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2016年8月

2016.08.31

京都・洛中 蓮2016 ~相国寺 8.27~

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もう9月の声を聞こうとしていますが、相国寺ではまだ蓮の花が咲いていました。7月の初めには咲いていましたから、随分と息長く咲いていた事になります。

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それだけ品種が多いという事なのでしょうか。枯れた葉もほとんど見なかった事を考えると、手入れも行き届いているのでしょうね。

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ここは花の小さな茶碗蓮が多いのですが、その中でもこれは飛び抜けて小さな花でした。こんなに可愛い蓮もちょっと珍しいんじゃないかしらん。

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さすがにつぼみは数えるほどしか無かったので、もうすぐ終わりを迎える事でしょう。でもこれだけ長い期間咲き続けてくれたのですから、大したものだと思います。


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2016.08.30

京都・洛東 百日紅2016 ~知恩寺 8.27~

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知恩寺で百日紅が咲いています。毎月15日の手作り市で賑わうこの寺ですが、その日を外せば、静かな境内をゆっくりと散策する事が出来ます。

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ここの百日紅は比較的小振りな木で、私の他に注目している人は少ないと思いますが、毎年綺麗な花を咲かせてくれるので気に入っている木です。

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その名の通り息の長い花ですからつぼみも沢山残っており、これからでもまだまだ間に合いますよ。

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御影堂では大勢の僧侶が集まり、法要が行われていました。境内には読経の声が溢れており、宗教的荘厳に包まれていました。以前はお経など退屈なものでしかなかったのですが、今はじっと聞き入ってしまいます。それだけ参拝の場数を踏んだのか、それとも単に年を取ったということなのかしらん。百万遍の名に相応しく南無阿弥陀仏の唱名は、何度も何度も繰り返されていました。

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2016.08.29

京都・洛東 夏の終わりに2016 ~真如堂 8.27~

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夏の終わりを迎えた真如堂を訪れてきました。日が差すとまだまだ真夏の暑さなのですが、日陰に入ると秋風を思わす涼しい風が吹いています。

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境内に入ってまず目に付いたのは、既に色づき始めたもみじが多い事です。つまりは弱っているという事で、晩秋の頃には縮れてしまって上手く色づかない可能性が高いですね。

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本堂前のもみじも心持ち色あせており、毎年綺麗に色づく木だけに気になるところです。次に、境内の蝉時雨をお聞き下さい。

まだ真夏の蝉であるクマゼミが元気なのが意外でしたが、後半はミンミンゼミが鳴いています。この蝉が出てくると、京都では夏の終わりが来たなという気がします。

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夏の終わりと言えば、地蔵盆を行っている町内をいくつか見ました。本来は8月23、24日に行うものですが、最近はその後の週末に行うところが増えている様です。それに、主役の子供の姿が消えて、大人ばかりというところも少なく無い様ですね。少子化の波は京都でも例外ではない様です。

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真如荘の前では、芙蓉が咲いていました。この間までは蓮が咲いていたのにね、季節の移り変わりを実感させてくれる花でした。もうすぐ秋が来る気配はそこかしこに漂っていましたよ。


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2016.08.28

真田丸 第34回「挙兵」

伏見、石田屋敷。豊臣家の記録を整理している三成。三成の謹慎を解こうと秀家たちが動き始めていると信繁。

春の事について聞く信繁。ついと、席を外すうた。

回想。春に筆を渡す三成。それを好意からだと勘違いした春。
うたに三成と別れて欲しいと頼む春。勘違いだと諭す三成。悲鳴を上げて倒れ込んだ春。

真田屋敷。春に三成と会ってきたと話す信繁。顔はにこやかながら、内心の動揺を示すように障子を破って出て行く春。

2月29日。徳川屋敷を訪れた利家。三成の事は水に流すと家康。

政務に復帰した三成。さっそく家康の縁組みについて信繁に精査を命ずる三成。

前田屋敷。利家に三成への不満を訴える正則、清正たち。三成とこれ以上事を構えるな、自分の死後も三成と力を合わせて豊臣家を守り抜けと利家。

寧に詫びを入れる三成。みんな仲良くして欲しいだけと寧。素っ気なく出て行く三成。

つまらぬ騒ぎに巻き込まれるのはもう沢山、秀頼の婚儀が済んだら出家するつもり、きりにも暇を出した、今後は細川家に仕えると寧。

きりを追いかけ、キリシタンにはなるな、上田に帰れと諭す信繁。キリシタンにはならないが、もう許しはもらってあるときり。大坂、伏見の間で何かある、不穏な空気が漂っていると信繁。不穏大好き、また二人で乗り切りましょうとはしゃぐきり。

秀頼に桃の木を献上する三成。有り難い事と淀殿。家康は信じてはいけないと三成。

閏3月3日、利家死去。

三成征伐と意気込む七将。

細川屋敷。戦支度だと帰って来た忠興。これからですかと問うガラシャ。三成を成敗すると忠興。

きりに、お前の思い人は三成のところに居るのでしたねと問うガラシャ。左様ですときり。三成の屋敷が襲われるとガラシャ。

真田屋敷。急を知らせに来たきり。助かったと信繁。私、役にたっているときり。たまに、と信繁。

石田屋敷。今自分を殺してどうなる、家康を喜ばせるだけではないかと憤る三成。早く逃げて下さいと信繁。書類の山を眺め、これが灰になっては困る、太閤殿下の記録がなくなってしまうと三成。後は何とかしますと信繁。左近を連れて出て行く三成。

三十郎に呼ばれて来た信幸。蔵に書類を運ぶ信繁と信幸。

押し入ってきた七将。その先に居たのは将棋崩しをしている信繁と信幸。三成を出せと正則。ここには居ないと信繁。悪い事は言わないと清正。真田と戦うというのならもはや国同士の戦、その覚悟がある言うのならお受けいたすと信幸。かっとなって斬りかかる正則。それを止める清正。

部屋を出て行く七将。後に残った一人の武将。それは後藤又兵衛でした。

宇喜多屋敷。これから治部少輸丸に立てこもると三成。明石全登に送らせる秀家。

三成を出せといきまく七将。信繁に助けを求めた正家。

七将を前に、三成に何の罪があると問いかける信繁。殿下亡き後の政を意のままにしようとしたと清正。家康の命も狙った天下の大罪人だと正則。

大坂城。寧に会いに来た信繁。しかし、もう政には口を出さぬと会わない寧。

秀頼公が命じれば事は収まると信繁。ならぬと大蔵卿。そこに現れ、秀頼が板挟みになりはしないかと淀殿。返す言葉が無い信繁。お帰りなさいと淀殿。

大谷屋敷。後、頼めるのは一人だけと吉継。

徳川屋敷。家康に事の収拾を頼む信繁。まずは老衆と奉行達を集める事と家康。

別室で正信相手に、どうしたものかと思案する家康。まとめて始末してはと正信。清正、正則はまだ使い道がありそうだ、三成は頭の切れる男だがもったいなかったと家康。

広間に集まった七将。いつまで待たせるのだと息巻く正則。そこに現れ、ひと睨みで静かにさせた忠勝。

七将の前に座り、此度の君側の奸、石田討伐はご苦労でこざったと一同を見渡す家康。

清正たちを引かせた代わりに、三成には蟄居を命じた家康。

治部少輸丸。決定を三成に伝えた信繁。無念の三成。殿下は判っていると信繁。一つだけ頼みがある、清正に会いたいと三成。

三成に蟄居の命を伝える正家。その背後に居た清正を呼び、何事かを囁いた三成。驚いた様子の清正。

今生の別れと信繁に言い、佐和山へと旅だった三成。

伏見城に移った家康。

家康に呼び出され、家来にならないかと誘われた信繁。断固断った信繁。

真田屋敷。春相手に、これからは真田の家のために尽くす、いずれは春も上田に連れて行ってやりたいと信繁。

大坂城。且元に呼ばれた信繁。用件は桃の木の世話の仕方を聞く事でした。さすがに知らないと信繁。役に立たないことと淀殿。そう言えば百姓達が、水をやり過ぎれば根が腐ってしまうと言っていたと信繁。さっそく植え替えに掛かる信繁。正直、三成は好きでは無かった、何を考えているのか判らないと淀殿。一度心を開いてしまえば、あれほど判りやすい人は居ないと信繁。

一年後。大坂城に居る家康。

家康を挑発する直江状を受け取り、激怒する家康。

上田城。上杉から密書が届いたと昌幸。それは共に戦い、家康を討とうというものでした。それに乗るという昌幸。徳川を倒した先はどうすると信繁。再び戦乱の世に戻る、甲斐、信濃、駿河、信玄公が治めていた地をこの手に取り戻すと昌幸。これは自分にとって最後の機会、わがままを聞いて欲しいと昌幸。父に従うと信繁。自分は嫡男、当然父に従うと信幸。喜ぶ昌幸。

別室。やはり父は戦いがなければ生きていけないのだなと信幸。本当に良いのですかと信繁。舅殿とは敵味方に別れるが仕方が無いと信幸。本当に家康が倒れた後は戦乱の世に戻るのかと信幸。必ず誰かが後の世を治める、戦乱の世には戻らないと信繁。父を欺いたのはなぜと信幸。上杉を勝たせるためには昌幸の力が要るからだと信繁。策士だなと信幸。昌幸の子ですからと信繁。

徳川屋敷。秀頼の命とする事だけは絶対認められないと頑張った且元。

淀殿に会い、陣中見舞いとして軍用金と兵糧米をねだった家康。大蔵卿が居なくなった隙を狙い、豊臣の旗、幟も許して欲しいと願う家康。好きになさいと淀殿。

6月16日、会津に出陣した家康。

大坂城に集結した反家康の大名達。その陰の盟主に収まったのは三成。

まずは前回の記事の訂正です。前回は全くの創作と書きましたが違いました。下敷きとなった事件はあったのですね。詳しくは前回の記事に追記しておきましたが、家康が他家との婚姻を進めたの対し、怒った利家がこれを弾劾しようとしたところ、家康派と利家派に豊臣家が分裂したのです。三成は利家派に属していましたが、直接の矢面には立っていません。なので、謹慎したという事実はなく、このあたりが創作の部分ですね。

さて、今回は七将の騒動と関ヶ原前夜が描かれました。七将に関しては概ねドラマに描かれていたとおりで、主として朝鮮の役において三成が秀吉に讒言したという不満を持っていた清正以下七人の武将たちが、三成の命を狙って起こした騒動でした。結果として家康が裁定を行い、七将が兵を引く代わりに三成が蟄居したというのもドラマにあったとおりで、違うのは信繁がそこに関わっていたという事ですね。

直江状については、越後の領主であった堀秀治が国元にあって武備を進める景勝に謀反の疑い有りと告発した事に端を発しており、家康は景勝に対して上洛の上、釈明せよと命じました。景勝はこれに反発し、家老の兼続に返書として書かせたのが世に言う直江状です。内容は秀治の告発に対して一々理路整然と反論したもので、家康に対する皮肉ともとれる文言が散りばめられていました。家康はこれを読んで激怒したと伝わります。一時は偽文書という見方もありましたが、現在は細部はともかく、存在そのものは否定されていないようです。ドラマでは一部しか朗読されませんでしたが、真田丸のホームページでは、もっと長い5分間の朗読を聞く事が出来ますよ。

ドラマとしては、春がおとなしそうに見えて、あんな面白い女性だったとは意外でしたね。三成も思わぬエピソードを持っていたものです。

また、昌幸が久しぶりに輝いていました。確かに戦いのある時の昌幸は違いますね。ドラマ前半の頃の活躍を思い出してしまいました。第二次上田合戦が楽しみだなあ。

あと、家康が信繁に家来になれと迫っていましたが、あれは創作です。ですが、後の大坂冬の陣の時、信繁を調略しようとした事はあり、その時は十万石で寝返れと誘ったとされます。家康が信繁の力を買っていたのは事実の様ですね。

次回は犬伏の別れが描かれます。今回は父に従うと言った信幸がどう心変わりするのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2016.08.27

京都・洛中 京都御所通年公開 2

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今日も京都御所見学の続きです。これは建春門。勅使の出入りに利用された門で、建礼門に次ぐ格式を持ちます。数年前に屋根の葺き替えをしていたのは記憶に新しいところですね。

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これは春興殿。現在のものは大正天皇の即位式の際に建てられたものですが、元々は三種の神器の内の一つ、神鏡を収める場所でした。

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ここは清涼殿です。天皇の日常の場となるところですね。御殿の前には唐竹と呉竹が植えられています。

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これは獅子と狛犬に守られた御帳台。この裏に御湯殿上、御手水間、朝飼間など、生活に必要な施設が揃っています。

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ここは小御所。本来は儀式を行う場で、天皇と将軍の対面などもここで行われました。慶応3年12月9日に発せられた王政復古の大号令を決めた小御所会議は、まさにこの場所で行われています。ただし、建物自体は一度焼失しており、現在のものは昭和33年に復元されています。

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これは御池庭。その名の通り池を中心とした回遊式庭園です。手前に玉石を敷き詰めた州浜を持ち、後ろに高木を配して奥行きを出しています。とても街中にある庭とは思えないですね。

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素晴らしく優雅な庭で、御所に相応しいというべきでしょうか。出来る事ならこの中を歩いて、その景色の変化を見てみたいものですね。

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ここは御学問所。その名の通り学問の場ですが、臣下との対面などにも用いられました。

御所には一般拝観の時に何度か入っていますが、これだけゆっくりと拝観したのは初めてです。もっと混んでいるかと思っていたのですが、暑い時期だという事もあってか存外空いていました。中が見えない、紫宸殿に近づけないなど一般拝観とは異なる点はありますが、これだけの歴史的資産を常時拝観出来る様になったというのは素晴らしい事ですね。次は紅葉の時期、あるいは左近の桜が咲く時期に入ってみたいと思っています。

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2016.08.26

京都・洛中 京都御所通年公開 1

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京都御所が7月26日から通年公開となっています。これまでは年2回の一般公開か、事前申し込みによる見学かしか出来なかったのですが、今は誰でも予約無しで拝観出来る様になりました。拝観料も不要ですが、入り口で手荷物検査だけは受ける事になります。(月曜日と年末年始は休みです。)

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見学ルートは一般公開の時とは違い、外周だけを巡る様になっています。それに扉はほぼ閉められており、中の絵などはほとんど見えない状態です。これは外光から絵や建具を守るための措置なのでしょうね。

この門は宣秋門。臣下が使用する門で公卿門とも言い、蛤御門の変の時にこの門前で激戦が繰り広げられました。開戦を知った松平容保がここから御所内に参内しようとしたところ、どうした事か馬が動かなくなり、やむなく本来は入いる資格の無い建礼門から参内したのですが、戦いが起こったのはその直後の事であり、容保は危ういところを助かったという経緯があります。

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これは御車寄。つまり玄関口ですね。ここで言う車とは牛車の事であり、その乗り降りに便利なように作られています。

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ここは写真の撮り方を間違えたのですが、左側が主役の諸大夫の間です。来客の待合の間であり、位階によって部屋が区別されていました。

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こちらは新御車寄。大正天皇の即位式の時に建てられたもので、馬車での乗り入れが出来る様にと新たに設けられました。

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これは紫宸殿への入り口の一つである月華門。向こうに見えるのが日華門で、左右対称に作られています。

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これは建礼門。御所の正門にあたる門です。天皇や皇后、外国の元首級だけが潜る事が許される由緒正しい門で、蛤御門の変のとき容保がここから参内したというのは、如何に非常時であったかが判るというものですね。

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承明門を通して見た紫宸殿です。紫宸殿は即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿です。現在のものは安政2年(1855年)に再建されたもので、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の即位式はここで行われました。左右に見える植え込みが、左近の桜、右近の橘です。

長くなりましたので、後半は明日紹介する事とします。

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2016.08.25

京都・洛中 百日紅2016 ~九条池 8.20~ 

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間ノ町口のすぐ東側に九条池があります。この池はかつてここにあった九条家の庭園の遺構で、本来は勾玉池という名でしたが、今ではその家名を取って九条池と呼ばれる事が多くなっています。

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この池の周囲には百日紅が多く植えられており、今の時期にはこの紅い花に美しく彩られる事になります。

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百日紅は青空にも映えますが、緑色の水を背景にしても綺麗ですね。この花は厳島神社で咲いていました。

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その厳島神社には、唐破風が付くという珍しい鳥居があります。さりげなく立っていますが、重要美術品に指定されているという立派な文化財です。

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高倉橋では、鯉に餌をやっている人がいました。そのおこぼれを頂戴していたのがこのアオサギで、すっかり餌付けされている様です。祇園白川のアオサギは人慣れしている事でよく知られていますが、このアオサギも相当なもので、近づいても逃げようともしませんでした。野鳥を飼う訳には行きませんが、その気になればペットに出来るかも、ですね。

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2016.08.24

京都・洛中 百日紅2016 ~京都御苑 8.20~

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百日紅が美しい季節になって来ています。京都でこの花が沢山ある場所と言えば京都御苑の名がまず上がります。その中でも私が好きなのは建礼門前の二本の木で、毎年綺麗な花を咲かせてくれます。

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ただ、今年は西側の木の花付きが今ひとつですね。そんな中で、一番咲いている枝と建礼門を絡めて撮ってみました。

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建礼門前大通りを南に下っていくと、大きな百日紅があります。建礼門前の百日紅もそうですが、御苑内の百日紅はほとんどが下まで枝が茂っており、花が低い位置でも咲いているのが特徴ですね。

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間ノ町口の百日紅もまた見事に咲いていました。ここは御苑の入り口でもあり、この時期の象徴的な花ですね。

明日は九条池の百日紅をお届けします。

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2016.08.23

京都・洛北 糺の森の光の祭 ~下鴨神社~

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下鴨神社で糺の森の光の祭が行われています。これは下鴨神社の参道をライトアップし、併せて楼門内に呼応する球体を置き、音楽と共に鑑賞するというイベントです。

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とにかく凄い人出で、楼門内に入るのには長蛇の列に並ばなくてはなりませんでした。私は途中で挫折して列から抜け出したので中には入っていないのですが、この球体に触れると色が変わるという趣向の様です。入場料として500円必要で、あまりの人出のために15分間という制限が掛けられていました。

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こちらは協賛事業となるのかな、下鴨御所音頭という盆踊りです。この地域にこんな伝統があったとは知らなかったですね。少し見ていただけですが、とてもゆっくりしたテンポで、良く有る盆踊りの様な賑やかさは無かったです。

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糺の森のライトアップは、センサーの近くを人が通る度に色と音楽が変わるという仕掛けで、くるくると目まぐるしく変化していました。人に依って好き嫌いはあると思いますが、見慣れた参道がまるで違った世界に感じるのはなかなか新鮮でした。

期間は8月31日(午後6時から9時30分)までで、参道のライトアップは毎日行われますが、楼門内の球体については土日限定です。

たぶん、テレビや新聞で大きく取り上げられたせいでしょう、想像していた以上の人出で、午後7時30頃には楼門内に入る列は参道を越えてまだ先まで伸びていました。待ち時間はどれくらいだったのでしょうね。たぶん、神社側でも予想を遙かに超えていた様で、参拝者は自由に入れる(実際には無理でした)と言ってみたり、急に参道が北向き一方通行に変わるなど、対応に右往左往している様子が見て取れました。今度の週末に行こうと考えられている方は、なるべく早めに出かける事をお勧めします。


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2016.08.22

京都・洛西 千灯供養 化野念仏寺

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奥嵯峨、鳥居本の地にある化野念仏寺の千灯供養が今年も行われます。これは同寺の西院の河原に祀られている数千体の無縁仏を供養するという宗教行事で、この季節の風物詩にもなっています。(写真は全て以前に撮ったものです。)

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千灯供養が行われるのは8月23日と24日の二日間で、17時30分からの受付(灯明は18時)になっています。予約は不要で誰でも参加出来ますが、協力維持料として1000円が必要となります。

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それなりに混み合いますが入れないという事はなく、写真を撮るにも場所取りなどは必要ありません。それに、本来少し怖い場所なのですが、人が大勢居るので存外平気ですよ。荒涼とした西院の河原に沢山のロウソクの灯がともされている様は、風情すら感じます。

今年は平日なので、参拝者も少し少なめかも知れませんね。周辺では愛宕街道灯しも行われているので、都合の合う方はお出かけになられては如何ですか。

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2016.08.21

真田丸 第33回「動乱」

慶長4年1月21日、伏見城、治部少輔丸。

秀家と秀秋に家康を襲うと打ち明ける三成。自分も兵を出すと秀家。自分の兵だけで行う、左近を呼んでくれと三成。

庭で槍を振るう左近。その左近を呼びに来た信繁。

廊下ですれ違った人物を見て驚く信繁。それは江雪斎でした。今は秀秋に仕えているという江雪斎。

南櫓。徳川屋敷を見下ろしながら三十郎と語り合う信繁。家康を討ち取るのが良い事かどうかは判らぬ、しかし、兵を挙げる以上勝たなければならないと信繁。

軍議を開き、策を決めた信繁。

徳川屋敷。正信に夜討ちの知らせを持ってきた江雪斎。

江戸へ帰ると家康。この際大事にしてしまおう、そして、伏見在住の大名達に声を掛け、どれほど使えるか試しては如何と正信。面白いと家康。

屋敷の守りを固める忠勝。

謀が漏れたと知った三成。ここは一旦兵を引くべきだと信繁。ここで引くわけにはいかない、大義名分がこちらにある事を世に知らしめる、その為に大坂へ行って秀頼公の許しを得てくると三成。毛利公には秀秋、上杉には信繁が説得に当たって欲しいと三成。

上杉屋敷。これ以上巻き込まないで欲しいと兼続。家康を押さえられるのは景勝を置いて他に無いと信繁。その徳川を敵に回したくないと兼続。秀家と力を合わせれば十分に互角と信繁。これ以上は時の無駄と兼続。それを陰で聞いていて、すまぬと景勝。

大谷屋敷。病床にある吉継。三成はあせり過ぎたと吉継。味方がどれだけ揃うかと信繁。味方が揃わなかった時、あの男がどう出るかと吉継。

真田屋敷。徳川から文が届いた、三成はどういうつもりなのかと信幸。父上はどうされるかと信繁。この間刺客を放ったばかりだ、今更徳川のために戦えるかと昌幸。私はひとまず顔を出してくると信幸。

信繁を北政所が呼んでいると知らせに来たきり。

北政所の部屋。秀吉が死んでから間もないと言うのにこの騒ぎは何と北政所。その場に居た秀秋に、毛利はどうかと聞く信繁。この子をごたごたに巻き込むのはやめてと北政所。清正と正則がここに来た、あの子たちも随分と悩んでいたと北政所。

三成と家康のどちらに味方して良いのかさっぱり判らないと清正。戦の無い世を作ったのは殿下、それを乱す者に味方してはいけない、徳川を守るのだと北政所。

三成ももう少し賢いかと思っていたが、かいかぶりだったかと北政所。三成が豊臣家を思う気持ちは誰にも負けないと信繁。とにかく、今度の事は絶対認めないと北政所。

きりの意見を聞きたいと信繁。しまったと思っているはず、止めたくても止められないのが本音ではときり。

徳川屋敷を訪れ、思っていた以上の物々しさに驚く信幸。大勢集まった広間の隅に目立たぬように座る信幸。そこに現れ、信幸を一同に紹介する忠勝。

大坂城。前田利家を前に、秀頼公の許しを請う三成。もってのほかと大蔵卿。千成瓢箪を預かるだけで良い、それを旗印にすれば豊臣家の許しを得た事になると三成。もし負けたら、豊臣家が徳川に負けた事になると大蔵卿。諦めよと利家。

淀の方の部屋。三成は帰ってしまったのか、伏見で何が起こっているのかと淀の方。何もと大蔵卿。

徳川屋敷。家康の呼びかけに応じた大勢の大名達。家康はいざと言うとき誰が頼りになるのか試しているのかもしれないと信幸。

一同の豊臣家への忠義には痛み入ると正信。我らが居れば三成など恐れるに足らぬと正宗。この前家康を狙った忍びの者も三成の手の者だった様子と忠純。この手で成敗してくれると正則。何か思い詰めた様子の清正。

治部少輔丸。三成を訪ねてきた清正。大坂に出かけていると信繁。では待たせて貰うと清正。

真田屋敷。佐助から双方に集まった大名の様子を聞く昌幸。数では徳川が優勢だがと昌幸。

治部少輔丸。大坂から帰って来た三成。その三成に兵を引けと説く清正。それは出来ない、おまえこそなぜ徳川に付いたと三成。家康は殿下に後を託された、無闇に殺す事は出来ないと清正。なぜ徳川の魂胆が判らないと三成。お前が家康を憎んでいる事は良く判った、しかし、力尽くで相手を倒そうなどとはお前らしくないと清正。やらなければならない時にはやる、私はそうしいう男だと三成。振り上げた拳をどこに下ろせば良いか判らなくなっているのだろう、だったらわしと腕相撲をしようと清正。家康のところへ帰れと三成。戦になったらお前を殺すぞと清正。望むところだと三成。

毛利も上杉も動かない、秀頼の許しも出ない、腹が痛くなってきたと三成。どうするのだと秀家。忠興が居た、あれを味方に引き入れよう、誰か忠興の下へと三成。誰も動かない一同。いや私が行くと三成。どうにもイラッとさせる男だと秀家。

細川屋敷。干し柿の箱詰めを差し出し、忠興が何か言いかけたところを、これより徳川屋敷に討ち入る、どうかお味方頂きたいと畳みかける三成。清正と正則は早々と家康に付いたとか、あいつらは殿下の身内というだけで出世しおって大の苦手だ、しかし、それ以上にお主には怒りを覚えると干し柿を投げつける忠興。これはほんの話の繋ぎと三成。お主が来るまで悩んでいた、しかし、これで腹は決まった、これより徳川屋敷に参ると忠興。

徳川屋敷に翻った細川の旗。

真田屋敷。この一件、全ては父上の出方に掛かっていると信繁。私が三成に味方して何が変わると昌幸。三成ではなく、家康に味方して欲しい、そうすれば三成も諦めが付くと信繁。そういう事かと昌幸。

大谷屋敷。病身を押して鎧を身につけている吉継。そこに現れた三成。持つべきものは友、いまこそ吉継の力が必要、身体がきつければ輿を用意させましょうと三成。勘違いされるな、これから行く先は徳川屋敷だと吉継。気でも触れたかと三成。お主は間違っている、家康が要となって秀頼を守っていく、それ以外に豊臣家を長らえる道は無いと吉継。殿下は亡くなる前に家康を殺せと命じられたと三成。死を前にした老人の世迷い言に惑わされるなと吉継。今の言葉、たとえ吉継と言えども許さぬと三成。家康を殺してその後はどうする、お主が政をするのかと吉継。他に居ないのならばと三成。お主に人が付いてくるのかと吉継。やってみなければ判らないと三成。ならば、今夜どれだけの大名がお主に従ったと吉継。まだ間に合う、今兵を引けば咎められる事はないと吉継。吉継の手を払って立ち去る三成。

徳川屋敷。吉継が来た事を喜ぶ家康。我が主のため、君側の奸、三成を懲らしめて下さいと正信。誤解してもらっては困る、家康の為に来た訳では無い、太平の世を乱す者を懲らしめるのが我が勤めと吉継。

そこに現れた昌幸。こうなっては三成は手も足も出まいと家康。

早速軍議を開く昌幸。異議を唱える清正。ここは昌幸に任せようと吉継。同意する正宗、忠興。やむなく折れる清正。軍議を進める昌幸。暗殺しようとしたのも三成と正宗。それはけしからぬとすっとぼける昌幸。

治部少輔丸。我らだけで戦う、戦の支度をと三成。

上杉屋敷。徳川はすっかり守りを固めた、三成はどう出ると景勝。ああ見えて、目先の利で動く男ではないと兼続。義の為なら命も捨てるかと景勝。それが出来る男ですと兼続。では、自分はどんな男だと景勝。

徳川屋敷。三成勢が来ない事に苛立つ忠勝。六文銭の旗を掲げさす信幸。

治部少輔丸。出陣の触れを出す三成。そこに現れた、吉継と昌幸の旗が揚がった事を知らせる伝令。どういう事だと三成。昌幸は徳川に付いた、もうここまでですと信繁。もう遅い、出陣しなくても秀頼公の許しを得ずに徳川攻めを企てて世を騒がせた、惣無事令に反したと家康は付いてくる、どうせ腹を切るなら徳川屋敷に攻め入るまでと三成。まだ策をあるはずと秀家。これは三成一人で引き起こした事、秀家には老衆としてこれからも家康から豊臣家をお守り下さいと出て行こうとする三成。

いけませぬ、と叫ぶ信繁。三成にはまだまだ生きて貰わなければならない、命がけで天下万民のために尽くして来た姿を見てきた、己の欲で動く家康のなしえない事でございますと信繁。そこに現れた景勝と兼続。今日のところは諦めよと景勝。今日が無ければ明日は無いと三成。家康は自分が倒すと景勝。御屋形様は本気になられたと兼続。殿下の前で我らは誓った、それを破る者は義を知らぬ、それを許すわけには行かない、我らで家康に大戦を仕掛けるのだと三成を抱きしめる景勝。

徳川屋敷。三成が戦支度を解いたと聞き、大した事は無かったと家康。

これで良かったのだと引き上げる清正たち。

自分の一言で豊臣恩顧の大名がこれだけ集まった、これはいけるかも知れないと家康。ほくそ笑む正信。これが狙いだったのかと家康。腰の重いお方だからと正信。


今回は全くの創作の回でした。伏見で三成が挙兵しようとした事実はなく、従って真田がキーポイントになった事も、景勝が打倒家康を決意した事もすべて創作です。
似た様な事件としては清正、正則、忠興ら三成を憎む七将が三成を襲おうとした事がありますが、場所は大坂であり、三成は被害者です。でも、これは次回に描かれる様ですね。今回はむしろ、関ヶ原前夜を思わせる展開でした。

(追記です。全くの創作とは少し言い過ぎました。前回に描かれた家康に対する問責の際に、似た様な事があったのですね。ただし、主役は前田利家で、勝手に婚姻を進める家康に対する弾劾を行うべく、戦も辞せずという態度を取りました。当時、利家は秀頼の守り役として大坂城にあって伏見に居た家康と対峙し、それぞれの下に大名達が集まり一触即発の危機もあったのですが、結果としては戦には至らず両者が誓紙を取り交わす事で決着が付き、その後家康と利家が相互に訪問する事となります。ドラマはこの事件を下敷きに、舞台を伏見に、主役を三成に変えて描いたのですね。ただ、それぞれの下に集まった大名については、清正、忠興を利家派とするなどドラマとは異なる説がある様です。)

たぶんですが、これまで豊臣家の忠臣としてだけ描かれてきた三成が、どれだけ他の武将達に憎まれていたかをここではっきりさせたかったのでしょうか。それと併せて家康が天下奪取の野望を抱いた契機としたかったのかな。正直言って、かなり無理のある展開ではないかと思います。もう少し丁寧に描いてきて欲しかったな。忠興がなぜ三成をあそこまで憎んでいたか判らないし、正則も清正と一緒に迷っていたはずなのに首を刎ねられずに残念だと言う気持ちが判りません。

でも、ドラマとして見れば、三成を止めに来た清正は男気があったし、それが判らない三成という男の一本気なところが面白かったです。

あと、ネタバレになってしまいそうですが、三成が事に及ぼうとする時、腹を下すというエピソードがそれとなく語られていました。それと干し柿も三成の最期の時に出てくるのかな。

次回は一気に関ヶ原前夜まで行く様ですね。直江状も出てくる様だし、どんな展開になるのか楽しみにしたいと思います。

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2016.08.20

京都・洛東 そば処 やぐ羅

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祇園の入り口、南座の向かいにあるそば処がやぐ羅です。明治33年創業との事ですから、京都ではともかく、一般的には老舗の部類に入るのでしょうね。食事の単価が高い祇園にあって比較的リーズナブルな価格設定であり、しかも美味しいとあって、結構良く食べに来る店の一つです。

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この日頂いたのは夏季限定の冷やし湯葉です。冷たいそばの上に湯葉、かんぴょう、海老、椎茸などを乗せたもので、良く出汁の効いたつゆが掛けられています。価格は1150円。ご飯は山椒ちりめんが掛けられたもので、200円のプラスで付ける事が出来ます。

寒い時期なら湯葉あんかけがお薦め。やはり1150円で、身体の芯から温まります。あと、ここの名物はにしんそばですね。そばをうどんに替える事も出来、他に丼物もあります。時々行列が出来ている時もありますが、たいていは入れるかな。祇園で美味しいそばを食べたいと思った時にはお薦めです。


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2016.08.19

京都・洛中 京の七夕2016 ~北野紙屋川会場 ライトアップ~

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京の七夕の北野紙屋川会場では、8月1日から14日の間、北野天満宮境内と御土居のライトアップが行われました。ライトアップ自体は毎月25日と秋の紅葉時期に行われていますが、七夕飾りが施された形としては今年が初めてとなります。

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楼門は昼間見るよりも時代が乗った感じに見えました。少し意外だったのは人出がそれほどではなかった事で、まだまだ認知度が低いという事なのかな。

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七夕飾り自体も、なかなか綺麗なものでした。良く有る大きな竹ではなく、高さを揃えた笹だったからなのでしょうね。

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せっかく夜に来たので、星無しの三光門らしい構図で写真を撮ってみました。でも、元画像を等倍まで拡大すると北極星らしき星が写っているのですが、ここまで縮小すると何も見えなくなってしまいました。まあ、肉眼でも見えなかったので、手持ち撮影では仕方が無いかな。

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北野天満宮に夜に来たのは初めてですが、七夕飾りが無くても風情があって良いものですね。天の川はおろか星はほとんど見えなかったけれど、代わりに月が点景となってくれました。

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御土居のライトアップでは、この鶯橋の笹飾りとライトアップが一番綺麗だったかな。他にも短冊の展示やもみじのライトアップがあったのですが、全体として単調で、見るべきものが少なかったのが残念でした。せっかく色違いのライトで変化を出そうとしていたのだから、もう一工夫欲しかったところです。

今回は初回とあってかまだ改善の余地が沢山あると感じましたが、他の会場に比べれば開放感があり、気持ちよく過ごす事が出来ました。来年はもっと人出が多くなるかも知れませんが、また足つけ神事を初めとする行事に訪れてみたいと思っています。

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2016.08.18

京都・洛中 京の七夕2016 ~御手洗川足つけ神事 北野天満宮~

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今年の京の七夕で増えた会場の一つ、北野紙屋川会場に行って来ました。会場は要するに北野天満宮の事(盆踊りだけは上七軒歌舞練場駐車場)で、全部で13のイベントが行われました。私が行ったのは御手洗川足つけ神事と石の間通り抜け、境内及び御土居のライトアップになります。

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御手洗川足つけ神事は境内西広場に新しく作られた御手洗川と池の中を歩き、身を清めて神前に灯明を灯すという趣向です。要するに、下鴨神社の御手洗祭とほぼ同じですね。違うのは水占いも一緒に行うというところで、写真の下側のおみくじを水に浮かべると文字が浮かんでくる仕掛けになっています。

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水の深さはこんな感じで、この先でもう少し深くなります。大人の脛の中程くらいかな。地下水らしく、とても冷たく気持ちが良かったですよ。この途中にあるロウソクの親火から火を貰って、水の中を歩く事になります。

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ここが池の部分で、一番左のところにおみくじを水に浮かべて結果を見る事になります。ただ、はっきりとした字が浮かんでこず、大吉、吉の区別くらいしか判らないのは残念でした。また、乾いてしまうと字が消えてしまうのも、どうにかならないものなのかしらん。

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本殿左側にあるのが灯明を灯すところです。それは良いのですが、正直言って、御手洗川からここまで距離がありすぎて、一つには消さずに歩くのが至難の業だったこと、もう一つは消さないようにゆっくり歩いているとロウソクが半ばまで燃えてしまい、お供えするのが大変でした。来年はもう少し考えて欲しいですね。

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石の間は、拝殿と本殿の二つの大屋根の間にあたります。俗界と神界を繋ぐ神聖な場で、本来なら神職しか入れない場所です。思っていたよりも狭い空間でしたが、荘厳な雰囲気に包まれており、厳粛な気分に浸る事が出来ました。今年はもう終わってしまいましたが、来年も公開されるとしたら必見ですよ。

明日は、ライトアップされた境内と御土居の様子をお届けします。

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2016.08.17

京都・洛東 精霊送り灯ろう供養会 ~真如堂~

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今年は行けなかったのですが、ここ何年か大文字の日には真如堂へとお邪魔していました。それは精霊送り灯ろう供養会があるからで、先祖の名前を書いた灯籠を大の字に並べ、本堂で供養を行うというものです。

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灯籠はまさに地上に描いた大文字で、2008年から始められたものですが、良いアイデアを考えついたものです。

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午後7時30分からは本堂で供養が行われます。これは檀家に限らず誰でも参加出来るもので、普段は近づけないご本尊様のすぐ前で拝む事が出来ます。厳粛な雰囲気に包まれた本堂の雰囲気は素晴らしく、今年行けなかったのは残念でした。

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来年は神楽岡以外に行こうかと思っているのですが、この灯籠供養を考えるとやはり真如堂も捨てがたいですね。一年後、またじっくり考えようと思っているところです。

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2016.08.16

大文字送り火

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今日8月16日は、大文字送り火が行われました。今年は残念ながら行く事が出来なかったので、過去に撮った写真からの構成となります。

五山の送り火は、お盆の間お迎えしていたご先祖様の霊を、あの世に送り返すという宗教行事ですが、その起源についてはよく判っていません。弘法大師が始めたとも、足利義政が始めたとも言われ、これだけ大規模な行事にしては珍しい事ですよね。

この大文字の文字は見事な筆捌きとして知られ、弘法大師の字とも、近衛信尹の字とも言われます。地元では弘法大師説が信じられている様で、点火の際には浄土院にある小さな大師像が山上に持ち上げられるそうです。

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妙法は二山で一つと数えられ、その文字からも判る様にこの地域で日蓮宗が盛んである事によります。その字の並びからまず最初に妙の字が出来、その後法の字が加えられたと考えられています。法の字は比較的あちこちから見る事が出来るのですが、妙の字は市内から見えるところは限られており、北山通のノートルダム女学院の近くや宝ヶ池自動車教習所などがポイントとなります。

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左大文字は、法恩寺からたいまつ行列が出発するのが特徴です。裏方である保存会にもスポットライトを当てようと始められたそうで、出発時刻には大勢の人がその勇姿を見に来ます。そして金閣寺の裏山へと登って行くのですが、そのたいまつの明かりが山肌を登って行く様は、なかなか風情がありますよ。

山上に運ばれたたいまつの火は一度一カ所に集められ、時間が来るのを待ちます。そして、再びたいまつに火が移されて各火床へと運ばれていきます。その様子を動画にてご覧下さい。

このたいまつが蠢く様があたかも大の字を描いている様に見えて、左大文字は筆順どおりに点火されるという俗説を生んだようです。実際に見ていると、一斉に点火されるのが良く判ります。

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左大文字は標高が低く、文字としては大文字よりも小さいですが、すぐ近くに見えるので迫力はありますよ。見える場所も多く、お薦めの五山の一つです。

今年はテレビで五山の中継を見ましたが、現場は雨で大変だった様ですね。でも、保存会の方達の努力によって無事に点火されたのは何よりでした。さて、来年はどこに行こうかな。

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2016.08.15

真田丸 第32回「応酬」

伏見 真田屋敷。昌相は有馬に送ったと信幸。何故家康を狙ったのかと信繁。信玄公の領地を取り戻すには一度乱世に戻すしか無い、しかし、その夢も露と消えたと昌幸。そこへ信繁に伏見城へ急げと入って来たきり。

徳川屋敷。どこの誰か判ったかと家康。手がかりは無い、どうせ命を狙われるのならいっそ天下を狙ってはと正信。くどいと家康。

伏見城。呆然と一人立つ淀の方。お察ししますと信繁。そう長いことはないと思っていた、側に居たところで蘇るわけではないと淀の方。

秀吉の遺体の側に付きそう寧、正則、三成、且元、信繁達。

且元と信繁に声を掛け隣室に行く三成。秀吉が死んだ事は五人の衆と奉行だけとし、他は内々とする、後遺骸は暫く塩漬けにし、一番奥の目立たぬ部屋にと三成。私の聞こえぬところでやってくれと寧。

瓶に入れて塩漬けにされ、奥の部屋に運ばれた秀吉。

治部少輔丸。今後どうしたいと三成。石田様の下で働きたいと信繁。私が間違った事をした時は遠慮無く言ってくれと三成。

徳川屋敷。秀吉の死を知り、そっと手を合わせる家康。秀忠を呼び、すぐ江戸に立てと命ずる家康。

大谷屋敷。心配なのは家康と三成。すぐにおかしな動きをするとは思えないと信繁。甘いと三成。利家を除く他の三人の衆には家康と張り合うだけの力はないと吉継。

病に伏せる利家。

利家はそう長くない、今のうちに打てる手を打って置かねばと三成。

伏見城。評定を仕切る家康。議事を進める三成。一々十人の同意を取る煩わしさ。

誰か一人に力が偏らない為にはこの方法しかないと三成。

真田屋敷。信繁に仕えるために来た三十郎。

三十郎を歓迎する宴。皆が秀吉の死を知っている事に驚き、兵の引き上げを急ぐように三成に進言すると信繁。

明日、徳川屋敷に呼ばれている、その時にこうの話をしてみるつもりだと信幸。なにゆえ徳川屋敷にと信繁。気になるかと信幸。近頃頻繁に正信が伏見在勤の大名達を呼んで宴を開いていると聞いたと信繁。気になると言えば、秀忠が江戸に帰ったと信幸。この時期に何故と信繁。信長の二の舞を避けたのだと昌幸。どういうことでしょうと信繁。織田が滅んだのは、信長が死んだ時に嫡男信忠が討たれたからだ、家康はこで息子共々討ち死にしては徳川が滅びると考えた、だから秀忠を江戸に帰したのだと昌幸。

寧の部屋。家康が万事取り仕切って豊臣家を守る、しかし、三成がいちい口を出すのでなかなか決まらない、葬儀の日取りが決まらないのもそのせいらしいと阿茶局。

家康が寧と話しをされているらしいと信繁。勝手な事をと三成。

寧の部屋。葬儀の日取りはまだ決まらないのかと寧。三成にももたもたするなと叱りつけておくと家康。

それは違う、葬儀は朝鮮から兵達が皆戻ってからと決まっていると三成。何を信じて良いものやらと寧。

淀の方の部屋。私は別に葬儀などどうでも良いと淀の方。信繁に頼み、秀吉の遺骸のある部屋を訪れた淀の方。

家康の屋敷。大名達を集めた華やかな宴。

その噂を聞き、我らもやろうとも三成。

数人しか居ない寂しい宴。そこに現れた忠興。あいさつもせず部屋に戻る三成。

細川屋敷。行って損をした、寂しい会合だったと忠興。

ガラシャにキリシタンになりたいと打ち明けるきり。吉蔵達の様な目に遭うかもしれない、その覚悟はあるのかとガラシャ。そこまでの覚悟はないときり。誠に入門したいのなら、もっと学んでからにした方が良いかもしれないとガラシャ。

真田屋敷。家康と三成、三成の方が分が悪そうだと信幸。そもそも格が違うと信繁。家康を三成が補佐して行くというのでは駄目なのかと信幸。誰もがそう望んでいるのだが、三成がと信繁。これ以上亀裂が大きくならねば良いのだがと信幸。

名護屋城。朝鮮から帰国した清正。出迎えた三成。亡くなられたのかと清正。8月18日、皆が大坂に戻ったところで大掛かりな葬儀を行うつもりだと三成。それが良いと清正。既に徳川が動き出している、我らで秀頼様をお支えし、豊臣家を守っていこうではないかと三成。同じ事をおうむ返しに繰り返す清正。

陰鬱な宴。仕事があるからと中座しかける三成。それを引き留め、もっと話そうではないかと清正。十分に話したと三成。わしらが海の向こうで戦っている時、お主達は何をしていたと清正。後ろで算段するのも戦のうちと三成。お前には、情というものが無いのかと清正。

伏見城。勝手に大名たちとの縁組みを進めていた家康。真意を確かめてくると信繁。

徳川屋敷。こうの事を知り、かえって信幸の情が深いからだと褒める忠勝。

家康に伊達政宗との縁組みについて問いただす信繁。遺言とはそれを書いた者が死んでから効力を発するもの、太閤殿下はまだ死んではいない、何か差し障りがあるのかと家康。言葉を失う信繁。

1月5日。利家と共に大坂城に入った秀頼。

大谷屋敷。清正が家康の娘を嫁にもらうと三成。驚く信繁。これ以上の勝手は許しておけない、評定の場に呼び出して問いただすと三成。その後はどうすると吉継。老衆から外すつもりと三成。今、家康を外して政が成り立つと思うかと吉継。私も同じ意見と信繁。時を待つのだ、秀頼が成人すればつけいる隙は無くなると吉継。それでは遅すぎると三成。決して家康対三成の形にするな、家康対老衆の形に持ち込むのだと吉継。

明日の評定では、三成の代わりに景勝に踏ん張ってもらおう、屋敷に行ってくれと吉継。心得ましたと信繁。

上杉屋敷。我らは太閤殿下の前で誓いを立てた、それを裏切る者は許さないと景勝。

評定の場。家康には政を任せられないと勇ましい言葉が飛び交う中、後は我らに任せよと三成を制する景勝。

掟に反する縁組みの事を問いただされ、忘れていたととぼける家康。我らを愚弄するのかと秀家。年を取ると、昔の事は子細に覚えているのに、最近のことはとんと覚えていないと家康。もう結構と秀家。今は一丸となって豊臣家をもり立てるべき時、なのにこの体たらくは何事と家康。忘れたで済む話では無いと小声でつぶやく景勝。何か申されたかと家康。忘れたで済む様な話では無い、様な気がすると再びつぶやく景勝。お声が小さいと家康。何でもござらんと景勝。他にご異存のある方はと家康。つっと立ち上がり、物忘れで有ろうが、掟に背いた事は間違いない事、この責めは如何に負われるつもりか、返答次第では九人の衆の合議でもって老衆から退いて頂くと三成。自分は太閤殿下に直に老衆を命じられた、それを勝手に免ずる事はまさに御遺命に背く事になるのではないかと家康。言葉に詰まる三成。そなたこそ、この家康を閉め出して政を独り占めにしたいのか、それこそあさましい魂胆と家康。聞き捨てならぬと三成。自分が退いても残る老衆が目を光らせている、控えよ治部少輔と家康。

秀吉の瓶の前で考えに耽る三成。

治部少輔丸。信繁に、腹は決まった、徳川屋敷に夜討ちを掛け、家康の首を取ると三成。


今回は秀吉死後に起こった家康と三成の軋轢が描かれました。総じて家康が優勢で三成が受け身として描かれましたが、実際にもこんな感じで、信繁が言っていたように両者の格の違いがそのまま現れた様です。

秀吉の葬儀については、8月18日に亡くなって以後、9月半ばまで伏見城の中に秘匿された後、密かに木食上人によって阿弥陀ヶ峰の墓所に運ばれたと言われます。塩漬けにされたのかどうかは判りませんが、明治になって墓所を改葬した時に瓶に入った遺骨が出てきたと言われ、瓶に入れて葬られたのは確かな様ですね。まあ、腐敗防止のために塩漬けにしたというのも、ありそうな話ではあります。正式な葬儀は行われておらず、朝鮮からの撤兵や、家康の暗躍によるごたごたのために行われなかったとも、死後に神号が与えられ神となったために葬儀は無かったとも言われます。

宴合戦は創作でしょうけど、家康と三成の人気の違いを端的に表すには良い演出でした。なぜ忠興を三成側の宴席に出席させたのか良く判らないのですが、ガラシャの出番に引き継ぐためだったのかな。実際には宴を開いていたのではなく、家康が精力的に各大名の屋敷を訪問していたと言われます。

家康が有力な大名と次々と縁組みをし、それを咎めた奉行衆に遺命を忘れていたととぼけたというのは良く知られた話ですが、このドラマの家康はそれ以上にしたたかで、迫力に満ちたものでした。それに比べて景勝の姿は情けないばかりで、今後ちゃんと直江状を出す事になるのかしらん。

清正と三成の関係では、三成の讒言により清正が秀吉の勘気を被り蟄居させられ、それを清正は恨みに思っていたとするのが一般的かと思いますが、このドラマの三成はあくまで正義の人で、讒言など一切しないという設定になっています。その代わり、人の気持ちが判り難く、清正との和解のチャンスを自ら袖にしながら、家康と清正が接近したと怒るという矛盾に気付かない人物として描かれています。今後、清正を初めとする武断派と呼ばれる武将達との軋轢は、どういう形で描かれるのでしょうね。

次回は三成による夜討ちが描かれる様ですが、実際には家臣の島左近が提案したものの、それを三成が退けたというのが一般的に知られる経緯のはずです。それをどう描くのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2016.08.14

京都・洛東 夏の灯ともし頃2016 ~祇園白川~

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京の七夕に行く前に、祇園白川を散策して来ました。夏の灯ともし頃の祇園白川は京の風情に溢れていました。

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その風情を求めてか、とにかく外国人観光客が多いのが目に付きました。もしかしたら、外国人向けガイドブックにでも載っているのかしらん。

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巽橋は欄干に座る人が多くて、まともな写真を撮る事が出来ませんでした。どうも、この橋の欄干は丁度良い高さで、座りたくなるものの様ですね。

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被写体を求めてウロウロしていると、新選組の格好をした人が通り掛かりました。何かイベントでもあったのかしらん。良く外国人に囲まれなかったものですね。

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そこかしこの店の前には、年末の顔見世興行のポスターが貼り出されていました。南座が耐震補強の関係で暫く休館すると聞いていたのでどうなるかと思っていたのですが、今年は先斗町の歌舞練場で行われるのですね。そうすると、招き上げはどうするのかな。真夏に気になった年末の話題です。

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2016.08.13

京都・洛中 京の七夕2016 ~二条城会場~

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今年の京の七夕で増えた会場の一つに二条城会場があります。二条城自体は以前から堀川会場の一部として夜間拝観が行われていたのですが、今年からは独立した会場として扱われる様になりました。その代わりというのか、無料公開だったのが拝観料(500円)が必要になっています。

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以前は二の丸御殿の玄関までしか入れなかったのですが、今年は二の丸部分を一周できる様になりました。二の丸御殿は何度も見ていますが、障子に明かりが灯った景色は初めて見るもので、なかなか風情がありますよ。

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これは7日だったのかな、イベントの一つとして描かれた土方歳三の絵です。凄い迫力で、鬼の副長そのものですね。

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メインとなるのが二の丸庭園のライトアップで、昼間とはまるで違う庭に見える様に演出がされていました。本来の庭の姿はやはり明るい内に見るべきでしょうけど、それを踏まえて見る分には、こうした仕掛けも有りかと思われます。

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本丸の堀では水面に向けてライトが照らされており、それが石垣に反射して不思議な模様を描いていました。小さくても、やはりここは城なんだなと思わせる景色でしたね。

二条城会場は15日までとなっています。近くの堀川会場は終わっていますが、二条城単独でも十分に見応えが有り、お薦めですよ。

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2016.08.12

京都・洛中 京の七夕2016 ~鴨川会場~

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夏の風物詩となりつつある京の七夕ですが、今年は大幅にリニューアルされています。会場が6つに増えた事もありますが、以前からある鴨川会場も四条大橋の南、団栗橋まで会場が伸びています。

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人出もすごく増えていますね。最初の頃はがらんとした印象の強い鴨川会場だったのですが、今は認知度が上がったのか結構な賑わいを見せています。祇園祭後の観光客の落ち込みをどうにかしようと始まったこのイベントですが、その狙いは十分に当たっている様に見えますね。

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今年は風鈴灯の他に、こうした小さな明かりも灯されていました。もう少し暗くなれば、もっと綺麗だった事でしょうね。

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川沿いに植えられた笹飾りには、絵はがき短冊に願い事を書いて結びつけるという趣向になっています。明かりは全てLEDで、エコにも配慮した演出になっています。

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三条大橋の下流では、プロジェクトアートが行われていました。確かデジタル掛け軸と書いてあったかな。何年か前にあった動画ではなく、模様や絵が時間と共に対岸に投映されていくというもので、100m近い長さがあったんじゃないかしらん。なかなか見応えのあるものでしたよ。

鴨川会場は今日まででしたが、とにかく便利な位置にある事が良いですね。歩いていても川風が涼しく、散策が楽しめるのも利点です。床から楽しむというのも、贅沢で良いかしらん。今年行けなかった人は、また来年訪れてみて下さい。

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2016.08.11

京都・洛東 第41回京の夏の旅 ~ノートルダム女学院中学高等学校 和中庵~

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今年の京の夏の旅、最初は和中庵に行って来ました。和中庵は修道院の跡で、ノートルダム女学院中学高等学校に隣接して建っています。

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和中庵は、元を質せば藤井彦四郎という人が建てた別荘でした。彦四郎は倉敷紡績の創業者で、鹿ヶ谷の地に一万数千坪の敷地を買い求め、3年余の月日を掛けて和中庵や子息達の住宅を完成させたのでした。

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和中庵には庭園もあり、いくつかの茶室も備えられていました。中でも樹齢200年を越えるというエドヒガン桜があり、毎年春には見事な花を咲かせていたそうです。この別荘には皇族も来訪されたとのことで、その絢爛さは今も垣間見る事が出来ます。

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和中庵は、戦後大きく性格を変える事になります。アメリカからやって来たノートルダム教育修道会の4人の修道女が、京都で責務を果たすべき物件を物色していた時、和中庵と出会いました。和中庵を所有していた藤井家では、こんなに大きな家にはもう住まないと言い、自由に使って欲しいと修道女たちに提供したのでした。

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修道女たちは別荘を修道院にすべく改造を加え、畳敷きを板張りにし、洋間を礼拝所に、シャンデリアを蛍光灯にするなどしました。ただこうした装飾には別荘当時の名残がありますね。多いときには60人の修道女がここで暮らしていたと言います。

最初に来た4人の修道女たちが建学したのが、現在のノートルダム女学院です。ノートルダムとは私たちの貴婦人という意味で、聖母マリアを指すと言われます。

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やがて修道女たちの高齢化が進み、また建物の老朽化によって修道院としての役割を終了し、2008年に女学院に引き渡されます。最初は取り壊される予定だったのですが、一部でも残そうという機運が高まり、母屋こそ取り壊されたものの、洋館、奥座敷、蔵などは耐震補強を施した上で保存される事となったのです。

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ここが奥座敷です。修道院当時は板敷きになっており、鴨居に留め金を付けてカーテンを吊し、個室に分割して使っていたそうです。洋館建ての別荘としての顔と、質素な暮らしを旨とする修道院と、二つの顔を持つ不思議な空間が和中庵ですね。

注意すべきは公開期間が他より短く、8月23日までとなっている事です。訪れようと考えている方は、ご注意願います。

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2016.08.10

京都・洛北 宮本武蔵縁の神社 ~八大神社~

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詩仙堂の隣に八大神社があります。この地の産土神であり、素盞嗚命、稲田姫命、八王子命を御祭神として1294年に創建されました。

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本殿は大正15年に造営されたもので、拝殿は唐破風が付いた立派なものですね。

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この神社を有名にしているのは宮本武蔵との関わりがあるからです。武蔵が一乗寺下り松の戦いに臨むとき、ふと戦勝を祈願したくなったというのがこの神社とされており、その思いを振り切り、我れ神仏を尊んで神仏を恃まずという悟りを開いた場所とされています。

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このブロンズ像はその武蔵の決闘から400年を記念して2003年に建てられたもので、武蔵21歳の時の姿を表しているそうです。

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もっとも、武蔵が戦いに際して神に祈ろうとしたというのは、吉川英治の小説における創作であり、史実ではありません。言ってしまえば、この神社と武蔵の間には何の関係も無いという事になるのですが、最近はやりのアニメやドラマの聖地巡りの走りと考えれば良いのかな。小説の下りに共感した人がこの神社を訪れて武蔵に思いを馳せるというのも、大いに有りという気がします。

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2016.08.09

京都・洛北 蝉時雨2016 ~詩仙堂 8.7~

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圓光寺から詩仙堂へとやって来ました。初夏や秋には座る場所も無いほど混雑する詩仙堂ですが、この時期は訪れる人も少なく、座敷もがらんとしています。その詩仙堂もまた蝉時雨に包まれていました。次にその様子をお聞き下さい。

最後の方でぼこんという音が聞こえるのが添水ですね。鹿おどしとも言い、鹿を脅して獣害を防ぐためのものだったそうですが、ここではその音を楽しむための装置になっています。

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あまりの暑さに庭に出たものかどうしようと思ったのですが、せっかくだからと歩いてみる事にしました。特に見るべきものは無いんじゃないかと思っていたのですが、そうでもなかったです。

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まず見つけたのは、ススキの穂でした。もうこんな時期から出ているのですね。特に手前の穂は既に咲いている様で、早すぎるんじゃないかしらん。

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こちらはコムラサキの花です。ほとんど咲き終わっており、小さな実が沢山出来ていました。これから少しずつ大きくなり、紫色に染まっていくのでしょうね。

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こんな真夏でも、既に秋の足音は確実に聞こえているのでした。少し気になったのがもみじの様子で、一部で既に色づいていました。つまりは弱っているという事で、この秋は大丈夫かしらん。綺麗に色づいてくれる事を願うばかりです。

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2016.08.08

京都・洛北 蝉時雨2016 ~圓光寺 8.7~

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真夏の圓光寺を訪れてきました。ここに来るのは春や初夏、それに晩秋が多いのですが、夏の蝉時雨に包まれた庭を見るのも悪くないかと思ったのです。

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しかし、その考えは甘かったですね。この日は38度に達するかという暑さで、午前中からクラッと来る様な日差しが照りつけていたのでした。取材は止めて、回れ右で帰ろうかと思ったものなあ。

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そんな中でも緑というのは有り難いもので、涼しげな色を見せてくれます。あくまで、気がするだけなのですけどね。日陰に入っても暑さはそんなに変わらないのでした。

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でも、水琴窟の神秘的な音は、本当に涼しくなった様な気がしました。次にその水琴窟の音をお聞き下さい。

ちょっと蝉時雨の音が大きすぎて聞き取り難いのですが、かすかに水琴窟の音が聞こえるかと思います。実際にはもっとはっきり聞こえますよ。

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放生池には蓮が咲いていました。ここに蓮を見に来た事は無いので、初めてになりますね。一輪だけでしたが、とても美しい花でした。

次は詩仙堂へと向かいます。

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2016.08.07

真田丸 第31回「終焉」

伏見城。秀吉を看護する信繁。

大谷屋敷。吉継に五人の老衆、六人の奉行の制を説明する信繁。自分は外して欲しいと吉継。

秀吉の遺言について、老衆だけでは何も出来ないように楔を打っておいたと三成。

伏見城。五人の老衆を五人の奉行衆が補佐をして、十人の合議制で事を進めるのが殿下の御意志と三成。承知したと家康。花押を書く五人の老衆。

徳川屋敷。いよいよですね、天下を取って下さいと阿茶局。天下かと家康。これはいけない、いちいち奉行衆に事を通していては、殿の思い通りに出来ないと正信。そこに現れた三成。

自分は朝鮮からの撤退の為に九州に行く、その間に伏見で何かあっては困る、くれぐれも内府様の独断では動かれぬ様にと三成。ならば代わりに九州に行こうかと家康。向こうで謀反の動きがあっては大変な事になると三成。好きにするが良い、遺言は守ろうと家康。よしなにと去る三成。

いっそ遺言を反故にしてしまおうかと正信。

孫の相手をする昌幸。

秀吉の下を訪れた家康。見舞いの品として持参したのは信長から拝領した鎧。我ら五人の老衆に後を託すと一筆書いて頂きたいと家康。秀頼の事を頼むと秀吉。その事を認めて欲しいと正信。そして、秀吉の手に筆を握らせ、秀頼の事衆として頼み参らせ候と書かせます。

なぜ家康を会わせたと且元を責める三成。てっきり三成も承知の上かと思ったと且元。こんなものが残っては、我ら奉行の出番が無くなると三成。

秀吉を起こし、遺言に加筆をさせる三成。眠いと三成。眠くないと怒鳴る三成。そこに入って来て止める寧。

秀頼には会えたのかと寧。淀の方の意向で会ってないと信繁。秀頼は賢い子、大丈夫だと思うがと寧。

淀の方の部屋。そんな事は承知の上、会えば殿下の大きさも判ると同時に嫌な事、冷たさ、醜さも知ってしまうと淀の方。

真田屋敷。秀吉が死に、家康が死んでしまえば世が変わる、お主の望みは信玄公の遺領を回復する事であったなと昌相。何が言いたいと昌幸。いつでも用意は出来ていると昌相。

百助と戯れる忠勝。仙千代を黙らせようとするこう。百助を仙千代と言い間違える薫。あわてて訂正する信幸と稲。

いつになったら仙千代が居る事をうちあけてもらえるのかと稲。

伏見城を訪れたきり。秀頼はまだ来ていないのかときり。もう来ないのではと信繁。殿下の様子はときり。恐ろしい人ではあったが、こうなってみると哀れでならないと信繁。散々酷い事をして来た報いだ、惑わされてはいけないときり。

殿下が亡くなったらどうするのかときり。想像がつかない、先が読めないのは私だけではないだろうがと信繁。そこに現れた家康。

じっと秀吉の顔を見る家康。ロウソクを取り替える信繁。その火が消えるとき、秀吉も死ぬと思っているのでした。

戦は大嫌いだ、必ず勝てる戦などない、伊賀越えは一度で沢山、戦場で逃げ惑うのはもう御免だ、殿下が亡くなられて元も子もなくなっては困ると家康。私も同じと信繁。そこに現れた秀秋。

秀秋の呼びかけで目を覚ました秀吉。秀頼の事を頼むと秀吉。お任せあれと家康。できる限りと秀秋。再び眠りに付いた秀吉。

ロウソクの火を吹き消した秀秋。驚く信繁と家康。叫ぶ秀吉。

混濁状態となった秀吉。

秀吉に会いたくないのは淀の方自身、死に行く人は見たくないのだと大蔵卿局。そこに現れた淀の方。今夜なのですね、会いに行きますと淀の方。

水垢離をする三成。

秀吉に会いに来た淀の方。怯える淀の方。私が参りますと秀吉の側に行く秀頼。意を決して秀吉に声を掛ける淀の方。秀頼の事を頼むと秀吉。大蔵卿局に抱きつき、涙ぐむ淀の方。立派な子に育ててくれた、あの子なら大丈夫と寧。

うなされる秀吉。駆けつける三成、信繁たち。三成だけを残し、家康を殺せと命じる秀吉。

真田屋敷。本当にそんな事を殿下が言われたのか、なぜそんな事を私にと昌幸。忍城攻め以来、私の師匠だからだと三成。この話、聞かなかった事にすると昌幸。ただし、明日の朝、家康が死んでいても真田には何の関わりもない事と昌幸。

昌相に、家康に死んで貰うと昌幸。心得たと昌相。

信繁に、三成を支えてやってくれ、寂しい男なのだと秀吉。

徳川屋敷。天井裏に潜む昌相。訪れているのは信幸。忠勝に仙千代の事を話して欲しいと頼みに来ているのでした。天井裏で、筒の栓を抜く昌相。その時、ポンと音がします。その音に気付いた信幸。

秀忠に送られて部屋を出た信幸。しかし、気になる事があると言って引き返します。

家康の部屋にやって来た忠勝。そこに戻ってきた信幸。さきほど妙な音がした、忍びの者が使う道具の音に似ていると信幸。天井を槍で突く忠勝。逃げる昌相。

忠勝と五分に渡り合う昌相。

煙玉で逃げようとした昌相。その先に居たのは信幸でした。驚く二人。背後から斬られた昌相。さらに暴れ、再度の煙玉で逃げた昌相。

真田屋敷。瀕死の昌相。昌幸の腕の中でがくっとなる昌相。

伏見城。風で吹き消されたロウソク。ベルを鳴らそうとしてベッドから転げ落ちた秀吉。そのまま息を引き取る秀吉。享年62歳。


今回は秀吉の死とそれを巡る駆け引きが描かれました。無論、家康と三成が遺言の書き換え合戦をしたというのは創作ですが、死の床にある老人相手に無茶をするのは、今の世でも有りそうで怖いです。実際には内容が少しずつ違う遺言がいくつかあった様で、ドラマではそれを上手く取り入れたという事の様です。

家康の暗殺については、もっと後にそれらしい動きがあったとされ、関ヶ原前夜に三成の家臣である島左近が実行しかけたと言われます。そう言えば、重要人物であるはずの島左近は出てこないな。また、家康の言いがかりとも言われますが、前田利長が企てたという騒ぎがありました。ドラマの様に秀吉あるいは三成が直接企てたという事実は無いと思われます。

昌相が暗殺を実行したという史実はなく、実際には信幸に仕えて長命しています。もしかしたら、まだ死んでいないという設定になるのかしらん。

ドラマとしては、ロウソクの火が上手く使われていました。良く有る手法ではありますが、秀吉の死に至る小道具として実に効果的でしたね。

また、信幸と忠勝の関係も巧みに使われており、昌相が暗殺に失敗するきっかけになるとは思ってもみなかったです。また、ずっと以前にあった火遁の術の稽古が伏線だったとは三谷脚本らしい仕掛けでした。

ところで、信繁は三成からこれからもよろしく頼むと言われたとき、はっきりとした意思表示はしなかったですが、前回に信幸に秀吉の容態を伝えた事と関係しているのでしょうか。今後、豊臣家とどういう距離関係を取って行くのか興味深いところです。


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2016.08.06

京都・洛東 蝉時雨2016 ~真如堂~

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真夏を迎えた真如堂を訪れて来ました。6月まではフェイスブックでほぼ毎日の様子が判ったのですが、担当者が代わったとたんに更新が止まってしまい、情報が入ってこなくなったのは寂しいです。

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それはともかく、梅雨の明けた真如堂の境内は、クマゼミの蝉時雨で埋まっていました。これも真夏の風情なのでしょうけど、正直言ってうるさいです。

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その蝉時雨の境内を歩いていると、縦皮桜の後継木が植えられているのに気がつきました。境内の東北隅、薬師堂の前なのですが、これっていつから植えられていたのかしらん。

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真如堂を離れて西雲院へと向かいました。狙いは無論蓮だったのですが、残念ながら一輪も咲いていませんでした。代わりに見つけたのがこの花なのですが、何なのでしょうね、アメリカフヨウかしらん。大輪の花で、どう見てもフヨウなのですが、葉の形が違うし、正直言って自信がありません。

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再び真如堂に戻って、何か花は咲いていないかと探してみました。すると、覚円院で蓮が咲いているのを見つけました。花の少なくなっているこの時期の真如堂にあっては、貴重な彩りですね。

真如堂のクマゼミもそろそろピークを迎える頃かな。あと十日もすれば大文字を迎え、蝉の主役もツクツクボウシに代わる事でしょう。暑さが盛りをすぎるまで、あと少しですよ。

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2016.08.05

京都・洛中 千本釈迦堂

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何度となく訪れている千本釈迦堂ですが、まともに拝観した事は無かったです。しかし、一度は素晴らしい寺宝の数々をみておきたいと、入ってみる事にしました。

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千本釈迦堂は通称で、正式には瑞応山大報恩寺と言います。釈迦堂の名は、本尊の釈迦如来に由来します。創建は安貞元年(1227年)の事で、義空上人によって開創されました。本堂は京都中が破壊された応仁の乱でも奇跡的にそのまま残り、その後も何度と無く京都を襲った大火や地震にも耐え、京都市中最古の建物として国宝に指定され、現在に至っています。

この写真は本堂の柱に残る応仁の乱当時の槍や刀の傷跡で、この御堂においても激しい戦闘が行われた事が窺えます。本当によく無事に残ったものですね。

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千本釈迦堂と言えば、おかめ伝説がよく知られます。大事な柱の寸法を間違えてしまった大工の棟梁の妻であったおかめが、いっそ枡組を施せばと助言し、事なきを得ました。しかし、おかめは、棟梁が妻に助けられたとあっては面目が立たないと思い、上棟式の前に自害してしまったとの事です。以来、この寺ではおかめを大切にし、境内におかめ像を建ててその徳を称えています。

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この柱の上にあるのが枡組ですね。これって結構あると思うのだけどなあ、最初の設計と違ったのがまずかったという事なのかしらん。

さて、写真撮影は禁止だったので画像はありませんが、宝物館へと入ります。まず目に飛び込んでくるのが鼉太鼓縁一対ですね。応永八年(1401年)作という古いもので、龍と鳳凰の装飾が施されています。その横に見落としがちなのが足利義満の牛車の車輪で、特に文化財には指定されていない様ですが、当時を知る事の出来る貴重な遺物です。

圧巻なのが六観音像と釈迦十大弟子像で、共に全てがオリジナルで残っているのはここだけの様ですね。残念ながら如意輪観音だけはイタリアに貸し出しているとの事で見る事が出来なかったのですが、どの像も丁寧な仕事ぶりで、指先に至るまで神経が行き届いているのが判りました。また、十大弟子も一体一体の表情や仕草が異なり、どの像も個性的に仕上げられているのが印象的でした。

何度も訪れていた事で、知っているつもりになっていた千本釈迦堂でしたが、これだけの宝物を持っている事に改めて驚かされました。京都の社寺の奥深さは、やはり侮る事は出来ないと改めて知った次第です。

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2016.08.04

京都・洛中 蓮2016 ~相国寺 7.30~

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相国寺の蓮が見頃を迎えています。ここでは7月の初め頃から咲いており、そろそろ終盤かと思っていたのですが、まだまだ花盛りでした。

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蓮の花は4日で散ると言われますが、この花などは2日目くらいなのかしらん。こういう花は午後には閉じてしまうので、蓮を見に行くには午前中が良いと言われます。

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蓮も3日目に入ると、午後になっても閉じきらず、半ば咲いた状態で夜を迎えます。昼から見に行って咲いている花は、3日目の花という事になりますね。ただし、一番綺麗なのは2日目だと言われます。

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相国寺の蓮は、茶碗蓮と言われる小さな蓮が主になります。中には大きな蓮もありますけどね、少し離れて見るには小さすぎるのが難点かな。

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ところで、蓮にも香りがあるそうですね。私はまだ知らないのですが、咲きたての花には優しい香りが漂うそうです。近くに寄れる立本寺あたりで試してみようかな。上手く2日目の花が咲いていてくれると良いのですけどね。

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2016.08.03

京都・洛北 御手洗祭2016 ~下鴨神社~

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今年も下鴨神社の御手洗祭が行われました。これは御手洗池に足を浸して灯明を献じ、無病息災を願うという神事です。

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毎年夏の土用の前後に行われるのですが、今年は7月23日から31日までの日程でした。今年は既に終わってしまいましたが、年々人気が高まっている行事です。

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参拝者は初穂料として300円を支払い、一本のロウソクを貰います。そのロウソクに御手洗池の畔に何カ所か設置された親火から火を貰い、井上社の前に設置された灯明台に立てます。私は朝にしか行った事が無いのですが、夜はさぞかし綺麗な事でしょうね。

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御手洗池の水は、以前は自然に湧出したものだったそうですが、今は井戸水を汲み上げたものになっています。それは冷たく、文字通り身を切られる様ですね。その井戸水と同じ水が御神水として頒布されており、誰でも飲むことが出来ます。

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これは健脚祈願で、足形のお札に名前を書いて井上社の前の水槽に浸せば、足腰が丈夫になると言われています。足腰のためのお守りも売ってますよ。

早朝から結構な人出でしたが、夜になると楼門の外にまで行列が伸びる事になります。夜の雰囲気を取るか、朝の快適さを取るか難しいところですが、夜店を楽しみたい人は夜ですね。来年はさて、どうしようかな。


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2016.08.02

京都・洛中 大福梅の土用干し ~北野天満宮~

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北野天満宮を訪れたのは、この大福梅の土用干しを見るためでした。境内で採れた梅を塩漬けにし、夏の土用の頃にカラカラになるまで干し上げるのですね。

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なにしろ梅の数が多いですから、採れる梅の実も半端ではなく、2.5トン~3トンにもなるそうです。干した梅は再び塩漬けにし、11月下旬まで貯蔵されます。

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出来た梅干しは元旦の縁起物の大福梅として、12月13日の事初めから授与されます。普通の梅干しとは違って水気は無く、白湯に入れて頂きます。

この土用干しは馥郁とした梅の香りがするので、結構好きなのですよ。なので、なるべく訪れる様にしているのですが、今年も良い香りを楽しませて頂きました。

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2016.08.01

京都・洛中 京の七夕2016 ~北野天満宮~

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8月の京都の風物詩となりつつある京の七夕ですが、今年は大幅にリニューアルされました。会場がこれまでの2カ所から6カ所に増え、会期がそれぞれの会場で異なるほか、協賛事業も増えています。

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その増えた会場の一つが北野天満宮です。会場名としては北野紙屋川会場となります。会期は今日から14日までで、夜間拝観や御土居のライトアップなど数多くのイベントが行われます。

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その一つが御手洗川足つけ燈明神事で、たぶんこの写真の左側に作られた池で行われるんじゃないかしらん。もう少しそれらしく撮っておけば良かった。でも、見に行った7月30日現在でまだ作業中だったのだけど、間に合ったのかな。

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あと、楽しみなのが本殿石の間の通り抜けです。何度も訪れている北野天満宮ですが、まだ本殿には入った事が無いのですよね。そのほか、京炎そでふれ!やよさこいもあります。学生達の元気な踊りを見るのも一興かな。

北野天満宮やその他の会場の詳細はホームページでご確認下さい。何しろ盛りだくさんで、一通り見るだけでも時間が掛かりますよ。私的には、何時どこに行こうかと考慮中です。

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