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2016.05.08

真田丸 第18回「上洛」

上田城。源次郎からの文により、大名に取り立てる事を約束されたと知った昌幸。喜ぶ源三郎とは裏腹に、秀吉の家来ではない、上洛はしないとへそを曲げる昌幸。

大坂城。稽古する阿国の一座を見守る源次郎。その中で、茂誠にもらったにおい袋をかぐ松。

利休に人はつらい事があったら記憶を無くし、別人として生きていけるものかと問う源次郎。何でも知っている訳では無いと利休。

上田城。上洛を勧めに来た兼続。自分が決める事と昌幸。

景勝は真田を許すようとりなしている、顔を潰す事がない様にと兼続。

とりの肩を揉みながら、どうしたものかと相談する昌幸。嘘でも良いから頭を下げよ、この先秀吉の勢いに翳りが出たら寝首を搔く、卑怯者で何が悪いととり。

評議の場。上洛すると宣言する昌幸。沼田はどうなる、秀吉の下に付くのは嫌だと頼綱。頭は下げても心は渡さないと昌幸。

大坂城。松の記憶を取り戻そうとする源次郎。自分は藤と頭を抱える松。

阿国に松を拾った事情を聞き、松を引き取る事になった源次郎。

きりに松の世話を頼む源次郎。寧に仕える事になった松。

太政大臣になると寧の部屋に駆け込んできた秀吉。信長、頼朝を超えたと喜ぶ秀吉。一緒に喜ぶ寧。

茶々の部屋。さほど嬉しくは無い、信長公が成し遂げられなかった事を引き継ぐ事だけが望みと秀吉。

昌幸が来ると秀吉。真田はどうなりますと源次郎。今考えているところだと秀吉。

上田城。秀吉の世が長く続くわけが無いと昌幸。それまでやつのふところに飛び込むのだなと昌相。なんならわしが光秀になっても良いと昌相。

天正15年2月、大坂に着いた昌幸。再会を喜ぶ源次郎と源三郎。寺に泊まれと言われた事に腹を立てている源三郎。大坂城は案外泊まる場所が少ないと取りなす源次郎。上杉や徳川と扱いが違うと源三郎。三成に掛けあってみますと源次郎。

再会を喜ぶ昌幸。大坂城をご覧になったかと源次郎。お前ならどう攻めると昌幸。大坂城は難攻不落と源次郎。必ず手薄なところがある、城周りの絵図面が欲しいと昌幸。

御文庫。三成に昌幸たちを城内に移らせる事は出来ないかと頼む源次郎。上杉や徳川とは格が違う、無理だと三成。

きり相手に、これからが心配だと源次郎。源次郎が殿下と昌幸の間に入って上手くやっていけば良いときり。松の事は話したのかときり。頃合いを見計らっていると源次郎。しっかりねときり。

上田城。置いてけぼりを食らった事を愚痴る薫。

吉野太夫の舞を見ながら、殿下も気が利くと上機嫌の昌幸。実は手を回したのは源次郎でした。

秀吉とはどんな男だと昌幸。信長、家康にも勝るとも劣らない器の男だと源次郎。一廉の人物かと昌幸。お調子者の様に見えるが、その裏に深さと恐ろしさを見たと源次郎。

秀吉の世は続くと思うかと源三郎。惣無事令を出し、枡の大きさを統一しようとしている、大名が勝手に戦を出来る世の中ではなくなったと源次郎。もう自分たちが戦場で暴れる日は来ないのか、生まれて来るのが遅かったなと源三郎。

献上品を確かめ、上物よとご機嫌な昌幸。そこに、献上品の検分に現れた三成と且元。どれも信濃の特産品ばかりと源三郎。総じて色味が悪い、箱だけでも鮮やかなものに差し替えましょうと三成。猪と熊の毛皮を見て、臭いなと三成。そういうものだと源三郎。後ろの方に押し込んでおきましょうと三成。面白くなさそうな昌幸。

拝謁の場。出てきたのは秀吉ではなく秀次。真田領は安堵する、これからはいかなる者も真田領を攻める者は無い、これより殿下のために尽くす様にと三成。以上であると席を立つ秀次。

こんな無礼な事があるかと源三郎。殿下は忙しい方ですからと源次郎。ないがしろにされたのだ、悔しくないのかと源三郎。家康を退けた父に殿下は一目置いていると源次郎。ならばこの仕打ちはない、殿下直々のお言葉が無ければ上田には帰れない、そう三成に伝えろと源三郎。呼びつけて置いて顔も見せないとは、秀吉も先が短いと昌幸。そこに現れ、昌幸の武勇を称える正継。機嫌が直った昌幸。

茶々に会い、秀吉への取り次ぎを頼む源次郎。

秀吉に向かって、父に会ってもらわねば出仕した事にならない、父は帰って戦支度をするつもりだ、真田を敵に回せば伊達、北条、徳川と結び、必ず殿下の前に立ち塞がると源次郎。わしを恫喝するのかと秀吉。恫喝していますと源次郎。

再び拝謁の場。熊の毛皮を着て現れた秀吉。上段から下り昌幸の前に座って、誰よりも家臣としたかった、その知略と度胸を豊臣のために使ってくれと秀吉。

昌幸に向かって、徳川の与力となる様にと伝える三成。徳川の家来になれと言われるのかと源次郎。家来ではない、与力だと三成。徳川の下知で戦えと申されますかと源次郎。その代わり、北条が攻めてきたとしても徳川が守ってくれる、盾となってくれるのだ、悪い話ではなかろうと秀吉。かしこまる昌幸。明朝、徳川に挨拶するために駿府に向かえと秀吉。

駿府城。秀吉からの書状を読み、昌幸がわしの前で頭を下げる日が来るとはなと家康。

昌幸の宿所。ここまで死力を尽くしてやって来た、そのあげくが秀吉の家来となった徳川のそのまた家来、こんな面白い事があるかと自嘲する昌幸。申し訳ありませんと源次郎。わしはどこで間違ったと昌幸。大名となり、領地を守った、間違えてなどいないと源次郎。

松を昌幸と源三郎に会わせる源次郎。驚き、喜ぶ昌幸たち。記憶を取り戻すために、真田の郷の思い出を話してはどうかと源次郎。口々に思い出を語る昌幸たち。何も思い出せないと松。少し風に当たりましょうと縁側に出るきりと松。

きりのかかとが、かさかさになっているのを見て、きりを思い出した松。全ての記憶を取り戻した松。喜び合う真田家の人々。

駿府城。家康に拝謁し、与力大名となった昌幸。哄笑する家康。

今回もほぼ創作の回でした。昌幸が秀吉の下に出仕し、豊臣直属の大名になった事、徳川の与力大名となった事は史実のとおり、その他の経過は創作です。大名となったのは昌幸と源三郎の二人で、昌幸の上田と源三郎の沼田を合わせて6万5千石の領地でした。

与力大名とは秀吉直属の独立した大名であるが、戦の時には徳川家の様な大大名の指揮下に入るというもので、決して家臣になるという訳ではありません。与力大名は織田政権時代から続いていた制度で、細川幽斎、高山右近、筒井順慶等が光秀の与力大名だったのがその一例です。真田家の場合は、地理的関係から徳川家の与力となるのは必然だったと言えるでしょう。ドラマでは昌幸がなぜこんな事になったと落ち込んでいましたが、国衆から一躍大名となった訳ですから、むしろ飛躍と言って良い話だったと思われます。

ドラマとしては出色の出来で、昌幸と秀吉の間に入った源次郎の活躍は見事でした。これだけの気働きの出来る息子を持った昌幸は幸せでしょうね。松を巡る真田家の人々も面白く、三谷脚本の真骨頂と言えるでしょうか。

ドラマでは既に馬廻りとなっている源次郎ですが、実際にはこの昌幸の上洛を機に人質として大坂に置かれる事となりました。そして時期は判りませんが、秀吉の馬廻りとして取り立てられ、領地も与えられる事となります。その意味では、やっとドラマと史実が一致した事になるのかな。

次回は茶々と源次郎が危ない関係になる様ですね。また三谷脚本らしい面白い展開が見られそうで楽しみです。

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