西郷どん 第三話「子供は国の宝」
西郷家は莫大な借金を背負っていました。ドラマでは極貧ゆえの借金となっていましたが、実際には知行高を買うための投資でした。薩摩藩には他藩にはない、知行高(高)を売り買いするという制度があったのです。
西郷家ではこの高を買うために板垣という豪農から100両を借金したのですが、その直後に藩による統制で高の価格が上がってしまったのでした。やむなく西郷家ではもう100両借りたのですがそれでも足りず、高は買えずに借金だけが残るという羽目に遭ったのです。このため、元々貧しかった西郷家はますます追い詰められてしまったのですが、それでも律儀に借金を返し続け、明治2年になってようやく返し終えたのでした。
斉興の愛妾由良は江戸の町民の出でしたが斉興の覚え目出度く、久光を生んだ事からも国元では権勢を持っていました。その取り巻きの代表格が調所広鄕であり、島津将曹でした。彼らは斉彬の持つ積極性が島津家の家計を傾けると危ぶみ、より保守性の強い久光の擁立を図っていたのですね。斉興もまた久光の擁立に傾いていた節があるのですが、かと言って英明の名の高い斉彬の廃嫡も出来ずといった具合で、容易に態度を決めかねていたのでした。このため、薩摩藩は斉彬派と久光派の二派に分裂していたのです。
斉彬の子供が次々と死んでいったのは史実にあるとおりで、国元の斉彬派の人たちは由良一派の呪詛に依るものだと思い込んでいました。なにしろ6人もの子供が死んでしまったのですから、何かあると思うのも無理なからぬものかもしれません。確かな証拠は残っていませんが、実際に呪詛が行われていたという伝承も残っているそうです。
斉彬が斉興を追い落とすために、阿部正弘と組んで調所を追い込んだというのも史実にあるとおりです。正広は斉彬の人となりを買っており、二人は日本の将来を憂い合う、肝胆相照らす仲だったのですね。斉彬は調所が密貿易を行っていたのは薩摩藩のためだと知ってはいましたが、自分が薩摩藩の実権を握らなければ日本の未来は無いと思い、正広もまたそれに同意して非常手段に打って出たのでした。調所が毒を仰いだのも史実にあるとおりで、江戸時代の道徳にあっては忠義の誉れと言うべき行為だったのでしょうか。何にせよ、調所の死によって斉興追い落としの企ては頓挫してしまいます。
ドラマでは、調所を殺されたと思った斉興が、有無を言わさずに斉彬派を処罰したと描かれましたが、実際には斉彬の子供が呪い殺されたと思った斉彬派の高崎五郎右衛門らが、由良のみならず、久光までも亡き者にしようと企てたのでした。これが斉彬派の裏切り者によって斉興に密告され、激怒した斉興が一斉処罰に出たというのが事実の様です。
処罰された者は切腹が14人、遠島が9人、その他閉門蟄居など100名近くに上るという大規模なものでした。赤山靭負もまたこの中に含まれるのですが、その死は西郷にも大きな影響を与えます。そのあたりは次回に描かれる様ですね。
順序は逆になりましたが、中村半次郎、後の桐野利秋は、鹿児島城下には住まない外城士、いわゆる郷士でした。城下に住む城下士とは本来同格の扱いだったのですが、この頃になると一格下に見られる様になっていました。城下士は土地を持っていても百姓に耕すいわば不在地主であったのに対し、郷士は自ら鍬を持って土地を耕し、農作業を行っていました。しかし、格は下でも実際の収入は郷士の方が多く、裕福な者が多かったとも言われます。西郷家が借金をした板垣家も郷士だったと考えられています。
半次郎の父が流罪となっていたのは事実で、家禄も召し上げられていました。彼には兄が居たのですが、18歳の時に病没し、その後は小作や開墾畑で家計を支えたと言われます。ドラマで西郷が助けたというのは創作ですね。
次回はいよいよ斉彬が藩主となる様です。どの様に描かれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。
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