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2016.10.30

真田丸 第43回「軍議」

柏原、真田の陣。陣中を見回る秀忠。信吉たちに幸村が大坂城に入ったと言い捨てていく正信。

江戸、真田屋敷。松に、茂誠と三十郎に、どんな事があっても一番前に陣を敷く様な事をするなと伝えて欲しい、これは幸村のためだと京行きを頼む信之。

京、二条城。家康に拝謁し、忠節を誓う且元。家康から大坂城の兵糧はと聞かれ、半年も保たないだろうと機密を漏らした且元。

大坂城。いつかの蔵に幸村を呼び入れた淀の方。勝てますかと淀の方。そのために私は来たと幸村。

これより軍議がある、そこで必勝の策を献じるつもりと幸村。この城さえあれば、負けませんねと淀の方。籠城はしない、もっと良い策があると幸村。秀頼が危ない目に遭う事はありませんかと淀の方。もちろんと幸村。

床に落ちていた長巻を、いつかの様に立て直す幸村。その背中にすがりつき、私の愛した者は皆死んだ、父も母も、柴田の父も、捨もと淀の方。太閤殿下はと幸村。私の愛した人たちと言いましたと淀の方。

私はどうなっても構わない、秀頼を死なせないでと淀の方。命に代えてもと幸村。しがみつく淀の方の手をそっとほどき、これより軍議の支度があると言って出て行く幸村。

浪人達はどれほどに増えたかと大蔵卿局。既に10万を越える勢い、後は兵糧との兼ね合いと治長。そのようなものはどうとでもなると大蔵卿局。戦は時の勢いを味方に付けた方が勝ちと有楽斎。浪人達を持ち上げるのは構わないが、舵を取るのはあくまでも我らと大蔵卿局。本日の軍議が肝心と有楽斎。

幸村の部屋。かつての昌幸の策を元に、目下の形勢に合わせて策を練り直したいと幸村。

軍議の場。相手は20万、戦の定石どおり籠城としたいと重成。幸村以外の4人までが承知するなか、一人異議を唱えた幸村。どうすると秀頼に聞かれ、後詰めの無い今、ここは打って出るべきだと幸村。正面からぶつかって勝てるはずも無いと反対する又兵衛。正面からぶつかるとは言っていないと幸村。

大坂城は難攻不落の城、あえてそこから打って出るという意味が判らないと治長。戦場を城から離し、大坂、京、伏見、大津、上方全てを戦場とする事で徳川を分断し、敵の力を削いでいくと幸村。

話としては面白いと有楽斎。京の町に攻め入るのかと治長。京には家康がいると幸村。由緒ある神社仏閣を灰にすると言うのかと治長。勝つためと幸村。籠城で良いのではと有楽斎。ではいつまで籠もるつもりかと幸村。2年でも3年でも籠もる事が出来ると治長。その兵糧はと幸村。ごさると治長。ではその先はと幸村。そうこうする内に家康が死ぬ、それを待つと有楽斎。

こうしよう、城の四方を俺と勝永、盛親、全登で固め、向かってくる敵を蹴散らす、それでどうだと又兵衛。妙案と有楽斎。秀頼に裁断をと治長。そういう事ならば、私は引き下がらせて頂くと立ち上がった幸村。お待ちをと治長。考え抜いた策を碌に吟味もせずに捨てられたのではやる気が起きぬ、九度山に帰ると幸村。

幸村の部屋。源次郎様もやりますなと内記。父上ならどうするかと考えたと幸村。大助にはったりは真田の家風と教える内記。はったりではない、これは策だと幸村。そこに現れた重成。

軍議に戻って欲しいと重成。あなたはどう思われたと幸村。私は籠城こそが定石と思っていると重成。その定石を敵も知っている、だからこそその裏をかく意味があるのではと幸村。言葉に詰まる重成。

軍議に戻り、秀頼に策を説明する幸村。まず伏見城を攻略し、そこを出城にして二条城に攻め込む、そして秀忠が到着する前に家康の首を取る、同時に別の軍勢が大津を攻略し、近江を我が物とする、そして瀬田と宇治の橋を落とし、徳川本軍の行く手をふさぐ、ここまで来れば徳川に付いていた豊臣恩顧の大名の中にも我らに味方する者が出てくる、さらに伊達や上杉と示し合わせて秀忠勢を背後から襲わせる、負ける気がしないと幸村。

伊達や上杉が味方をしてくれるかと秀頼。家康の首さえ取れば必ずと幸村。これはお見事、さすがは真田殿と有楽斎。

方々如何でござると治長。一つの策だが、やはり籠城だと又兵衛。訳を伺いたいと幸村。話が大きすぎて付いていけないと又兵衛。説明ならいくらでもすると幸村。他の方々は、長宗我部殿と治長。籠城が良いと盛親。明石殿と治長。右に同じと全登。やはり籠城の様ですなと有楽斎。

待ったと勝永。俺は左衛門佐の策に乗る、話が大きすぎてそこが気に入ったと勝永。如何なされますと治長。もう少し話し合ってみたいと秀頼。暫く休憩してはと有楽斎。

籠城か打って出るか、どちらももっともという気がしてきたと秀頼。最後に決めるのは殿と治長。

廊下。勝永に、ありがとうこざいましたと幸村。俺は籠城だろうが出撃だろうがこだわらないと勝永。ではどうしてと幸村。あんたはなぜこの城に入った、俺は己の力を試してみたかった、それだけだと勝永。あんたに賛成したのは恩を売るためだ、京に攻め込む役目は俺にやらせろと勝永。いいでしようと幸村。

なぜ又兵衛は籠城にこだわるのかと幸村。あいつはあんたの意見に従うのが嫌なだけだと勝永。ではあちらの二人はと幸村。知らぬと勝永。

全登に、戦上手と知られた宇喜多家の家老であったあなたが、決して得策ではない籠城にこだわるのはなぜと幸村。籠城に賛成すればキリシタンの信仰に便宜を図ると治長に言われたと全登。私に豊臣に付く謂われは無い、理由はただ一つ、徳川がキリシタン禁教令を出したからだと全登。

盛親に、あなたも治長に何か言われたのかと幸村。あの男は言った、籠城に賛成すれば願いを叶えるとと盛親。あなたの願いとはと幸村。長宗我部家の再興と盛親。

豊臣家の連中は、俺たち浪人を頼りにしているくせに、牛耳られるのを恐れているんだと勝永。なぜ治長が私の策を知っていたのかと幸村。その時、ふと思い出した淀の方。

豊臣家が負ければ全てが潰える、キリシタンの布教も、長宗我部家の再興も、まずは勝つこと、籠城ではそれは叶わぬ、城は大きければ大きいほどどこかに綻びが生じる、勝つためには打って出る他は無いと幸村。

有楽斎の部屋。城から出るなどもってのほかと大蔵卿局。家康の首を取るには今より無いと治長。あの者達の思い通りにさせてはならないと大蔵卿局。長門守に頑張って貰うよりないと有楽斎。

初と談笑する淀の方。

軍議の場。打って出る事に意見を変えた盛親と全登。敵を分断するという事は味方も分断されるという事と重成。そのとおりと幸村。まとまりのない浪人達が一丸となれるのはこの大坂城と重成。大坂城は最強の砦であると同時に最後の砦、今の我らにはここしかない、籠城は最後に取っておき、まずは外に打って出るべきと幸村。

今の言葉、腑に落ちた、籠城は最後に取っておき、その前に敵の力を削ぐことを考えるべきだと重成。不承知と又兵衛。いつまでつまらぬ意地を張ると勝永。あんたは何のためにここに来たと勝永。死に場所を求めにやってきた、違いますかと幸村。

俺は天下の後藤又兵衛、天下一の城を枕に討ち死にするしかないと思った、俺の死に場所はここしかないと又兵衛。私は勝つためにここにやって来た、死にたがっている者に用は無い、勝つ気がないならこの城を出て行って貰おうと幸村。

本気で勝とうとしているのかと又兵衛。もちろんと幸村。お前は大間抜けだ、勝てるわけが無い、俺たちは日の本中を敵に回している、みんな思っている事だろうと又兵衛。我らは別々の思いを持ってここにやって来た、しかし、一つだけ通じ合っているものがある、皆がそれぞれ生きる望みを持っている、だからこそ我らは強い、私は本当に負ける気がしないのですと幸村。

ここに死に場所は無い、死にたいのなら徳川に付くべきだと幸村。その言葉、忘れねえぞと又兵衛。俺もまだ籠城はまだ早いと思っていたと又兵衛。

なかなか良いものを見せて貰った、初めから申し上げているとおり籠城以外にはないと有楽斎。それでは話し合った意味が無いと幸村。意味はあった、それぞれの思い、胸に染みましたと有楽斎。ふざけるなと有楽斎の胸ぐらを掴む又兵衛。お主達は、所詮金で雇われた浪人達、身の程をわきまえよ、我らの指示に従って敵と戦えば良いのだと有楽斎。

今の言葉は聞き捨てなりませぬと治長。何だとと有楽斎。ここに居る者たちは豊臣を守るために集った者、我らにとっては客人であり非礼は許されませぬと治長。誰に向かって言っていると有楽斎。決めるのは右大臣秀頼公でござると治長。決めた、籠城はしない、打って出ると秀頼。

この事、大蔵卿に伝えると有楽斎。好きになされませと治長。席を立つ有楽斎。これより急ぎ陣立てを決めていくと治長。

廊下。どうなりましたかと大蔵卿局。息子殿に聞きなされと有楽斎。

前途多難だなと又兵衛。多難で無い戦などないと幸村。豊臣の連中は、不利と判っていてなぜあそこまで籠城にこだわると勝永。におうなと又兵衛。では御免と去りかける幸村に、あんたはなぜここに来たと勝永。私にも良く判らないのですと幸村。

淀の方に、真田の献策により出陣すると伝える秀頼。なりませぬと淀の方。母上と秀頼。その者が裏切らぬと言えますかと淀の方。しかし、と秀頼。浪人達の中で信じられるのは真田だけ、他の者はここに置いて目を光らせて置かなければ何をするか判りません。ここに居れば徳川は手出しが出来ない、籠城しか無いと淀の方。

幸村に、秀頼公の気持ちは籠城で固まったと伝える治長。しかし、と幸村。お上様の一言でひっくり帰ってしまった、どうすることも出来ませぬと治長。そうと決まったからには次の策を考えましょうと幸村。


今回は大坂の陣を巡る軍議の場が描かれました。ドラマでは出戦に一度決まったものがひっくり返された事になっていましたが、一般的には出戦を主張した幸村に対し、治長らの反対によって籠城に決まったとされています。又兵衛は幸村に反対したとも、賛成したとも伝えられ、はっきりとは判りません。また、これとは別に、大坂方は大坂城の補強に翻弄されており、とても出戦どころでは無かったという見方もあります。

ドラマとしては、かつての昌幸の台詞が散りばめられており、伏線の多くが回収されていたのが面白かったです。中でも負ける気がしないという台詞は、昌幸の自信たっぷりの表情が思い出されて感慨深いものがありました。

また、大きな城ほど綻びが生じやすいという台詞も昌幸がかつて幸村に語ったもので、おそらくは真田丸築城へと繋がって行くのでしょう。三谷脚本は本当に良く出来ています。

全登が言っていたキリシタン布教のためという話はそのとおりで、彼の部下には何人かのキリシタンが居た事が知られます。禁教令は大坂の陣の前年に全国に向けて出されており、キリシタンは行き場を失っていたのですね。豊臣氏もかつて禁教令を出していますが、全登は敵の敵は味方という理屈で大坂城に入ったのでしょうか。

淀の方は、浪人達の中で信じられるのは真田だけと言っていましたが、ドラマでは確かにそうでしょうね。しかし、実際には兄と叔父が徳川方に居る幸村は、敵に内通する恐れありと見なされ、辛い立場にあったとも言われます。真田丸という敵に突出した出城に籠もったのは、そうした城内の評価を覆すためとも言われますね。

また、ドラマでは秀頼の信頼も厚く、軍議を仕切っていましたが、浪人五人衆の中では、土佐の国主であった長宗我部盛親、一万石の大名であった毛利勝永に次ぐ三番目の立場にあり、発言権もそれに比例したものだったとも言われます。実際の幸村は、ちょっと悲痛な立場にあったのかもしれませんね。

次回はいよいよ真田丸が登場する様です。どんな具合に幸村が思いつき、どんな出城を築くのか楽しみに待ちたいと思います。

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