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2016.09.11

真田丸 第36回「勝負」

犬伏の陣。信幸と別れて上田に引き返す昌幸と信繁。

岩櫃城。昌幸が帰ってくると知り、笑い合う茂誠と松。

小山の陣。上方で毛利が挙兵したと知り、愕然とする家康。背後には三成が居ると正純。軍議を開くと叫び、爪を噛む家康。

7月24日、小山に着いた信幸。昌幸が離反したと知り、とまどう家康。処分をと迫る正純。かえって忠義の者と褒める家康。

小山評定。先頭を切って家康に味方すると叫ぶ正則。それに続く諸将。

翻ったのは昌幸のみ、断じて許さぬと家康。

沼田城近くで休息を取る昌幸たち。そこに訪れた稲とこう。しかし、信幸が徳川に付いたと聞き、一足先に沼田城に帰ると言って出て行きます。

沼田城。開門を告げる三十郎。しかし、出迎えたのは甲冑姿の稲でした。徳川に刃向かう者は全て敵と長刀を振るう稲。それを見て、さすがは忠勝の娘だと笑って去る昌幸。

7月27日、上田城。いずれ徳川が攻めて来る、同じ手は二度使えないと昌幸。信幸はという声に、徳川に付いた、手加減する事はないが多少気に掛けろと昌幸。

江戸城。家康から上田城攻めの先鋒を命じられた信幸。

8月1日、沼田城に入った信幸。

上田城。三成から北、中信濃を切り取り次第にして良いという書状を受け取った昌幸。しかし、さらに甲斐、信濃二カ国を取ろうと条件をつり上げる昌幸。

大坂城。昌幸からの書状を見て、この際構わぬ、この戦は真田が鍵となりそうだと吉継。

三成からの返書を見て、よっしゃーと快心の叫びを上げる昌幸。

8月24日、三万の軍勢を率いて真田討伐に向かった秀忠。

会津城。秀忠を討つと景勝。今はまだ早い、三成と家康がぶつかってからだと兼続。

9月1日。三万の軍勢と共に江戸を立って西に向かった家康。

9月3日、小諸城に入った秀忠軍。

軍議の席上、神川の堰をあらかじめ切っておこうと正信。

上田城。まだ早いかとつぶやく昌幸。小諸には信幸も居るらしいと内記。

小諸城。昌幸からの書状を秀忠に渡す信幸。そこには降伏すると書かれていました。

使者として訪れた信繁。その相手となったのは長泰でした。城は明け渡すがいずれ返せ、本領は安堵する事、昌幸を徳川の家臣として丁重に扱えなど、好き勝手な事を言って帰った信繁。

申し訳ないと平謝りに謝る信幸。昌幸の狙いはと正信。時を稼ぐ事かと信幸。何のための時かと聞いていると正信。判らないと信幸。これは怒っても良いのだなと書状を破り、上田を攻めると叫ぶ秀忠。

9月6日。神川を渡り、染屋原に陣を敷いた秀忠。

上田城。源三郎とは戦いたくないと昌幸。私に一つ策があると信繁。

三十郎に、戸石城に行くと告げる信繁。それは信幸と図って一芝居を打つためでした。暫くやりあった後に、内通者が居た事にして城門を開く、そこに信幸の軍勢がなだれ込むという策を三十郎に告げ、門はお前が開けよと命じる信繁。かしこまりましたと三十郎。お前はそのまま残れ、内通者が居なくなっては怪しまれると信繁。必死で抗弁する三十郎。いずれ真田が一つになる時までの辛抱だと説得した信繁。

信繁の策を信幸に伝えた佐助。

染屋原の陣。15年前の失敗を踏まえて、今度は一気には攻めない、まずは刈田をと正信。戸石城攻めは自分にと願い出る信幸。

戸石城。示し合わせた通り、形ばかりの攻防の後、門を開いた三十郎。なだれ込む信幸の軍勢。軽くあしらいながら引き上げる信繁の軍勢。勝ちどきを上げる信幸。

上田城。向こうから攻めて来る事はない、それ故、こちらから打って出ると昌幸。信繁には敵の攪乱を、茂誠には敵の兵糧の奪取を、作兵衛には刈田を防げと命ずる昌幸。

染屋原の陣。昌幸の指示どおりに動く真田勢。

真田に翻弄され、苛立つ秀忠。そこに雨が降ってきます。昌幸が待っていたのはこれだったのか、神川が氾濫すると正信。

上田城。正面から攻めますかと内記。敵の裏をかくと昌幸。

信繁に、兵500を連れて本陣の裏、蚕山へ回れ、秀忠の首を取ってしまえと昌幸。本陣まで気付かれずに攻め込めるでしょうかと信繁。そのために、半月かけて攻め口を切り開いて置いたと昌幸。ここに本陣が来ると判っていたのですかと信繁。ここしかないと、端から踏んでいた、戦は始める前が肝だと昌幸。

染屋原の陣。正面から攻めると決めた秀忠。その時、家康からの書状が届きます。

大雨の中、敵の本陣めがけて進軍する信繁の軍。

上田城。果たして総大将の首は取れるのかと内記。取れなくても良い、初陣の秀忠を思いっきり怖がらせてやる、そうすれば生涯戦下手で終わると昌幸。

染屋原。敵陣の様子がおかしい事に気付いた信繁。もぬけの殻になっていた敵陣。

その理由は、血気に逸った正則が岐阜城を落とした事にありました。慌てた家康は西上を開始し、秀忠に合流を命じたのです。

9月15日、関ヶ原。天下分け目の大戦。

上田城。戦勝に沸く真田勢。そこに関ヶ原から戻ってきた佐助。しかし、その結果は昌幸の期待とは裏腹に三成方の敗北でした。呆然とする昌幸たち。


今回は第二次上田合戦が描かれました。期待していたとおりの面白い回で、やはり戦のある時の昌幸は違います。

順を追って見ていくと、家康は三成の挙兵を予期していなかった様に描かれていましたが、最近の学説では史実においてもドラマのとおりだったと考えられています。以前は上杉征伐に行くのはわざと隙を見せるためで、三成の挙兵を誘ったのだと言われていましたけれどもね、今は上杉征伐はあくまで(形式的にせよ)豊臣家の公戦であり、三成の挙兵は想定外だったと言われています。

次に小山評定については、ほぼ従来の形を踏襲していましたね。ただ、これも小山評定自体が無かったとする説もあり、どこまでが史実かは判然としません。なお、ドラマでは石田方に翻ったのは昌幸のみと言っていましたが、田丸直昌という武将もまた小山の陣を去ったとされています。たぶん、直昌が小大名に過ぎず、大勢に影響ないという事で省略したのでしょうか。

沼田城の逸話はよく知られている所ですが、少し違うのは稲(小松姫)が昌幸と会ったのは旅からの帰りではなく、最初から城に入っており、そこに昌幸の一行が現れたのでした。昌幸はあわよくば城を乗っ取ろうとしたのですが、小松姫は門を閉じてこれを峻拒したのでした。辟易した昌幸は孫の顔を見に来ただけだと告げたところ、小松姫は城外で孫と会わせて、昌幸を引き取らせたと言われます。いずれにしても、この逸話から小松姫は烈女として後世に伝わる事になります。

三成からの恩賞に関しては、昌幸が交渉の結果信濃、甲斐二カ国にまで引き上げたのは事実であり、もし勝っていれば昌幸念願の武田の遺領相続はなっていたのかもしれません。

上田攻めに関しては少々史実として伝わる所とは異なり、もう少し真田方が勝った様に言われています。ただ、経過が第一次上田合戦と似ており、ドラマとしては同じ様な描写をしても仕方がないという事なのかな。あるいは、知恵者の正信が同じ轍を踏むはずが無いという事なのかしらん。染屋原とか、刈田、神川などの道具建ては史実どおりなのですけどね。

また、開戦前に昌幸が偽りの降伏をしたというのも史実どおりで、研究者によっては本当に降伏のための交渉だったのですが、あまりにも無理難題すぎて交渉が決裂したのだという説もあるようです。

関ヶ原の戦いに関しては、あまりにもあっさりとしすぎていました。まあ、本筋からは遠いという事なのでしょうけど、もう少し描いても良いのではと思いますね。ただ、これも最近の研究では、開始直後に小早川秀秋が裏切り、数時間も持たずに三成方は崩壊したとも言われていますから、描きようもなかったのかしらん。そのあたりは次週に繋がるのかな。

次回は昌幸たちの処分が描かれる様です。信幸が信之に変わる理由も明らかにされるのかしらん。どんな展開になるのか、楽しみに待ちたいと思います。

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