« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月

2016.09.30

京都・洛東 萩2016 ~常林寺 9.24~

Jyourinji1609301

平成28年9月24日の常林寺です。この日はまだ萩が見頃を保っていました。

Jyourinji1609302

見頃とは言っても先週に降った雨の影響は著しく、多くの花びらが地面に散っていました。もし、雨が無ければ花に埋もれたような満開の萩が見られた事でしょう。

Jyourinji1609303

ここでも彼岸花は咲いていました。この前週に行った時はまだシュートは出ていなかったのですが、一週間の間に咲いてくれたのですね。

Jyourinji1609305

雨に打たれた後の花も、見ようによっては悪くないです。少しくたびれた花は全て散り、新しい綺麗な花だけを見る訳ですから、少し間延びしたところを無視すれば良いという理屈です。

Jyourinji1609306

意外な事にこの日はまだつぼみは残っており、もう暫くは咲き続けそうでした。もしかしたら今日あたりはまだ見頃だったんじゃないかしらん。明日もし行ける様なら確かめて来たいと思っているところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.29

大原 リバーサイドカフェ 来隣

Kirin1609281

この日お昼を頂いたのは、「リバーサイドカフェ 来隣(きりん)」でした。その名の通り、高野川の畔にある素敵なカフェです。

Kirin1609282

以前は本ワラビ餅が食べられる店でしたが数年前に閉店し、暫くは空き家でした。そして、3年前に現在の店がオープンしたのですが、地元産の野菜を使った料理が食べられる事で有名になり、今ではすっかり人気店となっています。この日は予約していなかったのですが、開店時間直前なのにまだ誰も待っていなかったので、入ってみる事にしたのでした。

Kirin1609283

ランチのメニューは、このレモンカレーと冒頭のおにぎりランチです。この店のコンセプトから言うと、おにぎりの方がぴったり来るのかな。おにぎりは全部で8種類あり、そのうち5種類を選ぶ事が出来ます。この日選んだのは田舎梅と黒ごま、満願寺辛煮、肉味噌となす、京のちりめん山椒、青しその醤油漬けです。それぞれ工夫があって、美味しかったですよ。

Kirin1609285

人気があるのは、この野菜のバイキングがあるからの様ですね。地元産の野菜を使った数種類の総菜を、好きなだけ食べる事が出来ます。どれも新鮮な野菜で美味でしたよ。

開店と同時に満席になっており、外で待っている人たちも居ました。行列が出来る程ではないにしろ、かなりの人気店である事は間違い無いです。時期にも依るでしょうけど、予約しておくのが確実なのかな。あるいは、開店前に順番待ちの名前を書くようになっているので、少し早めに行って順番を確保し、散策を楽しんでから開店時間(11時30分)に帰って来るというのが吉なのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.28

京都・洛北 コスモス2016 ~大原 9.24~

Ohara1609281

彼岸花と共に秋の大原の里を彩るのがコスモスです。以前の様な大きな花畑は無くなって来ているのですが、それでも里人が植えたコスモスがそこかしこで咲いているのを見る事が出来ます。

Ohara1609282

特に寂光院からバスターミナルまでの間は、コスモスが咲いた風情のある景色が多いですね。家並みが途切れると視界が開け、そこには必ずコスモスが咲いているという感じかな。

Ohara1609283

コスモスは風に揺れる様も絵になりますね。ふわふわと風に吹かれている花を見ていると、いかにも秋なんだなという気がします。

Ohara1609285

そのコスモスの中で、少し異彩を放っているのがキバナコスモス。中間色の多いコスモスの中にあって、はっきりした黄色でその存在をアピールしています。コスモスの群れの中では良いアクセントになっているとも言えるのかな。

Ohara1609286

大原の里を歩いていて一つ残念なのが、茅葺き屋根の家が無い事です。かつては茅葺きだったと思われる家も、ほとんどが鉄板葺きに変わっており、風情を削いでいます。無理な注文とは判っていますが、もう一度復活させる事は出来ないものかしらん。きっと良い観光資源となると思うのだけどなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.27

京都・洛北 彼岸花2016 ~大原 9.24~

Ohara1609271

この時期の大原の里では、彼岸花が咲き乱れます。毎年開花するタイミングが微妙に前後するので今年はどうかと思っていたのですが、この日はまさに満開でした。

Ohara1609272

丁度稲刈りの時期でもあり、この田んぼの横ではコンバインが動いていたのですが、まだ刈り取り前の稲が残っていたのは幸いでした。稲と彼岸花のコントラストは、最も秋らしい風情の一つですからね。

Ohara1609273

刈り取りの終わった藁が干されている光景にも出会えました。京都周辺ではあまり見る事がなくなった景色ですけど、これもまた秋らしさが感じられる一コマです。

Ohara1609275

一番咲いている場所では、こんな感じでした。まさに足の踏み場も無いというところでしょうか。土手の斜面であり、頻繁に草刈りをされる事もないので、これだけ繁殖出来たのかな。

Ohara1609276

今年の彼岸花は当たり年だったと言って良さそうです。もっともピークはこの日で過ぎ、そろそろ下り坂になっているでしょうね。これだけ見事な花に出会えたのは、かなり幸運だったと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.26

京都・洛北 秋海棠2016 ~寂光院 9.24~

Jyakkouin1609261

お彼岸も後半を迎えた9月24日、秋の風情を求めて大原の里を訪れて来ました。

Jyakkouin1609262

最初の訪問地は寂光院、大原では西に位置する天台宗の尼寺です。創建は推古2年(594年)と古く、聖徳太子が、父の用明天皇の菩提を弔うために建てられたと伝わります。

元の本堂は桃山時代頃のものと言われていましたが、平成12年に放火にされ、ご本尊諸共焼け落ちてしまいました。現在の建物は平成17年に再建されたもので、これも新しく復元されたご本尊(地蔵菩薩立像)をお祀りしています。

Jyakkouin1609263

今の時期の境内では、美しく咲きそろった秋海棠を見る事が出来ます。この日はまさに満開で、こぼれんばかりに咲いていました。

Jyakkouin1609265

大原は寂光院だけでなく、三千院周辺でも秋海棠が咲いています。中国原産の花ですから自生ではく、この里の人や僧侶達によって植えられたものなのでしょう。でも、この山里の風情にはぴったり来る花ですね。

Jyakkouin1609266

この日は柴漬けの日にあたるという事で、大原女の装束を着た人たちが柴漬けを配っていました。調べてみると、9月21日から24日の間に寂光院を訪れた先着100名に進呈とあり、丁度良いタイミングで行けた様です。

柴漬けは阿波内侍が建礼門院のために考案したと伝わり、その美味しさに感激した女院が命名したのだとか。まさにここが発祥の地と言われる所以です。女院はむらさきは(紫葉)漬けと呼んだとも言い、鄙の中にも雅さが感じられる名付け方ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.25

真田丸 第38回「昌幸」

慶長6年正月、九度山村。昌幸らに、村から一歩も出るなと伝えに来た浅野家家臣。

九度山村の長にあいさつに出向いた信繁。何でこの村に来た、一日も早く去ってもらいたいと村長。

きりと真田の郷の思い出話をする信繁。そこに現れた春。歩いてこようと誤魔化すきり。

自分の住む小屋を建てた佐助。たった一日でと感心するきり。素っ破ですからと佐助。頼りになるときり。きりの絵を見せる佐助。絵も上手ときり。素っ破ですからと佐助。

信之からの手紙を信繁に見せる昌幸。源三郎が幸の字を捨てた事を知り、その字を貰ってくれぬかと昌幸。考えておきますと信繁。

沼田城。家康への赦免を願う文を認める信之。

伏せったふりをして、まんじゅうばかりを食べている薫。

九度山。薪を切る春。その不器用さを見て、源次郎様にやってもらったらときり。私の仕事ですと春。春と代わって、腰が大事と教え、切ってみせるきり。いつか源次郎に嫌われてしまうか不安と春。大丈夫ときり。梅に似ているからかと春。梅もあなたも私みたいに垢抜けていないところが良い、自信をもちなさいときり。

私、くやしいんですと信繁に訴える春。きりに何か言われたのなら、上田に帰すと信繁。きりの事はどうでも良い、梅の事だと春。今でも源次郎の中には梅が生きている勝てるはずが無いと言い、障子を破り始める春。後ろから抱きしめる信繁。

会津城。米沢30万石に減封されてしまった景勝。

信繁の子を身籠もった春。もし女の子だった梅という名にする、そうすればこの先梅と呼べばこの子の事になるからと春。

慶長8年2月、征夷大将軍となり、同じ年、孫娘千姫を嫁入りさせた家康。

九度山。家康が征夷大将軍となったと知り、浮かれている今が赦免の好機だ、ここで駄目なら後は無いと昌幸。

沼田城。赦免を願い出る書状を正信宛に届ける信之。

伏見城。家康に信之からの書状を手渡す正信。中身を見ずに、判っておると家康。九度山に追いやってからはや2年、良い機会かとと正信。ならぬ、昌幸は死ぬまであそこに居るのだと家康。

2年後、秀忠に征夷大将軍の座を譲った家康。

九度山。家康は今浮かれている。これが赦免の最後の好機だ、ここで駄目なら後は無いと昌幸。

家康に再度赦免を願い出る正信。くどい、あの男が九度山を出るのは骨になった時だと家康。もう我らの耳に昌幸の事は入れるな、あの男は死んだのだと秀忠。

沼田城。いつになったら赦免されるのかと信之を責める薫と松。今、手を尽くしているところと信之。みんなで直訴してはと松。そこに入って来て、夫は真田安房守とは縁を切ったのだ、真田の家が潰されたらどうする、もうその名を口にする事はなりませぬと一喝して去る稲。後に残り、稲はこれ以上家康が機嫌を損ねれば昌幸も信繁も命が危ないと心配しているのだと、とりなすこう。それならそう言えば良いのにと薫。

九度山。もうここから出られないのかもしれないとつぶやく昌幸。

慶長11年、大坂城。秀頼主催の鷹狩り。見事な若武者に育った秀頼。随行する清正。

九度山。柴刈りから帰る途中、江雪斎にあった信繁。隠居するという江雪斎に、自分も蟄居暮らしに慣れたと信繁。お主は駄目だ、その目の奥に熾火が燻っている、いずれ誰かがその火を求めに来ると江雪斎。

昌幸に会いに来た村長。隣村との喧嘩について指南してもらいたいと村長。指南を言いかけて黙ってしまう昌幸。後を引き受けて、村同士の争いは太閤殿下が禁じられた、浅野の殿様に話を持っていくが良いと諭す信繁。

沼田城。二人の孫相手に竹とんぼを作っている忠勝。その時、小刀で指を切ってしまった忠勝。

駿府城。家康に隠居を願い出る忠勝。一度たりとも手傷を負った事が無いのが自慢だったのが傷を負ってしまった、この太平の世出番はないと忠勝。まだまだ判らない、西の方で一波乱あるやもしれないと家康。その時は蜻蛉切を持って駆けつけますと忠勝。慶長15年、忠勝、没。

慶長16年正月、京。北政所に会うことは出来ないかと思案する信之。それは無理でも、その下でかつて侍女達の指南役をしていた者が居ると聞いた、あたってみますかと綱家。

小野お通と会った信之。

大坂城。秀頼の若武者ぶりを家康に見せてはどうか、そうすれば豊臣家の扱いも変わって来るはずと清正。

駿府城。上洛はしよう、ただし対面の場は二条城とする、そうすれば世間は豊臣も徳川の臣下となったと思うはずと家康。

大坂城。徳川は豊臣の家臣、向こうから来るのが道理と清正。私ならかまわぬ、どんな形であれ、大事なのは私と家康が会う事ではないのかと秀頼。もう一つ、対面は二人きりでとの事と且元。いかん、罠かもしれないと清正。差し向かいで話したいと言うのならそうすれば良いと秀頼。

慶長16年4月8日、二条城。上段の間で待つ家康。廊下を行く秀頼と扈従する清正。

清正の回想。もし私が志半ばで倒れたら、豊臣家の事お主に託す、命に替えて秀頼様を守れと三成。

廊下の半ばで現れ、清正を止める正信。自分は大御所様の警護のために参るのだと押し通る清正。

対面の場に入った秀頼と清正。清正に退席を促す家康。いったん退出しかけて、かえって前に出て座った清正。

堂々とした声で、豊臣秀頼であると名乗りを上げた秀頼。威に打たれた様に、ご無沙汰いたしておりますると頭を下げた家康。

あれは本当に太閤の子かと家康。なかなかの若武者ぶりでしたなと正信。いかんのうと爪を噛む家康。いけませぬなと正信。しかたあるまいと家康。豊臣家もつくづく運が無い、秀頼が凡庸ならばしぶとく生き延びられたものをと正信。その前にあのひげ面だと家康。服部半蔵の出番ですなと正信。

廊下を行く清正。その前から現れた半蔵。すれ違いざま、毒針を清正の首筋に刺した半蔵。2ヶ月後、清正没。

九度山。村の子供から、罪人の息子と言われてしょげている大助。父も爺様も罪人では無い、流れでこうなっただけの事と信繁。この世で徳川の軍勢相手に二度も勝ったのは爺様だけだ、お前にもその血は流れている、誇りを持てと信繁。

大助に喧嘩の仕方を教える昌幸。そして、そのまま大助の上に崩れ落ちた昌幸。

死の床に付いた昌幸。枕元の信繁に、自らが書いた兵法奥義を授ける昌幸。

遺言として、信繁に話し出す昌幸。いずれ徳川と豊臣は必ずぶつかる、その時はここを抜けだし豊臣に付け。これより話すのは徳川に勝てるただ一つの道、まず手持ちの軍勢で尾張を制す、徳川が攻めてきたら頃合いを見て尾張を捨てる、いったん近江まで引くが一時でも尾張を制したという事が大事、これで日の本中の徳川に不満を持つ大名の心を掴む。さらに、瀬田と宇治の橋を落とし、敵の追撃を阻む、その間に二条城を焼き払う、そうなれば徳川は大坂に攻め込むしかなくなる、それを大坂城で迎え撃つ。戦を長引かせるだけ長引かせよ、その間に徳川に対して反旗が揚がる、そうなれば大坂攻めだけに関わってはいられなくなる、やがては兵を引くしかなくなる、負ける気がせん、と昌幸。

父なら出来るでしょうけど、私には難しいのではと信繁。なぜと昌幸。私には場数がたりませんと信繁。私の策には場数など要らない、心得は一つと昌幸。教えて下さいと信繁。軍勢を一つの塊と思うな、一人一人生きている、一人一人思いを持っている、それを忘れるなと昌幸。

昌幸の枕頭に集まった一族郎党。上田に帰りたかったと昌幸。その時聞こえてきた馬のいななき。御屋形様、それが昌幸の最後の言葉でした。


今回は九度山の幽閉生活が描かれました。それにしても10年を一回で描くというのも凄いペースですね。

きりはずっとただの幼なじみとして描かれていますが、実際には信繁の側室の一人となっています。この回あたりで描かれるのかと思っていたのですが違いました。もう側室になるには年が行きすぎているので、このまま押し通すのかな。なお、ドラマで春が娘が生まれたら梅と名付けると言っていましたが、実際にはきり(内記の娘)が産んだ子の名です。

信之が捨てた幸の字を信繁にもらってくれと昌幸が頼んでいましたが、これは後から効いてくる伏線なのでしょう。こういったあたりが三谷幸喜らしい演出の仕方です。

景勝が米沢30万石に減封されたのはドラマにあったとおりですが、元々は兼続の所領であった場所であり、いわば主君が家臣の家に居候した様な形になったのでした。

秀頼が家康と対面したのも史実にあるとおりですが、その時付き添ったのは清正だけでなく、浅野幸長も行を共にしました。その時、偉丈夫に育っていた秀頼を見て、家康は危機感を覚え、豊臣家を滅ぼす事を考えたと言われます。清正の死因については諸説ありますが、毒殺説もその一つですね。ただ、半蔵を使ったというのはこのドラマ独自の創作と思われ、二条城での料理に毒が仕込まれていたとする説、平岩親吉が毒を仕込んだまんじゅうを秀頼に勧め、それを清正が代わって食べたとする説などが有名です。

小野お通は信之と怪しくなったと言われますが、このドラマではどう描かれるのでしょうね。稲さんは相当に怖そうですが、そんな勇気が信之にはあるのかな。

昌幸が信繁に語った必勝の策は有名なもので、ほぼドラマで語られていたとおりです。ただ、少し違うのは、信繁には無理だと言ったされている事で、その理由は信繁が大名ではないからというものでした。実際には、信繁も信幸と同格の大名になっており、この事から昌幸の必勝の策そのものが史実では無いと見る向きもあります。

それにしても、昌幸が死んでこのドラマもだんだんと寂しくなってきましたね。秀次ロストとかこのドラマに基づくロストがいくつかありましたが、昌幸ロストというのもあるのかな。戦国きっての策士の死が寂しく感じられたのは確かです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.24

京都・洛中 萩2016 ~梨木神社 9.17~

Nasikijinjya1609251

平成28年9月17日の梨木神社です。この日は萩祭りの初日にあたり、大勢の人出で賑わっていました。

Nasikijinjya1609253

訪れた時は居合抜刀術が奉納されており、「京都山内派 刀新會」による型の披露が行われていました。居合いというと気合いと共に刀を抜く様に思いますが、この流派は声は一切出さないという至って静かなものでした。しかし、動作の一つ一つはきびきびしたもので、やはり相当鍛えられているんだなと感じました。

Nasikijinjya1609252

萩の方は、参道はほとんど咲いていなかったです。つぼみの出方も良い株と悪い株が混在しており、満開になったらどんな感じになるのかちょっと見当が付きかねます。

Nasikijinjya1609255

本殿周りは、良く咲いている株で五分咲き程度、全体としては二分咲き程度だったかな。たぶん、今日あたりが見頃だったんじゃないかしらん。

Nasikijinjya1609256

出来ればここももう一度確かめに行きたいところですね。参道はまだ満開には至っていないでしょうから、これからでも十分に間に合うと思いますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.23

京都・洛中 萩2016 ~幸神社 9.17~

Sainokaminoyasiro1609231

平成28年9月17日の幸神社です。この日は社前の萩が二分咲き程度になっていました。

Sainokaminoyasiro1609232

この前の週がちらほら咲きだったので、もう少し咲いているかと期待していたのですが、今一歩でした。今日あたりは丁度見頃になっているのかも知れません。

Sainokaminoyasiro1609233

もっとも、ここも雨の影響がどれくらいあったかに依るのかな。この日咲いていた分は散ってしまっただろうし、どれくらい見応えがあったのか確かめたいところではあります。

Sainokaminoyasiro1609235

萩は咲き方の良く判らない花で、早く咲く花と遅く咲く花とでは一ヶ月以上の幅があります。種類が違うのかと思ってしまう程ですが、開花予測の難しい花ですね。経験則で行く場所を決めているのですが、当たり外れが大きくて困っているというのが現状です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016.09.22

京都・洛東 仲秋2016 ~真如堂 9.17~

Sinnyodou1609221

迎称寺から真如堂へとやって来ました。真如堂にも萩が多くあり、一番風情があるのはこの茶所前の株かな。この日は五分咲き程度になっており、秋がまた一歩進んだ事を感じさせてくれました。

Sinnyodou1609222

山門前では、季節が180度巡った様な光景もあります。桜が狂い咲きをしているのですね。この木は昨年も同じ様に狂い咲きをしていましたが、たぶん葉が虫に食われたか何かで散ってしまい、季節を勘違いしたのでしょうか。でも、2年続けてだと、木にとっても負担となるんじゃないかしらん。

Sinnyodou1609223

こちらは季節を先取りしたかの様な彼岸花です。前週に咲き出した彼岸花は、その後も止まる事なく咲き続けており、境内のそこかしこで咲いています。でも、この日回った中では梨木神社でも咲いていたので、真如堂だけが取り立てて早いという訳でもなさそうですね。

Sinnyodou1609225

その一方で、咲くはずのところでもまだシュートが出ていなかったりして、今年の気候がどう彼岸花に影響しているのか良く判らないというのが正直なところです。

話は変わりますが、その彼岸花を探して歩いている内に、本堂北東隅にあった抜け道が塞がれているのに気がつきました。本堂の裏手に回った時に、正面に戻るには便利な抜け道だったのですけどね、無くなるとは残念な事です。誰か頭をぶつけるとか事故があったのかしらん。

Sinnyodou1609226

帰り際、新長谷寺に立ち寄ると、いつもと雰囲気が違っていました。よく見ると提灯が新調されただけだったのですが、これだけでも随分と感じ方が変わるものですね。紅葉時分にはこの提灯に紅く色づいたもみじが良く映える事でしょう。2ヶ月後に訪れるのが楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.21

京都・洛東 萩2016 ~迎称寺 9.17~

Kousyouji1609211

平成28年9月17日の迎称寺です。前回の訪問から一週間が経ちましたが、ほとんど変化はありませんでした。

Kousyouji1609212

よく見ればわずかに咲いている程度で、見頃まではもう暫くかかりそうです。

Kousyouji1609213

前週に一輪だけ咲いていた株は、二分咲き程度になっていました。なんとか見られるのはこのひと株だけなのですけど、崩れた土塀とのコラボレーションを見るには良いと思いますよ。

全体としてまだほとんど咲いていなかったという事は、雨の影響もまた無かったという事です。上手くタイミングが合えば満開の萩と出会えるかもしれないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.20

京都・洛東 萩2016 ~常林寺 9.17~

Jyourinji1609201

平成28年9月17日の常林寺です。この日は萩が五分咲き程度になっていました。

Jyourinji1609202

思っていたよりは進行が早かったですね。まだ満開前でしたが、見頃と言える程度にまではなっていました。

Jyourinji1609203

気になるのはその後続いた雨の影響で、かなり散ってしまったんじゃないかしらん。それを踏まえると、この日が一番の見頃だったのかも知れません。

Jyourinji1609205

秋晴れという言葉はありますが、萩の咲く頃には台風だの秋雨前線だので雨が多いですからね、なかなか綺麗に咲きそろった萩を見るのは難しいです。

Jyourinji1609206

この日はまだ彼岸花のシュートは出ていませんでした。真如堂では一足先に咲いていたのですけど、ここでは本来の花の時期どおりに進行している様に見受けられます。すると、萩とのコラボレーションはどうなるのかな。今週末にもまた見に行けたらと思っているところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.19

京都・洛中 萩2016 ~梨木神社 9.10~

Nasikijinjya1609171

萩の名所として知られる梨木神社です。この日は秋晴れに恵まれ、空に浮かんだ雲もまた、いかにも秋らしいものでした。

Nasikijinjya1609172

この神社は明治18年に出来た比較的新しいもので、三条実萬公と三条実美公をお祀りしています。この二柱の神は実在した親子であり、共に幕末期に攘夷派の公家として活躍した事で知られます。

Nasikijinjya1609173

萩はこの日でちらほら咲きでした。17日も見てきましたがまだ見頃には至っておらず、本殿周りはこの週末にかけてが見頃、参道は来週以降に見頃になると思われます。

Nasikijinjya1609175

思っていたより見頃になるのが遅いですね。萩祭りは今日までで終わってしまったのですが、つぼみは沢山出ていたので、忘れずにまた見に行けたらと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.18

真田丸 第37回「信之」

沼田城。一日で関ヶ原の戦いが終わった事に驚く信幸。

上田城。降伏はしないと息巻き、徳川の押さえの兵を蹴散らすと出て行く昌幸。

次々に敵陣を襲っていく昌幸。

大坂城に家康が入ったと聞き、これ以上の戦いは無駄と昌幸を諭す信繁。悔し紛れに床を叩く昌幸。

大坂城。真田からの降伏状を手に、城の受け取りは倅にまかせよと家康。昌幸と信繁はどうするかと正信。まだ他の諸将の処遇も決まって居ない、後回しだと家康。

上田城。上使として現れた長泰。家康からの当面の沙汰について信繁に伝える三十郎。

沼田城。これから父と源次郎の命乞いに大坂へ行ってくると信幸。そこに現れた忠勝。忠勝にこれから大坂に行くと告げる信幸。自分も一緒に行こうと忠勝。

上田城。こっちが勝ったというより向こうが勝手に負けただけ、それなのにお咎めを受けるなんであまりにも理不尽だと松。

思えば、信長が死んだ頃が一番楽しかった、生きているという手応えがあったと昌幸。

大坂城。家康に昌幸と信繁の命乞いをする信幸。聞く耳を持たない家康。聞き届けられないとあらば、自分も信幸と共に上田城に入り戦う覚悟と忠勝。忠勝の気迫に押され、助命を認めた家康。その代わり、父とは縁を切れ、信幸の幸の字を捨てよと家康。

西の丸。人質生活に疲れ切った薫。薫の面倒を見てきた春ときり。

上田城。城の受け取りに来た信幸。まず、命までは取らぬという事を伝える信幸。次いで、小県の領地は召し上げと信幸。後に入るのは誰と信繁。たぶん、自分だと信幸。それならば、願ったり叶ったりだと信繁。そして、二人は高野山に流罪と決まったと信幸。この役立たずがと怒鳴りつける昌幸。兄上は精一杯してくれたのだと父をなだめる信繁。

茂誠に、城の明け渡し役となり、そのまま信幸の家臣となって下さいと信繁。作兵衛には、末の父親代わりとして村に残れと信繁。内記には身の振り方を自分で決めろと昌幸。自分はずっと昌幸の側に仕えると内記。これは永久の別れでは無い、いずれ会える日を楽しみにしていると昌幸。

病床にある昌相。別れを言いに来た昌幸に、大坂城は堀に隙がある、素っ破を忍び込ませれば家康の首は獲れると昌相。あい判ったと昌幸。

末と対面し、源三郎叔父上を父と思えと信繁。末にとっては作兵衛叔父上だけが父だと末。

慶長5年11月13日、上田城を明け渡した昌幸。

上田城に入り、九万五千石の大名となった信幸。家臣を前に、家康の命により幸の字を捨て、信之と改名した、しかし、読みは元のまま、せめてもの意地だと信之。

大坂城。家康と対面した昌幸と信繁。なぜ自分がお前達の命を救ったのか判るかと家康。死よりも苦しい仕打ちを与えようとされているのではと信繁。昌幸に、一切の兵、武具、馬、そして戦に出る機会を奪う、これからずっと高野山の麓の小さな村で過ごすのだ、1~2年で帰ってこれると思うでない、死ぬまでそこに居るのだと家康。

信繁を出迎えた且元。家康は秀頼に戦勝報告をし、すべてを三成のせいにした、これで命拾いをした者も沢山居ると且元。

寧に会い、九度山に行くと告げる信繁。弘法大師の母が居たところ、大師が九度会いに行かれた事から九度山と呼ばれるようになったと且元。これからは親孝行をしなさい、身内こそ大事にするもの、私は気がついたら誰も居なくなっていたと寧。秀頼公が居られるではありませんかと信繁。静かに微笑む寧。そこに現れた秀秋。あの子を忘れていたと寧。信繁に気付いて蒼惶と部屋を出て行く秀秋。

あの子は帰って来てからずっとああなのだと寧。秀秋の裏切りが無ければ三成が勝っていたと且元。そうなのですかと信繁。ひそかに家康と通じていたと且元。悪い子やないと寧。

見えぬ影に怯え、逃げ惑う秀秋。その二年後、21歳で謎の死を遂げます。

淀の方に、信繁が来ている事を告げる大蔵卿。今は会わなくても良い、いずれまた会う気がすると良い、いつかの山吹の押し花を見る淀の方。

春を抱きしめ、これからは共に暮らせると信繁。春から吉継の最期の様子を聞く信繁。

この首、誰にも渡すなと命じ、治部、楽しかったぞと言って果てた吉継。

昌幸の膝枕で寝、寂しかったと訴える薫。苦労を掛けたと昌幸。もう人質生活は御免ですと薫。悪かったと昌幸。そのまま寝付いた薫。

きりに、母を良く守ってくれたと礼を言う信繁。大した事はしていないときり。これからどうする、上田に戻る事も出来ると信繁。源次郎様はどうして欲しいときり。出来れば母の面倒を見て欲しいと信繁。じゃあ、そうしますときり。

そこにやって来て、薫は上田に返すと昌幸。兄もこちらに向かっている、後はまかせましょうと信繁。そして、きりに、上田に帰って良いぞと言い捨てる信繁。

文を書いている信繁。そこに入って来た清正。彼が連れてきたのは三成の妻、うたでした。三成の死後、あちこちを逃げ回り、最後に自分のところに来たと清正。我が殿を知る人のところを巡り、我が殿の最後を伝えるのが自分の役目とうた。ご覧になられたのですかと信繁。必ず見届けよと言われていたとうた。

六条河原。静かに目を閉じ、潔く首を差し出す三成。

それは見事なご最後でしたとうた。三成様らしいと信繁。あの方は天下の大罪人の汚名を着せられて首を刎ねられてしまいましたが、豊臣家の事しか考えていなかったとうた。よく存じていますと信繁。何度も同じ事を訴えるうた。うたを連れ出す清正。

目覚めた時、昌幸も源次郎も居ない事に気付いた薫。そこにやってきて、母を抱きしめる信之。

九度山の屋敷に入った昌幸一行。


今回は関ヶ原の戦いの後始末が描かれました。ホームページのあらすじに三成と吉継の最期が描かれるとあったので、合戦そのものの経過説明があるのかと思っていましたが、ごくわずかでしたね。ドラマ史上最短の関ヶ原と言われていますが、本当にそうだったな。

関ヶ原の戦いの経過に少しだけ触れておくと、従来は開戦から暫くは西軍が優勢であり、東軍への内応を約束していた秀秋が日和見していたところ、しびれを切らした家康が鉄砲を撃ちかけ(問鉄砲)、それに驚いた秀秋が裏切りを決意し、大谷隊に襲いかかって東軍に勝利をもたらしたとされています。しかし、最近の研究では、秀秋は最初から裏切るつもりであり、開戦早々に横様に大谷隊に襲いかったため、連鎖反応的に秀家、三成隊が崩れて行き、ごく短時間で勝敗は決したと言われています。有名な布陣図もその信憑性が疑われており、東軍、西軍という概念も当時は無く、豊臣家家臣団同士の争いと捉えられていたと考えられています。ドラマで寧や淀の方が平然としていたのは、家臣同士の争いという事が頭にあり、家康に天下を取られるとは考えていなかったためではないかと思われます。

戦後処理の経過としては概ねドラマのとおりで、忠勝が信幸と一緒になって昌幸の命乞いをしたというのは史実とされています。ただ、実際に処刑されたのは三成、安国寺恵瓊、小西行長ら首謀者のみに限られており、元々昌幸たちを殺すつもりはなかった、つまりは昌幸はその程度の小者に過ぎなかったという見方もあります。

信幸が信之に改名したのも史実どおりで、徳川家に遠慮したというのは確かですが、家康から強要されたものかどうかは、手持ちの資料からは判りません。でも、真田家にとっては、祖父の幸綱の代から続く大切な字でしたから、忸怩たるものはあった事でしょう。

九度山には沢山の家臣が同行していた様に見えましたが、家臣としては16名だった様ですね。その他に信繁の妻や側室、その子たちが含まれていた様です。

次回は昌幸の死が描かれる様です。ちょっと早い様な気がしますが、希代の策士の最後がどう描かれるのか、楽しみに待ちたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.17

京都・洛中 萩2016 ~幸神社 9.10~

Sainokaminoyasiro1609141

幸神社(さいのかみのやしろ)の社前の萩が、良い感じで育っています。一時期は綺麗に伐採され、何も無い殺風景な境内になっていたのですが、この数年の間に元に戻ってきました。

Sainokaminoyasiro1609142

この日はちらほら咲きでした。今日も見てきましたが、まだ二分咲き程度でしたね。見頃は秋分の日あたりから来週末にかけてくらいにかけてになるのかな。

Sainokaminoyasiro1609143

この幸神社もマスコミで取り上げられる事が多くなり、御所の鬼門を守る猿が居る場所として有名になって来た様です。そのマスコミではあまり紹介されないのですが、元はずっと北の出雲路にあり、平安京の鬼門を守っていました。その後の応仁の乱で荒廃し、ほとんど神統が途絶えかけていたのを、江戸時代になってから復興されたという経緯があります。再建の際、元の場所ではなく現在地を選んだのは、やはり御所の鬼門を守るべしという当初からの性格を引き継いだからなのでしょうね。

Sainokaminoyasiro1609145

また、ここは良縁に恵まれるパワースポットとしても知られる様になって来ています。その力の源がこの石神さん。うっかり触ると祟りがあると言われますが、丁寧にお祈りすると良縁の願いが叶うとされます。

Sainokaminoyasiro1609146

もう一つ、薄暗い拝殿内を覗くと石神さんに良く似た石がありました。これもまた陽石に見えますが、どういう言われがあるのでしょうか。あまり人目には付かない場所に祀られているのですが、拝みに来た人は、知らず知らずの間にこの石も拝んでいる事になります。こういうものはそっとしておくのが良いのでしょうけど、ちょっと気になる存在ではありますね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016.09.16

京都・洛北 名月観賞の夕べ2016 ~京都府立植物園 9.15~

Syokubutuen1609151

平成28年9月15日、京都府立植物園で名月観賞の夕べが行われました。当日は若干の曇り空でしたが、心配された天気の崩れもなく、時折雲間から名月が顔を出してくれるというまずまずのコンディションに恵まれました。

Syokubutuen1609152

名月観賞の夕べは約2時間のコンサートで構成されます。まず現れたのが学生達によるダンスパフォーマンスの京炎そでふれ!です。久しぶりに見たけれど、相変わらず元気いっぱいのパフォーマンスでした。

Syokubutuen16091523

次いで登場したのが、熊本からやって来たくまもんです。熊本はこの春の地震で大変だったけれど、くまもんは絶好調ですね。京都のゆるキャラまゆまろとの共演でしたが、息の合った舞台を見せてくれました。そのメインであるくまもん体操をごらん下さい。

着ぐるみを着ていながら、よくこれだけ動けるものですね。もうひとつ、まゆまろも踊れるのには少し驚きました。以前に見た時は歩くのがやっとだったのだけどな。なにげに進化して来ている様です。

Syokubutuen1609155

3番目に登場したのがエレクトロリカ。関西出身の三人組のバンドで、ベースとギター、ボーカルの他はコンピューターを駆使した打ち込みで構成されます。

背後に居るのは昨年の北山ハロウィンで優勝した方々だそうで、今年も10月29日、30日に行われると宣伝に現れたのでした。エレクトロリカもまた、北山ハロウィンで演奏するそうですよ。

Syokubutuen1609156

4番目に登場したのがゆあさまさや。アコースティックギター1本でのパフォーマンスでしたが、実に多彩な演奏法で楽しませてくれました。ギターのボディをドラム代わりにしたり、床に置いて琴の様に演奏したり、頭上に掲げて弾いたりと色々見せてくれました。歯ギターを見たのも初めてだったかな。

このあと、メインの岡本真夜のコンサートが始まります。残念ながら撮影は禁止されたので画像はありませんが、およそ1時間の間デビュー曲から最新曲まで、ピアノソロも含めてたっぷりと聞かせて頂きました。やっぱりTOMORROWを生で聞けたのには感激しました。

そこは岡本真夜のネームバリューなのでしょう、大芝生地はおよそ一万人の観客で埋まっていたのですが、大きな混乱もなく気分良く演奏を聴く事が出たのは何よりでした。彼女の歌い声に合わせる様に、秋の虫の音がずっと聞こえていたのも野外コンサートらしくて良かったですね。

コンサートの終わった後は、名月に掛かった月暈を見ながら家路へと着きました。虹色に輝いた綺麗な月暈で、上手く写真に撮れなかったのが残念でしたが、最後まで行って良かったと思える観月の夕べでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016.09.15

京都・洛東 仲秋2016 ~真如堂 9.10~

Sinnyodou1609131

迎称寺から近くの真如堂へとやって来ました。二週間前までは賑やかだった蝉時雨もすっかり静かになり、時折ツクツクボウシが鳴く程度でした。まさに、風の音にぞおどろかれぬる、の風情ですね。

Sinnyodou1609132

ここの萩は山門前の株が早く、三分咲き程度になっていました。毎年この株は早咲きをしますね。境内のほとんどの萩はやっとつぼみが出た程度で、咲くのはまだ先になるかと思われます。

Sinnyodou1609133

フジバカマは既に咲いていました。随分と早い気がしますが、早く咲くときはこんなものみたいですね。ただ、草丈が伸びておらず、あまり元気そうに見えないのが気掛かりです。

Sinnyodou1609135

早いと言えば、もう彼岸花が咲いていました。これはいくら何でも早すぎでしょう。それも一輪ならともかく、二カ所で咲いていたのだから驚きます。

Sinnyodou1609136

上の写真は薬師堂の前、この写真は参道南側の植え込みの中で咲いていました。この花の後ろにはもう一本別のシュートが見えていたので、たぶん今日あたりも咲いていたんじゃないかしらん。体内時計がしっかりしているはずの彼岸花が狂い咲きをするのですから、異常気象の度合いも一層深まったという事かな。あまり嬉しい事ではないのは確かです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.14

中秋の名月2016 イベント案内

明日15日は中秋の名月、京都の各地では名月にちなんだイベントが予定されています。趣向を凝らしたものも多く、そのいくつかを紹介したいと思います。

1.上賀茂神社

午後5時30分より、馬場殿にて神事の後、様々な奉納行事(残念ながら詳細は判りません)が行われます。また、奉納終了後には、月見団子(整理券の配布は18時から)とにごり酒の振る舞いもあります。

ここは芝生が広くて、どこからでも馬場殿の様子を見ることが出来、さらには秋の虫の音もそこかしこから聞こえてきて、風情のあるお月見をする事が出来ますよ。

2.八坂神社

午後7時より、神事に続いて管弦・舞楽奉納(弥栄雅楽会)• 筝曲奉納(生田流筝曲山﨑社中)•太鼓奉納(祇園太鼓)が行われます。ここは交通の便が良く、そして境内の東の円山公園に出れば、東山から上る月を愛でる事が出来るのもここならではです。

3.大覚寺

大沢池に船を浮かべて月を愛でる観月の夕べが行われます。王朝風の月見を楽しみたいと思えばここが一押しですね。

4.下鴨神社

名月管弦祭として、午後5時から橋殿で神事が行われます。その後尺八・箏曲・筑前琵琶・管絃・舞樂の奉納が行われます。

5.正伝寺

名月観賞の夕べとして夜間拝観が行われます。特に行事はないのですが、静かな枯山水の庭の向こう、比叡山を背景に登ってくる月を愛でるのは、とても風情があります。

年によって開催日が異なるようなので、あらかじめ確認の上訪れてください。

電話番号
075-491-3259

7.京都府立植物園

名月観賞の夕べとして、午後6時30分から大芝生地のステージにて、京炎ふれそでの演舞、くまもんステージ、岡本真夜ムーンライトLIVEなどが行われます。また、同時に月の観察会も実施されます。これで入園無料なのだから太っ腹ですね。

8.平野神社

名月祭として、18時30分から舞踊や雅楽の演奏などが奉納されます。他に、500円で抹茶の接待もある様です。


気になるのは明日の天気ですが、今のところ晴れの予報です。このまま好天に恵まれてくれれば良いのですけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.13

京都・洛東 萩2016 ~迎称寺 9.10~

Kousyouji1609121

常林寺から迎称寺へとやって来ました。ここの萩も例年どおり元気に育っています。

Kousyouji1609122

花はまだ全くと言って良い程咲いておらず、ずっと探し回ってやっと一輪だけ見つける事が出来ました。

Kousyouji1609123

でもつぼみは沢山出ており、満開になった時は見応えがある事でしょうね。その満開になる時期ですが、まだ見当を付ける事は出来ません。たぶん、秋分の日以降、月末あたりにかけてくらいではないかと思いますが、確証はないです。これから週末ごとに見に行けたらなと思っています。

Kousyouji1609125

そのまだ花の咲いていない萩に、シジミチョウが飛来していました。何頭も来ていたので、何か理由があるのでしょうか。移動の途中の都合の良い場所で羽根を休めていただけなのか、それともせっかく来たのに花が咲いていなくて落胆している姿だったりして。蝶の生態には詳しくはないのですが、想像を逞しくすると面白いですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.12

京都・洛東 萩2016 ~常林寺 9.10~

Jyourinji1609111

平成28年9月10日の常林寺です。この日は萩が一分咲き程度になっていました。

Jyourinji1609112

一分咲きと言っても全体を見渡せばであって、咲き方は株によって様々です。例えばこの山門を入ってすぐのところにある紅い花は、三分咲き程度だったかな。

Jyourinji1609113

見頃がいつになるかは難しいところで、今週末はまだ少し早いかな。たぶん週明けから秋分の日前後かと思われますが、さてどうなりますか。

Jyourinji1609115

あと、雨の影響も気になるところですね。萩は特に雨に弱いですから、見頃になったとたんに雨に降られてはたまったものではありません。秋晴れの爽やかな気候に恵まれる事を願いたいです。

Jyourinji1609116

少しあれっと思ったのは、本堂右側の植え込みが無くなっていた事で、代わりに白砂が敷かれていました。ごく一部ではあるのですが、奥行きがなくなった様な感じで、艶消しの様に思われます。何か事情があったのかしらん。

ここに萩を見に行かれる方は、右奥には最初から何もなかったものと思っておいた方が良いかも知れませんよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016.09.11

真田丸 第36回「勝負」

犬伏の陣。信幸と別れて上田に引き返す昌幸と信繁。

岩櫃城。昌幸が帰ってくると知り、笑い合う茂誠と松。

小山の陣。上方で毛利が挙兵したと知り、愕然とする家康。背後には三成が居ると正純。軍議を開くと叫び、爪を噛む家康。

7月24日、小山に着いた信幸。昌幸が離反したと知り、とまどう家康。処分をと迫る正純。かえって忠義の者と褒める家康。

小山評定。先頭を切って家康に味方すると叫ぶ正則。それに続く諸将。

翻ったのは昌幸のみ、断じて許さぬと家康。

沼田城近くで休息を取る昌幸たち。そこに訪れた稲とこう。しかし、信幸が徳川に付いたと聞き、一足先に沼田城に帰ると言って出て行きます。

沼田城。開門を告げる三十郎。しかし、出迎えたのは甲冑姿の稲でした。徳川に刃向かう者は全て敵と長刀を振るう稲。それを見て、さすがは忠勝の娘だと笑って去る昌幸。

7月27日、上田城。いずれ徳川が攻めて来る、同じ手は二度使えないと昌幸。信幸はという声に、徳川に付いた、手加減する事はないが多少気に掛けろと昌幸。

江戸城。家康から上田城攻めの先鋒を命じられた信幸。

8月1日、沼田城に入った信幸。

上田城。三成から北、中信濃を切り取り次第にして良いという書状を受け取った昌幸。しかし、さらに甲斐、信濃二カ国を取ろうと条件をつり上げる昌幸。

大坂城。昌幸からの書状を見て、この際構わぬ、この戦は真田が鍵となりそうだと吉継。

三成からの返書を見て、よっしゃーと快心の叫びを上げる昌幸。

8月24日、三万の軍勢を率いて真田討伐に向かった秀忠。

会津城。秀忠を討つと景勝。今はまだ早い、三成と家康がぶつかってからだと兼続。

9月1日。三万の軍勢と共に江戸を立って西に向かった家康。

9月3日、小諸城に入った秀忠軍。

軍議の席上、神川の堰をあらかじめ切っておこうと正信。

上田城。まだ早いかとつぶやく昌幸。小諸には信幸も居るらしいと内記。

小諸城。昌幸からの書状を秀忠に渡す信幸。そこには降伏すると書かれていました。

使者として訪れた信繁。その相手となったのは長泰でした。城は明け渡すがいずれ返せ、本領は安堵する事、昌幸を徳川の家臣として丁重に扱えなど、好き勝手な事を言って帰った信繁。

申し訳ないと平謝りに謝る信幸。昌幸の狙いはと正信。時を稼ぐ事かと信幸。何のための時かと聞いていると正信。判らないと信幸。これは怒っても良いのだなと書状を破り、上田を攻めると叫ぶ秀忠。

9月6日。神川を渡り、染屋原に陣を敷いた秀忠。

上田城。源三郎とは戦いたくないと昌幸。私に一つ策があると信繁。

三十郎に、戸石城に行くと告げる信繁。それは信幸と図って一芝居を打つためでした。暫くやりあった後に、内通者が居た事にして城門を開く、そこに信幸の軍勢がなだれ込むという策を三十郎に告げ、門はお前が開けよと命じる信繁。かしこまりましたと三十郎。お前はそのまま残れ、内通者が居なくなっては怪しまれると信繁。必死で抗弁する三十郎。いずれ真田が一つになる時までの辛抱だと説得した信繁。

信繁の策を信幸に伝えた佐助。

染屋原の陣。15年前の失敗を踏まえて、今度は一気には攻めない、まずは刈田をと正信。戸石城攻めは自分にと願い出る信幸。

戸石城。示し合わせた通り、形ばかりの攻防の後、門を開いた三十郎。なだれ込む信幸の軍勢。軽くあしらいながら引き上げる信繁の軍勢。勝ちどきを上げる信幸。

上田城。向こうから攻めて来る事はない、それ故、こちらから打って出ると昌幸。信繁には敵の攪乱を、茂誠には敵の兵糧の奪取を、作兵衛には刈田を防げと命ずる昌幸。

染屋原の陣。昌幸の指示どおりに動く真田勢。

真田に翻弄され、苛立つ秀忠。そこに雨が降ってきます。昌幸が待っていたのはこれだったのか、神川が氾濫すると正信。

上田城。正面から攻めますかと内記。敵の裏をかくと昌幸。

信繁に、兵500を連れて本陣の裏、蚕山へ回れ、秀忠の首を取ってしまえと昌幸。本陣まで気付かれずに攻め込めるでしょうかと信繁。そのために、半月かけて攻め口を切り開いて置いたと昌幸。ここに本陣が来ると判っていたのですかと信繁。ここしかないと、端から踏んでいた、戦は始める前が肝だと昌幸。

染屋原の陣。正面から攻めると決めた秀忠。その時、家康からの書状が届きます。

大雨の中、敵の本陣めがけて進軍する信繁の軍。

上田城。果たして総大将の首は取れるのかと内記。取れなくても良い、初陣の秀忠を思いっきり怖がらせてやる、そうすれば生涯戦下手で終わると昌幸。

染屋原。敵陣の様子がおかしい事に気付いた信繁。もぬけの殻になっていた敵陣。

その理由は、血気に逸った正則が岐阜城を落とした事にありました。慌てた家康は西上を開始し、秀忠に合流を命じたのです。

9月15日、関ヶ原。天下分け目の大戦。

上田城。戦勝に沸く真田勢。そこに関ヶ原から戻ってきた佐助。しかし、その結果は昌幸の期待とは裏腹に三成方の敗北でした。呆然とする昌幸たち。


今回は第二次上田合戦が描かれました。期待していたとおりの面白い回で、やはり戦のある時の昌幸は違います。

順を追って見ていくと、家康は三成の挙兵を予期していなかった様に描かれていましたが、最近の学説では史実においてもドラマのとおりだったと考えられています。以前は上杉征伐に行くのはわざと隙を見せるためで、三成の挙兵を誘ったのだと言われていましたけれどもね、今は上杉征伐はあくまで(形式的にせよ)豊臣家の公戦であり、三成の挙兵は想定外だったと言われています。

次に小山評定については、ほぼ従来の形を踏襲していましたね。ただ、これも小山評定自体が無かったとする説もあり、どこまでが史実かは判然としません。なお、ドラマでは石田方に翻ったのは昌幸のみと言っていましたが、田丸直昌という武将もまた小山の陣を去ったとされています。たぶん、直昌が小大名に過ぎず、大勢に影響ないという事で省略したのでしょうか。

沼田城の逸話はよく知られている所ですが、少し違うのは稲(小松姫)が昌幸と会ったのは旅からの帰りではなく、最初から城に入っており、そこに昌幸の一行が現れたのでした。昌幸はあわよくば城を乗っ取ろうとしたのですが、小松姫は門を閉じてこれを峻拒したのでした。辟易した昌幸は孫の顔を見に来ただけだと告げたところ、小松姫は城外で孫と会わせて、昌幸を引き取らせたと言われます。いずれにしても、この逸話から小松姫は烈女として後世に伝わる事になります。

三成からの恩賞に関しては、昌幸が交渉の結果信濃、甲斐二カ国にまで引き上げたのは事実であり、もし勝っていれば昌幸念願の武田の遺領相続はなっていたのかもしれません。

上田攻めに関しては少々史実として伝わる所とは異なり、もう少し真田方が勝った様に言われています。ただ、経過が第一次上田合戦と似ており、ドラマとしては同じ様な描写をしても仕方がないという事なのかな。あるいは、知恵者の正信が同じ轍を踏むはずが無いという事なのかしらん。染屋原とか、刈田、神川などの道具建ては史実どおりなのですけどね。

また、開戦前に昌幸が偽りの降伏をしたというのも史実どおりで、研究者によっては本当に降伏のための交渉だったのですが、あまりにも無理難題すぎて交渉が決裂したのだという説もあるようです。

関ヶ原の戦いに関しては、あまりにもあっさりとしすぎていました。まあ、本筋からは遠いという事なのでしょうけど、もう少し描いても良いのではと思いますね。ただ、これも最近の研究では、開始直後に小早川秀秋が裏切り、数時間も持たずに三成方は崩壊したとも言われていますから、描きようもなかったのかしらん。そのあたりは次週に繋がるのかな。

次回は昌幸たちの処分が描かれる様です。信幸が信之に変わる理由も明らかにされるのかしらん。どんな展開になるのか、楽しみに待ちたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.10

京都・洛東 第41回京の夏の旅 ~高台寺~

Koudaiji1609101_2

第41回京の夏の旅、3カ所目は高台寺にやって来ました。ここは高台寺道、ねねの道という名でも知られますが、二年坂などと同じく近年お店が増えているところです。

Koudaiji1609102

台所坂を登り切ると門に飾られた妖怪の提灯が出迎えてくれました。これは夏の旅の企画として百鬼夜行図が展示されている事に依ります。ただ以前からも百鬼夜行図の展示はあり、夏になるとこの提灯は出ていましたね。

Koudaiji1609103

拝観料は600円で、通常の拝観と変わりません。夏の旅としては前述の百鬼夜行図の展示の他に開山堂の龍図が見やすくなっていること、そして展望台が開放されている事が含まれます。寺としては拝観者の少ない夏に人集めが出来る事、拝観者としては普段と同じ値段で付加価値を楽しめるという事に意味があるのかな。

Koudaiji1609105

庭園では百日紅が綺麗に咲いていました。一つ気付いたのは、芝生の丘の上にあったもみじが無くなっていた事で、枯れてしまったのでしょうか。毎年黄色く色づく姿の良いもみじだったのですが、惜しい事をしましたね。

Koudaiji1609106

これが展望台の上から眺めた景色です。ここは大坂夏の陣で炎上する大阪城の煙を、北政所がはるかに見つめていたという場所で、真田丸ファンの私としてはぜひ訪れておきたいと思っていたのです。残念ながら大阪方面は木が茂っていて見通せなかったのですが、何も無ければ十分に見えたでしょうね。

夫と共に築築き上げた豊臣家が滅び去る様を、北政所が何を思って見つめていたのか、それを考えるだけでも十分に値打ちのある拝観でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016.09.09

京都・洛東 縁結びの神様 地主神社

Jisyujinjya1609091

清水寺の裏手に地主神社があります。縁結びの神様として知られ、常に多くの参拝者で賑わっています。社伝に依れば起源は縄文時代にまで遡るとされており、清水寺よりはるかに古い歴史を持つ事になりますね。

Jisyujinjya1609092

鳥居を潜ると、御祭神の一つである大国主命の像出迎えてくれます。その横には因幡の白ウサギが並んでいるのですが、2本足で立った姿がちょっとシュールに感じるのは私だけかしらん。

Jisyujinjya1609093

境内はごく狭いのですが、様々なもので溢れかえっています。これはその一つの恋占いの石で、対になっているもう一つの石との間を、目をつむって歩く事が出来れば恋が成就するという趣向になっています。この日も挑戦している人が居ましたね。

この石はさらに言われがあり、縄文時代の遺物であると鑑定されているとの事で、神社の起源を証明する証拠の一つと言われます。

Jisyujinjya1609095

これは何なのでしょうね、たぶん打ち手の小槌の様にお互いに振りかければ、仲良くなれるという趣向なのでしょうか。あるいは願いを込めて自分に振りかけるものなのかしらん。暫く待って、使い道を見てくればよかったかな。

Jisyujinjya1609096

こちらは女性の望みを叶えるというおかげ明神です。でも、願いには恨みを晴らすという事も含まれており、背後の杉の木は、江戸期には丑の刻参りの木として流行したのだとか。今でもくぎの穴が沢山残っており、怨念が籠もっている様でちょっと怖かったです。

若い人向けの神社と思って敬遠しがちな地主神社ですが、入ってみると色々あって面白いですね。良縁のほかにも商売繁盛、交通安全など様々なご利益のある神社ですから、清水寺に行く事があったら少し寄り道をして参拝されて行かれては如何ですか。


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016.09.08

京都・洛東 初秋2016 ~清水寺 9.3~ 

Kiyomiyazawa1609081

三年坂から清水寺まで来ました。八坂の塔ではあれほど曇っていた空が、今や青空に変わっています。時間にして30分ほど、その変わり様にはあきれるばかりでした。もっとも遠雷は聞こえていたので、雷雲がどこかに移動していったという事なのかしらん。

Kiyomiyazawa1609082

ずっと気になっている本堂の修復作業ですが、拝観券売り場で確かめたところ、まだ予定は立っていないとの事でした。予算面、あるいは技術面か何がネックになっているのかは判りませんが、まだ暫くは本堂が仮屋根に覆われる事は無いようです。でも、屋根を見上げると痛みが相当目立っており、あまり猶予時間はない様にも思えます。

Kiyomiyazawa1609083

その本堂の舞台は厚さ10㎝というヒノキの木で覆われています。今はあたかも展望台の様に自由に出入り出来ますが、本来はご本尊の観音様に諸芸を奉納する場でした。今でも青龍会を始め、様々な奉納が行われています。

一説には檜舞台という言葉はここから来たと言われ、その舞台の背景に描かれる木は、この舞台から見た山の景色を表すのだとか。確証は無いけれど、あり得ない話ではなさそうですね。次に子安の塔の前から見た景色の動画をご覧下さい。

まだ蝉時雨が大きく夏の名残が強いですが、鳴いているのはツクツクボウシやミンミンゼミで、京都では夏の終わりから初秋にかけての蝉であり、確実に季節が動いているのが判ります。

Kiyomiyazawa1609085

子安の塔から音羽の滝まで来ました。この滝は清水寺の起源に関わっている滝で、開山である延鎮上人が、はるばる奈良の都から探し求めてきたという聖なる水です。清水寺という寺号もこの滝に依っており、清い水のある寺という意味なのですね。

Kiyomiyazawa1609086

あと二ヶ月半もすれば、ここも紅く色づく事でしょう。今年はあまり良い感触を持っていないのですが、実際にはどうなるのでしょうね。出来る事なら見事な紅葉を見せて欲しいものだと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.07

京都・洛東 初秋2016 ~三年坂 9.3~

Sannenzaka1609071

早朝の人通りの少ない三年坂です。まだ店が開いておらず、表戸が閉まっているので、普段とは景色が違って見えます。

Sannenzaka1609072

三年坂とは正しくは冒頭の坂の事を指すのですが、二年坂から続く八坂通りも含めてそう呼ばれる事もあります。その道沿いには百日紅が咲いていました。実に鮮やかな花で、白壁に良く映えていましたよ。

Sannenzaka1609073

本山興正寺霊山本廟の参道脇には、背丈の低い百日紅が咲いていました。今まで見た事が無かったと思うので、たぶん最近になって植えられたものなのでしょうか。美しい花色なので、無事に育って欲しいですね。

Sannenzaka1609075

三年坂を登った所にある七味家さんでは、唐辛子を敷き詰めたディスプレイになっていました。むろん作り物ですが、見た目はすごく辛そうです。この店は今年創業360年を迎えたとの事で、まさしく老舗ですね。我が家もこの店の七味にはお世話になっており、これから先もずっと続いて欲しい店の一つです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.06

京都・洛東 ジブリがいっぱい どんぐり共和国

Ninenzaka1609061

以前は貸家街だった二年坂も、今ではすっかり商店街となっています。商店と言っても土産物店や飲食店が主ですが、少し毛色の変わった店もあります。それがどんぐり共和国。

Ninenzaka1609062

以前はどんぐりの森と言っていたかな。スタジオジブリのグッズを専門に売る店ですが、全国展開しているのでご存じの方も多い事でしょう。二年坂とは合わない気もしますが、三年坂を上がった所にもあるので、観光客相手に十分商売になるとマーケティングされているのでしょうね。

Ninenzaka1609063

これは店を入った所にある写真スペースです。この真ん中に立って写真を撮れば、さつきの気分になれるという事なのでしょう。

Ninenzaka1609065

グッズは多種多様ありますが、トトロ関連が多いのはそれだけ人気があるのかしらん。思わず衝動買いをしそうになったものもありましたが、どこに置くんだと我に返って止めにしました。まあ、単価が少々高いのはジブリだから仕方がないのかな。

ここはジブリファンの人にとっては楽しい店でしょうね。東山散策のついでに覗いてみるのも面白いですよ。場所は二年坂の入り口、と言うより一念坂の近くです。ハローキティ茶寮というお食事処も併設されているので、そちらを目印にする方が判りやすいかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.05

京都・洛東 初秋2016 ~八坂の塔 9.3~

Yasakanotou1609051

9月に入り、初秋を迎えた京都です。季節の移り変わりを感じるにはまだ少し早いかなと思いましたが、手始めとして東山界隈を歩いて来ました。

Yasakanotou1609052

この日の天気予報は晴れ後夜になって雨。午前中の降水確率は10%でしたが、実際にはご覧のとおりの曇り空で、ぽつりぽつりと雨まで落ちてきました。傘を持ってこなかった事を後悔したのですが、この後30分もすると晴れ間が覗き、夏の日差しが差してきたのですから訳が判りません。これも季節の変わり目という事なのかしらん。

Yasakanotou1609053

坂の途中の百日紅は、少し盛りを過ぎた感じでした。花によっては曇り空の方が似合う事もありますが、この花に関しては青空背景の方が綺麗ですね。

Yasakanotou1609055

坂をさらに上がっていくと、夏の名残の朝顔が咲いていました。涼しげな美しい花色で、夏の間中涼を感じさせてくれていた事でしょう。

Yasakanotou1609056

高台寺前に行くと、小さな植え込みの中にススキが生えていました。ここでススキを見たのは初めてだと思うので、たぶん新たに植えたのでしょう。そのススキと八坂の塔を絡めて撮ってみたのですが、思わぬところで初秋らしい景色と出会う事が出来ました。

次は二年坂に立ち寄ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.04

真田丸 第35回「犬伏」

大坂、真田屋敷。女達を前に上杉に付く事を伝える昌幸たち。そして、戦になる前に大坂を脱出せよと命じます。

脱出と聞き、呆然とする薫。その前できりと張り合う春。

忠勝からの書状を示し、自分は真田の嫁、決して裏切らぬと誓う稲。

大坂城。桃の木の様子を見に来たと言う信繁。そこに現れ、戦から戻ったらきりも連れて顔を出せという北政所。

秀吉や淀の方との出会いの時を思い出している信繁。

会津城。家康の兵力が10万と聞き、多いなと弱気を見せる景勝。領内で共に戦うという者を取り立てるのはどうかと兼続。嫌がる者は逃がしてやれと景勝。

江戸城。秀忠に正信と共に先に行けと家康。

気持ちが萎えたと秀忠。お前様なら大丈夫、出来ると江。

7月10日、垂井。吉継に会いに来た三成。悪い策ではないが、勝てるのかと吉継。判らない、しかし、今徳川を倒さねば豊臣の世は終わると三成。今日はもう遅い、泊まっていけと吉継。

夜。三成を呼んだ吉継。勝てるかどうか判らぬと言うような弱気な言葉は二度と口にするなと吉継。まずは、老衆の中から家康を外し、上杉討伐は内府の勝手な戦という事にする。次に内府がこれまでやって来た遺言に違背する行為を並べ立て、全国の大名に送りつけると正継。涙ぐむ三成に、泣いている暇は無いと活を入れる正継。

上田城。待ちに待ったこのときが来たと昌幸。

刀狩りがあった後、まさかまた戦になるとは思わなかったと与八と作兵衛。

真田屋敷。持っていく着物を巡って揉めている薫たち。そこに現れ、三成と正継の軍勢が大坂城に入ったと知らせる佐助。

大坂城。諸将を前に、まずは弾劾状を全国の大名と内府本人に送りつけ戦の初めとする、その後諸大名の家族を人質として大坂城に集めると三成。伏見城攻めは秀家と秀秋に任せると三成。その後、秀家を先鋒に諸大名と共に江戸に攻め上がると三成。総大将の輝元には秀頼の守護役として大坂城に止まって貰うと正継。

別室。伏見城を攻めるなど、勘弁して欲しいと愚痴る秀秋。その秀秋に、自分は家康の間者として送り込まれたのだと打ち明ける江雪斎。

大谷屋敷。昌幸が上杉に表返るつもりと伝える春。自分の所に来れば何の心配も無いと吉継。父が元気になった様だとうれしがる春。

大坂城。人質を取った三成達。混乱に乗じて脱出した阿茶局。

真田屋敷。吉継が守ってくれると聞き、のんびりした様子の薫。人質である事には変わりないときり。その時、遠望された煙。

細川屋敷。炎上する屋敷の中で一人座っているガラシャ。そこに駆け込んできて、速く逃げろと連れだそうとするきり。しかし、忠興の言いつけどおり、家臣の手によって命を絶ったガラシャ。

真田屋敷。細川屋敷が燃えていると知り、人質を殺すつもりかと稲。まさかとこう。このままでは命が危ない、沼田に逃げましょうと稲。

大坂城。細川屋敷が燃えたと聞き、なぜといぶかる三成。捕らえられていた佐助ときり。きりからガラシャが、万一の時にはこうしろと命じられていたと聞き、これでは人心が離れると危機感を募らせる三成。

佐助に昌幸宛の密書を届けてくれと頼む吉継。

江戸城。三成と吉継が挙兵を企てている事を知った家康。気にとめるほどの事もないと正純。気になる、上方の動きを調べよと家康。

大谷屋敷。去就をはっきりさせていない大名達に宛てた手紙をこれから魂を込めて書くと吉継。しかし、筆を持てない吉継に変わって三成が筆を執り、吉継が口述して行きます。書き上がった書状に力を振り絞って黒印を捺す吉継。

明け方、力尽きた様に倒れ込んだ吉継。

7月19日、3万の兵を率いて江戸を立った秀忠。同じ日、大坂で兵を挙げた秀家と秀秋。

7月21日、3万の軍勢を率いて江戸を立った家康。同日、下野国、犬伏に陣を張った真田家。

上杉に寝返る算段をしている時、吉継からの密書が届きます。早すぎると席を蹴った昌幸。

どういう事だと信幸。父が家康の首をってからの挙兵なら、易々と江戸に入れたはずと信繁。どうなると信幸。家康の出方次第だと信繁。

夜。二人の息子を呼んだ昌幸。これは10年は掛かる戦となる、これより上田に戻り城に籠もると昌幸。どちらに付くのかと信繁。どちらにも付かない、攻めてきた方が敵だと昌幸。その先はと信幸。世は乱れ、戦乱の世となる。それを見計らって、一気に甲斐と信濃を手にすると昌幸。

果たしてそのとおりになるだろうか、今は戦いのあり方が違ってしまっている、大きな力が一所で一気にぶつかり合う、案外早く決着が付くかもしれないと信繁。どれくらいと見ると昌幸。長くて幾月かと信繁。それは困ると昌幸。勝った方は強大な力を得る、どちらにも付かぬという事はその相手を敵に回すという事、真田の居場所が無くなると信繁。その時はその時、上杉と伊達と手を組んでと昌幸。それを聞き、夢物語はもう終わりにして下さいと叫ぶ信繁。ひるむ昌幸。徳川か豊臣か、どちらかに付くしかないと信繁。

様子を見てくると綱家。そっと扉を開いたとき、あっちへ行っておれという昌幸の怒号と共に下駄が飛んできました。下駄が口に当たって歯が折れ、うずくまる綱家。

三成が輝元を大将に引き入れ、大坂城を押さえた事は大きいと信繁。ずっと太閤の下で辛抱してきたのを知っているのにとふて腐れる昌幸。上手くすれば信濃、甲斐の大名になれると信繁。しかし、豊臣が勝つとは限らないと信幸。こよりを作って、黒は徳川、赤は豊臣だ、信幸に選べと昌幸。それを両方ともむしり取り、こういう事はもう止めましょうと信幸。私は決めた、源次郎と父は豊臣に付け、自分は徳川に残ると信幸。いずれが勝っても真田は残る、これが最善の道だと信幸。しかし、敵味方に別れるのはと信繁。決して敵味方に別れるのではない、豊臣が勝った時はあらゆる手を使って自分を助けよ、徳川が勝ったらどんな手を使ってもお前と父を助けてみせる、これは自分たちが何時の日か膝をつき合わせて酒を飲む日が来るための策だと信幸。頷く信繁。たとえ徳川と豊臣に別れても、常に真田は一つと信幸。良い策だと昌幸。

兄には迷惑を掛け通しだと信繁。自分は徳川に近い、自分にしか出来ない事だと信幸。もう一度我ら三人で徳川の大軍を相手にしてみたかったと信幸。どちらが勝っても強大な力を得る、戦の無い世の中になる、大事なのはその先と信繁。

酒を飲みながら、韓信の逸話で盛り上がる真田親子。


今回は犬伏の別れが描かれました。真田一族にとっては重要な場面であり、前宣伝が派手だったのも判るというものですね。

この犬伏の別れについては明確に記した一次資料は無く、軍記物しか残されていないのですが、その軍記物もまた記した内容が微妙に異なっている様です。大まかに言えば、三成挙兵の報に接した信幸は、今更徳川を裏切るというのは理に合わないと主張したのに対し、昌幸は大乱に乗じて勢力を伸ばすのが武将というものだと主張したという説、信幸が忠勝の娘婿、信繁が吉継の娘婿であり、それぞれの婚家の事情に従い敵味方に別れたとする説に別れる様です。ドラマはこの折衷案だったかな。さらには、信繁も信幸もこの時点ですでに独立した大名であり、それぞれの思惑で動いていたため、犬伏の別れそのものがなかったする研究者もある様ですね。

ドラマにおける真田家は、父を敬いつつも息子達がそれを乗り越えつつあり、独自の道を歩き始めている事が明確になりました。昌幸の時代遅れな状況分析を信繁が一喝した事がそうですし、かつて北条に付くか上杉に付くかをくじで決めようとした事の再現を信幸が一蹴した事もそうですね。昌幸が少し可哀想ですが、大局が見えていない以上、やむを得ない事だったのかな。

関ヶ原の合戦の方に目を向ければ、弾劾状は内府ちがひの条々と呼ばれる文書で、三人の奉行(増田長盛・長束正家・前田玄以)名で出されたものです。研究者によってはこれを重視し、家康を老衆の座が下ろすと共に、豊臣政権の外に追い出し、付き従う大名に対する指揮権も剥奪するものだったと言います。つまりは上杉攻めは全くの私戦であるという位置付けになった共に、家康は全ての大名の中で孤立してしまうという立場に追い込まれてしまったのでした。そのあたりはドラマの中では軽く扱われた感じがしましたね。

稲(小松姫)に関しては、もう少し早い段階で理由を構えて沼田に帰っていたらしく、人質に取られる心配はありませんでした。信幸がいち早く徳川方に付けたのもそれが理由の一つと言われます。たぶん、次回に出てくると思われますが、稲が沼田で活躍出来たのも同じ理由からです。

次回は第二次上田合戦の前哨戦が描かれる様ですね。どんな駆け引きが繰り広げられるのか、楽しみに待ちたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.03

京都・洛中 第41回京の夏の旅 平安女学院大学 有栖館 ー有栖川宮旧邸ー

Arisukan109031

第41回京の夏の旅、2カ所目は平安女学院大学の有栖館に行って来ました。有栖館は元は有栖川宮邸だった建物で、宮家の遺構として貴重な存在として知られます。

Arisukan109032

有栖川宮家は、御所の南、建礼門の前にあり、有栖館もその地に建てられていました。その後、明治維新によって宮家が東京に移ると一時京都地方裁判所の仮庁舎として使用され、後に民有地を買い上げて現在地に移築され、裁判所長宿舎の一部となりました。

Arisukan109033

この事から、全てではないにしろ宮家の遺構はそこかしこに残っており、この上段の間もその一つです。宮様が対面される時に座られた場所で、付書院を備え、天井が格天井となっている立派な座敷です。他には人の出入りが多くて写真を撮るタイミングが無かったのですが、能舞台ともなる板敷きの間も付属しています。

Arisukan109035

有栖川宮邸跡と言えば春のしだれ桜で有名ですが、邸内には枝垂れ桃があります。綺麗な樹形をした桃で、源平咲きをするそうですね。幾つも実が成っていたのですが、熟したら食べられるものなのかしらん。

Arisukan109036

裁判所長宿舎としての役割は2007年で終わるのですが、その後は平安女学院が買い取って管理をさています。冒頭の庭は2009年に11代植治によって整備されたもので、地盤を上げる為に大量の客土をしてあるそうです。まだ7年しか経っていないとは思えないほど、落ち着いた良い庭ですよ。

この写真は女学院としての展示で、制服の変遷が示されています。一番右が日本で最初に採用されたセーラー服で、真ん中は夏服だそうですが、今でもどこかにありそうですね。

現状は生徒たちのお茶や着付けの稽古に使用されているとの事ですが、宮家宅で授業が出来るとは贅沢で良いな。京都ならではの存在と言えそうですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.02

京都・洛中 百日紅2016 ~本隆寺 8.27~

Honryuji1609021

西陣にある本隆寺も百日紅の名所です。でも、今年は変わり果てた姿となっていました。昨年までは見事な花を見せていたのですが、今は見る影もありません。

Honryuji1609022

いったい何があったのでしょうね。百日紅だけでなく、本堂前の2本の松も植え替えられていました。でも、木自体は元のままの様ですから、一度動かす必要があったのかしらん。どなたか情報をお持ちではありませんか。

Honryuji1609023

白の百日紅も植え替えられてはいたのですが、花は綺麗に咲いていました。赤の百日紅も勢いよく枝は伸びていたので、来年はある程度咲いてくれるのかな。でも、元の様になるまでは少し時間が掛かりそうですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.01

京都・洛中 百日紅2016 ~白峯神宮 8.27~

Siraminejingu1609011

白峯神宮の百日紅が見頃を迎えています。この花を見る為にここに来る人は少ないでしょうけど、夏から秋にかけての風情が感じるために、毎年の様に訪れています。

Siraminejingu1609012

百日紅の木は門を入って右側にあるのですが、この時期には紅い花と相まって存在感を示しています。今年は少し花が少なめですが、花そのものは美しいものですよ。

Siraminejingu1609013

白峯神宮は崇徳天皇と淳仁天皇の二柱の神をお祀りしています。なので、神社の紋も菊ですね。そこかしこに菊の御紋はあるのですが、こうした金飾りにも施されています。

Siraminejingu1609015

境内には以前から崇徳天皇顕彰碑があったのですが、その隣にこの石碑が新たに置かれていました。まだ字の部分が覆われていたので、置かれて間もないのでしょう。たぶん、除幕式とかもまだなんじゃないかな。百人一首にある有名な歌ですので、またメディアで取り上げられる事も出てくる事でしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »