の失踪などが描かれる様です。特に左内との出会いは重要で、どう表現されるのか興味をもって待ちたいと思います。」


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2018.03.03

第52回 京の冬の旅 ~妙覚寺~

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京の冬の旅、6カ所目は妙覚寺を訪れました。妙覚寺には以前にも訪れた事がありますが、祖師堂も公開されるとあって、もう一度じっくり見ておきたかっのです。

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妙覚寺は日蓮宗の寺で、西實上人が、小野妙覚の支援を得て四条大宮の地に、妙覚の邸宅に日像上人を開山として建てた寺です。その後寺域は転々としますが、安土桃山期には織田信長の宿所とされた事で知られます。現在地に移ったのは豊臣秀吉の命に依るもので、4度目の移転でした。

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妙覚寺はまた狩野派の菩提寺でもあり、境外墓地には狩野永徳、元信の墓があるそうです。今回は未公開でしたが、見ておきたかったな。

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これが祖師堂で、実はずっと本堂だと思っていました。内部には日蓮聖人、日像上人、日朗上人の像が祀られており、きらびやかな装飾で彩られています。また、ここでは狩野元信が描いたという大涅槃図を見る事が出来ますよ。

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他には、本堂北側にある華芳塔堂も扉が開かれており、日蓮聖人が経典を収めたという石塔を見る事が出来ます。また、写真だと思いますが斉藤道三が書いた信長への国譲り状が展示されており、信長という文字や道三という文字が見て取れます。

庭園の法姿園が冬枯れの姿だったのが残念ですが、出来れば夏の旅で公開して欲しかったな。それはともかく、戦国時代に興味のある人は、国譲り状を見るだけでも訪れる値打ちがありますよ。

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2018.03.02

第52回 京の冬の旅 ~豊光寺~

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京の冬の旅、5カ所目は相国寺の塔頭、豊光寺を訪れました。ここは豊臣秀吉の外交僧であった西笑承兌が、秀吉の追善のために建てた寺です。

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西笑承兌は、応仁の乱以後荒廃していた相国寺を再興した人で、相国寺中興の祖と呼ばれます。秀吉、家康の下で外交に従事し、特に有名なのは文禄の役の講和交渉で、明からの冊封状を読み上げた事で知られます。

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その豊光寺も次第に荒廃し、特に天明の大火によって焼失して、廃絶の危機に直面しました。この危機を救ったのが荻野獨園和尚で、慧林院と冷香軒の客殿を移し、豊光寺に統合しました。この荻野獨園和尚は恐ろしいほど自分に厳しい人で、カラタチの枝の上で座禅を組んだとも伝わります。

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また廃仏毀釈の嵐にも立ち向かい、信教の自由を政府に訴えて遂に勝ち取っています。和尚の徹底ぶりは、薩摩藩に貸していた土地にキリスト教系の同志社大学が建てられる事を容認した事にも表れており、周囲の反対を押し切ってのものでした。その号を退耕庵と言い、その死後和尚を慕う人々がこの退耕の碑を建てています。

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豊光寺では、本尊の釈迦如来座像、西笑和尚、荻野独園和尚の像のほか、足利10代将軍義稙の肖像画、山岡鉄舟の書などが公開されています。明治期に相国寺が辿った足跡を知るには良い場所だと思いますよ。

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2018.03.01

京都・洛中 京都梅事情2018 ~京都御苑 2.24~

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平成30年2月24日の京都御苑です。この日は出水口の梅が見頃を迎えていました。

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この日見頃になっていたのはこの木だけだったのですが、これは毎年の傾向ですね。他の木はやっと咲き始めたところで、まだまだこれからという感じでした。

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確証はないけれど、もしかしたら智積院の早咲きの木と同系統なのかな。ただ、花色が少し濃い気がしますけどね。

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この木の側にあるソシンロウバイは見頃となっていました。小さな木が数本あるだけなのですけどね、良い香りが漂っていましたよ。

京都御苑は遅咲きの木が多く、本当の見頃になるのは3月半ば頃でしょうか。でも、早咲きの木も何本かはあるので、そろそろ見に行っても良いかもしれませんよ。

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