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2017.08.10

京都・洛中 ~東本願寺~

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西本願寺と並ぶもう一つの本願寺が東本願寺です。真宗大谷派の本山で、真宗本廟が正式名称となります。

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東本願寺を創立したのは教如上人です。教如上人は顕如上人の長男として生まれましたが、織田信長と戦った石山合戦の時、父の顕如上人が和睦した後も一人石山本願寺に立てこもり戦い続けました。このため、父からは義絶され、その後一度は義絶は解けて教団の後を継いだものの、教団内の対立が元で豊臣秀吉の命により退隠を余儀なくされました。この時、本願寺を継いだのが弟の准如上人です。

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退隠後も布教活動を続けていた教如上人に救いの手を差し伸べたのが徳川家康でした。関ヶ原の戦いの後、現在の地に寺域を与え、新たな本願寺を創設する事を許したのですね。これにより本願寺教団は二つに分かれ、それぞれの位置関係から西本願寺、東本願寺と呼ばれる様になります。家康が教如を助けた裏には、強大な本願寺教団を分裂させ、その力を削ごうとする意図が隠されていたとも言われます。

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もう一つ面白い説があって、秀吉は自らの死後に神となるための権威付けとして、西本願寺、方広寺、豊国廟といった聖地を直線上に並べ、正面通でそれらを結んでいました。その意図に気づいた家康が、そのルートを分断するために東本願寺を今の位置に建てさせたというのですね。さらには、三代将軍の家光もまた、涉成園を東本願寺に寄進し、念入りに正面通を分断したと言われます。実際、正面通を歩いていると、すぐに東本願寺と涉成園に行き当たってしまい、この説がまことしやかに思えてきます。実際どうだったかは謎ですけどね。

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これは御影堂門前にある蓮の噴水です。噴水そのものを設計したのは京都市役所などを手がけた武田伍一氏、蓮の花の設計をしたのは竹内栖鳳氏、完成したのは1918年(1914年とも)の事でした。こんなモダンな噴水を100年前に手がけるとは大したものですね。今でも密かな人気を誇り、記念写真を撮っていく人も多いですよ。

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