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2012年12月

2012.12.31

良い年をお迎え下さい

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今年の漢字は「金」でした。慌ただしい世相を余所に何を暢気なと感じたのですが、その理由(金環食、オリンピックの活躍、山中教授のノーベル賞など)を聞くとなるほどなという気はします。政治や経済では良いところが無かった年でしたが、他に目を向ければ見るべきものもあったという訳なのでしょうね。ちなみに、私の投じた一票は「乱」。同じ思いの人も多くて5位に入っています。

ねこづらどきに限って言えば、「平清盛」を中心に回った1年だった様に思います。レビューは1年間続けられたし、関連記事も何度かアップさせて頂きました。それに、夏の旅行で清盛を追いかけて広島、山口に行った事も忘れられません。中でも、厳島神社と壇ノ浦を目の当たりに出来たのは大きな収穫でしたね。視聴率こそ低かったけれど、私にとっては意義のある大河ドラマでした。

京都では、去年ほとんど行けなかった紅葉の取材に沢山出る事が出来たのは嬉しかったです。綺麗な紅葉にも出会えたしね、今年の秋は充実していました。

さて、今年も当ブログを訪れて頂きありがとうございました。毎年同じ事を書いていますが、一年間無事に続けてこられたのは、読んで下さる皆様のおかけです。特にコメントやトラックバックを頂いた方々には感謝しています。

2013年が皆様にとって良い年でありますように。
来年も当ねこづらどきをよろしくお願いいたします。

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2012.12.30

京都・洛東 歳末風景2012 ~石塀小路~

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二年坂から石塀小路まで歩いて来ました。空は黄昏時を過ぎ、夜の帳が降りてこようとしているところです。

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この灯ともし頃の石塀小路も良いものですね。両側の店の灯りの間にぽっかりと空いた空間に、道行く人はふと誘い込まれそうな感覚を覚える事でしょう。

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石塀と書いて「いしべ」と読む。慣習的なものなのでしょうけど、地元の人はそう呼んでいる様ですね。看板のローマ字で、それと知る事が出来ます。

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石塀小路は大正ロマンの香り立つ道。こんなガス灯を思わす街灯がそこかしこに建てられています。はっきりとは判らないけれど、地元の商店会の様なものが管理されているのかな。

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そして、石塀小路の定番の景色です。この街を設計した人は、きっと楽しかった事でしょうね。こんな斜めに曲がった道なんて、効率一辺倒の開発では考えられない事でしょうから。

灯ともし頃に歩く石塀小路は、いつもに増して風情溢れる道ですよ。

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2012.12.29

京都・洛東 歳末風景2012 ~二年坂~

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年の瀬、日暮れ時に訪れた二年坂です。

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一見すると同じ様に見えるこの界隈ですが、結構店の入れ替わりがありますね。暫く行かないと、あれっ、あの店はどうしたのかなとか、こんな店はあったっけかなという事がちょくちょくあります。地生えの店でなく、余所から借家で入っている店が多いからでしょうか。

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そんな二年坂から入る龍馬坂は静かで良い場所で、八坂の塔を眺めるには好ポイントだったりします。ただ、電柱と電線が邪魔なのが玉に瑕ですね。

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八坂の塔の定番と言えば、高台寺入り口から見たこの景色かな。この日はここからしか夕焼けに重ねる事が出来ませんでした。

この日は写真に撮らなかったけれど、ここから見た二年坂の夕景もなかなか綺麗なものです。八坂の塔ばかりでなく、少し目を移してみると良いものを見る事が出来ますよ。

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2012.12.28

京都・洛中 歳末風景2012 ~錦市場~

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京都の歳末風景と言えば錦市場がまず出て来ますね。年中賑わう場所ですが、この時期は正月用品やお節料理の材料の買い出しなどでさらに賑わいを見せています。

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まずは八百屋さん。京野菜と並んで、お節用の野菜であるクワイが目立ちますね。芽が出るという縁起担ぎから使われるそうです。

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カラフルなのが漬物屋さん。この時期ならではなのが千枚漬けですね。これが並び出すと、京都に冬が来たんだなあという気がします。

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魚屋さんでは、お節用の数の子がやはり目立ちますね。100g辺り600~1000円位までの幅がある様ですが、やはり高級食材なんだなと思わされます。

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美味しそうだなと思ったのがこの焼きポン栗ですね。いわゆるポン菓子を作る機械を使って焼いた栗だそうですが、普通の栗よりホクホクした感じが何だか美味しそうでした。

この時期ならではの錦市場、買い物がてら出掛けるには面白い場所ですよ。

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2012.12.27

京都・洛中 かぼちゃ供養2012~矢田寺~

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平成24年12月23日、高校駅伝を観戦した帰りに、かぼちゃ供養に寄ってきました。

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かぼちゃ供養は、三条寺町にある矢田寺で行われる行事で、毎年12月23日に実施されています。基本的に冬至にかぼちゃを食べるのと同じ趣旨と思われますが、だったらなぜ冬至の当日に行わないのかは謎ですね。もしかしたら、祝日である天皇誕生日に合わせたのかも知れません。まあ、こちらとしては参加しやすくて有り難いのですけどね。

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以前は三条通から長く行列が続いていたのですが、この日は寺町通の西側に並んで待つようにシステムが変更されていました。たぶん苦情が来てそれに対応したのでしょうけど、最後尾がどこにあるのか判らなくてこの変更には少しとまどいましたね。

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かぼちゃ供養のひとつめはこの巨大なかぼちゃをなでる事にあります。そうする事で、無病息災を祈願する事が出来るのですね。

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そして、もう一つが無料で接待されるかぼちゃの煮付けですね。これは午前10時に開始され、先着千名まで配られます。基本的には無料なのですが、多くの人は10~100円程度の志納をされている様でした。

このかぼちゃが結構美味しいのですよ。ほこほこと良い具合に炊けていて、かぼちゃの旨味が良く出ていたと思います。

このかぼちゃを食べる事によっても向こう一年間の無病息災が祈願された事になり、良い事尽くめの行事という訳ですね。来年は京極に出掛けがてら、立ち寄られては如何ですか。

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2012.12.26

女子第24回全国高校駅伝競走大会

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平成24年12月23日、女子第24回全国高校駅伝競走大会の観戦に行ってきました。高校駅伝は女子で24回目、男子で63回目を迎えるという、京都の師走の風物詩の一つです。

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今年は2区と3区の中間点にあたる紫明通で観戦しました。折り返しと中継点のある鞍馬口駅付近が有力だったのですが、こちらの方がずっと空いていると思ったのですよ。

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実際そのとおりで、場所取りに苦労する事もなく、気持ちよく観戦する事が出来ました。鞍馬口だと、どうしても割り込みとかに会うのですよね。

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高校駅伝の観戦は5回目ですが、毎年選手のひたむきさは変わらないですね。チームの勝利を願って懸命に走る姿は、健気にすら感じます。

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沿道からの声援も相変わらず暖かく、中段以降の選手達にも等しく声が掛かります。一部で応援合戦が加熱しているそうですが、ここで見ている限りは気持ちの良いものでした。

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結果は最終区で逆転した地元立命館宇治の優勝でした。ここで見ていた時は大阪薫英女学院がトップだったのだけどな、その後順位を下げて5位に終わっています。

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紫明通なら森の中を走っているイメージで撮れるかなと思っていたのですが、実際その通りの効果はありました。他の場所では殺風景な町が背景になってしまい勝ちなのですが、ここは樹木が背景になるので良い感じですね。写真を撮りがてら観戦をするのなら、お薦めのポイントの一つですよ。

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2012.12.25

京都・洛北 イルミネーション2012 ~京都府立植物園~

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京都のクリスマスイルミネーション、掉尾を飾るのは京都府立植物園です。

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京都府立植物園でクリスマスイルミネーションが開催される様になって、もう何年になるのかな。今ではすっかり京都の冬の風物詩の一つになっています。

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毎年の事ながら、正門から入るとまず出迎えてくれるのが天使のファンファーレ。音はないけれど、素敵な音楽が聞こえてきそうですね。

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この実際に乗れるトナカイの橇も恒例になりました。ここに座って記念写真を撮る人も多いですよ。

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こちらは本物のモミの木を飾ったクリスマスツリーです。こういうのは植物園ならではの演出ですね。

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これも恒例のガゼボです。中に入ると星空を見上げているようで、なかなか綺麗ですよ。

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去年か一昨年だったかな、このトナカイの森が登場したのは。北山門近くの広場で沢山のトナカイが群れていますよ。

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これも恒例となっているノートルダム女子大学によるハンドベルの演奏です。いつもながら綺麗な音色ですね。ただ、場所がいつもの温室から植物園会館に変更になっており、危うく間違えるところでした。

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そして、このイベントのシンボルツリーであるトウカエデですね。このイベントは昨日まででした。勘違いしていてアップするのが1日遅れたかな。

静かで綺麗なイベントですから、来年は是非訪れてみて下さいね。

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2012.12.24

京都・洛北 イルミネーション2012 ~北山ル・アンジェ教会~

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京都でクリスマスイルミネーションと言えば、北山ウェディングストリートがすぐに思い浮かびます。その一角にあるのが北山ル・アンジェ教会、本格的なチャペルを持つ結婚式場です。

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冬至の日、ここで行われるキャンドルサービスを見たくて行ってきました。ゲートで出迎えてくれるのがこの巨大なサンタですね。

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この日はキャンドルサービスの前に、クリスマスウェディングショーが行われていました。要するに結婚式場としてのプロモーションなのですけどね、雰囲気は良かったですよ。

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そして、午後8時になると床にキャンドルが並べられ、灯りが落とされます。キャンドルサービスの始まりですね。

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暗闇に浮かぶ蝋燭の灯りはとても幻想的で、うっとりと見入ってしまいました。わざわざ出掛けて来て良かったと思える瞬間ですね。

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このキャンドルサービスは、百万人のキャンドルナイトに協賛して行われています。冬至の夜に灯りを消して、キャンドルの火の下で暮らしてみませんかという呼びかけですね。

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この日はサンタさんの扮したモデルさんとの記念写真なども行われていました。結婚式場のPRが目的とは言え、クリスマスムードを楽しむにはもってこいの場所だと言えます。

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向かいにあるノーザンチャーチ北山教会でも、キャンドルサービスは行われていました。ただ、こちらは撮影禁止のため画像はありません。北山ル・アンジェ教会とはまた違った雰囲気で、こちらも良かったですよ。来年は両方合わせて行かれてみては如何ですか。

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2012.12.23

平清盛 第50回 「遊びをせんとや生まれけむ」

(壇ノ浦の戦い前日、鎌倉。写経をする頼盛。その頼盛に、間もなく壇ノ浦あたりで戦になると知らせる頼朝。後悔はしないのかと問う頼朝に、平家は常に一蓮托生と頼盛。)

(4年前。突然二見浦の西行の庵に現れた清盛。なぜだといぶかる清盛を見て、生き霊の様なものだ、間もなく死ぬのだろうと西行。あるまじき事だと清盛。)

(治承5年1月27日。六波羅。熱に苦しむ清盛。)

(伊勢。庵の中を歩き回る清盛。生き霊とは便利なものだと西行。今死ねば、皆の思いを捨てる事になる、頼朝を倒し、福原に都を建てるまでは死ねないと清盛。皆そうだったのだろう、しかし、誰にも等しく訪れるのが死というもの、だから懸命に生きなければならない、清盛ほどそれを体現した人を他に知らないと西行。)

(法住寺殿。「遊びをせんとや生まれけん。」と歌う後白河法皇。)

(伊勢。清盛はいついかなる時も、子供が遊ぶように生き尽くした、まぱゆいばかりの美しさだと西行。涙する清盛。)

(六波羅。目を覚ました清盛。よろよろと立ち上がり、一門に向かって我が墓前に頼朝の首を供えよと命じ、仰向けに倒れた清盛。閏2月4日、64歳で清盛逝去。)

(六波羅。清盛の遺言を一門に伝える西行。西行に代わって現れた清盛。以下、清盛の遺言。)

(維盛、資盛に向かって、亡き重盛の血を引く者、清らかな心根を宝物と思って生きよ。経子に向かって、そなたの様な良き妻が居て呉れるた事は救いだった。経盛、教盛、二人揃って一人前とは良く言った、これからも兄弟支え合い平家の文と武の軸として生きよ。忠度、そなたの歌の才は日本一だと私が認める。頼盛、父と母の血を守り抜いてくれ。宗清、なにがあっても頼盛の忠実な家人であれ。貞能、そなたの忠義、甲斐甲斐しき働き、忘れぬ。忠清、お前が居なければ一門はとっくに滅んでいた、長い間平家の武を支えてくれた。宗盛、知盛、重衛、逞しき倅達、きっと勝て、勝って勝ち続けよ。徳子、そなたほど見事な働きをしたもののふは国中どこを探しても居ない。時忠、そなたなくして平氏は平家になれなかった、時忠あらずんば平家にあらず。盛国、いいや鱸丸、お前はこの平家という舟に躍り込んだ鱸の様なもの、お前に巡り会えたのは生涯の恵みだった。時子、そなたこそがわしの紫の上だ。)

(清盛を見つめて涙する一門。姿を消した清盛。後に残った剣。)

(平家都落ち。宗清に向かって、鎌倉殿を頼ろうと思う、かつて助命を嘆願した池禅尼の恩を忘れていないはずと頼盛。ならば私もと宗清。ならぬ、裏切り者と呼ばれるのは自分一人でよいと頼盛。)

(重盛の遺骨を掘り起こし、鎮西へと落ちていった貞能。)

(独自に平家を守ろうと伊勢平氏の乱を起こし、斬首となった忠清。)

(一ノ谷の戦いで戦死した忠度。)

(大仏焼き討ちに恨みを持つ南都に送られ斬首された重衛。)

(一ノ谷から逃亡し、出家した維盛。後に那智の沖にて入水。)

(元暦2年3月24日。壇ノ浦の戦い。)

(船倉の中で、何としても三種の神器は守らなければならないと時忠。そして、時子に向かって、いざという時には草薙の剣をと時忠。そこに転がり込んできた傷だらけの知盛。戦の様子は如何にと問う経子。笑いながら、方々はすぐに珍しき東男をご覧になられる事でしょうと知盛。なんと悪い戯れをと生田。もはやこれまでと一礼して出て行く知盛。)

(安徳帝の横で涙を堪えている徳子。さあと言って安徳帝を抱き上げ、参りましょうと一同を見渡す時子。従う徳子たち。)

(壇ノ浦に散った資盛。壇ノ浦に入水した経盛、教盛。清宗と共に入水したものの、沈まずに泳ぎ回っているところを捕らえられた宗盛。後に親子共に斬首。)

(一門と運命を共にした経子。)

(出家し、一門の菩提を弔った徳子。)

(御神鏡を守った功で死罪をまぬがれ、能登で生き残った時忠。)

(安徳帝を抱き、剣を手に船倉から出る時子。)

(尼前、朕をどこへ連れて行くのじゃと安徳帝。帝を見つめ、海の底にも都はございましょうと時子。うなずく帝。帝を抱いて海に沈んだ時子。)

(血まみれになりながら、見るべき程の事は見つと言って碇を担ぎ、今はこれまでと海に飛び込んだ知盛。)

(海に沈んでいく剣。)

(祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、と歌う法師。)

(鎌倉。餓死による自害を選んだ盛国。)

(平家の血を守り抜き、壇ノ浦の戦いの一年後に生涯を終えた頼盛。)

(鎌倉。義経からの書状を読む頼朝。謀反の心など無いと訴える義経。無断で任官した義経を許さなかった頼朝。打倒頼朝に立ち上がった義経。)

(東大寺勧進のために鎌倉を訪れ、頼朝に会った西行。)

(願わくば 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころ)

(西行の歌を褒める頼朝。花や月を眺めては、心に浮かぶ思いを三十一字にまとめるばかりだと西行。京、随一のもののふと呼ばれたお方がご謙遜をと頼朝。お戯れをと西行。京随一、日本随一のもののふとは誰の事か既にご存じのはずと西行。)

(頼朝の前に現れた清盛。わが倅どもがきっとそなたを討ち取る、そしてそなたの首を我が墓前に供えると清盛。そうはいかないと頼朝。そう言うと思ったと笑う清盛。しからば、まことの武士とは如何なるものか見せてみよと頼朝に迫る清盛。立ち上がって清盛に微笑みかける頼朝。うなずく清盛。)

(姿を消し、西行となった清盛。これにてと西行。呆然としながらも我に返り、大義でござったと西行を見送る頼朝。)

(歌に願ったとおり、桜の季節に世を去った西行。)

(髭切の太刀を手にした頼朝。そこに、表で子供達が銀の猫で遊んでいると言いながら入ってきた政子。何でも旅の僧からもらったとかでと政子。髭切の太刀を持ったまま立ち上がり、これが私の選んだ道、武士の栄華へと続く道だと頼朝。頼朝を見つめる政子。)

(義経を襲う軍勢。義経を庇って長刀を振るう弁慶。堂内に駆け込んだ義経。堂の入り口に立ちふさがった弁慶。堂内で兜を脱ぎ、これが定めなら潔く受け入れようと義経。堂の前で立ち往生を遂げた弁慶。源氏のために捧げたこの命、決して無駄にして下さいますなと言って、堂の中で自害した義経。弟の死の上に、武士の世を作り上げた頼朝。)

(建久元年(1190年)、30年ぶりに上洛し、後白河院に対面した頼朝。頼朝の前に双六盤を置く法皇の家人。賽を振る法皇。その1年後、66歳の生涯を閉じた法皇。)

(その9年後、世を去った頼朝。)

(室町幕府の世となり、ようやく行われる様になった、清盛が礎を築いた国と国との交易。)

(かつての清盛のごとく、船の上で雄叫びを上げる子兎丸。)

(海底に突き刺さった剣。その剣を抜き取り、刃を見つめる若き日の清盛。その清盛に声を掛ける兔丸。開かれた扉。在りし日の平家の館。清盛を迎える平家一門。首座に座り、一門を見渡す清盛。にこやかに応える一門の人々。満面に笑みを浮かべた若き日の清盛。)

(海の底にも都はごさりましょう、と時子。)

(平清盛なくして武士の世はなかったと頼朝。)

とうとう最終回を迎えました。今回は予想どおり怒濤の展開であったため、史実云々は言ってもきりがないので触れずに措き、感想を記すだけに止めます。

既に主題は前回までに語り尽くされており、最終回は本当のまとめだけに終始しました。武士の世の礎を築いたのが清盛、その思いを受け継いだのが頼朝というのがこのドラマの主題だったと思うのですが、この締め方ではそのテーマが少し弱まった感じがしましたね。頼朝が幕府を開いたところで終われば良かったものを、なんと室町幕府にまで走ってしまったのですから、そう受け取ったのも無理はないかと思います。私としては、後白河院を日本一の大天狗とののしり、公家の世に引導を渡す頼朝の姿を見たかったなあ。

それはともかく、怒濤の展開ではあったけれども、平家の儚さは良く表れていたと思います。清盛の死からわずか4年で滅んだと見るのか、その死後も4年も持ちこたえたと見るのかと評価は分かれると思いますが、栄華を誇った一門が壇ノ浦に沈んだ事はやはり哀れを誘います。美しいままに安徳帝を抱いて海に沈んだ時子は凄絶ですらあったし、平家一門の誇りを抱いて最期を遂げた様な知盛の死に様には壮絶なものがありました。私ごとながら、この夏壇ノ浦を訪れ、その場を見てきた事が、この場面を実感を伴って観る事が出来たのだと思っています。

さて、大河ドラマ史上最低の視聴率を記録した「平清盛」でしたが、私としては最後まで追いかけて良かったと思っています。分かり難いと言われた前半の朝廷の人間模様も面白かったし、後半のダークな清盛もそれなりに見応えはありました。印象に残る人物としては、頼長や信西、それに璋子や得子たちかな。保元の乱の前後が一番面白かった様な気がします。

ただ、清盛の言う武士の世がどんなものかが、最後まで良く判らなかったのが消化不良の部分ですね。清盛が目指したものは忠清がまとめてくれてはいたけれども、それによって世の中がどう変わったのかまるで示されなかったのが一番の不満点です。ここはなにがしかの形で描いて欲しかったな。それとも、変える前に死を迎えてしまい、それが実現したのが室町幕府の時代だったという事になるのでしょうか。雄叫びを上げる子兎丸の姿がその象徴だったのかも知れません。

最後に、ここまで私の拙いレビューにお付き合い頂き、本当にありがとうございました。京都に縁の深い清盛がドラマ化されると知り、資料を集めて読み出したのが1年前、それ以来、ドラマと史実の検証を続けてここまでたどりつきました。1年間完走出来たのは、大勢の人が来て下さっているという実感があってこその事、応援して頂いた方々には改めて御礼申し上げます。感謝の意を表しつつ、「平清盛」のレビューを終わらせて頂く事と致します。

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2012.12.22

京都・洛中 イルミネーション2012 ~京都駅ビル~

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京都のクリスマスで外せないのは、やはり京都駅ビルでしょうか。今年で15年目を迎え、今やすっかり京都の風物詩となっています。

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このツリーの高さは22m、実体を持ったツリーとしては京都最大級なのでしょうね。

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去年は見ていないので今年からなのかどうかは判らないのですが、大階段が巨大なキャンバスになっていました。これが様々な絵柄に変わって行くのですよ。

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例えばこれはスノーマンですね。これが音楽に合わせて動いていくのですが、この日は選挙の演説が凄まじくて何が何だか判らなくなってしまい、動画に撮るのは止めにしました。

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こちらはトナカイに曳かれていくサンタさんですね。この絵を見ているだけでも結構楽しいですよ。このイルミネーションは、12月25日まで行われています。

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駅前の京都タワーは、少し寂しい感じになっていますね。これはエレベータの改修のために来年の春まで休業しているからで、上下の展望室の灯りが消えてしまっているのでした。ロームのイルミネーションも今年は中止になっており、やや沈み勝ちな京都のイルミネーションではありますね。


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2012.12.21

京都・洛中 イルミネーション2012 ~新風館~

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烏丸通姉小路下ルにある商業施設が新風館です。旧京都中央電話局の跡地に28の店が並ぶというショッピングモールですね。

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ここも毎年年末になると、センスの良いイルミネーションでライトアップされる事で知られます。ここはプロムナード、空から降る雪をイメージしているのかな。

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中央のステージでは、毎日の様にイベントが開かれています。この日はPlastic Treeのロールシャッハ会が開かれており、大勢のファンがステージを取り囲んでいました。

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そのステージの脇に置かれたクリスマスツリーです。それほど大きくはないけれど、センス良く飾り付けられています。

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今年のテーマは「STAR LIGHT CHRISTMAS」なのだとか。この光は星降る夜というイメージなのかな。新風館のイルミネーションは、12月25日まで行われていますよ。

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2012.12.20

京都・洛中 イルミネーション2012 ~京都セントアンドリュース教会~

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三条御幸町にあるイルミネーションのスポットが、京都セントアンドリュース教会です。

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教会とは言っても実態は結婚式場で、キリスト教信者が集う信仰の場所という訳ではありません。その代わり、演出は結婚式場らしく華やかで、華燭の宴の場に相応しい雰囲気になっています。

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この日も教会内では、挙式が行われている様子でした。披露宴のざわめきが外まで漏れていたのですが、幸せな空気が感じられるのは、他人事ながら良いものですね。

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写真撮影は自由で、スタッフに頼めば記念写真のシャッターも押して貰えるとか。三条京極からほど近い場所にあり、クリスマスムードを手軽に楽しみたい人にはお勧めの場所ですよ。

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2012.12.19

京都・洛中 イルミネーション2012 ~京都ホテル オークラ~

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師走の京都を彩るイルミネーションシリーズ、まずは京都ホテルオークラからです。

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毎年少しずつ進化して行くこのホテルのイルミネーションですが、今年は巨大なツリーが登場しました。高さ50mという事で、背丈だけなら日本でも最大級になるんじゃないかしらん。

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もっとも、実態は電球だけで本体は無く、ギネスに認定される事は無いでしょうね。でも、遠くからでも見栄えがする事は確かです。

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このイルミネーションは2月14日まで続けられるそうです。私は見てないけど、ロビーには4.7mのツリーもあるそうですよ。こちらは12月25日まで飾られるそうです。手軽にクリスマスムードを味わいたい人は、一度立ち寄られては如何ですか。

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2012.12.18

京都・洛北 師走2012 ~糺の森 12.15~

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平成24年12月15日の糺の森です。この日は名残の紅葉が森を彩っていました。

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この森が色付くのは12月に入ってからの事であり、名残と呼ぶには少し早いのかも知れません。かなり散った木もあるけれど、まだ盛りと言っても良かったかも知れないですね。

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ただ、色合いは少し良くないかな。褐色になった木も多いし、黄色くなった木も色付きが少し薄い気がします。

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まあ、訪れた時間帯が遅く、薄暗くなっていたせいで見栄えがしなかったからかも知れません。明るい中で見れば、もう少し印象が違っていたかな。

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今年は糺の森にしたては進行が早く、緑が残っている木は見あたりませんでした。このぶんだと年内に紅葉は終わり、正月明けまで持ち越すという事は無さそうな感じですね。

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師走の森は静かでしたと言いたいところなのですが、下鴨神社への参拝者がひっきりなしに訪れていました。この森って、こんなに賑わう場所だったかしらん?縁結びのパワースポットという事で、人気を集めているという事なのかな。まあ、誰も居なくて寂しいよりはずっと良いと思いますけどね、静かな森も懐かしいという気がしています。


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2012.12.17

京都・洛東 師走2012 ~真如堂 12.15~

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平成24年12月15日、師走も半ばを迎えた真如堂です。

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つい半月ほど前までは紅葉狩りで賑わっていた真如堂ですが、今はすっかり冬景色となり、あの喧噪が嘘のように静まりかえっていました。

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それでも境内のそこかしこには名残の紅葉があり、本堂裏ではまだ敷き紅葉が残っていました。この敷き紅葉も、そろそろかたづけられた頃かな。

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植え込みの中の敷き紅葉は大半が枯れていましたが、通路にはまだ綺麗な落ち葉が残っていました。こちらの方がずっとカラフルで綺麗に見えますね。

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鐘楼へと続く通路も、良い感じの敷き紅葉になっていました。あまりここを歩く人が無く、踏み荒らされずに済んでいるからでしょう。

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この時期の真如堂を訪れるのは、結構好きだったりします。全くの冬枯れになる前の名残の紅葉を見ながら、静かな境内を歩くのはなかなか良いものですよ。真如堂本来の風情を味わうには、今が丁度良い時期かなという気がしますね。

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2012.12.16

平清盛 第49回 「双六が終わるとき」

(治承5年(1181年)正月。宗盛の館。正月の賀を受ける清盛。そこに入ってくる鎮西、四国の反乱の知らせ。これらに対抗すべく惣官職を敷くという清盛。そんな中、危篤に陥った高倉上皇。)

(上皇の御所。病床の上皇。死を悟りながら徳子の行く末を気に掛ける上皇。上皇の手を握り、誰よりも上皇が大事と徳子。笛を吹こうとして、音色の出せない上皇。なんと綺麗な音色でしょうと徳子。21歳の若さで亡くなった上皇。)

(再び政治の舞台に舞い戻った後白河法皇。二つの賽を清盛に投げかけ、如何なる事でもしてやろう、自分は頂きに立つ者なのだからと法皇。)

(宗盛の館。法皇のしたたかさに恐れをなす平家一門。)

(徳子に、清盛の意向であるとして、法皇の後宮に入って欲しいと願う時子。そんな事になるくらいなら出家すると徳子。)

(徳子の意向を夫に伝える徳子。また別の手を考えると清盛。これ以上の高望みはしなくても良いと時子。夫の横で琵琶を弾く時子。)

(時子との出逢いを思い出す清盛。)

(鎌倉。頼朝の下に降伏して来た梶原景時。石橋山で自分を見逃してくれた武将と気付く頼朝。頼朝を一目見て、天下を治める器と見た、家人の端に加えて欲しいと願う景時。彼を御家人に加えた頼朝。)

(京、上西門院の館。上皇を悼む歌会を催す女院。戦を恨む歌を披露する西行。)

(年老いた堀河局と出会った西行。雅な平安の世は長くないと嘆く局。今夜は存分に楽しみましょうと局の手を取る西行。)

(六波羅。清盛の下を訪れている西行。堀河の局とは夜通し歌合わせをしていたと西行。何年修行しても人の本性は変わらない、清盛もまたこれだけ追い詰められても起死回生の手を考えていると西行。自分が諦めては、武士の世は来ないと清盛。)

(頼朝の館。鎌倉の町造りに励む頼朝。)

(六波羅。鎌倉の賑わいを語る西行。大輪田の泊を作り、厳島の社を造営した頃を思い出す清盛。)

(頼朝の館。鶴ヶ岡八幡宮は源氏の守り神、そこに通じる道を中心に町を広げているのだと頼朝。感心する義経。)

(福原を都にしようと構想していた清盛。)

(鎌倉は源氏の都になると政子。)

(空を眺め、武士の世とつぶやく清盛。)

(空に向かって矢を放つ仕草をする頼朝。)

(法住寺殿。法皇の下を訪れ、双六を所望する清盛。敗れた者は勝った者の願いを一つ、必ず聞き届けるという約束で勝負を始める二人。)

(初めて双六をした時の事を思い出す清盛。天皇となった後白河に翻弄された日々を思い出す清盛。公卿になった清盛は自分をないがしろにしたと法皇。付かず離れずだと清盛。寸白の病から生き返った清盛。死の床にあった重盛を庇う清盛。)

(夜通し双六をしていた二人。7以上の目を出さなければ自分の勝ちだと法皇。7の目を出した清盛。何が望みだと法皇。二人の双六は本日をもって最後として欲しいと清盛。かつて武士は王家の犬と呼ばれていた。しかし、これからは武士同士が戦い、覇を競う世となる、もはや王家の犬ではないと清盛。もうそんなところまでたどり着いていたかと法皇。涙する清盛。一礼し、去っていく清盛。悲しげに庭を見る法皇。)

(盛国の館。剣の手入れをしながら、この辺りを平家の新たな本拠として作り直そうと思う、同じ様なものを頼朝も鎌倉に作っている、それを攻めて奪うための本拠だと清盛。良きお考えと盛国。しかし、暑いと清盛。一月なのにと訝る盛国。)

(雀の子を犬君が逃がしつると源氏物語の一節を読む時子。)

(伊勢、二見浦。西行の庵。突如現れた清盛。驚く西行。なぜかは自分にも判らないと清盛。)

(1月27日、盛国の館。熱病に倒れた清盛。看病する時子。心配そうな一門。)

(伊勢。驚いている西行。剣を手に呆然としている清盛。)

今回は四面楚歌に陥りながらも諦めず、起死回生を狙う清盛の姿が描かれました。

ドラマの冒頭に出て来た惣官職とは、五畿内と近江、伊勢、伊賀、丹波の諸国を統括する職制の事で、これらの国々の兵力と兵糧を一手に握るという強力な職権を持っていたと言われます。この任に就いたのは宗盛で、各地の反乱軍を鎮める為の軍事力の確保が目的だったと考えられています。ドラマでは先例が無いとされていましたが、実際には聖武天皇の時代に畿内惣管という職があり、公卿達にはそれをもって先例とするという事で納得させたと言われます。これによって、平家は源氏に対抗しうる軍事力を手に入れる事が出来たのでした。

高倉上皇の死が平家にとっての打撃だったのは事実で、治承三年の政変によって平家が得た政権は正当性に欠けており、後白河法皇の子である高倉上皇が院政を行うという一点のみで支えられているものでした。安徳天皇はまだ幼くて統治能力は無く、高倉上皇が治天の君として政治を司るからこそ成り立っていた政権だったのですが、頼みの綱である上皇に死なれてしまっては、平家は政権の拠り所を失う事になったのですね。上皇の死後、治天の君となりうるのは後白河法皇の他にはなく、平家としては不本意ながら、後白河法皇を復権させる以外に手だてが無かったのでした。ただし、清盛が健在の間は法皇の権限を厳しく制約しており、決して全面的に政治を委任した訳ではなかった様です。

その法皇に徳子を入内させるという話は実在したらしく、かつての滋子の様な役割を期待したものなのでしょうか。しかし、ドラマにあったように、徳子が出家するとまで言って嫌がったためにこの話は流れ、代わって清盛が厳島の内侍に産ませた娘を入内させています。これは清盛が法皇を懐柔しようとしたのだとも、後宮に平家の人間を入れてその活動を制約しようとしたのだとも言われています。

堀河局と西行の歌合わせについては、実際に和歌が残されているので史実のとおりなのですが、時期としては待賢門院が亡くなって間もなくの頃ではないかと思われます。もしこのドラマの頃まで堀河局が生きていたとすれば80歳を越えていたはずで、当時としては驚異的な長生きだった事でしょうね。それにしても、このタイミングで堀河局が出て来るとは思わなかったなあ。

清盛はその晩年を盛国の屋敷で過ごしており、その屋敷があった九条周辺を新たに平家の拠点として整備しようとしていました。安徳天皇の里内裏も八条に設けたし、一門の屋敷もその周辺に築かれのですね。おそらくは、挫折を余儀なくされた福原に代わる新王朝の首都を、都の南部に築こうとしていたのではないかと言われています。ただし、その構想は清盛の死によって日の目を見る事なく終わる事になってしまいます。

ドラマに戻って、今回も回想がほとんどであり、まとめに入った回でした。

老境に入り、四面楚歌に陥った清盛は、それでも起死回生を狙って新たな職制を創設し、新たな拠点を築き、法皇との対決に決着を付けようと闘志を燃やします。そして、王家の犬と言われた武士が今や時代の主役となっている事を法皇に認識させ、既に武士の世が招来している事を示しました。清盛は王家には拠らない自らの政権を築き上げ、頼朝はその清盛が作った政権に対するアンチテーゼとして鎌倉に政権を築きつつあり、どちらが勝つにせよ、次の世は武士が担って行く事が明かとなったのでした。長い双六の上がりは清盛の勝ちに終わり、彼は不完全ながらも武士の世を築き上げたという事になるのでしょうね。ここに「清盛なくして武士の世は来なかった」というドラマの主題は完結したと言えるのでしょうか。

最終回を前に清盛は病に倒れ、平家の終焉は目前のものとなりました。そして、予告編を見れば壇ノ浦で平家が海の底に沈み、弁慶が立ち往生するところまで一気に描かれる様ですね。最終回はなんだか怒濤の回となりそうだな。1年に渡ったドラマの締めくくりとしてどんな展開を見せてくれるのか、楽しみに待ちたいと思います。


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2012.12.15

京都紅葉事情2012 ~総集編~

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曼殊院 11.22

今日は紅葉情報の締めくくりとして、総集編をお届けしようと思います。まだアップしていなかった写真からピックアップして、今年の紅葉を振り返って行く事と致します。

まずは曼殊院から。今年の曼殊院は2度訪れていますが、思った程には綺麗にならなかったです。特に山門周辺が期待外れだったな。弁天池周辺や参道沿いはまずまずだったのですけどね。そんな中でも綺麗に色付いた木もあって、これだけを見せたら結構良かったんじゃないかと思われる事でしょう。

庭園は一度も入らずに終わってしまいました。比較的遅くに色付くポイントなので後回しにしていたのですが、タイミングが合わなかったですね。今年はどんな具合だったのかな。

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詩仙堂 11.22

詩仙堂は3度訪れました。最初のうちは期待が大きかったのですが、結局はそれなりに終わったというところかな。それでも外れ年という事はなく、小ヒットくらいには言えるかも知れません。状態の良いもみじの美しさはさすがというべきで、手入れの仕方が違うと実感させられます。

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赤山禅院 11.22

赤山禅院も3度訪れていますね。今年は比較的状態は良かったんじゃないかな。凄いと言う程では無かったけれども、まずまずの当たり年だったんじゃないかと思います。

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赤山禅院 11.22

その割に、ここを訪れる人は少なかった様な気もします。比較的知られた場所じゃないのかと思うのですけどね、境内を歩く人はあまり居ませんでした。修学院界隈にしては、穴場的存在と言っても良いのかな。静かに紅葉を楽しみたい人にはお勧めの場所ですね。

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蓮華寺 11.22

蓮華寺は一度しか訪れなかったですね。あまり状態が良くないと思ったせいですが、その後はどうなったかな。ちゃんと持ち直して、この寺本来の紅葉となったのでしょうか。

どういう訳か、ここは団体さんが良く来る様になっています。狭い寺だから不向きだと思うのですけどね。団体さんが来ると座敷の前面に座らせて、お寺の人が解説を聞かせる仕組みになっている様で、私もご相伴して聞かせて頂きました。それはそれで貴重な機会ではあるのですが、人混みの中で庭を見る気にはなりません。ちょっと興ざめですね。

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青龍苑 11.23

三年坂にある青龍苑は、料亭「坂口」を改装した店舗です。土産物店を中心に数軒の店が集まっているのですが、庭園は無料で開放されています。いくつかの茶室もあって、良い雰囲気の庭ですね。もみじも何本か植わっていて、紅葉の時期には美しく色付きます。今年は特に綺麗でしたね。ただ、この写真は興正寺別院の参道にあるもみじかな。ちょっと趣旨と違うけど、こういう借景もあるという事にしておいて下さい。

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清涼寺 11.24

今年の嵯峨野は大変な混雑でした。たぶん、「そうだ京都行こう」のキャンペーンのせいだと思われますが、何割かは「平清盛」の影響もあったかと思われます。祇王寺の混雑は凄かったものなあ。そんな中にあって、清涼寺は境内が広いせいでしょう、人混みに揉まれるという事は無かったです。紅葉もまずまず綺麗だったしね。渋滞に悩まされた嵯峨野路にあって、ほっと一息付けた場所でした。

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今熊野観音寺 11.12

出だしが早かった今年の紅葉ですが、泉涌寺の庭園も早々と色付いていましたね。その帰りに様子見に立ち寄った今熊野観音寺では、本堂の周辺だけが見頃になっていました。この写真を見ると相当なものだと思うでしょうけど、実際にはこの木と大師堂の裏手の銀杏が色付いているだけでしたね。なぜこれほどピンポイントで色付いたのかは判りませんが、この寺らしい写真は撮れたと思っています。

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下鴨神社 12.1

糺の森は京都で一番遅く紅葉するスポットです。下鴨神社の境内もその一部と見て良いのかな。ここが遅く紅葉する訳は、京都市内がヒートアイランド化している事と無関係ではないでしょうね。そして、高木に囲まれているので、もみじにはあまり日が当たらない事も影響しているのではないかと思われます。

そんな中にあって、神社の西の鳥居の袂にあるもみじは、糺の森にあってはいち早く色付く木の一つですね。たぶん、日当たりが格段に良いせいだと思われるのですが、毎年発色も素晴らしく、この木を背景にして記念写真を撮る人の列が絶えない場所でもあります。その鳥居の朱色の中に、紅葉を収めてみました。

さて、今年の紅葉は10年に一度と言われましたが、それが当てはまる場所はそんなには多く無かったと思われます。私が回った中では、圓光寺、源光庵、上賀茂神社がそうだったかな。宝筺院と泉涌寺、それに京都府立植物園もなかなかのものでした。真如堂も最初は綺麗だったけれど、後半に失速した感じです。後は、後半になればなるほど程度が悪くなり、並の紅葉になって行きましたね。全体を平均して見れば、数年に一度の当たり年だったというところかな。でも、素敵な紅葉に出会えた事も事実で、そう悪くない紅葉巡りだったと思っています。

皆様方におかれては、長々と続けた紅葉情報にお付き合い頂き、ありがとうございました。当「ねこづらどき」は秋モードを終了し、これからは冬モードに切り替えていきたいと思います。これからお届けする冬の京都情報を、引き続きよろしくお願いいたします。


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2012.12.14

京都・洛東 京都紅葉事情2012・総集編 ~清水寺 12.2~

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12月の初旬、名残のもみじを求めて訪れた清水寺です。この数日前までは盛りだったのだろうけど、雨や風で綺麗な葉が散ってしまい、舞台の上から見た景色はかなり寂しくなっていました。

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それでも探せば綺麗な名残の紅葉が見つかるのが、清水寺の凄さですね。境内が広くて、環境が様々という事が幸いしているのでしょう。

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子安の塔が復活した事もあり、私が一番期待していたのがここ、音羽の滝へと降りていく階段なのですが、残念ながらあまり良い状態ではありませんでした。本堂側は依然としてオレンジ色だったし、奥の院側はまだ緑が残っていたのですよ。ここを外したのは痛かったなあ。

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名残の紅葉の良さは、思わぬ光景に出会える事にあります。盛りの時には見えなかった景色が、葉が散る事によって見えて来る事があるのですね。そんな景色を探しながら歩くのは、なかなか楽しい作業ですよ。

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この木は、毎年名残の黄葉を見せてくれますね。木の種類は判らないけれど、もみじとは違う色合いで楽しませてくれます。

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アテルイの碑の近くのもみじは、期待通りの紅葉を見せてくれました。ここは毎年遅くに色付く場所なのですよ。この時期にこれだけの色を見せてくれれば満足ですね。

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紅葉を透かせた三重塔を見るのもこの時期ならではでしょう。もっと葉が赤く染まっていて、背景が青空だったら文句無かったのでしょうけどね、贅沢を言っても仕方がないか。

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その紅葉を離れて見たところだけど、今年はやはり色合いがぱっとしませんでしたね。日差しがあったらもう少し違って見えたのかな。

今年の清水寺は、盛りの時を外してしまい、名残の紅葉も今ひとつで残念でした。来年はタイミング良く訪れられれば嬉しいのですけどね、なんて事を言うと鬼が笑うか。

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2012.12.13

京都・洛東 京都紅葉事情2012・総集編 ~正法寺 12.2~

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二年坂から龍馬坂に入り、そのままずっと上っていくと、やがて正法寺にたどり着きます。ここもまた、訪れる人が少ない、紅葉の穴場的スポットの一つですね。

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穴場である理由の一つは、とにかく長くて急な石段を登らなくてはならないという所にあるのでしょう。大抵の人は、ここまでたどり着く前に、もういいやとなってしまう事でしょうね。

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今年は、山門内にあるこの銀杏の敷き黄葉が見事でした。ここまで綺麗だったのは、初めて見たような気がします。

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一点残念なのは、以前は入る事が出来た庭園に、今は入る事が出来なくなっている事です。紅葉越しに見る今京都の景色が素晴らしかっただけに、何とも惜しいですね。今は、庭園への入り口からわずかに覗く事が出来るだけです。まあ、これだけでも素敵な景色ではあるのですけどね。

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帰りの石段の途中からは、銀杏の黄葉越しに、雪を頂いた愛宕山を見る事が出来ました。今年の冬の訪れが早い事を実感した一時でしたよ。

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2012.12.12

京都・洛東 京都紅葉事情2012・総集編 ~興正寺別院 11.23~

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三年坂下の参道の奥にあるのが興正寺別院、ここは知る人ぞ知る紅葉の穴場的スポットです。

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三年坂から清水寺にかけては常に人通りで溢れていますが、そこからほんの少し道を外れるだけで誰も居ない静かなエリアに入ります。その落差の大きさには、いつもながら驚かされる思いがしますね。

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その静かな道を歩いて行くと、やがて見えて来るのがこの紅葉です。当たり外れの少ない木でして、毎年こんな感じで鮮やかに色付いてくれますね。

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その反対が上から二枚目の木で、例年なら縮れて散ってしまう事が多いのに、今年はかなり綺麗に色付いていました。気候の加減によって、紅葉の傾向が大きく左右されるという好例ですね。

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ここの紅葉は、参道北側にある通路沿いが見所となっています。今年はどういうものか下から見上げると今ひとつだったのですが、冒頭の写真の様に上から見下ろすと綺麗に見えるという不思議な紅葉でした。

興正寺別院を訪れる人はまれで、清水寺への行き帰りに、疲れを癒しに寄ってみるには丁度良い場所だと思いますよ。

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2012.12.11

京都・洛東 京都紅葉事情2012・総集編 ~南禅寺 11.18~

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南禅寺は東福寺、清水寺に並ぶ紅葉の人気スポットの一つで、常に大勢の人出で賑わいます。でも、境内が広いので、それほど混雑しているという実感も無い場所でもありますね。

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春の桜でも知られる場所ですが、どちらかと言うともみじの方が多いのかな。盛秋の時期は境内が紅葉で埋め尽くされるという感じになります。

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この日は朝早くに出掛けたのですが、写真的には正解だった様です。斜めに差す柔らかい光によってもみじが照らされ、紅葉が美しく輝いて見えましたよ。

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ここの見るべきポイントはいくつかありますが、法堂裏もその一つですね。比較的早くに色付き始め、銀杏の黄葉ともみじの紅葉のコントラストがとても美しく映えます。

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方丈に向かう道沿いもまた紅葉が綺麗なポイントです。多層的に重なった紅葉と、庫裏の白壁の対比がとても美しいですね。ただ、人通りが多くて、じっくりと鑑賞する事が出来ないのが難点かな。

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法堂の北側は、訪れる人の少ない、静かなエリアです。ほとんどの人は法堂正面の参道か方丈正面の道に向かうので、ここに来る人はあまり居ないのですよ。なので、人混みに疲れた時に一息入れるには、丁度良い場所ですね。

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その北側には白壁越しの紅葉もあって、なかなか綺麗ですよ。南禅寺の境内においては、穴場的ポイントです。

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毎年進行は早いポイントなのですが、今年は特に早かったですね。11月18日に訪れた時にはほぼ見頃を迎えており、連休の頃には少し寂しくなっていたんじゃないかな。最高とは言えないまでもまずまずの紅葉で、良いものを見せて貰ったと思っています。

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2012.12.10

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~糺の森 12.1~

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京都の紅葉もほとんどのところで終焉を迎え、あと残っているのは糺の森くらいでしょうか。ここは毎年紅葉が始まるのが遅く、12月半ば近くになってから見頃を迎える事が多いようです。

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ただ、今年は進行が早く、12月1日に訪れた時にはかなり色付き始めていました。例年より、1週間近く早い感じかな。

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河合神社の境内も色付いてましたね。ここは美人祈願の鏡絵馬が知られる様になったのでしょうか、以前はひっそりした場所だったのに、最近は結構な人出で賑わう様になっています。

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この時期の糺の森を訪れる楽しみの一つは、落ち葉の降り積もった道を歩く事ですね。ふかふかの絨毯の上を歩いているような感じで、ガサッ、ガサッという自分の足音もリズミカルに聞こえて、いつまでも歩いていたいという気分になりますよ。

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年によっては翌年の1月にまで持ち越す事のある糺の森の紅葉ですが、今年は年内に終わってしまうのかな。年末までにもう一度見に行っておきたいと思っているところです。

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予定ではここの最新情報をお届けして今年の紅葉情報を終わるつもりだったのですが、先週末に出掛ける事が出来なかったため、今週末まで紅葉の総集編を続けます。既に真冬モードに入った今日この頃ですが、もう少し紅葉とお付き合い下さいませ。

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2012.12.09

平清盛 第48回 「幻の都」

(六波羅。一人端座し、忠清を斬ろうとした事を回想する清盛。)

(通りがかった盛国に介錯を頼む忠清。平家の武の軸は忠清だ、これからも一門と清盛を支えて行こうと盛国。)

(重衛と知盛に忠清の言った事をどう思うと問う宗盛。譜代の侍大将の言う事は見当外れではないと知盛。父は昔から誰よりも強く偉い人だったと重衛。)

(治承4年10月、鎌倉。降伏してきた大庭景親。斬首の上、さらし首と命ずる頼朝。)

(配下の武将に所領を安堵し、報償を与える頼朝。忠誠を誓う武将たち。威厳をもって佐竹攻めを命ずる頼朝。)

(福原。病に伏す高倉上皇。上皇を見舞う清盛。何よりも上皇の身体が大事、俄かの遷都が元であるならばと徳子。)

(京、内裏。諸国の謀反について朝議に諮る公卿達。還都を主張する兼実。まだ半年だと基通。今、平安京を攻められたら何とすると兼実。重盛が生きていた頃は、まだ秩序が保たれていたものをと経宗。間もなく福原に新しい内裏が出来る、平家が作り上げた都を捨てる事など断じて出来ないと時忠。立ち去る兼実ら公卿達。)

(福原。一門を集めた宗盛。何用かと清盛。都還りをと進言する宗盛。環都せよと言うのかと色をなす清盛。寺社までが旧都を狙っている、上皇様も病と宗盛。宗盛を蹴飛ばし、都還りはしないと叫ぶ清盛。父の気持ちが判らぬか、福原は清盛の人生の全てだと時忠。たとえ武士の世と言えなくても、自分が出会った全ての人の証しがこの福原の都なのだと清盛。それでも都還りして頂きたいと宗盛。それでも棟梁かと時忠。棟梁故にと宗盛。過去の様々な出来事を振り返り、兄とは比べものにならない出来の悪い男子だと宗盛。その自分に出来る事があるとすれば、今この時、父を諌める事だと泣いて訴える宗盛。一門の者、一人一人の顔を見つめ、海を振り返る清盛。)

(11月11日。落成した内裏。玉座に就く安徳帝。帝のために作った新しい内裏だと孫に語りかける清盛。)

(京、内裏。清盛が環都の意向を示したと駆け込んでくる経宗。どよめく公卿達。)

(福原。宴の席で、「帰りなんいざ」と歌い始める舞姫。)

(清盛の回想。白河院の前で舞った時の事。保元の乱、平治の乱で戦った時の事。武士の世を作るのだと忠盛。海の近くに、平家の都を持ってくると清盛。先例大事の枠に囚われて国造りをしている暇はない、この国の形を密かに作り上げ、それをこの国の姿だと示すと清盛。ここは自分の世だ、武士が頂きに立つ世だと清盛。殿ご自身が武士ではないと忠清。)

(舞を見つめながら涙する清盛。)

(がらんどうになった福原の館。港の模型の残骸を見る清盛。そこに現れ、母と家来と共にここに残り、父の志を守ると小兔丸。彼らに頭を下げる清盛。立ち去る小兔丸たち。11月29日、福原を去った清盛。)

(六波羅。知盛に近江、伊賀、伊勢の謀反人を討てと命ずる清盛。承知、と出て行く知盛。重衛に源氏と結びついた山法師を攻めよと命ずる清盛。承知と重衛。)

(縁に座り、庭を眺める清盛。隣に座り、何をお考えかと時子。この何十年、何をしてきたのか、武士の世とは何だったのかと思っていると清盛。悲しげな時子。)

(鎌倉。一人端座し、夕陽を眺めている頼朝。そこに現れ、何をお考えかと政子。清盛が目指した武士の世とは何であったか、真の武士とは何であったのか、未だに計りかねていると頼朝。そこに現れた義経と弁慶。)

(何故挙兵を決心したのかと義経。亡き父の武を証し立てるためと頼朝。父の武と義経。義朝と清盛は若い頃から切磋琢磨して来られた、しかし、いつしか袂を分かつ事となった。起死回生を狙って起こした平治の戦の顛末は知ってのとおりと頼朝。その後、清盛は太政大臣にまで上り政をしているが、今は武士の世とは名ばかりの平家の世だと頼朝。私は平家を力で倒し、その上に真の武士の世を作ると頼朝。是非そうしてもらいたい、そうすれば先々代の源氏の大将の魂も浮かばれると弁慶。)

(頼朝に乞われ、若き日の清盛が神輿を狙って矢を放ったと語る弁慶。驚く頼朝。)

(弁慶の回想。神輿を射た時のごとく、朕を射てみよと鳥羽法皇。法皇を射る仕草をする清盛。そなたこそが乱れに乱れた世に報いられた一本の矢だと鳥羽法皇。)

(それを、あの方はやり続けてきたのかと頼朝。朝廷に入り込み、その仕組みそのものを壊し、変え、誹られながらも新しい都を作る、それらは全てと頼朝。)

(頼朝の回想。六波羅で倒れている頼朝の側に髭切の太刀を刺し、真の武士とは如何なるものかを見せてやると清盛。)

(鳥羽院に向かって矢を放つ清盛を思い浮かべる頼朝。矢を放つ清盛。腹に衝撃を受け、前のめりになる頼朝。別れ別れになったかに見えた父、義朝と、清盛の道は、再び一つになる、そしてそれこそが自分の務めであると悟った頼朝。)

(内裏。おろおろと駆け込んできた兼実。経宗を見つけ、東大寺を含む南都の寺が灰燼に帰したのは本当かと問う兼実。本当だと経宗。崩れ落ちる兼実。)

(12月28日。南都を鎮圧する重衛。風に煽られた火。)

(入道め、まだ懲りておらぬかと経宗。わざとではない、火が風に煽られただけと基通。もし我が寺興復すれば天下興復し、我が寺衰弊すれば天下衰弊す、と東大寺創建の折の聖武帝の詔を話す兼実。衝撃を受ける経宗。世に平家ある限り、天下の乱れは収まらないと兼実。)

(六波羅。こればかりは如何なる言い分も通らないと清宗。重衛も大仏まで燃やすつもりは無かった、強い風に煽られたのだと宗盛。それこそが、もはや運が尽きたという事、天は平家を見放したのだと清盛。)

(そこに現れ、笑顔で戦果を報告する重衛。伽藍を焼いた事も天は許す、自分たちが討ったのは仏を盾に狼藉を働く不埒者だ、これが出来るのは我ら平家のみ、強き武門の我らを措いて他には居ないと世に示したと重衛。立ち上がって、ようやったと重衛を労う清盛。はっと平伏する重衛。じっと庭を見つめる清盛。)

今回は福原からの環都、そして南都焼き討ちが描かれました。落日を迎えつつある平家と、旭日の勢いを示す源氏との対比が鮮やかになった回でしたね。

環都については、福原への遷都は清盛の独断で行われた様なものであり誰も喜ぶ者は無く、都還りはほとんどの人が望んでいた事でした。宗盛が清盛に環都を直訴した事は玉葉に記されており、おそらくは宗盛が清盛に示した唯一の反抗的態度ではなかったかと思われます。また、これに先だって、延暦寺が環都を求めており、もし入れられなければ山城と近江を占領するという恫喝を行っていました。さらには、病に倒れた高倉院もまた環都を望むようになったと言います。

一門の中で環都に反対したのは時忠だけだったと言い、周囲の支持を失った清盛は、やむなく環都を実行したと考えられますが、これには異説もあります。清盛はそんな消極的な理由で都還りをしたのではなく、近江にまで迫った反乱軍に断固たる措置を執るべく平安京に帰ったのだという説で、環都後、清盛は公卿や荘園領主たちに対して兵士を進上する様に求めているというのがその根拠です。つまり、東国の反乱に対抗するために、平家のみならず、公卿や荘園領主を巻き込んだ挙国一致の体勢を築こうとしていたというのですね。この場合の清盛はドラマの様な気弱な老人ではなく、平家政権のさらなる強化を図る意気盛んな政治家という姿になりますね。

南都の焼き討ちについては、重衛が陣の周囲を照らそうと民家に放火を命じた火が、強風に煽られて広がったとする説、平家は最初から計画的に焼き討ちを考えていたとする説に分かれます。この直前に、同じく反平家の立場を取った近江の園城寺を焼き討ちしている事を考えると、南都の焼き討ちも計画的だったという気がして来ますね。いずれにせよ、大仏殿を含む堂塔伽藍のほとんどが焼け落ちたのは確かで、平家物語に拠ると、討ち死にした悪僧は1500人、焼け死んだ者は3500人にも上ったと言われます。これが事実なら未曾有の殺戮が行われた事になりますが、実際にはドラマにあったように49人の悪僧が討ち取られたというのが真相に近い様です。

ドラマに戻って、今回はほとんどが回想シーンだったのですが、そのどれもが伏線となっていたのは見事だったと思います。中でも鳥羽院を矢で射たシーンなんて忘れていましたよ。祇園闘乱事件で放った矢が頼朝にまで届くとは、恐れ入った伏線の張り方でした。

それにしても、忠清によって生き方の全てを否定されてしまった清盛は、抜け殻の様になってしまいました。そこに追い打ちを掛けたのが宗盛の直訴で、初めてと言って良い宗盛の反抗で、清盛も遂に平家の都という彼の夢を諦めたのでした。この時の宗盛の回想もまた伏線の回収になっており、どこまで周到なんだとあきれる思いで見ていましたよ。

そして、抜け殻となった清盛の思いを継ぐのは宗盛ではなく頼朝であり、その橋渡しとなったのが弁慶でした。ドラマの前半において、なぜ弁慶があちこちに出没しているのかと疑問に思っていたのですが、全てはここに繋がる伏線だったのですね。これが今回の止めだったなあ。

天に見放されたとつぶやく清盛にかつて武士の世を目指した頃の面影は無く、清盛と義朝の道を繋ぐという頼朝には、真の意味での武士の世を開くという意気込みと輝きが見られました。史実においてはまだまだ意気盛んな所を示す清盛なのですが、ドラマにおいては死亡フラグが立ってしまいましたね。

後残りは2回、どんな収束を用意しているのか、楽しみに待ちたいと思います。

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2012.12.08

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~知恩院 12.2~

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平成24年12月2日の知恩院です。この日は黒門口の紅葉が、見頃終盤を迎えていました。

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この日は清水寺からずっと洛東を歩いてきたのですが、前日の雨が祟ったのか、良い状態の紅葉にはあまり出会う事が出来ませんでした。そんな中にあって、ここは比較的綺麗に残っている場所の一つでしたね。

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知恩院の紅葉もいくつかあるのですが、一番まとまって見る事が出来るのがこの黒門口です。城郭を思わす重厚な黒門から続く石垣沿いに、境内へと続く門の前まで紅葉を楽しむ事が出来ます。

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紅葉する時期はかなり遅く、毎年11月末から12月初めにかけて盛りを迎える様ですね。

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今年もほぼその傾向どおりだった様ですが、既に最盛期は過ぎており、落葉期に入ろうとしているところの様でした。

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黒門口の修理が完成したのは2年前だったかな、まだ白壁は真新しく、紅葉との対比がとても綺麗でしたよ。

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紅葉は素晴らしいという程でも無かったのですが、それなりに見応えはありました。今頃はほとんど散ってしまっている頃かな。京都の紅葉もほぼ終わり、後は糺の森を残すのみなった事でしょうね。

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2012.12.07

京都・洛中 京都紅葉事情2012 ~御霊神社 12.1~

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平成24年12月1日の御霊神社です。この日は紅葉が見頃を迎えつつあるところでした。

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御霊神社は、相国寺の北に位置する神社で、知る人ぞ知る洛中の紅葉の名所です。主として境内の東側にもみじが集中しており、毎年遅い紅葉を楽しむ事が出来ます。

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この日は典型的な晩秋の天気で、晴れていたかと思うと急に雨が降って来るという具合でした。ここに来た時は本降りとなってしまい、自転車に乗っていた私は降り込められて、暫し雨宿りを余儀なくされたのでした。

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その代わり、しっとりした雰囲気にはなり、静かな風情を楽しむ事は出来ました。他にカメラマンも居らず、ここをほぼ独り占めに出来たのも良かったです。

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紅葉はまだ少し浅い感じで、特に北側の列はまだ色付き半ばの木がほとんどでした。今頃はどうだろう、見頃を迎えた木と、落葉が盛んな木が混在している状態かな。

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ここに人があまり行かないというのは不思議な気がしますね。じっくりと紅葉を楽しみたいという人にはお勧めの場所ですよ。洛中における穴場の一つと言っても良いかも知れません。

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2012.12.06

京都・洛中 京都紅葉事情2012 ~相国寺 12.1~

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平成24年12月1日の相国寺です。この日は、紅葉がほぼ見頃を迎えていました。

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相国寺は松や檜が多く、もみじはそれほどには植えられてはいません。そんな中でも、鐘楼前を初めとして何本かのもみじがあり、この季節になると鮮やかな彩りを添えてくれます。

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この日はまだ浅い色付きの木が多く、盛りとまでは至っていない様でした。やはり市内の紅葉は、周辺に比べると進行は遅い様です。

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そんな中で、開山堂のもみじは、今年は早くに色付いたらしく、すでに散り始めていました。木によっては例年と違う傾向を示すのが、今年の紅葉の特徴の一つの様です。

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放生池北側にあるこの木も、今年は綺麗に色付きました。どういうものか縮れて散ってしまう事が多い木なのですが、今年の気候が良い方に作用した一例ですね。

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そういう木を今年は他にも何本か見ました。紅葉とは無縁と思われている木でも、条件次第では鮮やかに色付くのですから、何とも不思議なメカニズムだという気がしますね。

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この木などは、かなり濃いオレンジ色に染まっていたのですが、その後は赤く染まったのかな。どんな具合になったのか、結果が気になるところですね。

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今頃は盛りを迎えたか、あるいは少し終盤に差し掛かった頃なのかな。今年の相国寺の紅葉は程度が良く、きっと見栄えがした事でしょうね。一番良い時に見たかったなという気がしています。

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2012.12.05

京都・洛北 京都紅葉事情2012 ~鷺森神社 12.1~

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平成24年12月1日の鷺森神社です。この日は紅葉が見頃の終盤を迎えていました。

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鷺森神社は、長い参道沿いに紅葉が続きます。その入り口では、赤く色付いたもみじが出迎えてくれました。

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しかし、中に入ってみるとオレンジ色の木が多く、縮れて散ってしまった木も目に付きました。参道の西の方はまだ紅葉が残っていたのですが、東に行くにつれて寂しくなって行きます。

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要は、紅葉の盛りを過ぎて終盤を迎えていたという事なのでしょう。おそらくは、この週の初めから半ば頃にかけてが一番綺麗だったんじゃないかな。

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雨の影響も大きかった事でしょうね。たぶん、盛りの頃に降った雨で、かなりの葉が散ってしまったものと思われます。

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そんな中で、本殿裏の紅葉は、掛け値なしで綺麗でした。ここは毎年美しく色付く場所なのですが、今年は特に見事でしたね。

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鷺森神社が終われば、今年の修学院界隈の紅葉もほぼ終了と見て良いのでしょう。あとは、わずかに曼殊院の庭園が残っているかしらん。散り紅葉になっていれば、それはそれで綺麗な事でしょうね。

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2012.12.04

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~法然院 12.1~

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平成24年12月1日の法然院です。この日は紅葉が見頃を迎えていました。

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まず参道に入ると、この日は浅いながらも色付いていました。普段は薄暗い木陰の道なのですが、こうして色彩が入ると印象が変わりますね。

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境内はまずまず色付いていました。あまり状態は良くないのですけどね、元々風情のある場所ですから、それなりに見られます。

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残念だったのは、山門を入って左側のもみじが散ってしまっていた事で、一番絵になる木が裸木になっていました。早くに色付いて一足先に終わったのか、今年は最初から駄目だったのかは、ちょっと判りません。

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右側の木にしても、近付いてみると葉が縮れている事が判り、最高とは言い難い状況でした。今年は10年に一度の紅葉と言われていたけれど、終盤に近付くにつれて、それなりの所が増えている様な気がします。

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まあ、そんなあら探しをしなくても、これだけの景色を見る事が出来たのだから良しとするのでしょう。ここは最も京都らしさを味わえる場所の一つだと思います。

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2012.12.03

京都・洛東 京都紅葉事情2012 ~安楽寺 12.1~

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平成24年12月1日の安楽寺です。この日は紅葉が見頃となりつつある所でした。

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ここは階段に降り積もる落ち葉が綺麗な事で知られるポイントです。ですので、落ち葉の状態も気になるところなのですが、ちょっと縮れた葉が多かったですね。

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全体としてまだオレンジ色で、これから赤くなるところなのかも知れません。そうなったら綺麗なのでしょうけどね、このまま散るという可能性も無きにしもあらずです。

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雰囲気としてはまずまずだったかな。ただ、一見静かそうに見えますが、この背後には何人ものカメラマンが控えていました。ここも随分と知られる様になったのですね。

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安楽寺では、12月9日まで特別拝観が行われています。普段は非公開の寺なので、紅葉を見がてら、お出かけになるのも良いかも知れませんよ。

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2012.12.02

平清盛 第47回 「宿命の敗北」

(治承4年9月5日、福原。頼朝の挙兵に対し、直ちにこれを鎮めよと命ずる清盛。その総大将に命じられた維盛。)

(8月23日、石橋山。大庭、伊東の軍勢に囲まれ、惨敗を喫した頼朝。)

(洞窟に身を潜める頼朝一行。頼朝を見逃してやった梶原景時。安房に逃れた頼朝。)

(平泉。頼朝挙兵を聞き、自分も駆けつけたいと願う義経。今はその時ではないと止める秀衡。兄を見捨てられないと義経。運と度胸が無ければ勝てないのが戦と秀衡。自分が的になり、義経の運と度胸を示すという弁慶。見事に的を射抜いた義経。やむなく、佐藤兄弟を付け、義経を板東に向かわせる秀衡。)

(福原。各地に相次ぐ反乱軍を討つべく編成された追討軍。板東に向かう維盛、資盛。鎮西に向かう貞能。)

(内裏の造営について諮る清盛。遷都に反対する教盛ら一門。新しい国造りを遂行する事が勝つ事だ、武士はいかなる事をしても勝ち続けなければならないと清盛。)

(9月19日、下総。2000騎を率いて参上した上総広常。数を背景に無礼な広常に対し、毅然とした態度で臨む頼朝。凜とした頼朝に、大将の器を認め、軍門に下った広常。)

(軍議の席で、亡き義朝の功を尊み、悲願であった武士の世を作ると宣言する頼朝。そして、かつて義朝が居を構えた鎌倉を目指します。)

(9月29日、京。出陣を焦る維盛と日柄が良くないと止める忠清。兵の士気を案じ、出陣を強行する維盛。)

(10月16日。鎌倉入りを果たした頼朝軍2万5千騎。頼朝の下に駆けつけた政子。別に兵を挙げた武田信義と力を合わせたいと考える頼朝。そこに、平家の追討軍が駿河に入ったという知らせが届きます。これを迎え撃つべく出陣する頼朝。)

(10月20日、富士川。東岸に陣を敷いた頼朝軍。合流した武田軍。)

(西岸の平家軍。兵糧の豊かな頼朝軍に対し、兵糧の蓄えが無く、ぐったりしている平家軍。逃げ出す兵が多く、4000騎が2000騎にまで激減していました。心配する資盛に、まだ主立った武将が参陣していないだけだと維盛。そこに、大庭景親が参陣する途中で頼朝軍に阻まれ、伊東祐親が捕らえられたという知らせが入ります。色を失う維盛。兵糧が無い事で不満を募らせる兵達。それを見て、士気を上げる為に遊び女を連れてこいと命ずる維盛。戦を控えた陣中に女を呼ぶなど聞いた事が無いと忠清。大将の権威を笠に着て強行する維盛。)

(厳島に赴いた清盛。用向きは、内裏の速やかな落成を祈願する事でした。反乱軍を案ずる景弘。自分のなすべきは武士の世を作る事、すなわち、福原に都を置き、そこに自分の血を引く帝に住まいして頂き、そこで政を行う、それをあやつに見せてやると清盛。あやつとは、我が友の子、すなわち頼朝でした。義朝との過去を思い出す清盛。)

(富士川東岸。沼地を抜け、相手の背後を脅かしてはと提案する信義。)

(沼地を行く信義軍。女を囲んで宴に興ずる平家軍。信義軍に驚いて飛び立った水鳥の群れ。その羽音を奇襲と思い、崩れ去った平家軍。)

(厳島。海を眺めている清盛。)

(平家軍の無様さをあげつらう源氏軍。あまりのあっけなさに、清盛の20年を思う頼朝。このまま一気に上洛したいと提案する頼朝。東国にも、未だに頼朝に従わぬ者が多いと反対する広常たち。苛立つ頼朝。そこに現れた義経。)

(頼朝との対面を果たした義経。)

(六波羅。沈痛な面持ちで集まっている平家一門。そこに、宋の太刀を持って、どたどたと現れた清盛。そして、維盛を見つけると殴りつけます。止める知盛。折檻を止めない清盛。)

(息を切らして、首座に着いた清盛。そして、戦に敗れておめおめと帰ってくるとは、それでも平家の男子かと維盛を責めます。さらに忠清を咎める清盛。面目次第もない、死んでお詫びをすると忠清。たわけた事をと止める盛国。良く言ったと清盛。清盛を止める時子。武士とは勝つ事、今度の無様な敗走は、これまで築いてきたものを壊しかねない過ち、侍大将ならば命をもって贖うべしと清盛。止める盛国たち。)

(清盛の前に座り、死ぬ前に申し上げたい事があると忠清。肩で息をしながら忠清を見据える清盛。維盛は紛う事なき平家の男子、戦の心得もなく、出陣の日の吉凶も選ばず、兵の進退も心得ず、陣に遊女を入れ、戦場から逃げる、それこそがまごう事なき平家の男子の姿だと忠清。怒りにまかせて立ち上がる清盛。清盛は保元の乱、平治の乱に勝ち抜き、武士の世を夢見て財をなげうち、公卿方、法皇と渡り合って一門を公卿の家柄に押し上げた。音戸の瀬戸を広げ、大輪田の泊を整えて宋との交易を行った。厳島の社を新たにし、横へ横へと広がる世をを目指した。娘を入内させ、孫を帝とした。その帝を頂く新しい国を福原に作ろうとしている。平家はもはや武門ではない、清盛自身が武士ではない、清盛が目指した世は武士のままでは作れなかったのだと忠清。あえぐ清盛。この首を刎ねられよと庭に出る忠清。剣を抜いて庭に出る清盛。)

(忠清の首を刎ねようとし、剣を振り上げた拍子に仰向けに転ぶ清盛。地面に転がった錆びた剣。清盛の脳裏に甦る剣にまつわる忠盛、義朝、白河法皇たちとの記憶。心の軸が出来た時、身体の軸が出来るという忠盛の言葉。立派な武士になりたいと言う幼い日の清盛。その気持ちを心の軸にせよという忠盛の言葉。震える右手を見つめる清盛。)

今回は富士川の戦いが描かれました。平家の屋台骨が大きくぐらついたとされるこの戦いでしたが、清盛自身もまた老いさらばえていた事を実感させられた回でした。

史実との関係で言えば、義経が頼朝の下に馳せ参じようとし、秀衡がそれを危惧したのは史実にあるとおりです。もっとも、それは義経自身の事と言うより、平家と源氏の力関係を危ぶんでの事でしたが、弁慶が的の下に座って度胸試しをしたというのはドラマにおける創作です。

一方の平家方では、維盛が討伐軍の総大将に任命され、それを補佐する役目として忠清が従ったというのは史実どおりですが、資盛がこの軍に加わったという事実は無いはずです。それとも、そういう説があるのかな。資料に拠れば、副将格にあったのは叔父の忠度で、これに知度が加わっていました。ドラマでひげ面の忠度が出てこなかったのは、ちょっと意外でしたね。

石橋山で一度は破れた頼朝が再起を果たすと、続々と板東武者が彼の下に集まり、富士川の戦いの頃には20万騎を数える軍勢にまで膨れあがったと言われます。これも不思議と言えば不思議な事なのですが、その理由はやはり平家が諸国の知行を独占してしまった事にあった様ですね。例えば、2万騎を引き連れて参戦した上総広常の場合は、彼の地盤である上総国は他ならぬ伊藤忠清の知行する国となっており、広常は忠清と対立した事から清盛に疎まれ、その存在基盤を失おうとしていたのですね。その危機感から打倒平家を掲げた頼朝に与力しようとしたのであり、他の武者たちも大同小異の状態でした。つまりは、治承3年の政変によって平家があまりにも手を広げすぎてしまった事に、諸国に反平家の狼煙が上がった遠因があったのです。

頼朝の側も裏返しの事情であって、彼に味方する武者たちは自らの所領を取り戻す為に戦うのであり、決して頼朝に対する忠誠心からではありませんでした。なので、富士川の戦いに勝った後で頼朝が上洛しようとした時、広常たちは板東の事が先だと反対したし、頼朝もそれに従わざるを得なかったのです。

平家物語に拠れば、平家軍は7万騎だったと言われます。しかし、その大半は諸国の軍勢を寄せ集めた駆り武者であり、戦意に乏しい戦力でした。しかも、西国では酷い飢饉に襲われており、十分な兵糧も用意出来ていないという有様でした。こんな戦いになってしまったのは、頼朝が一度は石橋山で敗れたという油断があった事、その後の板東の情勢を甘く見過ぎていた事などが理由として挙げられます。平家としては、不本意な戦いを余儀なくされてしまったのですね。

実際の兵力としては、源氏方が数万騎だったのに対し、平家方は4千騎程度だったと言われます。元々数で劣る平家軍でしたが、戦いの前になると脱走者が相次ぎ、2千騎程度にまで減ってしまいます。この状況を見て、戦慣れした忠清は撤退を進言したのですが、維盛は追討使としての役目に固執し、引こうとはしませんでした。しかし、将兵の大半は忠清の意見を支持し、戦意は極度に落ち込んでしまいます。

そうした時に動いたのが武田信義でした。ドラマにもあったように、彼は平家方の背後を突こうとして富士沼に兵を入れたのですが、その軍勢の動きに驚いた水鳥の大群が一斉に羽ばたいたのですね。その羽音はすさまじく、怯えきっていた平家軍には大軍が襲って来た轟音に聞こえたのです。恐慌状態に陥った平家軍は、もはや統率の手だてもなく、撤退する以外に道は無かったのてした。この時、平家軍の中には近在から集められた遊女が居たと平家物語には記されています。これも上手くドラマに取り入れられていましたが、彼女たちの多くは逃げまどう兵士達の乗る馬によって蹴り殺されたとあり、悲惨な状況にあった事が窺えます。

追討軍が敗れた事を知った清盛は、追討使たる者、生き恥を晒して京に入る事は許さないと激怒したと伝わります。負けるべくして負けた戦いではありましたが、その敗戦の影響は計り知れないものがあると清盛には判っていたのでしょうね。平家を支えていた武力が潰え去っただけでなく、高倉上皇の院宣という権威まで否定されてしまったのですから、平家政権の存立基盤そのものが危うくなってしまったのでした。実際、東国はことごとく頼朝に靡き、その勢いは近江にまで届くという事になってしまいます。

ドラマに戻って、錆びた剣は耄碌した清盛自身を表しているかの様でした。その清盛の過ちを指摘したのが、平家の武門を支えてきた忠清だったというのも皮肉に満ちていましたよね。武士の世を目指せしていたはずの清盛が、気付かない内に自らその道を外れてしまっていたのでした。あの方はこの20年何をして来たのだろうという頼朝のつぶやきは、その間の事情を端的に物語っていたと思います。その事に気付いた清盛が、どう軌道を修正しようとするのかが次回の見所となって来るのかな。


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京都・洛東  京都紅葉事情2012 ~12.2 速報~

今日は洛東界隈を歩いてきました。全体として盛りは過ぎており、名残の紅葉となっています。その名残の紅葉も色付きの浅いものが多く、ちょっと中途半端な感じになっていますね。前日の雨、風によって、綺麗に色付いていた葉が散ったのかも知れません。

1.建仁寺

境内の西半分はほぼ終わっています。東半分はまずまず色付いていますね。まだ少し浅い感じで、もう少し綺麗になるかも知れません。潮音庭は今回も入っていないので判りません。

2.八坂の塔

上半分が散り、下半分だけが残るという、文字通りの名残の紅葉となっています。その名残の紅葉も少し浅い色付き方ですね。

3.二年坂

上半分は散り、下半分がオレンジ色と緑の混合になっています。オレンジ色でもすっきりとした色合いなので、それなりに綺麗ではありますね。

4.清水寺

ここも盛りの過ぎた名残の紅葉となっています。舞台周辺を初め、境内全域でかなり散っていますね。その反面、舞台の東側階段ではまだ緑が残っており、あまり美しくない名残の紅葉になっています。ただ、部分的には綺麗な木もあり、ライトアップならそれなりに楽しめると思います。

5.正法寺

ほぼ見頃と言って良く、特に銀杏の落ち葉が綺麗でした。ここは庭園に入る事が出来なくなっており、以前の様に紅葉越しの眺望を楽しめなくなっているのが残念です。

6.龍馬坂

坂の上の木は色付いていますが、まだ少し浅い感じで盛りには至っていません。下の木も色付き半ばで、まだ緑の部分が残っていますね。ここはもう少し時間が掛かるかな。

7.円山公園

東の奥の部分しか見てないのですが、ほぼ終了していました。ここは例年最後に紅葉するところなのですが、今年は展開が随分と早かった様ですね。池の周辺など、西の部分は判りません。

8.知恩院

黒門内の紅葉が見頃終盤となっています。あまり程度は良くないのですが、今日回った中では比較的ましな方でした。白壁との対比が綺麗でしたね。

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2012.12.01

京都・洛東・洛北・洛中  京都紅葉事情2012 ~12.1 速報~

今日は晩秋特有の時雨模様の中、遅く紅葉するスポットを選んで回ってきました。途中で本降りになったため予定より早めに切り上げなければならなくなったのですが、まだまだ綺麗な紅葉を楽しむ事が出来ましたよ。

1.安楽寺

階段に舞う散り紅葉で知られる場所ですが、まずまず見頃となっていました。まだ少し早いかなという感じで色付きはやや浅く、階段に落ちている葉も縮れた感じのものが多かったです。雰囲気は良かったですよ。

2.法然院

ここもまずまずの見頃でしょうか。参道を入ったところから色付いており、晩秋の風情を感じる事が出来ました。ただ、山門を入って左側のもみじが散っており、それが残念でしたね。紅葉の状況は抜群とは言い難く、並程度、かな。

3.鷺森神社

ここは見頃終盤といったところです。参道の西側はそれなりに色付いてるのですが、東に行くにつれて縮れた葉や終わってしまった木が目に付きます。もみじのドームはすっかり終わっていたな。ただ、本殿の裏手のもみじは素晴らしい色付き加減でして、赤と黄色のコントラストが見事であり、今日見た中ではピカ一でした。

4.糺の森

見頃開始くらいには言えるのかな。まだまだ浅い色付きですが、雰囲気は出て来ています。馬場沿いより参道沿いの方がより綺麗だったかな。神社南側の鳥居前のもみじは比較的綺麗に色付いていました。また、西の鳥居前のもみじは、今年も鮮やかに色付いていますね。記念写真のメッカです。

5.相国寺

ほぼ見頃と言って良く、まずまず綺麗に色付いています。まだ少し浅い色付きかなという気もしますが、縮れた葉の木は無く、状態の良いもみじが多いですね。

6.御霊神社

まずまずの見頃でしょうか。まだ色付き半ばの木もあって、盛りとまでは言えないのですが、雰囲気は悪くなかったです。銀杏の落ち葉が綺麗でしたよ。

7.阿弥陀寺

お地蔵様の背後のもみじは、色付き半ばというところです。今のところは、あまり綺麗とは言えませんね。今後持ち直すかな。

8.慈福寺

赤く色付いてはいるけれども、散ってしまった葉が多く、あまり状態は良くないですね。盛りが過ぎたという事なのかな。

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京都・洛西 京都紅葉事情2012 ~祇王寺 11.24~

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平成24年11月24日の祇王寺です。この日は紅葉が見頃を迎えつつあるところでした。

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祇王寺は、平清盛の思い人であった祇王ゆかりの寺です。今年は大河ドラマの影響か、それとも「そうだ京都行こう」のキャンペーンの余波かは判りませんが、大変な人出で賑わっていました。山門から隣の壇林寺の門前まで行列が出来ていたのですが、この寺に入るのに並んだのは初めての事です。

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紅葉は周辺部でほぼ盛り、中央の上部ではまだ緑が残るといった状況でした。ですので、この寺としては最盛期とまでは言えないところだったのかな。

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ここの真骨頂は敷紅葉にあると言われます。その意味からすれば、今が良い頃合いなんじゃないかな。人出も一段落した頃だろうし、祇王が晩年を過ごした日々を感じるのには、丁度良い風情が味わえるかも知れませんよ。

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