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2016.10.23

真田丸 第42回「味方」

大坂城。淀の方との再会を果たした幸村。

幸村を持ち上げる有楽斎。部屋に帰る幸村。

幸村の武将としての能力に疑問を投げかける有楽斎と大蔵卿。

秀頼のお声掛かりで独り部屋になった幸村。そこはかつての御文庫でした。感慨に耽る幸村。

一つところに部屋を与えられた春やきりたち。

大助に城の中を探索してきてはと勧め、自分は疲れたと横になる内記。

もう一人側に欲しいと幸村。

天守を見上げる大助。大きいだろうと幸村。太閤殿下はどんな人でしたかと大助。あの天守よりももっと大きな人だったと幸村。

幸村に会いに来た又兵衛と勝永。

後から来た奴に大きな顔をして欲しくないと又兵衛。そんなつもりは無いと幸村。元が大名だろうがどうかは関係ない、要は次の戦でどんな働きが出来るかだと又兵衛。同じ思いと幸村。それにしても部屋が広いのはなぜだと又兵衛。自分も独り部屋、元は一万石を領していた大名だったと勝永。争い始める二人。間に入る幸村。

修理に部屋替えを願い出た幸村。相部屋になったのは長宗我部盛親でした。

又兵衛と相部屋の全登。

駿府城。真田が大坂城に入ったと聞いて立ち上がり、襖を持った手が震えた家康。それは父親か息子かと問い、安房守は既に死んだと聞いて安堵する家康。その一方で、出陣を早めた家康。

左衞門佐ごときでうろたえてどうしますと阿茶局。真田という名を恐れているのだと家康。一気に攻め滅ぼされよと阿茶局。人質としてお千が居ると家康。豊臣家はどうするおつもりと阿茶局。遠国の大名としておとなしく暮らして貰おうと家康。生ぬるい、先々の不安は取り除くに限る、千姫なら返せば秀頼の命を助けると言い、その後滅ぼしてしまえば良い、そうやって乱世を終わらせるのですと阿茶局。

駿府を発った家康。

江戸城。この戦、総大将は自分だと秀忠。家康は自分の仕事の総仕上げと考えていると正信。父上の思惑など関係ないと秀忠。すぐに出立だ、この戦は父の総仕上げでは無い、自分の総仕上げだと秀忠。

大坂城には姉たちも千も居る、害が及ぶことはありませぬなと江。無論と秀忠。私の望みはそれだけと江。

秀忠に息子達を引き合わせ、代理で出陣させる事を断る信之。了解する秀忠。

真田屋敷。両親に出陣のあいさつをする信政たち。

大坂に向けて出陣した秀忠。

真田屋敷。佐助が届けた文で、幸村が大坂城に入った事を知った信之。源次郎が城に入った事で、烏合の衆が一つにまとまるのが怖いと信之。源次郎の文を読み直し、自分の捨てた幸の字を拾いおった、やつは本気だと信之。

作兵衛に幸村が呼んでいると伝えた佐助。喜ぶ作兵衛。戦は嫌だと与八。一つやり残した事があると作兵衛。

末と十蔵に、仮祝言を挙げてくれと頼む作兵衛。その上で、末の父と共に大坂で徳川と戦うと告げる作兵衛。

つつましやかな仮祝言。感慨に耽る作兵衛。

大坂に向けて出立しようとした作兵衛たち。それを見とがめた信之。信之と切り結ぶ作兵衛。自分は徳川に忠義を誓った、源次郎の様にはなれないと信之。追い詰められた作兵衛。あわやと言うときに病の発作が出て、刀を落とした信之。その隙に、ありがとうございますと屋敷を出て行った作兵衛たち。違うと信之。

大坂城。千と秀頼に拝謁した幸村。幸村に総大将になって欲しいと頼む秀頼。

総大将、是非ともお引き受けなされと盛親。これまで何をされていたのかと幸村。京で子供相手に寺子屋を開いていたと盛親。そうでしたかと幸村。かつての家臣に背中を押されて城に入ったが、本来戦が嫌いだと盛親。そうは見えないと幸村。この顔で誤解され勝ちだが、肝の小さな男なのだ、上に立って貰う人が居ると実に助かると盛親。

大広間。ずらりと居並ぶ浪人衆。その中から現れ、幸村にあいさつする塙団衞門。戦の時には欠かせぬ男と自分を売り込み、自らの名前を書いた手札を渡して行く団衞門。

上座に現れた秀頼。これより軍議を始めると修理。いきなり立ち上がった又兵衛。たしなめる修理。かまわぬと秀頼。

我らは皆、豊臣のためにはせ参じた者、録を失えば皆浪人、以前の身分や禄高などで差を付けないで欲しいと又兵衛。さすがは黒田家随一の豪傑と持ち上げる有楽斎。この議はいったんあずかると修理。

これより総大将を選ぶ、殿は真田左衞門左をお望みだと修理。不承知と立ち上がった又兵衛。我らは真田に使われるために入城した訳では無いと又兵衛。我らはそれぞれに腕があっても、それをまとめていく力がなくては徳川に勝てない、大局を見る事が出来る誰かが上に立つ、それによって何倍もの力を得る事が出来ると幸村。だからそれがなぜお前なのだと又兵衛。私には二度徳川と戦い、二度勝ちを得た武功がござる、徳川の戦を熟知していますと幸村。

確かに上田城の話は聞き及ぶ、しかし、初めの戦いは30年も前の話、お主は20歳にもならぬ若造であったはずだがと勝永。早熟でござったと幸村。その時は旗を振っていただけという噂も聞くと勝永。噂は噂と幸村。真田殿こそが総大将に相応しいと全登。後から来た者に従う事はないと又兵衛。ご一同、いきり立たんでも有楽斎。

総大将にはもっと相応しい方が居る、盛親殿は四国を斬り従えた元親殿の御嫡男、まさしく総大将の器と存ずると又兵衛。そうした事にこだわるのを嫌われたのはどこのどなたでしたかと全登。修理殿、御裁定はお任せいたしますと幸村。もう決めてしまわれよと有楽斎。ひとまずこの件はあずかりと修理。預かる時がどこにある、敵はすぐにでも攻めて来ると勝永。困っている秀頼を見て、ご辞退つかまつりますと幸村。拙者も引き受けかねると盛親。ならば、それぞれが死力を尽くし、徳川と戦うのみと又兵衛。不満げな秀頼。

私に一つ策がございますと幸村。申してみよと秀頼。誰かが目立ってしまうと角が立つと判った、しかし、総大将は必要、そこで10万の兵を五つに分け、それぞれに大将を立て、その上に秀頼公御自ら立たれるというのは如何でしょうと幸村。良い考えじゃと秀頼。如何かな、後藤殿、毛利殿と幸村。それならばと勝永。その中に我々は入っているのだろうなと又兵衛。その議は一旦預かってと修理。お主は一旦預からぬと何も決められぬのかと又兵衛。重要な案件故吟味した上でと修理。今、ここで決めてもらおうと勝永。

例えばこうしては、私に、毛利殿、長宗我部殿、明石殿、後藤殿の5人と幸村。良かろうと又兵衛。他の方々もよろしいかと幸村。うなずく一同。今後はこの5人衆の合議によって決めていくとすると修理。うなずく秀頼。

これでは先が思いやられる、浪人達は自分の事しか考えていないし、修理にはそれをまとめる力が無い、秀頼公はまたお若いと内記。確かに浪人衆にはまとまりがない、しかし、あの者たちは今の境遇から這い上がろうとしてここに集った、無理矢理かり出された徳川の兵とはそこが違う、この戦十分勝てると幸村。


今回は大坂城に入城した幸村が、味方を取りまとめていく過程が描かれました。

まずは兵糧米の確保についてですが、大坂にある徳川方の大名屋敷からの調達で十万石とありましたが、実際にはそこまでは行かず、六万石程度だった様です。その一方で、福島正則の屋敷にあった八万石を借りる事に成功しており、民間から買い上げた二万石と合わせて十六万石程度だったのではないかと推測されています。なお、この正則については、出陣は許されず、江戸留守居を命じられました。

真田が大坂城に入ったと聞いた家康が、親か子かとと問いかけ、子と聞いて安心したという逸話は有名です。その時、襖を持った手が震えていたとも言いますね。ドラマでもそれが再現されていましたが、昌幸が死んだと聞いたのが二度目というところが違ったかな。

浪人衆の中で総大将を決めようとしたというのは創作でしょう。幸村が五人衆を決めたというのも創作だと思われますが、実際にも浪人の中に五人衆が居て、その合議で戦を進めていた様です。ただし、なかなか意見は合わず、やはり烏合の衆という観は免れなかった様ですね。

作兵衛については、やはり大坂城に入って、幸村と共に戦っています。真田の郷から大坂城に入ったのは、何も作兵衛一人だったわけではなく、かなりの数に上っている様ですね。どの程度だっかは判りませんが、後に信之が領内で詮議を行っている事からそのことが窺えます。

盛親については、土佐を治めていた長宗我部家の四男でしたが、嫡男の信親が戦死した後、父の元親が次男、三男を抑えて跡取りと定めた事により国主となりました。しかし、関ヶ原の戦いにおいて三成方に付いたため、結果として土佐一国を奪われてしまっています。浪人後はドラマにあった様に京で寺子屋を開いていたと言われますが、大坂の陣勃発にあたり、土佐の旧臣たちが集結し、一手の大将に祭り上げてしまったのでした。その数は一千人とも言われ、五人衆の中でも随一のものがありました。

ドラマとしては、身勝手な浪人衆たちを上手く誘導して、秀頼を総大将に収めた幸村の手腕が見事でした。それに、どう見ても絶望的な状況なのに、そこに希望を見いだす姿勢も変わっていないですね。

次回は籠城か出戦かを巡っての争いがある様です。幸村が昌幸から託された秘策が試される時ですね。どんな具合に描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。


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