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2016.06.19

真田丸 第24回「滅亡」

小田原城。茂誠の手引きで危機を脱した源次郎。茂誠は北条の家臣になっていました。

江雪斎の案内で氏政に会った源次郎。いきなり取り押さえられた源次郎。真田にどんな目に遭わされた事か、殺せと氏政。自分は豊臣の使者として参った、後はどれだけ兵を死なせずに済むか、氏政の決断に掛かっていると源次郎。

城外の様子を聞き、ほとんどの城が落ちている事を知り、愕然とする氏政。秀吉と戦うのなら徳川や伊達と組み、日の本を二つに分ける戦いをしてみたかったと氏政。殿下は命は助けると言っている、いまこそ決断をと源次郎。

そなたを生きて帰すのは心変わりした証、でかしたと江雪斎。

茂誠に松が生きていたと伝えた源次郎。喜びにむせる茂誠。鉛の板に刻印があるのをみつけた源次郎。

八王子城。忍城に戻れという命令を受けた昌幸。つまらぬ戦だと昌幸。

天正18年7月5日。秀吉に降伏した氏直。命は助けるという事でよろしいなと家康。氏政には腹を切ってもらう、示しが付かないと秀吉。それではだまし討ちだと源次郎。もののふの義にもとると吉継。城の明け渡しが済んだら氏政は切腹、我らは京に帰ると秀吉。

7月10日。秀吉の軍門に降った氏政。命は必ず救うと家康。これ以上関わると貴殿に災難が降りかかると氏政。

氏政を救うために集まった家康、景勝、昌幸。まずは生きる気にさせる事からだと家康。

氏政に対面した家康、景勝、昌幸。髻を切る、その覚悟で殿下に掛けあうと景勝。秀吉のために生きるのか、それで良いのかと氏政。このまま秀吉の天下が来るとは思えない、もう一暴れしたいと思わないかと昌幸。お主達の働きぶりをあの世から見せて貰うと氏政。ここまでか、と家康。ここまでだと氏政。

何故、家康はここまでされるのかと源次郎。ああ見えて情の深い人だ、いつの間にか輩の様に思えたのだろうと正信。

11日。氏政切腹。高野山に送られた氏直。

小田原城にあった鉛の板を吉継に見せる源次郎。その刻印は利休のものでした。利敵行為をしていたのかと吉継。

証拠の品を押さえに城に入った吉継と源次郎。しかし、倉庫は空でした。

危ないところだったと、急ぎ小田原を出る利休。

12日。未だ抵抗を続ける忍城。堤を破られ、誰の為の水攻めか、死者を出さぬための策ではないかと憤る三成。敵は徹底抗戦を覚悟している、こうなったら正面から攻撃するしかないと源三郎。ここは自分に任せて欲しい、速やかに開城させてご覧に入れると昌幸。任せると三成。

卑怯な手を使う、氏政の兜を使って、氏政は配下を見捨てて自分の命乞いをしたという噂を流すと昌幸。

14日。忍城開城。

昌幸に、卑怯な手は好かぬ、しかし、おかげで犠牲を出さずに済んだ、もっと戦の何たるかを教えて欲しいと三成。自分の様な田舎侍でよければと昌幸。

宇都宮。所領の全てを差し出した正宗。その正宗に会いたい、東国の大名が立ち上がれば、自分はその先鋒となって大坂城を攻め落とすと昌幸。その後はどうなる、また乱世に逆戻りと源三郎。その何が悪い、わしは伊達に賭けると昌幸。

宴の席。秀吉にずんだ餅を作って見せる正宗。自分もやってみると秀吉。これぞ天下餅と持ち上げる正宗。その姿を見て、もう良いと諦めた昌幸。

家康にどちらに移られたのかと昌幸。江戸、思いの他の芒の原だったと家康。都から随分と遠くなると昌幸。安房守も覚悟しておかれよと家康。

江戸はどうだったと秀吉。どこまでも土地が広がり、水も豊か、東国一の都にして見せると家康。昌幸に、小県は安堵、沼田もくれてやると秀吉。有り難き幸せと昌幸。徳川の与力も外す、この先徳川をしっかりと見張ってくれと秀吉。

正宗と会った源次郎。北条が先に降参していれば自分の命は無かったのだろうと正宗。殿下はそう言っていたと源次郎。氏政は伊達を待っていた、頼みの綱と言っていたと源次郎。知らん、生き残るためだと正宗。戦国の世に生まれた以上、何万という大軍を率いて戦ってみたい、お主もそう思うだろうと正宗。自分はその器ではないと源次郎。男なら思って当たり前だと正宗。もし自分が20年早く生まれていれば、もしもう少し都に近く生まれていれば、広間の首座に座っているは自分であったと正宗。

聚楽第。天下統一を宣言する秀吉。


今回は北条征伐とそれに続く宇都宮仕置きが描かれました。ドラマでは意地を通した氏政を救うべく家康たちが奔走していましたが、史実ではありません。ただ、それ以前に小田原開城に向けて説得を試みる大名が複数居た事は確かな様です。

実際に氏政を説得したのは黒田官兵衛だったのは先年の大河ドラマで描かれたとおりですが、それに全く触れないというのも思い切った演出ではあります。その時示された条件は氏政、氏直の助命と相模一国の安堵だったのですが、それを反故にしたというのも「軍師 官兵衛」で描かれていましたよね。

家康が関東に移されたのに対し、真田が本領を安堵され、沼田を取り戻したのは史実にあるとおりです。他の家康の与力大名が軒並み関東に移された中にあって異例の措置だったのですが、ドラマにあった様に家康に対する牽制ではなかったかとも言われています。

茂誠が北条家の家臣になっていたのも史実にあったとおりで、なかなか波乱に富んだ人生を送った人ではありますね。

ドラマとしては、氏政が最後まで飯に汁をかけて食べていたのが面白かったです。折に触れて出てきた場面ですけどね、やはり氏政は最後まで自分の力量の見積もりが出来なかったという演出でしょうか。あるいは、自分を貫き通したという意味にも取れますね。

三成が誰のための水攻めか、あいつらは頭がおかしいのかとわめいていたのも、いかにもこのドラマの三成らしかったです。攻められる側としては抵抗するのが当然なのに、そのあたりの機微が判らないのが三成という男なのでしょうね。その後、昌幸に教えを請うたのもまた、このドラマの三成ならではの演出と言えそうです。

正宗と源次郎の会話は無論創作ですが、後の大坂の陣の伏線として重要なものになりそうですね。この長い先を見据えた演出は三谷脚本ならではと言えましょうか。

利休が利敵行為をしていたというのは創作ですが、これも次回への伏線の様です。

次は利休の切腹が描かれる様です。このドラマではあまり活躍していない利休ですが、どんな描かれ方をされるのか、楽しみに待ちたいと思います。

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