京都・洛東 第49回京の冬の旅 ~頂妙寺~
今年の京の冬の旅、最初に訪れたのは頂妙寺です。頂妙寺は川端通仁王門を東に入ったところにあり、寺名に妙が付く事から判るように日蓮宗に属する寺です。
頂妙寺の山門を潜ってまず目に付くのが仁王門です。この寺の前の道、仁王門通の名の元となった門で、持国天と毘沙門天が左右に祀られています。
頂妙寺は、日蓮宗の京都二一箇本山の一つに数えられるという由緒のある寺です。開山は下総出身の日祝上人、1473年(文明5年)の事でした。まさしく応仁の乱の真っ最中だったのですが、そんな混乱期にも関わらず細川勝益の帰依を受け、四条、錦小路、万里小路、富小路で囲まれた4丁四方の寺域を寄進されたと言われます。破壊ばかりかと思っていた応仁の乱ですが、一方で新たに開かれた寺もあったのですね。
その後様々な変遷を経て、現在の地に移ったのは1673年(寛文13年)の事でした。江戸時代の絵図を見ると日蓮宗の寺らしい諸堂を備えた寺として描かれていますが、明治以降は荒廃が進み、昭和50年頃には境内は駐車場と化し、仁王門だけがその中にぽつんと建っているという印象の寺でした。近年になって再整備が進み、本堂、祖師堂などが修復され、書院が新築されるなどして、寺観が一新しています。
頂妙寺が歴史に登場するのは、1579年(天正7年)の安土宗論の時です。浄土宗との間で行われたこの宗論において、法華宗側の代表の一人として頂妙寺の日珖上人が出ているのですね。結果として法華宗が破れ、以後他宗を非難しない、許しがあるまで法華宗の僧侶は宗門を離れるという証文を書かされました。この屈辱的な敗北から五年後、信長の後を継いだ秀吉から改めて布教の許しが出たのですが、この時の書状を扁額にしたものが仁王門に掲げられています。頂妙寺にとっては、名誉が回復された証としてとても大事に思っていたのでしょうね。この書状は今回の特別公開でも展示されており、原文を見る事が出来ます。
頂妙寺はまた、俵屋宗達ゆかりの寺でもあります。宗達が描いた「牛図」が寺宝として伝わるほか、彼の墓と言われる墓碑が残されています。この写真の墓がそうで、横に俵屋と書かれているのが判るかな。
宗達の牛図は立牛と寝牛の二幅からなり、期間中交互に展示されるそうです。私が見たのは立牛の方ですが、墨だけで描いたにも関わらず牛の筋肉が力強く表現されており、とても見応えのある名品でした。
このほか、今回の公開では本堂内に入る事も出来ます。いかにも日蓮宗らしい荘厳な須弥壇であり、これも見応えがありましたよ。
今年の京の冬の旅は3月18日まで、頂妙寺に行くには京阪三条駅からが便利です。
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コメント
境内にはお邪魔したことがあるのですが
今回は拝観できるということで
冬の旅2か所目に予定していたところです!
残念ながら今週のお休みは京都へ行けてないのですが
期間中には拝観しようと思っています(*^_^*)
投稿: Milk | 2015.01.24 17:09
Milkさん、
頂妙寺は以前から気になっていた寺で、
今回の特別公開は楽しみにしていました。
庭こそないけれど、俵屋宗達の牛図など見応えがありますよ。
ぜひ訪れてみて下さい。
投稿: なおくん | 2015.01.24 20:45
日珖上人というのは堺出身の方です。
俵屋宗達の絵・・・気になります。
投稿: シンイチ | 2015.02.02 16:45
シンイチさん、
日珖上人は堺の人なのですね。情報ありがとうございます。
牛図は両方一度に見られないのが残念ですが、
墨の濃淡だけで描かれているのにすごくリアルでした。
ぜひ訪れてみて下さい。
投稿: なおくん | 2015.02.02 20:16