西郷どん 縁の地 ~清閑寺~
清水寺の奥、清閑寺に大西郷月照王政復古謀議旧跡という石碑があります。ここにはかつて郭公亭という茶室があり、西郷と月照が国事のための謀議を行った場所とされています。
月照は清水寺の塔頭成就院の住職だった人です。当時近衛家が清水寺の寺務を行っており、その関係で月照は近衛家と接点を持っていました。また島津家は近衛家と深い関係を持っており、朝廷への工作は全て近衛家を通して行っていました。月照と西郷が何時出会ったのかは判りませんが、その朝廷工作の過程ではないかと思われます。
月照が西郷のために行っていたのは、主として近衛家の当主忠煕への取り次ぎでした。一介の藩士に過ぎない西郷が、左大臣である忠煕に直接会う事は出来なかったのですね。
安政5年当時、西郷が斉彬から命じられていたのは、一橋慶喜の将軍への擁立運動でした。英明の名の高かった慶喜を将軍に据える事により、諸外国と渡り合える強い幕府へと改革する事を目指していたのです。
ところが、井伊大老の登場によりこの計画が頓挫してしまいます。西郷は井伊大老の排除へと矛先を変えますが、月照もまた梅田雲浜らと共に同じ方向を向いていました。これが水戸藩への幕政改革を命じる勅諚(戊午の密勅)として実を結ぶのですが、かえって井伊大老の怒りを買い、安政の大獄への引き金となってしまいます。
西郷はこの事態を打開するために武力蜂起を目指しますが、これも幕府の知るところとなり、西郷と月照は追われる身となってしまいました。
西郷と月照が交わした謀議とは、こうした一連の動きだったと思われます。確かに外に漏らす訳には行かない密議ですね。そのためには、郭公亭の様な隠れ家的な場所が必要だったのでしょう。
郭公亭は老朽化のため取り壊され、今は跡地しかありませんが、どうやら再建する動きがある様ですね。いつか再びその姿を見ることが出来る様になったら、また訪れてみようと思っています。
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