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2016.10.20

京都・洛北 修学院離宮 ~中離宮~

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中離宮は、後水尾上皇が築いた頃には無かったもので、上皇の第八皇女である光子内親王のために建てられた山荘に始まります。その山荘に、東福門院の女院御所の一部を移築して拡張し、林丘寺という寺としたのでした。その後明治18年に施設が宮内庁に移管され、中離宮として修学院離宮の一部となったのでした。

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下離宮から上、中離宮へと向かうには、馬車道という松並木を歩く事になります。ここは、元はあぜ道だったのですが、明治になって馬車が通れる様に道幅を広げたのだそうです。

修学院離宮はなにしろ広いですから、拝観するのも一苦労ですよ。道のりにしておよそ3km、時間にして1時間30分以上を要します。

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こうした農地も、離宮の一部として国で買い上げてあるそうです。そして、元の持ち主に依頼して農耕を続けて貰う事で、景観を維持しているのだとか。ちなみに、収穫物は宮内庁にはいるのではなく、すべて耕作者のものになるのだそうです。

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その景観はこんな感じで、遠くの市街地はともかく、手前の農地は江戸時代と大きくは変わっていないのでしょう。稲の刈り取り前なら、さぞかし綺麗だった事でしょうね。

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中離宮で最初に案内されるのが客殿です。光子内親王のために、東福門院の奥対面所を移築して来たものです。その中で目に付くのが冒頭の写真の違い棚(一の間)ですね。リズミカルに交互に配した棚は霞棚と呼ばれ、天下の三棚の一つに数えられています。また、壁、床などには、漢詩や和歌を認めた色紙が貼られており、変化に富んだ意匠となっています。さらには、判り難いですが、戸袋の引き手は羽子板の形をしており、元が女院御所だった事もあって、修学院離宮きっての華やかさを誇ります。

上の写真は廊下の奥にある杉戸絵で、狩野敦信の作です。左が岩戸山、右が放下鉾ですが、今と見比べると岩戸山には囃子方が居ないなど違いが見られ、興味深いものがあります。

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この鯉の絵は、作者は不詳だそうですが、非常に出来が良く、夜な夜な抜け出しては池で泳いでいたのだとか。そこで円山応挙に頼んで網を書いて貰ったそうですが、一部は破れており、やはりその後も杉戸から抜け出していたのだろうと言われています。

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これは御殿の裏手になりますが、欄干に注目して下さい。漁村で漁網を干した様な形をしており、網干の欄干と呼ばれます。これも女院御所ならではの遊び心なのでしょうね。

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中離宮でもう一つの見所は、楽只軒です。楽只軒は光子内親王のための最初の建物であり、寛文8年(1668年)に建てられました。パンフレットでは南の床を低くし、庭と一体化してあると書かれているですが、拝観では素通りしてしまったため良く判りませんでした。少し残念ですね。

写真には無いのですが、手前右側には、狩野探信の手による吉野の桜が描かれています。

明日は上離宮に向かう事にします。

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