« 祇園祭2016 後祭・山鉾巡行 ~橋弁慶山・浄妙山・役行者山・黒主山・鈴鹿山・八幡山・鯉山~ | トップページ | 京都・洛中 京の七夕2016 ~北野天満宮~ »

2016.07.31

真田丸 第30回「黄昏」

伏見城。地震の後、誰よりも早く駆けつけた清正。

木幡山に避難した秀吉。

戦うための城は取りやめた、堀の普請に回って欲しいと昌幸に伝える三成。

生きがいを失った昌幸。

大坂城に戻った秀吉。

土佐で起こったサン・フェリペ号事件。

積み荷はおよそ70万石、それは自分の物と思って良いのだなと秀吉。4年前に船の積み荷を勝手に奪ってはならないと触れを出されたと信繁。罪があれば良いのか、ならばバテレン追放令を使おうと秀吉。さっそく国外退去を命じますと三成。手ぬるい、耳を削ぎ、鼻も削げ、引き回しの上磔だと秀吉。

細川屋敷。捕らえられた仲間達のために祈るガラシャたち。自分はなぜ捕まらなかったのか、皆の世話をしに行くと吉蔵。制止するガラシャ。お世話になりましたと出て行く吉蔵。

長崎で磔にされた26人のキリシタン。

大谷屋敷。大勢のキリシタンたちが捕まったと信繁。積み荷欲しさに罪も無き人たちを罰するとはと吉継。殿下は以前の殿下では無いと信繁。殿下は長く生きすぎたのかもしれないと吉継。

徳川屋敷。殿下の振る舞いは常軌を逸している、思っている以上に耄碌されたのかもしれないと家康。すぐに探りを入れてみましょうと正信。

忠勝を呼ぶ正信。

稲に書状を出した忠勝。

吉野太夫との逢瀬にうつつを抜かす昌幸。さりげなく殿下の様子を探ろうとする太夫。そこに入って来、じっと太夫を見据える昌相。

文禄5年9月。大坂城を訪れた明の使節団。拾を連れて上段の間に上がる秀吉。明の書状を読み上げる西笑。日本国王に封じると聞き、明の属国ではないと怒りを爆発させる秀吉。その怒りにまかせて、戦だ、再び大軍で海を渡ると言いかけて、小便を漏らした秀吉。とっさに駆け寄り、拾が粗相をしたと誤魔化す信繁。それに応じて、秀吉と拾を連れ出す三成。

朝鮮出兵のためにあいさつに訪れた清正。自分が死んだ後も拾の事をよろしくなと秀吉。感極まって泣き出す清正。

真田屋敷。自分はひとまず沼田に帰ると信幸。国の者によろしくと信繁。

どうかしたのかと春。兄は私の心を見抜いている、義を貫く事がこれほど苦しいものなのかと信繁。

沼田城。この城に天守を築いて難攻不落の城に作り替えると信幸。

80歳の天寿を全うした頼綱。

大坂城。姿を消した秀吉。城中を探す信繁、三成、且元。

城の中庭に居た秀吉。駆け寄る信繁。茶室を探していた、利休が話しがあるらしいと秀吉。

拾を元服させると三成。

秀頼と名を改め、元服した拾。

何故、元服を急いだのかと家康。殿下の老い先が短いという事でしょうと正信。確かな事が知りたいと家康。方々に網を張っているところと正信。

大坂城。信繁に背負われて天守に登り、この眺めも見収めだと秀吉。やりたかった事の半分しか出来なかったと秀吉。これでも半分ですかと信繁。天子様を京からお迎えしたかった、清盛がなしえた事をとうとう出来なかったと秀吉。

慶長3年正月、伏見城。景勝に会津に移って欲しいと伝える秀吉。何か落ち度でもと兼続。伊達を押さえられるのは上杉しか居ないと三成。景勝の側に寄り、自分が死んだ後、徳川が良からぬ動きをした時は背後から関東にに攻め込め、秀頼を助けてやってくれと頭を下げる秀吉。

3月15日。醍醐の花見。豊臣一門1300人が参加した豪勢な宴。

気後れして目眩がしている薫。

キリシタンになっても良いかときり。止めておけと信繁。

徳川内府より、改めて忠誠を誓うという言づてを預かってきたと阿茶局。

秀頼が花咲爺を見たいと言っていると茶々。止めに入る三成たち。どけと聞かない秀吉。桜に登り、枯れ木に花を咲かせましょうと調子に乗る秀吉。そのあげく、枝を踏み折って転げ落ちてしまいます。秀吉を助け起し、殿下は無事におわしますと三成。それに合わせる大蔵卿局。

その日から床に伏せる様になった秀吉。

そろそろ覚悟しておいた方が良いかもしれないと三成。

真田屋敷。正信からの密書を信幸に示す稲。太閤殿下の容態を信繁から聞き出せと命じられていると稲。なぜ打ち明けるの信幸。私はあなたの妻、百助の母だからですと稲。

信繁の下を訪れた信幸。秀吉の容態を聞き出そうとする信幸。誤魔化す信繁。殿下が死ねば世の中は必ず揺れる、その時誰に付けば良いのか、徳川に殿下の容態を伝えその出方によって真田がどうすべきかを見極めたいと信幸。

大谷屋敷。吉継に相談する信繁。誰に頼まれたとか、命じられたからとかはどうでも良い、己の正しいと思った道を行けば良いと吉継。

真田屋敷。信幸に秀吉の容態を伝える信繁。それを背中で聞いている昌幸。

吉野太夫の宴席。秀吉の容態を太夫にしゃべる昌幸。それを聞いて部屋を出て行こうとする太夫。その時現れ、太夫を刺し殺した昌相。驚く昌幸に、この女は忍びだと昌相。本物の吉野太夫は京の郭に居たと佐助。

死んだか、役立たずめと正信。

忠勝の下を訪れた信幸。

真田屋敷。孫達に囲まれ、幸せそうな昌幸と薫。

形見分けをすると言い出した秀吉。家康、且元、三成には分け与え、信繁には誰か知らんと何も渡さない秀吉。

お前は仕えてから日が浅いせいだろうと信繁を気遣う三成。

宿直をする信繁。その横に不意に現れ、真田の息子だなと秀吉。驚く信繁。後だと秀吉。それはかつて秀吉に初めて出会った時の再現でした。秀吉に調子を合わせつつ、秀吉を床に付かせる信繁。

今回は人生の黄昏時を迎えた秀吉が描かれました。再度の朝鮮出兵など老害としか言いようのない秀吉の姿でしたが、反面哀れを誘う天下人のなれの果てでした。特に最後に出会いの場面を再現させたのは、面白くもあり、寂しくもありました。

当時秀吉の勘気を被って謹慎を命じられていた加藤清正が、地震の後真っ先に駆けつけて秀吉を助け、それに感激した秀吉によって謹慎を解かれたという「地震加藤」の逸話は良く知られているところです。でも、実際には大坂に居た清正が伏見に来たという記録は無く、史実ではないと疑われている様です。

サン・フェリペ号事件は、台風に遭遇したスペイン船のサン・フェリペ号が土佐に漂着したという事件で、積み荷を奪われた船長が怒って、秀吉の派遣した奉行の増田長盛にスペイン人が世界の大半を制服し得たのは、宣教師を先に送ってキリスト教徒を増やし、やがて教徒を扇動して国を奪ってしまうのだと言ったところ、秀吉が激怒してキリシタン弾圧に乗り出したと言われます。ただし、積み荷を奪ったのは秀吉ではなく、長宗我部元親だった様ですね。キリシタンについては、それ以前に禁教令が出されていましたが、布教は禁止されていたものの徹底したものではなく、個人の信仰の自由は事実上認められていました。この事件によって二十六聖人事件は起こりましたが、個人に対する改宗は強制されておらず、江戸時代以降の様な迫害にまでは至っていません。だから、ガラシャの様な存在も許されていたのですね。

醍醐の花見については秀吉の生涯でも最も華やかなものとして知られるもので、当時荒廃していた醍醐寺を修復すると共に七百本の桜を植え、要所に八つの茶屋を設けてそれぞれ趣向を凝らすという派手好きな秀吉の好みに合ったものでした。ただ、大名から庶民までを集めた北野大茶会とは異なり、豊臣一門に連なる身内だけを対象とした催しであり、大名達に依る警護も厳重を極めたと言われます。秀吉の晩年における豊臣政権の置かれた位置が彷彿とされる花見でもありますね。

この花見において秀吉が木から落ちたというのはドラマに依る創作で、茶々が愚か者に見えただけだと思うのですが、必要な演出だったのかな。この花見における茶々の逸話としては、同じ側室であった松の丸殿と秀吉から受ける杯の順番を巡って争ったという話が知られています。

次回はいよいよ秀吉が最期を迎える様ですね。その時、真田がどう動くのか、楽しみに待ちたいと思います。

|

« 祇園祭2016 後祭・山鉾巡行 ~橋弁慶山・浄妙山・役行者山・黒主山・鈴鹿山・八幡山・鯉山~ | トップページ | 京都・洛中 京の七夕2016 ~北野天満宮~ »

真田丸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14874/63988333

この記事へのトラックバック一覧です: 真田丸 第30回「黄昏」:

« 祇園祭2016 後祭・山鉾巡行 ~橋弁慶山・浄妙山・役行者山・黒主山・鈴鹿山・八幡山・鯉山~ | トップページ | 京都・洛中 京の七夕2016 ~北野天満宮~ »