平清盛 第45回 「以仁王の令旨」
(福原。譲位の件はどうなっていると盛国に問う清盛。朝廷に異を唱える者が多いと盛国。未だに自分に異を唱える者が居るのか、六波羅に使いを出せと清盛。)
(内裏。帝に譲位をと清盛の意向を伝える宗盛。まだ若すぎると帝。そこは平家が支えると宗盛。)
(以仁王の館。闘鶏を見る以仁王。所領を奪われ、言仁が即位の運びとなり、絶望を口にする王。)
(頼政に以仁王への助力を頼む八条院。そんな力はないと頼政。源氏随一の武者ではないかと八条院。余生は穏やかに暮らしたいと頼政。いかなる手を使っても以仁王を助けると女院。)
(伊豆。時政の館。突然訪れた山木兼隆。慌てて相手をする時政。租税を増やせと言われている、それは言仁が即位するため、その後ろには清盛が居る。平家に縁の深い自分を袖にし、源氏の棟梁を婿にした事を悔いる事になると兼隆。)
(頼朝の館。このままではあちことに不満が溢れ、狼藉者が暴れ出すと時政。清盛は租税を何に使うつもりかと政子。孫の即位や福原の町造りだと時政。自分の為ばかりだと憤る政子。頂きに立ち、欲に取り憑かれているのだろうと藤九郎。いよいよ時が迫っていると時政。的に向かって矢を放つ頼朝。大きく外れた矢。がっかりする一同。暫く武芸から離れていた故と言い訳する頼朝。)
(平泉。弓の稽古をする義経。義経に向かって長刀を振るう弁慶。軽くあしらう義経。もんどり打つ弁慶。その様子を頼もしげに見ている秀衡。)
(10年前、鎮守府将軍に任じられた、それを利用して奥州の金銀財宝を手にした人が居ると秀衡。清盛ですねと義経。清盛はそれを宋国に送り、平家一門は一層の財を築き上げた。しかし、年端も行かぬ孫を帝に就かせ、国を思いのままに動かそうとは外道の業と秀衡。今やこの国のほとんどが平家のもの、いずれ平泉にも押し寄せてくるかも知れないと泰衡。その時には九郎殿、平泉の財力、武力を存分に使ってくれと黄金を見せる秀衡。)
(2月21日。安徳帝となった言仁。)
(新院となった高倉院。周囲を固める時忠ら平家の一門。)
(上皇になって最初の参詣を厳島にせよと言いだした清盛。慣例を破る事になり、朝廷や社寺が黙っていないだろうと盛国。厳島は新しい国の要となるべき社、異を唱える者は解官してしまえと清盛。だんだん言う事が理不尽になって来ていると兔丸の元家人達。殿はまだ道半ばに居る、国造りに邁進するためには理不尽にならざるを得ない時もあるのだと小兔丸に説く盛国。)
(内裏。参詣先を厳島と決める基通。前例がないと兼実。清盛のご意向だと基通。ただの厳島贔屓だと経宗。仕方がないと兼実。)
(厳島参詣に反対し、手を組んだ延暦寺、興福寺、園城寺。)
(六波羅。あせって知盛、重衛を呼び寄せた宗盛。悪僧達が法皇を鳥羽離宮から連れ出し、高倉院を掠うつもりで居るらしいと、どうしたらよいと狼狽える宗盛。まず自分が兵を連れ、院の御所を警護すると知盛。鳥羽離宮にも誰か行かせようと重衛。それが良いと宗盛。)
(何事も起こらなかったが、高倉院の予定が遅れ、機嫌を損ねた清盛。新帝即位の儀を福原で行うと清盛。それは都でと決まっていると盛国。帝はこの福原を都とする新しきを世を象られるお方だ、速やかに都をこの福原に移すと清盛。既に都では大極殿が築かれつつあると盛国。そんなものに財を投じなくても良いと宗盛に念を押せと清盛。無言の盛国。11月の大嘗祭だけでもこの福原で行うと清盛。承知する盛国。我が意のままにならぬものがあってはならぬと清盛。)
(清盛の前に現れた二人の白拍子、祇王と祇女。舞を見て貰いたいと二人。)
(伊豆。月明かりの中、髭切の太刀を振るう頼朝。何とも勇ましい姿だと政子。それを授けた清盛が、今や武士の心を忘れているとは皮肉なものだと政子。果たして忘れてしまったのだろうか、自分にはそうは思えないと頼朝。)
(福原。清盛の前で舞う祇王と祇女。)
(武士の世を作る為には通らなければならない道なのだろうと頼朝。そうであったとしても、いつかは清盛の前に立たなければならないと政子。)
(清盛に酌をする祇王。祇王を抱き寄せた清盛。)
(京、宗盛の館。宴に興じる宗盛。それを咎める時子。折に付け宴を行えとは父の言いつけと宗盛。それは務めを果たした上での事と時子。重盛が亡くなってから1年と経たないのにこの騒ぎは何事と時子。重盛は道理を重んじる人だった、だから正妻の子たる自分を棟梁とするために早々に身罷ったのだ、この宴は重盛の冥福を祈っているのですと宗盛。情けないと言って立ち去る時子。)
(そこに現れた清宗。喜んで駈け寄る宗盛。清宗が差し出した壊れた竹馬。それはかつて忠正が作ってくれた竹馬でした。叔父を思い出し、憤然とする宗盛。)
(自慢の馬、木下に乗って現れた仲綱。その馬を貸せと宗盛。それだけはと仲綱。借りるだけだと宗盛。これは命より大事な愛馬と仲綱。私に逆らって只で済むと思っているのかと仲綱を恫喝する宗盛。そのまま木下を返さなかった宗盛。)
(頼政の館。宗盛は木下を仲綱と改め、酷い辱めを与えていると父に訴える仲綱。堪えよと頼政。我ら親子は木下の様なものだと自嘲する仲綱。)
(福原。祇王と双六に興じる清盛。帝の即位の儀は4月22日に内裏で行う事に決まったと時忠。万事遺漏なき様にと清盛。国の頂きに立っても、まだ若い女や酒が欲しいのかと時忠。欲こそが男子の力の源、この世の全てを手に入れて見せると清盛。頼もしやと吐き捨てる時忠。時子には言うなと清盛。)
(祇王達と戯れる清盛を振り返り、あれは弔いの様に見えると時忠。それも欲のうちだと盛国。)
(以仁王の館。王に拝謁する頼政と仲綱。家人に合図する八条院。庭に現れた行家。平治の戦以来、熊野に身を潜めていたと言う行家。源氏の魂はこの国のあちこちに潜んでいると八条院。ひれ伏す頼政。令旨をお出し遊ばれよと八条院。令旨?と王。諸国の源氏に向けて、平家打倒の令旨をと八条院。ひれ伏す頼政と行家。)
(祇王たちと遊び呆ける清盛。)
(治承4年4月22日。安徳帝即位の儀。)
(福原。祇王の膝で酒を呑む清盛。そこに現れたもう一人の白拍子。)
(東海、東山、北陸三道諸国 源氏ならびに軍兵らに下命する 清盛入道と平宗盛らは 情勢に任せて凶徒に命じ国を滅ぼし 百官万民を悩ませ 五畿七道を不当に支配し 法皇を幽閉し 廷臣を流罪に処し 命を絶つなどした 財物を掠め取り 国を領有し 官職を奪い与え 功なき者を賞し 罪無き者を罰している 百王の継承を絶ち 摂関を押さえ 帝や院に逆らい 仏法を滅ぼす事は前代未聞のことである そのため天地はみな悲しみ 民はみな愁いている そこで私は法皇様の第三の皇子として 天武帝の昔にならって 王位を奪う者を追討し 仏法を滅ぼす者を討ち滅ぼそうと思う)
(諸国はこの命令どおり実行せよと命ずる以仁王。行家に授けられた令旨。)
(清盛の前に現れた仏御前。)
(君をはじめて見る折は と歌い舞い始める仏御前。)
(伊豆。行家から令旨を受け取った頼朝。)
(令旨を読み下す頼朝。そこで 源氏の者 藤原氏の者や さきざきより三道諸国に勇士として名高き者は 追討に協力せよ。もし同心しなければ 清盛に従う者に準じて 死罪 流罪 追討 拘禁の刑罰を行う。もし特に功績のあった者は まずは諸国の使者に伝えおき ご即位後に 必ず望みどおりの報償を与える。諸国はこの命令どおりに実行せよ。)
(福原。仏御前を見つめる清盛。舞終えた御前。御前を抱き上げて寝所へと向かう清盛。取り残されて涙する祇王。)
(伊豆。令旨を手に震える頼朝。)
(福原。仏御前と寝所で戯れる清盛。自分はこの世の頂きにいる、次は遷都だと清盛。ここはわしの世だと清盛。)
今回は頂きに立った清盛の足下を危うくする以仁王の令旨が出されるまでが描かれました。
まず、高倉院の厳島御幸が画策されたのはドラマにあったとおりで、平家の守護神でもある厳島神社に畿内の社寺と同等の地位を与えようとした清盛の意向と言われます。これに叡山ら既存の勢力が反発したのもドラマにあったとおりで、上皇の御幸は延期とされてしまいました。結果として山門側の足並みが揃わず、反乱は未遂に終わったのですが、平家に対する反感がマグマの様に潜在している事が明らかになった事例でした。
さりげなく出ていた事柄ですが、大極殿を再建していると盛国が言っていたのは先の大火で内裏が焼失していたためであり、実際には安徳帝の即位の儀は大極殿ではなく紫宸殿で行われています。ドラマではそんなところに財を費やすなと清盛が言っていましたが、作者がこんな細かい所にまで目を向けているとは驚きですね。
仲綱の愛馬、木下を宗盛が奪い、仲綱という焼き印を押して辱めたとは平家物語にある下りで、これに怒った頼政は平家打倒の挙兵を決意した事になっています。頼政が以仁王と共に兵を挙げたのは事実ですが、これには見方が二通りあり、平家物語にあるとおり頼政自らの意思で以仁王を担ぎ上げたという説と、八条院と以仁王に頼み込まれた頼政がやむなく立ち上がったという説があります。どちらかというと後者の方が有力な様ですが、ドラマでは上手くその二つをミックスしていましたね。
以仁王が所領が取り上げられた事もドラマにあったとおりで、鳥羽院の正統を自負する以仁王にしてみれば、平家によって所領を失い、即位の望みも絶たれたとあっては、平家打倒に立ち上がらざるを得ない状況に追い込まれたのでした。
令旨とは本来皇太子の命令を伝えるもので、後には親王の出す文書も令旨と呼ばれる様になります。以仁王はその親王ですら無かった訳ですが、あえて令旨という形で諸国の源氏に命令を発したのですね。当然ながらその効力には疑問が付くのですが、反平家勢力にとってはこの上無い福音となりました。この令旨をきっかけとして、あるいは反乱の拠り所として各地の反平氏勢力が勢いづく事になるのです。
祇王と仏御前については平家物語に記された挿話で、儚い女性を弄んだ清盛の悪行の一つとして描かれています。平家物語に拠れば祇王が清盛に囲われたのは京での事のはずで、その期間は3年だったと伝えられています。ですから、福原としたのはドラマの創作ですね。仏御前が現れたのも西八条第で、福原ではありません。そして、仏は16歳だったはずで、ドラマでは少し年を取りすぎていましたね。仏御前については以前に書いた事があるので参照して下さい。なお、祇王、祇女、仏御前については、後白河法皇も過去現在牒にその名を記しており、実在の人物である事が知られています。
ドラマに戻って、いよいよ清盛の独断専行ぶりが顕著になって来ました。この世はわしのものだという白河法皇と同じ台詞をつぶやいていましたが、頂きに立った者はそういう心境に陥るという暗示なのでしょうか。ただ、白河法皇に刃向かったのは清盛の母しか居なかったのに対し、清盛には全国から群がり出ようとしているところに大きな違いが見られます。法皇と臣下という立場の違い、そしてなにより時代の変化を物語っているかの様ですね。それにしても、重盛というストッパーを失った清盛は、糸が切れた凧の様にとりとめなく振る舞っています。これじゃあ、平家が滅ぶのも無理はないかな。ただ一人、頼朝だけが清盛の心の内を知っているようなそぶりを見せていたのが印象的でした。
宗盛の脆弱振りも目に余るものがあり、知盛と重衛に助けられてやっと立っているという感じでした。重盛が生きていた頃にはあまり目立たなかった弱点なのですが、やはり棟梁という重荷を背負った事で露呈してしまったという設定なのでしょうか。
祇王と仏御前については、もう少し丁寧に描いて欲しかったな。あれでは祇王の悲しみ、仏御前の無邪気さが現れていないんじゃないかしらん。なんとなく、女同士の嫌らしい争いにしか見えなかった様に思います。それに、あっさりと心変わりする清盛というのも何だかなあ。まあ、ここは平家物語に描かれたとおりの演出なのですけどね。
次回は頼朝の挙兵が描かれる様です。以仁王の挙兵はざっと描かれて終わるのかな。頼政をここまで散々に引っ張って来たのだから、それなりに扱うとは思うのですけどね。どんな事になるのでしょうか。
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