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2018年2月

2018.02.22

京都・洛北 冬の京都府立植物園 2.18 ~椿~

Hourai1802231

この時期、椿を見るのも植物園の楽しみの一つです。でも、まだ時期が少し早いのと、今年の冬は寒すぎるのとで、咲いている花はわずかでした。その中の一つが蓬莱です。この姿はまだつぼみから咲きかけたところで、開ききると結構豪華な花になるようです。

Kikuzuki1802231

こちらは菊月。陰暦9月の別称ですが、それだけ早く咲くという意味があるのだとか。

Kikuzuki1802232

同じく菊月を正面から見たところです。これも咲き始めの姿で、形が似ているところから桔梗咲きというそうですね。

Uraku1802231

そして有楽です。この時期あちこちで見かけますが、これもまた咲きかけの姿なのかな。開ききった花が少なかったのはやっぱり寒さのせいかしらん。もう少し春めいてきたら、また訪れてみたいと思っているところです。

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2018.02.21

京都・洛北 冬の京都府立植物園 2.18 ~スプリングエフェメラル~

Setubunsou1802211

早春に現れて、本格的な春の訪れと共に姿を消していく花をスプリングエフェメラル、春の妖精と言います。昨日紹介したスノードロップもその一つですが、日本の在来種にも春の妖精は居ます。その一つがセツブンソウ。

Setubunsou1802212

その名のとおり毎年節分の時期に咲き始める事からこの名があるのですが、盛りになるのは2月も半ばを過ぎた今頃ですね。この日も既に群落になって咲いていました。でも、この花の風情は、やっぱり節分の頃に一輪、二輪と咲いているのが良いのかな。

Baikaouren1802211

バイカオウレンも春の妖精の一つですね。その名のとおり、梅の花に似ているところから付けられた名前です。でも、今年はあまり咲かなかったのかな、この日は二輪見かけただけでした。

Seribaouren1802221

セリバオウレンは葉がセリに似ているところから付けられた名前です。バイカオウレンの近縁種ですが、花の形は違いますね。ただ、どちらも年間を通じて葉があるので、厳密な意味でのスプリングエフェメラルでは無い様です。

Simobasira1802221

こちらはシモバシラの氷柱です。花ではないけれど、早春のごく寒い朝にしか見られないという意味では、春の妖精の一つかしらん。今年はどういう訳か短く刈り込まれており、大きな氷柱が見られなかったのが残念でした。

冬の植物園は、地面を見ながら小さな春を探して歩くと楽しいですよ。

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2018.02.20

京都・洛北 冬の京都府立植物園 2.18 ~スノードロップ~

Snowdorop1802201

先月半ばに見頃を迎えていたスノードロップですが、依然として花盛りは続いていました。この小さくて清楚な花は、いつ見ても美しいですね。

Snowdorop1802202

そしてこの日は前日に降った雪がわずかに残っており、雪を背景にして姿も楽しむ事が出来ました。欲を言えば、もう少し積もっていてくれれば良かったかな。

Snowdorop1802203

全体を見ればこんな感じです。さすがにそろそろ盛りを過ぎる頃かしらん。でも今年の寒さを考えると、もう少し持つのかな。どちらにしても、この花を見たい人は、少し急がれた方が良いかも知れませんよ。

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2018.02.19

京都マラソン2018

Kyotomarason1802201

平成30年2月18日、京都マラソン2018が行われました。東日本大震災支援の一環として2012年から開催され、参加人数が16000人を超えるという一大イベントです。コースが京都の名所を網羅しているのが特徴で、それ故にか人気が高く、参加者の抽選倍率は4.2倍だそうですね。

沿道の主要なポイントでは、沿道応援隊としてチアリーディングや京炎そでふれなどが行われており、そちらを見に行くだけでも楽しそうです。

Kyotomarason1802202

などと判った様な事を書いていますが、実のところすっかり失念しており、当日京都府立植物園に行って初めて気が付いた様な次第です。まさか植物園の中がコースになっているとは知らなかったよ。

後で調べたところ、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授や女優の本田望結さんも参加していたと判り、もっと観戦して行けば良かったと後悔しているところです。

私が見たのは最初の方だけですが、たぶん招待選手なのでしょう、ものすごく早かったです。一般参加者とは雲泥の差があるのかな。でも、楽しみながら走るのがこのマラソンのコンセプトのようなので、まずは完走する事に意義があるのでしょう。

来年は事前にどんなイベントがあるのか調べてから行きたいですね。そして一緒に盛り上がりを楽しめたらと思っています。

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2018.02.18

西郷どん 第七回「背中の母」

龍右衛門が亡くなった。
墓前で西郷の嫁取りの話をする一家。
伊集院の須賀はどうかと吉兵衛。

二才に学問を教える正助。

早くも話をまとめてきた吉兵衛。

市来が気になる様子の琴。

江戸に行きたいと叫ぶ正助。

仕事に励む西郷。勧農を基本に政を進める斉彬。

アメリカの軍艦が来るという情報に戦慄する斉彬。
江戸に連れて行く二才の選別をせよと命ずる斉彬。

江戸に行けるかもしれないと喜ぶ俊斉たち。

突然倒れた満佐。

寝込んでいる母を見て驚く西郷。
鬼の霍乱だと強がる満佐。

満佐は龍右衛門の死病を貰ったらしいと西郷に告げる吉兵衛。
満佐を安心させるためにも嫁を貰えと吉兵衛。

斉彬に呼ばれた於一。
於一に自分の養女となって江戸に行き、そこで嫁入りしてもらうと斉彬。
なぜ自分がと於一。運が強いからだと斉彬。

西郷家の婚礼。
無愛想な嫁の須賀。

賑やかな宴。
須賀を一同に紹介する吉兵衛。相変わらず無愛想な須賀。
そのくせ、注がれる酒はことごとく飲み干す須賀。

気を利かせて花婿、花嫁を二人きりにしてやる正助。

初夜の布団に闖入した小兵衛と信吾。

翌朝、さっそさく須賀に西郷家のしきたりを教える満佐。
調子の合わない須賀。

鰻を採ってきて満佐に勧める西郷。
自分は要らないと須賀に勧める満佐。遠慮無く食べる須賀。

須賀に言い聞かせる様に自分たち夫婦の事を話す吉兵衛。

翌朝、冷たくなっていた吉兵衛。

病状が悪くなった満佐。

墓に二人入ったら三人目を欲しがるもの、人形を埋めなくてはと須賀。
それは迷信だときみ。

江戸に向かった斉彬。

江戸詰に選ばれたと喜ぶ俊斉と大山。
自分は選ばれなかった、しっかり頼むと西郷。

母の願いを聞き、母を背負って桜島を見に来た西郷。
背中で思い出話をする満佐。

江戸詰の願いを出していないなと満佐。
そんな事はないと西郷。嘘が下手だと満佐。
これからは好きなように生きなさいと言って息を引き取った満佐。

「今回は半年足らずの間に相次いで肉親を亡くした西郷が描かれました。これは悲しい事ですが実話です。ナレーションにもありましたが、西郷は後に往事を振り返り、この年が生涯で一番辛かったと言っています。」

「須賀についてはこれも実在の人ですが、判っている事はほとんどありません。伊集院家から嫁いで来た事は確かですが、どんな人だったかは伝わっていない様ですね。暗い性格だったというのは脚本に依る設定でしょう。」

「江戸出府については、西郷より一足早く俊斉と大山が選ばれたのも史実どおりで、西郷が家の事情で行けなかったのも事実です。その後については次回に描かれる様ですね。」

「於一が斉彬の養女となったのも史実どおりで、やがて江戸で嫁入りするのも事実ですが、相手が誰かは次回に明かされる様です。そこに西郷がどう関わるかは楽しみですね。」

「ドラマとしては、須賀の描かれ方が少し可哀想な気がしました。いきなり貧乏な大所帯に来たのだから、ある程度は仕方が無いと思うのですけどね、どうしても悪者にしておく必要があったのでしょうか。」

「最後のシーンは、悲しみに耐える西郷の表情が印象的でした。向こうに見える雄大な桜島の姿が効果的でしたね。」

「次回は西郷がいよいよ江戸に出て行く様です。そこに須賀が絡んでいくようですね。どんな描かれ方をするのか、楽しみに待ちたいと思います。」

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2018.02.17

西郷どん 縁の地 ~相国寺~

Syoukokuji18021171


相国寺もまた西郷どんの縁の地です。薩摩藩は伏見藩邸と京都藩邸(錦小路)の二つの藩邸を持っていましたが、安政5年に斉彬が実行しようとした卒兵上洛の際に、千人の藩兵を収容する場所が無かったため、西郷に命じて新たな藩邸の場所を探させたのでした。

その後、斉彬が急死し、西郷も流罪となっため新藩邸の話は一時中断しますが、薩摩藩では文久2年に久光が実行した卒兵上洛に合わせて相国寺の一角を借り、新藩邸を建設しました。この当時奄美大島に居た西郷は直接係わってはいないですが、かつて斉彬のために奔走した構想が実現したのでした。

ただ、相国寺としては迷惑な話で、明治後も土地は返還される事はなく、そのまま同志社大学の敷地となってしまいました。漏れ聞くところに依ると、貸すんじゃなかったと今でも後悔しているのだとか。

その相国寺の東に「甲子の役 戊申の役 薩摩藩戦死者墓」があります。甲子の役とは元治元年に発生した蛤御門の変の事で、この時西郷は指揮官として参加しています。また戊辰の役とはここでは鳥羽伏見の戦いの事を指し、この時も西郷が指揮官だった事は昨日の記事で書いたとおりです。

この墓は二つの戦役で亡くなった薩摩藩士72名を祀る合同墓で、相国寺塔頭の林光院の境外墓地にあたります。林光院は薩摩藩との縁が深いとの事ですが、現時点ではどんな関係だったのかは判りません。京の冬の旅の特別公開の対象となっているため近く訪れる予定で、その時何か話が聞けるかなと期待しているところです。

また、同じく塔頭の養源院は、鳥羽伏見の戦いの時に野戦病院になったところで、イギリス人医師ウイリアム・ウイルスが手当に当たりました。ただ、ここは一般公開されていないので、外観を見るだけですけどね。

この様に相国寺は薩摩藩と深い関わりを持っています。きっと、西郷も境内を歩いた事でしょうね。幕末当時に思いをはせて、散策してみるのも一興です。

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2018.02.16

西郷どん 縁の地 ~東寺~

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季節感の合わない写真で申し訳ないのですが、東寺もまた西郷どんの縁の地です。慶応4年1月3日に発生した鳥羽伏見の戦いにおいて、薩摩藩が本営を置いたのがここ東寺でした。

鳥羽伏見の戦いとは、王政復古の大号令の後、大坂城に退いていた旧幕府軍が、朝廷への陳情のために上洛しようとして新政府軍と衝突した戦いで、京都の南郊、鳥羽と伏見の二つの地点で戦闘が行われた事からこの名があります。

この戦いの時、大久保は朝廷にあって浮き足立つ公家たちを鎮める役目を受け持ち、西郷は戦闘の指揮官として東寺に入りました。

旧幕府軍は7、8千名、新政府軍は4千5百名程度と2倍近い戦力差がありましたが、初日の戦況は旧幕府軍の戦略ミスもあり、新政府軍が有利でした。しかし、翌日には下鳥羽方面で旧幕府軍が優勢となり、一時は京都まで突破されそうになりますが、なぜか日暮れと共に旧幕府軍に退却命令が出て、新政府軍は危うい所を助かりました。

こうした戦況を西郷は五重塔の最上階に上って見守っていたと言いますが、逐次入ってくる報告を聞きながらどんな心境で居たのでしょうね。いざとなったら天皇に長州まで動座願うつもりで居たとも言いますが、本当にそんな事が出来たのかしらん。たぶん、表面上は泰然自若としていたでしょうが、内心は気が気で無かったんじゃないのかな。

西郷はこの戦争が終わった後、歴史的大勝利だという内容の手紙を故郷に向けて出しています。この喜び方も、当初の不安の反動かなという気もしますね。

そんな事を考えながら東寺の塔を見上げてみるのも面白いと思いますよ。

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2018.02.15

西郷どん 縁の地 ~清閑寺~

Seikanji1802151

清水寺の奥、清閑寺に大西郷月照王政復古謀議旧跡という石碑があります。ここにはかつて郭公亭という茶室があり、西郷と月照が国事のための謀議を行った場所とされています。

月照は清水寺の塔頭成就院の住職だった人です。当時近衛家が清水寺の寺務を行っており、その関係で月照は近衛家と接点を持っていました。また島津家は近衛家と深い関係を持っており、朝廷への工作は全て近衛家を通して行っていました。月照と西郷が何時出会ったのかは判りませんが、その朝廷工作の過程ではないかと思われます。

月照が西郷のために行っていたのは、主として近衛家の当主忠煕への取り次ぎでした。一介の藩士に過ぎない西郷が、左大臣である忠煕に直接会う事は出来なかったのですね。

安政5年当時、西郷が斉彬から命じられていたのは、一橋慶喜の将軍への擁立運動でした。英明の名の高かった慶喜を将軍に据える事により、諸外国と渡り合える強い幕府へと改革する事を目指していたのです。

ところが、井伊大老の登場によりこの計画が頓挫してしまいます。西郷は井伊大老の排除へと矛先を変えますが、月照もまた梅田雲浜らと共に同じ方向を向いていました。これが水戸藩への幕政改革を命じる勅諚(戊午の密勅)として実を結ぶのですが、かえって井伊大老の怒りを買い、安政の大獄への引き金となってしまいます。

西郷はこの事態を打開するために武力蜂起を目指しますが、これも幕府の知るところとなり、西郷と月照は追われる身となってしまいました。

西郷と月照が交わした謀議とは、こうした一連の動きだったと思われます。確かに外に漏らす訳には行かない密議ですね。そのためには、郭公亭の様な隠れ家的な場所が必要だったのでしょう。

郭公亭は老朽化のため取り壊され、今は跡地しかありませんが、どうやら再建する動きがある様ですね。いつか再びその姿を見ることが出来る様になったら、また訪れてみようと思っています。

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2018.02.14

西郷どん 縁の地 ~祇園~

Gion1802141

京都には西郷どん縁の地がいくつかありますが、祇園もその一つです。たとえば、今も残る御茶屋の一力亭。西郷は大久保と共に足繁く通い、勤王芸妓として知られた君尾を贔屓にしていたと伝わります。ちなみにこの君尾は長州の高杉晋作や井上馨、品川弥二郎とも交流があり、さらには新選組の近藤勇にも言い寄られたという美貌の女性です。

芸妓と言えば、西郷の愛人も居ました。その名もお虎と言い、今の鍵善のあたりにあった奈良屋という御茶屋の芸妓だったと言われます。丸々と太った女性でしたが、身軽でよく気がつく人だったとの事で、西郷もそのあたりが気に入った様ですね。

愛人としてはもう一人居たと言われ、井筒という料亭の仲居だったお末と伝わります。このお末もお虎に劣らず太っていた大女で、周囲からは豚姫と呼ばれていました。二人目の妻である愛加那と言い、西郷は大柄な女性が好きだった様ですね。豚姫は一升酒を飲み干す様な豪快な女性で、勝海舟の氷川清話の中にも出てくるそうです。

この豚姫と西郷の仲は歌舞伎の演目にもされており、二人の関係は当時から有名だった様です。

ドラマでこの二人が登場するかどうかは判りませんが、今の糸さんの可憐な描かれ方からすると、愛人の存在というのはちょっと気の毒な様な気もしますね。それはともかく、西郷どんがこの辺りをうきうきと歩いていたと想像しながら、そぞろ歩いてみるのも一興かなと思います。


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2018.02.13

そうだ京都行こう 2018年春のキャンペーン 「勧修寺」

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今年もJR東海の「そうだ京都行こう」のキャンペーンが始まりました。今年選ばれたのは勧修寺、山科にあるお寺ですね。私は春に行った事が無いのですが、知る人ぞ知る花の名所です。ただ、いつもの様なメジャーどころではないかな。

たぶんですが、最近の京都はどこへ行っても観光客、特に外国人で溢れており、キャンペーンを張るのも難しくなっているのでしょうか。特集ページを見ても穴場巡りとなっていますね。もっとも、このキャンペーンに選ばられると、とたんに穴場で無くなってしまうのですが。

他府県から来る人にとっては、シーズン中のホテルは高いし予約が取れない、交通手段の主力であるバスも混みすぎて乗れない、どこへ行っても人混みだらけと、今の京都は魅力が半減しているようです。観光客を呼び込むのもいいけれど、キャパシティを超えてきているじゃないかな。今のうちに行政や業界が協力して何か手を打たないと、やがてそっぽを向かれてしまいそうな気がします。

個人的には早朝に行く、混み合う場所はなるべく避けるなどしていますが、やっぱり花の綺麗な場所はどうしても人出が多くなってしまうのがジレンマですね。ねこづらどきの京都めぐりも曲がり角を迎えたかな。

などと愚痴めいた事を書いてしまいましたが、今年も桜巡りはするつもりです。何だかんだ言っても、桜を見るのは楽しみですからね。なるべく行った事がないところを探して回ろうかなと思っているところです。

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2018.02.12

京都・洛南 ~伏見稲荷大社 千本鳥居~

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節分の日に訪れた伏見稲荷大社、豆まきが始まるまでの間の時間を利用して、久しぶりに千本鳥居まで足を運びました。

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社殿の入り口に堂々と聳えるのが楼門、豊臣秀吉が大政所の病気平癒祈願成就の礼にと寄進したと伝わっています。実際、昭和48年の解体修理の際に天正17年の墨書きが見つかり、伝承が正しかった事が証明されました。

Fusimiinari1802123

ここが千本鳥居です。4年連続して外国人が選ぶ日本のランドマークの人気No1に選ばれた場所ですね。参道はここで二手に分かれており、以前はどちらを進んでも良かったのですが、最近は混雑回避のためでしょうか、右が上り専用、左が下り専用になっています。こちらは右の上り側です。

Fusimiinari1802125

そしてこちらが左の下り側。どちらも下から見上げる方向で撮っていますが、反対側から見ると奉納年月日や奉納者の名前がずらりと並ぶ事になり、趣ががらりと変わってしまいます。もっとも、外人さんには、鳥居に書かれている漢字が格好良いと受け取られているとも聞きますね。

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千本鳥居を抜けたところにあるのが奥の院。お山を遙拝するところで、稲荷山の三ヶ峰は奥の院の背後に位置しています。そこにあったのがこの絵馬奉納所で、絵馬はやはり狐の顔をしているのですね。一つ一つ顔が違うのは、奉納者が思い思いに書き込むからです。

Fusimiinari1802127

そして、ここで人気があるのがおもかる石です。二つの灯籠の空輪がそれですが、願い事をしてからこの石を持ち上げ、その時の重さが予想していたより軽ければ願い事が叶い、重ければ叶わないとする試し石です。随分とすり減っていましたが、これまで何人の人が試して来たのでしょうね。

この日上ったのはここまでです。後は豆まきの時間が迫っていたので戻る事にしました。一の峰までは、また時間のあるときに上ってみたいと思います。

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2018.02.11

西郷どん 第六話「謎の漂流者」

牢で謎の人物と出会った西郷。
西田下屋敷に駆けつけた糸。

牢の中。何とか謎の人物と会話しようとする西郷。
そこに現れた乱入者。琉球で我が藩の秘密を見たと言って襲いかかります。
乱入者を取り押さえた西郷。
謎の人物を背負い、そのまま牢を出て行く西郷。

外出を禁じられた糸。

謎の人物を背負って帰ってきた西郷。そのまま匿う西郷家の人々。
翌朝目を覚まし、ジョン・マンと名乗った男。
正助に通訳を頼む西郷。
箸を器用に使う様子を見て怪しみ、本当の事を言った方が良いと正助。

自分が命じられたのはジョン・マンが我が藩に潜入した目的を聞き出す事だと正助に打ち明ける西郷。
逃げ出そうとし、思わず土佐と口走ったジョン・マン。
土佐に帰り、母に会いたかったのかと西郷。

ジョン・マンの目的を知り、故郷について調べさせる斉彬。
半月後、ジョン・マンの母の無事を知らせた斉彬。
これまでの身の上を話し出すジョン・マン。
おかあへのラブぜよとジョン・マン。

斉彬に拝謁したジョン・マン。
なぜアメリカが船を寄越すのかと問う斉彬。
石炭、薪、水などが必要だからだとジョン・マン。
戦ではなく商いのためか、それとも国を開けという事かと斉彬。
そうだとジョン・マン。
打ち払えばどうなると斉彬。戦になるとジョン・マン。
この国は勝てるかと斉彬。
負ける、蒸気機関も鉄を作る工場も無い、さっさと国を開くべきだとジョン・マン。
なぜ漁師がそこまで語れると斉彬。
アメリカでは誰でも学べるとジョン・マン。アメリカの底力は学びかと斉彬。
今からそなたの知っている事を教えてくれと斉彬。
さっそく教え始めるジョン・マン。

斉彬に拝謁した西郷。褒美をとらすと言われ、正助一家の赦免を願い出る西郷。暫く待てと斉彬。

糸の縁談を止めてこいと正助。それはおはんじゃろうと西郷。違うと正助。

糸を呼び出した正助。
糸は西郷をラブしているのだろう、気持ちを伝えろと正助。駆け出す糸。

西郷家で西郷の縁談を聞いた糸。

いつかの橋の上で西郷と出会った糸。
海老原を褒め、正助はもっと良い男だと西郷。
たった今、海老原に嫁ぐと決めたと糸。
好きな者同士が結婚出来る様な国にしてくれ、私は間に合わなかったと糸。
思いの丈を西郷に語り、去って行く糸。

海老原に嫁いだ糸。

「前回からそうでしたが、もはや史実を踏まえた大河ドラマではなくなって来ましたね。これは連続テレビ小説として見た方が良いのかな。確かにそのつもりで見れば面白いドラマだと思います。」

「謎の男はジョン万次郎でした。ジョン万次郎は土佐の中浜(現在の土佐清水市)の漁師の生まれで、14歳の時遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられました。彼は船長に気に入られ、そのままアメリカに渡り、船長の養子になってオックスフォード校で教育を受けるなど厚遇されました。オックスフォードでは首席になったと言いますから、元から聡明だったのでしょうね。」

「その後は捕鯨船に乗り、世界を何周もするなど経験を積みましたが、故郷への思い止みがたく、帰国を決意します。彼は危険な本土は避け、琉球に上陸しますが、薩摩藩に拘束されます。斉彬は彼を厚遇し、その知識を吸収しようとした事はドラマにあったとおりです。その後は土佐の士分に取り上げられ、さらには幕府に登用されるなどし、幕末の日本に大きな足跡を残しました。」

「ドラマに戻って、渡辺謙はやはり存在感がありますね。名君と言われた斉彬斉彬を演じきっている気がします。貫禄と聡明さが同時に感じられますね。」

「劇団ひとりのひょうひょうとした演技も良かったです。謎の存在から聡明なジョン万次郎まで、見事に演じきっていました。」

「糸の可憐な恋は儚く散ってしまいました。西郷も気がついてやれば良いのにね。鈍いにも程があると思いますが、このあたりは史実の壁があるという事でしょうか。」

「糸については良く判らないのですが、再婚だった事は事実らしく、そのあたりも史実を踏まえている様です。」

「次回は悲しい回の様ですね。あまり見たくない気がしますが、避けては通れないのかな。そのぶん西郷の成長がどう描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。」


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2018.02.10

京都・洛東 節分2018 ~平安神宮 鬼の舞~

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大難の儀は鬼を追い払う行事で、鬼そのものは出てきません。鬼が現れるのはその後の鬼踊りで、設定としては大難の儀では払いきれなかった鬼がまた境内に戻ってくるという事になります。演じるのは茂山千之丞社中の皆さん。

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ここの鬼は少しも怖くない、ユニークな顔をした鬼ばかりですね。それでもうわーと迫ってくると、子供の中には泣き出してしまう子も居ます。

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鬼踊りは大極殿で行われます。そろりと大極殿に侵入した鬼達は、初めは静かに、やがて大胆に振る舞い初め、最後は飲めや歌えやの大宴会となります。

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したたかに酔った鬼達は、ふらふらになりながら境内へと降りてきます。そこに現れるのが福男たちで、豆を投げつけて鬼を追い払い始めます。ここの鬼達は聖護院とは違って意気地がなく、すぐに退散し始め、やがて境内の外へと追いやられるのでした。

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その後豆まきが行われるのですが、人数が半端でないため、大変な混雑となります。それに比例して撒かれる豆も多いのですが、遠くまでは飛んでこないので後ろの方ではまず無理です。ところが、押されるままに前に進んでいくと周囲に落ちてくる様になり、結果として4個ゲットする事が出来ました。うち2個は取れなかった人にあげたので、持ち帰ったのは2個です。とにかくここは争奪戦が激しすぎて危険ですね。

さて、今年の節分行事巡りもここで終了です。本当はもう1~2カ所ほど回りたかったのですが、体力の限界を感じて帰ることにしました。やっぱり数年前に比べて無理が利かなくなっていますね。もう少し体を鍛えなくてはいけないな。

来年は日曜日になるので、次はまだ訪れていない場所を選んでみようかと思っています。さてどこに行こうかしらん。


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2018.02.09

京都・洛東 節分2018 ~平安神宮 大難の儀~

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追儺式は元々朝廷で行われていた儀式で、それが一般化したのが現在の節分行事です。一般化する過程で様々な形態に変化し、今では各社寺で趣向を凝らした行事が行われていますが、その大本の追儺式を忠実に再現したているのが平安神宮の大難の儀です。

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儀式はまず神饌の奉納から始まり、次に陰陽師が祭文の奏上を行います。私が居た場所からは見えなかったのですが、この時の歩き方が独特で、中国の伝説的名君である禹の歩き方を真似た反閇(へんばい)と呼ばれる所作を行います。

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祭文の奏上の途中で方相氏(ほうそうし)が8人の侲子(しんし)を連れて現れます。方相氏とは四つの目を持つ怪異な面を被った役人で、鬼を驚かせて追い払う役目を負います。そして、祭文の奏上が終わると前に進み出て、鉾と盾を三度打ち鳴らし、「鬼やろうー」と叫びます。

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次に上卿が桃の弓で葦の矢を射ます。射るのは2度で、北東と北西の方角です。結構高く射るので、落ちてきた時は地面に突き刺さりますね。

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さらに、殿上人が進み出て、桃の杖で北東・南東・南西・北西を打ち据えます。桃は邪気を払う力があるとされ、大地に潜む鬼を払うという意味があるのでしょう。

その後は、方相氏を先頭に侲子、上卿、殿上人、さらには参列者がこれに続き、「鬼やろうー」と叫びながら広場を何周か回ります。この時、本来なら参列者が振り鼓(でんでん太鼓)を鳴らしながら歩くのですが、そこまでは再現されてはいません。

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最後は方相氏の一行が応天門の前に出てきて一連の儀式を再現し、大難の儀は終了です。大難の儀を見たのはこれで三度目ですが、何度見ても平安朝の風情が偲ばれて、興味深いものがありますね。本来は夜に行うものですから、出来ればかがり火の下で見てみたいなんていうのは贅沢な相談かな。

明日は鬼が大活躍する鬼踊りの様子をお届けします。

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2018.02.08

京都・洛東 節分2018 ~聖護院~

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須賀神社の次は、向かいにある聖護院を訪れてきました。ここは以前に大護摩供養の時に訪れていますが、追儺式はまだ見ていなかったので、是非来たいと思っていたのです。

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聖護院の追儺式は午後1時から始まります。もっとも、最初は参列者の紹介から始まり、豆に対するご祈祷などがあるため、実質午後1時30分くらいからかな。始まる頃には宸殿の前は大勢の人で埋まっていましたから、最前列を取るには一時間ほど前に行かないと駄目でしょうか。

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登場する鬼は赤、黄、黒の三匹。それぞれ、「貪欲」「怒り」「愚痴」など人間の煩悩を表すとされます。ここの鬼の特徴は、とにかく強くて暴れる事ですね。赤鬼が登場した時は、金棒を振りすぎて先が外れてしまうというハプニングがありましたが、それにもめげず暴れる事、暴れる事。豆をぶつけられたくらいではびくともせず、かえって反撃に出る位です。

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最後はとうとう門主自らが法具を持って立ち向かい、悪戦苦闘の末に鬼を懲らしめる事が出来ました。反省した鬼は、その後の豆まきに参加する事になります。鬼が撒いた豆を貰うなんて、ここくらいじゃないかしらん。

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豆まきが終わった後は、鬼の御加持が行われます。金棒で頭を打って貰うのですが、これが大人気で豆まき以上の混雑ぶりでした。

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ここでゲットした豆は7個、2個は周囲に居た人にあげたので実質9個ほどだったかな。豆を取るにはとにかく前列の方に居る事に限ります。

念願の追儺式を見た後は、最後の目的地平安神宮へと向かいます。

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2018.02.07

京都・洛東 節分2018 ~須賀神社~

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八坂神社からは市バスで移動し、須賀神社へとやって来ました。須賀神社は平安時代に起源を持つ社で、鳥羽法皇の妃であった美福門院に縁のある神社です。

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須賀神社は縁結びに御利益のある神社として知られ、夫婦神である須佐之男神(スサノオノミコト)と櫛稲田比賣神(クシナダヒメノミコト)を祀ります。その一方で交通神社も併設されており、八衢比古神(ヤチマタヒコノカミ)と八衢比賣神(ヤチマタヒメノカミ)の夫婦神、そして道案内の神様である久那斗之神(クナトノカミ)が祀られています。日本で唯一の交通安全の神様とも言われますね。

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参拝者はどちらかの社にお参りする事になる(両方にお参りしても良いのですが、行列に並び直すのが大変です)のですが、私が選んだのは須賀神社の方でした。無論、私自身の事では無く、子供たちの良縁を願ってのことです。さて、どんな御利益があるのかな。

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節分の日にこの神社に現れるのが懸想文売りです。水干を着て顔を隠すという異様な姿をしていますが、これは江戸時代の貧乏貴族の扮装なのだとか。懸想文とは現在のラブレターの事で、文字の書けない一般庶民に代わって貴族が代筆をするという商売が流行り、顔を知られたくない貴族がこういう姿で町を歩いていたのだそうです。

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これがその懸想文ですが、誰にも知られる事が無いように箪笥に入れておくと、顔かたちが良くなり、着物の数が増え、良縁に恵まれるのだとか。なので女性に大人気で、飛ぶように売れていました。この懸想文が売られるのは節分とその前日だけですので、欲しいと思われた方は、来年出かけてみられては如何ですか。

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2018.02.06

京都・洛東 節分2018 ~八坂神社~

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八坂神社の節分は2日と3日の両日に行われ、それぞれ4回と5回の豆まきがあります。その豆まきの前には舞や雅楽の奉納が行われ、特に舞妓が出る回は人気があります。

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私が行ったのは、今様の奉納の回でした。今様とは平安時代に発生した歌謡の事で、特に後白河法皇が愛好した事で知られます。

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その今様に合わせて舞うのが今様舞で、源義経の愛妾であった静御前がその踊り手として有名ですね。この日は良く知られる梁塵秘抄や即興の歌に合わせた舞などが披露され、しばしの間平安時代の風情に浸る事が出来ました。

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ここで例年と違っていたのは場所取りのルールが出来ていた事で、正面側の場所取りは禁止され、順番に並んで待つように変わっていました。本番15分前になると先着順に案内されるというシステムですが、あまりに人が溢れすぎて参拝者の邪魔になる事や、ずっと最前列に居座って動かない人が居た事から変えられたのでしょうか。

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ここで:ゲットしたは豆は一つだけでした。参拝者に対して巻き手が少なく、伏見稲荷大社の様には行かなかったですね。まあ、一つ貰った時点ですぐに撮影に回ったという事情もあります。

八坂神社の場合はくじ付きの福豆を買う事も出来、300円で結構良い景品を貰う事が出来るそうですよ。豆の争奪戦に参加するよりも、ずっと効率が良いかもです。

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2018.02.05

京都・洛南 節分2018 ~伏見稲荷大社~

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平成30年2月3日、今年は節分が土曜日に重なったため、京都市内の節分行事をはしごして回って来ました。最初に行ったのは伏見稲荷大社、言わずと知れた商売繁盛の神様です。

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伏見稲荷大社の節分はいたってシンプルで、午前9時から本殿前での神事があり、それが終了してから前拝殿での豆まきが行われます。この神事には一般参拝者は参加出来ませんので、実質豆まきのみと言えますね。

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一回目の豆まきは神事が終わってから午前9時45分頃、そのあと午前11時と午後1時の計3回行われます。とにかく大勢の福男、福女から盛大に撒かれますから、最も豆を取りやすい神社の一つかなと思います。

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私は特に最前列に居たので、頭上から豆が降ってくる様な状態でした。そして7個頂いた時点で撮影に回ったのですが、粘っていればもっとゲット出来たでしょうね。でも、そんなに独り占めしちゃ悪いという思いもありました。

伏見稲荷大社で1日分の豆を頂いた気分で、次の目的地八坂神社へと向かいます。

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2018.02.04

西郷どん 第五話「相撲じゃ!相撲じゃ!」

斉彬が藩主になった事で気分が明るくなり、さらに御前相撲が開かれる事ではしゃぐ西郷達。

正助に紙を持ってきた糸。

相撲の稽古に励む西郷達。そこにもたらされたお由羅一派への処罰はなし、斉彬一派への赦免もなしという知らせ。愕然とする西郷達。

(重臣たちの前で労をねぎらい、就襲して三年、先君の政曲げること叶わずと言って、さらに励めと彼らを許した斉彬。)

御前相撲で勝ち、お目通りをして直訴すると西郷。

斉興の無聊を慰めに来た斉彬。江戸者に何が判ると機嫌が悪い斉興。薩摩育ちのそなたが頼りだと久光に言って立ち去る斉彬。

縁談を持ちかけられた糸。相手は海老原家の長男。

迷ったあげく、下駄で決めようとする糸。その下駄が頭に当たった西郷。

下駄の代わりに自分の草履を貸してやり、正助の下までおぶってやる西郷。

西郷に勝ち、下加治屋町の代表になった新八。

糸の縁談を知り、複雑な心境の正助。正助の心の内を知った西郷。

新八に何が何でも海老原に勝ち、糸に相応しい相手か確かめろと西郷。

御前相撲当日、居並ぶ姫君達。その中に居た於一、後の篤姫。

腹をこわして出場ができなくなった新八。なんとか頼み込んで代役となった西郷。

西郷を気に入り、西郷に賭ける於一。

西郷に礼を届けに来た糸。糸と話し、西郷に惹かれているらしい事を知った正助。

順調に勝ち進み、決勝まで来た西郷。相手は左足を負傷した海老原。

左から投げろという仲間達に逡巡する西郷。

この勝負を自分と賭けないかと斉彬。西郷に賭けると於一。

熱戦の末、右から投げて勝った西郷。喜ぶ下加治屋町の一同。

土俵に下り、自分と相撲を取れと西郷に命じる斉彬。負けろと吉兵衛。そなたに全部賭けていると応援する於一。土俵に上がった西郷。

西郷の家。西郷が切腹しなければならないかもと吉二郎。

斉彬を投げ飛ばし、投獄された西郷。そこに居た不審な男。

「斉彬は国元に帰った後、広く意見を求めました。西郷もこれに応じて意見書を提出したと伝わります。その中で西郷は、お由羅一派の粛正と斉彬一派の赦免、それに水戸藩に倣った兵制の改革を訴えました。」

「これに対する斉彬の回答は、お由羅一派を粛正する事は父の過ちを世に晒す事となり、子として忍びない、赦免についても同様である、兵制の改革については急いでやっては幕府の嫌疑を受ける事になるというもので、いずれも今暫く待てという事でした。」

「ドラマの台詞にあった三年、先君の政曲げること叶わずというのは孔子の言葉で、正しくは三年父の道改むる事なきを孝とすべしと言います。要するに斉彬も当時の道徳であった儒教精神に則ったという事でした。」

「さらに言えば、自分の感情は押し殺し、藩内での派閥争いを回避したと見るべきなのでしょうか。そう考えれば、斉彬の人物の大きさが見えてくる様な気もします。」

「御前相撲については全くの創作で、なぜこういう設定にしたのか理解に苦しみます。史実どおりに意見書の提出を求めた方が賢候らしくて良い様な気がするのですけどね。昨今の相撲人気にあやかったのでしょうか。それとも於一の方を西郷に合わせたかったのかな。」

「西郷が牢に入れられたというのも不自然ではありますが、そこで出会う人物との邂逅を描きたかったのでしょうか。次週はその人物の正体が明かされるのかな。どんな展開になるのか、楽しみにして待ちたいと思います。」

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2018.02.03

京都・洛北 雪の大原2018 ~実光院 1.27~

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実光院は勝林院を本堂とする僧坊の一つで、かつて存在した理覚院と普門院を統合する形で、大正10年に現在位置に築かれました。池泉鑑賞式の契心園は旧普門院の庭で、築山の松は鶴を、池の島は亀を表しています。

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とは言われても、やはり雪に覆われた状態では分かり難いですね。ここは美しい雪の庭と見ておくのが正しいのかもしれません。

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客殿の西側にある回遊式庭園は旧理覚院の寺域になります。ここは季節の花が咲く場所なのですが、雪の時にしか来た事がなく、モノトーンの景色しか見たことが無いのが残念と言えば残念ですね。

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唯一咲いていたのが不断桜なのですが、雪のせいか、あるいは低温のせいか萎れてしまっており、綺麗な花は見る事は出来ませんでした。次はやっぱり春に来てみようかな。

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帰り際、雪はまた激しく降ってきました。既に昼近くになっているのに、これだけ降るとは京都市域においては珍しい事です。雪国の大変さが、少しだけ判った様な気がした一時でした。

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2018.02.02

京都・洛北 雪の大原2018 ~宝泉院 1.27~

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宝泉院を訪れるのは10年ぶりになります。さすがに10年も経つと前回の事はすっかり忘れてしまっていましたが、この額縁庭園は覚えていました。というか、これしか印象に残っていなかったと言うべきかしらん。

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それに、雪の日は初めてだったので余計に違って見えたのでしょうね。雪は全ての印象を全く違ったものにしてしまいますから。

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10年前には無かったものもありました。囲炉裏の間がそれで、昔なつかしい囲炉裏が再現されており、実際に炭が焚かれていました。冷え切った体には有り難い火でしたね。

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これは鶴亀の庭です。池が鶴の形をしており、築山が亀を表しているそうですが、雪に覆われていると判りにくかったです。また、山茶花が蓬莱山を表し、樹齢300年の沙羅双樹があるとの事でしたが、これも雪に惑わされて良く判らないままでした。

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一度訪ねた事があると言っても、やはり復習はしておくべきでしたね。言い訳としては、団体客が次々に押し寄せて来て、じっくりと見ている暇が無かったというのもあります。ここは特に外人客に人気があるらしく、こんな悪天候ですぐに満席になるというのは予想外でした。

明日は最後の目的地、実光院をお届けします。

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2018.02.01

京都・洛北 雪の大原2018 ~勝林院 1.27~

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勝林院は魚山大原寺勝林院が正式な名で、声明三昧の根本道場として建てられました。声明とは仏教の儀式音楽の事で、謡曲、義太夫、長唄など日本の伝統音楽の源流となったと言われています。

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本堂は建立以来、あまたの火災や洪水により失われて来たのですが、その都度再建されてきました。洪水って何だろうと思うのですが、律川が土石流でも起こしたのでしょうか。

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江戸時代の初期には、春日局が、お江の方の菩提を弔うために本堂を再建しています。何かとライバル関係にあった二人ですが、このあたりは興味深いものがありますね。その本堂も火災で焼けてしまい、現在の本堂は安永七年に徳川幕府によって再建されたものです。

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ご本尊は阿弥陀如来。三尊形式ですが、阿弥陀様の脇侍が毘沙門天と不動明王というのは珍しいんじゃないかしらん。調べてみると、観音菩薩三尊には良くある形式の様です。火災を繰り返して来た事と関係があるのかな。

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勝林院では雪積が深く、30㎝程度になっていました。雪は止むどころかますます激しくなって来ます。でも、ここで引き返す訳にも行かず、降りしきる雪の中を次の目的地宝泉院へと歩いて行く事にします。

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