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2016.10.05

真田丸 神として復権した秀吉 ~豊国神社~

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秀吉はその死の翌年に神号を与えられ、神となりました。正一位豊国乃大明神となった秀吉は、阿弥陀ヶ峰の頂上に葬られると共に、その麓に壮麗な社殿が営まれました。社殿の位置は、たぶん今の京都女子大学があるあたりになるのでしょうか。

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その社殿は北野天満宮を模した八棟造りだったと言われますが、臣下が神となったという意味では菅原道真と同じだったからでしょう。天皇が参拝した時、臣下を仰ぎ見る訳には行かないですからね。

豊国神社が築かれて後、毎年8月18日の秀吉の年忌には豊国祭が行われ、大勢の民衆で賑わったと言われます。その賑わう様は豊国祭礼図屏風に描かれており、京にかつての繁栄を取り戻した秀吉は、その死後も民衆の支持を得ていました。しかし、その事がかえって家康の心証を悪くし、豊臣家を滅ぼそうと考えた一因になったとも言われます。

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大坂の陣で豊臣家が滅んだ後の豊国神社は悲惨でした。まず秀吉の神号は剥奪され、豊国神社も廃絶されてしまいます。山頂の御霊屋と麓の社殿はかろうじて残された様ですが、手入れもされないまま荒廃するに任され、そこに至る参道には新日吉神宮が建てられて、実質的に塞がれてしまいました。そして、いつしかその存在も忘れ去られていったのですが、明治になって再び脚光を浴びる事になります。

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明治元年に明治天皇が大坂に行幸されたとき、秀吉の遺徳を偲び、豊国神社の再興を命じられたのです。これにより、秀吉の神号は回復され、縁の地である方広寺跡地に現在の社殿が建てられたのでした。徳川の時代が終わった事により、虐げられて来た豊臣氏が復権したというところでしょうか。

今見る事が出来る唐門(国宝)は伏見城にあったものとされ、のちに二条城から金地院へと渡り、みたびこの地に移されてきたものです。現在は金具だけが金色に輝いていますが、かつては全体が極彩色に彩られた鮮やかなものだったと言われます。この神社は、どういう訳か拝殿には近づく事が出来ず、一般人が入れるのはここまでです。開放的な神社が多い中にあって、ちょっと珍しいですね。

ここには宝物館もあり、300円で拝観する事が出来ます。先に掲げた豊国祭礼図はこの宝物館で見る事が出来ますよ。また、秀吉の歯という珍しいものもあり、400年以上前の武将の息吹を、ごく身近に感じる事が出来ます。

少し地味な存在である豊国神社ですが、秀吉の遺徳を偲ぶ場所として、一度訪れられては如何ですか。

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