« 真田丸 伏見城血天井の寺 ~養源院~   | トップページ | 真田丸 神として復権した秀吉 ~豊国神社~ »

2016.10.04

鶴松の菩提寺 祥雲禅寺跡 ~智積院~

Tisyakuin1610051

真田丸で描かれていた様に、豊臣政権にとって最大の弱点が跡継ぎが居ないという事でした。その秀吉が最初の男子である捨(鶴松)を得た時の喜びはいかほどであった事でしょうか。

良くこの捨が秀吉が53歳にして得た最初の子であり、その事から実子ではないと疑う向きがありますが、実際には長浜城主であった時代の側室に女児を産ませたという事実があり、必ずしも子供が得られない体質であったとは言い切れない事が判ります。

Tisyakuin1610052

しかし、その鶴松は、ドラマでも描かれていた様に病を得て、様々な手段を尽くしたにも関わらず、数え年3歳にしてこの世を去ってしまいます。秀吉の落胆ぶりは大きく、東福寺で髻を切って喪に服し、清水寺を経て最後は有馬温泉にまで湯治に出かけたのですが、悲しみが癒えることは無く、ずっと悲嘆に暮れたままだったと言われます。

Tisyakuin1610053

その秀吉が鶴松のために建てた菩提寺が祥雲禅寺でした。禅寺とある様に臨済宗の寺で、妙心寺の南化玄興を開山としていました。場所は大仏のあった方広寺に隣接した地で、現在の智積院に重なります。残念ながら詳しい事までは判りませんが、2階建ての御堂があり、その上り下りの足音が五条橋まで聞こえたと言われますから、相当な規模の伽藍を持ち、大勢の僧侶が暮らしていた事が窺えます。

遺構はほとんど残っていませんが、わずかに庭園の中に見る事が出来、その南半分が祥雲禅寺時代のものだと言われています。ただ、この日あれっと思ったのは、その特徴とされていたさつきの大刈り込みが消えていた事で、昨年までは確かにあったのに、どうしてしまったのでしょうね。

Tisyakuin1610055

もう一つの遺構が、国宝に指定されている障壁画です。祥雲禅寺の障壁画を長谷川等伯一門に描かせたもので、桜図、楓図などが特に有名ですね。これはレブリカの楓図ですが、本物は収蔵庫にて見る事が出来ます。

Tisyakuin1610056

祥雲禅寺は、大坂夏の陣が終わった後、家康によって智積院に寄進されます。智積院は、元は紀州にあった寺で、秀吉によって一度は滅ぼされた寺でした。家康はその智積院を復興させると共に、豊臣家ゆかりの寺を寄進する事で、その痕跡を消そうとしたのでしょう。ここに家康の灰汁の強さが出ている気がしますね。

祥雲禅寺は智積院の中に組み込まれる形となったのですが、その後度重なる火災によって全てが失われています。わずかに先に掲げた障壁画だけが、火災の都度に僧侶によって持ち出され、難を逃れて来たのでした。

Tisyakuin1610057

祥雲禅寺は、その存続年数の少なさと、その遺構の少なさから、ほとんど知る人も居ない様です。智積院に行かれる事があったら、夭折した鶴松と、その子を失った秀吉の悲しみに思いを馳せられては如何ですか。

|

« 真田丸 伏見城血天井の寺 ~養源院~   | トップページ | 真田丸 神として復権した秀吉 ~豊国神社~ »

真田丸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14874/64284580

この記事へのトラックバック一覧です: 鶴松の菩提寺 祥雲禅寺跡 ~智積院~:

« 真田丸 伏見城血天井の寺 ~養源院~   | トップページ | 真田丸 神として復権した秀吉 ~豊国神社~ »