京都・洛中 山名宗全邸宅跡
西陣の名が起こったのは、応仁の乱で西軍が陣取った事に由来するのは良く知られるところです。その中心となったのが西軍の主要人物である山名宗全の邸でした。
その場所は上の地図にあるとおりですが、堀川通から少し西に入った狭い通りにあり、住宅街の中に石碑だけがひっそりと佇んでいるという表現がぴったりと来ます。かつてここが騒乱の中心点だったとはとても思えないですね。
驚くのは東軍の中心であった花の御所との距離の近さで、直線距離にするとわずか700m程しか離れていません。この狭い地域に最大30万近い軍勢がひしめき合ったと言いますから、如何に異常な戦いであったかが伺い知れます。京都の町が灰燼に帰したのも当然と言えましょうか。
山名宗全は十一カ国の守護を兼ね、当時の日本の6分の一を領有するという実力者でしたが、彼の力を持ってしても戦いの主導権は握れず、戦いの行く末を見届ける事なく宗全は亡くなります。そして開戦から11年を経て、なし崩し的に京都での戦乱は終息し、何のための戦いだったのか、また誰が勝者なのか判らないまま終焉を迎えました。そんな大乱があった事を、静かな住宅街で想いを馳せて見るのもまた一興かと思います。
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コメント
まさに本日NHKの再放送で応仁の乱をみたところでした!
時代を感じながら歩くと同じ所へ何度通っても
感じ方が変わるのが京都の面白いところですね(*^_^*)
投稿: Milk | 2017.09.17 16:19
Milkさんもご覧になりましたか。
京都の社寺を回っていると、必ずと言って良い程、
応仁の乱で荒廃したという歴史を持っていますよね。
その割りに応仁の乱そのものについては良く知らないという事に気付き、
少しその跡を辿ってみようかと思ったのです。
特に相国寺の放生池が戦乱の跡地だったという事には驚きました。
ただ蓮が綺麗なだけの池ではなかったのですね。
そんな場所がまだまだ残っているはずで、
これからも情報を発信して行けたらと思っています。
投稿: なおくん | 2017.09.17 21:22