« 京都・洛中 萩2016 ~梨木神社 9.17~ | トップページ | 京都・洛北 秋海棠2016 ~寂光院 9.24~ »

2016.09.25

真田丸 第38回「昌幸」

慶長6年正月、九度山村。昌幸らに、村から一歩も出るなと伝えに来た浅野家家臣。

九度山村の長にあいさつに出向いた信繁。何でこの村に来た、一日も早く去ってもらいたいと村長。

きりと真田の郷の思い出話をする信繁。そこに現れた春。歩いてこようと誤魔化すきり。

自分の住む小屋を建てた佐助。たった一日でと感心するきり。素っ破ですからと佐助。頼りになるときり。きりの絵を見せる佐助。絵も上手ときり。素っ破ですからと佐助。

信之からの手紙を信繁に見せる昌幸。源三郎が幸の字を捨てた事を知り、その字を貰ってくれぬかと昌幸。考えておきますと信繁。

沼田城。家康への赦免を願う文を認める信之。

伏せったふりをして、まんじゅうばかりを食べている薫。

九度山。薪を切る春。その不器用さを見て、源次郎様にやってもらったらときり。私の仕事ですと春。春と代わって、腰が大事と教え、切ってみせるきり。いつか源次郎に嫌われてしまうか不安と春。大丈夫ときり。梅に似ているからかと春。梅もあなたも私みたいに垢抜けていないところが良い、自信をもちなさいときり。

私、くやしいんですと信繁に訴える春。きりに何か言われたのなら、上田に帰すと信繁。きりの事はどうでも良い、梅の事だと春。今でも源次郎の中には梅が生きている勝てるはずが無いと言い、障子を破り始める春。後ろから抱きしめる信繁。

会津城。米沢30万石に減封されてしまった景勝。

信繁の子を身籠もった春。もし女の子だった梅という名にする、そうすればこの先梅と呼べばこの子の事になるからと春。

慶長8年2月、征夷大将軍となり、同じ年、孫娘千姫を嫁入りさせた家康。

九度山。家康が征夷大将軍となったと知り、浮かれている今が赦免の好機だ、ここで駄目なら後は無いと昌幸。

沼田城。赦免を願い出る書状を正信宛に届ける信之。

伏見城。家康に信之からの書状を手渡す正信。中身を見ずに、判っておると家康。九度山に追いやってからはや2年、良い機会かとと正信。ならぬ、昌幸は死ぬまであそこに居るのだと家康。

2年後、秀忠に征夷大将軍の座を譲った家康。

九度山。家康は今浮かれている。これが赦免の最後の好機だ、ここで駄目なら後は無いと昌幸。

家康に再度赦免を願い出る正信。くどい、あの男が九度山を出るのは骨になった時だと家康。もう我らの耳に昌幸の事は入れるな、あの男は死んだのだと秀忠。

沼田城。いつになったら赦免されるのかと信之を責める薫と松。今、手を尽くしているところと信之。みんなで直訴してはと松。そこに入って来て、夫は真田安房守とは縁を切ったのだ、真田の家が潰されたらどうする、もうその名を口にする事はなりませぬと一喝して去る稲。後に残り、稲はこれ以上家康が機嫌を損ねれば昌幸も信繁も命が危ないと心配しているのだと、とりなすこう。それならそう言えば良いのにと薫。

九度山。もうここから出られないのかもしれないとつぶやく昌幸。

慶長11年、大坂城。秀頼主催の鷹狩り。見事な若武者に育った秀頼。随行する清正。

九度山。柴刈りから帰る途中、江雪斎にあった信繁。隠居するという江雪斎に、自分も蟄居暮らしに慣れたと信繁。お主は駄目だ、その目の奥に熾火が燻っている、いずれ誰かがその火を求めに来ると江雪斎。

昌幸に会いに来た村長。隣村との喧嘩について指南してもらいたいと村長。指南を言いかけて黙ってしまう昌幸。後を引き受けて、村同士の争いは太閤殿下が禁じられた、浅野の殿様に話を持っていくが良いと諭す信繁。

沼田城。二人の孫相手に竹とんぼを作っている忠勝。その時、小刀で指を切ってしまった忠勝。

駿府城。家康に隠居を願い出る忠勝。一度たりとも手傷を負った事が無いのが自慢だったのが傷を負ってしまった、この太平の世出番はないと忠勝。まだまだ判らない、西の方で一波乱あるやもしれないと家康。その時は蜻蛉切を持って駆けつけますと忠勝。慶長15年、忠勝、没。

慶長16年正月、京。北政所に会うことは出来ないかと思案する信之。それは無理でも、その下でかつて侍女達の指南役をしていた者が居ると聞いた、あたってみますかと綱家。

小野お通と会った信之。

大坂城。秀頼の若武者ぶりを家康に見せてはどうか、そうすれば豊臣家の扱いも変わって来るはずと清正。

駿府城。上洛はしよう、ただし対面の場は二条城とする、そうすれば世間は豊臣も徳川の臣下となったと思うはずと家康。

大坂城。徳川は豊臣の家臣、向こうから来るのが道理と清正。私ならかまわぬ、どんな形であれ、大事なのは私と家康が会う事ではないのかと秀頼。もう一つ、対面は二人きりでとの事と且元。いかん、罠かもしれないと清正。差し向かいで話したいと言うのならそうすれば良いと秀頼。

慶長16年4月8日、二条城。上段の間で待つ家康。廊下を行く秀頼と扈従する清正。

清正の回想。もし私が志半ばで倒れたら、豊臣家の事お主に託す、命に替えて秀頼様を守れと三成。

廊下の半ばで現れ、清正を止める正信。自分は大御所様の警護のために参るのだと押し通る清正。

対面の場に入った秀頼と清正。清正に退席を促す家康。いったん退出しかけて、かえって前に出て座った清正。

堂々とした声で、豊臣秀頼であると名乗りを上げた秀頼。威に打たれた様に、ご無沙汰いたしておりますると頭を下げた家康。

あれは本当に太閤の子かと家康。なかなかの若武者ぶりでしたなと正信。いかんのうと爪を噛む家康。いけませぬなと正信。しかたあるまいと家康。豊臣家もつくづく運が無い、秀頼が凡庸ならばしぶとく生き延びられたものをと正信。その前にあのひげ面だと家康。服部半蔵の出番ですなと正信。

廊下を行く清正。その前から現れた半蔵。すれ違いざま、毒針を清正の首筋に刺した半蔵。2ヶ月後、清正没。

九度山。村の子供から、罪人の息子と言われてしょげている大助。父も爺様も罪人では無い、流れでこうなっただけの事と信繁。この世で徳川の軍勢相手に二度も勝ったのは爺様だけだ、お前にもその血は流れている、誇りを持てと信繁。

大助に喧嘩の仕方を教える昌幸。そして、そのまま大助の上に崩れ落ちた昌幸。

死の床に付いた昌幸。枕元の信繁に、自らが書いた兵法奥義を授ける昌幸。

遺言として、信繁に話し出す昌幸。いずれ徳川と豊臣は必ずぶつかる、その時はここを抜けだし豊臣に付け。これより話すのは徳川に勝てるただ一つの道、まず手持ちの軍勢で尾張を制す、徳川が攻めてきたら頃合いを見て尾張を捨てる、いったん近江まで引くが一時でも尾張を制したという事が大事、これで日の本中の徳川に不満を持つ大名の心を掴む。さらに、瀬田と宇治の橋を落とし、敵の追撃を阻む、その間に二条城を焼き払う、そうなれば徳川は大坂に攻め込むしかなくなる、それを大坂城で迎え撃つ。戦を長引かせるだけ長引かせよ、その間に徳川に対して反旗が揚がる、そうなれば大坂攻めだけに関わってはいられなくなる、やがては兵を引くしかなくなる、負ける気がせん、と昌幸。

父なら出来るでしょうけど、私には難しいのではと信繁。なぜと昌幸。私には場数がたりませんと信繁。私の策には場数など要らない、心得は一つと昌幸。教えて下さいと信繁。軍勢を一つの塊と思うな、一人一人生きている、一人一人思いを持っている、それを忘れるなと昌幸。

昌幸の枕頭に集まった一族郎党。上田に帰りたかったと昌幸。その時聞こえてきた馬のいななき。御屋形様、それが昌幸の最後の言葉でした。


今回は九度山の幽閉生活が描かれました。それにしても10年を一回で描くというのも凄いペースですね。

きりはずっとただの幼なじみとして描かれていますが、実際には信繁の側室の一人となっています。この回あたりで描かれるのかと思っていたのですが違いました。もう側室になるには年が行きすぎているので、このまま押し通すのかな。なお、ドラマで春が娘が生まれたら梅と名付けると言っていましたが、実際にはきり(内記の娘)が産んだ子の名です。

信之が捨てた幸の字を信繁にもらってくれと昌幸が頼んでいましたが、これは後から効いてくる伏線なのでしょう。こういったあたりが三谷幸喜らしい演出の仕方です。

景勝が米沢30万石に減封されたのはドラマにあったとおりですが、元々は兼続の所領であった場所であり、いわば主君が家臣の家に居候した様な形になったのでした。

秀頼が家康と対面したのも史実にあるとおりですが、その時付き添ったのは清正だけでなく、浅野幸長も行を共にしました。その時、偉丈夫に育っていた秀頼を見て、家康は危機感を覚え、豊臣家を滅ぼす事を考えたと言われます。清正の死因については諸説ありますが、毒殺説もその一つですね。ただ、半蔵を使ったというのはこのドラマ独自の創作と思われ、二条城での料理に毒が仕込まれていたとする説、平岩親吉が毒を仕込んだまんじゅうを秀頼に勧め、それを清正が代わって食べたとする説などが有名です。

小野お通は信之と怪しくなったと言われますが、このドラマではどう描かれるのでしょうね。稲さんは相当に怖そうですが、そんな勇気が信之にはあるのかな。

昌幸が信繁に語った必勝の策は有名なもので、ほぼドラマで語られていたとおりです。ただ、少し違うのは、信繁には無理だと言ったされている事で、その理由は信繁が大名ではないからというものでした。実際には、信繁も信幸と同格の大名になっており、この事から昌幸の必勝の策そのものが史実では無いと見る向きもあります。

それにしても、昌幸が死んでこのドラマもだんだんと寂しくなってきましたね。秀次ロストとかこのドラマに基づくロストがいくつかありましたが、昌幸ロストというのもあるのかな。戦国きっての策士の死が寂しく感じられたのは確かです。


|

« 京都・洛中 萩2016 ~梨木神社 9.17~ | トップページ | 京都・洛北 秋海棠2016 ~寂光院 9.24~ »

真田丸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14874/64254430

この記事へのトラックバック一覧です: 真田丸 第38回「昌幸」:

« 京都・洛中 萩2016 ~梨木神社 9.17~ | トップページ | 京都・洛北 秋海棠2016 ~寂光院 9.24~ »