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2016.08.28

真田丸 第34回「挙兵」

伏見、石田屋敷。豊臣家の記録を整理している三成。三成の謹慎を解こうと秀家たちが動き始めていると信繁。

春の事について聞く信繁。ついと、席を外すうた。

回想。春に筆を渡す三成。それを好意からだと勘違いした春。
うたに三成と別れて欲しいと頼む春。勘違いだと諭す三成。悲鳴を上げて倒れ込んだ春。

真田屋敷。春に三成と会ってきたと話す信繁。顔はにこやかながら、内心の動揺を示すように障子を破って出て行く春。

2月29日。徳川屋敷を訪れた利家。三成の事は水に流すと家康。

政務に復帰した三成。さっそく家康の縁組みについて信繁に精査を命ずる三成。

前田屋敷。利家に三成への不満を訴える正則、清正たち。三成とこれ以上事を構えるな、自分の死後も三成と力を合わせて豊臣家を守り抜けと利家。

寧に詫びを入れる三成。みんな仲良くして欲しいだけと寧。素っ気なく出て行く三成。

つまらぬ騒ぎに巻き込まれるのはもう沢山、秀頼の婚儀が済んだら出家するつもり、きりにも暇を出した、今後は細川家に仕えると寧。

きりを追いかけ、キリシタンにはなるな、上田に帰れと諭す信繁。キリシタンにはならないが、もう許しはもらってあるときり。大坂、伏見の間で何かある、不穏な空気が漂っていると信繁。不穏大好き、また二人で乗り切りましょうとはしゃぐきり。

秀頼に桃の木を献上する三成。有り難い事と淀殿。家康は信じてはいけないと三成。

閏3月3日、利家死去。

三成征伐と意気込む七将。

細川屋敷。戦支度だと帰って来た忠興。これからですかと問うガラシャ。三成を成敗すると忠興。

きりに、お前の思い人は三成のところに居るのでしたねと問うガラシャ。左様ですときり。三成の屋敷が襲われるとガラシャ。

真田屋敷。急を知らせに来たきり。助かったと信繁。私、役にたっているときり。たまに、と信繁。

石田屋敷。今自分を殺してどうなる、家康を喜ばせるだけではないかと憤る三成。早く逃げて下さいと信繁。書類の山を眺め、これが灰になっては困る、太閤殿下の記録がなくなってしまうと三成。後は何とかしますと信繁。左近を連れて出て行く三成。

三十郎に呼ばれて来た信幸。蔵に書類を運ぶ信繁と信幸。

押し入ってきた七将。その先に居たのは将棋崩しをしている信繁と信幸。三成を出せと正則。ここには居ないと信繁。悪い事は言わないと清正。真田と戦うというのならもはや国同士の戦、その覚悟がある言うのならお受けいたすと信幸。かっとなって斬りかかる正則。それを止める清正。

部屋を出て行く七将。後に残った一人の武将。それは後藤又兵衛でした。

宇喜多屋敷。これから治部少輸丸に立てこもると三成。明石全登に送らせる秀家。

三成を出せといきまく七将。信繁に助けを求めた正家。

七将を前に、三成に何の罪があると問いかける信繁。殿下亡き後の政を意のままにしようとしたと清正。家康の命も狙った天下の大罪人だと正則。

大坂城。寧に会いに来た信繁。しかし、もう政には口を出さぬと会わない寧。

秀頼公が命じれば事は収まると信繁。ならぬと大蔵卿。そこに現れ、秀頼が板挟みになりはしないかと淀殿。返す言葉が無い信繁。お帰りなさいと淀殿。

大谷屋敷。後、頼めるのは一人だけと吉継。

徳川屋敷。家康に事の収拾を頼む信繁。まずは老衆と奉行達を集める事と家康。

別室で正信相手に、どうしたものかと思案する家康。まとめて始末してはと正信。清正、正則はまだ使い道がありそうだ、三成は頭の切れる男だがもったいなかったと家康。

広間に集まった七将。いつまで待たせるのだと息巻く正則。そこに現れ、ひと睨みで静かにさせた忠勝。

七将の前に座り、此度の君側の奸、石田討伐はご苦労でこざったと一同を見渡す家康。

清正たちを引かせた代わりに、三成には蟄居を命じた家康。

治部少輸丸。決定を三成に伝えた信繁。無念の三成。殿下は判っていると信繁。一つだけ頼みがある、清正に会いたいと三成。

三成に蟄居の命を伝える正家。その背後に居た清正を呼び、何事かを囁いた三成。驚いた様子の清正。

今生の別れと信繁に言い、佐和山へと旅だった三成。

伏見城に移った家康。

家康に呼び出され、家来にならないかと誘われた信繁。断固断った信繁。

真田屋敷。春相手に、これからは真田の家のために尽くす、いずれは春も上田に連れて行ってやりたいと信繁。

大坂城。且元に呼ばれた信繁。用件は桃の木の世話の仕方を聞く事でした。さすがに知らないと信繁。役に立たないことと淀殿。そう言えば百姓達が、水をやり過ぎれば根が腐ってしまうと言っていたと信繁。さっそく植え替えに掛かる信繁。正直、三成は好きでは無かった、何を考えているのか判らないと淀殿。一度心を開いてしまえば、あれほど判りやすい人は居ないと信繁。

一年後。大坂城に居る家康。

家康を挑発する直江状を受け取り、激怒する家康。

上田城。上杉から密書が届いたと昌幸。それは共に戦い、家康を討とうというものでした。それに乗るという昌幸。徳川を倒した先はどうすると信繁。再び戦乱の世に戻る、甲斐、信濃、駿河、信玄公が治めていた地をこの手に取り戻すと昌幸。これは自分にとって最後の機会、わがままを聞いて欲しいと昌幸。父に従うと信繁。自分は嫡男、当然父に従うと信幸。喜ぶ昌幸。

別室。やはり父は戦いがなければ生きていけないのだなと信幸。本当に良いのですかと信繁。舅殿とは敵味方に別れるが仕方が無いと信幸。本当に家康が倒れた後は戦乱の世に戻るのかと信幸。必ず誰かが後の世を治める、戦乱の世には戻らないと信繁。父を欺いたのはなぜと信幸。上杉を勝たせるためには昌幸の力が要るからだと信繁。策士だなと信幸。昌幸の子ですからと信繁。

徳川屋敷。秀頼の命とする事だけは絶対認められないと頑張った且元。

淀殿に会い、陣中見舞いとして軍用金と兵糧米をねだった家康。大蔵卿が居なくなった隙を狙い、豊臣の旗、幟も許して欲しいと願う家康。好きになさいと淀殿。

6月16日、会津に出陣した家康。

大坂城に集結した反家康の大名達。その陰の盟主に収まったのは三成。

まずは前回の記事の訂正です。前回は全くの創作と書きましたが違いました。下敷きとなった事件はあったのですね。詳しくは前回の記事に追記しておきましたが、家康が他家との婚姻を進めたの対し、怒った利家がこれを弾劾しようとしたところ、家康派と利家派に豊臣家が分裂したのです。三成は利家派に属していましたが、直接の矢面には立っていません。なので、謹慎したという事実はなく、このあたりが創作の部分ですね。

さて、今回は七将の騒動と関ヶ原前夜が描かれました。七将に関しては概ねドラマに描かれていたとおりで、主として朝鮮の役において三成が秀吉に讒言したという不満を持っていた清正以下七人の武将たちが、三成の命を狙って起こした騒動でした。結果として家康が裁定を行い、七将が兵を引く代わりに三成が蟄居したというのもドラマにあったとおりで、違うのは信繁がそこに関わっていたという事ですね。

直江状については、越後の領主であった堀秀治が国元にあって武備を進める景勝に謀反の疑い有りと告発した事に端を発しており、家康は景勝に対して上洛の上、釈明せよと命じました。景勝はこれに反発し、家老の兼続に返書として書かせたのが世に言う直江状です。内容は秀治の告発に対して一々理路整然と反論したもので、家康に対する皮肉ともとれる文言が散りばめられていました。家康はこれを読んで激怒したと伝わります。一時は偽文書という見方もありましたが、現在は細部はともかく、存在そのものは否定されていないようです。ドラマでは一部しか朗読されませんでしたが、真田丸のホームページでは、もっと長い5分間の朗読を聞く事が出来ますよ。

ドラマとしては、春がおとなしそうに見えて、あんな面白い女性だったとは意外でしたね。三成も思わぬエピソードを持っていたものです。

また、昌幸が久しぶりに輝いていました。確かに戦いのある時の昌幸は違いますね。ドラマ前半の頃の活躍を思い出してしまいました。第二次上田合戦が楽しみだなあ。

あと、家康が信繁に家来になれと迫っていましたが、あれは創作です。ですが、後の大坂冬の陣の時、信繁を調略しようとした事はあり、その時は十万石で寝返れと誘ったとされます。家康が信繁の力を買っていたのは事実の様ですね。

次回は犬伏の別れが描かれます。今回は父に従うと言った信幸がどう心変わりするのか、楽しみに待ちたいと思います。

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