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2016.10.03

真田丸 伏見城血天井の寺 ~養源院~  

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佳境を迎えつつある大河ドラマ「真田丸」ですが、ある意味豊臣家のドラマでもありますね。京都にはその豊臣家ゆかりの地がいくつかありますが、東山七条界隈もその一つです。

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三十三間堂の北側の通りを南に歩いて行くと、血天井と書いた立て札が見えてきます。この如何にも物騒な寺が養源院、淀の方が建てた浅井長政の菩提寺です。

淀の方がこの寺を建てたのは文禄三年五月の事でした。この頃はまだ豊臣家が勢いを保っていた時期ですね。しかし、程なく養源院は火災に遭い、焼失してしまいます。

荒廃していたこの寺を再興したのは、淀の方の妹であり、徳川秀忠の正室であった江でした。元和七年の事であり、豊臣家は滅亡した後ですね。しかし、江にとっても長政は父であり、その菩提寺を復興する事は、豊臣家縁の寺とはいえども、誰も反対は出来ないのでした。その代わりという訳なのか、伏見城の遺構を用いて再建する事となり、関ヶ原の戦いの前哨戦で敗れた徳川の将兵の菩提を弔う事となりました。その遺構の一部が血天井です。

伏見城の守将であったのは鳥居元忠ですが、第一次上田合戦の主将でもあり、「真田丸」においても登場しています。関ヶ原の合戦の時には老練の武将として家康の留守を任されたのですが、伏見城攻防戦においては多勢に無勢であり、城を守り切る事が出来ずに、最後は元忠以下の将兵が揃って自刃したのでした。その時に血だまりになった部屋の床を天井に張って、日々の読経などで供養しようとしたのが血天井です。実際に上を見ると手形や足形などが残っており、生々しいものがありますよ。さらには元忠が自刃した跡まで残っていると拝観時には説明されますが、そう言われれば見えなくもないといったところかな。

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こうした血天井の寺は京都やその周辺に八箇寺がありますが、この養源院は特に徳川家の菩提寺としても位置づけられており、格は一段上と言えるのでしょうか。歴代将軍の位牌を祀っているほか、明治以前には一般人は入ることが許されず、勅使のほかは将軍や大大名しか参拝する事は出来ませんでした。

それだけ徳川家に傾斜した寺ですが、意外なものもあります。それが淀の方と秀頼の肖像画、それに秀頼の位牌です(確認は取れていないのですが、淀の方の位牌もある様です)。敵方の豊臣家の縁の品のはずなのに、創建当時の性格を受け継いだものなのか、あるいは血縁者である江の力に依るものなのかは判りませんが、ずっと大切に保管されています。徳川家は徹底して豊臣家の痕跡を消そうとしていた事を思えば、何とも不思議な気がしますね。なお肖像画は以前に特別公開が行われていますが、秀頼の位牌はずっと非公開の様です。

また、一部ネット上で秀頼の墓がこの寺にあるという情報が流れていますが、それは間違いです。ここには位牌はあっても墓はありません。首塚は以前は大坂城三の丸跡にあったとされますが、今は嵯峨清凉寺に移されています。

真田丸とは直接関係ないのですが、俵屋宗達筆と伝わる十二面の襖絵と八面の杉戸絵もこの寺の見所ですね。昨年の琳派400年以来訪れる人が多くなり、この日もかなりの混雑ぶりでした。私的には、白象の絵はがきがもらえたのが嬉しかったな。

ドラマの進行とは前後しますが、真田丸のサイドストーリーとして養源院を訪れてみるのも面白いかと思いますよ。

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