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2016.10.09

真田丸 第40回「幸村」

九度山、真田屋敷。信繁の前に現れた明石全登。彼の用件は、大坂に来て一軍の将として戦って欲しいという事でした。敵は家康。断る、自分は囚われの身と信繁。では、会って頂きたい人が居ると全登。信繁が見つめる先には、楽しげな団欒。

沼田城。江戸に来いという秀忠の知らせに不安を隠せない信之。

九度山。信繁に会いたいという人物は且元でした。もはや戦は避けられぬという且元に、ここを離れるつもりはないと信繁。せっかく来たのだから、話だけでも聞いて欲しいという且元。

一人去り、二人去りとして、いつの間にか秀頼公のお側に仕える者は自分一人になってしまったと且元。ご苦労、お察ししますと信繁。事の発端は方広寺の開眼供養、今年は太閤殿下の17回忌にあたり、それに合わせて開眼供養を行うのが秀頼公の念願だったと且元。よく家康が許しましたねと信繁。そもそも大仏建立をはじめ、諸国の社寺の修復を勧めてきたのは家康と且元。読めた、大坂城の金蔵の金を使わせるのが狙いだったのだろうと信繁。

鐘に刻む銘文を清韓という僧侶に頼んだ、しかし、家康はこれでは格調が無いと難癖を付けてきたと且元。無礼なと怒った清韓は、家康の諱を入れた案を考え、国家安康、君臣法楽、それぞれ家康と豊臣の諱と姓を入れた銘文を作ってきました。洒落た趣向だと且元。

ところが、開眼供養も迫った時、家康から日延べする様にと申し入れがあったと且元。何が気に入らぬと秀頼。鐘に刻む銘文に呪詛がある、諱を二つに刻むなど縁起でもないとの事と且元。趣向ではなかったのかと秀頼。草案は見せてあるのだから、鐘が出来上がってから文句を言ってくるのはおかしいと治長。理屈が通じる相手ではないのだと且元。

洒落の判らぬ男だと清韓。諱を割るのは呪いだと言われたと且元。そういう事もなくはないと清韓。知っていたのかと且元。それはあちらの話だと清韓。もう一度書き直す訳にはと且元。あり得ぬと清韓。

進退窮まり、お上様に相談する事にしたと且元。お上様とはと信繁。茶々様の事、今や堂々たる大坂城の要だと且元。

駿府へ行って直接大御所に会って説き伏せてくれと淀の方。

駿府城。清韓は祝いのつもりだったと且元。これは呪いだと正純。君臣豊楽はどうなる、豊臣にも呪いを掛けた事になると且元。豊臣は逆になっている、これは呪詛返しだと正純。なぜ鐘が出来てから言われるのかと且元。信じていたからだ、これは徳川に対する重大な侮辱、断じて許すわけには行かないと正純。

ひと月粘っても、家康に会えなかった且元。

近江、土山。駿府からの帰り道で、大蔵卿に会った且元。家康に直接会い、全ては無学な且元が田舎坊主の言いなりになってしでかした事、いちいち騒ぎ立てることもないとの言葉をもらった大蔵卿。話が違う、自分は正純から事を治める三箇条、秀頼が大坂城を出て伊勢または大和に移る事、お上様を人質として関東に送る事、秀頼公は諸大名と同じく江戸に参勤する事、叶わぬ場合は徳川に敵対するものとみなし、討ち滅ぼす事と聞いてきたと且元。あり得ないと大蔵卿。

実のところは、逆心の無い事を形で示せとだけ言われたと且元。三箇条はと信繁。自分で考えたと且元。なぜ嘘をと信繁。大蔵卿があまりに憎らしくと且元。

大坂城。嘘がばれた且元。何故かと秀頼。戦を避けるために考えたものと且元。出来るわけがないと淀の方。大御所は心配は要らぬと言われただと大蔵卿。そこが解せませぬと且元。策を弄したのは貴殿ではと治長。何を言うと且元。三箇条を手土産に、徳川家に召し抱えられる手はずだったのではと治長。正純に言いくるめられたのではと大蔵卿。馬鹿を申すなと且元。私は且元をよく知っている、この男にはそんな智恵も度胸もない、大蔵卿の言うことが真ならよいではないかと淀の方。大仏開眼の日延べは仕方がない、その責めは負ってもらうと治長。

治長たちが暗殺を企んでいる事を知り、大坂城を去った且元。取り次ぎ役の且元の追放を手切れとみなした徳川。

大坂攻めを命じた家康。

家康は初めからこうなる事を見越していたのかもしれないと信繁。

秀頼は豊臣恩顧の大名に呼びかけ、また大坂城には浪人達が続々と集まってきている、全登もその一人と且元。秀家が捕らえられ、八丈島に流されてからこの10数年、全国を渡り歩いてきたと全登。

大坂城に入り、一軍を預かって徳川勢を迎え撃ってくれと且元。残念ながらお力にはなれにないと信繁。なぜと且元。訳は三つ、私は大軍を率いて戦った事がない、囚われの身、そして戦がそれほど好きではないのですと信繁。曲げて頼むと且元。今宵はお会いできて嬉しかった、真田左衞門佐は死んだものと思って下さいと信繁。

月明かりの中、一人佇む信繁。そこに現れたきり。あの人は明石様だったはず、何の用だったのときり。間もなく大坂城に徳川が攻めかかる、大戦だと信繁。行くのときり。行きたいと思った、だが今はもっと大事なものがあると思い断ったと信繁。行きなさいよときり。止めるのかと思ったと信繁。なぜときり。向こうには淀の方が居る、あの方は人を不幸にすると言っていたと信繁。行きたいと思っているのでしよう、助けを求めている人が居るのでしょう、だったらときり。私に何が出来る、大軍を率いて敵と戦った事もないと信繁。

真田安房守昌幸、徳川と二度戦って二度勝った男、あなたにはその血が流れているときり。誰も私に付いてこないと信繁。源次郎は安房守の息子、戦上手に決まっている、誰も疑わない、あとははったりときり。

ここで一生終えたいの、それで良いの、何のために生まれてきたのときり。私は幸せなんだと信繁。あなたの幸せなど関わりない、大事なのは誰かがあなたを求めているという事ときり。

今まで何してきたの、小県に居る頃は父親に振り回され、大坂に出てきてからは太閤殿下に振り回され、ときり。振り回されてきたわけではない、自分なりに力を尽くしてきたと信繁。これまで生きてきたという証しを何か残してきたときり。

聚楽第の落書きの科人は見つからなかった、沼田を巡って談判をしたけれど北条に取られてしまった、小田原城に乗り込んだそうたけれど、開城したのは何とか官兵衛という人の力だった、何もしていない、何の役にも立っていないときり。

私の大好きだった源次郎様はどこに行ったのときり。うっとうしいんだよ、お前はと信繁。判っていますときり。お前の言った事くらいは、とっくに自分で問いかけていると信繁。もう言わない、二度ときり。だが、お前に言って貰った方がよほど心に沁みたと信繁。

回想。(様々な出来事を呼び起こしていく秀吉のベル。)


朝。様々な文字を短冊に書き出している信繁。それを一字ずつ切り分けて壺の中に入れる様にと、大助に頼む信繁。

庭の里芋の出来を調べ、全て取り入れてしまおうと大助に言う信繁。

これから新しい名を決める、一文字は決まっている、兄が捨てた幸、これは真田家に代々受け継がれる大切な文字だと信繁。残りの一つはお前が決めろ、この壺の中から一枚だけ引いてくれと大助に信繁。そんな大事な事をくじで決めて良いのですかと大助。大事な事だからくじで決めるのだ、八百万の神に託したのだと信繁。

大助の選んだ文字は九度山村の村でした。それと幸の字を組み合わせ、信繁が新たに決めた名は幸村。戦国最後の名将の誕生でした。


今回は大坂冬の陣の前夜が描かれました。ほぼ回想シーンで構成されていましたが、信繁が自分で見た事だけを描くというこのがこのドラマのコンセプト、且元を九度山に来させるのは無理があったと思いますが、ある意味必然だったのかも知れません。

また、なぜ使者が明石全登だったのかと思っていたのですが、きりを無理なく持ってくるためだったのですね。なお、全登はてるずみと呼ばれていますが、他にも呼び名があり、「ぜんとう」「たけのり」という説もあります。キリシタンとして知られ、きりがガラシャのところで見たと言っていたのはそのせいでした。

方広寺鐘銘事件については先日書いたとおりですが、最近の学説はドラマに近いものがあり、鐘銘には意図的な悪意があったとする向きが増えている様です。

且元が考えたという三箇条ですが、これはドラマのとおりとする説と、徳川方から実際に提示されたものとする説があるようです。この条件についても、鐘銘事件を契機に平和裏に豊臣家を徳川傘下の大名として組み込もうとしたのであり、豊臣家を滅ぼそうとする意図では無かったとする説もあります。それが戦になった直接の原因は、ドラマにあったように且元が大坂城を去った事にあり、当時の慣例として取り次ぎを処分する事は手切れを意味する事だったからでした。つまりは、大坂の陣を誘発したのは、大坂方の暴発にあるという事になります。このあたり、見方は様々ですね。

それにしても、回想シーンに秀吉のベルを持ってきたのは秀逸でした。あのベルによって次々と信繁の記憶が蘇っていましたが、見ている側もこれまで見てきた懐かしいシーンを思い出す良い呼び水になりました。最晩年の秀吉が、しつこいくらいに鳴らしていたのも思い出しましたね。あんなに良い響きだったんだなあ。

また、きりが言っていた様に、これまで信繁がしてきた事は全てこのドラマにおける創作であり、記録に残るはずもありません。わずかに秀吉の馬廻りだった事が判っているだけで、ほとんどは九度山以降の事しか記録に残っていません。もし、大坂の陣に参戦しなかったならば、信繁はついに無名に終わった事でしょう。

そして、幸村の名をここで持ってきましたか。それも、幸は「昌幸」の回の会話から判っていましたが、「村」が九度山村の村だったとはね。幸村の名は江戸時代になってから創作されたものと思われますが、作者はやはりこの名に思い入れがあるのでしょう。史実はともかく、講談や小説、物語にと通りは良いですからね。日本一の兵と言われ、その名を後世に残した武将のこれからをどう描くのか、楽しみに待ちたいと思います。


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