西郷どん 縁の地 ~東寺~
季節感の合わない写真で申し訳ないのですが、東寺もまた西郷どんの縁の地です。慶応4年1月3日に発生した鳥羽伏見の戦いにおいて、薩摩藩が本営を置いたのがここ東寺でした。
鳥羽伏見の戦いとは、王政復古の大号令の後、大坂城に退いていた旧幕府軍が、朝廷への陳情のために上洛しようとして新政府軍と衝突した戦いで、京都の南郊、鳥羽と伏見の二つの地点で戦闘が行われた事からこの名があります。
この戦いの時、大久保は朝廷にあって浮き足立つ公家たちを鎮める役目を受け持ち、西郷は戦闘の指揮官として東寺に入りました。
旧幕府軍は7、8千名、新政府軍は4千5百名程度と2倍近い戦力差がありましたが、初日の戦況は旧幕府軍の戦略ミスもあり、新政府軍が有利でした。しかし、翌日には下鳥羽方面で旧幕府軍が優勢となり、一時は京都まで突破されそうになりますが、なぜか日暮れと共に旧幕府軍に退却命令が出て、新政府軍は危うい所を助かりました。
こうした戦況を西郷は五重塔の最上階に上って見守っていたと言いますが、逐次入ってくる報告を聞きながらどんな心境で居たのでしょうね。いざとなったら天皇に長州まで動座願うつもりで居たとも言いますが、本当にそんな事が出来たのかしらん。たぶん、表面上は泰然自若としていたでしょうが、内心は気が気で無かったんじゃないのかな。
西郷はこの戦争が終わった後、歴史的大勝利だという内容の手紙を故郷に向けて出しています。この喜び方も、当初の不安の反動かなという気もしますね。
そんな事を考えながら東寺の塔を見上げてみるのも面白いと思いますよ。
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