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2016.09.18

真田丸 第37回「信之」

沼田城。一日で関ヶ原の戦いが終わった事に驚く信幸。

上田城。降伏はしないと息巻き、徳川の押さえの兵を蹴散らすと出て行く昌幸。

次々に敵陣を襲っていく昌幸。

大坂城に家康が入ったと聞き、これ以上の戦いは無駄と昌幸を諭す信繁。悔し紛れに床を叩く昌幸。

大坂城。真田からの降伏状を手に、城の受け取りは倅にまかせよと家康。昌幸と信繁はどうするかと正信。まだ他の諸将の処遇も決まって居ない、後回しだと家康。

上田城。上使として現れた長泰。家康からの当面の沙汰について信繁に伝える三十郎。

沼田城。これから父と源次郎の命乞いに大坂へ行ってくると信幸。そこに現れた忠勝。忠勝にこれから大坂に行くと告げる信幸。自分も一緒に行こうと忠勝。

上田城。こっちが勝ったというより向こうが勝手に負けただけ、それなのにお咎めを受けるなんであまりにも理不尽だと松。

思えば、信長が死んだ頃が一番楽しかった、生きているという手応えがあったと昌幸。

大坂城。家康に昌幸と信繁の命乞いをする信幸。聞く耳を持たない家康。聞き届けられないとあらば、自分も信幸と共に上田城に入り戦う覚悟と忠勝。忠勝の気迫に押され、助命を認めた家康。その代わり、父とは縁を切れ、信幸の幸の字を捨てよと家康。

西の丸。人質生活に疲れ切った薫。薫の面倒を見てきた春ときり。

上田城。城の受け取りに来た信幸。まず、命までは取らぬという事を伝える信幸。次いで、小県の領地は召し上げと信幸。後に入るのは誰と信繁。たぶん、自分だと信幸。それならば、願ったり叶ったりだと信繁。そして、二人は高野山に流罪と決まったと信幸。この役立たずがと怒鳴りつける昌幸。兄上は精一杯してくれたのだと父をなだめる信繁。

茂誠に、城の明け渡し役となり、そのまま信幸の家臣となって下さいと信繁。作兵衛には、末の父親代わりとして村に残れと信繁。内記には身の振り方を自分で決めろと昌幸。自分はずっと昌幸の側に仕えると内記。これは永久の別れでは無い、いずれ会える日を楽しみにしていると昌幸。

病床にある昌相。別れを言いに来た昌幸に、大坂城は堀に隙がある、素っ破を忍び込ませれば家康の首は獲れると昌相。あい判ったと昌幸。

末と対面し、源三郎叔父上を父と思えと信繁。末にとっては作兵衛叔父上だけが父だと末。

慶長5年11月13日、上田城を明け渡した昌幸。

上田城に入り、九万五千石の大名となった信幸。家臣を前に、家康の命により幸の字を捨て、信之と改名した、しかし、読みは元のまま、せめてもの意地だと信之。

大坂城。家康と対面した昌幸と信繁。なぜ自分がお前達の命を救ったのか判るかと家康。死よりも苦しい仕打ちを与えようとされているのではと信繁。昌幸に、一切の兵、武具、馬、そして戦に出る機会を奪う、これからずっと高野山の麓の小さな村で過ごすのだ、1~2年で帰ってこれると思うでない、死ぬまでそこに居るのだと家康。

信繁を出迎えた且元。家康は秀頼に戦勝報告をし、すべてを三成のせいにした、これで命拾いをした者も沢山居ると且元。

寧に会い、九度山に行くと告げる信繁。弘法大師の母が居たところ、大師が九度会いに行かれた事から九度山と呼ばれるようになったと且元。これからは親孝行をしなさい、身内こそ大事にするもの、私は気がついたら誰も居なくなっていたと寧。秀頼公が居られるではありませんかと信繁。静かに微笑む寧。そこに現れた秀秋。あの子を忘れていたと寧。信繁に気付いて蒼惶と部屋を出て行く秀秋。

あの子は帰って来てからずっとああなのだと寧。秀秋の裏切りが無ければ三成が勝っていたと且元。そうなのですかと信繁。ひそかに家康と通じていたと且元。悪い子やないと寧。

見えぬ影に怯え、逃げ惑う秀秋。その二年後、21歳で謎の死を遂げます。

淀の方に、信繁が来ている事を告げる大蔵卿。今は会わなくても良い、いずれまた会う気がすると良い、いつかの山吹の押し花を見る淀の方。

春を抱きしめ、これからは共に暮らせると信繁。春から吉継の最期の様子を聞く信繁。

この首、誰にも渡すなと命じ、治部、楽しかったぞと言って果てた吉継。

昌幸の膝枕で寝、寂しかったと訴える薫。苦労を掛けたと昌幸。もう人質生活は御免ですと薫。悪かったと昌幸。そのまま寝付いた薫。

きりに、母を良く守ってくれたと礼を言う信繁。大した事はしていないときり。これからどうする、上田に戻る事も出来ると信繁。源次郎様はどうして欲しいときり。出来れば母の面倒を見て欲しいと信繁。じゃあ、そうしますときり。

そこにやって来て、薫は上田に返すと昌幸。兄もこちらに向かっている、後はまかせましょうと信繁。そして、きりに、上田に帰って良いぞと言い捨てる信繁。

文を書いている信繁。そこに入って来た清正。彼が連れてきたのは三成の妻、うたでした。三成の死後、あちこちを逃げ回り、最後に自分のところに来たと清正。我が殿を知る人のところを巡り、我が殿の最後を伝えるのが自分の役目とうた。ご覧になられたのですかと信繁。必ず見届けよと言われていたとうた。

六条河原。静かに目を閉じ、潔く首を差し出す三成。

それは見事なご最後でしたとうた。三成様らしいと信繁。あの方は天下の大罪人の汚名を着せられて首を刎ねられてしまいましたが、豊臣家の事しか考えていなかったとうた。よく存じていますと信繁。何度も同じ事を訴えるうた。うたを連れ出す清正。

目覚めた時、昌幸も源次郎も居ない事に気付いた薫。そこにやってきて、母を抱きしめる信之。

九度山の屋敷に入った昌幸一行。


今回は関ヶ原の戦いの後始末が描かれました。ホームページのあらすじに三成と吉継の最期が描かれるとあったので、合戦そのものの経過説明があるのかと思っていましたが、ごくわずかでしたね。ドラマ史上最短の関ヶ原と言われていますが、本当にそうだったな。

関ヶ原の戦いの経過に少しだけ触れておくと、従来は開戦から暫くは西軍が優勢であり、東軍への内応を約束していた秀秋が日和見していたところ、しびれを切らした家康が鉄砲を撃ちかけ(問鉄砲)、それに驚いた秀秋が裏切りを決意し、大谷隊に襲いかかって東軍に勝利をもたらしたとされています。しかし、最近の研究では、秀秋は最初から裏切るつもりであり、開戦早々に横様に大谷隊に襲いかったため、連鎖反応的に秀家、三成隊が崩れて行き、ごく短時間で勝敗は決したと言われています。有名な布陣図もその信憑性が疑われており、東軍、西軍という概念も当時は無く、豊臣家家臣団同士の争いと捉えられていたと考えられています。ドラマで寧や淀の方が平然としていたのは、家臣同士の争いという事が頭にあり、家康に天下を取られるとは考えていなかったためではないかと思われます。

戦後処理の経過としては概ねドラマのとおりで、忠勝が信幸と一緒になって昌幸の命乞いをしたというのは史実とされています。ただ、実際に処刑されたのは三成、安国寺恵瓊、小西行長ら首謀者のみに限られており、元々昌幸たちを殺すつもりはなかった、つまりは昌幸はその程度の小者に過ぎなかったという見方もあります。

信幸が信之に改名したのも史実どおりで、徳川家に遠慮したというのは確かですが、家康から強要されたものかどうかは、手持ちの資料からは判りません。でも、真田家にとっては、祖父の幸綱の代から続く大切な字でしたから、忸怩たるものはあった事でしょう。

九度山には沢山の家臣が同行していた様に見えましたが、家臣としては16名だった様ですね。その他に信繁の妻や側室、その子たちが含まれていた様です。

次回は昌幸の死が描かれる様です。ちょっと早い様な気がしますが、希代の策士の最後がどう描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。

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