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2018.01.27

第52回 京の冬の旅 ~常林寺~

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京の冬の旅、四カ所目は定林寺を訪れました。ここは萩の寺として知られ、花の季節には何度となく訪れている所ですが、普段は本堂の扉は閉じられており、中に入るのを楽しみにしていました。

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この寺の正式な名は、光明山摂取院定林寺と言い、1573年(天正元年)2月25日に念仏専修僧魯道によって創建されました。はじめは寺町荒神口あたりにあったのですが火災によって焼失し、1671年(寛文11年)に現在地に移転しています。創建当初から知恩院との関係が深く、総本山の役番の地位を占めていました。

本尊は阿弥陀三尊像で、とても優しいお顔をされた阿弥陀様です。近年、本堂の改修をした時に、豊臣秀吉の念持仏を奉納した旨の棟木が出てきたのですが、これがご本尊を指すのか、あるいは他にいくつもある仏像のどれかを指すのかは判らないそうです。

本堂の見所はもう一つあって、色とりどりの花が描かれた天井画です。改修の際に描かれたそうで、それは見事でしたよ。

今回の公開で一番見たかったのは、若き日の勝海舟が京における宿坊としていた部屋です。しつらえは当時のままとの事で、海軍伝習生であった当時の海舟を偲ぶ事が出来ます。この部屋には珍しい八角形の机が置かれており、これを海舟が使っていたのかと思ったのですが、説明に依ればそれは判らないとの事でした。なんだか判らない事だらけの寺ではありますね。

興味深いと思ったのは、裏庭に池の跡の様な石の列があったのですが、これはかつての砂川の跡だとの事でした。この地はかつては鴨川と砂川に挟まれた砂州だった池で、定林寺は長徳寺、正定院と共に砂川の三軒寺と呼ばれていました。この事は知ってはいましたが、まさか砂川の痕跡が残っているとは思ってはいなかったです。

ちなみに萩が良く育つのはここが砂地だからだそうで、意外なところに寺の成り立ちが現れていたのでした。

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こちらは世継子育地蔵尊の祠です。このお地蔵様にも何度となくお参りはしているのですが、お姿を見たのは初めてでした。名高いお地蔵様なのでさぞかし立派な石仏だろうと思っていたのですが、意外と小さく、各町内にあるお地蔵様とそう変わらないのには驚きました。でも、霊験は姿大きさには関係ないので、多くの人の信心を集めるだけの力があるのでしょう。有り難く手を合わさせて頂いたのは言うまでもありません。

次に常林寺を訪れるのは、また萩の花が咲く頃かな。その頃には大河ドラマにも海舟が出てくるのかしらん。もしかしたら、この常林寺もゆかりの池として紹介されるかもしれませんね。


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コメント

まだ、スマホがはやる前のこと萩の頃お邪魔した時に本堂の扉が開いており「どうぞ拝んでいってください」と言われたことがありました。

その時は靴を脱いでまでは上がらず、外から拝ませていただいたのですが今思えば上がらせて頂いたら良かったなと残念に思ってます(^^ゞ

多分その頃は最近のように仏像の盗難や油がまかれるような事件が無かったころなのでしょうね。

投稿: Milk | 2018.01.28 15:12

Milkさん、

それは惜しい事をしましたね。
今なら確かに難しいかな。

でも特別公開なら色々説明が聞けるので、
この機会に行かれてみては如何ですか。

投稿: なおくん | 2018.01.28 21:32

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