平清盛 第49回 「双六が終わるとき」
(治承5年(1181年)正月。宗盛の館。正月の賀を受ける清盛。そこに入ってくる鎮西、四国の反乱の知らせ。これらに対抗すべく惣官職を敷くという清盛。そんな中、危篤に陥った高倉上皇。)
(上皇の御所。病床の上皇。死を悟りながら徳子の行く末を気に掛ける上皇。上皇の手を握り、誰よりも上皇が大事と徳子。笛を吹こうとして、音色の出せない上皇。なんと綺麗な音色でしょうと徳子。21歳の若さで亡くなった上皇。)
(再び政治の舞台に舞い戻った後白河法皇。二つの賽を清盛に投げかけ、如何なる事でもしてやろう、自分は頂きに立つ者なのだからと法皇。)
(宗盛の館。法皇のしたたかさに恐れをなす平家一門。)
(徳子に、清盛の意向であるとして、法皇の後宮に入って欲しいと願う時子。そんな事になるくらいなら出家すると徳子。)
(徳子の意向を夫に伝える徳子。また別の手を考えると清盛。これ以上の高望みはしなくても良いと時子。夫の横で琵琶を弾く時子。)
(時子との出逢いを思い出す清盛。)
(鎌倉。頼朝の下に降伏して来た梶原景時。石橋山で自分を見逃してくれた武将と気付く頼朝。頼朝を一目見て、天下を治める器と見た、家人の端に加えて欲しいと願う景時。彼を御家人に加えた頼朝。)
(京、上西門院の館。上皇を悼む歌会を催す女院。戦を恨む歌を披露する西行。)
(年老いた堀河局と出会った西行。雅な平安の世は長くないと嘆く局。今夜は存分に楽しみましょうと局の手を取る西行。)
(六波羅。清盛の下を訪れている西行。堀河の局とは夜通し歌合わせをしていたと西行。何年修行しても人の本性は変わらない、清盛もまたこれだけ追い詰められても起死回生の手を考えていると西行。自分が諦めては、武士の世は来ないと清盛。)
(頼朝の館。鎌倉の町造りに励む頼朝。)
(六波羅。鎌倉の賑わいを語る西行。大輪田の泊を作り、厳島の社を造営した頃を思い出す清盛。)
(頼朝の館。鶴ヶ岡八幡宮は源氏の守り神、そこに通じる道を中心に町を広げているのだと頼朝。感心する義経。)
(福原を都にしようと構想していた清盛。)
(鎌倉は源氏の都になると政子。)
(空を眺め、武士の世とつぶやく清盛。)
(空に向かって矢を放つ仕草をする頼朝。)
(法住寺殿。法皇の下を訪れ、双六を所望する清盛。敗れた者は勝った者の願いを一つ、必ず聞き届けるという約束で勝負を始める二人。)
(初めて双六をした時の事を思い出す清盛。天皇となった後白河に翻弄された日々を思い出す清盛。公卿になった清盛は自分をないがしろにしたと法皇。付かず離れずだと清盛。寸白の病から生き返った清盛。死の床にあった重盛を庇う清盛。)
(夜通し双六をしていた二人。7以上の目を出さなければ自分の勝ちだと法皇。7の目を出した清盛。何が望みだと法皇。二人の双六は本日をもって最後として欲しいと清盛。かつて武士は王家の犬と呼ばれていた。しかし、これからは武士同士が戦い、覇を競う世となる、もはや王家の犬ではないと清盛。もうそんなところまでたどり着いていたかと法皇。涙する清盛。一礼し、去っていく清盛。悲しげに庭を見る法皇。)
(盛国の館。剣の手入れをしながら、この辺りを平家の新たな本拠として作り直そうと思う、同じ様なものを頼朝も鎌倉に作っている、それを攻めて奪うための本拠だと清盛。良きお考えと盛国。しかし、暑いと清盛。一月なのにと訝る盛国。)
(雀の子を犬君が逃がしつると源氏物語の一節を読む時子。)
(伊勢、二見浦。西行の庵。突如現れた清盛。驚く西行。なぜかは自分にも判らないと清盛。)
(1月27日、盛国の館。熱病に倒れた清盛。看病する時子。心配そうな一門。)
(伊勢。驚いている西行。剣を手に呆然としている清盛。)
今回は四面楚歌に陥りながらも諦めず、起死回生を狙う清盛の姿が描かれました。
ドラマの冒頭に出て来た惣官職とは、五畿内と近江、伊勢、伊賀、丹波の諸国を統括する職制の事で、これらの国々の兵力と兵糧を一手に握るという強力な職権を持っていたと言われます。この任に就いたのは宗盛で、各地の反乱軍を鎮める為の軍事力の確保が目的だったと考えられています。ドラマでは先例が無いとされていましたが、実際には聖武天皇の時代に畿内惣管という職があり、公卿達にはそれをもって先例とするという事で納得させたと言われます。これによって、平家は源氏に対抗しうる軍事力を手に入れる事が出来たのでした。
高倉上皇の死が平家にとっての打撃だったのは事実で、治承三年の政変によって平家が得た政権は正当性に欠けており、後白河法皇の子である高倉上皇が院政を行うという一点のみで支えられているものでした。安徳天皇はまだ幼くて統治能力は無く、高倉上皇が治天の君として政治を司るからこそ成り立っていた政権だったのですが、頼みの綱である上皇に死なれてしまっては、平家は政権の拠り所を失う事になったのですね。上皇の死後、治天の君となりうるのは後白河法皇の他にはなく、平家としては不本意ながら、後白河法皇を復権させる以外に手だてが無かったのでした。ただし、清盛が健在の間は法皇の権限を厳しく制約しており、決して全面的に政治を委任した訳ではなかった様です。
その法皇に徳子を入内させるという話は実在したらしく、かつての滋子の様な役割を期待したものなのでしょうか。しかし、ドラマにあったように、徳子が出家するとまで言って嫌がったためにこの話は流れ、代わって清盛が厳島の内侍に産ませた娘を入内させています。これは清盛が法皇を懐柔しようとしたのだとも、後宮に平家の人間を入れてその活動を制約しようとしたのだとも言われています。
堀河局と西行の歌合わせについては、実際に和歌が残されているので史実のとおりなのですが、時期としては待賢門院が亡くなって間もなくの頃ではないかと思われます。もしこのドラマの頃まで堀河局が生きていたとすれば80歳を越えていたはずで、当時としては驚異的な長生きだった事でしょうね。それにしても、このタイミングで堀河局が出て来るとは思わなかったなあ。
清盛はその晩年を盛国の屋敷で過ごしており、その屋敷があった九条周辺を新たに平家の拠点として整備しようとしていました。安徳天皇の里内裏も八条に設けたし、一門の屋敷もその周辺に築かれのですね。おそらくは、挫折を余儀なくされた福原に代わる新王朝の首都を、都の南部に築こうとしていたのではないかと言われています。ただし、その構想は清盛の死によって日の目を見る事なく終わる事になってしまいます。
ドラマに戻って、今回も回想がほとんどであり、まとめに入った回でした。
老境に入り、四面楚歌に陥った清盛は、それでも起死回生を狙って新たな職制を創設し、新たな拠点を築き、法皇との対決に決着を付けようと闘志を燃やします。そして、王家の犬と言われた武士が今や時代の主役となっている事を法皇に認識させ、既に武士の世が招来している事を示しました。清盛は王家には拠らない自らの政権を築き上げ、頼朝はその清盛が作った政権に対するアンチテーゼとして鎌倉に政権を築きつつあり、どちらが勝つにせよ、次の世は武士が担って行く事が明かとなったのでした。長い双六の上がりは清盛の勝ちに終わり、彼は不完全ながらも武士の世を築き上げたという事になるのでしょうね。ここに「清盛なくして武士の世は来なかった」というドラマの主題は完結したと言えるのでしょうか。
最終回を前に清盛は病に倒れ、平家の終焉は目前のものとなりました。そして、予告編を見れば壇ノ浦で平家が海の底に沈み、弁慶が立ち往生するところまで一気に描かれる様ですね。最終回はなんだか怒濤の回となりそうだな。1年に渡ったドラマの締めくくりとしてどんな展開を見せてくれるのか、楽しみに待ちたいと思います。
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