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2012.12.23

平清盛 第50回 「遊びをせんとや生まれけむ」

(壇ノ浦の戦い前日、鎌倉。写経をする頼盛。その頼盛に、間もなく壇ノ浦あたりで戦になると知らせる頼朝。後悔はしないのかと問う頼朝に、平家は常に一蓮托生と頼盛。)

(4年前。突然二見浦の西行の庵に現れた清盛。なぜだといぶかる清盛を見て、生き霊の様なものだ、間もなく死ぬのだろうと西行。あるまじき事だと清盛。)

(治承5年1月27日。六波羅。熱に苦しむ清盛。)

(伊勢。庵の中を歩き回る清盛。生き霊とは便利なものだと西行。今死ねば、皆の思いを捨てる事になる、頼朝を倒し、福原に都を建てるまでは死ねないと清盛。皆そうだったのだろう、しかし、誰にも等しく訪れるのが死というもの、だから懸命に生きなければならない、清盛ほどそれを体現した人を他に知らないと西行。)

(法住寺殿。「遊びをせんとや生まれけん。」と歌う後白河法皇。)

(伊勢。清盛はいついかなる時も、子供が遊ぶように生き尽くした、まぱゆいばかりの美しさだと西行。涙する清盛。)

(六波羅。目を覚ました清盛。よろよろと立ち上がり、一門に向かって我が墓前に頼朝の首を供えよと命じ、仰向けに倒れた清盛。閏2月4日、64歳で清盛逝去。)

(六波羅。清盛の遺言を一門に伝える西行。西行に代わって現れた清盛。以下、清盛の遺言。)

(維盛、資盛に向かって、亡き重盛の血を引く者、清らかな心根を宝物と思って生きよ。経子に向かって、そなたの様な良き妻が居て呉れるた事は救いだった。経盛、教盛、二人揃って一人前とは良く言った、これからも兄弟支え合い平家の文と武の軸として生きよ。忠度、そなたの歌の才は日本一だと私が認める。頼盛、父と母の血を守り抜いてくれ。宗清、なにがあっても頼盛の忠実な家人であれ。貞能、そなたの忠義、甲斐甲斐しき働き、忘れぬ。忠清、お前が居なければ一門はとっくに滅んでいた、長い間平家の武を支えてくれた。宗盛、知盛、重衛、逞しき倅達、きっと勝て、勝って勝ち続けよ。徳子、そなたほど見事な働きをしたもののふは国中どこを探しても居ない。時忠、そなたなくして平氏は平家になれなかった、時忠あらずんば平家にあらず。盛国、いいや鱸丸、お前はこの平家という舟に躍り込んだ鱸の様なもの、お前に巡り会えたのは生涯の恵みだった。時子、そなたこそがわしの紫の上だ。)

(清盛を見つめて涙する一門。姿を消した清盛。後に残った剣。)

(平家都落ち。宗清に向かって、鎌倉殿を頼ろうと思う、かつて助命を嘆願した池禅尼の恩を忘れていないはずと頼盛。ならば私もと宗清。ならぬ、裏切り者と呼ばれるのは自分一人でよいと頼盛。)

(重盛の遺骨を掘り起こし、鎮西へと落ちていった貞能。)

(独自に平家を守ろうと伊勢平氏の乱を起こし、斬首となった忠清。)

(一ノ谷の戦いで戦死した忠度。)

(大仏焼き討ちに恨みを持つ南都に送られ斬首された重衛。)

(一ノ谷から逃亡し、出家した維盛。後に那智の沖にて入水。)

(元暦2年3月24日。壇ノ浦の戦い。)

(船倉の中で、何としても三種の神器は守らなければならないと時忠。そして、時子に向かって、いざという時には草薙の剣をと時忠。そこに転がり込んできた傷だらけの知盛。戦の様子は如何にと問う経子。笑いながら、方々はすぐに珍しき東男をご覧になられる事でしょうと知盛。なんと悪い戯れをと生田。もはやこれまでと一礼して出て行く知盛。)

(安徳帝の横で涙を堪えている徳子。さあと言って安徳帝を抱き上げ、参りましょうと一同を見渡す時子。従う徳子たち。)

(壇ノ浦に散った資盛。壇ノ浦に入水した経盛、教盛。清宗と共に入水したものの、沈まずに泳ぎ回っているところを捕らえられた宗盛。後に親子共に斬首。)

(一門と運命を共にした経子。)

(出家し、一門の菩提を弔った徳子。)

(御神鏡を守った功で死罪をまぬがれ、能登で生き残った時忠。)

(安徳帝を抱き、剣を手に船倉から出る時子。)

(尼前、朕をどこへ連れて行くのじゃと安徳帝。帝を見つめ、海の底にも都はございましょうと時子。うなずく帝。帝を抱いて海に沈んだ時子。)

(血まみれになりながら、見るべき程の事は見つと言って碇を担ぎ、今はこれまでと海に飛び込んだ知盛。)

(海に沈んでいく剣。)

(祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、と歌う法師。)

(鎌倉。餓死による自害を選んだ盛国。)

(平家の血を守り抜き、壇ノ浦の戦いの一年後に生涯を終えた頼盛。)

(鎌倉。義経からの書状を読む頼朝。謀反の心など無いと訴える義経。無断で任官した義経を許さなかった頼朝。打倒頼朝に立ち上がった義経。)

(東大寺勧進のために鎌倉を訪れ、頼朝に会った西行。)

(願わくば 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころ)

(西行の歌を褒める頼朝。花や月を眺めては、心に浮かぶ思いを三十一字にまとめるばかりだと西行。京、随一のもののふと呼ばれたお方がご謙遜をと頼朝。お戯れをと西行。京随一、日本随一のもののふとは誰の事か既にご存じのはずと西行。)

(頼朝の前に現れた清盛。わが倅どもがきっとそなたを討ち取る、そしてそなたの首を我が墓前に供えると清盛。そうはいかないと頼朝。そう言うと思ったと笑う清盛。しからば、まことの武士とは如何なるものか見せてみよと頼朝に迫る清盛。立ち上がって清盛に微笑みかける頼朝。うなずく清盛。)

(姿を消し、西行となった清盛。これにてと西行。呆然としながらも我に返り、大義でござったと西行を見送る頼朝。)

(歌に願ったとおり、桜の季節に世を去った西行。)

(髭切の太刀を手にした頼朝。そこに、表で子供達が銀の猫で遊んでいると言いながら入ってきた政子。何でも旅の僧からもらったとかでと政子。髭切の太刀を持ったまま立ち上がり、これが私の選んだ道、武士の栄華へと続く道だと頼朝。頼朝を見つめる政子。)

(義経を襲う軍勢。義経を庇って長刀を振るう弁慶。堂内に駆け込んだ義経。堂の入り口に立ちふさがった弁慶。堂内で兜を脱ぎ、これが定めなら潔く受け入れようと義経。堂の前で立ち往生を遂げた弁慶。源氏のために捧げたこの命、決して無駄にして下さいますなと言って、堂の中で自害した義経。弟の死の上に、武士の世を作り上げた頼朝。)

(建久元年(1190年)、30年ぶりに上洛し、後白河院に対面した頼朝。頼朝の前に双六盤を置く法皇の家人。賽を振る法皇。その1年後、66歳の生涯を閉じた法皇。)

(その9年後、世を去った頼朝。)

(室町幕府の世となり、ようやく行われる様になった、清盛が礎を築いた国と国との交易。)

(かつての清盛のごとく、船の上で雄叫びを上げる子兎丸。)

(海底に突き刺さった剣。その剣を抜き取り、刃を見つめる若き日の清盛。その清盛に声を掛ける兔丸。開かれた扉。在りし日の平家の館。清盛を迎える平家一門。首座に座り、一門を見渡す清盛。にこやかに応える一門の人々。満面に笑みを浮かべた若き日の清盛。)

(海の底にも都はごさりましょう、と時子。)

(平清盛なくして武士の世はなかったと頼朝。)

とうとう最終回を迎えました。今回は予想どおり怒濤の展開であったため、史実云々は言ってもきりがないので触れずに措き、感想を記すだけに止めます。

既に主題は前回までに語り尽くされており、最終回は本当のまとめだけに終始しました。武士の世の礎を築いたのが清盛、その思いを受け継いだのが頼朝というのがこのドラマの主題だったと思うのですが、この締め方ではそのテーマが少し弱まった感じがしましたね。頼朝が幕府を開いたところで終われば良かったものを、なんと室町幕府にまで走ってしまったのですから、そう受け取ったのも無理はないかと思います。私としては、後白河院を日本一の大天狗とののしり、公家の世に引導を渡す頼朝の姿を見たかったなあ。

それはともかく、怒濤の展開ではあったけれども、平家の儚さは良く表れていたと思います。清盛の死からわずか4年で滅んだと見るのか、その死後も4年も持ちこたえたと見るのかと評価は分かれると思いますが、栄華を誇った一門が壇ノ浦に沈んだ事はやはり哀れを誘います。美しいままに安徳帝を抱いて海に沈んだ時子は凄絶ですらあったし、平家一門の誇りを抱いて最期を遂げた様な知盛の死に様には壮絶なものがありました。私ごとながら、この夏壇ノ浦を訪れ、その場を見てきた事が、この場面を実感を伴って観る事が出来たのだと思っています。

さて、大河ドラマ史上最低の視聴率を記録した「平清盛」でしたが、私としては最後まで追いかけて良かったと思っています。分かり難いと言われた前半の朝廷の人間模様も面白かったし、後半のダークな清盛もそれなりに見応えはありました。印象に残る人物としては、頼長や信西、それに璋子や得子たちかな。保元の乱の前後が一番面白かった様な気がします。

ただ、清盛の言う武士の世がどんなものかが、最後まで良く判らなかったのが消化不良の部分ですね。清盛が目指したものは忠清がまとめてくれてはいたけれども、それによって世の中がどう変わったのかまるで示されなかったのが一番の不満点です。ここはなにがしかの形で描いて欲しかったな。それとも、変える前に死を迎えてしまい、それが実現したのが室町幕府の時代だったという事になるのでしょうか。雄叫びを上げる子兎丸の姿がその象徴だったのかも知れません。

最後に、ここまで私の拙いレビューにお付き合い頂き、本当にありがとうございました。京都に縁の深い清盛がドラマ化されると知り、資料を集めて読み出したのが1年前、それ以来、ドラマと史実の検証を続けてここまでたどりつきました。1年間完走出来たのは、大勢の人が来て下さっているという実感があってこその事、応援して頂いた方々には改めて御礼申し上げます。感謝の意を表しつつ、「平清盛」のレビューを終わらせて頂く事と致します。

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