京都・洛中 応仁の乱勃発地 ~御霊神社~
昨日相国寺の戦いで応仁の乱について少し触れましたが、そのすぐ近くに由来の地があります。それが相国寺の北隣にある御霊神社で、応仁の乱勃発の地とされます。
御霊神社の戦いは、管領家の一つ、畠山家の家督争いでした。正確には応仁の乱の前哨戦というべきもので、ここに2千の兵で立て籠もった畠山政長に、三千の兵を引き連れた畠山義就が攻めかかったのでした。この時、室町幕府の将軍義政は、畠山家の内紛であるとして諸大名にこの争いに関与する事を禁じていたのですが、山名宗全はこれを無視して義就方に加担し、一方の細川勝元は将軍の命に従って動こうとはしませんでした。結果として政長は敗北し、見捨てた形となった勝元は面子を潰され、以後宗全と対立する様になって行きます。
この戦いが端緒となり、11年にも及ぶ戦が続く事になるのですが、その経過はあまりに複雑で怪奇なものであり、私もまだ理解仕切れていません。結果としては、京の町の大半は焼け野原となり、多くの寺社仏閣も灰燼と帰してしました。大抵の寺や神社の縁起には応仁の乱で焼けたとありますから、片端から陣地とされては焼き討ちにあっていったのでしょうね。
相国寺の近くには、もう一つ応仁の乱に縁のある場所があります。それが花の御所跡で、今は相国寺の西隣にある大聖寺に石碑が残されています。花の御所は室町将軍家の屋敷だったところで、室町通に面して門があった事から、室町幕府の名があると言われます。
応仁の乱勃発当初には義政もこの屋敷に居て将軍として乱の平定に動いていたのですが、あろう事か勝元に働きかけられると勝元に加担して宗全と対立する側に回ってしまいます。これにより、調停勢力を失った応仁の乱は混迷の度合いを深め、泥沼化していったのでした。
応仁の乱はまだ少し概略を調べた程度ですが、奥が深くて面白そうですね。京都にも縁の地がいくつもある事だし、これから本格的に勉強してみようかと思っているところです。
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